2010年05月23日

日本の民主主義を問う(4) 学校経営から3

d68d0b7f.JPG 本シリーズの最後は、学校経営の視点から、日本の民主主義を考えてみたい。

 その際、最近、読者の方からいただいたメール2通も参考にさせていただく。それは、残念だが、学校経営の課題を色濃く感じさせるメールだった。


 メールの件は、すみません。ちょっと後に譲らせていただいて、まずは、いきなり、大上段に構えさせていただきます。



 近年、国は、どこまで本気なのかは不明だが、地域・保護者・教員が一体となった学校経営を目指している。

 それは、『地域において民主主義を育てる。』という意味では、すばらしいものだ。おそらく、国民のだれもが驚くような内容をもっている。それが実現すれば、各地の学校経営は、民主主義の最前線をいくはずである。


〇まずは、現政権中枢の民主党が昨夏衆院選で示したマニフェストのなかから、学校経営にかかわる部分をみることにしよう。

 そこでは、『保護者や地域住民等による「学校理事会」の設置』と題し、以下のように書かれている。


 地方公共団体が設置する学校においては、保護者、地域住民、学校関係者、教育専門家等が参画する「学校理事会」が主な権限を持って運営します。学校現場に近い地域住民と保護者などが協力して学校運営を進めることによって、学校との信頼関係・絆を深め、いじめや不登校問題などにも迅速に対応できるようにしていきます。こうした学校との有機的連携・協力が生まれることは、地域コミュニティの再生・強化にもつながります。


 なんと、学校経営の主体は、地域住民であり、保護者であり、校長ではないのだ。


 ところで、このマニフェストへの期待については、過去記事に書かせていただいた。具体的にはそちらをご覧いただきたい。

    民主党マニフェスト教育編(1) 『学校理事会』をめぐり、

 
 このように期待したものの、それから半年余りで、ご覧のとおり、この政権は迷走続き。とても、この理念の実現どころの話ではなくなってしまった。


 しかしね、

 これに類することは、なにも民主党マニフェストで初めて出てきたのではない。前自民党を中心とした連立政権のときから、その前身としての『学校評議員制』は発足していた。

 そして、それは、もちろん、今も全国各地で有効に機能しているはずである。


 簡単に双方の違いを説明させていただくと、

 繰り返しになるが、民主党マニフェストの『学校理事会制度』は、学校経営の主体が、地域・保護者・学校関係者・教育専門家などであるのに対し、

 自民党を中心とした連立政権の『学校評議員制』は、学校経営の主体はあくまで校長にあり、

 校長の求めに応じて、保護者・地域住民などが、学校経営に対し、意見を述べることができるとしている。


 
 実は、これ、我が地域においては、わたしの現職中にスタートした。

 わたしにとって思い出深いのは、

 我が地域において、このスタート時、同制度のモデル校設置が教育委員会より提起された。わたしは、それこそ、『これぞ。民主主義の具現化』と思い、すすんで立候補し、モデル校になったのである。


 さて、モデル校としてどのような実践があったか。

 それも過去記事に示しているので、ご覧でない方は、どうぞ、ご覧いただきたい。

    学校評議員制は機能しているか



 なお、申し訳ないことに、この記事には一つ、誤記があります。ごめんなさい。

 それは、バナーの下、『この学校評議員会は、全国の公立学校にあるはずのものです。』の個所です。

 この点、国の制度においては、『その学校の設置者は、学校評議員をおくことができる。』としており、

 つまり、おかなくてもいいということですね。

 繰り返し、ごめんなさい。



 ただ、上記リンク先過去記事や、それに寄せられたコメントからも、ご理解いただけると思うが、

 どうも、全国的に見た場合、理念に合致した取組が行われているかについては、(?)付きとなってしまう例が多いようだ。

 

 さて、そこで、お寄せいただいたメールに移らせていただくが、

 
 驚くべきものがあった。上記、記事やコメントからうかがえるような、『機能しているか。』といったレベルの話ではない。

 民主主義の実践のはずが、なんともはや・・・。


 どちらも、ご許可をいただいたので、ここに、概略、紹介させていただく。



 その1


 Aさんのお子さんが通う学校には、学校評議員会が設置されている。設置されてはいるが、先の我が勤務校のそれとは似ても似つかないものになっているようだ。

 また、さらに言えることは、同評議員会を徹底した上意下達機関にしてしまっているようである。


 Aさんは、PTAの立場から選ばれた委員さんである。そして、常々そうした学校評議員会のあり方に疑問をおもちでいらっしゃる。

・保護者代表という立場で同会に出席していながら、保護者の声を集約することは、校長から禁止されている。

・ちまたでは、いろいろ学校への批判が聞こえてくるが、もう一人の保護者代表は、『今の学校教育に満足している。』というありさま。

 こんなふうだから、せっかく出席しても、本音の声を出せない。

・校長は、『地域・保護者は、学校経営に口を出すべきではない。』と、公言している。

・一番問題と思っているのは、特別(個別)支援教育がまったく行われていないことだ。


 
 実は、Aさんのメールには、もっと上層部の、教育委員会とPTA連絡協議会との癒着なども書かれていた。それだけに、学校評議員制の形骸化以上に、上に対しても無力感をおもちのようである。


 それらを拝読し、わたしは、本シリーズの(2)のコメントのやり取りを思い出した。明治憲法の件でちょっと物議をかもし、読者の皆さんにはご迷惑をおかけしたが、それを思い出してしまったのだ。

 つまり、学校評議員制の理念は、Aさんのお子さんが通う学校でも、高らかにうたわれているであろう。

 しかし、それらはまったく形骸化し、いや、それどころか、教育委員会の施策の強力な実施機関になってしまっている。


 これも、日本の民主主義の一形態を示している。まさに、『明治憲法も民主主義の憲法』というような事態になってしまっているのである。



 Aさんのメールには次の言葉もあった。


 『学校評議員会を開くことが学校のステータスになっています。』

 ええっ。

 これにも驚かされた。

 我が地域において、わたしの現職中から、ステータスなどというものではなかった。

 文字通りのモデル校にすぎない。

 他校の校長から、『ご苦労様。』とか、『来年度からの参考にさせていただきます。』とは言われたが、それ以上のものではなかった。


 そうか。そうだとすると、

 そういう地域の方が、拙ブログの上記リンク先記事をご覧になったときは、『ステータス』という思いを抱きながらお読みになるわけだね。

 こわいものを感じた。



 その2


 次は、また、別な地域のBさんからいただいた。


 Bさんは、お子さんの通う学校で、学校ボランティアをなさっている。お子さんのクラスにはいかないが、担任の指導中に、補助として個別指導を中心に支援している。


・このボランティアをすることになった初日、校長から言われたそうである。

「担任の指導に対し、言いたいことがでても、口出しはしないでください。学校ボランティアは、子どもに寄り添い、見守るだけにしてください。」


 他方、担任からは、

「お気づきのことがあったら何でもおっしゃってください。」

と言ってくれたとのこと。


 また、学校ボランティアのなかには元教員だった方もいて、その方が言うには、

「授業に口出ししたらぜったいにだめ、担任がやりにくくなる。」

とのこと。


 そうしたはざまで、Bさんはもんもんとされているようだ。『どうしたらいいでしょう。』というご相談だった。


 いつも申しあげるように、他地域のことはよく分からない。あまり無責任なことは言えないが、

・話す先が、校長ならかまわないのかな。でも、校長自身、そうした声を聞くような人ではないかもしれない。

・仮に校長には言えたとしても、校長はまず、担任には伝えないだろう。

など、もろもろなことを考えてお返事させていただいた。


 まあ、それはそれとして、

 思い出したのは、我が地域においても、わたしが若かったころは、こういう学校からの声は常識として、確かにあった。だから、そういう意味で理解することはできるが・・・、

 しかし、もはや、時代が違うよね。

 その1で述べたように、学校評議員制がスタートし、学校理事会も一政党のマニフェストに登場する現代において、『授業に口出しするな。』というのは、まったく時代錯誤のように思われてならない。

 教員のやる授業に口出しできない人など、いてはならないと思う。


 教員も、謙虚に耳を傾けるべきであろう。そして、その声に対し、自分の考えを話したり、とり入れるべきはとり入れたり、できないことはなぜできないかを説明したりすることが要請される。

 それが、学校評議員会の席上でなされたって、一向にかまわないよね。


 そして、それこそが、今、よくいわれる、『地域に開かれた学校』ということになるだろう。



 以上、『学校を中心とした地域の民主主義の実践』は、まだまだ遠いといった地域もあるようである。


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 Bさんのメールに、大変心に残る言葉がありました。

 ご覧ください。


 (地域・保護者と学校が)お互い信頼し合って、「子どものため」という気持ちで働けば、教員自身ももっと充実した気持ちで毎日を送れるのではないかと感じます。

 お互いに教材なり指導方法なり、子どものことについてなり、もっと心をオープンにして話し合える雰囲気があればいいのになと本当に思います。


 もうまったくおっしゃる通りで、それこそが、最低限、民主主義の実践として大切にしていきたい点ではないかと思いました。

 そして、こうした雰囲気が醸成されれば、それは子どもにも無言の力をもって伝わるはずで、それも大切な教育の一環でしょう。


 強くそれを訴えさせていただくとともに、わたし自身も、微力を尽くさせていただきます。

 

rve83253 at 10:56│Comments(4)TrackBack(0)学校経営 | 教育風土

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この記事へのコメント

1. Posted by 伊藤   2010年05月24日 11:34
日本は現状でイギリスから政治にしても教育にしても参考にしています。

イギリスの場合は、校長に絶対的権限があるのですが、日本の場合は全くありませんし、評議会も校長と同等の力をもっているはずですし、今回の労働党のマニフェストもその権限を強化する方針を打ち出してました。

弟の母校はこの取り組みを三者協議会という形で先進的にやっていました。
国公立大学でも同様の制度が入ってますが、本当に機能しているのだろうかということは思います。

学校選択制にもつながりますが、現状で個性の出せない義務教育を選択制する場合、学校評議会や理事会を学校の柱に置かないと単に荒れているからであるとか人数が少ないという形で本来の選択からかけ離れたところへ進んでいくのではないかと心配に思います。

2. Posted by toshi   2010年05月25日 04:58
伊藤さん
 外国のことはマスコミ情報しか手に入りませんので、大変参考になります。ありがとうございます。
 学校選択制については、我が地域ではこれをとりいれないことに決定しました。教育委員会はやりたかったようですが、地域・保護者・教員等の反対によるとのことです。
 学校評議員制に似た、もっと上層部の組織が有効に機能したといえそうです。
 反対の大きな理由は、『地域とともに歩む学校』という側面が薄れてしまうということだったようです。
 よかったと思っています。
3. Posted by 伊藤   2010年05月27日 13:13
ちょっと、気になったことを。

国土社で発行している「教育」6月号は学校と民主主義をテーマにしています。

文ばっかりなので、あれですが、ひょっとしたらヒントがあるかもしれないと思い、お伝えしました。
4. Posted by toshi   2010年05月28日 03:56
伊藤さん

 お教えいただきありがとうございました。読んでみたいですね。

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