2010年09月18日

初任者の成長(12) 関係づけを通して

 PA0_0578今日は、最近の初任者Aさんの成長について、書かせていただく。

 そう言えば、前記事冒頭では、『〜、あわてて初任者の指導力を強調したが、あとの祭りの感、なきにしもあらず。』と書くハメになってしまったのだよね。想いが、ある一面にかたより、初任者の成長を度外視してしまったのだった。

 本記事で、それをとり返そうというわけではないが、正真正銘、初任者のすばらしい成長を綴らせていただく。


 自分の仕事は初任者を育てることだから、これはもう、うれしいことに違いない。

 しかし、後半に一つだけ、初任者の課題も書かせていただく。

 『初任者の課題』。

 そうは言っても、けっきょくは、わたしの指導の至らなさを書くのと同じなのだけれどね。



 それでは、どうぞ。


 初任者のAさんは2年生担任。Aさんについては、過去記事に書かせていただいたことが何度かある。今、その中の一つにリンクさせていただこう。バナーの下である。

    ヤゴ救出作戦

 当初は、テレビのクイズ番組のような授業もあったAさん。(Aさん。上記リンク先の記事といい、本記事といい、あまりよくないことまで書いてしまって、ごめんなさいね。しかし、いいこともいっぱい書くから、許してね。)
 そんなAさんが、今はもう、子どもの想いを大切にし、いい授業をするようになっている。


 ところで、わたしがAさんのクラスに入るのは週2日だけだから、以下のことは突然起きたような印象を受けた。あとで聞くと、学年主任の助言があったらしい。6月のことだ。よかった。


 それは、学級目標を設定したことだ。

 そこには、大きく『心の花をさかせよう。』と書かれていた。わたしが見たのは、模造紙2枚を貼り合わせたものに大きくこの目標が書かれ、そのまわりに学級すべての子の似顔絵が配置されたものだった。(すみません。本記事冒頭の似顔絵の写真は、このクラスのものではありません。)



 その日の放課後、Aさんに言った。


「いいねえ。学級目標ができたのだね。しかも、『心の花をさかせよう。』というこの言葉がいい。気に入ったよ。
 でも、この目標を、単なる標語のようにしてはダメだよ。日々、子どもの心の育ちにつなげるようでないといけない。それには、子ども一人ひとりが言ったりやったりするのをよく観察して、この学級目標と関係づけながらほめるようにすることだ。
 たとえば、『あっ。今、〇〇ちゃんはお友達にとてもやさしくすることができたね。〇〇ちゃんが△△ちゃんに言ったことから、そう思ったよ。この目標にあるように、心の花が咲いたのだね。』というようなほめかたをすることだ。
 そうすることによって、この目標が生きてくるし、子どもたちの心も育っていくだろう。」

 そうしたら、Aさん、それを忠実に実行したようだ。


 夏休み明けの今月初め。Aさんはうれしそうに、わたしに報告してくれた。しかも2件。


〇まずは、夏休みの宿題に出した日記だ。Bちゃんが書いたものを見せてくれた。


 そこには、こう書かれていた。(ここでは読みやすさを考え、漢字、段落を多用するとともに、『  』も使用させていただきます。)

 ママと一緒に『借りぐらしのアリエッティ』と『トイ・ストーリー3 3D』の映画を見に行きました。わたしがもしアリエッティみたいになったら、歩いているとき人間に踏まれたら痛いなと思いました。
 でも、映画はおもしろかったです。
 トイ・ストーリーの仲間の心は、心の花が咲いていると思いました。なので、とってもおもしろかったです。

 日記は以上だ。


 そして、Aさんは言う。

 「『心の花が咲いている。』と書いてあるので、『あっ。このクラスの学級目標だ。』って思いました。だから、そう言ってほめてやりました。」

 「そうか。それはよかった。すぐ、『このクラスの学級目標だ。』って思ったAさんの感性がすばらしい。それでほめてやったのもいい。

 しかし、次のようなことまで言ってほめてやれば、もっとよかったと思うよ。それはね。

・ながあい、ながあい、夏休みの生活のなかだから、学級のこととは関係ない出来事なのに、そのなかでも、このクラスの学級目標を思い浮かべることができた。

・そして、Bちゃんの心のなかでは、映画のお話が、このクラスのみんなとの生活につながったのだね。

・学級目標をつかって書いてくれたから、それを読むみんなも、どんなお話か、ビビビインって分かってしまうよね。みんなが分かる言葉をつかうと便利だね。

 その3つだ。」


〇もう一つ、Aさんがうれしそうに報告してくれたこと。


 それは、国語の教科書に出てくるお話。『サンゴの海の生きものたち』の初発の感想だ。そのなかにも、この『心の花をさかせよう。』が息づいていた。

 たとえば、次のような記述があった。

・海の中でも2年2組でも、心の花が咲いている。
・掃除をしてくれる心がある人は、きっとやさしい。
・互いに助け合い、互いに守り合うことがすごくいいと思った。


 わたしは、これもすごくほめた。

 このように、初発の感想までもが、学級目標と関係し合って書かれるということ。それは、すごいことだ。
 もう単なる標語どころではない。子どもたちの心に、学級目標が息づいている。そう思わせた。

 特に、上記感想の2番目など、国語のお話から離れ、学級生活の方を書いている。きっと、お話を読みながら、心は学級生活の方にいっていたのだろう。



 それで、話し合いによる、読みの深まりにも、期待がふくらんだ。

 そう。そう。『サンゴの海の生きものたち』の全文が載っているホームページを見つけたので、それにリンクさせていただこう。ただし、教科書に載っているきれいな挿絵はないことをご承知願いたい。

    
 それでは、概略にすぎないが、授業の様子をどうぞ。


 まず、

 イソギンチャクとクマノミのかかわり合いの読み取りは順調だった。子どもたちは、話し合い学習のなかで、学級目標や生活と関係づけながら、お互いが守り合っている姿を読み取っていった。

 特に読み取りで圧巻だったのは、

 『クマノミはねばねばしているから、イソギンチャクにさわられない。』という発言があったとき、
「違うよクマノミがねばねばしているのではないよ。ねばねばした液でおおわれているのだよ。」
「そうだよ。ねばねばした液がクマノミの体についているの。クマノミがねばねばしているのではない。」
「さわられないのではなくて、刺されないのでしょう。だから、守ることができる。」

 なんとなく漠然とした読み取りだったのが、正確な読み取りになっていった。そして、こうした発言は、多くの子をハッとした思いにさせるから、みんなよく友達の発言を聞いていた。

 そのようにして、お互いに守り合っている姿を具体的に理解していった。


 ところが、

 その後の、ホンソメワケベラと大きな魚の関係になっていくと・・・、

 お掃除と食べ物という言葉が出てくるからかな。そして、これらの言葉が、学級目標の『心の花』を想う心を刺激してしまったかな。


 子どもたちの話し合いは、どちらかというと、国語のお話より学級生活の方に比重がかかるようになってしまった。

 お掃除、給食から始まり、休み時間、登下校など、そちらの方へ話が広がっていく。そして、お友達へのやさしさ、助け合ったり協力し合ったりすることの美しさなどが、強調され出した。


 Aさんも別にあわてている様子はない。この流れでいいと思っているようだ。


 ああ。この場面、心のなかであわてていたのは、後ろで見ているわたしだけのようだった。『何だよ。これは国語の時間だよ。道徳ではないのだよ。もっと本文に戻ろうよ。』そうした思いでハラハラドキドキしてしまった。

 
 しかしね。わたしは、ハラハラドキドキすると同時に、これまでの自分の初任者指導を反省せざるを得なくなった。


 だって、事前には、

 子どもの初発の感想に、何人か、教科書の本文と学級生活(目標)とを関係づけて書いているのだから、読み深めの学習も、それをうまく生かすようにして、学習を進めるとよい。

 そんな話をしていたからだ。


 しかし、大事なことが抜け落ちていた。

 そう。それは、どちらが主で、どちらが関係づける材料かということ。


 この場合は、もちろん、お話の読み取りが主で、だから、大きな魚とホンソメワケベラとのかかわり合いを正しく読み取ることが大切で、

 学級生活(目標)は、子どもの読みへの意欲を培うとか、たとえば、『このお話のように、お掃除と給食(食べ物)が合体するなんておもしろい。』というように、読みを深めるための関連材料として扱わなければならない。

 いわば、主客が転倒してしまったわけだ。


 わたしは、事後、自分の指導の至らなさを述べながら、初任者指導をするハメになったのだが・・・、


 でも、このお話を書いた人、ごめんなさい。

 この著者にも、よくない点があったのではないか。あとでそう思った。


 お話の冒頭、著者は、『サンゴの海の生き物たちがどんなかかわり合いをしているか。』と投げかける。そして、イソギンチャクとクマノミのかかわり合いを具体的に述べる。さらに、そのかかわり合いは、『お互いに守り合っているのだ。』とまとめる。


 しかし、その次の、大きな魚とホンソメワケベラの方では、その『守り合い』にあたる言葉が欠落している。書かれていないのだ。

 そして、書かれないまま、『このように、サンゴの美しい海では、たくさんの生き物たちが、さまざまにかかわり合ってくらしています。』とまとめられてしまう。


 子どもたちとAさんが、自然に主客転倒させてしまったについては、こうしたことも背景としてあったのではないかと思わせた。


 話があっちこっちへ飛んで申し訳ないが、

 しかし、これも、よく考えれば、著者のせいではないね。だって、今、著者は執筆中というわけではないもの。厳然として本文は教科書に記載されているのだ。それなら、やはり、わたしの教材研究不足のなせるわざというしかないだろう。

 大きな魚とホンソメワケベラのかかわり合いがまとめられていないと気づいたなら、それを子どもに考えさせることもできたはず。


 つまり、イソギンチャクとクマノミは、互いに守り合っている。それなら、大きな魚とホンソメワケベラは、互いに、どうし合っているのか。

 そういう話し合いにもっていけば、上述のように、『協力し合い、助け合い、やさしくし合い』などが、主客転倒することなく、子どもたちから出てきたのではないか。その場合は、もちろん、学級生活(目標)が、思考しやすくなる関連材料として役立ったに違いない。


 そういうAさんへの指導が事前になかったことをAさんに詫びた。



 最後に、子どもたちの書いた初発の感想のなかには、Cちゃんだが、次の文章があった。

・サンゴの海の魚は、タンポポみたい。


 これ、読んだとき、わたしもAさんも意味不明だった。『なんで、海の中の魚がタンポポみたいなのだ。』そう思った。

 しばらくして、『あっ。そうか。1学期に学習したタンポポのお話を思い浮かべたのだな。・・・。それにしても、共通点はあるのかな。』


 さらに数分して、やっと納得だ。

 あのお話のタイトルは、『たんぽぽのちえ』だった。そうか。分かった。『サンゴの海の生き物たちも知恵でいっぱいだよ。』Cちゃんはそう言いたいのだ。


 そこで、Aさんに言った。

「このCちゃんの感想は、このお話の読みの最後にとり上げるといいね。
 そして、『タンポポのちえ』は、もう何か月も前の学習なのに、それと、この『サンゴの海の生きものたち』のお話とを、知恵という点で関係づけることができたのはすばらしい。そう言って絶賛してほしい。」


 でも、これも、あとで付け足たさなければならないハメになったわけだ。

 「しかし、話し合い学習のなかで、お話の中心が、『タンポポのちえ』の方へいってしまわないように、気をつけてね。」

「はい。分かりました。もう、大丈夫です。」

 Aさん。はにかんだように、そして、うれしそうにほほ笑んでくれた。



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〇わたしは、常々、こう言っています。

 学級目標は、具体的であるといい。具体的に書かれていると、それを守ろうとする意欲づけにもなるし、守ったときの達成感もすばらしいものがあるだろう。そして、クラスとして達成できたと思ったら、さらなる目標を子どもと考え合うようにする。

 でも、本記事のように、『心の花を咲かせよう』というような抽象度の高い目標も、いいものですね。また、この言葉は、子どもの心の琴線に響かせる何かがあるのでしょう。

 ただし、その場合は、『やさしさ・協力・助け合い』などのように、常に具体的にとらえられるサブの目標が必要になります。

 前記事に書いたように、子どもの学級生活が上向いていることについては、こうした取組も、成果を上げているに違いありません。


〇本タイトルのサブにある『関係づけ』は、思考力を育むうえで重要です。そのことについて、具体的に書いた記事があります。リンクしますので、よろしかったらご覧ください。

    そんなの、カンケーねえ? いえ、関係づけてね!


〇最後に、クマノミは、ディズニーアニメでも有名なようですね。子どもたちから、『ディズニーランドで見た。』というのはたくさん出てきました。

 ただし、これはご愛敬。学習のまな板にのることはありませんでした。

rve83253 at 07:01│Comments(4)TrackBack(0)初任者指導 | 授業

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この記事へのコメント

1. Posted by 伊藤   2010年09月24日 10:34
現場でこのような出来事を我々のような学部の人間に共有できるか。

これもひとつの優秀な教員を養成する一つではないかと思います。

教育学部はもっと教育委員会とか卒業生使って促成栽培とは言わないまでもなんとか素晴らしい授業を指導できるようにしていただけるとありがたいんですがね。
2. Posted by toshi   2010年09月24日 20:32
伊藤さん
 我が地域では、わたしのような退職校長が、大学で講師として勤務している例は少なくないです。ただ、なかなか学生にこうした授業が理解してもらえないという現実があるように聞いています。(もちろん全員がということではありません。理解し、意欲的、挑戦的に学ぶ学生もいます。)
 次回記事に、書かせていただこうと思っていますが、やはり、学生自身が、自分の小中学生の時に本記事のような授業を受けていない。つまり自分たちの想い、考えを思う存分表出して学び合った経験がない。その結果として、こうした授業の意義、意味を理解することができない。そういう現実があるようです。
 その結果、やはり、初任者として勤務し、その学校の先輩教員がこうした実践を数多く行っているという状況があって、それで初めて理解できるようになるという、きびしい現実があります。
 まあ、わたしも微力ながら、現場で指導させていただいています。初任者の大部分は、子どもの、意欲的な学びへと変容していく姿をみて、初めて、こうした指導の大切さに気づいてくれているように思います。
3. Posted by uki   2013年06月23日 22:14
ブログを初めて読みました。どうか、一度お話を伺いに行きたいです。よろしくおねがいします。
4. Posted by toshi   2013年06月24日 16:54
ukiさん
 はじめまして。ご愛読賜りありがとうございます。どうぞ、末永くよろしくお願いします。
 お会いしたいとのこと。どうぞ、拙ブログサイドバーのメール受付欄から、自己紹介等も兼ねてメールを賜れば幸いです。この点もよろしくお願いします。
 なお、もしメールが送れないようでしたら、再度コメントをいただければと思います。

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