2010年08月20日

混迷の日本社会のなかで、3

10528132704900045542_d0a6bbrovw[1] 前回までとしていた、『いま、先生は』シリーズ。

 しかし、すみません。タイトルこそ変えさせていただくものの、内容は同シリーズの続きとなっています。


 というのは、

 前シリーズに対し、読者の皆さんから、示唆に富んだたくさんのコメントをいただいたこと、

 そのコメントの数々から、いろいろ学ばせていただいたこと、

 そのなかに、『ああ。それなら、宮台氏の著作にあったなあ。』というものも含まれていたこと、


 それらによって、『ぜひこれだけは記事にさせていただこう。』と思うようになって・・・、それで、続きを書かせていただくことにした。

 日本社会の混迷のおおもとを、さらに深くとらえることができるのではないかと思う。


 それにしても、読者のみなさん。ほんとうにお世話になっております。ありがとうございます。



 では、さっそく、『宮台氏の著作にあったなあ。』という話。


 これには、前記事に奈緒美さんからいただいたコメントがかかわる。リンク先の8〜10番だ。


 ここには、いわゆる『モンスターペアレント』の典型例が具体的に示されている。

 奈緒美さんが、この言葉をつかっているわけではないけれど、

 また、わたしもそう決めつけたくはないけれど、

 本記事では、後の話の展開上、『モンスターペアレント』なる言葉を使用させていただく。また、その方を、Aさんと呼ばせていただこう。


 Aさんの苦情は、直接学校に向けられたものではない。地域の子ども会に向けられたものだ。しかし、これは、いわゆる『モンスターペアレント』の典型を示していると言っていい。



 この事例における問題点は何か。


 宮台氏の著作である『日本の難点』を参考に考えてみよう。


〇むかしは、Aさんのような方がいると、多くは、地域のなかに、Aさんをたしなめる人がいた。今、Bさんと呼ばせていただこう。

「お子さんの体操着がなくなったのだってね。気の毒だったわね。なにしろ、どこも、わあわあしていたから、仕方なかったのではないかしら。そりゃあ、気の毒だったけれど、でも、『子どもの持ち物の一つ一つにまで責任を負え。』というのは行き過ぎよ。

 あの方たちは善意で、無料奉仕でやってくれているのよ。そのような責任追及をしていたら、数年後にはだれもやってくれる人がいなくなって、『ああ。こんな行事、やあめた。』となってしまうわよ。そうなったらこまるでしょう。子どももかわいそうよね。みんな、何とか見つかるように努力してくれているのだから、もっとおおらかな目で見守るようにしないとね。」


 そして、ここからが重要だが、

・そういう時代は、たまたまBさんのように意見してくれる人がいなくても、参加している多くの方に、Bさん同様の意識があった。それは、たとえ無言であったとしても、そういう認識がみんなの共通理解となっていた。そして、その共通理解が、Aさんのようなタイプの人に対して、ある種の『力』をもっていたと言える。

 だから、当然、Aさんのようなタイプの人も、それを認識していたし、したがって、責任を追及するような動きにはならなかった。

 それどころか、お子さんの体操着がなくなった不満よりも、お世話になったことへの感謝の気持ちの方が強いということもありえただろう。

 これが、『地縁血縁関係が濃い。』ことのよさであった。


〇しかし、今は、そういう暗黙の了解がなくなってしまった。

 もはや、かつてのBさんのように、声を出してくれる方はいない。

 
今だって、かつてのBさん同様に思っている方は大勢いるだろう。

 しかし、人間関係が薄く、軽くなってしまった今、それは、まとまった声、みんなに聞こえるような声にはならない。先の言葉で言えば、『参加している多くの方が、Bさんと同じ意識であること』が、明白でなくなってしまった。

 
 いただいたコメントの言葉をつかわせていただければ、

・無関心層が増えたこと。

・関心はあっても、そのうちだれかが良いように解決してくれるだろうという思いでいる人が増えたこと。

 だから、Aさんも、当然、そのような声は認識していない。かくして、一人ひとりはバラバラ。いきおい、声の大きい者勝ちの時代となってしまった。


〇さらにやっかいなのは、

 同コメントの例が裁判沙汰になるとは思えないが、そうなった場合、えてして、苦情は認められる傾向にある。ほんとうに、『ゴネて得する。』ケースは多いのだ。

 そう。裁判になれば、言い分のすべてが通ることはなくても、部分的には認められるケースが多い。『全面的にAさんの主張は非』とはならないだろう。

 訴訟社会とはそういうものだ。市民の良識とは往々にして食い違う。


 その結果、

・だれも、学校に味方してくれず、また、同コメントの例では、子ども会に味方してくれず、それでいて、裁判に負けるかもしれないのでは、『バカらしくてやっていられない。』となるのが現実だ。

 なお、これはわたしの想像にすぎず、確信はもてないが、

 もし、この種の事件(?)が裁判になった場合、『無償で活動するボランティア』云々が、裁判に有利にはたらくことはないのではないか。

 こうした社会の仕組み(システム)が、ゴネ得のモンスターペアレントやクレーマーを根絶やしにできない原因となっている。


 そう。先の記事では、『善意や自発性』の地縁、血縁重視の社会から、『役割やシステム』重視で、人間関係が薄く軽い社会に変貌してしまったと述べた。

 しかし、『今のシステム』が、『むかしの人々の善意や自発性』にとって代わるくらい、意味のある役割をはたしているかと問えば、とうていそのようなことはないだろうというのが結論だ。


〇かくして、残念ではあるが、『自分の子さえよければいい。』また、教員なら、『自分の学級さえよければいい。』という気分が蔓延してしまった。


 奈緒美さんのおっしゃるように、

 そう。すみません。一部、引用させていただきます。


 私は、「困った親がいるから、子どもたちのために何かするのはやめた〜」って考えはきらいなんですけどね。(困った親が増えて、)トラブルなんて起こるのは当たり前だし、それを覚悟して、解決しながら子どもの環境を作っていかないと、今後、(生きにくくなっている子が多いはずですから、)子どもの生活は衰退する一方ですよね。もう少し、地域と教員とが、互いにコミュニケーションを取って、子どもが自立して成長する体験の場を作っていけたらと思っています。

 引用は以上だ。


 大変ありがたいし、教員も、保護者も、みんなこうした考えで仕事、活動してくれたら万々歳だが、

 そして、そういう情熱をもって仕事や活動している方も、もちろん、大勢いらっしゃるが、

 しかし、そういう一部(残念ながら一部)の方々の善意、情熱にばかりたよってはいられなくなるのも現実だ。


〇そこで、また、宮台氏の著作の紹介となるのだが、

 
 何回も繰り返していて、申し訳ないが、

 もはや、人の善意と自発性に基づく地域社会は崩壊の危機にひんしている。それに代わり、世の中は、役割とシステムによって動く時代となった。

 奈緒美さんがおっしゃるように、

 クレーマーや困った親はどこでも確実に増えていますし、共感がなくて、無料奉仕で他所の子のために働いている人も、突然、非難や攻撃をくらう世の中になってるんです。

が現実だ。


 そうであれば、

 『モンスターペアレントやクレーマーが一定数いるのは必然』というなかで、しかし、『子どもの幸せのために、また、子どものより良い成長のために、善意と情熱をもって自発的に活動する方々が少しでも増えていく社会』にするには、どうしたらいいか。

 そこで登場したのが、『モンスターペアレント保険』『ボランティア保険』なるものである。


 システム社会の産物に対抗するには、やはりシステムか。


 こうした保険が成立する背景には、上記のほかに、

 『どんなに活動する人が、善意と情熱を持って取り組んだとしても、こまった親というものはそれとは無関係に一定数いるものだ。』というのが、多くの市民の共通認識となったことがあげられるだろう。


 これは、もちろん、公教育の場においても、言えることである。

 『どんなに教員がすばらしい学級経営をし、子どもがよりよく成長しているとしても、こまった親というものはそれとは無関係に一定数いるものだ。』というのが、多くの教員の共通認識になったことを意味する。


 ああ。今の時代も、共通認識というものはある。

 共通認識はあるが、その中身は、地縁血縁社会のころのそれとは、大きく変わってしまったね。

 
 『非難、攻撃』まで保険で救えるかとなれば、それは無理というものだが、少なくとも、金銭にかかわる部分については、これで身が軽くなるというものだろう。


 そして、本来の目的である、子どものよりよい成長を願っての活動がより充実したものになることが期待できる。

 さらには、地域と教員とが、互いにコミュニケーションをとって、子どものために活動するという、むかしあったよさを、ちょっとだけかもしれないが、取り戻すことができる。

 
〇実は、わたしが退職する年だった。名称こそ違っていたが、この種の保険が誕生した。

 最初、この保険の案内を読んだときは、『うわあ。時代はここまで来たか。』とばかり、思わず笑ってしまった。


 そして、しばらくはやり過ごしていた。

 しかし、数が月たって、けっこう多くの教員がこれに加入したことを知った。

 それで、わたしも入ることにしたのだが、わたしの意識としては、

・自分はもう退職が近い。あと、数か月だ。それに、自分の学校は一応落ち着いているし、まあ、大丈夫だろう。

・しかし、だからと言って、『絶対大丈夫』などとはだれも言えない。

・それに、保険に入ることは『相互扶助』という面もあるから、できるだけ大勢入った方が、保険としての機能も充実するというものだろう。

そんな思いになった。


〇しかし、この種の保険が、全面的に世直しに役立つというものではないだろう。

 やはり、本筋は、本来の教育活動とか、地域の行事などが有効に機能し、子どもの幸せにつながるものであることが大切だ。そして、そのPR活動にも努める。

 そう。そう。

 前記事に紹介させていただいた、『保護者同士を仲良しにしてしまう活動』も大切だよね。

 このように、まずは、本筋で努力する。

 そうすれば、今の時代、保険がなくなることはないだろうが、保険料が低額になっていくことは期待できるし、それは大変望ましいことと思われる。


〇最後に、別な件を一つ。

 今回のシリーズにあたりいただいたコメントのなかに、『保護者が変わったというなら、教員も同じでしょう。』というご意見が少なからずあった。

 わたしも、当然そのように思っており、記事にもそう書かせていただいたつもりだったが、記述が至らず、申し訳ありませんでした。


 そうしたら、今回も、『うわあ。教員のなかにも、モンスターティーチャーなるものはいるなあ。』と実感してしまう事例があった。

 もっとも、ブログを開設、運営させていただいて以来、こういう事態は、少なくとも年1回は起きている。やっぱり、一定数はいるのだね。


 彼らのコメントは、おしなべて、

・いきなり、高飛車な調子で入ってくる。

・そして、威圧的だ。

・相手をののしり、おとしめるような言葉づかいもある。

・記事の内容とは無関係に、自分の思いを恣意的、一方的に書き連ねるものが多い。


 彼らが教壇に立ち、どんな調子で学級経営をしているのか、子ども、保護者、仲間に対し、どんなふるまいをしているのか、それがものすごく気になっている。

 
にほんブログ村 教育ブログへ
 ninki



〇ボランティア保険が、上記、奈緒美さんご指摘の事例まで適用可能なのか、それは、わたしには分かりません。申し訳ありません。もっとも、まだ生まれたばかりの保険。実情に合うように、改良はしているようです。

 また、これは、あくまでわたしの経験で言わせていただくことですが、こういう事例の場合、お子さんの勘違いの可能性もあります。また、親に正直に言うのがこわいので、ほんとうは忘れたのに、なくなったというケースもあります。

 さらに申せば、もし、そうであった場合に、正直に謝罪してくる親ならいいのですが、そうでない場合も多いもの。

 事態は、ますます困難になってしまいます。そして、お子さんの成長を考えた場合、大人に振り回されるようで、何ともやりきれない気持ちになってしまいます。


〇記事本文には、『訴訟社会とはそういうものだ。市民の良識とは往々にして食い違う。』と書かせていただきました。市民の良識と法の判断は、往々にして違うのですね。

 裁判員制度は、市民の良識が少しでも判決に影響するようにという意味で、わたしは、いい制度と思うのですが、宮台氏はまた違った考えをお持ちのようです。

 もっとも、裁判員制度は、民事にはかかわらないのですね。残念です。


〇また、『これが、地縁血縁関係が濃いことのよさであっただろう。』とも書かせていただきました。

 でも、ここで忘れてならないのは、かつての地縁血縁関係の濃い時代は、そのしがらみに拘束される感があったのですよね。『豊かな人間関係』というよりも、『義理人情にしばられる人間関係』だったわけです。ですから、そのしがらみから解放されたとき、人々は、自由になり、のびのびとしたに違いありません。

 ちょうどいい線にとどまってくれればよかったのですが、これがまたむずかしい。

 学級経営でも痛感するところです。落ち着いた状態から活気に満ちた状態へと言えば聞こえはいいですが、『おとなしすぎて元気がない状態からハチャメチャな状態へ』となれば、これは問題ですものね。



rve83253 at 13:47│Comments(14)TrackBack(0)教育風土 | 保護者

トラックバックURL

この記事へのコメント

1. Posted by はるくん   2010年08月20日 15:37
3 こんにちは。

前回は大変厳しいコメントを出しましたが、先生は「指導力不足教員」についていかがお考えですか?認定する側として、肯定できますか。私は肯定するほうです。

今入院中なのですが、教育委員会の出した書籍について、電話でお願いして、ことを収めたと思っておりました。

そこへ飛び込んできたのが「退職強要○○市教育委員会」のブログです。一応市教育委員会と県の教育委員会に通報しました。

「退職強要」だけでヒットしそうです。今関係者が対策に頭を痛めています。

何回退職した部下の手を煩わせるんだ、教育委員会、どなりたい気分ですが、じっと我慢しています。
2. Posted by YK   2010年08月20日 17:52
はるくんさん

>>何回退職した部下の手を煩わせるんだ、教育委員会、どなりたい気分ですが、じっと我慢しています。

水を差すようで申し訳ないですが、これは教育の問題ではなくて、政治(行政)と法律の問題ではないでしょうか?

どういう状況に置かれているのか少しわかりかねますが、退職強要を強いられ、ストレスなどで入院しているということでしょうか?そうであれば、どなりこんでも捕まってしまうので、自分から司法の手に委ねたほうが解決は早いのではないかと思うのですが。どうでしょう。
3. Posted by はるくん   2010年08月20日 20:38
YKさん、

確かに仰る通り、行政と政治の問題ですが、当事者がほとんど法律を知りません。

それを書かれた当人が〜、であちこちから文句を言われるのがまるっきりわからない。

旧制度の司法試験を受験したことがあり、法律の運用は一応知っていますが、行政の当局が何もわかっていなかったのを知って、ガックリしています。
4. Posted by YK   2010年08月20日 22:49
はるくんさん

>>何回退職した部下の手を煩わせるんだ

私はこれだけで不当な労働の疑惑を持ちますが、その革新自治体とやらの風土はこれを問題視しないのでしょうか?法に詳しくない私でもコンプライアンスくらいは知っていますが、はるくんさんの地域の教育委員会の人々がそういったことを考えながら仕事をしているとも限りません。ましてや下手に教委が幅を利かせるような地域では法律への理解が乏しいのかもしれません。

それはそれで個人的には同情します。私なら法テラスに相談したり、行政書士などに相談して然るべき措置をとると思います。

ただ、一つ言えるのはこのブログはtoshi先生の「教育」に関する考えを述べる「個人の」空間であり、教育委員会という「組織の」政治的な考え方を表明する場ではないだろうということです。「政治」を語る場合は二義的なものになるだろうと思いますので、そこを同一視しないほうが良いのではないかと私は考えます。
5. Posted by はるくん   2010年08月21日 11:34
私が退職強要されたわけではありません。

他の方のブログです。

本当は教育委員会など知ったことではないのですが、何回も脇が甘く法律について無知なのを見せつけられてしまいました。

学校現場だけではなく、「何をやると違法になるか。」を勉強して欲しい、と思っています。
6. Posted by toshi   2010年08月21日 14:41
はるくんさん
 指導力不足教員については、思うところがあります。
 わたしの経験では、
 前任校において指導力不足とみなされていた教員が、我が勤務校に着任後、よみがえった例があります。
 教職員みんなでその教員を盛りたてた結果、いい教員とまではいかなかったけれど、まあ、そこそこがんばるようにはなりました。
 また、これは、わたしの学校ということではありませんが、ある校長とめぐり合ったことが契機となり、それまで指導力不足とみなされていた教員が、地域全体をリードするくらいすばらしい教員に変貌を遂げた例も、複数あります。
 お答えにならないかもしれませんが、やはりケースバイケース。どんな教員もまわりの力で伸びるとまでは断定できないでしょうから、答えは保留とさせていただきます。ただ、簡単に認定してしまう制度があるとすれば、それに対しては反対します。
 
 その他については、よく事情がのみ込めませんので、申し訳ありませんが、ノーコメントにさせてください。
 
7. Posted by toshi   2010年08月21日 14:44
YKさん
 よく事情がのみ込めないことに対し、真摯に対応していただき、ありがとうございます。
 また、拙ブログへのお心遣いにも、感謝申し上げます。
8. Posted by はるくん、   2010年08月21日 15:57
「指導力不足教員」の安易な認定にはもちろん反対ですが、校長ならやむを得ず認定しなければならないこともありますが…。

ちなみに私は校長に「もり立てて頂いた」経験は皆無です。ただ最後の勤務校の校長は、常識がありほっとしています。

私の勤務地を特定できると、すぐ事態がおわかりになると思います。旧制度の司法試験を受験した教員はあまり多くありません。

また私は退職後は大学院で日本史の研究をしています。
9. Posted by yoko   2010年08月21日 20:57
はるくんさん
YKさんも『ただ、一つ言えるのはこのブログはtoshi先生の「教育」に関する考えを述べる「個人の」空間であり、教育委員会という「組織の」政治的な考え方を表明する場ではないだろうということです。』と書かれておられましたよね。

記事に関する事ならいいのですが、記事に無関係な、あなたの個人的事情の話はもうこのあたりで終わりにしませんか。
10. Posted by toshi   2010年08月21日 22:40
はるくんさん
 個人的な話は、わたしだけでなく、読者のみなさんも不快に思われています。
 今後は削除させていただきますので、ご了承ください。
11. Posted by 伊藤   2010年08月22日 00:51
大学ではボランティアが義務づけられています。なので、行かないと卒業できません。行き先は基本的に募集先へ自己開拓していきます。正直なところ、ボランティアを強制しているのが非常に嫌ですが、秋から近隣の小学校に半年間補助に入る予定です。

免許法の改正で介護体験も義務づけられています。私立によっては完全に自己開拓を要求されていますし、個人的には特別支援学校への配属を暗に練習させられているんじゃないかと思います。

親がひどい、教師がひどいとマスコミは面白おかしく報道してますが、不安を煽ったり市井はこうだとか無責任で的外れな意見ばかり。

私は自分さえじゃなく、何事も損得でしか考えられなくなってしまったのが大きな問題です。
人間関係にしても、日々の生活にしても、損得じゃないことまで損得へ進む。

これじゃあ、いい人や正直な人は生きていけません。
12. Posted by toshi   2010年08月22日 09:56
伊藤さん
 《大学におけるボランティア活動の義務化》
 ほんとうに、日本という国は何をやっているのでしょうね。ここにもシステム化を感じています。皮肉なものですね。善意の義務化となりますよね。
 そう言えば、我が勤務校にも、近隣の大学生が一定期間やってきます。
 一人ひとりの子どもへの個別指導などで、確かに助かってはいるようですが、教員との話し合いの時間を取れている様子はあまりなく、どれほどの効果があるかという意味では未知数です。
《何事も損得でしか考えられなくなってしまったのが、〜。》
 ううん。そうか。それは確かにありますね。そして、宮台氏の著作も、この点にかなりふれていますよ。
13. Posted by YK   2010年08月24日 01:05
>>地域と教員とが、互いにコミュニケーションを取って、子どもが自立して成長する体験の場を作っていけたらと思っています。

奈緒美さんの問題意識は仰る通りで、子どもを育てる地域の環境をきちんと整えていかないと親は子育ても不安で、子どもは自立できないという悪循環に陥ると思います。私も30歳になったので、そろそろこのような活動も積極化しようと考えています。ただ、私は色々な人と交わるのではなく、地域の大物(経済人、議員、行政家など)、トップのポジションにある人と1対1の話し合いを通じて、自分の活動の後押しをしてもらうという戦略を立てて、布石を打ち始めています(私は公務員の教員ではないので、権力が無い分、活動の規制は緩いです)。地域では権力者がバックについているほうが行動がずっと楽になりますので。いずれ、私はモンスターを排した意志によって結ばれたシステムを構築したいと思っています。

>>yokoさん

フォローありがとうございました。あなたは賢くて優しい人柄なのですね。
14. Posted by yoko   2010年08月24日 13:43
YKさん
過分にお褒め頂き有難うございます (〃∇〃)ゞ

明確な目標を持ち、その為の道筋もしっかり考えて行動されているのは素晴らしいと思います。初心を忘れずに頑張って下さいね。

コメントする

名前
URL
 
  絵文字