2010年04月08日

『真実の言葉を育てる』には、4

f60621a4.JPG 大村はま先生のシリーズ第二弾である。

 本日は、『真実の言葉を育てる』をとり上げたい。


 真実の言葉。

 むずかしい概念である。しかし、『むらちゃんのブックブログ』の記事や、拙ブログ前記事にお寄せいただいたkunoさんのコメント11番などを拝読したおかげで、かなり具体的なイメージをもつことができた。


 それらをまとめさせていただくと、

・自分の心を見極めたり、つきつめたりするところから、ほとばしり出る言葉
・ほんとうに言いたいことがあるときに、ほとばしり出る言葉
・子どもが発見したとも言えるような概念を感じ取れる言葉
・言っている人の人間性そのものを示すような言葉

となるだろうか。


 そして、それが媒介となって初めて、うわべだけではない豊かなコミュニケーションが生まれる。


 ここで、それとは逆の、うわべだけのコミュニケーションになってしまう言葉をあげてみると、

・一つは、前記事で詳述したように、指導者の『〜しなさい。』という言葉。

・もう一つは、weaving_beさんがコメントで示してくださった。7番にある。

 『静かにしなさい。』も、『静かにしましょう。』も、子どもたちがやらされていることに変わりはないとおっしゃる。

 そう。

 そういう場面が多いのは、確かだろう。

 このように、

 大人のつかう言葉が安易なのだよね。また、言葉の概念があいまいなままつかってしまっている。

 こういったことが、子どもたちを、真実から遠ざけることになる。そして、安易に言葉を使わせるようになっていく。


 こうしてみると、日ごろ、大人がいかに言葉を粗末に扱っているか、分かるような気がした。しかも、教育という場でそれが行われている。


 今回、言葉というものが、いかに大切なものか。

・空疎に言葉をつかっていれば、空疎な心しか育たない。
・真実の言葉をつかうことによって、自分の真実の心を見つめるようになる。
・そして、真実の心を言うことが、どんな味わいをもつものであるかを経験させることができる。


 特に、第三項目の、『味わい』という言葉に衝撃を受けた。

 そうだ。真実の言葉は、ただ単に真実の心を映し出すだけではない。それがいかに味わい深いものであるか。教育という場なら、それを子どもに会得させないで、何が教育か。

 そんな感じがしてきた。


 そんな目で、我が実践、我が初任者指導を振り返ってみると、『ああ。あのとき、あの瞬間の子どもたちは、真実の言葉の持つ迫力、充実感、満足感、喜びなどを味わっていたに違いない。』そう思うようになった。


 今、二つほど、過去記事にリンクさせていただこう。

 天国にいらっしゃる大村先生に、ぜひ、ご指導を仰ぎたい。そんな気持ちである。

 ただ、大村先生のご指導を仰ぐには、ちょっと気になる点もある。

 それは、下記事例のどちらも、ストレートに言葉そのものを見つめ、とぎすます、そのような授業ではないということだ。どちらかと言えば、言葉そのものより、子どもの心をストレートに見つめた授業といえるだろうか。



 それでは、どうぞ、ご覧ください。


正直に言ったら、すっきりしたよ。(道徳の授業)

 初任者指導にあたり、わたしが初任者のクラスでやった授業である。

 かなり長い記事だが、真実の言葉のもつ迫力、充実感というものを、それこそ、味わっていただけるのではないかと思う。


 発言の途中で、口ごもってしまったBちゃん。

 言いたいことは決まっている。でも、言うには決断がいる。だからこそ、必死の形相になる。

 わたしの、『無理しなくていいよ。』という言葉で、決断できたようだ。

 そのような様子が描かれている記事である。


・もう一つは、我が担任時代の実践から。

 これは、『真実の言葉のもつ力』と言えるだろうが、それが問題行動をとった子どもに、懺悔の心を呼び起こした。

 大変な問題行動だったが、子どもたち、最後は感動の渦に巻き込まれたのである。

 それはやはり、真実の言葉がぶつかり合ったからではないか。最後、『Aさんは悪くない。』と言ったCさんの言葉にしても、身震いするくらいの感動があった。

 なお、ホームページなので、文字がかなり大きくなっていることをご承知いただきたい。

 Aさんはわるくない



 『真実の言葉』は、言葉だけでは語れない。子どもの生活全般を大きく変える力を持つ。

 
・友達をしっかり観察するようになる。

 そう。上記、二つ目のリンク先記事でも、けがさせられたCちゃんが、けがの当事者であるAちゃんのことを、『わたしにけがさせようなんて全然思っていなかったから、びっくりしていた。』と言っているのは、まさに象徴的だ。

・そして、友達の心への洞察力を持つようになる。

・それが、豊かな人間関係の構築に資することになるのではないか。



 さらに、今にして思うことがある。

 それは、先ほど、衝撃と述べた、『味わい』にかかわる。


 こうして真実の言葉にふれた子どもたちは、

 そう。それは何も、真実の言葉を話した子だけではない。話し合い、お互いにかかわり合うなかで発せられた言葉なのだから、その場にいた学級の子全員が、この言葉の感動を味わっているはずだ。


 その味わいは感覚として残っていくだろうし、その積み重ねによって、生きる力となっていくに違いない。 



 ところで、どうだろう。

 前記事といい、本記事といい、わたしは大村先生から、衝撃を受けるほどの勉強をさせていただいているのだけれど、

 そして、生意気な言い方になるが、かなりの部分、思いを共有しているのだと思うけれど、

 でも、真実の言葉に迫るその手法は、かなり違っていると言えないか。



 大村先生の場合は、先生と子どもとの「対話」を通して、それを引き出すということになるだろう。また、わたしより、もっともっと言葉そのものを大切にし、きびしくつきつめてとらえさせようとするに違いない。


 しかし、わたしの場合は、あくまで、子ども同士の「話し合い」を通して引き出そうとする。

 
 大村先生はおっしゃる。

 「問答」ではなく「対話」を実現させるようにする。そのためには、日ごろからの子どもの観察が必要だと。

 わたしの場合は、『問答』も『対話』もあるが、それ以上に、子ども同士の話し合いが、とぎすまされたものになるように努める。あいまいさを許さないような真剣な話し合いが成立するように努める。子ども同士がミニ社会を形成するような感じだ。

 そのために、日ごろの子どもの観察が必要というのは、同じだけれどね。


 
 わたしが、大村先生の著書を読んだのは、ずいぶんむかしのことになってしまった。

 今、あらためて、読み直したい気持ちになっている。また、得るところも大きいのではないかと思われる。

 
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 前記事で予告させていただいた内容と違うものになってしまいました。

 その点、ドラゴンさんと読者のみなさんにお詫びしなければなりません。どうも、すみませんでした。


 実は、『むかしの教員と今の教員』ということでは、すでに記事にしたことがありました。それにリンクさせていただくことをもって、予告した内容に代えさせていただきたいと思います。

    今の教員の質は


  

rve83253 at 15:26│Comments(0)TrackBack(0)教育観 | 指導観

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