2010年04月05日

教室での『〜しなさい。』は?4

25569acb.jpg 前記事に、ドラゴンさんより、すてきなコメントをいただいた。3番である。

 そのコメントからしみじみ考えさせられたことがあるので、2回にわたって記事にさせていただこうと思う。

 その1回目は、大村はま先生の著作『日本の教師に伝えたいこと』から引用された言葉について。

 その言葉は、ドラゴンさんのコメントに記されている。また、同コメントには、上記著作の書評のURL(むらちゃんのブックブログ)が貼り付けられていて、その言葉をさらにくわしく知ることができる。


 
 わたしの思いなど、大村先生に及ぶべくもないが、以下、ご覧いただけたら幸いである。



〇わたしも、若かったころは別として、

 教室で、子どもに対し、『〜しなさい。』は、極力言わないようにしてきた。

 大村先生は、『専門職としての教師がこれを言うことは、みっともないこと。』とされている。


 そうか。みっともないことか。

 わたしはとうていこの域には達していなかった。

 わたしの場合、なぜこれを使わないようにしてきたかというと、子どもの主体性を大事にしたいからであり、子どもが創る授業にするためには、指導者の指示や命令は極力減らした方がいいと思ったからである。

 だから、つまり、その程度の認識だったから、言ってしまうことはあった。少しあまかったかな。


 しかし、言ってしまったあとで、

『なぜ、言ってしまったのだろう。何がいけなかったのだろう。

 そうか。あのとき、あのAちゃんの言葉を大事にして投げ返すようにすれば、『〜しなさい。』などとは言わなくて済んだのではないかな。』

 そういう反省は大事にしてきた。


 自分がそんな意識だったから、初任者指導に当たっても、

「極力言わないように、言わないで済むように、努力しなければいけない。しかし、言ってしまうことはあると思う。それは仕方ないことだ。ただし、言ってしまった場合は、どうしてそうなってしまったか。授業の流れをよく振り返ってみよう。

 初めはなかなか分からないかもしれない。しかし、そうしているうちにやがて、言わずに済む方策が見つかるようになる。

 それは、先生が成長したということだよ。」

などと言ってきた。


 よし。これからは、『みっともない。』も加えて話すようにしよう。



〇『〜しなさい。』に関する過去記事もある。紹介させていただこう。下記リンク先記事の前半部、『最初に皆さんに質問したいと思います。』からがそれに当たる。大変楽しく読めると思うので、お読みでなかったら、ぜひどうぞ。

A先生の講演から 人権週間に寄せて 


 A先生のこの講演は、全校児童向けだった。だから、動物のサイとゾウになぞらえて、『子どもが少しでも主体的な学びをするようになったらいいな。』という思いで話された。


 しかし、当然のことながら、これは、同校教員も聞いている。

 だから、A先生は、心のなかで、『〜しなさいと言わなくて済むような授業、学級経営をしなさいよ。』と、メッセージをおくられていたのではなかったか。



〇今回、前記事に対しては、やまびこままさんからもコメントをいただいた。1番である。

 『子供は千差万別なのだから、教え方は画一でなくてよいのではないのか、それが授業の工夫であり、教師としての醍醐味ではないのだろうかと思うのです。』

という文章が印象に残った。大村先生の言葉と重なっているように思った。


 そう。学級の全児童に向かって、『〜しなさい。』は、画一化の象徴だものね。それを言わなくても、子どもが自然にやり出すような授業。そこに、教師としてのだいご味がある。



〇わたしが、拙ブログで、よく使っている言葉がある。それは、『〜することが期待できる。』とか、『気づいたら、子どもが〜するようになっていた。』などである。


 この言葉は、誤解されそうだと、以前から思っていた。


 特に、『〜しなさい。』を多用する教員からは、言われそうだ。

 「そんな、たよりない指導でいいのか。偶然を期待するような指導ではあまい。」
とね。

 
 しかし、そうではないのだよね。

 目標の意識はしっかり持ったうえで、『〜しなさい。』を言わないようにしているので、こういう言い方になるわけだ。決して出たとこ勝負などというあまいものではない。

 さらに言えば、『どのようにしたら、子どもが自然にやりだすか。』ということに関して、手を尽くしたうえで、子どもをしっかり観察する。そのうえで、ほめたり、共感したりする言葉かけを大事にする。

 だから、ある部分の子については、

 『期待通りいかなかったとか、〜するようにならなかった。』などということはある。その場合は、受容する言葉かけを大事にする。


 ただ受容するわけではない。

 他に、『期待にかなった子』や、『〜するようになった子』はいて、その子たちには、ほめたり、共感したりする言葉かけをしているわけだから、

 また、その言葉は、そうでなかった子も聞いているわけだから、それを糧として、その子たちも成長していくことを、それこそ、期待することになる。

 そして、結果として(!!)そうなったとき、まさに、教職にあるものとしてのだいご味を味わうことができる。


 結果として、うまくいかないことだって起きる。そのときは、反省する。

 しかし、トータルとしてみた場合、こういうのは積み重ねだから、その差は大変大きなものとなっていく。



〇上記、書評を書かれた、むらちゃんとおっしゃる方はするどい。

 以下のような記述があった。

 
 大村先生の、『日本の教師に伝えたいこと』は教育書だが、しかし、もっと言わせてもらえれば、、教師という職業を入口に、『働くこととは』『コミュニケーションとは』について語った本ではないか。(『働くこととは』については、本稿で、特に触れていません。上記書評をご覧ください。)

とおっしゃる。


 なるほどな。

 『〜しなさい。』は、コミュニケーション能力を培うこととは無縁だろう。閉じられた会話である。子どもは沈黙の方向に行く。

 オープンマインドでいきたいものだ。



〇ああ。それにつけても、

 これは、前記事の補足となってしまうな。


 新しい教科書も、学習内容として、コミュニケーション能力の向上をねらってはいる。

 しかし、しかしだ。

 あまりの内容過多のため、子どもを追いまくる状況がうまれれば、事実上、日々の実践のなかでは、『〜しなさい。』の繰り返しとなってしまうだろう。

 それは、コミュニケーション能力を阻害する方向に作用しかねない。


 そうならないよう、多くの教員に奮起を促したい。



〇最後に、

 このブログは保護者の方も多く読んでくださっていると思うので、

 保護者の方へも、わたしの思いをお届けしたい。


 基本的には、家庭教育にも、これは当てはまる。現に、『〜しなさい。』がほとんどなく、豊かなコミュニケーションがかわされていると思われる家庭は、我がクラスにもあった。

 でも、やはり、それは少数にとどまる。


 何をかくそう。この我が家だって、『〜しなさい。』は多かった。

 だから、友達同士のような親子関係でいて、それでいて、子どもがしっかり育っているのを見ると、心から尊敬してしまった。


 
 言い訳になってしまうが、これはやむを得ない部分もあるのだよね。

 だって、家庭には、一人か二人しか子どもはいない。まあ、ほとんどの家庭はそうだろう。そうなると、『できている子をほめる言葉を、できていない子どもに聞かせる。』という手法が通用しない。

 いきおい、我慢できなくなってしまう。

 ほんとうは我慢しないといけないのだけれどね。我慢したうえで、手は尽くさないといけないのだけれどね。


 でも、むずかしい。

 もう一回子育てをやらせてもらえればうまくやれそうなのだが、しかし、今度は体力がもたない。


 二人の娘へ。ごめんね。

 今、それこそ、子育てまっただ中だね。親がやった以上のことを子どもに期待するのは申し訳ないけれど・・・、いい子育てを。ご夫君とともにね。


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 次回は、ドラゴンさんからのコメントのうち、

 ドラゴンさんが、わたしと同年代の方と話したとおっしゃる、その内容を取り上げてみたいと思います。

 どうぞ、よろしく。


 
 今日は、日本全国、ほとんどの学校が入学式、始業式ではないかな。子どもたちは期待をこめて、登校したことでしょう。

 また、新たな初任者も、希望を胸に子どもとの出会いを楽しんだことでしょう。

『とてもそんな余裕はありませんでした。』という声も聞こえてきそう。

 そういう方は、だんだんね。そういう気持ちになると思います。ご奮闘とご健康を祈っています。

 そして、今年、1年が、すばらしい年になりますように。



rve83253 at 10:19│Comments(22)TrackBack(1)教育観 | 教員の指導力

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1. 日本の教師に伝えたいこと  [ むらちゃんのブックブログ ]   2010年04月05日 17:31
「日本の教師に伝えたいこと」大村はま:著(ちくま学芸文庫) 白状しますと、本書は

この記事へのコメント

1. Posted by むらちゃん   2010年04月05日 11:07
このたびはトラックバックありがとうございました。また記事中に拙稿を取り上げてくださいましてありがとうございました。
私は、小学校教員免許こそ持っていますが、教壇に立ったことはありません。しかし、まもなく50を迎える年齢になって、すぐれた授業と企業運営(マネジメント)は、非常に共通点があるなと感じました。大村さんの本を読んでその思いは、さらに強くなっています。
2. Posted by toshi   2010年04月05日 12:15
むらちゃんさん
 すばらしい書評で、感服しております。
 わたしのように教職にあるものは、教育書としてしか読んでおりません。
 それを、もっと普遍的にとらえられていらっしゃる点、専門でない方の書評から学ばせていただいた思いです。
 記事にも書きましたが、わたしは初任者指導に携わっています。授業における教員の営みのもつ意味が、より幅広くとらえられたようになったと、そんな思いでおります。
 ありがとうございました。
 今後ともよろしくお願いします。
3. Posted by ドラゴン   2010年04月05日 14:59
むらちゃんさん

勝手にご紹介して失礼しました。本書を一番的確に紹介されていると感じましたので、こちらでご紹介させていただきました。

toshi先生
何度も拙コメントを取り上げていただき恐縮です。
私が紹介した話題も、「今の若い先生は……」のようにならないようにという自戒と、教師をめぐる環境をもっと整備してほしいという願いもあったかと思います。
最近では、ベテランでも授業が成立できないこともあると聞きました。

よく言われることで、若い先生ほど教育観、子ども観が古いということがあります。自分が習ってきた指導法をそのまま子どもにしようとする。小学校のころなんてよく覚えていないでしょうから、高校や大学の講義形式の授業が、授業の典型と思ってしまうなどもあるそうです。

一般の方もいらっしゃるようなので、誤解のないように追記しますが、新採=新卒ではありません。講師などを経験してようやく採用されたベテランの新採の方もいます。
4. Posted by toshi   2010年04月05日 16:48
ドラゴンさん
 《若い先生ほど教育観、子ども観が古いということがあります。自分が習ってきた指導法をそのまま子どもにしようとする。小学校のころなんてよく覚えていないでしょうから、高校や大学の講義形式の授業が、授業の典型と思ってしまうなどもあるそうです。》
 これは、よく分かります。初任者指導に当たっては、初めから指導法について話しますので、そのようなことはあまり感じないのですが、現職のころは、そういうことを感じたことがありました。
 ひどいときは、自分の子ども時代と違うといって怒りだす教員までいました。これには驚かされたものです。
 もう一回、貴コメントの引用をお許しください。よろしくお願いします。
5. Posted by 勇気づけ小学校教師   2010年04月05日 23:23
はじめまして。埼玉県公立小学校で教員をしております。勇気づけ先生と申します。
「〜しなさい。」は学校現場で非常に多く聞かれます。僕も命令口調は使わないように気を付けてやってきました。命令しなくても、大声を出さなくても子どもは動くんだな〜と実践を通して、実感しています。8日から新年度が始まりますが、〜しなさいを使わずに、また若い教員に少しでもよい影響を与えられたらと思っています。
今後とも勉強させてください。よろしくお願いします。
6. Posted by toshi   2010年04月06日 08:05
勇気づけ小学校教師さん
 初めまして。
《命令しなくても、大声を出さなくても子どもは動くんだな〜と実践を通して、実感しています。》
 これは、ン十年前のわたしの実感でもあります。この実感を得たものと得ていないものとでは、教育実践がものすごく違ってくるように思います。
 初任者を始め、若い先生方にその辺を早く会得してほしいものですね。
 
7. Posted by weaving_be   2010年04月06日 09:16
はじめまして,兵庫県で教員をしています。
「〜しなさい」というタイトルにひかれて読みました。
確かに,「〜しなさい」というのは,子どもたちに命令しているようで,子どもたちの主体性を損なっているようで,使いたくないというのがあります。
実際,私も子どもの主体性が大事だと,若いときから,使わないようにしていた気がします。
しかし,子どもたちの主体性って何だろう,子どもたちが主体的に学習・活動するって何だろうと,改めて考えると複雑になってしまいます。
つまり,「〜しなさい」と言わなくても,何らかの別の方法で同じことをさせているのではないかという問題です。
例えば,子どもたちを静かにするのに「静かにしなさい」ではなく,「静かにしましょう」と言っても,子どもたちはやらされているのには違いがないと思うのです。先生によっては,目力で静かにさせるなんてのも或るぐらいです。
子どもの主体性や主体的なふるまいというのは,意外と難しい問題なんだなと痛感している今日この頃です。
8. Posted by やまびこまま   2010年04月06日 10:42
toshi先生、コメントを取り上げていただきありがとうございました。
昨年あまりにも、と感じることがあり、主人が担任と面談をしたところ先生は「じゃあ私はどうしたらいいんですか?」とおっしゃったそうで・・・。それを考えるのが仕事ではないのですか?と主人が言ってしまったようです。ブログに本のご紹介がありましたので書評を拝見しましたら「プロとしての矜持」とあり、これだ!と思いました。
ふりかえって、家庭の中を見れば「〜しなさい」を言わずにどこまでいけるのか、、、しかしそこは、己の姿を見せるしかないとわかれば、お母さんもがんばらなくちゃと思うものです。まさに「身をもって教える」。
いい本をご紹介いただき感謝します。
9. Posted by toshi   2010年04月06日 20:08
weaving_beさん
 初めまして。
 ご愛読賜り、ありがとうございます。今後ともどうぞよろしく。
《つまり,「〜しなさい」と言わなくても,何らかの別の方法で同じことをさせているのではないかという問題です。》
 おっしゃること、よく分かります。こうやって文章に表すと、命令口調でないように見えて、実際は命令同然ということは多々ありますよね。
 目力などというのも、信頼関係の証ということもあるでしょうし、威圧的な態度ということもあるでしょう。そういうのは学級をみないと分からないものです。
 子どもをしっかり観察する目を持ちたいものだと思います。

 
10. Posted by toshi   2010年04月06日 20:54
やまびこままさん
 《プロとしての矜持》
 心したい言葉だと思いました。まだまだこれからも勉強していきます。
 教員も、自立し、主体性をもたないといけないですね。初任者指導に当たっては、その辺も留意していきたいと思います。
 わたし、ずいぶんむかし、大村先生の本は読んだことがあるのです。でも、もう一度熟読しなければいけないなという思いを強くしています。
11. Posted by kuno   2010年04月07日 19:22
 こんにちは。
 コメントを引用して下さりありがとうございます。それなのに、数日間書き込むができず申し訳ありませんでした。
 大村はま先生、本当にすごいと思います。大村先生の直接の教え子の苅谷夏子さんのお話もお伺いする機会があり、いくつも素敵な話を聞かせていただきました。
 「本当に言いたいことがあるときしか言葉の力はつかない」「くっきり具体的に見えるときしか考えることはできない」との信念から作られた、着眼点をしぼって生徒が力を出せるような教材。(漠然と何となく分かるという授業を嫌っておられた。)「一度で聞くよう。私も一度で皆に分かるように話す」との、正にプロとしての矜持。どうしても、もう一度話さねばならないときは、文体、言葉、立ち位置を変えていたそうです。
 苅谷さんの、「先生はリスのように教室内を歩きまわった。生徒の発見に対する先生の喜びは、生徒に勇気を与え、ひとまわり大人にした。教室は大人になる練習をする所、言葉を育てることは人間を育てること、従って、すべてが学習のテーマであると考えていらっしゃったのではないでしょうか」との言葉にも感動しました。
 
 教科書のページ数が増えた話。的外れなことを書いているようで恐縮です。でも、更に話がずれるのかも知れませんが、日本の学校では教科書以外の教材(ドリルや資料など)が多いと感じます。充実していると言うべきなのでしょうか?その関係も考える必要があるような気もします。
12. Posted by ちろ   2010年04月07日 20:33
本年度から地方で臨採として小学校で働いています、ちろです。
「〜しなさい。」という言葉に関してですが、昨年教育実習を1ヶ月した際の私のひとつの目標が『「〜しなさい。」という言葉を使わない』でした。それは、私も子どもたちに学ばせてもらっているという姿勢を忘れないという理由と、ある光景にショックを受けたからです。学生時代、私のバイト先に100人ほどの小学生と教師達が来ました。そこで先生たちは子どもたちに「〜しなさい!」「〜するな!」「静かにしなさい!」という言葉を平気で使っていました。大人同士での会話ではそんな言葉遣いしないですよね。その光景はコミュニケーションと呼べるようなものではなく、「大人>子ども」ができあがっていたと思います。とても違和感を感じました。
そうはいっても仕事が始まって数日しか経っていないので、いつか「〜しなさい。」と自分も言ってしまうのではないかと怖いです。
>『気づいたら、子どもが〜するようになっていた。』
というのはすごいですね。そんな仕組みが作れたらいいなあと心から思います。いいなと思いつつ、どうやればいいのか、自分のかかわり方は良いのか悪いのかもわからず、漠然とこれからが不安です。周りの先生方も多くの仕事に追われているので、実習のときのように指導していただくわけにもいかず・・・toshi先生に指導を受けている先生方が羨ましいです。
話がずれてしまいました。。大山はまさんの本ですが、教員を志すと決めた高校時代、大学試験に合格した際にそのときの先生がプレゼントしてくれました。もう一度読み返してみます!
13. Posted by YK   2010年04月08日 02:09
現代の教育者は「〜しなさい」というと、それは権威主義的なものであって、「上からの圧力」であると反応する傾向にあります。そして、子供は千差万別であるが故に、別々に対処しなければならないと考える。しかしながら私は、人間は千差万別であるが故に、その人間性を見つめた結果には、共通普遍の価値があると信じる立場です。したがって、その価値を言語化して、「〜しなさい」、「〜してはいけない」という言葉を使うことに躊躇はありませんね。もちろん、自分のクビを賭けて使うわけですが。
14. Posted by toshi   2010年04月08日 15:41
kunoさん
 またまた、ここにいただいたコメントも、最新記事に使わせていただきました。いつもほんとうにありがとうございます。
 苅谷夏子さんのお話をお聞きになったのですか。それはすごい。大村先生に関するホットな話題がたくさんあったわけですね。
 わたしは、苅谷さんと大村先生の共著を拝読したことがあります。分かりやすくズバッと本質をおっしゃるその姿に、感銘を受けたのを覚えています。
  
 教科書の話題ですが、ドリル類等は指導者が必要性を感じ子どもに持たせるものですから、一応考慮の外に置かせていただきました。教科書が厚くなったことによってこれらへの意識が変わり、減っていくのならいいのですが、さあ、どうなりますか。
 そんな思いです。
15. Posted by toshi   2010年04月08日 16:08
ちろさん
 初任者指導でいろいろな学校を回り、我が地域では、『〜しなさい。』はずいぶん減ってきたように思います。むしろ、初任者の方が、人によってではありますが、それを頻発する教員がいます。
 そのたびに、『指示、命令ではなく、子どもがやるように仕向けることができなければいけないよ。』と言います。
 ちろさんは、これを頻発することについて、確かな見識を持っていらして、立派だなと思いました。おっしゃる通り、これを頻発していたら、とてもコミュニケーション能力などは、育たないでしょう。 もっとも逆に、これをあまり気にしすぎるのもよくないと思っています。記事にも書きましたが、反省する気持ちがあって振り返りを行えば、それで構わないのではないかとも思っています。だから、こわがらず、ゆったりとした気持ちで子どもにのぞんでいただければと思います。

『気づいたら子どもが〜するようになっていた。』という姿勢に徹しないと、場合によっては、子どもに強烈な圧迫感を抱かせるようになってしまうのですね。『全員発表』などに指導者がこだわると、あと数人となったときのその数人は、ほんとうにかわいそうなことになってしまいます。
16. Posted by toshi   2010年04月08日 16:27
YKさん
 珍しく真っ向からの対立ですね。
『〜しなさい。』を避けようとするわけは、別に権威主義とか上からの圧力とか思っているからではありません。できるだけ対等な関係でありたいと願っても、指導者と子どもである以上は、権威主義的になったり上からの圧力と映るようなことがあったりするのは当然と思っています。
 わたしができるだけこの言葉を避けたいと思うのは、それが、子どもの主体性を育むことと矛盾するからです。
 千差万別の件も、別々に対処などとは言っておりません。そんなこと、一斉授業のなかでできようもありません。画一化に異を唱えているだけです。ですから、何度も授業実践を掲載させていただいていますが、多様な子どもの考え、こだわりなどを受け止め、授業に生かしていこうというくらいのことです。

《その人間性を見つめた結果には、共通普遍の価値があると信じる立場です。》
 これについては、まったく賛成です。わたしもその通りと思います。しかし、それが、『〜しなさい。』に直結するとは思いません。最新記事にてリンクさせた記事ですが、よろしければご覧ください。
http://www7a.biglobe.ne.jp/~syougakusyoninsya/koramusyu.htm
 共通普遍の価値であればなおさら、子ども自らが主体性をもって判断し、その価値を獲得すべきというのが、わたしの考えです。
 なお、緊急を要する場合、人権にかかわる問題の場合、何度も繰り返される問題行動の場合などは、『〜しなさい。』は言ってしかるべきと思っておりますから、念のため。
 本リンク先のケースの場合も、けがの前に発見していたなら、『何しているのだ。やめなさい。』となったこと、間違いありません。
17. Posted by YK   2010年04月08日 20:26
toshi先生

私自身は先生の教育観に感銘を受けることが多いですし、反論という意味で書いたわけではありません。ついでに言えば、対立しているとも考えていません。先生がおっしゃるケースを参考にして考えてみます。

リンク先の例では、傷つけたのがAさんで、傷つけられたのはBさんであるから、教師とすれば、Aさんを罰するのが一つの回答ではある。しかしながら、先生は、ここで、Cさんの「わたしもそうなんだけれど、みんなも少しいけない」という言葉を引き出すことにより、Aさんが徐々に変化していくことを待つという回答を出したということです。文中でもっとも重要なのは、Cさんの発言です。
18. Posted by YK   2010年04月08日 20:50
Cさんの「わたしもそうなんだけれど、みんなも少しいけない」という発言は、「全員で制止すべきであったから、私を含め、みんなが間違っていた」という意図でしょう。しかし、私は、Cさんの発言を「このようないけないことを、私も含め、誰もがする可能性があるから、いけない」とあえて解釈し直します。なぜなら、言葉であれ、物理的なものであれ、暴力的なものは常に存在しますから。この場合は、たまたま、AさんとBさんが当事者で、コンパスが武器となった、ということを考えれば、誰でもそうなり得ると教えるほうが、私はよいと考えます。その場合、導かれる回答は、「どのような形であれ、人を傷つける行為は止めなさい」という教訓を伝えることではないかと思われます。
19. Posted by toshi   2010年04月09日 07:13
YKさん
 真正面からわたしのリンク先記事を受け止めてくださったことに対し、感謝申し上げます。ありがとうございました。
 わたしが申し上げたいことは、
 共通普遍の価値であれば、それについては、子どもたち、多くをもう知識として知っているのです。知っていながら、なかなかそれができないのですね。・・・。

 ああ。ごめんなさい。話途中ですが、
 これ、次回記事のテーマにさせていただきたく思います。YKさんがまじめに受け止めてくださったので、記事にしやすくなりました。そして、このことは、初任者指導にもすごく役立ちそうです。
 よろしくお願いします。
20. Posted by YK   2010年04月10日 02:31
toshi先生

私が「現代の教育は〜」と書くとき、当然のことながら、先生を責めているということではありません。文科省は責めているかもしれませんが・・・。

>>共通普遍の価値であれば、それについては、子どもたち、多くをもう知識として知っているのです。知っていながら、なかなかそれができないのですね。・・・。

私は教育の対象年齢がtoshi先生より高いので、逆に、共通普遍の価値−道徳的なこと、人の痛みに関すること−などを認識させる必要があるのかな、と感じています。小学校でそういうことを明確に意識させないのであれば、教育のある段階で教える必要があると感じますね。(それは基本的には親の役割なのでしょうが。)
21. Posted by 消耗品   2011年10月02日 22:56
ああ、「〜しなさい」
私は毎日のように使ってきました。
大村先生からすれば「みっともない教師」・・・
今から十年前、ある学校に赴任して間もない頃、指導拒否、授業妨害を繰り返す生徒たちに「なんでテメーに命令されなきゃならないんだ」と言われた時の事を思い出しました・・・。あの時の事をたまに思い出すのですが、未だにどうするべきであったのかわかりません。
22. Posted by toshi   2011年10月03日 00:38
 Aさんからはたくさんのコメントをいただき、大変なお仕事であったことがよく分かっています。課題の多い子どもたち、学校だったのですから、『〜しなさい。』が多くなるのは容易に想像できます。断じて、『みっともない』などということはありません。大村先生にしろわたしにしろ、きわめて一般的な公立中学校と小学校に勤務したもので、そういう世界だからこそ言えることと理解しています。
 わたしが常々言っていることは、現状より一歩よくなればいい。ただし、その、『現状より一歩よくする努力』は永遠に続くのだということです。すみません。これも小学校だからこそ言えるのかもしれません。

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