2010年06月22日

6年生の学級での初任者指導(3)4

69c31433.JPG 本記事はシリーズとなっているので、そちらをご覧でない方は、(1)からお読みいただければ幸いである。本記事は、それらの補足とさせていただきたい。
 
 なお、(2)には、kunoさんから大変示唆に富んだコメントをいただいているので、それにもふれさせていただこうと思う。

 

〇初めに、『心を揺り動かされる導入にしたい。』と書かせていただいた。

 しかし、これにはちょっと注釈がいるね。

 なぜかというと、『心を揺り動かされる導入』自体は、意欲的に学び合う学級においても必要だ。小学生の学習なら、なおさら、大事なことであろう。こういう導入をはかれば、意欲はさらにまし、興奮状態を招くこともある。

 ただ、言えることは、意欲が乏しい学級の場合、指導者である担任が、意図的にそういう場を演出し、しくむ必要がある。

 わたしは、かつて、『しくむ。』といった場合(リンク先記事では、『しかける』と表記)、指導者の演出は子どもの目にみえないかたちでと述べたが、意欲の乏しい学級でそれを喚起するに当たっては、『しくむ』はたらきが子どもの目にみえても、かまわないと思っている。


〇比較、関連思考を養うことが大切である。

 思考力を養う場合、まずは、比較、関連思考を重視するのがよいように思う。そうすれば、とっつきやすくなるはずだ。

 本シリーズの(1)の場合、2年生の『たし算で解く』(既習内容で解く)のと『かけ算九九で解く』(当該単元で学ぶ解き方で解く)ことは、異分母分数の計算の場合に、どう関係づくか。

 こうしたことを考えるのは、比較的、学力の低い子どもも、ついていくことができる。また、高い子どもにとっては、その普遍性を考えることができる。

 思考力をはたらかせること、それ自体が楽しいのだ。充実しているのだ。こういう意欲に乏しい学級の場合、そうした学習になれていないだけに、新鮮な思いにもなるようである。


 その証拠と言っては何だが、

 本シリーズの(2)で、次のように書かせてもらった。

 
 『〜。でも、・・・、いや、このこと(分からない子どもに対しては、個別に対応していくしかないようにみえるということ)では、補足したいことがある。それは、次回記事で、再度、とり上げさせていただこう。』


 お待たせしてしまいました。では、このことにふれてみましょう。


 彼ら、『分からないからといって最初から投げ出してしまって解こうともしない』子どもたちも、こういう思考力を大事にした授業においては、けっこう反応するのだ。

 直観的思考がはたらくといってもいい。本授業の場合でも、

〇「3つとも分母をそろえることなんかできるの。」
△「できるよ。3つの数の最小公倍数を出すのは、やったじゃん。」

〇「(かけ算を習っていないのなら、)たせばいい。」

などのような〇印の発言は、覚えること中心の授業のなかでは、あごをだしたり机につっぷしてしまったりしているような子どもの発言である。 


〇わたしは、常々、拙ブログにおいて、『子どもの発言を強要してはならない。』と言っている。子どもの、『分かるけれど、言いたくない。』という自由は認めなければならないとも言っている。

 しかしだからといって、まったくの『お客さん状態』のままでいいとも思わない。

 そこで、発言意欲の乏しい学級においてはジレンマにおちいる。


・わたしは、本シリーズの(1)に、『けげんそうな表情の子たちに、どう。言ってみる?とばかり、表情で促した。が、やはりおっくうがって、挙手する子はいなかった。』と書いた。

 そう。このくらいの刺激は与えるのだ。

・また、次のようにも書いている。
 『こういう場合、どうしてもわたしの口数が増えてくる。それはやむをえないだろう。でも、できるだけ、子どもたちの発言を促す方向での言葉かけを心がけたい。
 そうしたら、ニヤッとしたFちゃんが目に入ったので、Fちゃんに言ってもらうことにした。』

 このように子どもの表情の変化に敏感になること。それが大切だ。そのうえで、
『どう?言えそうかな。』『言ってみる?』『無理なら言わなくていいよ。』などという言葉かけを大切にする。


〇本授業に関し、わたしには、一大反省事項がある。

 それは、『かっこはいらない。(かっこは)必要ないんじゃない。の声がでた。』のところだ。

 わたし自身が、子どもの『かっこをつかう。』という発言に対し、『これは誤答』という思いでしかとらえていなかった。だから、そのようにしむける言葉かけをしている。

 しかし、(2)で紹介したように、3つ目の解き方として、

1/2 + 3/4 − 2/5 = 2/4 + 3/4 − 2/5
                 = 5/4 − 2/5
                 = 25/20 − 8/20
                 = 17/20   

というのがあった。

 この場合、もちろん(  )をつかっていないけれど、また、つかうべきではないけれど、


 でも、考え方としてなら、

 3ついっぺんに計算するのは大変だから、『まずは、最初の2つの分数だけ取り出し通分して計算し、その後で、その答えと3つ目の分数と通分し、計算する。』という、そういう考え方を示す意味で、まさに、頭のはたらきとして、『(   )をつかう。』というのなら、これは、誤答とは言えないことになる。


 ふだん、『思考力を養うことが大事。』といっているわたしが、はなから、これを誤答と決めつけてしまったのは、まずかった。

 上記解き方を扱っているとき、わたしはこう言えばよかったのではないか。

『さっき、かっこをつかうというのを間違いとしたけれど、確かに、かっこを書いてしまえば、不要なものを書いたという意味で、間違いなのだが・・・、

 でも、どうだろう。この解き方は、頭のなかでは、かっこをつかっていることにならないかな。最初の2つだけの計算をしているのだからね。』


 ああ。この発言をした子へ。ごめんね。

 そして、『思考の柔軟性』を養うチャンスだったという意味では、学級の子たちへ。ごめんね。


〇わたしは常々、『どの学力の子にも合わせた授業をしなければいけないよ。』と述べている。それを端的に言えば、思考力をはぐくむ授業にすることだ。

 本授業の場合、どちらかと言うと遅れがちな子どもは、比較、関係づけながら、3つの異分母分数の計算の解法を身につけたことになる。

 そして、学力の高い子は、それはもちろんだが、解法の普遍性にまで迫る理解をしたのではないかと思われる。


〇最後に、(2)に、kunoさんからいただいたコメント3番にふれさせていただきたい。上述のように、大変示唆に富んでいる。


・まず、
 『いつの頃からか分かりませんが、何かを問うたとき「習ってません」という返答が増えてきました。もちろん「○○は習っていますか?」という問いではなく、「この問題、どんなふうに考えようか?何か気づくことはないかな?」というような問いに、です。』
とのこと。

 これについては、わたし、強烈に思い出すことがある。

 もう30年以上も前のことになってしまった。

 ヤクルトスワローズが広岡達朗監督だったときの話だ。同監督は、同チームを日本一に輝かせた実績をもつ。その同氏が辞任後に、それ以前の、何ともぬるま湯的で覇気のなかったころのチームの雰囲気を言う。

 「プロ野球と言えば、野球で飯を食っているわけだ。二軍なら、なんとか早く一軍にはい上がろうとがむしゃらに努力するのが当然なのに、そうした気持ちがないようだった。

 『〜できなきゃだめじゃないか。頭をつかえ。』というと、選手のなかに、『それはまだコーチから教わっていません。』と答えるものがいた。あぜんとしたものだ。向上心というか、ハングリー精神というか、そういうものがまったくなかった。」

 そう。目的意識を強烈にもっているはずの二軍選手でこのありさま。

 それなら、子どもがそう言うのも、いかんともしがたいか。


・次に、

 『数学でいうと、新しい記号や概念を理解する段階もありますが、その時(あるいはその前後に)必ず、以前に考えた問題と関連づけるはずです。そこで、新たに記号化、概念化を行って、次のステップの表現が生まれ、思考が広がるのだと思います。』
なる言葉。

 ああ。わたしが記事でした足らずだった部分を、的確に書いてくださった。

 そう。記事中の、『×(かける)』は、まさに、新しい記号や概念の理解だったわけだね。

 そうして、

 『これまでのやり方でも解けるけれど、今、新たに学習した内容を駆使すれば、便利だったり、早かったり、能率的だったり、楽になったりする。』ことを理解してほしいわけだ。

 これは、知識・技能の習得ではない。まさに、『学び方』『生き方』にかかわる理解であろう。

 先ほど、『子どもがそう言うのもいかんともしがたいか。』と書かせてもらった。しかし、そのようなことはないね。kunoさんも、なんとか、『学び方』『生き方』にかかわる理解をと、がんばっていらっしゃるに違いない。


・そして、最後に、次の言葉。

 『ただ、最近の大学生からは、試験・単位認定が終わって、新たな学期に入ったとき、前学期の事項と関連づけてその発展を説明しようとすると「前学期の事柄を覚えておかなくてはならないのですか?」という言葉も聞かれます。前学期の内容がすべて無駄(学生にとっては単位取得という利益があった?)に終ったようで悲しいです。』


 ああ。

 これは、まさに、比較、関連思考が成立せず、

 それは、すなわち、『思考する楽しさ』、『比較したり関連づけたりして考えると楽に身につけることができること』などが分かっていない姿だね。

 きゅうきゅうとして、覚える学習に専念してきたことの結果ではないか。


 初任者のAさん、Bさんには、ぜひこのことに思いをいたし、その轍を踏むことのないよう、衷心よりお願いしたい。


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 これまでの6年間の初任者指導をしていて思うのは、最初はほとんどの初任者が、『覚えさせよう、理解させよう』とするあまり、指導する側の説明に走りがちだということです。正解主義、能率主義、記憶中心主義と言ったらいいでしょうか。

 しかし、それでは、ほとんどの子どもたちをひきつけることができず、能力の高い子どもしかついてこれなくなることを実感するようになります。

 そうして、思考力をはぐくむこと、子どもが活躍する授業にすることなどの大切さを、子どもの取組の違いから、学んでいくようになります。


 ここで、わたし自身のむかしをふり返ってみましょう。ちっとも発言しようとしない学級を受け持ったとき、そういう学級で、どのように意欲的に発言しようとする学級を築いていったか。

 次の過去記事をご覧ください。

  物言わぬ子どもたちに対して 問題解決学習の問題点(3)




rve83253 at 05:37│Comments(0)TrackBack(0)初任者指導 | 指導観

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