2010年09月23日

日本は子どもの規格品をつくっているのではないか。(1)

PA0_0467 最近の日本では、いわゆる『エリート』と呼ばれる人たちも、いろいろな事件を起こす。エリートの質が悪くなったのか、むかしからよくあったことが白日のもとにさらされるようになったのか、おそらく後者だとは思うが・・・、

 この種の事件で驚かされるのは、日本をリードする立場にあるものが、『豊かな人間性』のかけらもないと思わせることである。

 数年前の姉歯問題しかり。そして、今回の大阪地検特捜部の主任検事が引き起こした、『押収した証拠の改ざん問題』しかりだ。

 本来、頭脳明晰で責任感もあり、『人間性豊か』と思いたいエリート。そのエリートたちのこのていたらく。

 日本の将来は大丈夫だろうかと危惧してしまう。


 日本の将来と言えば、これは、犯罪に類したことではないけれど、過去記事で、近年の首相交代劇のひどさについても、論じたことがある。

 わたしは、このリンク先記事において、こうした『エリートの問題』を、受験システムと関係づけて論じたのだった。受験システムの波に乗り、功成り名を遂げたものたちについてだ。

 それは、当時、自民党をとび出したばかりの与謝野馨さんが、鳩山前首相について、「試験の答案は書けるけど、責任感を持ってモノを考えることができない人。」と評したからだった。

 わたしはその記事で、同氏の言葉に共感しながらも、『それを言うなら、鳩山以前の自民党の3代の首相も同じでしょう。』と述べたのだった。


 そうしたら、このたび、それに類することで、さらに共感できる、すばらしいブログを見つけた。今、リンクさせていただこう。『かかわり過ぎない子育て』のなかの、『現実の教育問題を知らない 有名人』なる記事だ。

 10円まんじゅうさん。リンクについて、事後承諾をお願いすることになり、申し訳ありません。よろしくお願いします。


 同氏は、この記事のなかで、日本の受験システムが、いかに子どもの心の健全発達を阻害し、豊かな人間性を身につけさせにくくしているかをおっしゃっている。

 わたしは、まったくその通りと思う。『よくぞ、おっしゃってくださいました。』という思いがしている。


 ただちょっと、ほんのちょっと見解を異にするのは、『昔は よく遊び 人間能力を身につけたうえで 勉強して 進学しました。』のくだりだ。


 これは、大筋、合っているのであろう。今のような大手進学塾の林立はなかったし、受験する子どもだって今とくらべればかなり少なかった。

 でも、やはり、受験熱に浮かされる地域はあったし、現にわたしは・・・、


 そのあたりのことは過去記事にくわしい。下記リンク先記事の前半部分である。

    教員生活35年


 この記事にあるように、わたしは、40年前、初任者として、そういう地域の学校に着任したのである。当時、『〜の学習院』という呼び名も高いA小学校だった。わたしの着任したころは、もうかなり、『中学受験推進校』(揶揄して言っています。こんな言葉はありませんでした。)的色彩は薄れていたが、

 その数年前までは・・・、


 ちょっと長くなり、申し訳ないが、冒頭のエリートの子ども時代と重なるので、上記リンク先記事に補足させていただこう。


・B校長は6年担任に対し、『君のクラスは、受験する子どもが少なすぎる。担任の努力が足りないのではないか。』などと圧力をかけていた。

・同校長は、地域の研究、研修会に自校教員が出張するのをすごく嫌った。『そんな暇があったら、受験教育に専念しろ。』と言うのが口癖だった。

・当時、各学年4・5クラスあったが、6年担任は、職員会議などには、輪番で一人だけ出席するようにしていた。たぶん校長の指示であっただろう。あとのクラスは、子どもを残し、受験指導をするのだった。

・受験教育を担っている教員が4人いた。その教員たちは、俗に、『ゴロゴロ』というが、5・6年担任を繰り返した。その教員たちが担任と決まると、赤飯を炊いて祝う家庭が何軒もあったという。

・公立校であるから、当然、地域の中学校に進学する子だっている。そういう子どもたちは完全にお客さん扱いだった。かなりの子どもの心は荒んだ。中学校で問題を起こすのは、A校卒業生が多かった。受験に失敗した子どもはなおのこと悲惨だった。


 次は、わたしが初任のとき、上記ゴロゴロ教員の一人から直接聞いたのだが、たとえば、

・『このプリントの山は、みんな有名中学校の受験問題よ。だいたいな。指導書に12時間扱いとあるとするだろう。そうしたらその単元は、3・4時間で終わらせる。あとの時間は全部このプリントをやらせるのよ。
 平均点は何点だと思う。だいたい20点台だな。』
 そう言って楽しそうに笑っていた。

 ただえらいなと思ったのは、当時はまだ、コピー機などない時代。みんなその教員たちのガリ版だった。わたしにも、『よかったらつかえ。』と言って、数種類渡されたことがあったが、もちろん使わなかった。平均20点ではね。

 そう。そう。わたしも解けない問題だってあったよ。



 ああ。ごめんなさい。過去の述懐が長すぎた。


 当時は、国や地方教育行政府などの、学校への管理的色彩は薄かった時代。各学校の自由度は高かった。だから、問題解決学習など、子ども主体で子どもの発想を大事に指導する学校もあった代わりに、こういうA小学校のような学校もあった。

 今では、公立校の受験推進など、考えられないけれどね。

 全国に、こういう学校がどのくらいあったか。そんなことは到底分かるものではない。しかし、A小だけだったということもなかろう。

 とすれば、上記、10円まんじゅうさんがおっしゃるように、『むかしの受験はよかった。』と、必ずしも言い切れない側面があったことは、お認めいただけるのではないか。


 そうでないと、人間性のかけらもみられないという冒頭のエリートの犯罪や、人間性が薄いと思われる首相交代劇は、どちらも説明がつかなくなるのだ。だって、彼らは皆、40代以上だものね。



 今、『説明がつかない。』と言った。

 でも、現段階では、わたしがそう思っているだけのことだね。

 こんなの統計があるわけでもないし、因果関係があるか、いや、相関関係にとどまるのか、はたまた、まったく関係がないのか、それは、わたしも含め、誰も証明することはできない。


 しかし、10円まんじゅうさんやわたしの主張に、読者の皆さんがどれだけ共感してくださるか。これは大きい。共感してくださる方が多ければ多いほど、世の中を変える動きにはつながっていくと思うからだ。


にほんブログ村 教育ブログへ
 ninki



 それにしても、今回の事件の皮肉な点は、とんでもない濡れ衣を着せられた厚労省の高級官僚にしても、エリートには違いないということですね。

 でも、こちらの高級官僚は立派。ふつうなら、怒り心頭に発するところでしょうに、そんな気持ちのかけらも見せません。終始笑顔を絶やさず、検察に対する思いやりまで見せています。『豊かな人間性』そのものです。

 これこそ、『むかしの受験はよかった。』という10円まんじゅうさんの主張に沿うものでしょう。


 また、わたしが、10円まんじゅうさんの主張に、激しく共感するのは、

・『いまの日本では 勉強をすることで 精神的にダメージを受けて大人になることが多く 〜。』

・『子どもたちは 人として生きる能力を 身につけることなく 大人になっていきます。』

などです。


 今ですら、エリートが起こす事件は多発傾向を示しています。これから先、本格的な受験世代が高級官僚等になっていくころ、エリートとして、日本の政治、経済、社会をリードしていくころ、この日本はどうなってしまうか・・・、ああ、不安はぬぐえません。

 わたしは、たぶん、そのころは、天国から見守ることになるでしょう。 


 本シリーズの次回は、受験問題からはなれ、公教育がかかえる問題にふれてみたいと思います。こちらも長年の日本の宿弊ありと感じられます。



 8時34分 追加記事

 10円まんじゅうさん。

 貴ブログに、コメントを入れさせていただこうと思いましたが、入れられないようですね。

 リンクの事後承諾をいただこうと思いましたが、それもかなわぬようです。

 そこで、ご覧いただけるかどうか分かりませんが、ここに、お詫びとお願いをさせていただこうと思います。

 よろしくお願いします。 

rve83253 at 08:18│Comments(14)TrackBack(0)教育風土 | エッセイ

トラックバックURL

この記事へのコメント

1. Posted by しょう   2010年09月23日 10:46
 私も最近になって10円まんじゅうさんのブログに注目しています。

>10円まんじゅうさんやわたしの主張に、読者の皆さんがどれだけ共感してくださるか。これは大きい。共感してくださる方が多ければ多いほど、世の中を変える動きにはつながっていくと思うからだ。

 本当にそう思いますね。私も共通一次試験が始まった最初の世代ですが、30年以上前から受験競争の弊害は相当にあったと思います。

 親や本人の視野を狭め全人格的な成長を妨げる「今に続く風潮」を変えていくためにも、「それに対する違和感と、何とかしようという思い」をつなげていくことが大切ですね。

 10円まんじゅうさんのブログは(現時点では)アメーバ会員以外の書き込みはできないようです。
 わたしは一応アメーバのブログを持っていますので、tishiさんの上記記事を10円まんじゅうさんにご紹介しておきました。
2. Posted by toshi   2010年09月23日 15:36
しょうさん
 はい。10円まんじゅうさんのブログは、すばらしいと思います。書かれている内容もさることながら、文章がきれいだなとも思っています。とっても読みやすいですよね。
 拙ブログ記事を10円まんじゅうさんにご紹介くださったこと、ほんとうにありがとうございました。そうしてくださったことによって、TBと同じ効果が生まれましたね。ひびき合い、共感がとても大事だと思いますから、ほんとうにうれしく思いました。
 わたしは、記事に『読者の皆さんがどれだけ共感してくださるか。』と書かせていただきました。この『共感』は、日々子どもに接し、子どもの内面を把握しようと努力するものが、実践的、具体的に訴えていくことにより、可能になるのではないかと思っています。
3. Posted by やまびこまま   2010年09月25日 15:31
toshi先生が初任者でいらしたという40年前、小学生だった私の担任の先生は、やはり受験に熱心なかたのようでした。私は子どもでまだよくわかりませんでしたが、母はよく「子どもがみんなT大に行くわけじゃない、いろんな職業の人達がいるから世の中まわっているんだ、」と言っていたのを思い出しました。
今、放課後の時間帯に電車の中でゲームに熱中しながら塾へ通う子どもたちを頻繁に見るのですが、この子たちが人のぬくもりややさしさ、厳しさなどを実感することなくいわゆるエリートとなっていくとしたら、そこからはどんなものが生み出されてくるのでしょう。
4. Posted by 10円まんじゅうです   2010年09月26日 01:26
toshi先生、はじめまして。
10円まんじゅうです。

しょうさんから 
私のブログを とりあげていただいたことを うかがっておりましたので
こちらに コメントさせていただこうと 思ってはいたのですが
いざ 書こうとなると あまりの驚きに
なにを どう 書いてよいのかわからず 
頭のなかが「???」状態になっておりました。

「身にあまる光栄」とは こういうときに使う言葉でしょうか。
toshi先生のようなブログに とりあげていただき 
とても驚くと同時に ありがたく感じました。
ほんとうに ありがとうございます。

小学生と中学生のこどもがおりますので
保護者のかたに 接する機会が多く
日々 信じられないようなことを 見聞きしています。

その量と質が わたしの子どものころと比べても ずいぶん変わっているように感じます(日本全体で)。
たとえば わたしの子供のころなら 
少数派であったような お母さんが いまは 多数派となり
また 以前は 
県庁所在地をはずれている地方では 
大学進学塾などなかったところも少なくなく 
地方での教育熱というのは さほどでもありませんでしたが 
いまは 一変した感があります。

批判をおそれず あえて言わせていただけるなら
以前は 小学校では 
それなりに成績もよく それなりに性格もよくといったような普通の子が
クラスに 何人もいたのですが
いまは ・・・で
そのため 地域によっては 教育の限界集落を 感じます。

いまの教育環境の陰の部分は
日本経済に 影響をおよぼす時期がこなければ
変われないのではないかと 悲観的になりがちですが
toshi先生のようなメッセージを発信し続けるかたが いらっしゃるかぎり
わたしも 勇気をいただいて
できる範囲で できることを 続けていきたいとおもいます。

今後とも よろしくお願いいたします。 


5. Posted by toshi   2010年09月26日 05:49
やまびこままさん
《「子どもがみんなT大に行くわけじゃない、いろんな職業の人達がいるから世の中まわっているんだ、」》
 ああ。なんかすごく、むかしなつかしくなりました。確かに、わたしも、『むかしはよく聞いた言葉だなあ。』と思いました。
 そして、今、人々は、こういうことを言わなくなりましたね。下手すれば、差別とも言われかねない時代です。今、就職難と言われますが、その一方で、人手不足で悩む業種もあるようです。『みんながT大を目指す』傾向になっているのでしょうね。

 《今、放課後の時間帯に電車の中でゲームに熱中しながら塾へ通う子どもたちを頻繁に見るのですが、この子たちが人のぬくもりややさしさ、厳しさなどを実感することなくいわゆるエリートとなっていくとしたら、そこからはどんなものが生み出されてくるのでしょう。》
 わたしにはそれが見えているような気がしています。そして、それは、なにも、家庭教育のせいばかりではないですね。受験産業という言葉もあるくらいです。また、教育行政の問題もあります。公教育に携わる者の資質の問題もあります。本記事では、このままいった場合の予想される姿を先取りして書かせていただいたつもりです。
 
6. Posted by toshi   2010年09月26日 06:12
10円まんじゅうさん
 コメントをいただき、ほんとうにうれしく思いました。
 このたびは、勝手に、貴ブログ記事をとり上げさせていただき、申し訳ありませんでした。でも、温かいお言葉に感謝しております。「???」などとおっしゃらず、気軽な気持ちで、今後ともよろしくお願いしますね。

《その量と質が わたしの子どものころと比べても ずいぶん変わっているように感じます。》
 それはもう、その通りでしょうね。たまたまわたしが、40年前、現在のそうした姿を先取りしたかたちの学校に勤務したものですから、未来を予測するといった意味で書かせていただきました。
 
《教育の限界集落》
 いやあ。すごい言葉です。『言い得て妙』だなあと感動してしまいました。そして、この場合の『限界集落』は、何も人口の少ない所ではないですね。日本全体のあちらこちらということなのでしょう。
むしろ大都市の傾向と言っていいかもしれません。

《悲観的になりがち》
 わたしも心のなかではそうです。でも、ブログの記事では、できるだけ、『こうしていこうではないか。』といった調子で、未来に向けた展望を大事にしていこうと思っています。

 やまびこままさんといい、10円まんじゅうさんといい、ものすごく励まされた思いでおります。ありがとうございます。
7. Posted by toshi   2010年09月26日 09:44
幸福のゴールドサインさん
 せっかくのTBだったのですが、宣伝のためのTBとお見受けしました。また、拙ブログ記事とかかわる内容でないとも判断し、削除させていただきました。ご了承ください。
8. Posted by 伊藤   2010年09月27日 10:48
エリート教育を考えるなら、英国の寄宿舎学校、フランスのグランゼコールがあります。
日本なら旧制高校、帝大の流れや陸軍士官学校、海軍兵学校が日本のエリート教育のすべてでしょう。
だから、今の日本に私はエリートなんて存在しないと考えています。東大は難関大学であっても普通の大学です。

近年の私学志向はちょっと疑問があります。まったく私学のないところに生まれた私にとっては、私学の良さもわかりませんし、私学といえば公立では扱えないほどの高い能力を保持している人間が行くべきところでした。
公立ができない部分を私学が補うことが本来の私学の在り方で私学ありきで公立が変わってしまえばそれはそれで大きな問題であるように思います。

とくに義務教育に求められることは国が定めたカリキュラムや学力を最低限身につけることであり、それがどんな都市部の学校でも僻地でもひとしく受けられるのが義務教育であると考えますし、公立学校は一種の福祉であり、ライフラインとして学校教育はあると考えています。
9. Posted by toshi   2010年09月28日 04:32
伊藤さん
 伊藤さんがおっしゃるように、わたしも、今の日本に、エリート教育なるものはないと思っています。ですから、わたしは、本記事で、エリート教育について述べたつもりはありません。エリート教育=受験教育とは思っていないからです。また、エリート教育が必要だとも思っていません。多様な人間が共に学んでこそ、エリートも育つという考え方です。エリートも、『この世には実に多様な人間がいるものだ。』ということを子どもの時から実感して育つ必要があります。そうしてこそ、思いやりとかやさしさとか愛情もった政治ができるのではないでしょうか。
 公立と私立の問題については、公立にできないことというのは基本的にはないのだと思います。ただ一点、宗教教育は例外で、これは私立にしかできないことですね。あと一部私学がやっているテストの点数による学級編成、さらには年度途中での入れ替えなど、これはやってはいけないことでしょう。
 
10. Posted by YK   2010年09月29日 00:06
私も東大卒のキャリア官僚出身の県議会議員(50歳くらい)と話すことがありますが、その人と話題になったのが、エリートの質の変化でしたね。60代後半くらいの(元)官僚や政治家には“自分たちが国家を支えるんだという意識が強かった”と言っていましたね。私が「90年代半ばから官僚のスキャンダルが相次ぎ、官僚のブランドが下がり、鳩山政権になると、“脱官僚”という方針をとるまでに権威が下がりましたね。」と言うと、「そうした結果として、若く優秀な人々が官僚を目指さず、安易にカネを稼ぐ方向に行ってしまいました。」と言っていました。私は「国民のための政治」をスローガンとして「脱官僚」をするという鳩山政権に狂気を感じましたが、どんな国家であれ、優秀な若者が政治に失望感を感じてしまっては、活力は生まれないでしょう。
11. Posted by YK   2010年09月29日 00:30
「エリート」と言われると、大学時代の友人(30歳)を思い出します。彼はコンピュータのプログラミングの知識、金融の知識、語学力(英語)を持っていて、今はロンドンで活躍していますが、やはり、ボーダレス化した世界で実力を認められるレベルが今日のエリートと言えるのではないかと思います。このように、私の教育観では、エリートは世界で活躍できる水準の人材であることが一つにはあります。
ただし、もう一つ、私の考えるエリート像があります。それは教養人です。文化(アメリカだけでなく、日本、中国、朝鮮、イスラム世界の歴史)を理解することができ、人種などの隔てなくコミュニケーションがとれる人。哲学、宗教、さまざなま芸術に対する造詣が深い人。私はこうした人を育てないといけないと思っています。残念ながら、こうした人々は今日の受験システムで育てることは不可能のように思います。(覚えることは、理解することとイコールではないので)根底には思いやりという素朴な感覚がなければならないので、これを教育でどのように伝えるかが私の問題意識にありますね。
12. Posted by toshi   2010年09月30日 05:19
YKさん
 本シリーズに寄せてくださる多くのコメントが一致しているのは、エリートに限らずですが、近年における人々の心の変化です。学力以前、いや、ほんとうはこれも学力なのですが、どうも殺伐とした方向へ行きつつあるようで心配になります。
 YKさんがおっしゃる教養人としてのエリート像について、わたしも賛成です。『人種の隔てなく、コミュニケーションのとれる人』が求められますね。想いやり、やさしさ、共感のもてる人ということでもあります。
 次回、こうしたテーマで記事にさせていただくつもりです。どうぞ、よろしく。
13. Posted by 伊藤   2010年09月30日 11:15
今はどうか知りませんが、かつて官僚の内定式では事務次官もしくは大臣が「小学校の時の友人を大切にしなさい」と訓示していました。

これは官僚になる人は、地方は別ですが都市部だと中学から大学まで同じ面子というのがほとんどで他の視点を得るには小学校の時の友人がよいといわれてました。
宮澤喜一元首相は官僚出身で秘書や記者には学部しか聞きませんでした。これは大学=東大しか認めていなかったことが顕著です。

彼は優秀ですし、先見の明があった型ではありますが、年をとるにつれ、柔軟性を失ってしまうことの例ではないでしょうか。
14. Posted by toshi   2010年09月30日 17:02
伊藤さん
《今はどうか知りませんが、かつて官僚の内定式では事務次官もしくは大臣が「小学校の時の友人を大切にしなさい」と訓示していました。》
 そうですか。それは知りませんでした。でも、言われてみれば、よく理解できることですね。そして、そうあってほしいと思いました。
 そう言えば、思い出したことがあります。
 わたしの小学生時代の同級生に、某省の事務次官にまでなった者がいました。同窓会にはよく来ていました。そして、『自分は天下りは希望しなかった。』と強調していましたっけ。
 子ども時代、ガキ大将だった別の友人が、『いやあ。新聞報道などで知る天下りは頭にくるが、小学校の同級生の天下りとなると話は別で、うれしいものだよなあ。』と言って、みんなを笑わせたことがありました。
 いやあ。ごめんなさい。関係ないことを書きすぎました。
 
 

コメントする

名前
URL
 
  絵文字