2010年08月25日

全国学力調査の結果公表で、(6)

10428132703400045542_5prncw5omd[1] 今年度の全国学力調査の結果が報道されたのは先月の31日。

 今ごろとり上げても、もう皆さんの関心は薄れているかな。

 でも、申し上げずにはいられないことがあるので、ご容赦ください。


 すみません。実は、もう一つ、ご容赦いただきたいことがあります。

 それは、本記事も、過去記事へのリンクが多くなってしまうことです。

 その理由ですが、

 全国学力調査については、これまで何回も記事にしています。そして、わたしの同調査への思いなども、折にふれ書かせていただいています。

 その詳細を、再度、ここで繰り返すのは、むかしからの読者の方にはご迷惑と思うからです。そこで、そうしたことについては、ぜひリンク先をご覧いただきたいと思います。

 ただし、概略については、リンク先を開かなくても把握していただけるようにしようとは思いますので、どうぞ、あしからず、よろしくお願いします。



 それでは、さっそく、本文に入ります。



 早いもので、同調査は、今年、もう4回目を迎えた。

 ご承知のように、民主党を中心とした連立政権になってからは初めてだ。

 今年は、悉皆でなく30%抽出で行われた。それ以外に、希望による実施分もあったけれど、公表された結果は、あくまで30%分についてである。



 さて、現政権になって、少しはましな方向にいくかと思っていた。

 しかし、どうも、その期待は裏切られたようだ。

 

 ましな方向とは、どのような方向か。

 実は、前政権の時から、真の意味で子どもの学力を伸ばすことのできる取組は、か細くはあったがなかったわけではない。

 そこで、『よりましな方向』が分かる過去記事にリンクさせていただこう。


・まず、地方教育行政府(教委)、及び、学校の取組については、次の過去記事にある。記事前半部の次の言葉、
『それは、今年4月の記事だが、次のようなものである。』
からがそれにあたる。

    全国学力検査の結果公表で、(2) その使い方は、

・次に、国の取組だが、まずは、直接取組の分かる資料にリンクさせていただこう。

    全国学力・学習状況調査において特徴ある結果を示した学校における取組事例集

・そして、同資料を読んでの、わたしの思いだが、それは、

    政府の事業仕分け 教育編(2) 全国学力調査をめぐって、

の後半部、『それでは、お待たせしました。』からにくわしい。


 これらを通して、わたしが感じたことの概略を述べさせていただければ、

 これらの取組は、

 国にしろ、地方にしろ、こうした地道な取組・・・、要するに、テスト結果をよくするためのトレーニングや訓練ではなく、

 各学校現場等が、同調査結果を受けて、成果や反省点を明らかにし、そのうえで、日々の教育実践に同調査結果を生かしていくという、

 まさに、授業改善、教員の指導力アップにつながる取組であるということだ。


 わたしは、こうした取組に感動すら覚えた。

 これらをもっともっとPRし普及させていけば、全国学力調査はすばらしい成果を上げることになる。

 子どもの、『生きる力』『学ぶ力』も含めた、真の意味での学力向上につながるのだ。

 わたしには、そうした確信がある。



 わたしは、現政権にそれを期待した。

 そう。授業改善、教員の指導力アップに資するのであるから、マスコミ等の協力を得て、PRし、普及させていけば、悉皆調査にすることの意義は、ますますふくらんでいくだろう。

 
 しかしながら、今のところ、現政権からも、そうした方向性がまったくみえてこない。報道機関においても、わたしの知るところなされていないようだ。

 残念である。


 
 それどころか、政権交代の意義を帳消しにしてしまうような内容が、報道されている。


 今、それにふれてみよう。


〇まず、わたしは、今年度、都道府県別調査結果のランキングは、公表されなくなるのではないかと思っていた。全国学力調査のあしき側面がこれに象徴されているからだ。


 この点についても、過去記事等にリンクさせていただこう。

・まず、ランキング等の影響で始まった大人の学力狂騒が、いかに教育現場に悪影響をもたらしたか、そして、結果的に子どもや保護者を不幸にしたかを示す例は、読者の方からいただいたコメントのなかにある。

    『全国学力・学習状況調査実施』の記事にいただいたコメント9、12、13、30、31、35番(いずれもぶうちんさんからのもの)である。

・さらに、ランキングの結果をめぐっての大人の狂騒については、たくさん記事があるのだが、今一つだけ紹介させていただこう。

    全国学力検査の結果公表で、(3) 大人の狂奏曲

 ここでは、地方行政府だけでなく、一部の市民が、市町村別、学校別ランキングの公表を、裁判にまで持ち込んで迫る事例にふれている。


 ああ。この種の裁判では、多くが公表を認めているのだよね。

 法的にはそうなるのであろう。しかし、それが、点数にこだわる大人の学力狂騒をあおっている。

 
 ちょっと蛇足だが、

 先のモンスターペアレントをめぐっての記事と同様、ここにも、法によるシステム社会のあしき実例をみることができる。


 以上、そういう問題を抱えたランキング公表なのだが、現政権も、例年通り、公表してしまった。

 ああ。国が率先してやめてくれれば、少しは、結果がよくなったに違いないと思われる。


 わたしの切なる願い。

 新しい民主党を中心とした連立政権は、全国各地の学校現場の、地道ですばらしい実践を紹介することに、もっともっと真剣であってほしい。

 繰り返して主張しよう。

 授業改善、教員の指導力アップにつながる取組をうんと盛りたてていってほしい。

 また、それとは逆に、ランキング公表がいかに深刻な事態を招くかを、もっともっと本気になって心配してほしい。

 
〇心配なことは、まだある。


 新聞報道によれば、

 30%の抽出校は、小中合わせて、9,968校 約71万人。

 それに対し、希望による参加校は、同じく、13,896校 約89万人とのこと。

 そして、今回、国によって公表されたのは、あくまでも、その30%分についてであった。


 このことが新たな問題を引き起こした。新聞報道によれば、

・いわく。30%の抽出では、ランキングが公表されても、正確なところは分からない。誤差が生じる。

・いわく。希望による参加校の分の集計を国は行っていず、これらについては地方教育行政府等が独自の判断で行っている。これでは、採点基準などが不ぞろいになり、よそとくらべられない。

・いわく。希望による参加校分の経費が、バカにならないくらい巨額である。地方財政を圧迫している。希望がこんなに多くなるのであるから、やはり悉皆でやってもらいたい。

・いわく。実施しない学校が多数あり、子どもの学力の実態把握という点で、不公平である。
   

 ということで、悉皆の復活を望む声は市区町村で5割、都道府県では7割を超えるとある。

 そして、なんと、『国は(悉皆に戻すことを)検討せざるを得なくなった。』だって。


 いやあ。こりゃあ、ダメだ。もとの学力狂騒の復活だ。政権交代の意味は、少なくとも、同調査に関する限りなくなってしまった。


 やっぱり、ランキングや学校間競争へのこだわりがある。

 まったくこの国は、点数を上げることばかりにこだわる。


 しつっこいようだが、再度、わたしの思いを整理させていただこう。


 本記事の冒頭書かせていただいたように、全国各地には、感動するような、すばらしい取組もある。

 点数などには惑わされず、同調査結果に表れた子ども一人ひとりの学力の実態ををしっかり把握し、それを明日の指導、授業改善に役立たせようとする取組だ。

 そうした取組をもっともっとPRしてほしい。


 そう思うについては、この調査の問題が、単にどれだけの知識・技能をもっているかを問うような、かつての、日本の伝統的な出題とは大きく異なっているということがある。


 わたしは、かつて、同調査問題のすばらしさを指摘した。これは、『(日本にとっての)学力観の黒船』だと述べた。

    全国学力・学習状況調査実施(3−2)算数編

 わたしは、そこまで言わせていただいた。


 ねっ。だからこそ、わたしは、この調査の意義を強調したのだ。

 正しく運用されるのなら、まさに、日本の学校教育を根本から変えてしまうくらいの迫力のある問題なのだ。

 それが、教員の指導力アップ、授業改善の中身だ。

 だから、わたしは、そのような運用がなされるのなら、悉皆でやることにもろ手を挙げて賛成する。


 ところが、現状は。

 もう繰り返すまい。

 まことにお寒い状態だね。


 そして、こんなにも点数のみにこだわる国民なら、

 調査問題の中身になど、何の関心もない国民なら、


 子どもがかわいそうだから、そして、将来の日本が心配だから、

 わたしは、この調査の凍結を求める。

 

 ここまでお読みいただいて、

 もしかしたら、読者の皆さんのなかには、次のように思われる方がいらっしゃるかもしれない。


 『いいではないか。ランキングはランキングとしてこれまで通り公表してもらい、他方、各学校現場は、toshiのいうような取組をしていけば、なんの問題もないのではないか。』


 自分で問題設定して、自分で答えてしまうのは何とも変で、申し訳ないことだが、ご勘弁ください。

 興味、関心のある方は、どうぞ、ご覧ください。


 実は、これが、両論並び立たずなのだ。

 少なくとも、わたしはそう思う。


 そのわけは、


〇まず、誰が採点をするのかということから、問題としたい。

 今回、国が30%を抽出し、さらに、それよりも多い希望校が現れたことから、この問題が浮上した。

 希望校の採点は誰がするのか。


 新聞報道によれば、本記事でもすでに書いているが、

 『希望による参加校分の経費が、バカにならないくらい巨額である。地方財政を圧迫している。』

 ねっ。やはり、業者に委託しているのだ。


 ところが、そうでない地域も少しあるようだ。

 
 まずは、昨年度の例を2つほど。


・愛知県犬山市。新聞記事があるのでリンクさせていただこう。

    学力調査、犬山流で参加 独自に採点、授業に生かす

・もう一つ。上でリンクさせていただいた記事にもみられる。再度、リンクさせていただく。この前半部。最初の『〇印』。岩手県のある小学校の例がそれに該当する。

    全国学力検査の結果公表で、(2) その使い方は、

 
 こうした取組が、今年も行われている。

 報道によると、

 秋田県では、希望参加分の9割は教員が自分で採点したとのこと。


 でも、こうした例はほんのわずか。

 大部分は、先述のとおり、財政難の中、巨費を投入して業者へ委託している。


 なぜ、こうなるか。教員に採点をゆだねられない理由は何か。

・いわく。『採点基準などが不ぞろいになるのを防ぐため。よそとくらべられるようにするため。』

・いわく。『分析するための正確なデータを把握するため。つまり、市町村別や学校別のデータで比較できるようにするため。

 そして、なかには、『不ぞろいになるのを防ぐため、国の採点基準が公表されるのを待って業者に委託』などというところもあるらしい。


 それでは、教員が採点した秋田で、教員はどう言っているか。

 「多少採点基準がばらついても、子どもの苦手な点の把握には十分。学校ごとに勝った負けたと一喜一憂していない。」

 また、昨年度の犬山市では、

 「文科省から戻ってくる結果は、正答か誤答かだけ。教師が採点すれば、どこでどう間違えたかが分かる。」

 「解答が空欄でも、児童があきらめてしまったのか、一生懸命やった結果なのか(をみてやることが大切)。」

 「記述式の問題については、国の基準の、「〇」「☓」だけではなく、「△」もつけている。ここまではできている。』と認めてやるのが△。個々の子どもの実態をきめ細かくみて採点する、ふだんのテストと一緒です。」

とのこと。


 ほら。

 よそと比べるためにテストをするのか、

 真に子どもの学力向上に資するためにテストにするのか、

 双方の違いが一目瞭然でしょう。


 真に子どもの学力を向上させるには、子ども一人ひとりを一番よく知っている担任が、採点基準などにとらわれることなく、『自分の指導に合ったかたち』で、逆に、『反省を込めて』ということもあるだろうが、その双方を勘案して、独自の基準で採点した方が、 子どものためにいいこと、明瞭ではないか。



〇しかし、さらに、一部の読者の方から言われるかな。

 今年はともかく、昨年度までは悉皆だった。

 だから、すべて、国が、業者委託したうえで、統一された採点基準のもと、採点したはずだ。したがって、上記、岩手県や犬山市の例は、それとは別に、教員も独自に採点したということだろう。つまり、国による採点と担任による採点の双方が行われたとみていい。

 それでいいではないか。

 むしろ、そのように二重にやってもらえれば、ありがたい。


 そんな声が聞こえてくる・・・ような気がしている。 
    

 でもね。これも、違うのですよ。


 
 上記のように落ち着いた地域ならそれでいい。『熱心な教員』というようにみてもいただけるだろう。

 しかし、ランキングの公表等、裁判まで起こされる地域も、これと同じとは思えない。

 さっそく騒がれるだろう。


「なんで、国の基準に沿わない採点などするのだ。それでは、学力調査の結果の二重帳簿ではないか。」

 つまり、教員による採点は、自分に都合のいいインチキな採点。あまい採点。

 そうみなされてしまうだろうということだ。


 これには前科がある。

 ご記憶の方もいらっしゃるだろう。


 数十年前、『通信表と学習指導要領の記載とが違っている。』と、マスコミも巻き込み、大問題になったことがある。

 それが繰り返されるのではないか。



〇このことは、『希望参加、希望参加』と言っているが、いったい誰が希望しているのだということにもかかわってくる。

 巨費を投じて、業者委託して採点する地域。

 ねっ。こんな地域は、学校が希望したとはとうてい思えない。学校は、地方教育行政府から押し付けられたに違いない。

 とすれば、ランキングへのとらわれがある地域と重なってくるのだろう。

 
 逆に、教員が自己採点している地域では、学校が希望している可能性が高い。もしそうなら、これこそ、同調査の有効活用が強く期待できる。

 
    
 最後に、

 わたしは、今回、避暑を兼ねて最寄りの図書館へ行った。そうしたら、思わぬ効用があった。新聞各社の記事を読みくらべることができたのだ。


 やっぱり、報道の中身は新聞社によって違いがあるね。


 それでいい。民主主義なのだもの。

 しかし、そうは言っても、恣意的、独善的にやられると、やはり抵抗を覚える。


 今回もそういう記事があった。ある新聞社は次のように書く。


〇希望して実施した地域のなかには、学校などで独自採点するところもあり、採点基準が不ぞろい。したがって、平均正答率の低い自治体に、教員を重点配置できなくなった。


 なんと恣意的な記事だろう。

・まるで独自採点がいけないことであるかのようなニュアンスだ。

・それではいったい、過去3回で、どれだけそうした重点配置を、国はしてきたというのだろう。

・これまで4回実施してきて、平均正答率の低い自治体などは、固定化していること、さらには、『知識より応用に課題あり。』という学力の傾向も変わらないこと。これらは、もう、周知の事実となっている。

 分からなくなんかなっていないのだ。

 となれば、遠慮することなく、重点配置を主張しなさいよ。

 
〇また、それとは逆に、上記、犬山市の取組を紹介してくださった記事のように、

 別な新聞社は、

 学校現場の取組を、具体的に紹介してくださった。

 これは、ほんとうにありがたい。

 こうした地道で価値ある取組を、たとえ、小さな小さな取組であっても、取材し、紹介してくださることに、心から感謝している。 


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 けっきょく、こうした対立は、人間観の違いに根差すのでしょう。

 『もともと教員など信用できない。子どもだって、追い込まなければ勉強などするものではない。それにはノルマを課すに限る。』

という人間観と、

 『信頼してかかれば、教員はがんばる。がんばる教員に多忙感はない。子どもだって、自ら伸びようとする存在ですよ。』

その双方の、『人間観』の対立なのでしょう。


 そして、各地域が、これまで、どんな教育風土を築いてきたか。

 今のドタバタは、その結果でもあるのでしょう。


 さて、次回記事とは申しませんが、近日中に、本シリーズの続きを書くつもりです。今回出題された問題をとり上げ、具体的に考察してみたいと思います。

 『学力観の黒船』は、今回の調査問題からも言えるのでしょうか。その辺を明らかにしてみたいと思います。


rve83253 at 15:36│Comments(12)TrackBack(0)全国学力調査 | 教育制度・政策

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この記事へのコメント

1. Posted by 伊藤   2010年08月25日 16:56
ペーパーテストへの回帰は世界的にみられることです。

正直なところ、学力調査である以上、順番は無意味であり、統計上のデータは弱点部分が顕在化した時に教育委員会ないし教師の方針がどうだったかという点を追えることに意味があるのであり、データそのものは現時点の把握が目的であるのが筋であるけれども、大阪府知事のようにデータをはき違えている人もいる。市町村、都道府県のデータは教育方針に依るところが大きくて、体力についても同じようなことがいえるはずです。
学力調査は数字によって、顕在化をすることであり能力を測ることではない。これをマスコミは私学や学習塾の戦略にまんまと乗せられている。マスコミは高学歴ですが、思考が硬直化していてなおかつ当人が素晴らしい教育受けてきているならば、どうやって教育を改善しようなどという発想なんて生まれるはずがないし、日本にしても首相の次に偉いのが財務大臣であることを思えば、伝統的に日本は教育を軽視しているにすぎないでしょう。

ばらつきが出るなら、択一問題しかないけれども、それだと偶然もあり、問題文を読み、考える能力を問えない大きな欠陥を生んでしまう。そうならば、たとえばセンター試験のようになり、テクニック重視になってしまう。

もし、この国に求められる学力を考えるなら東大の2次試験問題がすべてだと思います。日本のトップを養成する大学が問うことは将来的に日本がどうあるべきかを問うことにもつながると思います。
2. Posted by toshi   2010年08月26日 13:25
とらちゃんさん
 読者の方にご迷惑のかかるコメントと判断し、削除させていただきました。
3. Posted by toshi   2010年08月26日 13:45
伊藤さん
 そうですね。日本の教育政策を考えるお役人や政治家たちが、自分たちが受けてきた教育を空気みたいにとらえているとすれば、どの学力の子も伸ばす教育といっても、そのようなものはまったく理解不能なのかもしれません。
 そのうえ、彼らがすばらしい資質をもっているかと問えば、限りなく?です。
 どこかで軌道修正を図らなければダメですね。見通しは今のところないですけれど。
4. Posted by 伊藤   2010年08月26日 17:08
平成以降、教育を謳った政権は安倍政権だけです。ところが、あの人は教育が何も分かっていなかったと思います。
教育再生会議のメンバーをみると、小学校の現場経験者が1人だけ。高等学校経験者も2人。大学教員もいましたが、純粋に教育学部で指導している人、あるいは教育学の専門家がいなかった。これでは、机上の空論過ぎて教育がだめになるのは必然でした。
その後の福田内閣で作った懇談会のほうがバランスも良く、機能していたように思います。

中教審も退官されている大学教員が多い。こうなると、特に公立で教えている教員の意見も反映されないですし、教育委員会を経験している人間や学習塾で指導経験のある人間、大学教員も教育学部で実際に養成している人間もいないと私はよくないと思います。

軌道修正というか、文部官僚もおそらくやりたいことはあるはずです。それをきちんと打ち出すことが大事であって、何も言わず政治家に押し付けることはよくありません。官僚だからできることも本来はあるはずです。
5. Posted by YK   2010年08月27日 00:41
コメントを含め、いろいろ考えさせられましたので、私の感想を書かせていただきます。

テストで○×以上のもの(判断)を求めるとなると、教師に対する信頼が大事になるのでしょう。

が、今日、学校に対する不信感が高まっているのは、一つには教師の不祥事があると思うのです。具体的に言えばわいせつ行為、児童・生徒のいじめによる自殺への学校の対応など。

○×以上の判断をするとなると、機械であってはいけない。まず人間でなければならない。しかし、人間としてのモラルに信頼が置けない。ということで学校教育に対して不信感が先立つ、というのは一つの理屈かと思います。

東大の試験の話題が出ましたが、東大の問題はやはり優れています(文系しかわかりませんが)。知識(暗記能力)、判断能力、応用力、文章力、どれも総合的に要求されます。

が、それらは特定の職業には必要な能力なのです。官僚機構であれ、法曹界であれ、学術の世界であれ、必要な能力だから試験で問うのだと私は考えます。つまり、日本におけるエリートを育成したいという明確な意思によって問題を作成しているのです。
6. Posted by YK   2010年08月27日 01:18
それはそれでよいでしょう。

しかしながら、市民の立場から言えばどうか。例えば、東大の教授の論文だったら何でも素晴らしいのか、それを判断するのは、やはり自分の理性です。それを養うのは教育だろうと思います。

更に付け加えるならば、東大を出れば小学校の教師の適性を得ることができるかどうかはわからない。つまり知識量=教師の資質、とも限らないと考えられます。

私の母は昔は小学校の教師でしたが、私より知識は劣るでしょう。しかし、ドラッカーの「ポスト資本主義社会」を読むのは大変だとしても、「さびしがり屋の子どもにかける優しい言葉」といった簡単な本を読む母のほうが、小学校の教師には向いているだろうと思うのです。

要は、学力を○×式の方法で測り切れないのと同様、教師の適性も一面では測ることはできないし、一面的な判断は危険だともいえると思います。

誰もが無機質な官僚機構を目指すというのなら○×でも良いと思いますが(本当はよくないけど)、善い市民を目指すのなら、受験技術を伝えるだけでは不足していると思います。

この点において、私は先生の“けっきょく、こうした対立は、人間観の違いに根差すのでしょう。”という考えに同意します。

「○か×か」のなかにはモラルはないですが、「○か×か△にするか」、という問いには、教師の判断力、モラルが問われます。

そのように、理性の問題として捉えれば、この問題は深い意味を持つか、と思います。犬山市のやり方には善良な市民社会を築こうという意思が見られます。

ではそのやり方が普及するか、という問題については、最初にも触れた、学校への信頼があるのかどうか、という問題になってくると思います。

7. Posted by toshi   2010年08月28日 14:32
伊藤さん
 おっしゃる通りと思います。教育だからといって教育の専門家ばかりでもいけないと思います。やはり、専門家と受益者側と双方のバランスが大事なのではないでしょうか。
 伊藤さんにはもうお読みいただいていると思うのですが、最近の読者のみなさんのために、一つの過去記事を紹介させてください。
 教員と行政マンとが同一の授業研究会に参加して交流を深めた例です。
 本コメントのtoshiをクリックしていただければ出るようにしました。よろしくお願いします。
8. Posted by toshi   2010年08月28日 15:53
YKさん
 最近思うのですが、本記事のようにトータル的にとらえた場合、教員の信頼度というのは、その資質とかかわるようでいて、実は、その地域地域の風土と深くかかわっているのではないかということです。そうした意味では、長年の歴史的経過とも切り離せないのでしょうね。
 ただし、それとは別に、教員の資質向上策も本気で考えないといけないでしょう。拙ブログにおいても、それはどのようなものでなければならないか、折にふれて述べているところです。
 少なくとも、知識的な面はさほどのものは要求されないでしょう。問題解決力、理性、愛情、協調心、そういったところでしょうか。
9. Posted by YK   2010年08月28日 22:41
>>トータル的にとらえた場合、教員の信頼度というのは、その資質とかかわるようでいて、実は、その地域地域の風土と深くかかわっているのではないかということです。そうした意味では、長年の歴史的経過とも切り離せないのでしょうね。

おっしゃる通りかもしれません。私は地方出身で、大学のキャンパスは神奈川でしたが、今は自分の故郷に近いところに帰って教えています。やはり地元なので風土というのは何となく感じます。基本的な人柄は穏やかで謙虚だったりするのですが、学歴へのこだわりは強いのですね。何でかな、と思うんですが、親御さんに旧制中学などへの憧れが残っているのかな、と思うことがあります。そういうのは、2代、3代では抜けないのかもしれないですね。一種の教育文化かもしれないですが、盲信は危険だと感じます。「東大に○人行きました、京大に○人行きました、私たちの教育の成果は素晴らしいでしょう、でも市の財政は破たんしました」では話にならないと思うのですが(笑)。本当に人を育てているのかどうか、問いながらやらないといけないと感じます。

>>問題解決力、理性、愛情、協調心、そういったところでしょうか。

私もそう思います。まだまだ勉強が足りないと上司に活を入れられたので、私自身の教える力も、知識も不足しているんだなあと感じています。
10. Posted by りんどう   2010年08月29日 15:41
 toshi先生、始めまして。いつも読み逃げしております。田舎の僻地に住む小6の子を持つ一主婦です。
 全国学力テスト、今年はうちの学校がみごと(?!)抽出にあたりましてわが子も受けました。担任の先生に懇談会のおり、学テの話をしましたら、「あ〜らお母さん、あのテストは学校の勉強とは全然関係ないんですよ。」とおっしゃられました。その言葉には、そんなテストどうでもいい、という雰囲気がありありと感じられました。
 なにより、学校がすでに始まっているのに結果は返却されてもきませんし(学期末に通信簿と一緒に返す予定?)、そのテストを使ってみんなでもう一度勉強してみようなんていう機会は、たぶんないだろうと思います。
11. Posted by toshi   2010年08月30日 09:36
YKさん
 もう、学歴のみがものをいう時代ではないこと、理屈ではみんな分かっていても、やっぱり地域風土というか、意識がそこから抜け出せないところもあるのでしょうね。
 そうか。こと学歴に関しては、もしかしたら、大都市も、いまだ、そうした意識かもしれませんね。 《「東大に○人行きました、京大に○人行きました、私たちの教育の成果は素晴らしいでしょう、でも市の財政は破たんしました。」》
 いやあ。これ、冗談でなく、真剣に、しかも、国家的レベルで考えてしまいました。ほんとうに、そんなふうにならなければいいが、心配になってきました。
12. Posted by toshi   2010年08月30日 10:10
りんどうさん
 はじめまして。
 いやあ。『読み逃げ』などとおっしゃらないでください。もう、ご愛読いただけるだけで感謝しております。
 今年、我が勤務校も抽出されています。その上、6年担任の初任者を担当していますので、この調査結果も初任者指導に生かしたいと思っています。

《担任の先生に懇談会のおり、学テの話をしましたら、「あ〜らお母さん、あのテストは学校の勉強とは全然関係ないんですよ。」とおっしゃられました。その言葉には、そんなテストどうでもいい、という雰囲気がありありと感じられました。》
 ううん。これについては、どういう意味で担任がそう言ったのか、単に、『通知表にあらわれる成績とは関係ない。』という意味で言ったのか、それとも、『授業とは関係ない。』という意味なのか、前者なら当然のことなのですが、後者だと問題ですね。

 結果は、個人票というかたちで、渡されるはずです。
http://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/gakuryoku-chousa/zenkoku/1288480.htm
を参照してください。
 この『8.調査結果の取扱い』のなかの『(3)抽出調査の対象となった学校の各児童生徒の調査結果等の提供』の『エ』に書かれています。
 もし渡されないなら、これは学校に要望していいでしょう。

 ところで、もしほんとうに、『そんなテストどうでもいい。』ということでしたら、複雑な心境です。
 というのは、テストのために反復訓練学習などを行い子どもを追いこむ地域よりはいいといえるでしょうが、『授業改善に生かすこともない。』という意味では、こまったものですものね。
 次回は、我が地域で長年実施してきた標準学力診断検査とも関連させて記事をまとめたいと思っています。どうぞ、よろしくお願いします。

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