2011年01月01日

活性化した日本を!

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 あけましておめでとうございます。

 拙ブログを開設して、6回目の新春を迎えました。

 始めたころ、こんなに長く続けられるとは思ってもみませんでした。これも、ひとえに読者のみなさんの変わらぬご支援のおかげと、深く感謝申し上げます。本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。

と、年頭のご挨拶はここまでとさせていただいて・・・、すみません。ふだんの調子に戻させていただきます。


 6年前、そこまで思っていたわけではないが、書いているうちにだんだん強く思うようになったことがある。それは拙ブログのテーマといっていいようなものだ。

 『日本の活性化を願う。政治も経済も、そして、人心も混迷を深めているが、何とか少しでもいきいきとした世相を取り戻せたらいいな。
 それを可能にする最大のものは何だろう。・・・。それは、何と言っても教育の力ではないか。なにしろ将来の日本をしょってたつ国民を育んでいるのだから。』

 そう思うようになった。『公教育が変われば日本が変わる。』そう言っても、けっして過言ではないように思われた。


 そんな思いでいたら、

 昨日、おおみそかに、すてきなテレビ番組を見た。その番組の紹介がふるっていた。なんと、『わたしたち、日本人のDNAに刻まれた、景気を「満開」に導く「絶好調の極意」』とある。

 さて、日本人のDNAとは何か。

 そう思いながら番組を見た。企業、地域の意欲的な取組がいくつも紹介されていた。

 そこには、一貫して流れるものがあった。番組では、『現場での創意工夫、アイデア』と言っていた。でも、わたしには、『人を大切にする心』なのではないか。そう思った。

 そうなのだ。これこそが、日本人のDNAなのだ。最近は忘れられつつあるけれど、また、なくなりつつあるようにも感じるけれど、元気な企業、地域は、皆、そうしたDNAをもっている。


 ならば、教育の目標もおのずと定まる。

 ただし、それは、本記事の末尾に譲らせていただいて、


 『人を大切にする心』と言っても、それだけでは漠然とし過ぎているよね。もう少し具体的に言うとどうなるか。番組から学んだことを通して考えてみたい。
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〇笑う店には客来たる。

 笑うのは従業員である。まずは従業員が笑顔で包まれるようにする。そうすれば、自然とお客さんはやってくる。そうした考えをもち、実践されている社長さん。

 社長が店内を見てまわる。従業員のアイデア商品が陳列されている。それを見つけると、どの従業員のアイデアかを聞く。画面に写ったのはパートで働く方だった。社長はその従業員に握手を求め、何がどうすばらしいのか、具体的に指摘しながら、ほめまくっていた。すると、その従業員は、ほほを紅潮させ、感激の極致といった感じで社長の話を受け止めていた。

 その社長さんの言葉。
「よく、お客さんの笑顔と言いますがね。うちは、まずは従業員の笑顔です。従業員が楽しい職場と思ってくれなくて、どうしてお客さんが来てくれますか。」


 わたしは、かつて自分が勤務した学校の校長を思い出した。その校長も、似たようなことを言っていた。

 「自分の学校の教職員を大切にする。なぜだか分かるか。それはね。子どもが大切だからだよ。日々子どもに接しているのはわたしではない。教職員なのだ。だから、その教職員が、明るく意欲的に仕事をしていなかったら、子どもが楽しく学校にやってくるわけはない。」


 もう一つ、思ったことがある。

 わたしたちも、『楽しい学校』『楽しい授業』とよく言う。しかし、この言葉は、えてして、肝心の教員たちから誤解される。

 『学校が、楽しさばかりを追求していていいのか。もともと授業というものは楽しいわけがない。つまらなかったり退屈したりするものだ。それに耐える気持ちを養うことが大切ではないか。楽しさなど、学校にはいらない。』などとね。

 『楽しい授業』といって思い浮かべる概念がまったく違うのだね。多分上記教員は、『おちゃらける。げらげら笑う。』そういったものを指しているのだろう。授業は難行苦行だから、授業の合間に、ちょっと息抜きの時間をとる。息抜きだから、そんな時間ばかりになってしまったら、子どもは堕落してしまうと受け取る。

 わたしのいう『楽しい授業』とは、子どもたちが、真剣、かつ、意欲的に授業に臨むので、心の張り、充実感、やりがいといったものを感じ取れる授業だ。

 明らかに、上記のような教員とは認識が異なる。でも、当番組に登場した社長さんとは、おおいに意気投合できそうだ。『人を大切にする』心の行きつく先に、この『楽しさ』はあるのだろう。


〇レシピを捨てれば本気が生まれる。

 初めっからレシピを捨てるのではないだろう。そんなことをしたら料理が作れない。しかし、レシピにたよりっぱなしだったらどうだろう。ほんとうにお客さんが喜んでくれる料理は生まれない。そういった信念をお持ちのようだった。

 わたしは、囲碁の格言、『定石は覚えて忘れろ。』を思い出した。

 そう。わたしたちもよく言うのだ。『学習指導案は、覚えて忘れろ。』とね。

 授業に臨むまでは、指導案を綿密に立てる。ねらいは、学習問題は、子どもの思いは、資料は・・・、いろいろ考える。

 しかし、授業に臨んでは、目の前にいる生身の子どもたちと真剣勝負をしろ。指導案は忘れよう。

 もちろん、ほんとうに忘れていいわけではない。要するに、『自分の作った指導案にとらわれ、硬直した姿勢になるな。』ということだ。上記、社長さんの言葉を借りれば、指導案にとらわれ硬直しているうちは、本気ではないということになる。


 これも、学校現場では往々にして誤解される。

 『誰でもできる授業』などと言ってね。マニュアル一辺倒、あるいは、マニュアルにとらわれる授業だ。そこでは、生身の子どもが忘れられてしまう。いや。子どもをマニュアルに合わせようとする。こわい。

 『誰でもできる授業』を目指すのはいい。ただし、それは、子どもの見方、子どもの考えの生かし方、単元観など、それを学んだ先にあるのではないか。それを学ばないで、安直に誰でもできる授業をする。それはもう、『人を大切にしていない』姿だ。

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 そんなことを書いていたら、今日届いた先輩からの年賀状にこうあった。

『問題解決学習もどきの授業やマニュアルが横行しています。たたかっていきましょうね。』

 勇気をいただいた。


〇番組では、まだまだ、すばらしい言葉が続いた。『夢づくりは人づくりから。』『チェンジが伝統を守る。』『信念は身を助ける。』『人を切れば、知が流れる。』など。など。

 最後のもこわいね。『血が流れる』ではない。

 いずれも、『人を大切にする』企業経営の姿であった。


 教育の目標。わたしたち、教員にとっての目標。

 それは、子どもが主体的に取り組むことのできる、自分の想いや考えを大切にしてくれる、いきいきと張りをもって学ぶことのできる、そんな授業の創造だ。

 そうした学びを経て成長した大人こそが、未来の日本を支えていくことになる・・・はずだ。


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 最後の言葉は、またまた誤解を招きそう。

 そうした学びを経てこなかった大人のなかにも、思いやり、やさしさ、人を大切にする心をもって、自ら主体的に生きている方は、大勢いらっしゃいます。

 でも、それは、大人になってから、ものすごい自覚と修練を必要としてきたのだと思います。

 その裏返しの部分が、現代の大人社会の病根なのでしょう。

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 もう一つ。

 現代的な意味でも、『人を大切にする授業の創造』が要請されます。

 無縁社会と言われ、人のきずなが弱まっていると指摘される、今の日本。その原因について、細かくは、リンク先過去記事に譲らせていただきます(『サボるか 努力するか』)が、それは、物質的な豊かさがもたらしたものでしょう。

 かつて、人々は、わざわざ『体を動かせ。』などと呼びかけられなくても、自然に体を動かしていました。でも、今は、努力しないと、体がなまってしまう時代です。

 そう。だから、今日は、これまで以上に、『人(子ども)を大切にする授業の創造』をと呼びかけ、努力していかなければならない時代なのです。

 直接的には、未来の国民の活性化のために。

 でも、それだけではありません。こうした授業の創造が叫ばれれば叫ばれるほど、それは今の大人の意識改革にもつながるでしょう。それはすなわち、『今の日本の活性化』にもつながると思うのです。

 微力ではありますが、そうした想いを込めて、今年もがんばっていきたいと思います。ご支援のほど、よろしくお願いします。
 

rve83253 at 21:43│Comments(8)TrackBack(0)エッセイ | 教育観

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この記事へのコメント

1. Posted by えむえむ   2011年01月02日 07:22
5  〜人を大切にする心〜 toshiさんのおっしゃるとおりです。日本文明の最大の特長は、他の文明と比べると、自然も人も大切にすることだと思います。
教育現場に引きつけて言えば、〜子供を大切にする心〜ですね。優れた実践は常に子供が生き生きとしています、先生や級友から《自分の想いや考えを大切にしてもらえる》ことがわかっているから。子供を大切にした授業をすれば、自分(教師)が子供たちの体験や知恵や想いから学んでどんどん豊か人間になれますものね。
 「全国学習状況調査」が始まっていらいとても危惧していることは、文科省も地教委も管理職も「世論」も(国民も教師も?)《「生きている子供」より「子供のペーパーテスト学力」のほうを「大切」にしてしまう《優先順位の過誤》がまかりとおっている風潮です。
 新年にあたり、ご見識のある先生がたのご活躍を切にお祈り申し上げます。
2. Posted by toshi   2011年01月02日 23:49
えむえむさん
《日本文明の最大の特長は、他の文明と比べると、自然も人も大切にすることだと思います。》
 自然と言えば、これもテレビですが、めぐまれた日本の自然について、目を開かせてくれる番組がありました。『雨』だけでも、百以上の名がついているとか、ガラパゴス諸島以上に固有種があるとか、ほんとうにびっくりしました。
 ですから、『人を大切にする心』というのも、豊かな自然と無関係ではないように思いました。『日本人のDNA』というのにもすなおに納得してしまいました。
《子供を大切にした授業をすれば、自分(教師)が子供たちの体験や知恵や想いから学んでどんどん豊か人間になれますものね。》
 子どもを大切にしないなどと言う人はいないのですが、『今目の前にいる子どもの心』それをほんとうの意味で大切にしているかが問われるのですね。そして、えむえむさんがおっしゃるように、そうすれば、指導者も豊かになれる。いやあ。すてきな言葉です。わたしも学ばせていただきました。ありがとうございます。
《全国学力調査》については、わたしもずいぶん記事にしてきました。カテゴリーからご覧いただけたらありがたく存じます。『学力観の黒船』などと言わせていただいていますが、使い方によっては大変価値あるものになると思います。指導法の改善に役立つと思うのです。
 しかし、今の日本の風潮は、都道府県別ランキングに関心が集中するなど、えむえむさんが憂慮されるような実態があるので、わたしも折あるごとに訴えていこうと思っています。
 今年も拙ブログをよろしくお願いします。 
  
3. Posted by みーやママ   2011年01月04日 13:22
あけましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いします。

toshi先生のおっしゃっていること、とてもわかる気がします。
でも、なんだか今の現場では、教員同士でさえも、なかなか伝わらないことがある気がします。

「楽しい授業」というのは、おちゃらけたり、冗談を言い合うのではなくて、ホントに子どもたちが真剣に考えてできた、考えられた、やれた・・というのが楽しい授業というのですよね。まさに私は、同感なのですが、もっと表面的なことを楽しさととらえてしまう若い人も多い気がします。まして、子どもたちは・・・。

「何人殺したでしょう」などの問題を出題してしまう教員の方たちは、うけようと思って・・・。
ですが、勤務校でもいつあってもおかしくない。
ということも感じます。

ホントに急速に時代が変化してきて、自分が年寄りくさいのですが、古き良き時代から変わらないこと・・ってやっぱりあると思うのです。
だから、ここにくるとホッとするし、自分は間違ってなかった。って思えるんです。

まとまりがつかなくなりました。
今年もよろしくお願いします。
4. Posted by toshi   2011年01月05日 14:47
みーやママさん
 あけましておめでとうございます。こちらこそ、どうぞ、よろしくお願いします。『教員同士でも伝わらない。』というのは残念ですね。
 わたしの現職中、わたしのまわりでは、『楽しい授業』『楽しい学校』を違った意味にとる教員はいませんでした。中学校には若干いるようでしたけれどね。
 だから、ブログを始めてそうした受け取り方があるのを知ったときは、驚いたものでした。
 でも、なっとくです。子どもに受けようということで、『何人殺したでしょう。』などの問題を出題してしまう教員がいるのですものね。
 古き良き時代に戻ることはできませんが、年寄りくさいなどと思うこともないと思いますよ。
 『トイレの神様』がはやっていますね。『べっぴんさん』なんて死語だと思っていたけれど、やはり、いいものは年代に関係なくいいのではないでしょうか。
5. Posted by しょう   2011年01月07日 20:50
5  あけましておめでとうございます。

>『公教育が変われば日本が変わる。』そう言っても、けっして過言ではないように思われた。

>〇レシピを捨てれば本気が生まれる。
>わたしは、囲碁の格言、『定石は覚えて忘れろ。』を思い出した。
>そう。わたしたちもよく言うのだ。『学習指導案は、覚えて忘れろ。』とね。

 上記も含めて色々な示唆や刺激をいただきました。

>今日は、これまで以上に、『人(子ども)を大切にする授業の創造』をと呼びかけ、努力していかなければならない時代なのです。

 その点においても、前回まで連載された「差別に気づき、差別と向き合い、差別を許さない授業の実践」は素晴らしいですね。
 
 「子どもたちが主体的に創造していく授業」のイメージを明確にする実践例として、勤務校の職員何人かにtoshiさんの上記ブログ記事を紹介しているところです。

 今年もよろしくお願いいたします。
6. Posted by 伊藤   2011年01月08日 11:04
あけましておめでとうございます。

本年も変わらぬご愛顧をお願いいたします。

さて、ついに来年度から小学校での外国語学習の本格導入などを含めた新しい学習指導要領が導入されますが、子供の無限の可能性というわけのわからない言い訳をもとに授業を詰め込んでしまう方針はやめていただきたいものです。

総合学習、外国語など何かを削らなければ入れることのできないことを踏まえて、現場の意見を聞いていただきたいものです。

公教育は思ったほどひどくはないけれども、過度な期待を寄せることはまたおかしなものです。
私学と公立を同じと思うことはおかしいですし、そもそも塾と競合なんて公教育にはないと思ってます。
もちろん、教員の質はありますけど、公教育はあくまで最低限の学力を授けることが大きな目的で、それ以上は地域の実情に合わせることが本来の教育ではと思います。

政治家にしてもマスコミなどの単なる暴露とスキャンダル合戦に終始していますが、教育がそんな流れの中に巻き込まれることなく、明日を創っていけるよう願うばかりです。
7. Posted by toshi   2011年01月08日 17:15
しょうさん
 あけましておめでとうございます。
《「子どもたちが主体的に創造していく授業」のイメージを明確にする実践例として、勤務校の職員何人かにtoshiさんの上記ブログ記事を紹介しているところです。》
 うわあ。ありがとうございます。そのようにしていただいて、大変光栄です。
 「ゆとり教育」とか「問題解決学習」とか「子ども主体の授業」とか言っても、それだけでは、誤解もあるし、抽象的だし、そこから思いうかベル概念も人それぞれ。だから、具体的な実践例などを紹介することは大切なことだなと思っています。
 今年もよろしくお願いします。
8. Posted by toshi   2011年01月08日 17:46
伊藤さん
 あけましておめでとうございます。こちらこそ、本年もよろしくお願いします。
《子供の無限の可能性というわけのわからない言い訳をもとに授業を詰め込んでしまう方針はやめていただきたいものです。》
 そうですね。わたしも、「子どもの無限の可能性」とはよく言いますが、この言葉を詰め込み教育と関係づけて使う場合は看過できないですね。その場合は無限などということはありえないでしょう。子ども自ら伸びようとする、指導者側から見れば子どもの力を引き出す、そうした意味でつかわれるのなら、無限なものをもっていると思いますよ。
《公教育は思ったほどひどくはないけれども、過度な期待を寄せることはまたおかしなものです。》
 そうですね。公教育に批判が集中するとすれば、それは期待の裏返しなのかもしれません。
《公教育はあくまで最低限の学力を授けることが大きな目的で》
 お気持ちはよく分かりますが、そう言ってしまうと、貧富の差が教育格差を生むといわれかねない今の日本です。今は、『どの子も伸びる、伸ばす指導』が大切と思います。
 政治はほんとうにひどくなっていますね。わたしはムダを省くことはできると思いますし、また、そこに期待もしたのですが、完全に裏切られた格好です。また、今は、政策的に見ても、『きょういく』の『き』の字もないような有様ですね。早く立て直してほしいと思います。
 
 

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