2010年11月11日

教員の指導力アップとは(2) かけ算九九の指導をめぐって

dokusyo 前記事の続きとして、本記事も教員の指導力アップについて考える。

 今回からは教科の指導をとり上げてみたい。

 教科の指導力というと、現在、一般的には、『ペーパーテスト的学力』を上げることばかりが取りざたされるようである。

 それについて、わたしのブログは、一部の読者から、

 とかく、子どもの学ぶ意欲とか、子どもの主体性とか、そればかりをとり上げて、『ペーパーテスト的学力』を軽視し、いわゆる基礎・基本をおろそかにしているブログととらえられているようである。

 そこで、本記事では、一般的に、基礎・基本の代表のように受け取られがちな、かけ算九九の指導をとり上げてみたい。市民の皆さんも、かけ算九九と言えば、『ににんがし、にさんがろく・・・』とひたすら覚えることに専念した記憶ばかりがあるのではないか。

 しかし、我が地域の算数研究会の方々は、口をそろえて、『算数(かけ算)も問題解決学習なのですよ。』とおっしゃる。

 そう。やはり同学習は、子どもの解決しようとする意欲に支えられるだけに、いわゆる『ペーパーテスト的学力』も定着し、点数もよくなるのだ。


 さて、上述の、『問題』についてであるが、

 くれぐれもご理解願いたいことがある。それは、この『問題』は、算数の文章題などを意味しているのではないということだ。

 それは、学習指導要領がいうところの、『学ぶ力』『生きる力』に直結する問題なのである。本記事でとり上げる、かけ算九九で言わせていただければ、『かけ算九九を覚えると、ほんとうに生活が楽で便利になるのかな。』となるだろう。


 実は、教科書も、同学習を意識して編集されている。もしかしたら、読者の皆さんは、驚かれるかもしれないが、

 かけ算九九の学習に入るにあたって、いきなり、これを覚える学習にはしていない。A社の教科書では、なんとそこに至るまでに、9ページを費やしている。そして、実際の覚える学習のためには17ページだ。


 さあ。それでは、この9ページ分をどのように指導したら、子どもの学ぶ意欲が向上するか、つまり、『かけ算九九を覚えると、便利だね。』という意識になり、自ら主体的に覚えようとするようになるか。それを、導入の場面で考えてみたいと思う。


 
〇初めに、『何人いるかな? 子どもの 数を 数えてみよう。』という指示のもと、絵が描かれる。2クラスが遊園地の入口に並んでいる絵である。
 女の先生のクラスは、4人並んだ列が7つある。整然と並んでいる。もう一方の男の先生のクラスは、ほとんどの子が並んでいない。あっちを向いたりこっちを向いたり。そして、勝手におしゃべりをしているかのような絵だ。

 
 ここで問われる教員の指導力の問題は、

・早くかけ算九九を覚えさせる学習に入りたいがために、指導が性急になりがちだ。子どもの思いを十分引き出そうとしない。特に、下記の、一番学力が低いと思われる子の数え方はとり上げようともしない。

・それに関係するが、『どちらのクラスが数えやすいですか。』というように、数えやすさだけに焦点を当て、生活面まで掘り下げて深く考えさせようとはしない。

・ここで大事なことは、人数を数えるにあたって、どんな解法も認めてやることだ。それぞれに有用性があるとしてやることだ。


〇まず、一番学力が低いと思われる子は、どちらのクラスも、指でさしながら、『1・2・3・4・・・』と数えていくであろう。あるいは、すでに学習したように、一人ずつ印をつけながら、数えていくであろう。

 この解法の有用性は何か。

 女の先生のクラスはきちんと並んでいるので、重複して数えたり抜かしてしまったりすることはほとんどなく、正確に数えられるのに対し、男の先生のクラスは、数え間違いが起きやすいということだ。

 これが押さえられると、生活面への応用がきく。

 特に命にかかわるような避難訓練の際は、きちんと並ばないと大変なことになると実感させることができる。

 逆にこの数え方の課題は、数えるのに時間がかかるということだ。それも実感させることができる。


〇次の解き方。それは、『4+4+4・・・』というようにして、7回たしていく子であろう。もちろん、これも、既習内容を適用しているのであるから、オーケーだ。そして、一人ひとり指で数えるやり方よりは、早く解ける・・・かな。しかし、男の先生のクラスでは、先ほど同様、一人ひとり数えていくしかない。


〇次は、かけ算九九を知ってはいるが、それは呪文を唱えているのと同様で、理解まではしていない子だ。

 その子たちは、やはり上記の子と同様の数え方をするのではないか。ただし、あとで述べるように、『ししちにじゅうはちだから、28人だ。』という発言を聞いたときは、『ああ。九九はこういうとき使うのか。』と思うのではないか。

〇なかには、『にのしのろのやのとう』と数えていく子もいるだろう。

 これも、その有用性は認めてやりたい。早く数えられるものね。そして、やはりちゃんと並んでいないクラスでは、この数え方も使いにくいことを知る。

〇さあ。最後は、九九を知っていて、なお使いこなすこともできる子だ。この子たちは、女の先生のクラスでは、縦、横の人数だけ数えて、『ししちにじゅうはち』と、たちどころに答えることができる。数える必要がない。だから、速い。

 九九を知らない子にとっては魔法のごとくみえるだろう。『何。それ。』とびっくりするかもしれない。

 これが大切だ。

 こうした意識になることによって、受け身でなく、九九を積極的に覚えようとする契機にすることができる。

 
 しかし、男の先生のクラスでは、その知識を活用することができない。『きちんと並んでいないと、魔法は使えない。』ということに気づかせることができる。

 そう。この魔法も万能ではないのだ。九九を使いこなせる子に対しては、そのことに気づかせることに意味がある。


 以上、ここで問われる教員の指導力は、

・どの子の解法も大切にしているかということだ。とり上げて、それぞれの解法のよさ、問題点を明らかにしているかということだ。

・それができれば、子ども同士も、どの解法も大切に扱うようになる。できる子ができない子をバカにするなどということも起きない。

・とかく、『どのレベルの子に焦点を当てた授業をすればよいか。』と問う教員がいるが、わたしは、『どのレベルの子にも焦点を当てなければいけませんよ。』と答える。それはこういうことだ。

 つまり、ただ単に知識・技能の習得だけを目指していれば、九九を使いこなしている子は、もうやることがない。だから、手持無沙汰になってしまう。しかし、思考・判断力などを大切にする授業なら、九九の意味や限界など、学ぶべきことはたくさんある。


 さて、ここでだ。

〇さらに、自主的、主体的な学びが身についている子どもたちならば、きちんと並んでいない男の先生のクラスに対しても、九九を適用しようとするかもしれない。

 それは、4人ずつ丸でかこう。その丸が7つあることをつかむ。そのうえで、九九を適用する。そういうやり方だ。

 それはすばらしい。ぜひ、称賛してやりたい。


 しかし、その称賛の仕方に、教員の指導力が現れる。

・九九を適用したことをほめるのではない。ここは、上述のように、かけ算九九の導入段階だ。ほとんどの子はまだ知らない。そんな段階で、そんな称賛の仕方をしたら、多くの子は劣等感を味わってしまうだろう。

 それについては、『また、魔法が使えたね。』と言うにとどめる。そして、九九をまだ知らない大部分の子に、九九を覚えることへの魅力を感じさせるようにする。

・称賛すべきは、4人ずつ丸でかこったことだろう。これで、数えるうえでは、隣りのきちんと並んでいる女の先生のクラス同様、数えやすくなった。


 さらに言えること。

・これまで、一定数丸でかこうのは、基本的に、10に限られていたのではないか(5ずつかこうことはやったかもしれないが、)。10のまとまりをつくると、それは、位が一つ上に進むということだったよね。

 で、初めて、『10以外でも、丸でかこうと、何かいいことがある。』という段階に進むことになる。そう意識させるほめ方が肝要だ。


 しかし、これもまた、万能ではない。

〇もし、次のような発言をする子がいたら、最高だね。すばらしい。

 「これは絵だから、丸でかこえるけれど、男の先生のクラスの子たちは、ほんとうはあっちこっち動き回っているよ。だから、丸でかこうことはできない。やっぱり女の先生のクラスのようにちゃんと並んでいなければだめ。」

 ねっ。どんな解き方だって、よさとともに問題点も抱えているのだ。万能な解き方はない。


 
 ここで教員の指導力の問題についてまとめてみよう。

・子どもの実態に合わせた指導を心がけることだ。

 子どもから出てこないのに、また、そんな解法をしている子どもはいないのに、指導者側から問いかけることはしないようにする。

 なぜなら、この学習は、『自ら主体的に九九を覚えよう』とする子どもを育むことがねらいなのだ。あくまで、子どもは、自力で解決したと思うことが大切だ。

・それに、ここの学習は、思考・判断力を養うことが目的で、ここで扱わないととり返しがつかなくなるというものではない。上に書いた、『かけ算九九を覚えると、ほんとうに生活が楽で便利になるのかな。』の学習の、どの段階でも取り扱うことは可能である。

 たとえば、先ほど述べた『4のまとまり』の概念だが、これは、次の、遊園地のなかの絵で扱う方がふつうではないかと思う。

 

 以上、るる述べてきたが、


・このように、子どもの主体的な学びを保障すると、点数アップも容易なのである。なにしろ子どもが自ら伸びようとしてくれるのだからね。前記事の馬の話を引用すれば、子ども自ら水を飲もうとしてくれるのである。

 日本には、むかしから、いいことわざがあるではないか。

 『好きこそものの上手なれ』

 そう。学ぶことを好きにさせてしまうことほど、強力なものはない。自ら学ぼうとする子。学ぶ力、生きる力を身につける子。そういう観点を大切にしたい。

 もう一つあるね。

 『急がば回れ。』

 今、多くの学校は、『まわろう』としないのではないか。短兵急に、強制して点数獲得を目指す。だから、思考力、判断力を養うはずの導入段階でも、『かけ算九九を覚えると、ほんとうに生活が楽で便利になるのかな。』という問題意識を育むことはない。単なるかけ算九九を覚える学習の導入にしてしまう。

 その結果は、子どもを受け身にし、追い込み、さらには、『学びアレルギー』ともいえるような子どもをうみだしてしまう。この、かけ算九九などは、その危険性が高い。拙ブログにも、そうしたコメントをいただいたことがあったね。


・そして、次も肝心な点で、繰り返しになってしまうが、

 『まわろう』としない学習は、もう九九を使いこなす力のある、先行学習の子どもにとっても、退屈な時間となってしまうのだ。
 あるいは、『知ってる。知ってる。』『そんなの簡単。』などと言って、教員の指導の意図を邪魔(?)することにもなりかねない。

 そうではない。上述のように、そうした子どもでもフルに力を発揮できるのが、思考力、判断力を養い、学ぶ力、生きる力に視点を定めた学習のいいところなのである。


・最後に、視点を変えて考えてみよう。

 昨日、前記事に対し、schoolHIDEさんとみーやママさんからコメントをいただいた。

 schoolHIDEさんからのコメントには、『先生の指導力アップということで、いじめ問題の指導について、toshi先生のお考えをお漏らし下されば幸甚に存じます。』とあった。
 また、みーやママさんからは、『授業は確かに大事だけど、やっぱり基本は学級経営ですよね。学級経営あっての授業ですよね。』とのこと。

 そこで、学級経営と授業との関係から。

 わたしは思う。学級経営が基本とおっしゃるみーやママさんに、わたしも賛成だ。やはり、豊かな人間関係の構築が一番大事と思う。

 そして、両者の関係だが、学級経営を大きく左右するというか、成否がかかっているというか、そういう意味でどんな授業を構築しているかが大切になってくるのだと思う。

 そして、今度は授業の側からみると、
 授業は何と言っても、子どもの成長発達、学力向上のためにあるわけだが、その学力向上に、学級内の人間関係の果たす役割は大きい。
 
 だって、独学しているのではないのだものね。

 みんなが、どんな意見であろうとお互いの意見を大事にする。つまり、刺激し合い、衝突し合い、修正し合い、深め合い、トータルとして価値を求めて学び合うという、そうした活動が、無意識のなかで、自然に行われる。それが、まさに、豊かな人間関係の構築に直結する。

 教員の百万言のお説教よりも意味を持つ。教員の指導力とは、そうした子どもの活動を日々支えるのだ。安心してそうした活動ができるようにするのだ。

 ここに至って、学級経営と授業とは切り離せない、一体としてとらえられるようになるのではないか。

 九九を理解している子が知らない子をバカにするのではなく、
 
 知らない子も卑屈になるのではなく、知らないことを堂々と発表することができ、

 こうした学級の雰囲気のなかで、無気力というか、学ぶ意欲の乏しい子が、学びへの刺激を受けるようになっていく。すると、今度は逆に、干天の地に慈雨が降りそそぐがごとく、学びへの意欲が急上昇していく。


 断言する。

 子どもの学校生活の大部分が授業に費やされる以上、子ども主体で、自ら学ぼうとする授業の構築は、最大のいじめ防止策となる。


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〇ごめんなさい。本記事では、教育行政の問題にはふれませんでした。『急がば回れ』を考えるとき、ほんとうはそれも大きいのだと思います。

 でも、そのことは過去記事で何度もふれさせていただいています。ご覧でない方は、ぜひ、そちらもよろしくお願いします。

 今、代表的なもの一つにリンクさせていただきましょう。

    ああ。どうなってしまうのだろう。(1)


〇今、学力低下論や、短兵急な教育行政の姿勢に絡み、根本的なところでの教員の指導力アップ策はおろそかにされているようです。

 どうしてこうなってしまうのでしょう。大きな要因が、2つあるように思います。

・多くの大人は、上述のように、かつて自分が子どもだったころ、自分の疑問、思い、こだわりを大事にされて学んだ経験がありません。だから、理解できないのだと思います。

 そもそも、学びとは、大人から与えられるもの、もっと言わせていただければ強制されてやるもの、だから、受け身にならざるを得ないもの、多くの大人は、そういう意識ではないでしょうか。

・もう一つ。それに関連しますが、『学習とは、まず基礎・基本の習得。それがなって初めて思考・判断、表現力の育成が可能になる。』という意識がものすごく一般的です。

 でも、これは、誤りです。

 本記事でも具体的に述べたように、基礎・基本の習得と、思考、判断、表現力とは、同時進行で養われなければなりません。切り離せないのです。


〇最後に、本記事ではどうしてもこだわってしまいますが、

 こうした学びが成果を収めている学校は、どんな地域にある学校でも、ペーパーテストの結果はいいのです。あるいは、向上しているのです。
 
 全国学力調査の結果でも、Aの知識の問題はもちろんですが、Bの活用問題は、さらによい成績を収めています。

 しかし、逆に、『よい結果を出している学校は、こうした学びが成果を収めている。』とは、必ずしも言えません。
 
 

rve83253 at 06:36│Comments(14)TrackBack(0)教員の指導力 | 算数科指導

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この記事へのコメント

1. Posted by schoolHIDE   2010年11月13日 13:27
(From HIDE)

toshi先生のブログは、とてもすばらしく若い先生にはぜひ読んでもらいたいと思います。

HIDEの姪の娘、道子さんは新任2年目のであり、とても忙しそうですが、時間を見つけてtoshi先生のブログを読むように薦めます。

ところで、またまたいじめで群馬県の小6女児が自殺しました。悲しいことです。
toshi先生のブログで、いじめについての傾向と対策などをお漏らし下されば、幸甚に存じます。

2. Posted by schoolHIDE   2010年11月13日 13:39
(From HIDE)

いじめ問題について

追伸)toshi先生のいじめについてのカテゴリーにもアクセスさせていただいています。

HIDEも道子さんに相談を受け、いじめ問題について暗中模索中です。しかし、HIDEは、道子先生の話を聞いているだけで、歯がゆい思いをしています。

toshi先生の都合のつくときで結構です。道子先生のクラスのいじめはそんなに簡単には解決しないと思います。
よそしくお願いします。
3. Posted by かげちゃん   2010年11月14日 16:16
先生は群馬県桐生市のいじめ自殺事件について、どうお考えでしょうか?

文部科学省や知事まで話しが進んでいるのに、なぜ学校と桐生市教育委員会は頑ななのかわかりかねます。

かく言う当市でも、非常事態への備えが皆無です。5年ほど前に近くの中学生が消火器をぶちまき、そばにからの消火器がなかったので市立病院の一同に来ていただくはめになりました。

先生なら学校の非常事態にどう対応されますか?
4. Posted by toshi   2010年11月14日 16:20
HIDEさん
 おほめにあずかり恐縮しております。ありがとうございます。今後ともどうぞよろしくお願いします。
 貴ブログ記事を拝読しました。道子先生のご努力、ご奮闘に頭の下がる思いがしました。
 わたしのブログは、『いじめを未然に防ぐには』という観点が強くて、今、現実にあるいじめへの対処という意味では、確かにあまり書いてはいませんね。
 わたし自身は、担任時代も管理職になってからもほとんどいじめに遭遇したことはありません。ただし、1年生担任だった時に経験したことはブログに書かせていただきました(本コメントのtoshi欄をクリックしていただければ出るようにしました。)。1年生だけにたわいもないものでした。リンクしましたが、あまり参考にはならないと思います。すみません。
 『今現実にあるいじめ』
 上学年になればなるほど、それは構造的と言ってもいいもので、ほんとうに指導は大変なことと思います。豊かな人間関係の構築と申しても、並大抵なことでは済まないでしょう。子どものなかに、のめり込むように入っていかなければならないのではないでしょうか。いつも子どもと遊ぶようにするとか、どの子どもへの気配りもきめ細やかなものにするとか、とにかく、学級のどの子にも、担任の本気が伝わるようにしなければなりません。(ごめんなさい。ちょっと間が空きますが続けます。)
 
 
5. Posted by toshi   2010年11月14日 23:14
HIDEさん、かげちゃんさん
 ここはかけ算九九についての記事を書いておりますので、『いじめ』カテゴリーの最終記事のところでコメントさせていただくことにしました。本コメントのtoshiをクリックしていただければそちらに行きますので、よろしくお願いします。コメントの10番、11番です。
最後は少しいじめにもふれていますのに、ごめんなさい。
6. Posted by schoolHIDE   2010年11月15日 16:49
To toshi先生 From HIDE

「いじめ」については、「かけ算の九九」の話が済んでから、toshi先生の都合がつくとき再度アップしていただけたらと気軽に考えてお願いしたのに、早速コメントして下さり恐縮しています。
toshi先生の「いじめ」についてのコメントに対しては、「鉄は熱いうちに打て(5)」のコメント欄で、お礼申します。
大変参考になります。ありがとうございました。
7. Posted by 伊藤   2010年11月15日 20:33
本日も行ってきました。
今回は算数で大きな数をやってきました。

一億は千万をいくつ集めた数ですか、みたいな問題だと今回の九九のような授業があると応用が効きそうな気がしました。

漢数字をうまく変換できない子もいたり、問題文が理解できない子への支援が難しく、どうしても簡単に答えるテクニックに行きそうな気がしてしまい、理解にまで深められるか心配になりました。

また素晴らしい事例や先生の体験から学ばせてください。
8. Posted by とある英語教師   2010年11月18日 04:03
突然の書き込み、失礼します。

来年度、先生方は経験のない英語の授業を行わなければなりません。
日本全国43万人の先生方がどのように授業を行うのか
"学ぶための教材"がまったく不足しているのが現状です。

そこで、小学生の先生方の強い味方が登場いたします!

詳しくはこちらへ
http://shougakusei-eigo.seesaa.net/

失礼いたしました。
9. Posted by toshi   2010年11月19日 02:29
伊藤さん
 ご奮闘に感謝します。
 拙ブログ記事が少しでもお役にたてば、うれしく思います。
 数字を漢数字にするのは、表記の仕方が違いますので、一部の子どもにとってはけっこうむずかしいことだと思います。基本的に0は書かないとか、万、千を書くとかありますのでね。
 個別指導が大切になってくるでしょう。子どもを意欲的にすることができれば、テクニックもあっていいとは思いますよ。
10. Posted by toshi   2010年11月19日 02:38
とある英語教師さん
 宣伝のようですね。申し訳ありませんが、基本的にはお断りしております。今回は例外とさせていただきます。

読者の皆さんへ
  とある英語教師さんからのコメントは、英語教材の宣伝のようですが、確かに英語教育におこまりの方もいらっしゃるかと思い、残すことにしました。
 ただし、申し上げるまでもないこととは存じますが、拙ブログとは何ら関係ありませんので、教材の購入にあたっては、ご自分の責任でよろしくお願いします。 
 
11. Posted by しれとこまま   2011年02月24日 10:38
ご無沙汰しておりました。しかも、結構前の記事へのコメントで失礼します。

うちの子供たちの小学校は複式となっていて、なかなか授業時間をじっくりとした内容にできない状態なようです。
算数は2学年同時なため、半分、もしくは内容によっては全然指導がない状態にもなります。
子供が「リーダー」となり学習をすすめます。
toshi先生の指導のように、なかなかできないのが現状でしょうか。
しかし、1年生と2年生が同じ教室というのは、片方が九九をやっているとき、1年生は羨望のまなざしで見ています。聞きかじりで少しは言えるようになるようで、間違っていたとしても平気です。
この場合、先に九九を歌のように覚えるというあまり推奨されない方式となってしまうのでしょうが、兄弟が多かったりすると家の中でこのようなことがあったと思います。
家では3兄弟ですから、3人に均等に分けるという作業を常にしています。余りは私が食べるのですが、これも日常での訓練となっているのかもと思っている次第です。
12. Posted by toshi   2011年02月27日 05:17
しれとこままさん
 どうぞ、過去記事であっても、ご遠慮なくコメントいただければと思います。
 わたし、複式の授業というのは経験がないですから、無責任なことは言えないと思いますが、どうなのでしょう。
 たとえ、1・2年生であっても、同時に同内容を学ぶということはしてはいけないでしょうかね。
 しれとこままさんが上げられた事例だったら、1年生にかけ算九九を教え込むのは絶対におかしいけれど、子どもが反応したら、それは大事にしてやるというのは無理でしょうか。
『ああ。おにいさん、おねえさんたちがやってる3×3というのは3+3+3のことなんだね。』
くらいのことは、反応を見せる子にたいしては、押さえたっていいように思ったのです。
 そのかわり、あまり、『すごい。』とか言ってほめないことですね。淡々とやることが大切だと思います。ほめると、反応を示さない子がかわいそうなことになります。
 また、1年生で九九を覚えた子がいたとして、2年生でやることがなくなってしまうでしょうか。そんなことはないですね。思考力を大事にした授業なら、記事に書いたように、学ぶことはいくらでもあると思います。
 
13. Posted by まさみ   2015年09月08日 10:28
5 今2年生の次男坊がいます。
家庭学習について悩む35歳の私です。

学校から学習点検表など、低学年は1日30分の自宅学習!など決められてやらされてることに違和感がずーっとあります。

子供も学校と親に勉強させられてる感じで日々を過ごしてる気がしていて、
私自身それが受け入れられなかったのです。

私は、子供に勉強を楽しんでほしいのです。やらされるのではなくやりたいと思ってほしい!
色々模索していたら、マインドマップと言うものにたどり着きました。

そしてかけ算九九覚えるのに使えないのかなぁと検索していたら先生のこのブログに出会えて、感動しました。涙がこみ上げてきました。

ながい解りにくい前置きになりました…

すみません。

一言お礼が言いたくてコメントしました。

こんな先生がいたら子供たちは、楽しいだろ@なぁと心から思います。

私もこれからも自分なりに模索して、親子で成長していきたいです。

これからも色んなこと発信されるのを楽しみにしています!
14. Posted by toshi   2015年09月10日 03:59
まさみさん
 大変うれしいコメントをいただきました。お礼なんておっしゃっていただいて、ほんとうにありがとうございます。しかし、まさみさんにとってはそれどころじゃないですね。お察しします。
 実はわたしの孫は、中1と小5が2人の計3人で、娘2人なのですが、2人ともこぼしていた時期があります。
「まったく家でなんであんなに音読させなければいけないの。毎日よ。そのたびに息子に付き合わなければならないから大変よ。感想も書かなければいけないしね。」
 どうも、ある大学教授の《声に出して読みたい日本語》がブームになってからの悪弊のように思われます。
それと、全国学力調査が実施されるようになってからの傾向ともいえるようです。
 それにしても、学習点検表とは…驚きました。あまりにもストレート表現。名前からして、子どもを管理しようとする意図が見え見えですごいなあと思いました。
 これでは、まさみさんのおっしゃる学習意欲など、萎えるばかりですよね。こんなので仮にテストの点数がよくなったとしても、それはまやかしで、明日になれば忘れてしまうたぐいのものでしょう。
 最後に、《親子で成長していきたい》と書かれたまさみさん。これも先ほどとは逆な意味で、すごいと思いました。公教育に携わるわたしとしては、まことに申し訳ない言い方になりますが、《学校が期待できないなら、せめて親であるわたしが頑張らなければこの子は浮かばれないじゃない》。かつて子育てしていた時、わたしはそうした気持ちであったのを思い出しました。
 ごめんなさいね。
 

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