2010年07月11日

おもしろかった授業(1)4

a6f612e7.jpg 先日、A小学校の校内授業研究会に招かれ、生活科の授業を見させていただいた。

 大変おもしろい授業だった。


 この場合、『おもしろい』という意味は、

〇子どもと担任(Bさん)との心のつながりはバッチリ。したがって、子どもはいきいきと授業に取り組んでいる。

〇若くはつらつとしたBさんの姿には好感がもてる。子どももそこに魅力を感じているのだろう。

〇しかし、Bさんは、今、まさに発展途上。

 あらかじめ自分で決めた授業の流れのとおりにすすめようとする傾向は色濃く感じられた。

 一方、子どもはといえば、自主的、主体的に授業に取り組む。だから、何回か、Bさんの既定の路線の枠を飛び越える。

 この点に関して、さらに言わせてもらえれば、

 いつだったか記事にさせていただいた西遊記の話になぞらえると、『お釈迦様の手のひらから飛び出してしまう』子どもたちだ。


 そういう意味でのおもしろさであった。



 わたしはもちろん、この授業に好感を抱いた。なにしろ、『心のつながりがバッチリ』というのは、もう、それだけで、授業は半分、成功しているようなものだ。たとえ問題点というか課題というか、そういうものがあったとしても、(いや。あるのが当然だが、)それを克服するのは簡単であろう。

 そう思わせた。



 それでは、お待たせしました。

 この学校の単元観、及び、B学級の授業の様子に入らせていただこう。

 1年生の生活科。単元は『つうがくろ たんけん』である。



〇まず、単元観から。

 わたしは、これまで何十年と、限りなく授業をみさせていただいたが、この『つうがくろ たんけん』をみるのは初めてである。


 なぜなのだろう。

 わたしの勝手な解釈だが、

 一般的に、この単元は、生活科とは言いながら、『子どもの発想、思い、疑問などをとり上げにくい。』とされているのではないか。


 ちなみに、学習指導要領をみてみよう。学習内容の(1)の後半に、『〜、通学路の様子やその安全を守っている人々などに関心をもち,安全な登下校ができるようにする。』とある。

 そこで、いきおい、『(安全な登下校のための)きまり、やくそく』などにはしってしまうのではないか。


 しかし、BさんたちA小の教員のとらえは違っていた。この単元も、子どもたちの問題意識をはぐくみ、大切にして実践していこうとする意欲が感じられた。


 そこで、まず、学習の流れに簡単にふれさせていただこう。


・子どもたちの登校時、毎日、C校長先生が、校門に立っている。だから、入学と同時に、校長先生とのすてきなふれ合いが始まる。


 早くも蛇足になってしまい、申し訳ないが、

 実は、わたしも、現職のとき、C校長同様に校門に立っていた。そのことにふれた過去記事もある。C校長にもわたし同様のふれ合いがあると思うので、参考までに、今、リンクさせていただこう。

    学校だよりへの想い(13) 若さをいただく

 このようなふれ合いを通して、子どもたちは、C校長先生の願いや喜びなどを感じ取っていく。


 学習指導案には、
『校長先生は、元気にみんなが学校に来ているかをみているのだって。』
『元気にあいさつしてくれるとうれしいって言っていたよ。』
などとある。


 この学習のなかで、

 子どもたちは、『学援隊』のおじいさんたちとのかかわりに目を向けるようになっていく。おじいさんたちは、大きな垂れ幕を下げ、そろいのジャンパーを着て、交差点などで旗振りをしてくださっている。子どもたちの目にも見えやすい活動だ。子どもによってはふれ合いも密なものがあるに違いない。そのおじいさんたちの活動を通して、自分たちの登校の安全を守ってくれていることに気づいていく。


 これも、学習指導案によると、学習内容は、

おじいさんたちの名前を知る。
『がくえんたい』という呼称を知る。
おじいさんたちの活動を知り、その願いについて考える。
おじいさんたちへの自分たちの気持ちをふり返る。

などとなる。

 こうして、C校長先生や、学援隊のおじいさんとのふれ合いを通して、『あいさつのしかた』『通学路の歩き方』『交差点の渡り方』などを学んでいく。

 そうして、安全な登下校ができるようにしようというわけだ。



 また、問題解決学習をおしすすめているので、子どもたちの問題意識もはぐくまれる。


 たとえば、

「『学援隊』のおじいさんたちとあいさつはできるが、お話はできないよ。だって、『早く渡りなさい。』って言われちゃうもの。」
「だけど、Dに立っているEおじいさんとはお話できるよ。あそこなら車は通らないから、話していても安心。」
「それなら、Eおじいさんは、(安全な)Dに、なぜ立っているの。」


 この答え。読者の皆さんは、もうお分かりだろう。


 そう。今の時代、悲しいことに、『ふしんしゃ』という言葉は1年生も知っているし、『通学路の安全』の学習にあたっては、大事な学習内容になってしまっている。


 以上、A小学校が、子どもの問題意識を大切にしながら、単元の学習計画を作成していることには、深い敬意の念を禁じ得なかった。



〇それでは、いよいよ、わたしが見せていただいた授業に話を移らせていただこう。


 上記、学習の流れのなかで、

 子どもたちのなかに、

 朝の登校時間では話を聞くことができないので、『学校に来ていただけないか。』ともちかける子が現れた。そして、なんと、授業時間、数人のおじいさんが教室にいらしてくださることになった。(こうなるについては、Bさんの『しかけ』もあったと思われる。)

 そこで、おじいさんたちとの『お話会』をすることになったのだが、本時は、その計画を考え合う時間となった。



・子どもたちは意欲的である。

 「楽しい、おもしろい会にする。」
 「プレゼントをあげる。」
 「あげるのではなくて、歌のプレゼントがいい。」

 思い思いに発言した。

 そのなかに、子どもらしい、楽しい発言も混ざる。

「おじいさんたち、喜ばないかもしれないけれど、一応、『忙しい中、来てくれて、ありがとうございます。』って言ってみる。」
「そう。『いつも、見張ってくれてありがとうございます。』って言う。」
「ぼくは、『いつも、ぼくたちが車にぶつからないように、安全にしてくれて、ありがとうございます。』って言う。」

 ああ。いいなあ。

 あいさつの言葉のなかに、学援隊のおじいさんたちの活動目的が見事に入っているではないか。


 でもね。ずっこける発言もある。

 先ほどの、『楽しい、おもしろい会』の流れの中だ。

「びっくり箱を作って、おじいさんにあげる。」
「おもしろくするには、コントをやるのがいい。」

 これに対しては、『なに。それ!?』というような、非難めいた子どものつぶやきもあった。


 このように、子どもたちは、『お話会』を盛り上げようと、いろいろなアイディアを出し合った。問題意識も、かなり旺盛だった。



・さあ。それに対し、B先生の対応はどうだったか。

 一言で言えば、

 授業のねらい達成に向かって性急なところが感じられた。
 

 たとえば、先述の、『楽しい、おもしろい会にする。』に対して、すぐ、
「誰が楽しいの。」
と言ってしまうのだ。『ぼくたち、わたしたち1年生が楽しむのではなくて、おじいさんたちが楽しめる会とおさえたい。』そういう想いがみえみえになってしまうのだった。


 いいではないか。もっと子どもたちの自由にさせて。

 そう。子どもを信頼することが大切だ。

 『びっくり箱』や『コント』に対して、『なに。それ!?』と言ってくれる子はちゃんといるのだもの。

 授業のねらいの一つに、『おじいさんたちに喜んでもらう会にするために、〜。』というのがあるのは当然だが、

 子どもたちの話し合いだけで、ちゃんとそこに到達できると思われた。

 それでこそ、子どもたち自身の力で価値を獲得することができる。

 
 そうすれば、

 あとは、指導者が、そうした話し合いをほめてやればいい。

 ただし、本音を出した子たちが、『いけない子たち』という感じにならないような配慮は必要だ。

 そういう子たちに対しては、『正直な気持ちを言ってくれた子』『活発な話し合いになるように盛り上げてくれた子』などといった観点でほめてやることが大切だ。


 先ほど、『Bさんのしかけがあったと思われる。』と書かせていただいた。

 そして、そこでは、リンクまでさせていただいたが、そのリンク先記事にもあるように、

 このしかけは、子どもの目に見えないようにしたい。

 指導する側の『しかけ』。それは、当然あるわけだが、それが、子どもをぐいぐい引っ張る感じになってしまっては、子どもを受け身に追いやり、子どもの主体的な学びを妨げる。

 このB学級の場合も、ちょっと性急すぎる指導者の姿勢が、『しかけ』を子どもの目に見えるかたちにしてしまっているように感じた。



・それと反対に、今度は、逆にしっかりねらいに向かってしかけてほしいことが抜けてしまったところもあった。


 学援隊のおじいさんたちに質問したいことを話し合っていたときだ。

 子どもたちから出たのは、

・Dに立っているのはなぜですか。
・雨の日は大変ではないですか。
・いつから立っているのですか。
・なんでみんな同じ緑の服を着ているのですか。
・どこに住んでいるのですか。
・何歳ですか。
・好きな食べ物は何ですか。

などだった。


 読者の皆さんは、最後の一つ(もしかしたら最後の三つ)だけ、質が違うことにお気づきだろうか。

 その違いが子どもたちから出てくることはなかった。それで、そのままになってしまったのだが、

 
 ここは、ぜひ、質の違いに気づかせてほしかった。だって、最後の一つ(もしかしたら最後の三つ)以外は、『おじいさんたちの活動の目的、活動の苦労、工夫にかかわり、ひいては、それが子どもたちの登校の安全につながる。』のだものね。


 どんな発問(しかけ)がいいかな。

 教員でない皆さんも、よろしければ、教員になったつもりでお考えください。わたしの想いは、バナーの下に記載します。



・冒頭述べたことにかかわるが、このクラスの子どもたちは実にたくましい。

 こんな言い方をすると、いやみにとられてしまうかもしれないが、決していやみではない。心からそう思う。

 それは、Bさんはしきろうとする気持ちが強いのに、子どもは決してしきられてはいないのだ。つまり、Bさんのしかけは子どもたちの目に見えてしまっているが、子どもたちは、それに制約されないくらいの自主性、主体性をもっているのだ。


 これまでの文章でも、それは色濃く感じていただけたと思うが、


 たとえば、先ほどのBさんは、『おじいさんたちが喜んでくれる楽しい会』に早く子どもたちをもっていこうとしているが、

 その後でも、『おじいさんたち、喜ばないかもしれないけれど、〜』と言って自分がやりたいことを言う発言がある。


 その極めつけは、授業の最後に現れた。


 子どもたちは、『会で何をしたいか。』また、『その順番はどうするか。』を話し合い、以下のようになった。

・はじめの言葉
・ゲーム
・お話タイム
・歌
・終わりの言葉

 そして、そのように決定しかけたときだ。Bさんは、それで授業を終えようとしていた。

 
 一人の子が叫ぶ。

「まだ、あるよ。」

 Bさんはびっくりしたよう。小さな声だったが、『えっ。』と驚きの言葉が出た。『何が言いたいの。』そんな不安そうな表情もされた。

 わたしはわたしで、『終わりの言葉の後で、まだあるなんておもしろい。それなら、(終わりの言葉を言っても、)終わらないのだね。』といった思いで、ニヤニヤしてしまった。

 以下、子ども同士のやり取りだ。

「『ありがとうございました。』って言う。」
「あっ。そうか。」
「まだ、あるよ。『学援隊のおじいさん。来てくれてありがとうございました。』って言うの。」
「まだ、ある。・・・。」

 ああ。すごいなあ。今度は何なの。

「『また来てください。』って言う。」


 参会の先生方も、もう、大笑いだ。

 しかし、何とも言えない温かさ、子どもたちを抱きしめてやりたいような思い、そんな雰囲気が授業を参観している教員にただよった。


 Bさんも、ほっとする思い、喜ばしい思い・・・、そんな思いが交錯したのだろう。ジーンとされたまま無言だった。


 この無言が、かえってよかったような気がした。

 もし、『それはみんな、終わりの言葉のなかで言えばいいのよ。』などと言ってしまったら、

 知的理解は増しただろうが、教室の温かな雰囲気は、その理屈によってこわれてしまうような気がした。


 さあ。すみません。わたしの、いやみに受けとられかねない言葉が、さらに続く。


 Bさんがしきろうとしても、しきることのできない子どものエネルギー。

 これも、まちがいなく、指導者のBさんが育てたものだ。


 冒頭述べた、
『子どもと担任(Bさん)との心のつながりはバッチリ』
『若くはつらつとしたBさんの姿には好感がもてる。子どもも、そこに、魅力を感じているのだろう。』
が、子どもを豊かに育てているに違いない。

 あとは、先のリンク先記事にも書いたように、Bさんのはたらきかけが、『子どもの目に見えない、ほんとうのしかけ』になるような努力が必要と思われた。



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 それでは、先ほどの、『どんな発問がいいか。』の件。

「学援隊のおじいさんのお仕事がよく分かりそうな、いい質問がたくさんでたね。」

 そんなほめ言葉でどうでしょう。

 この学級の場合、発問しなくても、ただ、担任がつぶやいただけで、子どもたちからの深まりのある発言が期待できそうに思います。

 そして、これはまさに、『しかけどころ』となるでしょう。


 

rve83253 at 17:04│Comments(2)TrackBack(0)生活科指導 | 授業

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この記事へのコメント

1. Posted by 日本中退予防研究所   2010年07月16日 19:32
初投稿させて頂きます、日本中退予防研究所でスタッフをしております武井と申します。

幣団体は、高等教育機関からの不本意な中途退学者を減らすことによって、ニート・フリーターになる若者を減らす活動をしています。

ニート・フリーターの川上が例えば高等教育機関であるように、教育問題の解決は川上にいくことが大切かと思いますが、その点で、小さなお子様方のレポートのようなブログはとても興味深いものでした。

そして何より微笑ましいですね^^

幣団体では、8/1に高等教育機関からの中退問題を社会に知り、考えてもらうためにシンポジウムを開催します。
http://www.stoptheneet.jp/symposium

ぜひ、著者様をはじめ多くの方に来て頂ければと思います。

宣伝のようになってしまい申し訳ありませんが(ご迷惑でしたらコメントをお消し下さい)、もしよろしければ上記URLより参加をお申込下さい。

子供のような笑顔を学生、社会人にも増やしていきたいですね!


武井
kurumi0928@gmail.com
2. Posted by toshi   2010年07月17日 15:03
武井様

 投稿、ありがとうございました。本実践が、『高等教育機関からの不本意な中途退学者』や『ニート・フリーター』の問題に直結するとは言えないでしょうが、しかし、まったく無関係ということもないように思います。
 小さいときから、知識・技能のみならず、『学ぶ力、生きる力』まで養われているかどうかは、やはり、生き方の問題という部分では、大きく関係するだろうと言わざるをえません。
 

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