2010年12月02日

『あちらたてればこちらたたず』 校歌をめぐって

PA0_0012 初めにお断りしておきたい。

 『あちらたてればこちらたたず』と申しても、本記事の場合、結果的にみればそんな大仰なことではない。ちょっとしたエピソード風であり、今となってはなつかしささえ感じる。


 前記事に、校歌作詞にかける星野哲郎氏の情熱を書かせていただいた。

 その記事に対し、伊藤さん、rusieさん、みーやママさん、YKさんからコメントをいただいた。それらを拝読し、痛感したことがある。

 わたしが申し上げるのも変だが、あらためて、『校歌って大事だなあ。』の想いがつのってきた。特に、みーやママさんからは、『校歌は古き良き時代の財産』なる言葉をいただいた。


 そうだよねえ。特に卒業生にとっては、在学中の思い出と重なり、なつかしさとともに忘れられない想いでいらっしゃる方も多いのではないか。たとえ、校歌の一部だけだって、あるいは、メロディだけだって、それは同じこと。そうした想いが、つくる側の校歌作詞にかける情熱とぴったり符合するのだなと、あらためて、思わせていただいた。

 そんな想いになったら、『あのときのあの扱いはあれでよかったのではないか。』と、胸をなでおろしたことがあるのに気づいた。

 もしかしたら、校歌を愛し大事にしてきた方々と、校歌をつくった側との想いのズレと言えるかもしれない。ぴったり符合しなかったのだ。


 わたしの現職時代の最終勤務校でのことである。その小学校は、わたしの在職中に創立〇周年を迎えた。その式典・祝賀会には校歌の作曲家のA氏をお招きすることができた。

 校歌ができたのはおよそ50年くらい前。当時、A氏はお近くの中学校の教員でいらっしゃった。だから、かなりご高齢である。そのかくしゃくとしたお姿に接し、『ああ。あちらこちらにあたり、やっと尋ねあてたお方だが、お招きできてよかったな。』と感慨無量なものがあった。なにしろ、校歌を作曲して以来、本校をお訪ねになるのは初めてとのことであった。

 全校児童の前でも、
「〜。お招きいただき、ありがとうございます。とてもなつかしく、皆さんにお会いできたことをとてもうれしく思います。そして、ずっとこの校歌を大事にし、歌い継いでくれていることが分かり、あらためて、感激し、うれしく思っています。〜。」
と挨拶してくださった。


 しかし、みんなで歌い終わると、とんでもない事態が発生した。

 A氏がおっしゃるには、
「2か所、わたしが作曲したのと違っている。できれば、正しく歌っていただきたい。」
とのことであった。

 『ええっ。どういうことだ。どうしてこんなことが起きたのだ。今さら、正しく歌ってと言われても、もうずっとこのメロディで歌い続けてきたはず。』驚きとともに、大いなるとまどいを覚えた。

 ちなみに、学校沿革史に収まっている楽譜は、もちろん、これまで歌われてきたものとなっている。


 後日、A氏から、A氏作曲の楽譜が送られてきた。双方見くらべてみた。確かに違っている。

 そこで、音楽専科のBさんにひいてもらった。Bさんが言うには、
「はい。これまで確かに、コード進行の不自然さを感じていました。これなら、自然だと思います。」
とのこと。

 これを聞いて、わたしは、『これは本来の正しいメロディに直さなければいけないかな。』という思いが強くなった。第一、楽譜には、『作曲 A』と書かれているしね。不自然なコード進行というのでは、Aさんに対し申し訳ない。そう思った。


 それにしても、いつから間違って歌われるようになってしまったのだろう。どうして本来の正しい楽譜がなくなってしまったのだろう。その思いはますます強まった。

 さいわい、代々本校の卒業生という方が大勢いらっしゃる。そこで、PTA役員さんを中心に、うかがってみることにした。

 皆さん異口同音に、
「今歌われているように、わたしたちが子どものころも歌っていました。間違いありません。」
とのこと。さらに、
「今さら、正しくとおっしゃっても、子どもたちはもちろん、わたしたちだってきっと違和感を覚えてしまうと思います。」

 さあ。つっとってしまった。どうしたらいいだろう。わたしの胸のなかでとまどいが広がった。


 そんななか、こうなってしまった事情が分かりかけてきた。地域の古老の話だ。

「わたしたちがこの歌を初めて聞いたとき、校歌とは思っていなかったよ。地域には子ども会がいくつかあったし今もあるが、その子ども会でよく歌っていた。その証拠に、歌詞は、『Cの子』となっていて、『C小学校』とはなっていないだろう。

 いつのころからか学校でも歌われるようになって、『ああ。この歌は校歌になったのか。』と思ったのを覚えている。」

 しかし、その話を受けて、あらためてA氏に問い合わせると、A氏はあくまで、『C小学校校歌のつもりで作曲した。』とおっしゃる。

 ああ。こうなると、どういうことなのか、分からなくなるね。そういえば、学校沿革史に収まっている校歌も、手書きのもので伴奏譜はないというしろものだった。

 ということは、古老の話の正しさを思わせる。


 もう、読者の方もかなりお察しがつくのではないかと思うが、わたしもそのように思った。


 これは、A氏の想いとは違った経過をたどり、おそらく古老の話のようになってしまったのであろう。

 最初は、地域のあちらこちらの子ども会で歌われていた。みんな気に入って、喜んで歌ったに違いない。その間に、いつのまにか改変されてしまったのだろう。おそらく歌いやすいように、自然に、無意識のうちに改変されてしまった。そして、校歌となったときは、もう、改変された方の歌が改変とはだれも気づかずに採用されたということではないか。

 校歌が独り歩きをしてしまったのだね。

 そう言えば、むかし、『作品は作者の手元から離れ世に出た瞬間から、その意図に反するものになる。』と聞いたことがある。


 最後の結論は、『今さら、もう変えないことにする。歌い続けてきたように歌わせていただく。』そのように決断した。だって、地域の方が愛し、大事に育んできた歌なのだもの。

 諸事情とともに、そうA氏にお願いした。A氏は、快くとはいかなかったが、『そういう事情なら、了解しました。』とおっしゃってくださった。

 心から、安堵と感謝の想いになった。

 
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 後に残った思いもあります。

・コード進行と歌いやすさと。これは必ずしも一致しないのでしょうか。音楽のしろうとにはちょっと分かりかねる点です。

・『作者の意図を離れても仕方ない。』結果的にそう結論づけたことになります。しかし、想いは複雑でした。それは、前記事の星野哲郎氏の校歌作詞にかける情熱が念頭にあったからです。割り切ってしまうのは簡単ですが、あらためて、A氏に対し、申し訳ない思いにもなりました。

・さらに、今回、その星野氏のことを記事にさせていただいて、それにお寄せいただいたコメントからも、いろいろなことを感じました。つくる側の情熱にも感動しますが、一人歩きを始めた校歌に対しても、それを守り育てた人々の想いには実に深いものがあるのですね。それこそ『校歌は古き良き時代の財産』なのですものね。

・こうなってしまったのは、だれの責任でもありません。ただ、言えること。50年前、今からならもっと前になりますが、そのころは、今と比べ、国も社会もかなりアバウトでした。その所産と言えなくもないでしょう。

 今なら、たとえ、作品が作者の手元を離れても、楽譜が作者の意図を守ってくれます。


 しかし、アバウトな時代を批判する気持ちはありません。

 終戦直後で、それまでの制度も慣習も多くが否定され、人々は混迷のなかにありました。

 その一方、活気ある時代だったとも思います。希望も夢もあったのではないでしょうか。今のような管理社会とは異なる側面がありました。


 

rve83253 at 16:54│Comments(11)TrackBack(0)学校経営 | むかし

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この記事へのコメント

1. Posted by 伊東玲   2010年12月03日 02:16
2 私の父は地域の校歌や町の歌をいくつか作曲し、校長も勤め最後は短大で教鞭をとっていました。
学校の統廃合や市町村合併で、父の作品がどんどん消えていきます。
今回の問題は、よく学校で印刷するときに、歌詞だけの場合が多いということにあると思います。
なぜか楽譜は印刷されません。
どうせ印刷してもわからないだろう、という気持ちが一般的なのだからでしょうが、まことに残念です。
私は新しい学校に赴任すると、必ず校歌の作詞者と作曲者を調べ、子どもたちにその人のことを教えながら、きちんと正確に歌えることを最初の仕事とします。
伊東が転勤してきてから、校歌の全校斉唱が変わったとよく言われました。
卒業生の方にも喜んでいただきます。
そのときに正しい歌い方を楽譜を示して理解を求めるようにします。
みんな納得してくれました。
作詞者と同じように作曲者の思いも大切にしなければならないとわかっていただけるからです。
要するに姿勢の問題だと思いながら読ませていただきました。
(つづく)
2. Posted by 伊東玲   2010年12月03日 02:16
2 A氏の姿が私の父と重なりました。
星野さんのような有名人は大切にされても、地元の作曲家の思いは大切にされないのは、さぞA氏も無念だったでしょう。
また、こういうことが地域や子どもたちに与える影響も大きいと思います。
歌いやすいように変えてもよい、となると、音楽科教育はいったいどうなるのでしょうか。
もしもこれが著名な作曲家の作品だったとしたら、ただではすまない問題になる可能性もあります。
どうしても歌詞偏重の風潮が日本には根強くあります。
2+2=3というのがこの地域の風習だ、とは誰もいいません。
作品が一人歩きするといえども、ピカソの絵に落書きをすれば犯罪です。
A氏はどんな思いでいるのかと思うと、ものすごくつらい気持ちです。
ベートーヴェンは作曲した作品の一つの音符が気になって10年後に出版社に印刷しなおさせたという逸話もあります。
伝統の愛唱歌である校歌を作曲してくださったA氏は、その地域や卒業生や在校生にとっては、ベートーヴェンよりも大切な人であるはずです。
A氏に無理やり納得させたのは、周りに与える影響の大きさと、A氏の気持ちを考えると、私にはまちがいだったとしか言えません。
私の父は、学校が校歌の楽譜を紛失するので、苦笑しながら何度も書いていました。
夜遅くまで、毎日、一つの音もおろそかにせず、楽譜を書いていた姿を子ども心に覚えています。
長くなりましたが、音楽をもうちょっと大切にしていただきたいと思いました。
(つづく)
3. Posted by 伊東玲   2010年12月03日 02:17
2 先生のブログは読者も多いですから、なおさら影響力を考えると、もっとA氏の思いを考えていただきたかった。
先生が指導されている初任者の方に、音楽軽視が植え付けられるのも困ると思いました。
音楽教師、指導主事、指導室長、数校の校長、校長会長、短大教授を歴任した父のことを思いながら、僭越ながら意見を述べさせていただきました。
父の作品の場合は学校廃校や市町村合併でそれまで歌われていた歌が用済みになったとき、どこからも連絡はありませんでした。
亡くなったときに私が追悼演奏会をするために、あちこちに連絡してみてそういうことがわかりました。
A氏に申し訳ないと私は思います。
もう相当のお年のようですが、「まちがっている」と言ったA氏が本当の教育者であることは、まちがいないと思います。
このままA氏が亡くなられたら、さぞ無念であろうと察します。
一つの言葉にこめられた思いと、一つの音符にこめられた思いは、同じだ、と卒業生にも教師にも子どもたちにもわからせる絶好のチャンスだったのに、本当にもったいないことをされました。
せめてブログだけでも、もう少しそのあたりについて、音楽の音に対する真摯な態度を示していただけると、A氏も、父のような地域の作曲家も、浮かばれると思いました。
長々と失礼いたしました。(おわり)
4. Posted by 伊東玲   2010年12月03日 02:27
1 追記
校歌は『古き良き時代の財産』ではありません。
今の子どもたちにとっては、今の学校生活のシンボルの一つです。
また、時代のせいにされてますが、そういう時代に作曲できる人は、相当に個人的な努力をされた人ばかりです。
「アバウトな時代」にきちんと楽譜を書いたことこそを、軽視していただくのはいかがなものでしょうか。
さらに、やはり、巷の愛唱歌と校歌は性格が異なると思います。
学校のものである以上、今の子どもにとっては大きな教育環境の一つです。
何度先生の記事を読んでも、真の教育者としてのA氏が、なんだかこっけいな者のように扱われているように感じられて、非常なとまどいを持ちます。
A氏は、どう考えても、教育的にも人間的にも正しいとしか思えません。
今からでも、A氏の姿勢から学びなおせると強く思います。
5. Posted by やまびこまま   2010年12月03日 15:03
創立周年記念に校歌の作曲家として招かれたものの、聴いたものは自分の曲とは違い、それを指摘しても「歌い続けてきたから」と納得せざるをえなかった・・・とは。
あきらかに校歌として作曲し、楽譜まであるのですから、
自分が亡き後ならともかく、目の前で違う演奏がされて驚きと悲しみにつつまれた思いでいらしたのではないかと、A先生の無念さを思います。
作品は独り歩きする。確かにそういうこともあるかもしれません。ですが、子供たちの学び舎でのできごとであるというところで、余計に残念に思います。「何年も歌ってきたけれど、A先生に違いを指摘されましたから、これからははじめに出来上がった通り正しく歌いましょう」とできたら良かったのかなと。
6. Posted by toshi   2010年12月04日 08:06
伊東玲さん
 伊東さんのお父様も伊東さんも、地域の教育のためにご尽力いただいていること、敬意を表します。校歌を大切にというお気持ちもひしひしと伝わってまいりました。
 わたしも同じ気持ちなつもりですが、誤解を招いたようで、その点は残念に思いました。
・わたしの文章から、『歌いやすいように変えてもよい。』と言っているように読み取られましたか。わたしはそのようなことは書いていないつもりですし、わたしだって、そのようなことは許しません。
・《もしもこれが著名な作曲家の作品だったとしたら、ただではすまない問題になる可能性もあります。》とのこと。
 本校の場合も、その渦中にいたときは、ただでは済まない事態になることもありうると、深刻に受け止めていました。わたし自身、つくられた方、歌い続けてきた方(幼時を想いなつかしむ方)の想い、その双方を思って、大変苦慮したのです。それだけに、ご了解いただけたときの安堵と感謝(とお詫び)の気持ちには、大変なものがありました。その点、わたしの想いを真摯にお伝えしたつもりです。
 ですから、音楽を軽視しているつもりはまったくありません。
・また、『校歌は古き良き時代の財産ではありません。』と言ってしまうのはどうかと思いました。
 校歌には、いろいろな方のいろいろな思いが込められていることは確かです。多様であることはお認めいただきたいと思います。

7. Posted by toshi   2010年12月04日 08:07
・《巷の愛唱歌と校歌は性格が異なると思います。》
 これはおっしゃる通りと思います。記事にも書かせていただきましたが、最初にボタンのかけ違いがあったのですね。
 なお、どうしてこういう事態になってしまったのか。50年ほど前のこととはいえ、知りうる限りのことは知りたいと、ほんとうに全力を上げたつもりです。その辺の努力を怠ったのでは、それこそ、どちらの結論になるにしろ、ご納得いただくことはできないと思いました。
 さらに、それより前、『A氏はお元気でいらっしゃるようだ。』と風の便りでうかがったときも、それならぜひお招きしたいと思い、手を尽くしてA氏の居住地をさがし、連絡がついたときの喜びは大変なものがあったということも、あわせお伝えしたいと思います。
・《アバウトな時代のせいにしている》とありますが、『時代のせい』にしたつもりもないのです。アバウトな時代と申しても、人間みんながアバウトだったと言うつもりはありません。アバウトな時代は、多様な人間が、多様性を発揮して(それこそ、アバウトな人もいたでしょうし、情熱的な人もいたのです。)生きていた時代だと思います。ですから、今の管理社会とは異なるという意味で、評価したいと思っています。
なお、伊東さんからいただいたコメントによって、アバウトな時代の、校歌をめぐる諸事情がよく分かり、その点ありがたく思いました。学校もかなりアバウトだったのですね。
・《せめてブログだけでも、もう少しそのあたりについて、音楽の音に対する真摯な態度を示していただけると、〜》
 この点については確かに軽い調子だったなと、お詫び申し上げます。すみませんでした。
8. Posted by toshi   2010年12月04日 08:07
やまびこままさん
 おっしゃるお気持ちはよく分かるつもりですが、その渦中にいたときは、ほんとうに悩みました。コメントの6・7番で、ご理解いただければ幸いです。
9. Posted by みーやママ   2010年12月04日 12:38
私は、楽譜もよめないし、音楽も全くわからないのですが、やっぱり校歌っていい意味で 古き良き時代の財産だな。って思うのです。

私のいくつか通った母校の一校には、「伸びよ、伸びよ、麦の穂よ」という一節がありました。が、私の通った小学生の時代でさえも、住宅街の学校で、「なんで?」「校歌、かえたほうがいいんじゃないの?」と 子ども同士でさえ話していました。でも、もちろんかわることはありませんでした。今でも・・です。校歌が作られた当時と、いろんなことが変わっていっても受け継がれる・・それが、財産だと思ったのです。

toshi先生も、当時は困られましたね。
作曲者の方の通りにかえたい。と思っても、歌ってきた卒業生の方たちの思いがありますものね。

数十年もたって、校歌を作った方に連絡をとるってすごいな。と思いました。私は、25年ちょっと教員をしていますが、校歌を作った方にお会いしたことはありません。

10. Posted by toshi   2010年12月04日 15:16
みーやママさん
 当時の思いをご理解いただき、感謝しています。ありがとうございました。
 学校経営に限らないと思いますが、文字通り、『あちらたてればこちらたたず』といった事態は、起こりうるものです。それはほんとうに苦しいものです。

 話は大きく変わりますが、みーやママさんからのコメントで思い出したことがあります。
 記事に書かせていただいた小学校には、明治末期から昭和初期にかけて歌われていたという校歌もありました。学校沿革史に歌詞と伴奏譜なしの楽譜とが収められています。
 わたしは、式典・祝賀会にあたり、これを歌ったらどうかと提案しました。教職員の皆さんも快く了承し、合唱クラブの子どもたちの発表となりました。滝廉太郎さんの歌曲を想わせる、むかしなつかしいおもむきがありました。
 作詞家、作曲家とも不詳です。この歌が、現代とはまったく異なる地域環境を歌っています。『早乙女』『駒とめて〜』など、まさに歴史を想わせる旧校歌でした。
 この歌の場合、なにしろ昭和初期ですから、どうして歌われなくなったのかは不明です。今の時代では想像できないようなことが原因かもしれません。 しかし、基本的に、校歌というものは、学校がなくならない限り、永遠に歌い継がれていくものですよね。
 
 ごめんなさい。貴コメントに関連し、ふれさせていただきました。
11. Posted by みーやママ   2010年12月05日 08:50
伝統ある学校では、そんなこともあるのですね。
まさに学校の歴史・・ですね。


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