2010年04月26日

『日本の教師に伝えたいこと』を読んで (4) 話す・聞く力の重視4

14f8da80.jpg 本記事をもって、このシリーズの最終回にするつもりだ。

 ほんとうにすばらしい著作を紹介していただいた。いや。わたしの場合、紹介していただいたというよりも、思い出させてくれたといった方がいいかな。


 そのなかでも、本日とり上げる『話す・聞く』学力の育成については、拙ブログでも、これまでさんざん書かせていただいてきた。 

 今その一つ、『国語の授業がおかしくなっている・・・かな!?(5)』にリンクさせていただこう。

 ここで書かせていただいたように、日本は、『話す・聞く』を学力としては軽視してきた。なにしろ、むかしから、『読み・書き・そろばん』のお国柄だものね。学習指導要領上でも、ながく、これは学力として認知されてこなかった。


 そんな日本で、

 ともすれば、受験用学力重視の中学校において、

 だから、へたをすれば、子どもたちから、『こんな学習は受験に役立たない。もっと受験に密着した学習をしてください。』と言われかねない、そんな日本で、

 『話す・聞く』学力を重視するということは、ほんとうはとても大変なはずだ。


 でも、大村先生は、『子どもの生活』重視の、『生活に密着した学力』を大事にされ、『生きる力』を養うべく、確信をもって指導された。

 そして、その指導を子どもたちも心から受け止め、疑問を抱かず、『これをしっかり身につければ、真の学力が確実に伸びる。』という確信のもと、学習していったに違いない。

 そうした指導力については、実に、もう、尊敬に値する。


 考えてみれば、

 『話す・聞く』力は、『生きる力』そのものだよね。だから、『単元学習』をおし進める大村先生にとって、これを重視することは当然すぎるほど当然だったのであろう。


 それだけではない。

 これは、わたし自身が大いに勉強させていただいた点なのだが、わたしがやってきた、『話す・聞く』力の育成などは、過去記事の『話す・聞く』の指導(2)で述べた程度のものに過ぎない。

 しかし、大村先生は、ものすごくきめ細かくこの能力を分析していらっしゃるし、その確かな分析をふまえた指導をされてきた。

 それはもう、驚くべきものだ。 


 読んでいて、鳥肌の立つ思いがするほど、身震いする箇所があった。

 
 すごい言葉だが、それは、ここでは紹介をひかえさせていただこう。どうか、本をお読みください。

 ただここでは、同氏が、『話す・聞く力育成の軽視は、民主主義国家の基盤を崩すもの』とされていることを指摘するにとどめよう。

 ねっ。だから、日本の伝統的な学力観は、民主主義の軽視につながるのだね。


 
 それでは、大村先生の著作を読ませていただいて、わたしが感じたことをもとに、記事を書き進めさせていただこう。

 
 『話す・聞く』能力は、『話し合い』に端的に現れるわけだが、その能力の育成は民主主義の根幹にかかわるという大村氏の主張。

 そして、これって、子どものうちなら、けっこう育むことができるのだ。子どもは純真無垢、まさに発展途上なのだから。

 だから、子どものうちに、『話す・聞く』力をしっかり育んでおけば、日本の民主主義の将来は、非常に明るいものになるに違いない。



 それでは、そのあたりのことを拙ブログと関係づけて、振り返ってみよう。


〇これまでわたしは、けっこう授業風景を掲載させていただいてきた。それを振り返ってみると、もうその多くが、子ども同士の話し合いによって、価値(本時の目標)を獲得するという、そういう授業だったことに気づく。

 今、そのなかの一つに、リンクさせていただこう。ホームページの方なので、文字は大きくなっていることをあらかじめご承知願いたい。

    障害のある人への想い

 
 この授業では、最初、『障害のある子はかわいそう。』とか、『障害のある人は特別な人。』という意識が大勢だった。

 しかし、指導者であるわたしの『しかけ』や、子どもたちの話し合いから、『共生の考えの大切さ。』『障害のある人は、特別な人ではなく、懸命に生きるという意味で、わたしたちと同じ人。』という認識をもつに至った。

 このように、話し合いによって価値を深め合う姿が、まさに、民主主義教育の基盤となるのだ。

 しかも、これらは、子どもたちが自分たちで獲得した概念だから、しっかり心のなかに根差したと言い得る。


〇次に、特活を軽視する風潮が近年色濃くなり、これは、『民主主義教育の危機』ではないかという記事を書いたことがある。今、それにもリンクさせていただこう。

    小学校の特活はどこへ? 学習指導要領の変遷から

 ここでは、『小中の違い』といっていいと思うが、大村先生とわたしの指導の違いについて述べさせていただこう。


 大村先生は、国語での話し合い学習において、司会者は子どもとしているようだ。話し合いを進行させる能力も、国語の力として養っていきたいと考えられているのだと思う。

 それにたいしわたしは、その力は、特別活動の学級会などで養いたいと考える。

 子どもの、学級生活をよりよくするための話し合い。これなら、子どもにとって話し合う必然性、切実さがあるし、指導者がいない場でも、解決する必要に迫られることは、けっこうありそうだから、それは大切なことである。


 しかし、教科等の学習となると、また、わたしのように、その多くを、子どもたちの話し合い学習でやっていこうとすると、これは、やはり、指導者が進行役をやらないわけにはいかない。

 子どもたちの発言をうまく関係づけたり、

 話し合いを活発にしたり、深めるきっかけにしたりするための『しかけ』を用意したりするのは、

 やはり、指導者の仕事と言っていいだろう。


〇大村先生の著作を拝読すると、いきなり、『じゃあ、話し合ってごらん。』と言ったって、とても話し合えるものではないというところが出てくる。だいたいそのように育てられてはいないというわけだ。

 これはもう、小学校の教員としては、ただただ苦笑いだ。

 ほんとうにおっしゃる通り。わたしのように、『多くは話し合い学習』という方がまれで、だいたいは、教員主導の教え込みだものね。


 この教え込みについてだが、

 大村先生は、わたしとくらべれば、かなり教員主導で教え込んでいるといっていいと思う。ただし、これは、指導者の構えとしての話だ。

 その大村先生にしても、『学ぶ側の子どもがどういう認識でいるか。』はものすごく気をつかわれている。子どもは、『先生に言われたからやっている学習ではない。自分たちが追求したいからやっているのだ。』という認識になるよう、そうしたことに、ものすごい配慮をされている。

 だから、やり方は違っていても、理念としては、ものすごく共感できる。


〇それだけではない。子どもが学ぶ気持ちになるようにすることにも、気をつかわれる。

 指導者の言葉のかけ方、強制しない姿勢、子ども同士が能力差などによって差別し合う関係にならないような対応(この点では小学校の反省点がかなりあり。)、他への心配りの姿勢の喚起など、まだまだ多数ある。


〇拙ブログのテーマといってもいいようなことが、けっこうこの本にも書かれているのには、もう、ただただ感動だった。


 わたしは過去記事で次のように述べている。

・一人の子が、どんなにすばらしい発言をしたとしても、それは、その学級全員の共有財産だ。なぜなら、それは、学級全員の(それこそ、意見を言わなかった子も含めて、)話し合いによって、一人ひとりが価値を深め合った結果なのだから。

    充実した学習を(2)

・いくら話し合い学習を活発にと言ったって、『全員が発言しなければいけない。』などと考えることはない。ただただ話す気持ちになる子をふやそうと努力するだけだ。だから、『言えない。』『言いたくない。』という気持ちの子がいる限りは、その思いは尊重されなければならない。

    問題解決学習への誤解(1)
 
 これは、話し合いが民主主義の根幹にかかわると判断する以上は、当然大事にされてしかるべきだ。だって、黙秘権というのもあるくらいだものね。


 それに対し、

 子どもは教育される存在なのだから、強制はあってしかるべきではないか。

 そういう声が聞こえてくる。


 ああ。子どものとき、強制されて育った子は、大人になって、『真の自由』を獲得することが、基本的にはできないのですよ。だから、そのことに気づいた大人は、大人になってから大変な努力を必要とするようになる。

 
 日本の教育には、強制が多い。

 だから、日本の多くの大人の話し合い能力は、おかしいのだよね。話し合ったって、共有財産にならない。ただ自分の思い、考えを主張するだけだ。

 これでは、民主主義もいばらの道だ。


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 大村先生は、『話す・聞く』能力の育成に、本著作の多くのページをさいています。

 そして、本項目に限らず、おっしゃることが具体的で、いちいち納得できるのですよね。


 さらに、このシリーズのきっかけを与えてくださったむらちゃんさんが、『教育書以上の、「働くこととは」「コミュニケーションとは」について語った本』とされたことも、よく分かる気がします。

 それは、この本が、単なる、知識・技能の教授にとどまらず、子どもたちの生活を見つめ、『生きる力』を養うこと、

 すなわち、それが、『単元学習』ということなのですが、そこに焦点を定めて書かれた本であるからなのでしょう。


 僭越ですが、

 企業の方がこの本を読まれた場合、『ああ。こういう学校教育だったら、多くの新入社員は、入社した最初からもっともっと実力を発揮するに違いない。』そう思われるのではないでしょうか。


 また、子どもの側からしても、受験能力に直結する学力だけではなく、まさに、日々、生きていくうえでの実力を身につけさせてくれるという思いでいっぱいになるのではないでしょうか。


 最後に、誤解なきようお願いしたいのですが、

 ここでは、『読む・書く』指導については特にふれませんでした。

 しかし、『読む・書く』が、民主主義を守り育てることと無縁などという気持ちは、まったくありません。

 そして、大村先生は、その著作で、この指導の大切さについても、きわめて具体的に、『単元学習』の一環として書かれています。

 関心のある方は、ぜひ、お読みください。 


rve83253 at 11:41│Comments(6)TrackBack(0)教育観 | 指導観

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この記事へのコメント

1. Posted by まい   2010年04月26日 12:48
こんにちは。
>『言えない。』『言いたくない。』という気持ちの子がいる限りは、その思いは尊重されなければならない。

とても共感を覚えます。いつも「きのくに子どもの村学園」の話ばかりで本当に申し訳ないのですが・・・。普段のプロジェクト(授業)、全校ミーティング、委員会ミーティング・・・きのくにはたぶん日本で最も話し合いが多い学校の一つではないでしょうか。ほぼ何でもミーティングで決まります。

でも、子どもが入学してからわかったのですが、「ミーティングで発言しない自由」というのもしっかりと確保されています。これには、半分想定内かつ半分は驚きました。

うちの子などは(4月から小2になりました!今年選んだクラスは「きのくにファーム」です)半年くらい数えるほどしか発言しなかったようですが、それでもしっかりとクラスの一員をしていました(笑)。自分がそんな状態なのに、お友達のことで「○○ちゃんは○ヶ月で一回しか意見を言わなかったよ」などという話もしていました。

そういう点から、「意見をはっきりと主張できる子ども」を理想としている親御さんからは、疑問の声も聞いたことがあります。私は、少〜しもどかしく感じながらも「発言しないのもうちの子の一面なのだから、子どもを丸ごと認めよう」と腰を据えて?いました。

そのうち、自分が分担したうちで手に余りそうな作業は「手伝ってほしい」などから始まり、いまでは少しずつ発言するようになってきたようです(週に何回くらいの感じで・・・)。

書いておられるように「発言したくなる雰囲気」とともに、「いざ発言しようとした時にヘンなプレッシャーのかからない、全体的にやわらかい雰囲気」作りが大事なのかなあと思います。



2. Posted by toshi   2010年04月27日 06:15
まいさん
 いいえ。いつも刺激をいただいています。日本に二ールの教育観をとり入れた学校があるということについて、まだまだ日本は捨てたものではないぞという思いを強くしています。
 発言するしないの自由は認めても、それでほったらかしということではないと思いますよ。いろいろ発言したくなるようにする手は打っているのではないでしょうか。

《自分が分担したうちで手に余りそうな作業は「手伝ってほしい」などから、》
 なるほど。これこそ、話さずにはいられない切実感、必然性なのですね。
 そう。話さないでいると損をするということを実感させることも、上記、『手を打つ』の中身になりますね。そして、《やわらかな雰囲気》と合わせ、大村先生がおっしゃっていることでもあります。
3. Posted by ドラゴン   2010年04月27日 19:55
toshi先生

貴重な連載を有り難うございます。
いろいろとコメントしたいことがありますが、ちょっと立て込んでおり、簡単で失礼します。

これを機会に若い先生方も大村はま先生や他の先達の教育に触れようと思ってもらえるとうれしいです。
大村はま先生を絶対視する必要もないと思いますし、それぞれの方が、それぞれの経験の中で理解していけばよろしいのかと思います。
大村はま先生が、今の、こうしたネットやブログを見ると、また違った授業が生み出されるかと思います。そうした時代や環境もあるでしょう。

ただ、子ども観、教育観、授業観、それぞれの根っこは、みなさん同じなんだろうと感じております。
そうしたことを若い先生に感じてもらえるといいなと思います。
4. Posted by toshi   2010年04月28日 05:49
ドラゴンさん
 振り返ってみれば、このシリーズは、ドラゴンさんからむらちゃんさんのブログを紹介していただいたことがきっかけでした。
 ほんとうにありがとうございました。その後、いろいろ思い出したのですが、やはり、十数年前に読んだときは、問題解決学習そのものを批判している方にばかり目が向いてしまったのではないかと思いました。偏った読み方をしていたことを恥じています。
《大村はま先生が、今の、こうしたネットやブログを見ると、また違った授業が生み出されるかと思います。そうした時代や環境もあるでしょう。》
 ほんとうに、そうであるといいなあと思っています。(2)の末尾に、
《大村先生が、もし、今の時代に生きる先生だったら、この総合的な学習の時間をフルに生かして、それこそ、『真の単元学習』を実践されるに違いない。そのようにも思うのです。》
と書かせていただきましたが、おそらく、そのようになるでしょうね。

 今年のお正月に、ある私的研究会に参加しました。十何年ぶりの参加だったのですが、若い人が多く出席され、提案したり討議したりしている姿を目の当たりにし、感動したものでした。
 これは希望が持てるなと思ったものでした。
 

5. Posted by やまびこまま   2010年04月28日 10:37
今回こちらで大村はま先生の著書を知ることとなり、本当にいろいろ勉強させていただきました。ありがとうございました。
実は昨年、一昨年と教員の資質についてはかなり考えさせられることが続いていたものですから、大村先生の言葉に触れることで胸に落ちるものが沢山あり、本当に救われた思いがしました。
ドラゴンさんがおっしゃる通り大村はま先生を絶対視する必要は無いと思いますし、小学校のtoshi先生の授業を読ませていただいても私が生徒になりたい!とつい思ってしまうような魅力的なこともたくさんあり感動しておりました。教師主導であってもそう思われないようなしかけ、子どもが主体的に勉強したくなるようなしかけetc、本当のプロの仕事はこれだ!と実感しました。やはり「教師」が何をどうしかけるのか、がすべての重要ポイントであるのですね。そこに教師の実力が見えるように思います。
新学期、クラス替えになり、子ども達も担任も「よく聞きよく話す」毎日のようで、娘も早起きが辛くなくなりました。子どもは正直ですね。
6. Posted by toshi   2010年04月28日 19:54
やまびこままさん
《新学期、クラス替えになり、子ども達も担任も「よく聞きよく話す」毎日のようで、娘も早起きが辛くなくなりました。子どもは正直ですね。》
 『よかったですね。』などと申し上げるのも、なんか、申し訳ないような気がしています。
 ほんとうに子どもっていうのは正直。大人は、その正直さから、よりよい教育のあり方を学ぶ気になればいいのですが、現状はなかなかそれがむずかしい。
 と言うのは、子どもって柔軟性があるものですから、それに大人が惑わされるのですね。真に子どもの人格を認める教育観でないといけないのですが、なかなかそれがむずかしいのです。
 『よく聞き、よく話す。』ほんとうにいいなあと思いました。はつらつとした子どもの姿が目に見えるようです。

 

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