2010年06月09日

6年生の学級での初任者指導(2)3

ea9589d4.JPG 本記事は、前記事の続きとなる。

 したがって、前記事をお読みでない方は、まずはそちらをご覧いただきたい。

 本シリーズは、『意欲的に授業にのぞむ子どもをいかに養うか。』が、テーマになると思われる。


 6年生の場合。

 それまでの教育実践の負の積み重ねがあるようで、意欲の感じられない空気は定着してしまっているようにみえる。それはもう、簡単に修正できるものではなさそうだ。

 しかし、あきらめるわけにはいかない。少しでもいい。一歩ずつ向上していくことを願う。いや。そうなるよう努力する。


 その具体例として、前記事では、

 導入にあたっては、『初めてやる学習だから、解けるわけがない。』という思いを一掃したいと述べた。

 本記事では、

 その続きとして、自力解決、及び、練り上げの過程で、子どもたちが、少しでも、意欲的に学べるよう、指導者としてどんな手だて、工夫を講じたかを述べさせていただく。



 でも、その前に、『初めてやる学習だから、解けるわけがない。』という思いについて、ちょっと補足させていただきたい。


 実は、これ、

 子どもだけがそう思っているのではない。教員もそう思ってしまっていることが、まれではないようだ。

 拙ブログに、ある教員の、そうした声が寄せられたことがある

 その方は、

 『算数の問題解決学習は最低、最悪の授業である。』としたうえで、 

 『だいたい、自力解決などというが、新しい単元に入り、初めての内容を学習するとき、自力で解決できるわけがない。だから、塾などで先行学習し、すでに分かっている子どもは、簡単に解いて時間をもてあましてしまうし、逆に、分からない子どもは最初から投げ出してしまって解こうともしない。』

 そういう趣旨だった。



 さあ。それでは、いよいよ本論に入らせていただこう。

 
 
〇まず、前記事の末尾で、

 既習の最小公倍数や、異分母分数2つのたし算、ひき算を理解できていない子が若干名いることは、述べた。そして、初任者のBさんとわたしとで、個別指導に当たったことも述べた。そのなかで、この学級の子の場合、次のような実態のあることが分かった。

・共通の分母を見つけることはできるが、分子も分母も等倍することについては、あやしくなる子、

・共通の分母を見つけることはできるが、それにかなりの時間を取られてしまう子、

・2つの数の最小公倍数は見つけることができるが、3つの数となると困難さを感じてしまう子、


 本個別指導で、定着したとまでは言えないが、全員、一応理解したように感じた。


 そう。『分からない子どもは最初から投げ出してしまって解こうともしない』という、そういう子どもをいかになくしていくかについては、このように、個別に対応していくしかないようにみえる。

 でも、・・・、いや、このことでは補足したいことがある。それは、次回記事で、再度、とり上げさせていただこう。



〇次に、自力解決の過程における工夫を述べる。

・ふつうは、いくつかある解法のなかから、それぞれ一人ずつ代表選手(?)になってもらい、画用紙などにそれを書いてもらう。

 それは、過去記事にある。下記リンク先記事は、3年生の事例であるが、そうした学習について述べている。

    思考力を育む算数の授業 


 しかし、本授業においては、そういう手法をあえてとらなかった。

・なぜかとういうと、

 上記リンク先記事(ある教員の声をとり上げた記事)でご理解いただけるのではないかと思うが、この手法は、意欲の感じられない学級においては、かなり時間がとられてしまうからである。

 その結果、時間をもてあましてしまう子が出そうだ。


・したがって、本授業においては、時間をロスしないように、

 わたし自身が子どものノートを見てまわるにとどめることにした。


 なお、これには、もう一つの理由がある。

 それは、上記リンク先記事(3年生の思考力をはぐくむ授業)でもご理解いただけると思うが、

 元来、問題解決学習では、誤っていたり、稚拙だったりする解き方も大切にしていく。それらをめぐり、『ああでもない。』『こうでもない。』と考え合うことが、豊かな思考力を養うことにつながるからだ。

 しかし、学級内の人間関係が希薄な場合、そういう解法まで子どもに書かせようとすると、その子がかわいそうなことになってしまいそうだ。

 そこで、練り上げの段階では、わたしが、『こういう解き方をした子がいるよ。』と言いながら板書するようにする。そうすれば、その子が特定されずに、学級みんなの思考力を育むことができる。


 
〇子どもたちがやっている『解き方』は、おもに4つだった。そこで、その概略を述べることにする。

 問題は、『1/2 + 3/4 − 2/5 の解き方を考えよう。』である。


・一つ目。

 初めに、『1/2 + 3/4』を取り出し、その式を解く。答えは『5/4』である。次に、『5/4 − 2/5』を解く。それが答えとなる。


・二つ目は、

 3つ、一気に通分する解き方である。『10/20 + 15/20 − 8/20』ということになるね。


・三つ目は、それらの折衷的解法ともいうべき解き方だ。これは、子どもがやったように、式に表そう。

 1/2 + 3/4 − 2/5 = 2/4 + 3/4 − 2/5
                 = 5/4 − 2/5
                 = 25/20 − 8/20
                 = 17/20     

 
ac9ec35c.jpg ・そして、最後、四つ目は、

 3つの数直線を書いた子が数人いた。初めは、2等分、4等分、5等分の数直線とし、次に『一気に』かどうかはいろいろあったが、最後は20等分して解いた解き方である。


・以前、初任者のBさんは、

「式で解く解き方の分からない子は、数直線や図を書いて解いてもいいよ。」

という言い方をしたことがある。それで、わたしは、

「数直線や図を書けば解きやすくなるだろうという、その気持ちは分かるが、でも、それは違うよ。

 式で解ける子だって、数直線や図で解く解き方も、やってほしいものだ。それが多面的な見方を養うことになるし、『数学的な考え方』をきたえ、身につけることにつながる。」

と注文をつけた。


 Bさんも柔軟だ。

 だから、その点、しっかり努力してきたと思われる。

 本授業においては、おもに、『二つ目』の解き方をした子が、『四つ目』の解き方に挑戦しているケースが多かった。


 
〇そして、次、練り上げの過程における工夫に入っていく。

 上述のように、わたしが、『こういう解き方をした子がいるよ。』と言いながら板書していった。


・そして、一つ目の解法には、『二つに分けて』とタイトルをつけた。

 ここでは、すみません。細かい子どもとのやり取りは省略させていただく。

 この解法は、前記事の導入でたとえれば、『3+3+3+3』にあたる解き方だ。すなわち、異分母分数2つの計算を2回やるようにしたため、既習内容だけで解くことができる。

 これは、『2回に分けたため、面倒だが、確実に答えを出すことができる。』解法とおさえた。


・次、二つ目の解法を紹介した。

 これには、『一気に』とタイトルをつけた。

 そのうえで、なぜ、一気に20という数を発見できたのかと問う。

 「公倍数だから。」
 「3つの数の公倍数を出したから。」
 「2と4と5が全部3つの分数の分母で、その最小公倍数を出した。」
 「それで、3つの分数を通分したことになる。だから、計算できる。」

 この解法を前記事の導入でたとえれば、『3×4』を学んだことになる。すなわち、既習内容である『3つの数の最小公倍数』と『2つの異分母分数の計算(たし算・ひき算)』の知識・技能を駆使して、3つの異分母分数の計算の仕方を身につけたことになる。

 これは、最終的なおさえとしては、『これは推奨したい解き方だが、まだこの解き方に不安があるという子は、とりあえず、以下述べる、三つ目の解法も含め、どれで解くかを、自分で決めていい。』というように押さえた。


・そして、さらに、三つ目の解法を紹介した。上述のように、一つ目、二つ目の折衷的解法だ。これは少し物議をかもしたので、詳細に述べてみよう。

 例によって、わたしが板書して説明したのだが、ここでは、あえて、Fちゃんの、ちょっと問題のある解法を紹介した。もちろん、名前は明かさない。

 「こうやって解いた子がいたよ。よく見てね。」

 1/2 + 3/4 − 2/5 = 2/4 + 3/4                           = 5/4 − 2/5
                 = 25/20 − 8/20
                 = 17/20 

 「3つの分数を一気に通分していないから、それは、一番目の解き方と似ている。」
 「でも、二つ(の計算)に分けてはいないから、二番目にも似ている。」
 「やっぱり、(この解き方は、)二つに分けたのだと思う。」
 「(賛成。)最初は、1/2 + 3/4しかやっていないもん。」

 どうも、散発的で、子どもたちの反応がいまいちにえ切らない。


 そこで、わたしから、

 「答えは合っているのだよねえ。答えは合っている。」

 すると、どこからか、小さな声が聞こえてきた。

 「とちゅうは、〜。」

 そう。『〜。』の部分はわたしに聞こえてこなかった。なにしろ、以前も記事にしたように、わたしは耳鳴りがひどい。

 そこで、
「あっ。何。とちゅうが何なの。」
と問い返す。

 しかし、・・・、ああ。残念。もう言ってくれなくなってしまった。誰が言ったのかも分からない。

 そうしたら、ニヤッとしたFちゃんが目に入ったので、Fちゃんに言ってもらうことにした。

「途中の式だけれど、(3つの分数のうち、初めの)2つの分数しか書いてなくて、『−2/5』が抜けた。」

 しかし、反論あり。

「途中は抜けても、次は書いているから、それでいいじゃん。」

 おっ。いいぞ。

 おもしろくなりそうだ。


 しかし、そこから先、発言が続かない。プツンと切れてしまった。


 仕方がない。わたしから、

「みんなは、『=(板書を指さしながら、)』の意味をどう思っているのかな。これ(左辺を指さしながら、)の答えが、ここ(同じく右辺)に書かれると思っているのかな。」

 すると、Fちゃんが続けてくれた。

「『=』をはさんで両方が同じ大きさにならなければいけない。同じということだから。『−2/5』がぬけちゃうと、(=の)右と左が、同じ大きさにならないから、ダメ。」    


 以下のやり取りは省略させていただくが、


 ただし、最終的なおさえは、『見た目、二つ目の解法に似ているが、実質は一つ目の解法と同じ』とした。


・そして、四つ目も、すみません。

 これも、本記事は、だいぶ長くなってしまったので、考察ともに、次回に譲らせていただく。



〇以上、

・よどんだ時間というか、ムダに時間が過ぎてしまうことのないようにするとともに、

・わざわざ誤答を出されて、みんなの前で恥をかかせられたという思いになることのないようにし、

・しかし、少しでも豊かな思考力を発揮できるような授業を組み立てるといった、

そういう授業の構築を目指した。


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 それでは、本シリーズは次の記事が最終になると思いますが、4つ目の解法を示すとともに、本授業の考察を書いてみたいと思います。

 あっ。拙ブログの次回記事はちょっと他のことを書かせていただこうと思っています。

 あしからず、ご了承ください。



rve83253 at 22:42│Comments(4)TrackBack(0)算数科指導 | 授業

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この記事へのコメント

1. Posted by 南風   2010年06月11日 07:06
6年担任です。子どもたちの学び合いを通して、学級ができていく気がします。
2. Posted by toshi   2010年06月12日 16:26
南風さん
 お読みいただき、ありがとうございます。
 おっしゃる通りと思います。学び合い学習の大切さをおっしゃっていただきました。指導者の適切な支援を得た学び合いを通し、子どもたちは、民主主義社会における『生きる力』を獲得していくのだと思います。
3. Posted by kuno   2010年06月17日 15:06
5 いつの頃からか分かりませんが、何かを問うたとき「習ってません」という返答が増えてきました。もちろん「○○は習っていますか?」という問いではなく、「この問題、どんなふうに考えようか?何か気づくことはないかな?」というような問いに、です。
数学でいうと、新しい記号や概念を理解する段階もありますが、その時(あるいはその前後に)必ず、以前に考えた問題と関連づけるはずです。そこで、新たに記号化、概念化を行って、次のステップの表現が生まれ、思考が広がるのだと思います。全く1から新しいことを習っているのではないと思います。
しかし、このことが忘れ去られていることを改めて思い出すことができました。ありがとうございます。
ただ、最近の大学生からは、試験・単位認定が終って、新たな学期に入ったとき、前学期の事項と関連づけてその発展を説明しようとすると「前学期の事柄を覚えておかなくてはならないのですか?」という言葉も聞かれます。前学期の内容がすべて無駄(学生にとっては単位取得という利益があった?)に終ったようで悲しいです。
4. Posted by toshi   2010年06月18日 05:52
kunoさん
 そう。算数(おそらく数学も、)の教科書が非常にうまく作成されていると思うのは、新しい学習に入っても、既習内容か生活経験で解くことができるということなのですね。
 しかし、《新しい記号や概念を理解》し使うようになれば、便利だったり早かったり楽だったりするわけです。それを実感して解くことができる授業であれば、子どもたちは楽しく学んでいくことができるのではないでしょうか。
 もう一つ。中学生、高校生ともなれば、それらは、数学者などの先人が獲得していった数学史とでもいいましょうか、そういうものをたどっているのだということも感じるのではないかと思います。
 もちろん、先人が整然と秩序だって獲得していったわけはなく、試行錯誤や失敗なども繰り返したことでしょう。子どもだって、自力解決・練り上げのなかでは、同様なことがあるわけです。
 kunoさんご指摘の大学生の件は、思考軽視で、知識・技能等を断片的、非連続的にしか学習してこなかった姿が浮き彫りになっていて、なにやらむなしさを覚えますね。
 

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