2010年04月16日

保護者の皆さんへ(5)3

591c141e.JPG ある保護者の方からメールをいただいた。今、Aさんと呼ばせていただこう。

 そのメールは、『持ちあがりの担任の先生に、〜のようなことをうかがってもいいだろうか。』という相談であった。

 それから数回、メールのやり取りをしたが、その内容が、


・多くの保護者の方々が経験することではないか。

・担任と協調しながら、ともに歩む姿勢でやっていただけたら、それがけっきょくはお子さんの幸せにつながるのではないか。

という意味で、大変示唆に富むものであると感じたので、


 ここに、Aさんのご了解をいただき、ブログ記事にさせていただくことにした。

 Aさん。どうも、ありがとうございます。



 まず、いただいたメールの概略を記すと、

・お子さん(Bちゃん)が、教員歴2年目のC先生から、『もっとがんばれるはず。』と言われたとのこと。

・しかし、何をがんばれと言われたのか、具体的なアドバイスはなかったようなので、親としては不安である。

・それで、C先生に問い合わせたいと思うのだが、なんか、モンスターペアレントと言われそうで心配でもある。そういうことを聞いてもいいものだろうか。

 そういう内容だった。



〇ごめんなさい。最初から、本記事のテーマには関係のない、蛇足のような話になってしまうのだが、

 ここでも、いきなり、『モンスターペアレント』なる言葉が登場してきた。

 ちょっと暗い気持ちに襲われた。実際、いやな言葉が生まれたものだ。

・何でもそうだが、こういう言葉がなければ個々のケースで対応して済むものを、言葉ができてしまったためにそれが独り歩きし、善良な保護者まで不安な心理に陥れてしまう。誤解を生む要因にもなる。

 たとえば、『給食費の未納を正当化する保護者』というような言い方なら、『善良な保護者を不安に陥れることはないし、誤解もなく済むのに。』と思うのだ。


・また、何年か前のことだが、別な保護者からのメールには、次のようなものがあった。

 学校に、
『なんでもかんでも、PTAの組織を学校の教育活動に協力させようとするのはやめてもらえませんか。』
と要望を出したところ、

 校長から、『あなたのような人をモンスターペアレントというのだ。』と言われ、烈火のごとく怒られたとのこと。


 そう。ここからは、学校がこの言葉を自分に都合よく便利につかっていることがうかがえる。



 言うまでもないと思うが、モンスターペアレントとは、

・上記、『給食費〜』のように、まったく正当性のない、法にもふれかねない要求をしてくるとか、

・我が子中心の考えが他の子の排除につながるような要求をしてくるとか、

・ふつうなら要望でとどまるはずのことが、強要となってくるとか、

そのようなものと考えてもらっていい。


 したがって、問い合わせるくらいのことは、絶対モンスターなどということにはならない。安心して問い合わせてほしい。



〇さて、Aさんからのメールに、話を戻らせていただいて、

 わたしの回答もあったしお友達からの助言もあったので、Aさんは、C先生に問い合わせた。


 C先生からはすぐ丁重な回答があった。

・言葉足らずで申し訳なかったこと。あんな言い方では、何をがんばればいいか分からないだろうなと、気になっていたこと。時間がなかったのだが、家庭訪問などの折に、そのことをお話しようと思っていたとのことだった。

・具体的には、二つあって、

 まず、授業中の発表はもっとできるはずなので、がんばってほしい。

 あともう一つは、お友達がこまっているとき、まわりに助けてあげていた子もいたので、Bちゃんもただ、『どうしよう。どうしよう。』と見ているだけでなく助けてあげてほしかった。

・わたし(C先生)も、つい、Bちゃんのことを、『もっとできる。もっとできるはず。』と思って、期待しすぎてしまうのかもしれない。

 そのような内容だった。

 なお、『がんばってほしい。』とする二点については、かなり具体的に書かれていたようだ。



〇さて、それでは、この回答にかかわって、保護者である読者の皆さんにお考えいただきたいのだが、


・保護者である読者の皆さんは、もしこれがご自分のことだったら、担任であるCさんやお子さんのBちゃんに対し、どのように判断され、どのように対処されるだろうか。


 以下、3つのケースを想定してみよう。


 一つ、多くの保護者はこのようにみるのではないかと思うが、

 担任のCさん同様に、

 発表のことはもちろん、お友達を助けてあげられなかったということも、マイナス的にみてしまう。

 そこで、Bちゃんに向かって、『授業中、発言するようにがんばろうね。』とか、『今度こういうことがあったら、お友達を助けてあげようね。』とか言う。


 二つ目。あまり多いとは思わないが、

 『我が子を批判的にしかみていない。』あるいは、『我が子への期待が大きすぎる。』ということで、担任のCさんを批判的にみる。

 お子さんのBちゃんには、特に何も言わない。Bちゃんが、何をがんばれと先生が言ったのか気にしている場合は、担任の言葉を簡単に淡々と話す。


 そして、三つ目。

 担任のCさんを、基本的には、信頼できる先生とみる一方で、この二つのケースの場合は、もっと適切な指導もあるのではないかとみる。

 お子さんに対しては、二つ目のケースと同じ。


 さあ。どれにあたるだろうか。

 もし、第四以降の選択肢がある場合は、ごめんなさいね。

 ただし、お子さんへの対応については、まだ別に考えるところもあるが、今、ここでは、明らかにしないでおこう。

 すみません。



〇そこで、わたしがAさんに行った回答だが、

 以下のことを書かせてもらった。



 C先生から回答があったとのこと。よかったですね。

 文面から、C先生の誠意を感じました。先生も気にされていたのですね。

 それに、回答の内容も、実に明快で分かりやすいじゃないですか。

 信頼できる先生だなと思いました。(後ではちょっと批判もしますが、)

 〜。

  
 2番目の、『お友達がこまっているとき助けてあげることもできるはずなので、がんばってほしい。』にかかわっては、

 わたしなら、そういう状況でも、Bちゃんをほめてしまいます。

 まずは、助けてあげた子たちに感謝の言葉を言いますが、その後で、

「Bちゃんもえらかったよ。助けてはあげられなかったけれど、でも、自分がしてしまったわけではないのに、知らんぷりしてどっかへ行っちゃうのではなく、『どうしよう。どうしよう。助けてあげたいな。』という気持ちが顔に出ていた。

 だから、もうそれだけで、助けてあげた子たちと同じよ。

 先生、とってもうれしかった。」

そのように言います。


 一人ひとりの子は、いろいろです。違いはあって当たり前です。だから、それぞれに、その実態に応じたほめ方をするのです。


 でも、そうでなかったといって、C先生を批判的にみないでくださいね。

 だって、Bちゃんが、『どうしよう。』という顔をしていたことは、ちゃんと記憶しています。

 もうそれだけで、先生として、すばらしいと思うのです。

 ただ、Bちゃんの行為を、『何人もの子が助けてやっていたのに、そのそばにいながら助けてやらなかった。』というように、マイナス的にみてしまったのですね。


 一般的には、C先生のような見方が圧倒的に多いのです。それは納得していただけるでしょう。

 だから、繰り返しますが、Bちゃんが、『どうしよう。』という表情をしていたことをちゃんと記憶しているところに目を向けて、すばらしい先生と思うわけです。


 こういうケースはこれからもあるでしょう。

 その場合は、Aさんがおうちでフォローしてくれたらいいなと思いました。


 世界に一人しかいない我が子なら、プラス志向でみて上げましょう。その方が、お子さんの伸びる可能性は、高まるというものです。


 えらそうなことを言ってごめんなさいね。

 〜。



 わたしからの回答は以上だ。

 上記選択肢で言わせていただければ、三番目に近いかな。


 わたしは、Cさんは、信頼できる教員との印象を濃くした。それは、

 『すぐ回答のたよりがあったこと。』
 『Cちゃんに対し、ただがんばれとしてしか言っていなかったが、それをちゃんと記憶していたこと。』
 『そのことを申し訳なかったと思い、家庭訪問の折にAさんに話そうと思っていたこと。』
 『Cちゃんが、自分が原因をつくってしまったわけではないのに、『どうしよう。どうしよう。助けてあげたいな。』という気持ちが顔に出ていたことについても、ちゃんと記憶していたこと。』
(ただこの点については、『どうしよう。どうしよう。』と思うだけで、助けてあげることができなかったというように、マイナス的にみてしまったのだけれど。)
 
などによる。


 担任は、冒頭述べたように、教員歴2年目だ。

 かつて、わたしは拙ブログに、『若い教員は、保護者によって、成長させていただく。』という趣旨の記事を書かせていただいたことがある。


 わたしは、このメールをいただいたとき、そのことを思い浮かべていた。



 そこで、保護者の皆さんへのお願いだが、

 教員の立場で、こういうことを申し上げるのは、あるいは、僭越かもしれないが、初任者指導に携わっていることに免じ、ご覧いただけたら幸いである。

 
・Bちゃんには次のように言う。

 何をがんばればいいのか気にしている場合は、上記二つ目のように、担任の言葉を簡単に淡々と話し、その後で、

「でも、Bはえらかったと思うよ。だって、知らんぷりしてどっかへ行っちゃえば、そんな話を聞いたらお母さんはがっかりしちゃうけれど、そうではなくて、『どうしよう。どうしよう。助けてあげなくては。』って思っていたのでしょう。それを、C先生から聞いたから、お母さん、すごくうれしかった。」

 気にしていない場合は、特にふれずに、タイミングをみて、えらかったという思いだけを言うようにする。


・そして、C先生には、

 「うちの子のことを、こんなにもしっかり見ていただいていることが分かり、とてもうれしいし、感謝しています。」

という趣旨の返事を書く。

 なお、

「『どうしよう。どうしよう。』という思いで見ていたとお知らせくださったので、そのことについては、知らん顔をしていなかったということで、うちの子をほめてやりました。」

などと書くのもいいのではないか。


 そうすれば、C先生も、『ああ。自分はマイナス的にしかみていなかった。もっとプラス指向でみなければいけないな。』と、反省することが期待できる。

 そう。これも、また、期待だけれどね。


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 本記事では、『若い教員は、保護者によって、成長させていただく。』の具体例を、一つ述べたつもりです。


 そして、そうすることが、めぐりめぐって、我が子の幸せにつながっていくと、

 そう思うのです。


 でも、あまいかな。

 すみません。現実には、あまいという事例もけっこうあるのでしょうね。その場合は、お詫びします。

 

rve83253 at 09:13│Comments(0)TrackBack(0)保護者 | 児童観

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