2010年06月17日

行政マンが校内研究会に!4

40495de4.JPG 教育現場に身をおくものとして、とてもうれしくなった。


 ある日、我が地域のA小学校校内授業研究会におじゃました。

 すると、校長がすぐ教えてくれた。

「今日は、他校から、7人の教員がおみえになります。

 また、それとは別に、突然の話だったのですが、何人か、教育委員会の方も、おみえになるということです。どうも、教育委員会のお話ですと、教職経験のある方ではなく、生粋の行政マンが中心になるとのことです。まったく学校のことや研究会のことが分からないので、勉強させていただきたいとのことでした。」



 さて、その目的は、

〇他校からの参加は、A小学校の場合、常態化している。広く地域全域に、校内研究会を案内し、参加を呼びかけている。『ミニ研究発表会も兼ねている。』といったらいいだろうか。

 校内研究会に参加していただくことにより、研究の成果や課題を共有したいということだろう。

〇もう一つ。

 近年、全国各地で、まったく学校現場を知らない行政マンが教育行政に携わり、それらが独断専横的に諸施策を講じるということがめずらしくなくなってきた。

 拙ブログにおいても、何度となく記事にしてきている。

 今、一つだけリンクさせていただこう。

    現職校長が語る、学校の実態と課題(1)


 この記事を、要約すれば、

 『各学校には学校として長年実践蓄積してきた教育財産ともいうべきものがあった。しかし、近年、教育行政府(教委)のしめつけがきびしくなり、それが学校教育現場をふりまわすようになり、その教育財産は破壊されつつある。

 ところで、我が地域の場合も、似た傾向はあった。

 しかし、それが、学校現場をしめつけるまでには至らないうちに、ここ数カ月の動きだが、学校現場重視の方向に戻りつつある。』

となるだろうか。 

 冒頭のA小校長の話は、『行政の現場重視』のあらわれのように思われた。それで、うれしくなったわけだ。


 教育委員会からは、8名の方がおみえになった。

 そのうち教職経験ありは2名。Bさん、Cさんである。

 Bさんは要職にある方、Cさんは指導主事だ。あとの6名はまったくの行政マン。役所畑を歩んでこられた方々とのことであった。


 Bさん、Cさんからうかがえたのは、次のようなことだ。

 現場を知らない者は、研究授業の何たるかをまったく知らないし、理解することができない。だから、数か月前までの、学校現場軽視のころは、以下のようなことを平気で口にしていた。

・なぜ他校から校長が来て、指導するのかが分からない。自分の学校なのだから、そこの校長が指導すればいいではないか。(まあ、わたしがA小で指導する分には、退職している身だから、これには当てはまらないがね。)

・子どもたちを自習にしてまで、全校教員が、研究授業のクラスに集まることが分からない。それは、多くの子どもを犠牲にしているのではないか。

・勤務時間内に研究会と称して集まり、いったい何を話し合っているのか。


 しかし、数ヶ月前に現場重視の方向に移行してからは、『わたしたち行政に携わるものも、学校の授業研究会に参加させていただき、現場の先生方と思いを共有できるようにしたい。』と言うようになった。

とのことだった。



 数か月前までについては、『現場のことは分からない』以上に、教員への不信があるように思われた。

 これは、わたしが、行政マンの思いを勝手に解釈するのだが、

・研究会は、教員の自己満足のためにあるのではないか。

・だから、仕事とは認められない。勤務時間外にやればいい。

・教員は、教育委員会の指示にしたがって、仕事をすればいいのだ。

 そんな思いをもっていたのではないか。


 まあ、冒頭のリンク先記事から推測できるのだが、

 全国の、

 行政マンが教育行政を独断専横的に行っている地域では、こういう認識のもとで、教育行政が営まれているのだろうね。現場を無視し、独特の教育観でもって、現場をしめつけているのだろう。


 我が地域の場合、そうではなくなった。

 上記の、『研究会に参加したい。』という声が聞こえてきたとき、Bさん、Cさんは言ったようである。

「それなら、近日中に行われるA小学校の授業研究会にご案内しましょう。何より、現場を見るのが一番いい。」


 それで、この日を迎えることとなったわけだ。


 わたしは、以上の話をうかがい、うれしくなるとともに、冗談ぽく言った。

「そういうことですか。これは、これは。・・・。研究会での指導講評もがんばらないといけないね。・・・。ああ。緊張してきましたよ。」

 少なくとも、行政マンに、『研究会は、何のために行っているのか。』を理解してもらわないといけないものね。急ではあったが、そういう視点も盛り込んだ指導講評をしたいと心から思った。



 すみません。ここでお詫びを。

 ほんとうなら、このあと、A小学校での研究会の様子、そして、それを行政マンに分かるようにどのように訴えたかという話にいくべきでしょうが、それは、次回に譲らせていただきたいと思います。


 ここでは、A小学校の研究テーマをご案内させていただくとともに、『研究会は、教員の自己満足のためではなく、教員の指導力アップを目的として行う。』のであり、それは、子どもの『生きる力』を育むことにつながるのだということを指摘させていただくことにとどめたいと思います。



 そこで、

 A小の研究テーマだが、

 問題解決力をはぐくむ学習の総合化のあり方を探る
  〜子ども同士の関わり合いの充実を目指して〜

である。


 読者の皆さんは、『あらっ。』と思われたかな。


 そう。まだ湯気がたっているかもしれない。

 前記事がまさに、『教科の学習の総合化』の具体例を示したものだったよね。

 それは、国語の発展したものだったが、A小の場合は、生活科、社会科をとり上げての研究なので、その総合化である。


 もう、ご理解いただけるであろう。研究会は、教員の自己満足のために行うものではないことを。

・教員は、子どもの想いを大切にしなければならない。子どもの想いを大切にして学習を進める力をもたなければいけない。教員の独善的な指導であってはならない。

・教員は、事象をよく見る力をもたなければならない。教科書のみをたよりとして、教科書を教えれば済むという、そんな教員であり続けてはならない。

・ ・・・。


 わたしは知っている。

 かつて、まったく研究授業を行っていなかった地域があることを。

 その地域の教員は、何十年教員生活をおくっても、自己流の指導法から抜け出せないままでいることを。

 そして、驚いてしまうのだが、そのなかには、きわめて少数ではあるものの、まったく大学同様の、講義そのものといった一方的な授業を小学生相手に行っている教員もいるのだ。

 これでは、A小の研究サブテーマにある、『子ども同士の関わり合いの充実』など、望むべくもないよね。


 わたしにしたところで、教員になった時点から、今のような教員であったわけではないこと。自明のことだ。

 長年、研究授業を行い、子どもの見方、子どもの切実な思いの養い方、子ども同士の関わりを豊かにする方策、そうした研鑽をつみ重ねてきた結果として今がある。

 第一、研究・研修は、教員の権利であり義務ではないか。法律にもそう書いてある。これが、仕事でないわけがない。

 特に、今という、一部、学校の荒れなどといわれる時代を考えたとき、研究授業の必要性、なかでも、教員の指導力アップがいかに切実であるかは、こうした事例からも明らかであろう。

 
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 今年は例年になく、校内研究会におじゃますることが多くなっています。10校近くなるかな。

 ご承知のように、今は、学習指導要領の改訂期。各学校の教育課程も改訂を迫られています。そのせいでしょう。


 そう言えば、今、教員の教育課程編成力も落ちているといわれます

 よその学校のコピーに過ぎなかったり、子どもの実態に合わない、マニュアル的な問題解決的学習にしてしまったりすることもないわけではありません。

 研究授業も、真に教員の指導力アップを実現するものでなければ、絵に描いた餅になってしまいます。

 市民、教育行政に訴える力をもつ、研究会にしたいものです。


 そして、教育行政は、そうした支援も行ってほしいものです。 

rve83253 at 06:18│Comments(6)TrackBack(0)教育制度・政策 | 教員の指導力

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この記事へのコメント

1. Posted by Mr.ブラック   2010年06月18日 13:43
久しぶりに寄らせていただきました。
また、遊びにきます!

明日は、墨田区の小学校の
公開授業にいく予定です!

応援ポチ連打♪

ブログは下記です!
学歴なんかふっ飛ばせ
http://blog.livedoor.jp/gakureki/
2. Posted by toshi   2010年06月19日 05:00
Mr.ブラックさん
 いつもご覧いただき、ありがとうございます。
 授業研究会は、授業の腕を磨く格好の機会ですから、わたしも、応援させていただきます。
 我が地域は、学歴など、むかしから、ふっ飛んでいます。わたしにしたところで、教員養成系の大学出身ではありません。そういうものに左右される人脈中心主義は嫌ですね。
3. Posted by 伊藤   2010年06月21日 18:26
こんにちは。
しばらく模擬授業の準備をしていたので、コメントは控えておりました。

模擬授業で小学校向けの授業をいくつかしている最中です。

板書、ワークシートの作りこみ、教材選びなど現場と比べれば些細なものですが、本当に一言一句が命取りになりかねないことを附属の先生から指導されております。

いきなり、教壇に立って教師になることはやはりできません。指導書を丸々移せることもできますが、ひと手間加えてどこを面白くするのかなど考えれば考えるほどきりがないことです。
生活科、音楽科、社会科、わたしの本来の専門である家庭科とどれを取っても、うまくいきません。(苦笑)

宝探しのように過程まで楽しく学べる教育は本当に大変です。けれど、知らないことを知るということは私には何事にも代えがたいことです。そんな経験を伝えたい。その思いは変わりません。

ただ、現場の先生から楽しそうだねと言われたことを大事にして、今後も頑張りたいと思います。
4. Posted by toshi   2010年06月22日 06:04
伊藤さん
 ご多用中にもかかわらず拙ブログをご愛読賜り、ありがとうございます。
《考えれば考えるほどきりがないことです。》
 ほんとうに、行政の方々にご理解いただきたい一番は、このことだという気がします。
 勤務時間で切り売りできない点でもありますね。そう言えば、わたしたち、研究に明け暮れしていたころは、勤務時間を超越して仕事をしていたと思います。
 教員に限らず、教材づくりをされる方々も同じだということ、よく分かります。
 そうしたなかで、仕事の苦しみ、悩み、不安などとともに、達成感、喜び、いきがいなど、そういったものをより強く味わうことができるのですね。
 
5. Posted by S   2010年06月29日 01:50
日教組と戦う政治家、期待できる政治家を知りませんか?
6. Posted by toshi   2010年06月30日 06:27
Sさん
 さあ。すみません。政治家の知り合いはないもので。

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