2010年06月26日

市民参加の授業研究会への期待!!4

b240c887.jpg 前々記事でとり上げた、A小学校授業研究会への行政マンの参加。

 教委要職にあるBさん、同指導主事のCさんの話によれば、今後、我が地域においては、こうしたことが、組織的、計画的に行われるようになるらしい。

これは、画期的なことではないだろうか。特に、拙ブログに寄せられる全国各地の声、また、今日さんのブログなどを拝読すると、よけいその感を深くする。なにしろ、前々記事に書いたように、
 『近年、全国各地で、まったく学校現場を知らない行政マンが教育行政に携わり、それらが独断専横的に諸施策を講じるということがめずらしくなくなってきた。』
のだからね。


 そのようななか、我が地域のように、地方教育行政府(教委)と学校教育現場との相互理解、協調・協力関係が進むのなら、それは、すばらしい学校教育の創造につながっていくであろう。

 そう思わせた。



 もう一つ。

 今回、行政の方6人は、研究授業、及び、授業研究会に参加されて、どのような感想、ご意見をおもちになっただろうか。

 初めての参加ゆえ、遠慮されていたのだろう。その研究会の席上で、うかがうことはできなかった。でも、後日、やはり、Bさん、Cさんを通してうかがうことができた。

 うかがうと、それは、もう、『単に行政に携わる方々というはんちゅうを超え、市民・民間人の感覚といってもいいようなご意見、ご感想ではないか。』

 そのような感慨をもった。やはり、これからの授業研究会は、教員だけで行うのではなく、広く社会に公開し、みんなで研究し合う体制にもっていくことが必要なのではないか。その感を深めた。



 それでは、さっそく、それら、ご意見、ご感想を紹介させていただこう。また、本番の授業研究会ではなしえなかったわけだが、それらご意見、ご感想に対するわたしの想いも書かせていただこうと思う。



その1

 自分たちが子どものころと、授業そのものがまったく違う。よくあれだけ、子どもたちが自分の意見を発言するものだ。

 子どもたちは、本心からほとばしり出る自分の思いを言っているのだということがよく分かった。やはり、日ごろの学習の成果が現れていると感じた。

 意見が対立したり、友達の意見で考えを変えたりしていた。そうしながら、考えを深めていることもよく分かった。

 大人の議論がとかく不毛のまま終わることが多いことを考えると、子どものときからこうした力を身につけることは、とても大切だなと思った。

 ただ、言いっぱなしで終わってしまったようで、本時、何が学べたのか、何が身についたのか、そういうことを確認しないまま終わってしまってもいいのかとも思った。


 授業についての感想は以上だが、

 『ああ。みるべきところをしっかりみてくださっているな。』
まず、そう思った。と同時に、『これはすごい。あなどれないぞ。』という思いを強めた。


 なお、最後の問題提起に関しては、Bさん、Cさんが、答えてくださったようだ。


・こういう授業を展開していると、子どもたちは、学習問題を自分のこととしてとらえ、真剣に学び合っているだけに、いちいちまとめなどは必要としない。また、子どもたちの想いは多様であり、それらはまとめられるものではない。

 そうしたことより、子どもたちは、毎時間、一人ひとり、考えを深めるはずで、それをもとに、次なる問題意識へとつなげていくことが重要である。

・それと同時に、指導者のかまえとしては、

 おっしゃるように、本時何が子どもたちに獲得され、さらに、どのような問題意識が育まれたか、座席表に書きこむとともに、常にきびしく、確かな学びがあったのか、授業そのものを、みずから問い返す必要があるだろう。

 そう、お答えになったようだ。



 さらに、続きを。

 授業内容についての、具体的なご意見である。



その2

 4年生の社会科だった。地域の水道を学ぶ。この研究授業までの学習の流れを簡単に記すと、

・毎日何げなく使っている水ではあるが、自分たちの身のまわりの水を調べると、たくさんの水をつかっていることに驚き、

・その水はどこからどのようにして自分たちの生活に届いているのかの学習につながっていった。

・すなわち、都道府県内を流れるD川、E川の水をF浄水場できれいにし、わたしたちのまちに届けられるのであるが、

 その学習にあたっては、F浄水場で働くGさんに焦点を当てて、学習を深めていった。

・その学習と並行させるかたちで、

 これこそが、教科の学習の総合化と言えるのであるが、F浄水場のはたらきと対比させる意味で、

 自分たちも、地域を流れるH川の水を汲み、自分たちで作ったペットボトルのろか実験装置をつかい、水を浄化する活動を行った。

・そして、本時はまず、F浄水場では、Gさんを中心に、50項目、160種類に及ぶ検査を行っていることをとらえた。

 自分たちも浄化実験を行っているだけに、Gさんたちの『つくる水』に寄せる情熱等、強い思いを知り、『へえっ。なるほど。』『すごい。』というような感動を味うことができた。

・次に、これも教科の学習の総合化であるが、コンビニなどで売っているミネラルウォーターと水道水の飲みくらべを行った。

 どちらがどちらであるかは秘密にして、どちらをおいしく感じたかを発表したのであるが、やや水道水の方をおいしく感じる子が多かった。

 そこに値段も示した。片や百円以上、同じ量でもう一方は・・・、一円にもならない。『ええっ。』とびっくりする子どもたち。


 もちろん、そういう学習のなかで、子どもたちは活発に議論を展開したのであるが、その経過は省略させていただき、


 この授業をご覧になった行政マンの方々が抱いた思いは、

・水道水が、ダムをはじめとする施設等はもちろん、大変な手間をかけ、それこそ、『水が人の手によってつくられていること』や、『また、それにもかかわらず、ものすごく安価であること』に、子どもたちは素直に驚き、感動していた。 

・それはよかったのだが、担任のJさんは、『水道水は、そうした施設があることや手間をかけているのに加え、消毒しているから飲める。しかし、そうした消毒をしていない水は飲めない。』とし、そのように押さえたいようだった。

 しかし、それでいいのだろうか。

 ミネラルウォーターは、天然の巨大なろ過装置を経て得られた水といっていいだろう。そして、そちらは消毒などしていない。でも、飲むことができる。飲みくらべをしている以上、それも押さえる必要があったのではないか。

 そういうご指摘だった。



その3

 6年生の社会科。奈良時代の大仏づくりをとり上げた。単元名は、『大仏づくりにたくした人々の願い』とある。

 ここでは、学習の流れは省略させていただこう。

 ただ、2点、ふれさせていただきたいことがある。


・教科の学習の総合化という意味では、校庭に等身大の大仏を描き、それに自分たちがのったり、屋上から眺めたりした。

・本時もそうだったが、だいたいこのクラスは、半分くらいの子どもしか発言していない。そのことについて、担任のKさんは、『もっと発言する子をふやしたい。』という願いをもっている。



 この授業で、行政マンの方が指摘されたことは、

・本時の目標は、
『聖武天皇が大仏を建立し、仏教の力によって国を安定させようとした思いや願いに迫ることができる。』と、
『大仏造営には行基を代表とする渡来人の高度な技術、行基や多くの民衆の協力があったことを理解する。』となっている。

 これは、担任であるKさんが、本時、これを子どもたちにとらえさせようとし、設定した指導者側のかまえといっていいだろう。そして、そこには、それをとらえさせる意味での責任もあるはずだ。

 しかし、授業は、どうだっただろう。

 『自分なら大仏づくりに参加する。』とか、『自分は参加しない。』とか、議論は確かに活発に行われたし、資料として、『大仏造営の詔』や『聖武天皇の業績の分かる年表』などが、子どもから出されていた。

 しかし、それらを読み取った後も、『参加する。しない。』の対立は続いて、そのあとKさんから出た資料が、『行基の業績の分かる行動記録』となった。

 聖武天皇の業績がはっきり押さえられないまま、行基の業績となってしまったわけだ。

 それでよかったのだろうか。責任ある目標の押さえとなったのだろうか。



 さあ。ご指摘は以上だが、


 それでは、これら、行政マンのご指摘に対し、わたしの立場で、お答えさせていただこう。



その1

 重要なご指摘をいただいた。これは、まさに、拙ブログにおいても、大変重視して記事にまとめさせていただいているところである。

 最近も、大村はま先生の著作をもとに、『話す・聞く学力の育成は、民主主義的資質を養うという観点からも大切である。』ことを指摘したところだ。

 くわしくはそちらをご覧いただければと思う。



その2

 指導する側の、社会事象をみる目。

 子どもの発達段階。

 今現在、学んでいることは何かということ。

 そのようなことにかかわる話だろう。



・確かに、ミネラルウォーターは消毒をしないだろう。また、天然のろ過装置がきいて、その必要もない。いや。その必要のないものがミネラルウォーターとして販売されるのだろう。だから、そういう意味で、検査はするだろうね。

 だが、この学習では、あくまで、水道水の理解が主眼である。ミネラルウォーターは、教科の学習の総合化という意味で、水道水の理解をより確かなものにするために用意した比較材料にすぎない。この場合は、おいしさ、値段を比較したのだよね。

 だから、水道水について、『消毒していない水は飲めない。』と押さえるのは、至極妥当なのではないか。


 ただし、本学習において、子どもたちのミネラルウォーターへの関心は強まったに違いない。値段がまったく違うしね。

 『こんなに値段が極端に高いのに、人々は、なぜ、ミネラルウォーターを買い求めるのか。』という疑問ももったに違いない。

 だから、今後、このクラスにおいて、総合的な学習の時間に、ミネラルウォーターを主軸とした学びをとり入れるのは、きわめて自然なことと思われる。そして、その際は、『天然で巨大なろ過装置がはたらいていること。そして、消毒しなくても飲める水が販路にのること。』などをおさえることになるだろう。



 また、まったく別な見方をすることもできる。

 子どもの発達段階からして、『今は、このように押さえておこう。』でいい場合は多い。

・たとえば、小学校においてマイナスの計算はないから、『小さい数から大きい数をひくことはできない。』と押さえる。

・小学校において、太陽、月、星の動きの学習内容は、天動説であるといっていいのではないか。子どもの生活体験を大事にしての学習だ。動くのは地球ではない。

 単元名も、上記のとおり、『太陽、月、星の動き』だものね。



その3

 次は、大仏づくりの授業について、

 わたしは、行政マンの方とは違った見解をもつ。

 しかし、行政マンの方がおっしゃることも分からないではない。


 まず、違った見解の方から。

 聖武天皇の願いと行基の業績とは、無関係に存在したわけではない。

 担任のKさんから示された資料によれば、

 最初は、朝廷から、『百姓をまどわすこじきぼうず』などと言われ、行基の行動は許されなかった。しかし、後になると、聖武天皇に認められて、大仏造立の勧進をお願いされるようになる。

とある。


 子どもたちは、この資料によって、

「聖武天皇の願いって、よく分からなくなった。」
「そう。仏教の力によって、世の中を平和にしようと願ったはずなのに、最初、なぜ、行基が仏教を広めることを禁止したのだろう。」

「でも、最後は、大仏造立の勧進をお願いしたし、大僧正にまでしたのだから、やっぱり行基に感謝したのではないの。」

というような話し合いを展開していった。


 この場面での、行政マンの方の気持ちを推察するに、

 確かに、子どもたち、一律に、聖武天皇の願いを理解したとはならなかった。『ああでもない。こうでもない。』という話し合いは最後まで続いた。


 しかし、だからといって、『聖武天皇の願いがいい加減な理解のままで終わってしまった。』つまり、『本時の目標の聖武天皇にかかわる部分は達成できなかった。』とはいえないのではないか。


 たとえば、

 『聖武天皇の願いってよく分からなくなった。』は、かなり多くの子の想いになったわけだが、これって、聖武天皇の願いが理解できなくなったという意味ではないだろう。

 理解したからこそ、聖武天皇の行基への対応について、『矛盾を感じるようになった。』ということではないか。だから、矛盾を感じたという意味で、理解は増したのである。

 わたしは、そうとらえたい。

 そう考えると、担任のKさんが、本時の目標の聖武天皇に関する項に、『〜に迫ることができる。』とした点は、重要な意味を込めていると言えないか。

 そう。

 肯定的に理解してもいいし、矛盾を感じるという意味で理解してもいい。そのあたりは、子ども一人ひとりの想いにゆだねようとしている点がうかがえる。

 


 最後に、すみません。いくつか述べさせてください。


〇それにしても、水道にしろ、聖武天皇にしろ、どちらも、行政マンが指摘したことは、研究会ではまったくとり上げられなかったテーマである。わたしも、指導講評のなかで特に言及しなかった。

〇行政マンの方々が発言を遠慮されたのはよく理解できる。初めての研究会で、『学校現場で、どのような話し合いがなされているのか知りたい。』というお気持ちだったのだから、至極当然だ。

〇しかし、冒頭述べたように、我が地域では、今後、たびたびこういう機会があるに違いない。その際は、行政マンという立場以上に、市民、民間人を代表するといった立場で、教育専門職でない方々の率直なご意見、ご感想をうかがいたいものである。

 それが、教育専門職としての教員に、新たな目を開かせることになるかもしれないし、多様な見方を迫るようになるかもしれないし、とてもいいことのように思える。

 わたしは、かつて、ブログを始めさせていただいたころ、拙ブログに寄せられる、教員でない方々からのコメントに、大変新鮮で魅力あるものが多いと感じ、ちょっと興奮を覚えたことがある。

 それで、『他流試合(?)』なる記事を書かせていただいた。これと似た気分を、多くの教員が味わえるようになるのではないか。

〇もう何度も書いているように、これは、行政マンに限ったことではない。

 一般市民、保護者の方々にも、多いに参加を呼びかけるようにしたい。


 近年、我が地域では、研究授業を、授業参観同様、保護者・地域の方にも公開する学校が増えた。いいことだと思う。しかし、現状、授業だけご覧になってお帰りになる方がほとんどで、研究会にも参加されたという例は、きわめて少ない。

 これも、大いにご参加いただき、『我が子がどう』ということを離れ、よりよい授業を模索するという意味で議論に参加していただけたら、なお一層、市民感覚を大事にした研究討議となるのではないか。


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 先ほども、ちょっと記事でふれましたが、拙ブログに、多くの市民の方、保護者の方々からコメントやTBをいただけることは、まさに、学校教育現場の教育活動へ参加してくださっていることと同じかもしれません。



 昨日、やはり、ある学校の校内研究会におじゃましました。そこの校長先生に、本記事にかかわる話をちょっとさせていただきました。

 その学校も、地域、保護者の方々に、研究授業への参加を呼びかけているとのことでした。

 そして、校長先生がおっしゃるには、

「多くの保護者の方がお見えになります。研究討議まで参加される方は確かにいらっしゃいませんが、でも、うちは、アンケートを用意し、任意に答えていただいています。

 そうしますと、toshi先生がおっしゃるように、『授業の見方がするどいな。』『本質をついているな。』『教員もうかうかできないな。』と思えるものがけっこうあるのですよ。

 〜。」

とのことでした。

 
 こうした動きをますます活発にしていきたいものです。
 

rve83253 at 11:17│Comments(2)TrackBack(0)学校経営 | 教育風土

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この記事へのコメント

1. Posted by 今日   2010年06月28日 14:30

市民参加の授業研究会への期待!!・・・・・


***  僕も期待しています。
うれしいことです。

下記のこと、困ったものですね。
こういうのを吹っ飛ばすためにも、授業公開、いいでうすね。

<『近年、全国各地で、まったく学校現場を知らない行政マンが教育行政に携わり、それらが独断専横的に諸施策を講じるということがめずらしくなくなってきた。』

少しずつ、ブログ、再開します。
よろしくお願いいたします。
2. Posted by toshi   2010年06月30日 06:25
今日さん
 今日さんのブログ再開を大変喜ばしく思っています。日本の教育の再生のために、ともにがんばってまいりましょう。
 本記事のような動きが、全国的に展開されますよう、祈念しています。

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