2010年05月06日

生活科の家族単元、及び、成長単元(3) 『家族のよさ』4

aea2d7f4.jpg 前記事において、生活科発足のころ『お手伝い単元』と言われた内容が、その後の学習指導要領改訂に伴い、『家族単元』と言われるようになったことを述べた。

 これを学習指導要領の文言で調べてみると、ほんのちょっとした字句の手直しであったことに気づく。

 つまり、

『家庭生活を支えている家族の仕事や家族の一員として自分でしなければならないことが分かり,自分の役割を積極的に果たすとともに,健康に気を付けて生活することができるようにする。』

が、

『家庭生活を支えている家族のことや自分でできることなどについて考え,自分の役割を積極的に果たすとともに,規則正しく健康に気を付けて生活することができるようにする。』

となった。ちなみに、今回の改訂において、この文言はまったく変わっていない。



 ちょっと、いきなり本論からずれ、申し訳ないが、

 もしかしたら、読者のみなさんが違和感を抱かれるかもしれない文言があると思うので、まず、その部分にふれさせていただきたい。


 それは、『家庭生活の学習を授業で行う』のに、それぞれ最後が、『〜生活することができるようにする。』となっていることである。

 強すぎるのではないか。そこまで、学校が責任を負うことはないのではないか。

 そう思われるかもしれないと思った。


 その点、国は、どう考えているのだろう。

 そこで、同指導要領解説編(リンク先の30ページ)をみると

『〜。児童を取り巻く家庭生活に大きな変化が見られる中,家族との会話や触れ合いの減少,生活習慣や生活リズムの乱れ等の問題が生じていることも指摘されている。ここでの学習を通して,児童が自分の家庭を見つめ,家族の一員として,よりよい生活をしようとする意欲を高めることが期待される。』

となっている。


 そう。ここでは、わたしが拙ブログで多用する、『〜期待される。』という文言がつかわれている。


 そうだよね。それ以上のことを学校ができるわけがない。


 ただ、ここでいうところの『期待』も、ふつうよく言われるような意味ではなく、『人事を尽くして天命を待つ。』といったらいいかな。そういう意味合いをこめての『期待』だと思う。


 そう言えば、前記事に書かせていただいたっけ。後半だった。

 『子どもの(お手伝いについての)学習の成果が、(お手伝いなどしないでいいという)親(の意識)を変容させたといっていい。』

 ねっ。学校の授業が、子どもを通して、親を変容させることもありうる。

 そうした意味合いを持つ『期待』だとご理解いただきたい。


 
 それでは本論に入らせていただこう。

 
 冒頭書かせていただいた学習指導要領の変遷だが、初め、『家族の仕事』とあったのが、『家族のこと』となったことにお気づきになられただろうか。

 『仕事』が、『こと』に。

 つまり、概念が広がったのだ。

 解説編(29ページ)によると、この、『家族のこと』に含まれるものは、

『家計を支える仕事,家事に関する仕事,家庭生活の中での役割,家族の団らん,家族で過ごす楽しみ,家族の願い,家族一人一人のこと』

となる。そして、別項では、これらが、『家庭生活においてそれぞれの果たしている仕事や役割の価値,家庭の温かさ,家族一人一人のよさ』とくくられている。


 これが、『お手伝い単元』から『家族単元』へと、言い方が変わる理由になったのだね。


 さて、このなかで、学習内容としてみた場合、とらえどころのないような気持ちになるのが、『家族一人一人のよさ』ではないだろうか。

 いったい、低学年の子どもに、どうとらえさせたらいいのか。



 たしか、国は、以下のような説明をしたと思う。

「家事などの仕事をとり上げることも大事です。できることは自分でやるという気概を養うことも大事です。しかし、それだけでは、『家で何かをしないと家族ではない。』といったことにもなりかねません。

 そうではないのですね。『家族って、いるだけですばらしい。家族って、かけがえのないもの。』そうした心情もぜひ養ってほしい。

 そんな想いが、『家族のこと』また、『家族一人一人のよさ』という文言に盛り込まれています。」




 それでは、『家族一人一人のよさ』について、過去の実践から、二例ほど、ご紹介させていただこう。



〇最初は、ある学校の研究授業におじゃましたとき、その授業でとり上げられたものである。


 夏休みに、家族で帰省した。いなかには、祖父母が二人だけで住んでいる。

 楽しい一週間を過ごした。あっという間の一週間だった。

 家に帰ってしばらくすると、いなかの祖父母から手紙が届いた。そこには、次のように記されていた。

『久しぶりに孫に会えて、楽しい楽しい一週間だった。孫と遊ぶのがうれしかった。時間のたつのを忘れた。

 また、孫の成長もうれしかった。こんなこともできるんだ。あんなこともできるようになったんだ。そんな思いで、感動の毎日だった。

 しかし、みんなが帰ってしまい、もとのおじいさん、おばあさん二人だけの生活に戻ると、さびしさがぐっと迫ってきた。

 孫っていいなあ。家族っていいなあ。

 今度は、いつ来てくれるのかなあ。』


 そう。この手紙を教材にして、学級みんなで感想を出し合った。そのなかで、学級の子たちは、『家族のよさ』を実感したし、それぞれが、自分にとっての家族のよさを考える契機になった。

 『自分は家族にとってかけがえのない存在』であることも、低学年なりの言葉で表現していた。



〇次は、我がクラスで起きたことだ。

 本単元も終わりに近づき、『家族のよさ』をテーマに、作文を書いていた。

 すると、Aちゃんが、突然、泣き出してしまった。あまり泣き声は聞こえず、隣りのBちゃんが言ってくれなかったら誰も分からなかっただろう。Bちゃんも、どうしたものかとこまったようだった。

 しばらくすると、さんざん言おうかどうしようか迷っていたBちゃんが、決断したように言った。

「Aちゃんのおばあちゃんがね。ぼけてきちゃったんだって。変なことばかり言うようになっちゃったんだって。

 それでね。Aちゃんは、おばあちゃんのことを作文に書こうか迷っていたから、わたしが、『いいじゃん。おばあちゃんがぼける前のことを書けば。』って言ったら、泣いちゃったの。」


 そうしたら、なんと、面倒見のよかったころのAちゃんのおばあちゃんをよく知っているCちゃん。

「えっ。Aちゃんのおばあちゃん。どうしたの。どうしたの。」
と言いながら、これもまた、泣き出してしまった。


 みんなの筆を持つ手が止まり、教室中、沈鬱な雰囲気になった。


 わたしは、そんなAちゃんに、教室中聞こえる声で問うた。

「どう?おばあちゃんのこと、長生きしてほしいと思う?」

 無言だったが強くうなづくAちゃん。

「そう。それなら、おばあちゃんと、『長生きしてね。』ってお話しできたらいいね。」

 そうしたら、Dちゃん。

「そうだよ。ぼけててもお話はできるのでしょう。だったら、楽しくお話をしているところを、作文に書けばいいじゃん。」


 Aちゃんにちょこっと、笑顔が戻ってきた。

 泣き笑いの表情のまま、原稿用紙に向かいだした。


 数日後、Aちゃんのお母さんからお手紙をいただいた。

 Aちゃんが、よくおばあちゃんと話すようになり、おばあちゃんも楽しそうだとか、学級のみんなへの感謝の思いとかがつづられていた。

 すぐ、学級のみんなに読んで聞かせ、教室に掲示させていただいた。


 引用は以上だ。


 『家族のよさ』

 30人の子どもがいれば、30通りの『よさ』が、示されるはず。 

 『お手伝いのみの単元』にすることなく、家族を見直したり、深くとらえたりする契機にしたいと思う。

 また、『家族のよさは家庭でとらえさせるもの』という見方もあるかもしれないが、

 やはり、『いろいろな家庭がある。しかし、どの家庭も、愛情という強いきずなで結ばれている。』ということは、学校でしか押さえることができないだろう。


にほんブログ村 教育ブログへ
 ninki



 生活科には、大人でもむずかしいと思われるような学習内容があります。小学校低学年の子どもたちに、いったいどうとらえさせるのだと思わないわけでもありません。

 本記事の、『家族のよさ』もそうですが、これまでの学習指導要領(たぶん、解説編)には、『相互交渉力』なる言葉がつかわれていました。

 初めて見たときには、『なんだ。これは。』と思ったものです。

 そして、以下のような意味合いの文章がありました。

 
 一人の子がウサギをだっこしています。ウサギはだっこされたままじっとしていましたが、しばらくすると、そのまま眠ってしまったようでした。

 そこから、その抱いている子は、感じます。

「うわあ。ウサギさん、気持ちよさそうに寝ちゃった。」

 これだけでは、相互交渉力がついたとは言いません。

「これは、ウサギさんが、『わたしの抱き方が上手だよ。気持ちいいよ。』と言ってくれているのではないか。だから、安心して寝ちゃったのではないか。」

 そこまで感じることができて、初めて、相互交渉力がついたといえるのですね。

 つまり、子どもがウサギを育てているのですが、その行為によって、ウサギも子どもを育てているというわけです。


 以前記事にさせていただいた、『自分のそばに、小さいころの自分がいる。』も、これと同一の概念と言えなくもないですね。

 この場合は、『小さいころの自分』が、『今の自分』を成長させてくれているといえそうです。そして、そこには、『お母さんが、(小さいころの自分のことを大事そうに話す。)のを感じ取る』感性もあったと言えそう。

 生活科は、ここまでねらっているのです。もちろん、『期待』としてですよ。 

 

rve83253 at 14:21│Comments(0)TrackBack(0)指導観 | 生活科指導

トラックバックURL

コメントする

名前
URL
 
  絵文字