2010年05月14日

日本の民主主義を問う(2) 無責任病4

83651ae8.JPG 民主主義の原則の一つに、一事不再議の原則がある。確か、中学か高校で習った記憶がある。

 これは、議決の安定性を保つための原則だ。


 独裁政治なら、こんなことを気にする必要はない。独裁者の思惑により、朝令暮改となっても、誰も文句は言わないし、言えないだろう。もともとそれを許容している政治体制だものね。


 しかし、民主主義体制下においては、これは重要だ。いくら国民主権の政治といったって、民意が気まぐれだったら、政治も気まぐれになってしまう。

 その結果は、独裁政治同様、行きつ戻りつ、あっちへいったりこっちへいったり、結局何も決まらないという結果になることもありうる。


 このようなことは、小学校からしっかり教えることが可能だ。わたしは何回か経験している。

「toshi先生。この前の学級会で、『〜しよう。』と、『〜しない。』について話し合って、ほんのちょっとの差で、『〜しない。』って決まったでしょう。でも、あのとき、AちゃんとBちゃんがお休みしていたし、

 それに、『学級会では、〜しないに賛成したけど、その後考えると、やっぱり、〜しようの方がよかったな。』って言っている子が何人かいるんだあ。だから、もう一回話し合った方がいいと思うのだけれど、どうかなあ。」

「そうか。何人か考えが変わったか。こまったね。さて、みんな、どうしよう。」


 もう、細かな経過は省略するが、いろいろ考えさせると、

・気持ちが変わるということは、また、変わることもありうる。

・やり直しの学級会で、反対の『〜しよう。』に決まったとき、今度は、『〜しない。』賛成派から、『一度決まったのに、ずるい。』と文句が出かねない。

・『〜しない。』に賛成の人から、また、話し合ってほしいと言われたらどうするの。話し合うの。

・そうなったら、何も決まらないということと同じ。こまっちゃう。

・学級のみんなの仲が悪くなりそう。


 そう。けっきょく、『一度決めたら、それは変えない。』ことの良さに気づいていく。


 ただし、最初の決定に重大な不備があったら話は別だ。たとえば、別な日程との重なりとか、その場所は使えないことが後で分かったとか、そういう場合は、変更を余儀なくされる。

 これはもう、話し合い以前の調査不足が原因だから、議題提案者(担任も)は詫びるしかない。




 ところが、急に話を変えてしまって恐縮してしまうが、わたしには、驚いたことがある。民主主義を守り、育てるうえで重要な原則と思っていた一事不再議の原則が、

 なんと、明治憲法下では、憲法に明記されていたのに、現憲法では条文化されていないのだという。今回、Wikipediaで調べて分かった

 現憲法より、明治憲法の方が民主的だった。

 そんなばかな。


 要するに、現憲法下では条文化こそされていないものの、そんなことは常識だということなのであろう。


 もう、読者の方は、わたしが何を言いたいか、お察しのことであろう。


 そう。

 現在の政治は、こうした面から見ても退廃の道を歩んでいる。


 最初にお断りしておくが、もちろん、違法ではない。原則に違反しているとも言えない。

・憲法に明文化されていないのだから、違法でないことは明確だ。

・一事不再議の原則では、同一会期内での再議をしないとある。現在の日本の政治において、これが行われたことはないと思う。


 しかし、しかしだ。

 これと似たことは起きたよね。道義的には、おかしかったと言えよう。


 それは、小泉首相の郵政解散前後に起きた。

 このときの参議院が問題だ。

 一度、郵政民営化法案を否決し、結果的にそれが衆議院解散につながるほど、重大な議決をしたにもかかわらず、

 郵政解散直後は、『民意がそこにあるなら。』ということで・・・、


 繰り返すが、これは、同一会期内ではないから、原則に反するとまでは言えない。

 しかし、参議院の構成メンバーはまったく変わっていなかったし、したがって、党派の人数が変わったわけではないのに、まったく逆の議決をした。

 道義的には、かなり問題な議決だったと言えよう。


 その後、ご承知のように、政権交代につながった解散、総選挙。

 今度は、郵政民営化見直し派が大勝利。そして、今となる。またまた、逆転だ。



 なぜ、こうなるか。

 まず、上げなければいけないのは、国民(マスコミも)が無節操だから。


 先の先の衆議院選挙では、小泉人気が盛り上がり、衆議院で3分の2以上の勝利を自民党を中心とした連立政権に与えた。それなのに、今回は、政権交代を叫ぶ声が圧倒的となり、見直し派が大勝利となる。

 つまり、やまびこままさんが、前記事にお寄せくださったコメント3番を引用させていただくと、「皆と同じならとりあえず安心」「皆と意見が違うとちょっと不安・・」という心理で、国民の多くが投票しているからであろう。

 そのなかに、個人的な人気も含まれるだろう。前回が小泉人気だったとするなら、今回は鳩山人気だったといってもいいかな。

 そして、同コメントの続きだが、

『自分の言葉で考える、発表する、討論するといった訓練が学校教育の中で十分になされないまま成人して選挙権を得ても、効果的な一票となるのかどうかはなはだ疑問です。』

となる。わたしも同感だ。


 今、学校教育において、こうした内容(冒頭述べたような場面を含む。)を大事にするはずの特別活動が、まったく低調である。過去記事にある。

    小学校の特活はどこへ?(2) その理念は、

 こんなふうだと、やまびこままさんが冒頭ご指摘のように、『この国の政治を思う時、やはり日本人の体質に民主主義は無理なのではないかと憂いてしまうものです。』というような、悲観論が生まれてしまう。


 いや。しかし、

 ここまで述べてきたように、わたしは、幼少期からの教育が良くなれば、日本にだって民主主義は根づくと思っています。

 あっ。ごめんなさい。やまびこままさんだって、同じ思いですよね。


 ただ、このことは、本シリーズの続きの方にさせていただいて・・・、



 さあ。読者の皆さんのなかには、『そんなばかな。国民が無節操だからと、そればかりではないでしょう。やっぱり政治家そのものが、おかしいのでは。』と憤られている方もいらっしゃるでしょう。


 それもまさにその通り。

 以下、その部分にふれさせていただきたい。


〇国民が無節操とばかりも言えない。今の選挙制度のこともある。ほんの少しの民意の変化でも、結果は大きく違ったものになってしまう。

〇民意が反対だったからといって、それまでの政治的信条を捨て、民意におもねた議員が多数いたのが、先に述べた参議院の議決だ。冒頭述べたように、子どもでも分かる理屈が、この議員たちには分からなかった。

〇郵政選挙後、自民党を中心とした連立政権は、3分の2以上の多数をいいことに、郵政以外の諸法案をどんどん通していった。

 少なくとも、民意は、郵政のみにしめされたはずだった。それなのに、教育基本法改定を含め、民意に問うていないところまで通した。それは、連立政権への支持がまったくなくなったことが明確になった時点以後も続いた。

 これも、違法ではないが、道義的には問題となる部分だ。

〇ここでは、たった一つの法案をめぐって民意を問うという手法も問題となってくるね。



 さあ。それでも、政治家たちに、正常な道徳心があれば、政治はうまく機能するはずだった。

〇少なくとも、議決への態度を豹変させるなら、議員辞職すべきだっただろう。自分の政治信条を破棄したのだから。

〇3分の2以上の議席は、郵政民営化法案に対して与えられたものだった。あとの法案審議には、もっともっと謙虚であるべきだっただろう。

〇そのなかでも、連立政権への支持がまったくないと明確になった時点(先の参議院選挙)で、3分の2を行使することをやめることはもちろん、自発的に解散するくらいの度量を示せばよかった。

 そうすれば、先の政権交代選挙は一年早く行われていたし、

 その場合、連立政権は負けたにしても、あんなひどい負け方にはならなかったのではないか。


 ここで言いたいことは、無責任体制の横行だ。一事再議を含め、無責任体制が蔓延してしまった。

 政治退廃の元凶はここにある。



 さあ。今の民主党を中心とした連立政権は、どうでるか。

 これもなんか分かってきたような気がする。


 『自民がこね、民主がつきし、天下餅。』

 そんな感じだね。政治の退廃は、ますます増幅されそうだ。


 さあ。国民が結集し、この退廃を食い止めよう。

 それには、付和雷同ではなく、個人的な政治家人気にも左右されず、自分の頭で、主体的に考え、一票を行使することだ。


 わたしたち教員は、そこに視点を定め、未来の国民を育てるべく、教育活動を行っていかなければならない。

 少なくとも、『試験の答案は書けるけど、責任感を持ってモノを考えることができない人』にしてしまうことのないように。


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 学校教育が、知識・技能至上主義で行われ、学び方、生き方の教育をないがしろにすることと、本記事とは深くかかわりそうです。

 また、学び方、生き方の教育も、上から与えるやり方では、むなしくなるだけでしょう。子ども自らが獲得するような指導法でありたいもの。

 次回は、それを中心に書きましょう。



rve83253 at 06:15│Comments(15)TrackBack(0)教育風土 | エッセイ

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この記事へのコメント

1. Posted by Chaaaaco   2010年05月14日 22:37
こんばんわ。いつも勉強になる内容をありがとうございます。『この国の政治を思う時、やはり日本人の体質に民主主義は無理なのではないかと憂いてしまうものです。』という記述ですが、それは日本だけでなく、世界中のどの国にも無理な気がします。どこかの歴史上の著名な人物が「民主主義は最悪だ。ただそれ以外よりましなだけだ。」と言っていたのを思い出しました。政治家も悪いが、国民も悪い。どっちも悪いですね。「悪い」の一言では片付きませんが。それに、私もその一人ですので。日本は、島国。特に主だった資源もない。なので、ある資源と言えば「人」でしかない。その国民の力がどんどん退廃している。正直、昔が強い「日本人」だったかどうかはわかりませんが、強く、凛とした国民になってほしいと思います。そのためには、「学び方、生き方の教育」をしっかり指導していくことですよね。私も、家庭教師ではありますが、そのことを肝に銘じてがんばって行きたいと思います。
2. Posted by Zidrak   2010年05月15日 00:31
 初めてコメントしますが、いつも拝見しています。某都道府県で今年度より初任者として採用された者です。

 
> 現憲法より、明治憲法の方が民主的だった。

> そんなばかな。

 とのことですが、政治の退廃は、こういう思い込みや、
「自民党=悪」
というレッテル貼りで、ホテルのバーで飲んだだけで庶民感覚がないとか言いながら料亭政治を復活させてしまった今の政権与党を選んでしまったような日本人の平均的な政治的見識やセンスによるものではないでしょうか。

 そも、明治憲法が民主的ではない、と言うのであれば、それは成立の課程と主権についてであって、細々とした内容までどう、ということではないと思います。

 国民主権云々を問うにしても、大体にして、政治を行う君主を仰ぎながらも民主的な政治を行っている国は今日のヨーロッパにも、アジアにもありますよね? 明治憲法は、司法権をちゃんと独立させていますし、言論の自由の保障も謳われていました。
 トータルとして見るならばともかく、細々とした内容にまで民主的だの非民主的だの、本来点数を付けられるワケがないところにまで手を伸ばすような政治センスが、今の日本の危機を招いたのではないでしょうか。

 現に今有効に動いている景気対策なんか、エコカー減税など殆どが麻生政権の遺産です。当時のかの党のマニフェストと今の民主党のマニフェストを今、改めて見比べてみれば、見えてこられるものもあるのではないでしょうか。
 私は昨年夏の衆議院選挙、全党のマニフェストを精読して代表に一票投じました。採用試験で忙しかったですけど、誰の未来を保障する職につくのか、考えれば当然のことだと思いました。

 コメントに乱筆乱文、お許し下さい。
3. Posted by toshi   2010年05月15日 01:35
Chaaaacoさん
 ほんとうにおっしゃる通りと思います。学校教育が知識偏重にならず、学び方、生き方の教育の価値を認め、思考力を養い、善性を引き出すものになれば、未来は明るいものと思います。
 ともに、がんばりましょう。
4. Posted by toshi   2010年05月15日 01:56
Zidrakさん
 Zidrakさんは、しっかりしたご自分の主張をお持ちのようで、各党のマニフェストを精読されるなど、自主的、主体的な投票行動になるという意味で、心強さを感じました。また、敬服もしました。
 しかし、見解の異なるものに対し、『思いこみ』などと決めつけるのはどうかなと思いました。
 明治憲法についての解釈ですが、Zidrakさんがおっしゃる『主権』の部分がまさに問題で、そのため、後世になり、統帥権干犯問題や天皇機関説排撃が起きたことなどを考えると、やっぱり明治憲法の性格は民主主義的とは言えないでしょう。
 トータル的にとらえているつもりですがね。
5. Posted by Zidrak   2010年05月15日 09:43
 はい。ですから、トータルとしてとらえていらっしゃるなら、どうして明治憲法に今の憲法よりも民主主義的に考えて優れた部分があることに、

「そんなバカな」
となるのかが分かりません。

 toshi先生の仰るように、トータルで見れば今の憲法よりも当然明治憲法の方が民主的とは言えません。
 しかし、一事不再議の原則とか、そうした個々の条文やその有無などまで細かく検討するのであれば、中には明治憲法の方が…という部分があっても全く問題は無いのではないでしょうか、と単にそう思ったのです。

 お茶碗のご飯がいつもより美味しくないからって、その中の一粒も美味しく炊けていないと決め付けるのはどうなのかな、と。

 思い込み、という書き方はすみません、筆が過ぎました。
6. Posted by Zidrak   2010年05月15日 10:05
すみません、途中で投稿してしまいました。

 前回の衆院選挙、1番何がダメだったかという話と、toshi先生の今回のエントリ(や、地元の先生方の普段の仰りよう)は、まさにこのご飯の炊け方的なスタンスやセンスだったと私は今でも思ってます。
 何しろ自民党と言うだけで「マズい」と断じて落としてしまったんですから。ここに、明治憲法というだけで「民主的であるわけが無い」と断じるのと似たものを感じたのです。

 結果としてこういうセンスが民主党が300議席を超え、独裁政権を作れるだけの基盤を与えてしまった。残念でなりません。
7. Posted by 伊藤   2010年05月17日 09:59
初めまして。よく拝見しております。
私は教育学部の2年生です。25歳にして大学へ入りなおし、教師になろうと思いました。

政治家に一番求められることは正直と嘘をつかないです。

政治家の言葉は重いです。
そうであるならば、その言葉は正直でなければいけません。
何もかも聞かれたことを話す必要はありません。漏らしてはいけないことがあるなら、言わなければ済むことですし、今後を左右することは言わなくてもいい。それについてうわべだけの人気取りをするなら政治家ではなく、政治愛好家です。

嘘をついてはいけません、と誰しも教わったのではないかと思います。

できることを一生懸命する。これは、政治家にかかわらず子ども、先生も同じことです。
8. Posted by toshi   2010年05月17日 16:11
伊藤さん
 《私は教育学部の2年生です。25歳にして大学へ入りなおし、教師になろうと思いました。》
 わたしには民間歴があり、25歳で教員になりました。
もう60を過ぎる歳になりますと、若いときの数年の違いは大したものではなかったなと実感します。それよりも、いかに教員時代を過ごしたかが大事。
 どうぞ。すばらしい人生に向かって夢を果たされますよう、祈念します。

 政治家に一番求められるもの。賛成です。その通りです。
 次回記事に、伊藤さんの文章の一部を引用させてくださいね。
 よろしくお願いします。 
9. Posted by toshi   2010年05月17日 20:39
Zidrakさん
 今年度、初任者として採用されたとのこと。希望に燃えて教壇に立たれていることでしょう。
 でも、それでしたら、全党のマニフェストを精読されるZidrakさんなのですから、もっと多面的なものの見方を身につけていただきますよう希望します。人の文章も正しく読み取っていただきたい。自分の思いにとらわれるのであれば、子どもの見方がずれてしまうこともありそうで、心配になります。
 たとえば、
○《トータルとしてとらえていらっしゃるなら、どうして明治憲法に今の憲法よりも民主主義的に考えて優れた部分があることに〜》
《トータルで見れば今の憲法よりも当然明治憲法の方が民主的とは言えません。》
 双方読みくらべてみてください。おかしいでしょう。やはり一番目の文章は、部分として見ているのですよ。
○たとえ、部分部分を大事に明治憲法を読んだとしても、まあ、そのようにすれば、条文のいくつかに民主主義的内容があることは確かですが、だからといって、《明治憲法に今の憲法よりも民主主義的に考えて優れた部分がある》などと、わたしは思ってもいませんよ。それはわたしだけではないでしょう。誰も明治憲法下で、言論の自由があったと思う人はいないと思います。条文にはありますがね。
10. Posted by toshi   2010年05月17日 20:40
○《個々の条文やその有無などまで細かく検討》などしていませんよ。記事に書いたように、一事不再議の原則について調べてみただけです。そうしたら、明治憲法のことがあり驚いたといったところです。
○《地元の先生方の普段の仰りよう》とくっつけてわたしを批判なさっても、わたしは迷惑なだけです。わたしの記事のどこに、《自民党と言うだけで「マズい」》とするところがありますか。
○わたしは、どこで、《明治憲法というだけで「民主的であるわけが無い」と断じ》ましたか。あくまで現憲法と比較しただけです。そこを正しく読み取っていただければ、「そんなばかな。」は現憲法の条文の不備を指摘したとも読み取っていただけると思いますがね。
○最後に、《「自民党=悪」というレッテル貼りで、ホテルのバーで飲んだだけで庶民感覚がない》が、《日本人の平均的な政治的見識やセンス》ということではなかったと思いますよ。
 あのときの平均的な日本人のとらえは、年金不祥事問題の処理を誤ったとか、後期高齢者医療問題のこととか、天下りとか、そういったもろもろで、自民党を中心とした連立政権に愛想をつかしたということだったと思います。

11. Posted by YK   2010年05月18日 22:51
振り返って見ると、2009年の衆院選は私にとって冷静に成り切れない要素がありましたね。それはやはり、リーマン・ショック後の政府(麻生政権)の対応を非常に不満に感じていたからです。論点を一つ挙げるなら、定額給付金になります。ただ、私自身は、大雑把にいえば、日本国民が流されやすいという議論にも少し疑問を感じます。リーマン・ショックが起こった時点で、既に日本の製造業(と建設業を含む二次産業)は明らかに停滞の兆候を見せていました。また、天下りのような因習を打破しなければ、産業・経済の成長は見込めないという空気を国民は共有していたと思います。その観点から言えば、民主党政権の誕生は、行き詰まりを打開する国民の切実な賭けであったし、合理的な選択でもあったと思います。
12. Posted by YK   2010年05月18日 23:05
ですが、もっと冷静になるべきだったと思うのは、2007年7月の参院選、横峯さくらの父を不祥事を抱えているにも関わらず議員にしてしまう民主党のモラルの低さを、もっと私自身が頭に入れて置くべきだったと感じます。今回の谷亮子もただの票集めのために出ただけで、当然、政治家としての見識・手腕などあるはずがない。それに、連立政権のリスクをもっと考慮すべきでした。反対のための反対を繰り返す社民党は明らかに60年代の遺物で中国共産党よりずっと左寄り。こんな党が発言権を持っているようでは、日本の将来は本当に暗いですね。
13. Posted by toshi   2010年05月19日 13:37
YKさん
《行き詰まりを打開する国民の切実な賭け》
 いやあ、そういわれてみれば、ほんとうにそのとおりだったでしょうね。今、国民もつらいですね。自民党に審判を下したまではまだよかったのでしょうが、民主党までこの有様。選択できなくなってしまった感が強いですね。
《連立政権のリスク》と言ってしまうのも、国民はつらいものがあるのではないですか。仮に国民が連立政権にならないようにと願っても、こればっかりは思うようにはならないはず。
 民主主義の政治も、つらい部分がありますね。
 
14. Posted by YK   2010年05月20日 13:52
>>《連立政権のリスク》と言ってしまうのも、国民はつらいものがあるのではないですか。

おっしゃる通りで、連立政権という政党名はないわけですから、そもそも民意と関わりなく政治が動いてしまう、という問題がありますよね。ただ、連立政権が、単独政権の決定よりも連立与党の間の調整に時間がかかる、という点について、私は良いとも悪いとも言えないと思います。中国や北朝鮮の国家体制が理想ということはあり得ませんから。しかし、今日本で起こっている問題は、特に防衛問題については、自民党政権時には問題に成らなかった問題、つまり、対米重視の方針からの変化についての問題ですね。私は当時、当然生まれていませんが、70年安保のときに学生運動をやっていた連中がマスコミに入り、当時の自民党の一部が与党として民主党を動かし、当時、自民党に反対していた連中も何故か政権与党にいるといった具合で、戦後65年の混乱が加速している印象を受けます。
15. Posted by toshi   2010年05月21日 15:29
 60年安保だと思いますが、そのとき、わたしは高1でした。わたしも報道等で興奮したのを覚えています。高校時代はそんなわけで政治への関心は高かったのですが、大学時代はかの大学紛争の時代。そういう運動にはついていけませんでした。今の世相を思うと、隔世の感があります。
 たぶんYKさんがおっしゃっていることと同じだと思いますが、むかしの冷戦時代の政治は、よしあしは別として、分かりやすかったです。今は、混とんとしている感じ。世界の情勢も、日本国内の問題も、なんか分かりにくい時代のように思います。
 

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