2010年05月09日

日本の民主主義を問う(1) 人気病3

824de07e.JPG 今、ある意味、日本は危機に陥ったと思う。

 それは、政治のていたらくだ。

 民主主義は国民主権だから、政治のていたらくは、国民の民度を示す。


 鳩山首相の政治担当能力を笑うのはいい。小沢幹事長の剛腕に怒るのもいい。

 しかし、民度が変わらなければ、鳩山、小沢が変わったって、また、また、同じことを繰り返すとみていい。

 政治を笑うものは、政治から笑われてもいるのだ。


 考えてもみよう。

 政権は変わったものの、安倍首相以来、何度同じことを繰り返してきたか。


 そこにある共通項は、どの政党も、『この人なら選挙に勝てる。』それを基準に選んだものばかり。(この点だけで言えば、小泉さんも当てはまる。)


 そして、その結果は、

 福田首相はちょっと違ったかもしれないが、小泉、安倍、麻生、鳩山と、首相就任前はみんな人気があったのに、就任後も支持率を維持したのは小泉さんだけ。後、就任後は、支持率の急降下ばかり。

 政党は違えども、何と同じことを、しょうこりもなく繰り返していることか。


 そして、小泉以外に共通しているのは、対応・判断・決断の遅さ、あいまいさ、前言取り消しや訂正の多さ、など、など。


 マスコミもマスコミなのだ。

 就任前の人気というのは、マスコミがつくり出す部分が大きいと思う。また、逆に、人気のあるものばかりを追いかける傾向も強いと思う。


 たとえば、

 二世、三世議員の排除の世論が高まるとそれに迎合しながら、

 小泉首相のご子息が立候補、当選すると、今度は、そればかり追いかける。

 要するに、政治同様、無定見なのだ。


 そう言えば、現首相も含め、小泉さん以降、みんな、政界の二世、三世だね。

 過去記事の『売り家と唐様で書く三代目』という江戸時代の川柳が、みごとに当てはまっているようだ。

 マスコミの報道ぶりを見ていると、マスコミにもこういう人たちが多いのかな。


 わたしは、上記、リンク先記事に、二世、三世の話題をとり上げながら、それとは別に、受験教育(?)により育った人材による弊害も書かせてもらった。


 そうした意味では、今回自民党をとび出した、与謝野馨さんが、鳩山首相について、おもしろいことを言った

 「試験の答案は書けるけど、責任感を持ってモノを考えることができない人。」

なんだそうだ。まあ、あたっているのだろうね。

 
 でも、わたしは、

『与謝野さん。それを言うなら、前の首相3人だって同じでしょう。』

と言いたい。


 先のリンク先記事だって、安倍さんの唐突な辞任の際に書いた記事だった。

 なにやら、それまでの政治家にない、新しいタイプの、つまり、責任感の軽いものが、首相になっていたのだなという思いがしたものだった。

 それが、それ以降ずっと続いている。


 もし、リンク先記事に書いたように、また、与謝野さんが言うように、受験教育(?)により育った人材による政治の結果がこれだとなるのなら、

 今後、この傾向はますます強まるに違いない。なぜなら、その後、受験教育(?)はますます盛んになっているからだ。


 江戸時代の川柳は、自分の身上(しんしょう)をつぶすだけの話だった。でも、本記事のテーマは、日本をつぶすかもしれないという話。


 政治家も、マスコミも、国民も、目覚めないと、大変なことになりそうだ。


 でも、マスコミも、二世、三世が多いのかな。

 あるいは、受験教育(?)によって育った人材が多いのかな。


 こわくなった。


 ここまで、首相の資質を問われる事態が続くと、そして、ますます強まりそうな予感がすると、


 アメリカの大統領選挙のやり方がうらやましくなる。

 各党の大統領候補が決まるまで、そして、その後、大統領が決まるまで、ものすごい長丁場だよね。2年くらいかけるのだっけ。

 各州の選挙のたびに、候補者はとびまわらなければならない。そこでは勝ったり負けたりを繰り返す。その間に、大統領としての資質があるか否かが、はっきりしていくのではないか。

 ただ単に『目先の選挙に勝てそうな候補』ということで人気にとらわれていると、この長丁場では、本性が露呈しそうだ。


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 かく申すわたしも、教員二世です。

 すみません。


 ただ、受験教育(?)とは無縁な育ちでした。人並みに、高校、大学は、受験しましたけれどね。


 ここで、受験教育(?)と、(?)つきにしているわけを申し上げると、

 わたしは、受験教育を教育とは認めていないからです。これは、あくまで、テクニックの問題でしょう。人間性とか、心の豊かさとか、そういったものに焦点を当てた教育とは根本が違います。

 今、公教育がとかく批判され、中学受験がもてはやされる傾向にありますが、わたしたちの子ども時代に比べれば、公教育はよくなっています。

 とは言っても、いろいろな批判は認めざるを得ないものが多々あります。そこで、もっともっとよくする方向で、

 学校の自主性・主体性の尊重、教員の指導力アップ策など、国はいい教育政策をとってほしいのですが・・・、

 民主党マニフェストには、そういうことが書かれていたのですが、今のところ、何も進んでいません。



 ところで、
 
 わたしは、政権交代がなったとき、鳩山首相の政策を支持する記事を書いたことがありました。今、慙愧に堪えません。

 今にして思えば、あの、国連総会での『温室効果ガス25%削減の国際公約』も、口の軽さが言わせたに過ぎなかったのでしょうか。

 ただ、最後に、『言ってはいけないことを言ってしまう人』と指摘しておいたことだけが、心の救いとなっています。



 最後に、

 最近の読者の方々のために一言。

 わたしは、受験教育の一般(システムと言ってもいいかな。)に反対はしていますが、個々のケースでは、必ずしも反対してはおりません。その地域、地域の実情といったものがあるからです。

 また、進学塾の先生が、我が主張をご存知でありながら、広い心で拙ブログを受け止めてくださり、相互リンクを希望してくださいましたので、お受けしているケースもあります。

 この方のブログを拝読しますと、心の育みを大切にしていらっしゃることが分かります。

 

rve83253 at 10:32│Comments(9)TrackBack(0)エッセイ | 教育風土

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この記事へのコメント

1. Posted by Chaaaaco   2010年05月10日 06:16
はじめまして。日本ブログ村から拝見しております。家庭教師ではありますが、教育に携わるようになり、自分以外の方がどのような教育観を持っているかと興味をもち、いろいろなブログを見ております。
現代の日本の政治家を批判する人は、私の父親、友人、会社の同僚、公務員の方、たくさん見てきましたが、確かに政治家だけでなく、それを選んでいる国民がおかしくなっているというということは非常に賛成です。もちろん私を含めての話ですが、どうすれば日本は良くなるのだろう?という疑問を感じながら生きております。今後も拝見させていただきますのでよろしくお願いいたします。
2. Posted by toshi   2010年05月10日 10:57
Chaaaacoさん
 はじめまして。コメント、ありがとうございます。
 記事に少しつけたさせていただきたいと思っています。

〇記事中、『政治を笑うものは、政治から笑われてもいるのだ。』と書かせていただきました。これは、『政治を軽くみれば、政治からも軽くみられる。』『政治を無視すれば、政治からも無視される』につながります。
 ただし、これに当てはまらないのが、『子どもたち』です。少子化の日本。大人が本気で、子どもの幸せを考えなければいけません。
 人気本位の選挙。
 これは国民が政治を軽くみていると言えるのではないでしょうか。だから、議員も、軽く首相を選出していると言えそうです。
 『誰が政治をやっても同じ』ではないと思うのです。

〇『売り家と唐様で書く三代目』は、麻生さん、鳩山さん、ともに言えそうです。
 彼らは、もう財産をふやす必要はありません。後は、食いつぶすだけ。そして、趣味の世界はご両人とも広そう。
 もともと政治をやる才覚はなかったのかもしれません。人気が彼らを押し上げたのでしょう。そう考えると、かわいそうでもありますね。他方、国民は不幸です。

〇一般的な傾向としては、『二世、三世だからどう。受験教育育ちだからこう。』があるにしても、首相選出ともなれば、その個人をみなければだめですね。
 二世、三世だった小泉首相。
 彼を批判する人は大勢いるけれど、『だから、二世、三世はダメなんだ。』と言う人はいないと思います。彼の場合は、決断力等、ありましたものね。
 だから、あくまで、一人ひとりなのですね。一人ひとりの資質、考え方、それらを見抜く目をもたないといけないのですね。直接的には政治家各人、そしてマスコミ。さらには国民もということになるでしょうか。
 『人気は人気。選挙は選挙。』となってくれないといけないようです。 

3. Posted by やまびこまま   2010年05月10日 17:11
この国の政治を思う時、やはり日本人の体質に民主主義は無理なのではないかと憂いてしまうものです。
「皆と同じならとりあえず安心」「皆と意見が違うとちょっと不安・・」という気質は、学校教育の場にもないでしょうか。
自分の言葉で考える、発表する、討論するといった訓練が学校教育の中で十分になされないまま成人して選挙権を得ても、効果的な一票となるのかどうかはなはだ疑問です。そして、その成人がやがて親となり、自分の判断がないままにとりあえず周りと同じように子どもを教育する・・・そうすると、小泉元首相のように紋切り型の人になびく人が大勢になり、それが「民意」とされてしまう恐ろしさ。

このコメントを書いていたら、民主党から谷亮子さんが出馬するとの報道が・・・。何と言ったらよいのやら。
4. Posted by toshi   2010年05月11日 05:30
やまびこままさん

《このコメントを書いていたら、民主党から谷亮子さんが出馬するとの報道が・・・。何と言ったらよいのやら。》
 いやはや。わたしも驚愕しました。拙ブログにしても、あまりにもタイミングが良すぎましたね。いや。驚きも2倍といったところでしょうか。
 それに今回も有名人の参入が多そうですね。

 もう、やまびこままさんがおっしゃる通り、学校の指導を受けないで育つものが基本的にはいない以上、画一化の風土は学校がつくっているとも言えるでしょうし、逆に、その風土が学校教育を規定しているともいえそうです。その関係を何とかくずしたいのですが、いばらの道ですね。

 拙ブログは、なんとか、そうした風土を打破するため微力を尽くしたいという思いがあります。

 今後とも、どうぞよろしくお願いします。

 
5. Posted by Z会寺西   2010年05月12日 11:44
5 こんにちは。リンクまで貼っていただき、ご紹介、ありがとうございます。

結果としての「受験産業」に所属していますと、いろいろな会社があることもわかります。
大きく分けて2つ。

1.受験は金になると思っている会社
2.教育をやりたいけど結果受験に偏らざるを得ない会社

もちろんZ会は後者なのですが(じゃないと多分僕も辞めちゃっています)、現実問題、お客様が支持する〜実際に「お金を払う」行為をする〜のは、多くの方の予想以上に「受験」そのもの、という現実を見ています。
口で「学校では受けられない教育そのものを」という人も、実際には「受験合格」という価値にお金を払います。ある意味当然なんですが。

そこに1の会社が入ってくるから「受験産業」と一括りで嫌悪感を抱く方も多くいらっしゃるでしょうが、その(全体包括的な)嫌悪感自身をお客様の心の奥底にある欲求が作り上げている側面もあるんです。
教育そのものを純粋に追求している会社もありますが、残念ながら規模が小さく高額の(お客様の)費用がかかるか、挑戦したけど潰れてしまうパターンが多いようです。

僕は学校ではできない、つまり、「その場にいる先生」という条件に左右されず、全国で機会は平等に教育を受けられる仕組みがある、という視点で、公教育ではなく民間に、民間の中でも通信教育の会社を選びました。(今ではネットでよりハードルは低くなったと思います)


今回のテーマである「政治を笑うものは、政治から笑われる」という「民度」がのレベルが代われば、民間教育も受験産業ではないものが発展する部分も大きいと思っています。
6. Posted by toshi   2010年05月14日 06:47
寺西さん
《今回のテーマである「政治を笑うものは、政治から笑われる」という「民度」のレベルが代われば、民間教育も受験産業ではないものが発展する部分も大きいと思っています。》
 いやあ。ほんとうにその通りでしょうね。日ごろ、受験産業といった部分にしか目の届いていない自分が、恥ずかしくなりました。それが何かを考えてみるのも、有益かなと思いました。
 受験側からの見方など、視野を広げさせていただいた思いがします。ありがとうございました。

 今の首相たちの政治手法や、有権者の投票行動が、幼少期からの受験教育と関係があるのかどうか、それは客観的にはなかなか明らかにならないでしょう。また、公教育の諸問題だって、密接に関係してくるはずです。

 その双方から、本シリーズの諸問題を考えていきたいと思います。

 なお、寺西さんには感謝しています。

 とかく対立しそうなお互いの立場ですが、こうして分かりあえる部分を追求していくことは、まさに、民主主義的な態度ではないでしょうか。

 ほんとうにありがとうございます。

 
7. Posted by Z会寺西   2010年05月14日 08:26
5 いや、こちらこそ感謝しています。

まっとうな受験産業人であれば、公教育を第一に考えろ、といいますよ、僕に限らず誰でも。
公教育がないと彼らの基礎体力が備わりませんし、その上で公教育にできないところを補うのが受験教育。

公教育の存在を否定すれば、受験産業も成り立ちませんもの。公教育の方は受験産業を否定しても、教育が成り立つので問題ないんですけど(苦笑)


公教育では、心の大切さを教えられますし、教え手、聞き手、周りの人(保護者)、全員附に落ちやすい。
しかし、知の大切さって、説かれていないと思うんです。
「勉強しろ」とは教え手も保護者もいいますが、その裏にある心って「いい会社に就職して欲しい」という短絡的な享楽希求か、「社会に出てから必要になるから」という子供にとって説得力がない抽象論にとどまり、「説く」以前で止まってしまいます。

人の心を慮ることは、相手に向けて真剣に「考える」という思考が必要で、思考には論理的な言葉による知が必要です。
本当に人に気遣えるようになるのは、人間が本能的に持っている善性を引き出すことに加え、知の働きが間違いなく必要。
世の中を見たときに、これをハッキリ言う人は少ないと思っています。

だから僕は受験産業に飛び込みました。
ハッキリと知の大切さを説きつつ、前提としての「心」を忘れそうになったら「知の前に心でしょ(じゃないと知も伸びないよ」と諭せる立場がラクに(とでもいいますか)構築できますので。
8. Posted by toshi   2010年05月15日 01:23
寺西さん
 知識と思考を育むことは車の両輪という記事を書いたことがあります。ともに育んでいかなければなりません。どちらが先という問題ではないと思うのです。
 知識が足りなくても思考は成立する。それは間違った結論になることが多いが、子どもの思考の場合は、たとえ間違っていても、『よくぞ。考えた。』とばかり、そこに感動を伴うことが多々ある。それに感動してやることによって、子どもの学ぶ意欲は高まると、
 まあ、そんな記事でした。
 本コメントの、『toshi』をクリックしていただければ出るようにしましたので、よろしければご覧ください。(続く)

 
9. Posted by toshi   2010年05月15日 01:28
また、知と徳の関係についても、記事にさせていただきました。これも、URLをtoshiに貼り付けさせていただきます。
《本当に人に気遣えるようになるのは、人間が本能的に持っている善性を引き出すことに加え、知の働きが間違いなく必要。》
 同感です。でも、ちょっとニュアンスは異なるかもしれません。わたしの主張は、『善性を引き出せてこそ、知は有効にはたらく。』と、そんな思いです。

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