2010年08月02日

『いま、先生は』から思う。(2)3

kodomo46 このシリーズ。

 『大変重い課題に入りこんでしまった。』という思いがないわけではない。どう記事をまとめたらいいかで、苦慮している。

 しかし、がんばってみよう。


 今回は、朝日新聞が、2回にわたりとり上げた、

 経験豊富で、児童生徒の信頼の厚いベテラン教員が、病いに倒れて、亡くなられたり寝たきりになってしまったりしている問題をとり上げる。

 また、それに付随して、中途退職の教員が増えていることにもふれてみたい。

 中心となって学校を引っ張っていく教員が突然病に倒れる事態は、何とも悲惨で、言いようがない。


 
 心中複雑である。

 自分で言うのもなんだが、わたしも、現職当時、激務に耐えてきた。


 しかし、わたしの場合は、かつて犬山市教育長が言ったように、

 『〜。そうすると、教師は燃える。いい仕事をする。教師は多忙と言うが、自発的に行う仕事に多忙感はないはずだ。』

のはんちゅうに入っていただろう。

 それに対し、この連載がとり上げたベテラン教員の場合は、それとはかなり違うようである。



〇新聞記事からは分からないのでわたしの想像になってしまうが、どうも近年の学校教育事情を勘案するに、一部のベテラン教員に仕事が集中する傾向にある。

 できる教員に、仕事が集中してしまうようなのである。



〇また、連載には書かれていなかったが、教頭の仕事が年々激務になっている傾向もありそうだ。

 これは、わたしの現職中から続いていることで、

 そのころ、たった一年間に、我が地域の教頭が3人、病気で亡くなられた。それ以外の年も、毎年、1人ずつ、どなたかが亡くなった。わたしはそのとき、自分が教頭時代に死ぬ確率を計算したものだった。


 
〇連載記事では、中途退職の事例も紹介していた。

 この場合は、上記ベテラン教員のケースと違う。もろもろの現代的な事情で、激務となってしまうのである。『スーパーマンにはなれない。』という言葉が、印象的だ。

 そう。このケースについては、2年前、リンクさせていただいたテレビ局のブログが画像付きで紹介していた。まさかその方は退職していないと思うが、基本的に、『激務』は同じだと思うので、

 よろしかったらご覧いただきたい。

   ACTION?真相報道バンキシャ 子どものための「教師再生」を

 このリンク先の左サイドバー『過去の放送』のなかから、『ACTION特番第2弾』をクリックしていただけると、その激務の内容を画像付きで見ていただくことができる。

 この画像のおもしろいのは、『その教員の仕事』を保護者に見てもらい、感想を求めたことである。それらについてのわたしの想いは、次回記事に掲載させていただこう。

 本連載記事と2年前のテレビの画像と、共通して出てくる教員の言葉がある。

「(多忙で)思ったように子どもと関係が結べない。」

 子どもと関係が結べない忙しさ。

 学校が学校の体(てい)をなしていない。皮肉なものだ。


 
 どうしてこうなってしまうのだろう。



 どうも、わたしの現職のころとは違った要因がありそうだ。


 今、振り返ると、わたしたちのころの多忙は、自ら求める多忙。明日の子どもの成長に直結した多忙。だから、上記犬山市教育長の言葉を借りれば、『多忙感はない。』ということになる。


 読者の方は、もしかしたら、いぶかられるかもしれない。

『ええっ。toshiは、教頭時代、自分の死ぬ確率を計算したのだろう。』と。

 そう。それはそうだった。


 しかし、自分の場合は違うという思いもあった。

・校長先生に恵まれたし、

・教職員や子どもたちの縁の下の力持ちとして働くことに充実感を覚えていたし、

・したがって、『先憂後楽』の思想に徹することができた。やはり、多忙感はなかったのである。

 

 さあ。それでは、『わたしの現職のころとは違った要因』についてだが、
  


〇子どもの問題行動への対応、保護者からのクレーム。

 わたしのころも、そういったものがないわけではなかったが、しかし、もう、頻度がまるで違う。

 わたしは、今、初任者指導という仕事柄、毎年学校が変わっている。もちろん、今は退職した身で、それらに直接かかわることはないが、多くの学校で、はた目にも件数がふえていることに気づく。

 教職員の対応に問題があり納得できるケースと、『ええっ。そんな細かなことまで。』とびっくりするケースと、それはもう、さまざまだ。



〇子どもと向き合えないくらい激務となっていることについては、


・団塊の世代が退職した今、どこも働き盛りの年代が少なくなっているのではないか。


・少子化の今、どこの学校も小規模校化しているのではないか。そのため、各校の教職員数が減り、一人ひとりに割り振られる仕事が増えている。

 連載記事にもあったが、初任2年目でもう『〜主任』だ。これは、毎年の我が勤務校においても、けっこうみられる事例である。


・あと、拙ブログでもさんざんとり上げてきたが、行政の、学校現場への介入、圧力がある。これはもう、わたしたちの時代とは比べ物にならない。

 人事考課、学校評価、数値目標など、など。

 わたしは前二者については、必ずしも否定するものではないが、問題はその中身だ。

 連載記事にもあった。

 『達成目標を数値で示してと言われて、単元テストで〇点以上の児童を〇割以上にする。』

 ああ。こんな学力観ではむなしくなってしまうね。学習指導要領で強調する『人間として調和のとれた育成』など望むべくもない。

 こんなことで激務となっているから、徒労感を覚えてしまうのだ。子どもと向き合う激務なら、大歓迎のはず。


・今回の連載のすぐ横に、『(中途で)辞める教員 年 一万二千人』なる見出しがあった。多いのは、堺市、大阪市、京都市、千葉市、東京都とある。

 ああ。千葉市だけ例外で、あとは、拙ブログでさんざんとり上げたり、メールをたくさんいただいたりしている地域である。

 なお、ブログでお付き合いいただいている教員のなかにも、中途退職者の方は数人いらっしゃる。

 逆に一番少ないのは、秋田県だって。何やら意味深長だね。


 なお、またまた、おもしろいブログを発見した。

    わくわく活動日記

 この方は、地方議会の議員さんのようだ。

 これも、一部、引用させていただこう。

 『(教員の多忙化状況の解消をするべきだと議会で指摘すると、)「教員が楽をしたいんじゃないか、公務員で首にもならないから当然じゃないか、いやならやめろ、代わりはいくらでもいる」といった声が、保守系の議員から本会議場でのやじや議場外でも出されています。』

とある。


 ああ。何たる認識。のんきなものだね。『代わりはいくらでもいる。』だって。

 第一、子どものことなど、まったく考えていない。

 それに、『代わりはいくらでも・・・』いませんよ。

 現に、受験者数が減って四苦八苦している地域は、上記地域を中心にけっこう広がりを見せているはずだ。そして、その影響がまっとうな地域にまで波及する。

 また、東京の管理職登用試験では、すでに、1倍を切っているとのこと。

 もう、近い将来、『代わりはいない。』どころか、さらなる学校荒廃に追い込まれる可能性が高い。



〇最後に、一部ベテラン教員に仕事が集中してしまうことについては、

 どうも最近、管理職と教職員との信頼関係が低下しているというか、コミュニケーション不足というか、

 その原因なのだが、校長のリーダーシップが落ちていやしないか気になっている。


 いや。『落ちていないか。』というよりも・・・、


 江戸時代。落ち着いた天下泰平の時代。このころなら、将軍は幼君でもよかった。ちゃんと秩序は保たれた。しかし、それをさかのぼり、戦国時代となると、これはもう、名将でないと下剋上にあう。あるいは、滅ぼされる。

 家臣からの信頼が大事。不信をかえば、やはり、下剋上、滅亡にあう。


 今は、そういう意味では、戦国時代同様ではないか。

 とすれば、校長のリーダーシップがきびしく問われる時代になったというべきだろう。


 
 ここで、前記事に寄せられた、伊藤さんのコメントを紹介したい。1番である。

 《無駄なことを削りすぎて、余裕をなくしてちょっとしたことでもあっという間に崩壊してしまう世の中のようです。これでは、ストレスに弱い人、おとなしい人が教師になんて絶対無理です。》


 そう。わたしは思うのだ。

 相対的に校長のリーダーシップが弱くなった結果、度胸のある人、声の大きい人が幅をきかして、心根のやさしい人、黙々と努力する人、おとなしい人が損をするという、そんな状況はないだろうかと。


 もしそうであれば、

 これは、学級崩壊に似ている。

 まさに、学校崩壊に向かっていくことになる。

 

〇この連載には、保健室登校の教員が増えていることにもふれている。

 だけれど、もう、かなり長くなってしまった。このことについては、次回にふれさせていただこう。

 
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 前記事には、まことさんからもコメントが寄せられています。3番です。

 まことさんは、支援員として、今まさに学校現場で活躍中。それで、本シリーズでとり上げているような学校現場の諸問題については、毎日のように直接経験されているようです。


 同コメントには、連載になかったことまで書かれています。

 数十年前、『金属疲労』なる言葉がはやりましたが、それをもじって言わせていただければ、『制度疲労』ないしは、『組織疲労』と言ったらいいでしょうか。


 それでも、まことさんは教員になることを目指しています。

 ただただありがたいなあと思います。どうか、所期の目標を達成され、それだけでなく、子どものために活躍する教員になられますよう、祈念せずにはいられません。


 そういえば、連載にも、その種の記事がありました。


 父親は病いに倒れたのですが・・・、

 
 ああ。すみません。これも長くなりそうだ。次回に譲らせていただきます。
 

rve83253 at 09:45│Comments(20)TrackBack(0)学校経営 | 教育制度・政策

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この記事へのコメント

1. Posted by やまびこまま   2010年08月02日 14:51
新聞記事は読んでおりました。
そして、本日のニュースでは、今年の学力テストの結果は秋田県、と聞きました。中途退職教員が一番少ないという事実が裏付けになっているであろうことが想像できます。

先生方が自分たちの人事考課を心配するあまり、子どもにとって一番大事なことをないがしろにする(せざるをえない?)・・・テレビ局ブログを読んで絶句です。

新聞記事で気になったのは、先生方がお互いを牽制しているように感じる学校があるのだということです。教師とは、人を育てる大切な仕事ではないのですか。職員室の中でいじめがあって、子どものいじめに対応できるのでしょうか。みんな仲良くしましょう、思いやりをもちましょうと子どもには指導するのに、自分たちはお互いを思いやることもないのでしょうか。
気持ちはあっても余裕がないと言われるかもしれませんが・・・。
管理職(校長先生)次第、というのは実感します。
リーダーシップのある前任の校長先生が異動になり、教職員の半分近くが入れかわると、本当に学校は変わってしまいますね。

2. Posted by 伊藤   2010年08月02日 16:22
教育学部では、図書館司書教諭の養成をしています。しかし、実際として司書を任されていると仕事が増えてしまうので、取得としても採用時には隠すケースが増えているようです。

民間がこうだから、公務員そうしろというのはおかしな話で、教員は残業代が名目上付いていますが、実際のところ時給に直せば、最低賃金を割ってしまうのではないかと思います。なぜ忙しくなったのか、そもそも本当に忙しいのか、忙しいならそれを解決するための制度設計を導入しているのか、あるいはできる人間のやり方を職場全体が共有できているのか。

代わりは確かにいますよ。免許を持っている人ならば。そうであるなら、議員の方々だって被選挙権を持つ人間ならだれでもいいのではないですか、と問いたい。それにあなたが受けてきた恩師はだれでもいいのでしょうか?
教師の多忙をこの議員は見たことがあるのでしょうか。8,9時まで働くことが異常とは思わないのでしょうか。
受験指導のために土日も学校を開けて、頑張っていた先生は突然亡くなり、労災申請が下りず、裁判の末労災が認められました。

成果主義がもたらす弊害を雑誌で読んでみましたが、大手企業は形だけのグローバル経営から日本型経営に戻しつつあります。

とにかく、日本がこれから生き残るには教育しかないです。その為に頑張っている人たちに一体どんな罪があるのでしょうか。問題を起こす人もいるのは事実です。だけれども、ステレオタイプに決めつけてしまうことも社会が硬直化している原因ではないでしょうか。
3. Posted by YK   2010年08月03日 00:33
ご無沙汰しています。私のほうは今学期も良い教え子が育ちました。期待以上の成果で嬉しく思っています。職場では5年連続で最年少ですが仕事量も増えてきましたね。そのためか今期はミスもけっこうあったし、プレッシャーから体調も少し崩してしまいました。ですが、自分の歳よりも倍以上の先生から期待されるのは嬉しいことですね。そのためか、前記事の自殺した先生の話は読んでいるだけで残念な気持ちになります。私がその方の目の前にいれば、話を聴き、ベルグソンの思想やキルケゴールの思想などを教え、落ち込むことなど何も無いことをわからせてあげるのに。今日の教育現場(一括りにしていいかわかりませんが)に優しさや思いやりがないのには心底ガッカリします。何とかならないものでしょうか。
4. Posted by toshi   2010年08月03日 15:57
やまびこままさん

 以前どなたからだったか、『全国学力調査の結果が上位に位置づく都道府県は、いずれも、古き良き時代の日本を、今も色濃く残しているところではないか。』というコメントをいただいたことがあります。なるほどなと思ったものでした。
 秋田県で教員の中途退職が一番少ないというのも、そういう意味でうなづけるところがあります。

 テレビに現れた、『自分たちの人事考課を心配するあまり、子どもにとって一番大事なことをないがしろにする』は、ちょっとニュアンスの違いがあるように思います。
 ないがしろにしているつもりはないのだと思います。ただ、『自分一人で抱え込んでしまう。』というのがあたっているのではないでしょうか。
 まあ、でも、そうは言っても、子どものためによくないのは確かです。やはりオープンでなければいけませんよね。それに、人事考課項目のなかに、『進んで教職員間の連携を図ろうとしているか。』とか、『困難な事態にあたっては、進んで先輩職員の指導を仰ごうとしているか。』などもあると思うのですがね。この点は、他地域のことなので、よく分かりません。

《先生方がお互いを牽制しているように感じる学校があるのだということです。》
 これは、学校によってですが、むかしからありますね。でも、やまびこままさんがおっしゃるように、やはり、校長の指導力、リーダーシップに負うところが多いように思います。次がシステムという感じでしょうか。

 わたし、記事本文に書いていないのですが、我が地域においては、1校にいられる年数が大幅に少なくなりました。これは、全国的な傾向か、ちょっとそれは分かりません。でも、それは、毎年の異動の教員数が増加することを意味しますね。学校が落ち着かなくなる一つの要因になっていると思います。
5. Posted by toshi   2010年08月03日 16:25
伊藤さん

 司書教諭の件、これはわたしの現職時代にスタートしました。わたしは、自分の勤務校で調べましたし、教員も進んで名乗り出て、引き受けてくれました。
 ただ、先のやまびこママさんのコメントではないが、牽制し合うようなところでは、隠す傾向になるのかもしれませんね。残念です。
 また、これは、国もよくないです。司書教諭をおくとしたとき、それにもかかわらず、増員しなかったのです。ですから、学級担任が司書教諭も兼ねている例が多いわけで、実質これはいないのと同じになってしまいます。理念ばかり高く、実質が伴わない一つの姿だと思います。
《あなたが受けてきた恩師はだれでもいいのでしょうか?》
 いやあ。ほんとうにその通りと思い、思わず笑ってしまいました。失礼。
 きっとその議員さんは、『教員であれば皆同じ。誰に教わってもよかった。』と思っているのでしょう。
 それに、伊藤さんがおっしゃるように、議員の代わりこそ、いくらもいそうですね。
 
6. Posted by toshi   2010年08月03日 16:26
わたしは、成果主義そのものには反対しません。問題は何を成果とするかということ。そして、真実成果が上がっているのかということ。間違ってもテストの点数ではありませんよ。
 学習指導要領にもある通り、『人間として調和のとれた育成』ができているかということでしょう。
そして、プロの教員なら、それがどういうことか、どうなれば、育成できたとするのか、そのくらいの評価力はもたなければなりません。
 教育行政マンだって、教育行政に携わる以上は、そうした評価力を持つよう努力しなければいけません。今の時代は、それがまったくお寒い状態です。
 伊藤さんがおっしゃるようにステレオタイプ。そして、硬直化した社会。ここに諸悪の根源があるのではないでしょうか。
 問題解決学習を普及させることにより、真に『人間として調和のとれた人材の育成』を図り、明るい未来にしたいものだと思います。
7. Posted by toshi   2010年08月03日 16:31
YKさん
《自分の歳よりも倍以上の先生から期待されるのは嬉しいことですね。》
 いやあ。すばらしい職員室の雰囲気が感じられます。大人同士の豊かな人間関係。そして、それが土壌としてあって、お互いが高め合うこと。これがよい教育を可能にする一番の基本でしょうね。
《今日の教育現場(一括りにしていいかわかりませんが)に優しさや思いやりがないのには心底ガッカリします。何とかならないものでしょうか。》
 この辺。しっかり考えてみます。本シリーズのまとめとしては、このことにふれていかなければいけないなと思っています。
 どうぞ。よろしくお願いします。


 
8. Posted by やまびこまま   2010年08月04日 10:27
全国学力テストの結果だけでなく中途退職教員数が一番少ない、という二つが揃うことに意味があるような気がします。子どもは機械ではありませんから、やはり先生との信頼関係があってはじめて勉強しよう、学校は楽しい、となるのだと思うのです。そしてその結果が自然に学力向上につながるのではないでしょうか。

教員ではないので学習指導要領に「人間としての調和のとれた育成」というのがあることは知りませんでした(書いてあるんじゃないの!と驚いています)。それがどういうことなのか、を本当にわかる先生が増えてほしいですね。


9. Posted by toshi   2010年08月05日 06:25
やまびこままさん
 ううん。むずかしいです。考えれば考えるほど、袋小路にはまりそうです。人間一人ひとりの資質の問題なのか、管理体制等、システムの問題なのか、わたしはまだほかにも原因があるように思っているのですが、それは社会の変質と言ったらいいでしょうか。人々の心の移ろいにあるのか。
 おそらく、すべてかかわっているのでしょう。すべてが絡んでいるのでしょう。
 やまびこままさんがおっしゃる
《教師とは、人を育てる大切な仕事ではないのですか。職員室の中でいじめがあって、子どものいじめに対応できるのでしょうか。みんな仲良くしましょう、思いやりをもちましょうと子どもには指導するのに、自分たちはお互いを思いやることもないのでしょうか。気持ちはあっても余裕がないと言われるかもしれませんが・・・》
の件ですが、
 人間社会が変わってしまったのだから仕方ないというのではなくて、やはり、人を育てる学校こそが改革の中心とならないと未来は変わらないような気がします。
 ううん。見えてきたような気がします。本シリーズの最終回にこのあたりのこと、書かせていただきましょう。

10. Posted by redu06   2010年08月05日 08:00
冗談抜きで、1学期は生命の危機を感じるほど疲れ切っていました。

管理職もトラブル対処続きで、私以上に疲れていたと思います。本当に誰か倒れるのではないかと冷や冷やしながら日々を過ごしています。

どの職場も厳しいのは重々承知していますが、教育は善意に基づいて動いているだけに、ストレスの種類が違うように思います。都市部の学校は団塊世代が多く、30代と40代がおらず、20代が急増しています。この先、ベテランの疲弊は、ますます大きな問題となってくると思います。

忙しいと職場の人間関係もおかしくなってきてしまいます。20代も愚痴を言い合うことすらできない状況で、かわいそうです。どうにかして、この厳しい状況を世間に分かっていただきたいです・・・・・。
11. Posted by toshi   2010年08月05日 10:15
redu06さん
 まったく『いま、先生は』の連載の通りなのですね。わたしは次回記事に書こうと思っていますが、やはり教員の忙しさは、『息つくひまもない。』という意味で、ちょっと他に類をみないのではないでしょうか。子どもとともに過ごしている間は、気を休める時間はほとんどないですよね。
 それにもろもろの事務的な仕事が重なってくるのですね。
 だんだん見えてきたものがあります。やはり、将来的にも、子どもと教員が信頼関係で結ばれることに視点を定め、その方向で研究研修を進める以外、展望は開けないように思います。人によっては、自己改革を迫られる教員も出てくるでしょう。コミュニケーション能力、受容的姿勢など、これからはそういう力も求められるようになると思います。
 貴ブログの最新記事も拝読しました。コミュニケーションが取りにくいないなかで、redu06さんが、 積極的にそれを大事にしていこうとしている姿を感じ、うれしくなりました。
 夏休み、少しでも、ゆとりがもてますように。
12. Posted by toshi   2010年08月06日 04:55
eve,sunny,joyceさん
 せっかくいただいたコメントですが、すべて、他の方のコメントやわたしの記事のコピーですので、削除させていただきました。
13. Posted by しょう   2010年08月06日 08:33
>これは、学級崩壊に似ている。
>まさに、学校崩壊に向かっていくことになる。

 本当にそう思います。「ストレスに弱い人、おとなしい人が教師になんて絶対無理」な学校というのは、個々の教職員(誰もが最初は自らの「指導力不足」に悩み苦しむ)が、「それぞれの個性を活かしながら成長していくことのできない」職場だからです。

 私がtoshiさんや、本記事の読者にお勧めしたい本は『親はモンスターじゃない!』(学事出版 小野田正利著)です。
このなかで著者は、学校現場だけではなく医療や福祉の現場でも似通った事態(医療崩壊等)が起こっていることを指摘しています。

「現在、日本の医療機関は二つの強い圧力にさらされている。医療費抑制と安全要求である。この二つの相矛盾する圧力のために労働環境が悪化し、医師が病院から離れ始めた現状はきわめて深刻である(…)」。

「国民のすべてがより高い水準の良質の医療や教育を望みながら、他方で不要な摩擦が繰り返される中、誰もが求めていなかった教育や医療サービスの低下が現実的に起きつつある」

 toshiさんの上記の指摘・現状分析は的を得ていると感じますが、「私たちは、自らの職業以外の領域で何が起こっているのか、実はよくわかっていないのかもしれません」。

「患者は消費者ではない」「こと医療については、市場原理はなじまない」といった上記著書に出てくる指摘にも注目しながら、「良質の医療や教育を一緒に創っていく」という発想に立って、現状に切り込んでいくことが大切だと思います。

お読みいただいたかとは思いますが、関連する私の記事のURLを貼り付けておきますね。
http://plaza.rakuten.co.jp/shchan3/diary/200812140000/
14. Posted by 伊藤   2010年08月06日 10:10
日本の大きな特徴として、どうしても海外に頼りがちです。イギリスを模した政治制度、フィンランドに学ぼうとする教育制度などなど。

けれど、島国とはいえ長い歴史がある国家です。その中で中国から学ぶ時期も多かったですが、日本がやってきたことはそこまでひどいのかなと思います。歴史から学ぶことはどの世界でも行われていることですから、難しくはないでしょう。

いびつな年齢バランスを変えないと、今大量採用している反動が来ると思います。
JR西日本は30代がほとんどおらず、技術の継承がうまくいかないことから脱線事故などの不祥事を起こしたとされていますし、本来、30,40がリーダーとなって教育をよくしていけるはずなのに、すっぽり抜けるとこの世代間の円滑なコミュニケーションなんて無理です。
10年も違えば、共有できるものなんて少ない。中途でも構わないからもっとここらへんの層を厚くしないと大量採用が終了した後が怖いです。

国の求める学力像にどれだけ寄与するかをもう少し考えてみたいと思います。

15. Posted by toshi   2010年08月07日 08:26
しょうさん
 いつもお世話になっております。それにもかかわらず、ご無沙汰続きで申し訳ありません。
 ほんとうに、「それぞれの個性を活かしながら成長していくことのできる」職場にしたいですね。
《著者は、学校現場だけではなく医療や福祉の現場でも似通った事態(医療崩壊等)が起こっていることを指摘しています。》
 次回の記事で、このことにふれてみたいと思います。ほんとうにその通りで、学校の管理体制の強化とか、組合がどうとか、そんな次元で語れる問題ではないような気がしています。
 どうぞ、よろしくお願いします。
16. Posted by toshi   2010年08月07日 08:33
伊藤さん
 《中途でも構わないからもっとここらへんの層を厚くしないと大量採用が終了した後が怖いです。》
 ううん。この辺は判断がむずかしい。
 これ、我が地域もそうですが、今、多くの地域がやっていると思います。少なくとも、教員採用試験での年齢制限は撤廃している地域が多いと思います。しかし、それで、どれだけ、難題が解決するか。
 中途採用はやはり中途にすぎないかもしれません。
 歴史から学ぶという点、日本はむかしから弱いですね。特に成功体験から学ぶことができないようです。
17. Posted by 中途で業界にきました   2011年01月02日 08:47
中々溶け込めずにいますが赤っ恥がどこまで許してもらえるか、また迷惑が転じて役に立てるかギリギリです。退職も強要されますし、迷惑もかけたくないし、天に任せています
18. Posted by toshi   2011年01月03日 00:07
中途で業界にきましたさん
 わたしのまわりにも、年配の初任の方はいらっしゃいます。採用する側は、民間の活力を教育現場へという思いで採用するようなのですが、採用される方にとってはきびしい現実もあるようです。
 本コメントを下さった方の事情は分からないので何とも言いようがないのですが・・・、ご健闘いただけたらと思います。無責任なようでごめんなさい。
19. Posted by 中途   2011年01月03日 13:15
toshi先生ありがとうございます
教員、無縁時代という言葉の上に、孤立状態は悪循環や誤解を招きやすいように思います。
職員室の現状はかなりのものです。そんな大人にさせたくはないと思いつつも社会は変わってしまったのでしょうか、教室の子供は立ち歩き、暴言、暴力、未遂など多発で。精一杯やってはいますが、厳しいことには変わりません。
20. Posted by toshi   2011年01月03日 17:21
中途さん
 事情はかなり分かってきました。ほんとうに言葉もないような感じです。何の手助けにもならないことを申し訳なく思います。
 職員室の状況と子どもの状況は、やはりつながっているのでしょうね。

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