2010年11月25日

星野哲郎先生、ありがとうございました。

PA0_0010 星野哲郎先生の訃報に接し、謹んで哀悼の意を表します。

 わたしは、かつて、星野哲郎さんのご講演をうかがったことがある。また、一度お電話でお話しさせていただいたこともある。それだけの薄いご縁ではあったが、気さくで親しみのもてるお人柄に接した記憶は、その偉大さとともに、終生忘れない。


 わたしがA小学校に着任したのは、もう、数十年前。初めて聴く校歌に、何ともいえない親しみを感じた。

 『校歌らしくない校歌だな。やさしい感じがして、流れるようなメロディがすてきだ。それに、歌詞も、いかにも子どもが言いたそうな言葉があってざん新だ。愛唱歌といったおもむきもある。』

 なにより、子どもの歌声がすてきだったのだが、この校歌のもつ味わいにも心打たれた。


 その感動を、近くにいた教員に話すと、
「はい。この学校の校歌は、なんと、あの有名な星野哲郎さんの作詞なのです。」
と教えてくださった。その誇らしげな語り口と表情が印象的だった。

「ええっ。あの演歌で有名な星野哲郎さんですか。星野さんは、校歌も作詞されるのですか。」

 それは知らなかった。まことに失礼ながら、感動とともに、強い違和感も覚えてしまった。なにしろ、『風雪ながれ旅、みだれ髪』それに、『男はつらいよ』など、あまりにも有名だものねえ。わたしのなかでは、どうしても、校歌との接点が感じ取れない。

 しかし、今、目の前で聴いた校歌のすばらしさ。

 えらいとまどいを覚えた。


 わたしが着任したその年、A小学校は、創立〇周年を迎えた。その日は、式典、及び、祝賀会が予定されていた。そして、なんと、星野哲郎さんの講演会も催されたのだった。

 わたしは、上記違和感もあったことから、この講演会に強い関心をもった。どんなお話をうかがえるのだろうと、期待に胸がふくらんだ。

 お会いしてみると、どこにでもいるふつうのおじさんのようで、校長先生とは旧知の間柄といった感じ。気さくで楽しそうに話されていた。あまりにも有名だし偉大な方だが、その現実とのギャップに驚かされた。



 さて、講演は・・・、

 実はその前にふれておきたいことがある。すみません。

 PA0_0009
 その講演をうかがってから十数年がたった。

 わたしたち、教員仲間で、同人誌を出す動きがあった。仕事に関する内容に限定するが、肩のこらないエッセイ集にしたいとのことだった。わたしも出稿を依頼された。

 そのとき思い浮かんだのが、星野哲郎さんの講演だ。作詞にかける情熱のすごさ。演歌と校歌との間に感じた違和感はなくなったのだった。いや。それどころか、大いなる感動を味わった。そうしたわたしの想い。そういったものを書いてみたいと思った。

 しかし、いくら同人誌とはいえ、それには、星野さんのご了解を得ておきたい。というわけで、まずは手紙をしたため粗稿を同封したうえで、電話をかけさせていただいた。受話器の向こうからは、あのなつかしい親しみのあるお声が聞こえてきた。

 かえって、お礼の言葉をちょうだいし恐縮してしまったのだが、さらに、
「その同人誌が発刊のはこびになったときは、ぜひ一冊お送りいただけませんか。」
と逆にお願いされてしまった。
「はい。ぜひ、そうさせていただきます。」
と申し上げたのだが・・・、

 その後、どうしたわけか、発刊されることはなかった。残念だった。

 そんなわけで、まことに申し訳ないことになってしまった。ごめんなさい。今、ここに、あらためてお詫びします。

 そこで、せめて、拙ブログを通し、わたしの文章だけでもお届けしたい。『このブログが、天国へもつながっているといいな。』と夢みながら・・・、



 それでは、読者の皆さん。

 同氏講演のほんの一部になってしまうが、よろしかったらご覧ください。


 「〜。

 そんなわけで、わたしは、全国各地の小中学校、いえ、それ以外の学校からも、校歌の作詞を依頼されるようになりました。大変光栄なことだと存じております。

 それだけに、知人から、冗談で、よく言われることがあります。
『そんなにたくさん校歌を依頼されたら、たとえば、九州と北海道というように遠く離れている場合、以前作ったよその校歌を、『はい。できました。』ともっていっても、ばれることはまずないでしょうな。』(会場の笑いをさそう。)

 まあ。そうかもしれません。


 しかし、わたしは、それだけは絶対にできないのです。単なる道義の問題としてだけではありません。

 と言いますのは、校歌には責任がともなうと思うからです。


 流行歌に責任はありません。それは、『いい歌をつくりたい。広く皆さんに親しまれ、愛される歌をつくりたい。』という、その思いには強いものがありますが、でも、つくった歌がはやるかどうかは、わたしには分からないことです。広く皆さんに支持され愛されれば、わたしもうれしくなりますが、しかし、これはと思ってつくった曲でも、ひのめをみることなく消えていく曲はたくさんあります。それはそれで仕方のないことだし、流行歌はそれでいいのです。つまり、責任はありません。

 しかし、校歌は違います。いったん校歌として採用されれば、その学校がなくならない限り、児童、生徒によって、永遠に歌い継がれます。はやりすたりがない代わりに、確実に歌われていくのです。
 それも、卒業式とか、運動会とか、子どもにとって生涯忘れ得ぬ思い出となる、そういう折にも校歌は歌われるのですからね。

 これは、責任を感じます。子どもや地域の方々に愛される歌にしないと、申し訳ないことになります。子どもたちが、思わず口ずさむような歌にしたいと思います。つまり、そういう責任があるのです。
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 もう一つ。あります。

 『歌は世につれ、世は歌につれ』と言われますね。どんなにはやった歌でも、世の中の移り変わりによって時代に合わなくなり、忘れ去られていく歌がたくさんあります。これも、流行歌ならそれでいいのです。やはり仕方のないことです。

 しかし、校歌はそうはいきません。どんなに時代が変わっても、子どもや地域の方々に永遠に愛される歌をつくりたい。そう思います。子どもたちから、『古くさい歌だな。あんまり歌いたくないな。』などと思われないような歌をつくりたいのです。


 ですから、わたしは、校歌の依頼を受けると、学校はもちろん、必ず、その土地も何度となく訪ねます。そして、学区を中心として地域を歩きまわります。『ああ。ここにきれいな流れの川があるな。』『丘に登るとさっと視界が開け、すばらしい景色が広がるね。』
 それだけではありません。『活気のある街だなあ。』『子どもたちは、明るく陽気に遊んでいるな。』など、その土地、土地の風土、空気のようなものを感じ取るようにします。

 また、どの地域にも、長年、その地域を支え、まとめ、よりよい街にしようと努力している方がいらっしゃいますね。そういう方々にもお会いします。そして、皆さんの郷土を愛する心、子どもへの願いといったものを感じ取るようにします。そのようにして、イメージをもち、それを詩にしていくのです。


 このA小学校も、今、祝賀会に、Bさん、Cさん、Dさんがいらっしゃいますけれど、皆さん、当時お会いしてお話をうかがったなつかしい方々です。

 それで、皆さんの〜という子どもへの願いが、校歌の〜という言葉になりました。

 〜。」


 講演は、ここまでとさせてください。

 そして、以下は、この講演を聴いてのわたしの思いとなりますが、

 
 星野さんは、演歌のみならず、『子どもの心をもち続けた方なのだな。』と痛感した。星野さんの校歌のワンフレーズに、思わず、『そうだったな。わたしも子どものとき、こういう思いをもったことがあるよ。』とばかり共感できるところがあった。


 わたしの家は、A小学校からは大分はなれているが、けっこう環境は似ている。

 わたしは子ども時代、ずっと遠くの小高い丘にそびえたつ木造の校舎らしきものに、強い関心をいだいた。『いつの日か、その建物近くに行ってみたい。どんなところだろう。』未知の世界へのあこがれだった。

 今、振り返れば、別にどうということはない。そびえたつように見えたのは、まわりに何もなかったからだろう。今は鉄筋校舎になっているが、別にそびえたつ感じはない。それに、車なら、ほんの10分ほどで行ける距離だ。

 そんなふうだが、星野さんの校歌には、そうしたわたしが子ども時代に抱いた『あこがれ』が、見事に詩になって詠みこまれている。
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 もう一つ。これは、星野さんの子どもへの願いと言ったらいいだろうか。

 学区には、長く急な上り坂がいくつかある。そのなかには通学路となっているところもある。星野さんは、そこを何度も通われた。『これはすごい坂だ。この坂を毎日、そして6年間も、子どもは上り下りする。』そうした感慨が、子どもの成長、そして、登り切ったところでは子どもの巣立ちと、イメージを重ねられたようだ。

 やはり、これも、校歌のワンフレーズとなっている。


 わたしのなかで、演歌の作詞者というよりも、校歌の作詞者としての星野さんの存在が、強烈に印象づけられるようになった。


 でも、でも、

 星野さんの講演はA小学校の校歌でしめくくられた。星野さんの独唱である。それは、ふだん聴く子どもの校歌とはだいぶ違い、まるっきり演歌のように聴こえてきた。


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 本記事を書くにあたっては、先日、YKさんがお寄せくださったコメントが、強く印象に残っています。リンク先の23番です。その一部を引用させていただきましょう。

 『音楽の創作には、作詞家も作曲者も演奏者もいるが、まずは詩人というものが、どれだけ自分の感動を大切にし、自分のなかに蓄積をつくり、自分だけの言葉で歌詞を創造するか。』

 わたしのなかで、このコメントが、星野さんの講演と重なってきました。『そうか。星野さんがおっしゃったことは、こういうことだったのだな。』その思いを強くしました。

 YKさん。再度お礼申し上げます。ほんとうにありがとうございました。



 いよいよ、最後となりました。

 まず、読者の皆さんへお詫びを。

 原稿のうち、著作権に絡むと思われる部分は、省略、あるいは、改編をさせていただきました。あしからずご了承ください。


 次、星野哲郎先生の演歌にリンクさせていただきましょう。先生の代表作といっていいのではないでしょうか。 

    みだれ髪  作詞 星野哲郎   作曲 船村 徹   歌 美空ひばり

 再度、星野先生に感謝申し上げます。

 ほんとうにお世話になりました。ありがとうございました。安らかにお眠りください。


rve83253 at 17:17│Comments(8)TrackBack(0)むかし | エッセイ

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この記事へのコメント

1. Posted by 伊藤   2010年11月27日 21:31
私は星野哲郎さんに思い入れはありませんし、あまり作品に触れる機会もありません。しかし、おっしゃることは大変素晴らしく思います。

私の故郷長野県には「信濃の国」があります。
長野県民なら誰もが歌えるこの曲は長野県統合の象徴であるからこそ歌い継がれています。

野球が好きで、あちこち行きますがやはり校歌は高校、大学でも栄えます。愛校心をくすぐるからこそ歌い続ける曲たちが廃校によって消えていくことが残念でなりません。
2. Posted by toshi   2010年11月28日 09:03
伊藤さん
 わたしも、A小学校へ着任し講演をうかがうまでは、伊藤さんと同じような意識だったと思います。校歌というものを見つめ直すきっかけを星野先生が与えてくださったように思います。
 それだけに、我が地域も決して例外ではないのですが、近年の少子化による廃校、統合の動きはわたしも残念に思います。校歌がなくなる、歌い継がれなくなるということは、心のふるさとがなくなることを意味するのかもしれませんね。
 長野県のこと。むかし、教育研究会でおじゃましたことがありました。『信濃の国』の歌に対する長野県民の思い入れは、そのとき初めて知り、それもまた、感動したものでした。
 歌って、『たかが歌』ではないですね。
3. Posted by rusie   2010年11月28日 10:29
演歌が苦手な私は,星野さんの名前は知っていましたが,あまり関心がありませんでした。
校歌も作詞されていて,こんなふうに考えていらしたなんて初めて知りました。
作詞家としての姿勢,すばらしいですよね。
校歌を大事に考えてくださっているのだと思ったら,自分の学校の校歌も改めて,作詞家の人の思いを考えてしまいました。
校歌は大事ですね。
私の小学生時代の校歌で忘れられないことばは
「・・・心の鏡くもりなく みがきてつとめ・・・」というところです。でもこのあとの言葉が思い出せないのです。
でもいつも心の鏡くもりなく・・は思い出します。
4. Posted by みーやママ   2010年11月28日 18:56
校歌を依頼されて、そんな思いで作られるなんてすごいなぁ。と思いました。

なんだか、いろんなことや物が軽視される時代になって、校歌は古き良き時代の財産なんだな。と思いました。
5. Posted by toshi   2010年11月29日 05:41
rusieさん
 わたしの子ども時代、我が地域の小学校では、校歌がないのがふつうでした。地域全体の歌があり、儀式的な行事では、もっぱらそれを歌っていたものでした。小学校で校歌がつくられるようになったのは、昭和30年代でしたね。
 わたしは退職までに8校に勤務しましたが、あるとき、同年代の教員同士の集まりで、星野さんの思い出とともにA小学校の校歌を歌いましたら、『そんな数十年も前だろうに、よく覚えているね。』とある教員から言われました。
 わたしは、自分が勤務した学校の校歌は、だいたい覚えていましたから、今度は自分の方が驚いてしまいました。
 そう。校歌って、大事ですよね。決して子どもだけではないと思います。学校の教育目標と関連付けたっていいくらいに思っています。
6. Posted by toshi   2010年11月29日 06:11
みーやママさん
 星野さんとの出会いにわたし自身が感動したし、星野さんの作詞家としての姿勢に、学ばせていただいたものでした。
 だからこそ、子どもの心を打つ校歌になるのでしょうね。 そう。そう。地域の方も自慢にしていらっしゃいましたよ。
 校歌にまつわる思い出もいろいろあります。皆なつかしいものばかりです。
7. Posted by YK   2010年12月01日 12:49
私のコメントに言及していただいたのに、お返事できなくて申し訳ないです。星野哲郎氏の名前は私は存じ上げませんでした。有名な方と聞いて、私のコメントと関連付けて頂き、恐縮しております。

音楽は古来から学問とも関連付けて論じられていると思います。孔子なら孔子の考えがありますし、プラトンならプラトンの考えがあると理解しております。孔子であれば「礼」の一環でしょうし、その「礼」とは人間同士の心地よい関係という意味でしょう。

プラトンなら「想起」という心の働きとして話しますし、それは人生における記憶の問題であります。私はそう考えるので、近頃は教え子にこう言うのです。「東方神起(韓国のアイドル)が好きなら、東方神起を聞きなさい。ただ、母国語でも聞きなさい。それはあなたの親御さんの世代では出来なかったことです。母国語で歌詞を読み、国家は関係なしに、人間の思考の形式に共通の部分があることを確認しなさい。また、違う部分も学びなさい。それがその地に住む人間の精神(エトス)なのです。国家間関係における諸問題は収まるところに収まりますから、あなたがたは動揺せず、もっと大切なことを学ばなければならない。いずれ、10年、20年後、中東の文化と知識が必要になるから、これからの人生を楽しむために教養を身に着けなさい。」

まあ、私の教え子は女の子が多いので、音楽を構造からではなく、感覚から入るのも比較的楽です。やはり、平和なかたちで愛郷心を伝えることは、教育におけるひとつの使命であると考えますので、私なりに少しずつ実践しております。
8. Posted by toshi   2010年12月02日 08:54
YKさん
 『国家は関係なしに、人間の思考の形式に共通の部分があることを確認しなさい。』と『違う部分も学びなさい。それがその地に住む人間の精神(エトス)なのです。』を矛盾ととらえるかどうかはともかくとして、その双方を伝えなければいけないということは、よく理解できます。
 わたしは、社会科を学んできたのですが、たとえば、6年の歴史学習で、『今のわたしたちには想像もできないようなことをむかしの人はしてきた。それはなぜか。』という部分と、『人間ならば、いつの時代も変わらない共通の願いをもっている。』という部分と、その双方を大切にして問題追求をしていくようにします。
 YKさんが書かれているのは、それについての地理的な見方の部分でしょう。ですから、すごく共感できました。
 『構造と感覚』。これも『知識と感性』と置きかえることが可能でしょうか。やはり、双方とも大事ですね。

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