2010年10月12日

ほどいても ほどいても ほどき切れない想いがある

kodomo47 いやあ。またまた、読者の皆さんから、すてきなプレゼントをいただいた。

 前記事にお寄せいただいたYKさんのコメント23番である。

 そこには、一青窈さんの歌の紹介とともに、次の文言があった。

 『この曲をちょっと聴いていただきたいと思います。これを聴けば、この記事のDさんの感性に一青さんの感性とも重なる部分があることに気付かれるでしょう。Dさんの文章の感動は、率直であるが故に、私たちの記憶のなかにあるアコーディオンの感動を呼び起こすためです。』


 そこでまずは、前記事と、YKさんがリンクしてくださった歌の双方を紹介させていただこう。

   〇日本は子どもの規格品をつくっているのではないか。(3)

 『Dさんの文章の感動』は、記事のなかほど、『ゆめにまで見たアコーディオン 5の2  D』からとなる。

   〇あこるでぃおん accordeon - 一青窈 Hitoto Yo


 わたしはこの歌を知らなかった。

 ほんとうにいい歌だ。

 何度も、何度も、聴いた。

 そして、忘れられない、大好きな歌となった。 YKさん。ほんとうに、ありがとう。


 それだけではない。リンク先では、なんと、冒頭、一青窈さんが小学生時代の思い出を語る。そして、郷愁を誘う導入部から自然に歌に入っていくのだが・・・、

 それらが一つの流れとなり、ほんとうにすてきだった。なお、本タイトルは、一青窈さんが最後に語る言葉を引用させていただいた。


 一青窈さんの話には、小学生時代の、あるアコーディオンの先生の想い出が登場する。

 それを聞いて思った。彼女が歌手になったのは、この先生の感化なのかもしれないと。

 だって、このひらがなの曲名の『あこるでぃおん』。それはまさに、小学生時代への郷愁なのだもの。

 感化。感化。・・・。


 
 先日の、電話での、Dさんとの長話は、郷愁、喜び、感動、そのものだったけれど、ある意味、ちょっと、ほろにがさもあった。これまで何十年と、ただただ年賀状だけのやり取りだったから・・・、ほんとう。Dさんの心のうちは知らなかった。


 「toshi先生がブログを書かれていることを年賀状で教えてもらってからは、ずっと読み続けています。それで、分かったのですが、わたし、ものすごく、toshi先生の感化を受けているのです。

 それまでは分からなかったのです。わたしは何でこのような感じ方、考え方をするのだろう。ずっとそう思っていました。でも、分かったのです。『ああ。わたしのものの考え方とか感じ方とかは、もう、まったく、toshi先生とおんなじだあ。』

 それで、toshi先生に感化されて、わたしの人生は、〜のようになったのです。」


 すみません。

 『〜』の部分は、申し訳ないが、省略ね。


 Dさんは、4年生のとき、

 だから、わたしがまったくの初任者のとき、遠方から転入してきたのだった。それで、卒業まで約2年半の担任となったわけだけれど・・・、


 ああ。

 ほどいても ほどいても ほどき切れない想いがある。

 そんなふうに、言われそう。


 ああ。こわくなってきた。

 だって、あのころは、何度も言うようで恐縮してしまうが、こちらは初任者で、至らないこと、申し訳なかったこと、そんなことばかりが頭をよぎるのだもの。

 そんなにいい授業ができたわけではないし、

 体罰はやっちゃってたし、

 『規格品づくりをしていた。』などとは思わないけれど、個性を大事にしていたなどともとうてい思えない。

 よく言えば情熱的だったとは思うが、猪突猛進、わたし自身が粗悪品だったはずなのだ。



 電話を切った後で思い出したから、Dさんには話しそびれたが、当時、Dさんは、こんなことを言ったのだ。6年生の時だった。

 それは、友達同士の会話だった。たまたま、わたしがそばにいて、立ち聞きすることになってしまったのだった。ねっ。Dさんが言ったのだよ。

「toshi先生は、先生としてはまだまだ未熟だけれど、人間としてはすばらしいものを持っているよね。」

 ねっ。覚えているかい。


 前半はその通り。『だから、いっしょうけんめいがんばるよ。』そう思ったものだった。

 後半は、それは違う。かいかぶりだ。そう思ったものだった。


 蛇足ながら、

 当時、わたしは、結婚直前。

 妻とはお付き合いをしている時期だった。それで、この話を妻にしたのだが・・・、妻は、言ったっけ。

「あら。わたしは、その反対だと思っていたわ。」


 ほどいても ほどいても ほどき切れない思いがある。

 それは、教える立場だったわたしの思いでもある。


 忘れられないと言えば・・・、

 このころの子どもの授業中の発言なんて、ほとんど覚えていないのだけれど、Dさんの発言では、一つ、鮮明に記憶していることがある。社会科の歴史単元で、差別の問題を考えているときだった。

 「わたしは、まえ、ここからは遠いEに住んでいたのだけれど、そこの小学校には、いつも刃物を持ってきては、何かというと友達をおどかしている子がいたの。そのときは、『あの子は何であんなことをするのだろう。いやだなあ。』って、ただそう思うだけだった。

 でも、今、差別の学習をして、分かったような気がする。〜。

 あの友達は差別されていた。だから、きっとつらかったんだ。遊ばないとか、遊んじゃいけないとか、そういうことは絶対いけない。

 人を差別してはいけない。それがよく分かった。」


 ああ。子どもがこのような発言をする授業をやっていたのだとすれば、初任だったとはいえ、けっこうやれていたのかな。

 いや。いや。やはり、それも、かいかぶりというものだろう。


 ほどいても ほどいても ほどき切れない思いがある。

   
 一青窈さんではないけれど、音楽にまつわる共通の思い出もある。

 当時、A小学校は木造校舎。木造と言っても、敗戦直後の開校だったから、それはそれは、ほんとうにお粗末な木造校舎だった。その校舎の隅っこにあった音楽室。

 もうすでに記事に書いたことがあるが、A小学校には合唱団があり、NHKの合唱コンクールには毎年出場していた。

 そうか。またまた、リンクさせていただこう。

    感動の歌声に魅せられて!

 この記事の後半、『わたしは、自分が初任だったころを思い出した。』からが、それにあたる。

 このリンク先記事にある、『toshi先生だって、ふだん指導してくれているのに、コンクールで何も出番がないのはおかしい。譜めくりでもいいから一緒に出られるようにしてほしい。』と言ったのが、まさにDさんたちだった。


 ところが、わたし自身は忘れていたことがあった。今回、Dさんから聞いたのだが、

 あのころ、A小学校の合唱団員は大勢いた。それで、指導者のF先生が選抜して、コンクールに出場する子と出場できない子とに分けていた。子どもたちは、それを、一軍、二軍と呼んでいた。

 Dさんは二軍だったらしい。


 ここからは、Dさんの電話での話。

 「コンクールが近づくと、どうしても一軍中心の練習になってしまうのですよね。それで、二軍はさびしい思いをしてしまうのですけれど、

 そんなときに、toshi先生が、F先生にお願いしてくださったのです。『二軍だって、合唱団員であることには違いない。同じA小学校の子どもなのだから、ある程度の練習日程はとってやってほしい。』それで、わたしたちも練習ができるようになったのです。toshi先生がそうおっしゃってくださったと聞いて、とてもうれしかったです。」

 そうか。そんなことがあったのか。


 ほどいても ほどいても ほどき切れない想いがある。
 

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〇ほどき切れない想い。

 小学校教育の大きさについて、拙ブログにも、声が寄せられています。

 やまびこままさんは、『最近思うことは、子どもの頃からの意識の積み重ねというものは、想像以上に大きいものではないかと、自分の子ども時代も振り返りながら感じているところです。』とおっしゃいます。(リンク先のコメント3番)

 また、フルタさんは、同18番で、『小学校教育が100%関わっているとは思いませんが、toshi先生が14に書かれておられる危機感も理解できます。』と、80〜90%はあるとおっしゃっていると思っていいのでしょうか。


〇また、本記事の冒頭、お礼を申し上げたYKさんのコメント。その前半もすてきです。23番です。

 『音楽の創作には、作詞家も作曲者も演奏者もいるが、まずは詩人というものが、どれだけ自分の感動を大切にし、自分のなかに蓄積をつくり、自分だけの言葉で歌詞を創造するか、

 〜。

 まずは自分が何に感動するかをきちんと見定めることから始めないとどうも話が進まないと思うのです。』

 この話を聞いた中学生も、きっと、心に強くひびくものがあったことでしょう。


 感動。

 幼いときのそれは、まさに、『ほどき切れない想い』につながっていくのでしょうね。


〇最後に、現在のDさん。

 芸術の道を歩まれるご夫君。2人の息子さんとともに、すてきなご家庭を築いています。『とても幸せです。』とのことでした。

 うれしかったです。

rve83253 at 22:51│Comments(2)TrackBack(0)むかし | エッセイ

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この記事へのコメント

1. Posted by YK   2010年10月13日 18:37
コメント取り上げて頂いて、ありがとうございます。30歳になった先輩が後輩に送るメッセージというのが、スピーチのコンセプトだったので、最初は音楽の話をするつもりはありませんでした。ただ、女子生徒の話を聴きながら、音楽を職業にする人がどのような態度で物事を観て言葉にするか、についてを話そうと考えたとき、一青窈さんの詩が思い浮かびました。その場で『あこるでぃおん』について話したわけではないですが私としては、特に創作を目指す人は、言葉を丁寧に使って欲しい、というメッセージを送ったつもりです。でも、話を聴いてから自分のスピーチを考えたので、スピーチは下手だったですね。日々の授業では、繰り返しになりますが、規格品が180人くらいですが、200人くらいはちゃんと人間も育てていると思います。まともな教育は女子教育がメインなので、やはり、Dさんのようにいい日本語を書ける子になって、将来は幸せな家庭生活を築いて欲しいと思っています。
2. Posted by toshi   2010年10月13日 23:28
YKさん
 こちらこそ、記事にも書かせていただいたように、すてきなプレゼントをいただきました。ほんとうにありがとうございました。Dさんもきっと感銘を受けていることと思います。
 《最初は音楽の話をするつもりはありませんでした。ただ、女子生徒の話を聴きながら、音楽を職業にする人がどのような態度で物事を観て言葉にするか、についてを話そうと考えたとき、一青窈さんの詩が思い浮かびました。》
 わたしが、『子どものストーリーを大切に』とするのとYKさんのこの姿勢は、まったくといっていいくらい共通するものです。すなわち、問題解決学習を指向する教員の姿勢です。子どもに合わせること、それは、指導性を失うことではなく、生涯忘れ得ぬくらいの指導性を発揮することでもあります。
 一青窈さんの詩。
 いやあ。もう、すばらしい。語りもそのまま詩になっていますね。

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