2011年01月09日

活性化した日本を!(2) 朝日の元旦トップ記事から

PA0_0017  教育に関して、正月から、うれしくなるような報道が相次ぐ。テレビで、新聞で。

 『こいつぁ、春から縁起がいいわい。』そんな思いにもなった。

 なかでも、度肝を抜かれたのが、朝日新聞元旦の記事である。なんと、一面トップに、小学校における2つの授業風景が載った。

 こんなこと、かつてあっただろうか。同新聞の教育にかける熱い想いが伝わってきた。

 しかも、紹介されている授業は、わたしが拙ブログでよくとり上げるような授業だった。子どもが脈々と息づいている。子どもたちの写真も大きく載っているが、その真剣さに心打たれた。子どもが学びの主体者である。そんなイメージのわく写真だった。

 
 見出しにも、心躍るものがあった。

 いわく。
・子どもや若者のあしたへ。希望の橋を懸けたい。まず、小さな白熱教室から
・答えは対話の中に
・教えずに教える

 そして、二面に入ると、
・まず、先生から進化する
・議論で育む「新しい知」
と続く。


 ああ。新聞社がここまで書いてくださるなら、わたしはもう、いつ死んでも・・・、いや。それはないね。・・・。もうちょっと長生きさせていただいて・・・、


 それでは、新聞記事を読んでの感動と、しかし、そうは言っても、付け足したり注文をつけたりしたい部分もあるので、それにもふれさせていただこう。

 なお、本記事では、一面の授業風景のみとり上げ、二面関連は、次回に譲らせていただく。


 それでは、本論に入らせていただいて、

〇まず、最初の授業風景は、A小学校のCさん(新聞では実名)だ。

 Cさんは、十数年前、崩壊した学級を受け持ったという。そのときの子どもたちは、まわりの反応をこわがり、思いを口にすることができなかったという。

 なにやら、つい先日の拙ブログ記事、『差別に気づき、差別と向き合い、差別を許さない授業の実践』を思い出す。そのときはEさん、Fさんだった。この両名も、かつては、クラスのみんなから恐れられる存在だったのだよね。(あっ。ただし、学級崩壊していたなどとはまったく聞いていない。)

 そして、授業の様子に入っていくが・・・、
 6年生の国語、原爆ドームの歴史をつづった説明文、『平和のとりでを築く』の読解である。
 担任Cさんの
「筆者が一番主張したい段落はどこでしょう。」
という発問から、対話型の授業が始まる。

 まずは、段落の番号が1番から13番まで黒板に書かれる。すると、子どもたちが一斉に駆け寄り、自分の名札を番号に貼り、意見表明へと移る。

 次は、同じ段落に貼った子同士が集まって理由を言い始める。
 さらに、今度は違う段落の意見の子と話す。
 しばらくすると、「意見を変えた!」という声があちこちから聞こえてくる。

 そして、最後は、机を教室の真ん中に向けての全体討議に移る。
「核兵器を使わないでと言っているから、12段落でしょう。」
「では、11段落で、平和を求める気持ちを書いているのは、どう見るのですか。」
「11段落の平和も、12段落の核兵器も大切だけれど、もっと大切なのは、13段落の人の心のなかに平和のとりでを築くことだと思う。」

 そして、取材記者は、
『〜。一人ひとりの(子どもの)声が重なり、ふくらみ、響き合い、みんなの学びとなって対話が自転していく。先生は腕組みをし、うなずいているだけだ。』
とつづる。

 ああ。何と見事な描写力だろう。わたしは、同文章を読んで、上記リンク先記事、差別の授業の担任Bさんに、その描写力のなさをお詫びしたい気持ちになった。

 
 新聞記事はさらに続く。
『教師の「教え込み」から子ども同士の「対話」へ。その先に広がるのは、新しい価値をともに創りあげる社会という未来図だ。』
 これもすごい表現力だ。ただただ感服。

 そう。もう記者さんの言う通り。子ども同士の対話による価値の獲得は、そのまま、『新しい価値をともに創り上げる(未来の)社会の建設』につながる。


〇続いて、D小学校のEさんの算数の授業の紹介となる。Eさんは大学教授とあるから、D小学校ではおそらく飛び込みで授業をしたのだろう。そうであれば、子どもとは初対面かそれに近いことになる。

 これも、子ども同士の対話による授業の様子を紹介した後、
『〜。先生はどれが最も良いか言わずに授業を終えた。唯一の「正解」を求める時代は終わったと思うからだ。』
と続く。
 そして、この項の最後は、
『対話の授業の輪は、いま、静かに広がっている。小さな白熱教室である。』
とまとめられる。


 とまあ、先の拙ブログリンク先、差別を扱った授業と並ぶ、すばらしい授業だったのであるが・・・、



 しかし、2つほど課題も感じた。また、新聞記者さんへお願いしたいこともあった。


〇まず、学習問題についてだが、これは、いずれも、指導者のCさん、Eさんから与えられたもののようだった。Cさんの授業では、先述のとおり、
「筆者が一番主張したい段落はどこでしょう。」
と問いかけているようだし、
 Eさんの場合も、『封筒からカードを一瞬出す』というように、指導者の作為が感じ取れた。もっともこちらの方は飛び込みのようだから、子どもが生み出す学習問題といっても、ちょっとそれは無理だろうけれどね。


〇次、国が、『今も大事にしていますよ。』と言う、『生きる力』についてだが、そこまで養っているかとなると、ちょっと疑問符もついた。

 なるほど、記者さんの描写からは、それらしい部分も感じる。

 たとえば、A小学校Cさんの授業だが、
 『社会で生き抜くために(必要な学力は、)言いっぱなしのスピーチでも、言い合いのディベートでもない。(それだけでは、この学力は身につかない。)相手の意見に耳を傾け、自分のなかで消化し、新たな意見を投げかける。その繰り返しが、みんなを高め、よい人間関係につながる(。そうした学力こそ大事である)ことを、(子どもたちに)伝えたい。』
とある。

 ねっ。『生きる力』を養っているようではある。

 しかし、授業の様子を読む限り、そこまで伝わってはこないのだ。

・たとえば、『しばらくすると、「(ぼく、わたしは、)意見を変えた!」という声があちこちで上がった。』という描写がある。
 一見、心の柔軟さを養っているようではある。
 でも、そんな声があちこちで上がるというのも、不自然だ。これは、たぶんに、日ごろ、Cさんから、『友達の意見によって自分の考えが変わることは大事。』と言いきかされ、それに沿って子どもたちは意見を変えているようなのである。そこに、自分の意見を信念をもって主張したり、逆に、納得できたら自分の意見を修正したりするといった、自然体の姿はうかがえないように思った。

・また、D小学校におけるEさんの授業にしても、確かに、子どもたちは主体的意欲的に授業に臨んではいるし、それは十分記事から伝わってくるけれど、でも・・・、ごめんなさい。ほんとうにごめんなさい。
 なんか、知的ゲームを楽しんでいるような感じがしてしまう。で、ほんとうに、『生きる力を養っている。』といえるかどうかは疑問に思った。


 そこで、拙ブログ記事を振り返ってみよう。

・学習問題については、もういいよね。これはつい最近記事に書かせていただいたとおりだ。

 まあ、そうは言っても、一応リンクはさせていただこう。記事のなかほど、『〇2つ目』からがそれにあたる。

    差別に気づき、差別と向き合い、差別を許さない授業の実践(3)

・次、『生きる力』については、拙ブログ記事を3つ紹介させていただこう。

 一つ目は、やはり、差別の授業の(2)だが、記事の比較的前半部、『ところで、前時までの学習で、ちょっとふれておきたいことがある。』からがそれにあたる。

 この、拙ブログ記事のFさん、Gさんは、教室内の人間関係がより豊かになるにつれ、それに影響されたかたちで、自然に自分の意見を修正する力が身に着いたのだと思われる。

 二つ目は、昨年の今頃の記事、『今のわたしには安心できる解き方だよ。』だ。

 ここでは、ただ単に、知的に追求し合うだけではない姿がみられた。今の自分の学力を自分で把握したうえで、友達が示してくれた数ある解法のなかから、『今の自分に合う解き方はどれか。』を追求する姿がみられる。
 これこそ、まさに、『生きる力』を養っている授業といえるのではないか。

 三つ目は、やはり飛び込みの授業だが、『校長先生の授業(2)TOSSとくらべて』を紹介させていただこう。

 こちらの場合は、たとえ飛び込みであっても、事前に子ども一人ひとりの想いを把握したうえで、それを生かして授業を組み立てるという、ここにも、『生きる力』重視の姿勢がみられるのだった。


 とは言っても、今度は逆に、『平和のとりでを築く』のCさんから、拙ブログの一つ目、二つ目の授業者が学んでほしい点だが、

 それは、差別の授業(3)の5つ目にかかわる。今、引用させていただこう。


 ・これだけ子どもたちが意欲的なら、もっと先生は黙った方がいい。その分、子ども同士の話し合いにかける時間をふやすことができる。そのようにしても十分目標に到達するだろう。

とした点だ。


 Cさんは、いったん子どもの話し合いにゆだねたら、ほんとうに黙っていらっしゃるようだ。前記、紙面に大きく掲載された写真を見ても、子どもたちの後ろで見守っているだけ。

 ねっ。こうした姿勢はぜひ見習ってほしいと思った。


    
〇最後は、新聞記者さんへのお願いだ。

 授業者のCさん、Eさんを、『カリスマ教師』と紹介しているのが気になった。これはやめてほしい。
 なんか、特別な教員というイメージだ。

 そこで、お願いだが、
 せっかくこうして新聞一面に大々的にとり上げてくださった。それはいくら感謝しても感謝しつくせないくらいありがたく思っている。

 ただ、その趣旨は、こうした授業を日本中に広めたいということだろう。教員の意識改革を進め、こうした子ども主体の対話型授業が、それこそ、『誰でもできる授業』となるようにしたいのではないか。二面冒頭の見出しにも、『まず先生から進化する』とある。

 そうであれば、この両名を『カリスマ教師』などと呼ばず、『子どもの想いを大切にする教師』とか、『真に子どもの力を伸ばす教師』とか、そういう記述にとどめてほしかった。


 ふり返ってもみよう。先に拙ブログでとり上げ、上でリンクさせていただいた記事の授業者は、
 まあ、退職校長さんは別として、あとは、初任者、及び、教職経験6年目の若い教員なのだ。カリスマなどと呼んだら、飛び上がってびっくりしてしまうだろう。

 繰り返し言わせていただこう。
 こういう授業を、『誰でもできる授業』にすることが、未来の日本のために、大切なのだ。


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 ninki



 もう一つ。ぜひ紹介させていただきたいテレビ番組があります。これは、一部、これからも放送されるようです。

発見!人間力

 其の120 『秋田発 めざせ 学力日本一!〜支え、高めあう村づくり〜』
は、もうほとんどの地域で放送されてしまったようですが、まだこれから放送される地域もあるようです。

 中身を拝見する限り、タイトルにある『めざせ 学力日本一』的色彩は薄く、むしろ、村ぐるみ、心の豊かな子どもを育てようとがんばる姿が強く印象に残りました。

 また、其の121 『福井発 輝け!小さなヒーローたち〜学びは遊びから始まった〜』(これから放送される地域が多い。)は、拙ブログ記事の、『幼稚園の教育が危ない!?』に、
 其の122  『北海道発 熱血栄養士!美味しい給食のヒミツ 〜』(どこもこれからの放送)は、『心の教育(4)』に、深くかかわる内容ではないかと思われます。




rve83253 at 05:57│Comments(5)TrackBack(0)授業 | 教育観

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この記事へのコメント

1. Posted by JPM   2011年01月09日 19:27
今年もこのブログで学ばさせていただきます。
僕も、新聞を読んでtoshi先生と同様の感想を持ちました。取り上げた内容は嬉しいが、持ち上げ方が少し違うかなぁと。
でも、あのような授業が本当に当たり前のように広がれば、学校の景色はきっと変わるでしょうね。僕も授業をしていて、保護者の方から「こんな授業は初めてだけど、なかなか面白いですね」と去年言われました。保護者からしても「普通」ではなかったようです。
今年もがんばります!
2. Posted by toshi   2011年01月10日 10:05
JPMさん
 おめでとうございます。《今年もこのブログで学ばさせていただきます。》などとおっしゃっていただき、ありがたく思います。どうぞ、よろしくお願いします。
 ほんとうに新聞の一面に載っているうちはまだまだということになりますね。早く当たり前でどこの学校でも見られるようにしたいと思います。学校の景色が変わり、子どもが変わり、それによって社会が変わっていくでしょう。
《僕も授業をしていて、保護者の方から「こんな授業は初めてだけど、なかなか面白いですね」と去年言われました。保護者からしても「普通」ではなかったようです。》
 保護者の方からこのように言っていただけるということ、ありがたいですね。それも、JPMさんの努力があればこそ。子どもが主役となり、いきいきと活躍できる授業は、保護者の方が見ても楽しいものだと思いますよ。
3. Posted by 伊藤   2011年01月12日 17:39
テストも近づき、勉強している最中ではありますけども、前回の補足を含めて。
最低限の学力は私は学習指導要領で規定したものです。つまるところ、国がこれだけあればいいというようなものを授ければ私はそれでいいと思います。

民主党政権になり、教育関連の法案はほぼ無理でしょう。

免許更新制もこのままいくと不条理のまま、免許をはく奪される方もいるでしょう。

空いた穴は誰がやるのか。新聞でも地方ほど代用教員の確保に四苦八苦しています。それが、離島や僻地ならいったいどうするのか。対象になる教員も不明瞭でありますし、今教員になっていない多数の教員免許取得者はどうするのか。
問題点はたくさんあります。

費用負担にしてもしわ寄せが教員に来るばかりで本当に教師の仕事がどんどん学校からそれ以外にシフトしかねない状況は大きな問題点です。

あまり関係なくなってしまったので、戻します。

よい授業をどんどん私たち学生にも提供していただけるようなデータベースのようなものをどこからでも見られるようにしてもらいたいです。

こういったことが、この授業の改善が教師の力にもなると思います。今の情報化社会だからこそどこでも共有できればよいと思います。
4. Posted by toshi   2011年01月13日 06:59
伊藤さん
《最低限の学力は私は学習指導要領で規定したものです。つまるところ、国がこれだけあればいいというようなものを授ければ私はそれでいいと思います。》
 おっしゃることはよく分かるのですが、現在という時代は、どの子も伸ばすことを要請されると思います。また、問題解決学習ならそれは可能です。かたちだけまねした、『〜もどき』の学習ではだめですけれどね。
《民主党政権になり、教育関連の法案はほぼ無理でしょう。》
 ほんとうですね。民主党を中心とした今の連立政権のていたらくは、あきれてしまうほどです。文科省も影が薄くなっています。
《よい授業をどんどん私たち学生にも提供していただけるようなデータベースのようなものをどこからでも見られるようにしてもらいたいです。》
・まずわたし自身が、そういうものの蓄積を考えています。姉妹ブログの『小学校初任者のブログ』の目次を参考にしてください。同目次を本コメントのtoshiに貼りつけさせていただきました。
・次に、拙ブログサイドバーでは、EDUPEDIAなるサイトをリンクしています。これは、教育実践の百科事典を目指しているものです。わたしも投稿しています。
 ただ、これは百科事典なるがゆえに、実に様々な考え方の実践が入っています。どの実践を良しとするかは、ご自分で十分考えることが大切です。

5. Posted by toshi   2011年01月13日 07:00
 わたしは、これらは、教育実践事例集であり、それをそのままご自分のクラスでマネしてもうまくいかないと思います。
 なぜなら、子どもの想いを軸に授業を進めるとしたとき、どのクラスの子どもも同じことを言うわけはないのですから、授業の流れは隣のクラスと違ってきます。それを流れまで事例集のとおりにしようとすれば、当然、指導者が引っ張っていくことになってしまうわけです。そうすれば、問題解決学習の理念と違ってきてしまいます。
 ですから、『指導者はどのくらい話したらいいのか。』『子ども同士の話し合いをどう組織化していくのか。』など、その考え方を理解したうえで、あとは、ご自分の実践の中で会得していくように努力すべきというのが、わたしの考え方です。
 とは申しても、今、伊藤さんは、テストのために勉強中とのこと。どうぞ、今はそちらの方に全力を注いでください。所期の目標の達成を祈念しています。 

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