2010年06月12日

屋根に咲く花(教科学習の総合化)4

2b582fe2.JPG 2年生の国語。

 初任のAさんの学級は、説明文の『たんぽぽのちえ』を終えたところである。


 ところで、本記事では、

 子どもの想いを大事にし、それをジクに学習を進めようとすると、国語にとどまらず、他教科とも深くかかわっていくことを述べる。

 それは、『教科の学習の総合化』といえるものであるが、ここは、2年生であるために、生活科にかかわることになる。


 国語学習の総合化については、つい先日も記事にさせていただいた。

 大村はま先生の著作をもとに、わたしが考察を加えた記事である。ご参考までに、リンクさせていただく。

  『日本の教師に伝えたいこと』を読んで (2) 単元学習をめぐって


 『教科の学習の総合化』と『単元学習』。

 それは同じ教育観にたつ。

 子どもの生活をとらえ、その生活に立脚し、生活力を高めようとする。


 しかし、双方のニュアンスは若干異なる。

 『単元学習』が子どもの生活を丸ごととらえ、子どもの生活のまとまりという観点で単元構成するのに対し、『教科の学習の総合化』は、あくまで教科の学習に足場をおき、そこにうまれる子どもの想い、発想を生かして、その教科の枠外にまで学習を進めていこうとする。


 ここは、冒頭述べたように、国語の説明文の教材『たんぽぽのちえ』でうまれた子どもの想いを生かし、発展させていこうとするので、『教科の学習の総合化』ということになる。



 しかし、そのことにふれるまえに、話題をそらしてしまって申し訳ないが、

 読者の皆さんには楽しくお読みいただけると思うので、『たんぽぽのちえ』の教材文で抱いた、Aさんの学級の子どもたちの、『初発の想い』をご覧いただこう。


〇まず、子どもの想い、感性が豊かに表現されているものである。

『お日様が当たって、たんぽぽがとてもきれいに咲いている。(挿絵からの想いと思われる。)』
『どんどんたんぽぽが咲いていく。楽しそう。』
『すぼんでしまって、かわいそう。』
『痛くないの。タネをどんどん太らせてしまって。』
『たんぽぽってやさしい。倒れてタネに栄養をおくる。』
『悲しい。雨の日は、(綿毛のらっかさんを)飛ばせない。』
『よかった。かれていなくて。白い綿毛になった。』


 このような子どもの情動を大切にし、

・たとえば、

「ああ。ここのところで、Bちゃんは悲しいと思ったのだね。ところで、他の子はどう思ったかな。」
というようにして、『悲しいと思ったわけ、思わないわけ』を出し、読みを深める学習に入っていく。

 また、上記、『痛くないの。』と『やさしい。』のように、同じ場面でまったく異なる想いを抱く子たちがいれば、
「みんなは、Cちゃん、Dちゃんのどちらの想いに近いかな。」
と問いかけて、これも、読みを深める学習に入っていく。 


〇次に、子どもたちが一番多く書いたのは、

 『この説明文を読んで分かったよ、発見したよ、物知りになって得したよ。』などということだが、申し訳ありません。これはお話の内容のコピーに近くなってしまうので、ここでは省略させていただきます。

 なお、冒頭のリンク先には、このお話の本文があります。


 ただし、一点だけ、ふれさせていただく。

 『雨でぬれると、背が長くなることが分かった。』というように、誤読しているものがあった。違う場面に書かれていることをごっちゃにしてしまった。こうした誤読については、読みを深める過程で正していくことを指摘させていただこう。


〇最後に、疑問のかたちで書かれたものにふれたい。

『何でジクが倒れたり起きたりするの。』
『どうして綿毛は雨の日はしぼむの。』
『飛ばしたタネは、植えていないのに、どうして育つの。』

 上2つは、説明文を読めば分かることだ。本文に書いてある。

 だから、この疑問をとり上げ大事にすれば、読みを深めることができる。これを書いたEちゃん、Fちゃんの疑問を提示すれば、『分かる。分かる。』『それは、書いてあるよ。』と言って、元気に手を挙げる子たちの姿が想像できる。

 現に、授業は、そうなっていった。


 
 さて、問題となるのは、3番目。Gちゃんの、『飛ばしたタネは、植えていないのに、どうして育つの。』だ。

 「ほんとうだね。ただ飛んだだけで、人が植えたわけではないのに、どうして育つのかね。不思議だね。」
と応え、本文を読みこむようにする。

 ところが、残念。これは、本文に書かれていない。だから、分からない。


 そう。国語の読みの学習としては、解決しないのだ。

 でも、『書かれていないから、分からない。』ことを確かめた。これも、国語の学習としては大切なことだろう。

 子どもの想いを大切にして進めるからこそ、可能になる学習だ。

 
 指導者としては、
「ああ。残念だったね。せっかくのGちゃんの疑問だったが、書いてなかったよ。分からないままになっちゃったね。」
と言わざるを得ない。




 さて、問題はここからだ。

 冒頭述べた、『教科の学習の総合化』の話に入るわけだが、


 ここから先は、Aさんの学級において、まだ、実践していない。これからの課題となっていく。


 そこで、現段階においてAさんに話したことは、


〇Gちゃんの疑問は、国語の学習として本文を読むなかでは解決できないことを、学級のみんなで確認した。そうした過程を経たため、今や、Gちゃんの疑問は、多くの子が共有する疑問となった。疑問がふくらんだと言える。

 こうして、Gちゃんの疑問は、学級の学習問題になっていく。


〇Gちゃんの疑問は、生活科において、あるいは、家庭生活において、これまで経験してきた栽培活動の結果、抱いたものとみることができよう。つまり、『人が植えないものは育たない。』という意識が、子どもたちにあるのではないか。


〇ところが、この校舎内には、たんぽぽではないものの、とても人が植えたと思えないところで、見事草花が生長している事例もみられる。しかも、それを、日常、子どもたちは見ているはずである。


〇こうして、学習を発展させることができる。

 それは、もはや国語の領域ではない。生活科の栽培活動を中心とした学習のなかで、Gちゃんたちの想いを大切に扱い、さらに、深化させていきたい。


9a0ee18f.jpg この場合、生活科の学習内容としては何が考えられるだろう。


 それは、次のようなものではないか。

・同じ日に同じように植えても、植物の育ちは一様ではないだろう。なかには芽が出ないものもあるかもしれない。その一方で、上記のように、まったく人が植えたと思えない場所でも育っていく・・・ものもある。

・その場合、Gちゃんは『どうして育つの。』と言っているが、植えなくても育つわけを追求する必要はない。Gちゃんにしたところで、これは、『驚き、不思議さを表現したもの』と思うのだ。

 だから、ただただ、生命の神秘、不思議さ、偉大さにふれさせればいいのではないか。

・と同時に、『ふだん何気なく見ていて気づかないことからも、すばらしい気づきにつながることがある』ことが分かり、それは、よく観察しようとする契機になることが期待できる。


〇学習の流れがあるから、『必ず、そうしなさい。』というわけではないが、

 たとえば、

「草花は、土のあるところで育つのかな。コンクリートのところでも育つのかな。」

と問えば、

「コンクリートのところで育つわけないじゃん。」

と答えるであろう。

51872980.JPG そこで、左のような写真を見せる。これは、子どもたちがふだんよく通るスロープや階段で目に入っているはずの光景だ。

 しかし、ふだんはなかなか気づかない。

 そこで、こうした学習の流れをしくめば、子どもたちの、『ええっ。』『なんでえ。』の想いは、ものすごいふくらみをみせていくであろう。


 そして、

 一瞬、『コンクリートのところでも育つことがある。』と思った子どもたち。しかし、よく観察すれば、実は、そのさけめなどに見られるわずかな土のところで、草花が生長していることに気づくであろう。

 ますます、生命のたくましさ、すごさ、偉大さを感じるのではないか。


 そのような思いを語った。

 初任者のAさんも目を輝かせて聞いてくれた。


 さあ、近いうち、そうした学習に入るであろう。楽しみだ。


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 おもしろいことに、Aさんも毎日通る階段から見える、『屋根の上の花』に気づいていませんでした。

42e82a39.JPG「ええっ。そんなところに花が咲いているのですか。」

 でも、人のことは言えません。わたしだって、このブログを始めるまでは似たようなものでした。

 ブログを開設させていただいて、写真を毎回貼り付けるようになって、それで、よく身のまわりを見るようになったといえそうです。

 なお、右の写真は、冒頭の写真をズームアップしたものです。ただし、撮影日は、冒頭のものよりちょっと後になります。


 最後に、本記事のテーマ同様、『教科の学習の総合化』を書いた過去記事があります。よろしければご覧ください。リンク先の、『その3』『その4』が深くかかわります。

    子どもって、いいなあ。 



rve83253 at 15:28│Comments(2)TrackBack(0)生活科指導 | 問題解決学習

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この記事へのコメント

1. Posted by 飯村蒼丘   2010年06月14日 22:52
5 ブログをいつもたのしみにしております。
子供の感性はとても大切にしていきたい大事なものですね。
手前味噌ではありますが、わたしも「犯罪被害者の声と子供の詩を書道で伝えるボランティア活動」を実施しております。
多くの人の豊かな心を伝えられるよう、是非ご紹介頂けると幸いです。
2. Posted by toshi   2010年06月15日 01:19
飯村蒼丘さん
 コメント、ありがとうございました。
 真剣に学び、伸びようとしている子どもの表現は詩そのものであると、よくそのように思います。
 貴ブログを拝読しました。書の心を感じました。すてきですね。
 『子どもの無限の可能性』。わたしも心よりそう思います。
 今後とも、どうぞ、よろしくお願いします。
 

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