2010年11月03日

教員の指導力アップとは(1) 総合的な学習の時間の実践から

PA0_0000 わたしは、常々、教員の指導力アップは急務であると述べている。

 しかし、わたしが述べる『教員の指導力アップ』は、一般によく言われるところの、『ペーパーテスト的学力』に焦点を当てた指導を指しているのではない。


 それでは何を指しているか。それは、学習指導要領に端的に示されていると言えよう。

 すなわち、『基礎的・基本的な知識及び技能を確実に習得させ,これらを活用して課題を解決するために必要な思考力,判断力,表現力その他の能力をはぐくむとともに,主体的に学習に取り組む態度を養』う。

 そういう意味での指導力アップである。

 わたしが拙ブログにおいて、よく申し上げる言葉で言わせていただければ、『馬を水場に連れていくのはたやすい。しかし、馬に水を飲ませるのは大変』なのである。

 なぜか。水を飲むか飲まないかは馬自身が決めることだからだ。わたしの言う『教員の指導力』は、水場へ連れていくことではない。水を飲ませることのできる力だ。すなわち、意欲的に学ぼうとする子どもを育成することなのである。

 つまり、上記学習指導要領の『主体的に学習に取り組む態度を養』うことが前提としてあり、それが養われてこそ、

・基礎的・基本的な知識及び技能の確実な習得
・課題を解決するために必要な思考力,判断力,表現力その他の能力の育成

が実を結ぶことになる。


 
 さらに言わせていただこう。教育基本法である。そこには、第一条で、『教育は、人格の完成を目指し、平和で民主的な国家及び社会の形成者として必要な資質を備えた心身ともに健康な国民の育成を期して行われなければならない。』とうたう。

 そう。『平和で民主的な国家及び社会の形成者』を育成するのである。



 ここに一つの実践がある。我が勤務校の校内研究会において、若手教員のAさんが意欲的に挑戦した記録である。

 上記、大上段にかまえ過ぎかなとも思うが、その点に関し・・・、


 Aさんの実践は、上記、教育基本法、及び、学習指導要領に記された理念の達成に向け、確かな視点をもっていると言えよう。しかし、その実践にあたっては、子どものとらえ、子どもをどう伸ばしていくかという点に関し、もっときめの細かさがほしいと思うところもある。

 そういう意味で、真の『民主的な国家及び社会の形成者』の育成をねらうには、どうしたらいいか。それを考えるにあたっては格好の話題を提供してくれる実践と思い、ここにとり上げさせていただく。

 幸い、Aさんも、『toshi先生のブログから、たくさんのことを学ばせていただけると思うと、うれしいです。よろしくお願いします。』と言ってくれているので、心して取り組むことにしたい。



 3年生。総合的な学習の時間の実践である。

 ごめんなさい。ここでAさんの実践をすぐ紹介するべきとは思うが、今、しばらく我慢いただいて、総合的な学習の時間について、ちょっと解説させていただきたい。

総合的な学習の時間とは、ご承知のように、前回の学習指導要領改訂から登場したもの。『ゆとり教育』と相まって、わたしに言わせていただければ、以下の点で民主主義教育を地でいく学習となるものである。

・国は大綱的な目標(上記リンク先の13ページ)は定めている。以下の通りだ。

 横断的・総合的な学習や探究的な学習を通して,自ら課題を見付け,自ら学び,自ら考え,主体的に判断し,よりよく問題を解決する資質や能力を育成するとともに,学び方やものの考え方を身に付け,問題の解決や探究活動に主体的,創造的,協同的に取り組む態度を育て,自己の生き方を考えることができるようにする。

 ねっ。すばらしい目標ではないか。わたしが、『民主主義教育を地でいく』と申し上げるのも容易にご理解いただけるのではないか。

・そして、具体的な学習の目標や内容を規定するのは、各学校だとしている。(同じく23ページ)国は、この第二節で、『国際理解,情報,環境,福祉・健康』をあげているが、これはあくまで例示にすぎない。

  
 しかし、しかし・・・だ。

 情けない話だが全国的にみれば、この時間が発足してから、学校教育現場はかなり混乱したようだ。『何をどうとり上げたらよいか分からない。』

  教育現場の多くから、そうした悲鳴が上がった・・・と思う。


 上記リンク先の、学習指導要領解説もふれている。(同5・6ページ)

・小学校と中学校とで同様の学習活動を行うなど,学校種間の取組の重複も見
られる。

・補充学習のような専ら特定の教科の知識・技能の習得を図る教育が行われている。

・運動会の準備などと混同された実践が行われている。

 こうした活動では、『平和で民主的な国家及び社会の形成者』の育成はおろか、上記、総合的な学習の時間の目標達成もおぼつかなくなるというものだ。
 
 わたしが、『教員の指導力アップ』を言うとき、その多くは、こうした実態を受けての研究、研修体制の確立を指していると言っていいだろう。



 それでは、だいぶ長い前置きとなってしまった。どうも、すみません。Aさんの実践に話を移させていただこう。



 A学級の子どもたちは、2年生の生活科の学習の際、地域のB公園に足を運び、B公園で遊んだり木の実を集めたりするなかで、同公園のすばらしさを感じ取ったり、そこで働く人たちと豊かにふれ合ったりした。

 そのなかで、一部ではあったが、同公園に疑問をいだく子もいた。


 それは、1年生まであった遊具が撤去され、その後何も設置される気配がないことだった。

「どうして、B公園には遊具がないのだろう。」
「ほんとう。いつまでたってもできないね。」
「もうあのままなのかな。」
「そんなのいやだ。1年生のときのようにつくってほしい。」

 Aさんたち、3年生の担任は、『これを学級全員のこだわりにまで高め、遊具設置の是非を考えさせることができれば、総合的な学習の時間の学習問題になりそうだ。』と考えた。
 それでいろいろ調べてみた。市民の声、公園設置者の考えなど、いろいろ調べた結果、その確信を深め、実践することにした。


 さて、それでは、Aさんは、本実践のある場面を研究授業として行ったのであるが、学習指導案にあらわれたAさんの取組のすばらしいところを3つほど紹介させていただこう。


〇本単元名は、『大好き!B公園』である。そして、30時間(週2時間・15週)扱いとしている。


 単元構想によれば、その学習活動は、

・B公園での遊び
・生きもの観察などを通しての自然観察
・公園を利用する人たちの利用の仕方への関心
・公園を利用する人たちへの、自分たちの問題についての取材活動
・公園に花を植えている中学生への関心、及び、取材
・公園をきれいにしてくれている管理センターの方々への関心、及び、取材
・地域、保護者の方々へ向けての学習発表会の企画、実施

などとなっている。


 こうした活動を通し、

・初めは、『自分たちのやりたいこと』中心だったものが、いろいろな年代の公園利用者のための施設であることに気づいていったり、

・初めは、自分たちが経験した遊びしか念頭になかったものが、実にいろいろな利用の仕方があることに気づいていったり、

・公園を保守、管理、整備している人々の存在に注目していったりして、

 子どもたちは、遊具設置の是非へはこだわりながらも、そこから、さまざまなところへ視野を広げていくであろうという想定である。

 すなわち、拙ブログで先日述べたところの、『子ども描くストーリー』を大切にした単元構想である。
 

〇学習指導案には、本研究授業に至るまでの学習の流れが、具体的に記述されている。それを読むことによって、学習が、『子どもの描くストーリー』によって進んでいることをつかむことができる。

 おもしろいのは、

・「ええっ。B公園てここまでと思っていたけれど、まだ先もB公園なの。」という驚きをもとに、公園の施設や利用の仕方が多様であることに気づいていったり、

・B公園の噴水のところには、『消毒していないので、水の中に入らないでください。』という表示がしてあるにもかかわらず、水に入って遊んでいる幼子と親がいることに、複雑な思いを抱いたり、

 そういうことの学習にも、『子どもの描くストーリー』を大切にし、学習を進めていくAさんの姿勢が見て取れた。


〇本時の研究授業にあたっては、座席表なるものが表わされていた。学習問題は、『B公園に1年生のときのように遊具をおいてほしいか、それともなくてもいいか。』だが、それについての一人ひとりの想いが座席表に記されている。


 初めは一部の子どもたちの想いで、学習がスタートしたのだった。そのなかで、『遊具を設置してほしい。』という願いは、学級全体の意識に深まっていった。
 しかし、公園利用者や自分たちの親に取材するなかで、遊具設置については実に多様な考え方があることが分かり、『遊具はなくてもいい。』と考える子どもも徐々にふえてきた。

 そうした一人ひとりの考え、想いが、座席表には記されている。


 本時は、こうした子どもたちの考えを自由に出させ、後半は、公園管理者の声を資料として提示するなかで、さらに考えを深めていこうとする計画になっている。


 おもしろいなと思ったのは、座席表に記された、C、D、Eちゃんの想いである。それぞれの立場を代表すると言ったらいいか、とにかく想いの強い子たちである。それを紹介してみよう。

 C 『遊具がなければ公園とは言えない。ぼくたちだって幼稚園のときは、いつも遊んだ。それがないのは、小さい子がかわいそうだ。キッズクラブの先生もあった方がいいと言っていた。』

 D 『小さい子からおじいさん、おばあさんまで、いろいろな人が遊んだり見て楽しんだりする。まわりの公園には全部遊具があるのだから、B公園くらいなくったっていい。ぼくのお父さんもなくていいって言っていた。』

 E 『自然が豊かで、鳥や虫とかがたくさん集まっている。だから、鳥や虫がもっとふえれば、もっと自然が豊かになるから、遊具がなくても子どもは集まる。だから、遊具はいらない。』


 さあ。以上、3点を述べさせていただいたが、そうしたAさんの努力があって、本時を迎えた。

 授業においても、子どもたちの育っている姿は、随所に感じることができた。

・まず、ほぼ3分の2くらいの子が自分の想いを発表した。発表できなかった子も含め、よく友達の発言を聞いていたし、学級全体が一つの問題をめぐって想いを深め合っていこうとする雰囲気を感じることができた。

・Aさんはそれぞれの意見を肯定的に受け止め、受容的な姿勢に満ちていた。たとえば、
「そう。Fさんは実際に公園で聞いていたよね。先生、見ていたよ。」
「B公園のそばのマンションに住んでいる人にとっては、〜ということだね。」など、好感のもてる言葉かけが多かった。

・Aさんはそれぞれの発表を板書していた。そして、小さな名札マグネットを貼り付け、誰の意見かを常に明確にしていた。
 板書も似た意見は線で結んだり、前の意見を深めていると思うと矢印で結んだり、そのほかにも、重要と思われるものをまるでかこったりして、大変な板書量だったのにもかかわらず、構造的によく整理され見やすくなっていた。

・本校では、研究授業も保護者は参観できるようにしている。遅れてやってきた保護者の方も、こうした板書ならそれまでの学習の流れや、子どもたちの考えなど、よく把握できるだろうなと思われた。 

 

 以上、思考力、判断力、表現力とも、豊かに育てようとしているAさんの姿勢を感じることができたし、主体的、意欲的に学ぼうとする子どもたちの姿勢も育っているなと感じることができた。

 その点はよかったのだが・・・、


 さらに、民主主義的な資質をもはぐくんでいるかとなると、ちょっと課題もあるなと思った。


 わたしは、この研究会の講師を務めさせていただいていた。それで、以上の点は評価させていただくが、それとともに、課題もいくつか話させていただいた。


〇本時、座席表に書かれた子どもの想い、考えを読むと、『(遊具があってもなくても)どちらでもいい。』という子は、2人しかいない。あとの子はいずれも、意見を明確にもっているかのようにみえる。
 しかし、意見の発表を聞いていると、淡々としているせいか、『どちらでもいい。』といった感じの子はけっこういそうにみえる。切実感はいまいち感じることができなかった。

〇その原因は、子どもたちの発言が、話し合いというよりも発表し合いといった感じになっていたからではないか。上記、Cちゃん、Dちゃんの考えは対立しているのだから、もっと、担任がそれをクローズアップし、それぞれの意見について、他の子はどう思うか、話し合うようにすれば、意見の対立も浮き彫りになり、丁々発止やり合う場面も生まれたであろう。

〇Aさんがそうだというわけではないが、一般的に、激しい議論のやり取りを避ける傾向がありそうだ。担任が、どの意見に対しても受容的な姿勢で臨むことは大切だが、子ども同士は、友達の意見に首を傾げたり、むきになってやり合ったりしたっていいではないか。

 そうして、『激しく議論し合ったからこそ、お互いに考えや思いを深め合うことができた。』という実感を抱かせることが大切である。担任がそう評価することによって、『激しく議論し合うからこそ、仲良し』という学級集団をつくることができる。

〇その裏返しだが、『想いはあるけれど、言いたくない。』『どちらか決めかねているから言いたくない。』などという自由も認めなければいけない。民主主義には、意見を表明しない自由もあるからね。

 ただ担任としては、想いがあれば言ってほしいし、言ってくれれば授業も活性化するという思いもあるだろう。それに、子どもを、『お客さん』状態のままにしていいということにもならない。

 そこで、友達の意見に、にこっとしたり、首を傾げたりしたときに、『どう。Gちゃん。意見言えそうかな。言えそうだったら言ってごらん。言えないなら無理しなくていいよ。』くらいの言葉はかけてやりたいものだ。

〇『どちらか決めかねている。』『よく分からない。』そんな意見も大切にしたい。
 とかく、『どちらだ。自分の立場を明確にしろ。』などと迫ることは・・・ないかな。
 本時こうした発言があったわけではないが、ともすると、これら意見は、切実感もなく、無気力、無関心のようにとられなくもない。『別に・・・。どっちだっていいよ。』という言葉になれば、そうした思いも強まろう。

 でも、たとえば、

 「ぼくは、わたしは、どちらに賛成していいか分からなくなっちゃった。だって、小さい子は遊具で遊びたいでしょう。いくら、あちこちの公園に遊具があると言ったって、小さい子はすぐ近くで遊びたいでしょう。
 でもね。自然がいっぱいだから、虫や鳥にももっと来てほしいし、お年寄りは見て楽しむものがほしいだろうし・・・、だから、こまっちゃう。決められない。」

 もし、こんな意見が出たら、判断がつかないことについては同様であっても、最初の『別に・・・。どっちだっていいよ。』とは、明確に意識が違い、ものすごく深まっていると言っていいだろう。

 そう。とりあえずは、『未解決の解決』だってあっていいのだ。

〇もう一つ。『議論の過程で、自分の想いが変わった。』こういう子もいていいだろう。

 そういう意味では、Aさんの実践は、やや子どもたちがノートなどに書いた自分の想いにこだわる傾向があるようだ。柔軟性も養いたいと思った。

 むずかしいところだけれど、自己の想いはしっかりと主張しながらも、柔軟さもあわせもつという、

 しかし、これ、民主主義的態度としては、大事なところではないだろうか。


 
 以上、そのような話をさせていただいた。このようにして、子どもがいきいき、のびのびと、自由な雰囲気のなかで発言できるようにしてやる。それが結局は、『気づいてみたら全員が発言していた。』ということにつながるのだ。


 自発的、意欲的な学び、子どもが描くストーリーという意味では、すばらしい面を見せたA学級の子どもたちだったが、民主主義的な資質を養うという観点からすると、今後のAさんの、さらなる奮起を願いたいところだ。

 いや。前向きなAさんだもの。きっと、さらに磨きをかけて挑戦的に努力されることだろう。


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〇Aさんが気にされていたことがあります。

 「わたしの総合の実践は、どうも、社会科っぽくなってしまっていないかとその点、これでいいのか、気になっています。」
とのこと。

 わたしは、言いました。

「それでいいと思いますよ。文科省が例示として挙げているのも、『国際理解,情報,環境,福祉・健康』というように、社会科っぽいじゃないですか。

 かりに、B公園に遊具が設置されたとしたら、今年のような学習はもう来年はないわけで、その場合、自然が豊かということに傾斜のかかる学習になることもありうるわけです。そうしたら、理科的な分野に深く迫ることにもなるでしょう。ですから、あまりそういうことを気にせず、子どもの想いに忠実であることが大切なのではないですか。」


〇とかく、基礎・基本というと、知識・技能ばかりを指すと思われがちです。しかし、本記事においては、学び方、生き方の基礎基本について、述べたつもりです。

 冒頭、わたしは、『教員の指導力アップは、一般によく言われるところの、ペーパーテスト的学力に焦点を当てた指導を指しているのではない。』と述べました。

 それでは、ペーパーテスト的学力は、どうでもいいのでしょうか。

 そんなことを言っていたら、現代という時代は生きられなくなりそう。

 そこで、次回は、知識・技能の基礎・基本の習得についても述べてみましょう。それも、問題解決的に学んだ方がより身につくと思われます。

 

rve83253 at 14:03│Comments(12)TrackBack(0)総合的な学習の時間の指導 | 教員の指導力

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この記事へのコメント

1. Posted by 伊藤   2010年11月08日 20:02
本日から学校に入りました。

3年生ですが、やんちゃな子が多くてどうしても授業に集中できず先生が注意を取られてしまいます。

授業に参加できていない子に声をかけたり、漢字ドリルや計算ドリルをやっている子の解答を見たりしていました。

クラスの雰囲気がいいのか悪いのかわかりませんが、先生が怒る場面が多いとほかの子が大変なように思います。
休みなると元気いっぱいにくっついてきますが、もう少し担任と触れ合えるといいかなと感じます。

もう少しクラスとかかわりながら、うまく担任の補助をできるように頑張りたいと思います。
2. Posted by かげちゃん   2010年11月08日 22:59
こんばんは。

教員の指導力の向上のためには、まず教職に対するモチベーションが不可欠ですね。

今の学校の職場環境は劣悪ですね。ボランティアである部活動は、強制されるし、手当も満足に出ません。これでは若者が教員を志望しませんよ。

あげくに待っているのは「指導力不足の認定」では、やる気がなくなります。

偉そうなことを言っている、教育長が当市では、不適格な状態。教員養成を根本的に改めてなければいけない、と思います。
3. Posted by toshi   2010年11月09日 06:28
伊藤さん
 ご苦労様です。
 もともとまとまった落ち着いたクラスに伊藤さんのような方が入ることはあまりないでしょうから、ほんとうにご苦労の多いことだろうと思います。お察しします。
 でも、それだけに、いろいろ勉強にもなっていることでしょう。
 確かに、注意や叱責が多いと、担任は、その子に言っているつもりでも、それを聞いている、ちゃんとした子が委縮してしまうということはあると思います。
 きめ細かに対応してくださっているようで、ほんとうにありがとうございます。
4. Posted by toshi   2010年11月09日 06:34
かげちゃんさん
 もともと、教職という仕事は、モチベーションの上がる仕事だと思うのです。理解したときの子どもの笑顔が何物にも代えがたいとか、成長する姿が励みになるとか、そういう仕事だと思うのですが、現代という時代は、いろいろむずかしさの方が先にたってしまうようですね。
 中学校における部活動は、わたしも、本務とは思えず、批判しています。教員がもっと授業に集中できるような環境をつくらないと、危機は深まる一方と思っています。
 教員養成の具体論を、しばらく書いていこうと思います。よろしくお願いします。
5. Posted by 伊藤   2010年11月09日 21:10
ただの学生とはいえ、現場では教師もどきですが、校長もなさっていますし、初任者指導もしていて、なんといっても担任として経験が豊富であるtoshi先生と比べたらまだまだです。

今回のテーマにある主体的に学ばせるということで、漢字練習の時ですが、間違いを指摘した後解答を言わずにまず考えてもらい、分からなければ国語辞典をひいて確認させました。
安易に解答を与えずに調べることや漢字のイメージから引き出してみようという形で補助をしました。
苦手な子も多いですが、つとめて褒めて、子ども同士で教えあえる雰囲気に何とか持ち込めればと思います。
6. Posted by schoolHIDE   2010年11月10日 11:43
(From HIDE・教員OB)

直接、総合的学習の時間とは関係がないかもしれませんが、先生の指導力アップということで、いじめ問題の指導について、toshi先生のお考えをお漏らし下されば幸甚に存じます。

いじめこの古くて新しい問題。またまた、群馬県で小6女児がいじめで自殺しました。ご両親はいうまでもなく、学校関係者のご心痛はいかばかりかとお察ししています。

いじめ・不登校・校内暴力など多くの学校教育問題に対して、先生は指導力をアップする必要があります。
7. Posted by toshi   2010年11月10日 19:48
schoolHIDEさん
 そうですね。教員の指導力アップといった場合、学習指導面だけではなく、学級経営の面も重要なものがありますね。拙ブログでもしょっちゅう申し上げていますように、教員の重要な職務として、学習指導面とともに、学級、学校内の豊かな人間関係の構築を避けることはできません。
 本記事でも訴えている『平和で民主的な国家及び社会の形成者』の育成も、そのままいじめ防止にもつながるはずです。
 また、多様性を認め合う学級集団を構築することにより、『激しく議論し合ったからこそ、お互いに考えや思いを深め合うことができた。』という実感がわきますし、『激しく議論し合うからこそ、仲良し』という学級集団をつくることができるのではないでしょうか。
 なお、いじめ防止につきましては、右サイドバーの『Categories』欄の上の方に、『いじめ』があります。そこをクリックしていただけますと、直接教員の指導力アップの観点から書いたものではありませんが、わたしのいじめについての見解、取組などが、具体的にご理解いただけるのではないかと思います。
 よろしくお願いします。
8. Posted by toshi   2010年11月10日 19:50
伊藤さん
 我が勤務校においても、学生ボランティアの方は、複数いらしてくださっています。そして、伊藤さんと同じように子どもたちとふれ合ってくださっています。ほんとうにありがとうございます。
9. Posted by みーやママ   2010年11月10日 21:59
自分も現場ではすっかりおばちゃんになってしまいました。あぁ・・。50にはなっていませんが・・。

もう時代にあわない教師になってしまったんではないだろうか。と思うことも多い日々です。

若い人初任の方たちにも、ベテランのおじさんたちにも・・いろんな意味で驚かされる今年でした。

授業は確かに大事だけど、やっぱり基本は学級経営ですよね。学級経営あっての授業ですよね。
一人ひとりが大切にされる学級。それを目指していて、うまくいかないことはある。私自身もそうだったから・・・。うまくいかないときに悩んで苦しんで・・・。でも、それがないのは何なんだろう?

夫の実家に住んでいるので、自宅近くに異動したくてやり手のない特別支援学級の担任になって3年目。いろんなことがありすぎて、toshi先生に聞いていただきたいです。

詳しくは書けませんが、自分の学級にふさわしいお子さんが、子どもたちはうちの学級に入りたいのに、保護者の方にOKがもらえないと入ることができません。通常の学級の中で、どうにかやっていければいいけれど、完全に不適応を起こしている子もいます。子どもの困り感が保護者の方にわからないとき、ホントにどうやって 子どもを救うことができるのか。と ホントに悩みます。

自分の研究授業が終わったら、また一つ、参観、面談をコーディネーターと考えています。担任は初任者です。なんとかいい方向に…進めていきたいのですが、道は多難のようです。
10. Posted by toshi   2010年11月12日 01:45
みーやママさん
 ううん。みーやママさんがおっしゃる現代の学校教育の課題、分かるような気がします。
 確かに、いろいろ課題は抱えているはずなのに、ちっとも悩んだり困ったりしていない教員はふえているような気がします。
 時代に合わないなどと思うことはありません。悩んだり困ったりしていないということの方がおかしいのですから。ただそのためにまわりが苦労させられることもあり、それはやはり分かってもらうような努力が管理職に求められます。
 管理職がリーダーシップを発揮してくれることも大事なのですよね。
 特別支援学級に入るにあたって保護者のOKがもらえないというのも、わたしも経験しています。管理職として意は尽くしたつもりでしたが、ご理解いただけませんでした。
 これも、ベストは尽くそう。しかし、結果は結果として受け入れざるを得ない。ならば、そのはんちゅうで努力するしかないではないかと、腹をくくったものでした。
 でも、担任の苦労は並大抵ではありませんでした。わたしが経験したケースでは、かなり遅れて補助の教員がついたのですけれどね。
 まったく綱渡りのようだったときもありました。開き直るしかないなどと思ったこともありました。
 みーやママさん。回答にならず、ごめんなさいね。
11. Posted by みーやママ   2010年11月12日 22:27
ていねいなレスをありがとうございます。
toshi先生のお気持ちが嬉しいです。

また、toshi先生も現場でそう感じていらっしゃると
いうのも私にとってはホッとします。

私の友人が、2年前に突然教員をやめました。
異動して、いきなりの6年・・学級がうまく
いかないと・・思い悩んで・・です。
でも、口に出さないタイプの彼女でした。
ちょうど今頃、秋にやめてしまいました。
独身だったので、「生活のために辞められないよ。」と 言っていたのに・・・。

彼女がやめてしまい、私がまだ働いていることが
不思議です。

守ってくれる校長や主任だったら、ホントに辞めないで すんだんです。

今の私の勤務校の校長は、新人女校長、頑張っています。リーダーシップを発揮していると思います。




12. Posted by toshi   2010年11月13日 10:10
みーやママさん
 最後の部分でホッとしました。
 我が地域でも、最近、異動してすぐ6年という事例が多くなっているように思います。なんか、先の拙ブログ記事の、『いま、先生はから思う』シリーズを思い出し、せつなくなってしまいました。
 みーやママさんのご奮闘を祈念しています。

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