2011年01月28日

初任研は大丈夫か(2)

KODOMO51 わたし自身、退職後は初任者指導に携わってきたからだろう。本タイトルの前記事は4年前なのにもかかわらず、ものすごく印象に残っている。『ああ。こんな指導では、初任者は暗い気持ちになり、やる気をなくしてしまうのではないかな。』そんな思いをいだき、わたしまで暗い気持ちになってしまった。

 今回、そのことを思い出したのは、先日、報道ステーションなる番組が、この問題をとり上げたからである。残念ながら、わたしはそれを見落としてしまったが、この番組の解説やいくつかのブログを拝読すると、ところによっては大変問題の多い研修制度となっているようである。

 番組を見ていないのに、あれこれ言うのは申し訳ないのだが、本記事では、初任者指導のあり方について、わたしの実践をとり上げながら、読者の皆さんとともに、考えてみたい。
 

 ところで、一つ、気になっていることがある。上記番組の特集で、わたしのような初任者指導教員の存在は報道されたのだろうか。どうも、それがあったようには思えない。

 わたしは、6年間この仕事をやってきて思うのだが、やはり、初任者指導教員の果たすべき役割は実に大きなものがあると言わざるを得ない。

 ここで、過去記事にリンクさせていただこう。
(すみません。本記事では、これまでの初任者指導をめぐり、過去記事へのリンクがものすごく多くなっています。取捨選択してクリックしていただければ幸いです。)

    出会いと別れ

 そう。この記事のAさんのように、多くの初任者は、4月教壇に立ったとき、緊張の極に達しているだろう。張りつめた弓のような気持ちで、勤務についているのではないか。だから、何かホッとする瞬間があると、その緊張の糸が一気にゆるみ、それで、涙ぐんでしまうのだろう。

 そうした初任者に対し、報告書や指導案のアラシを見舞う(?)地域があるようで、そのことにかんしては、何ともやりきれない思いになってしまう。それに第一、そんなパンチを見舞ったら(?)、報道ステーションの特集にあるように、《採用1年目の教師の退職者が急増する。》事態となり、教育行政側も、こまるのではないか。

 初任者を甘やかすことはない。しかし、強烈なパンチを食らわすこともない。これは、もはや、異常事態と言うしかない。初任者がゆとりと余裕をもって仕事に励み、『子ども大好き』『仕事大好き』といった気持ちになるよう、祈るような気持ちである。



 ここで、冒頭、お断りしたように、話題を、わたしの初任者指導に移させてほしい。

 わたしは、初任者指導6年目にして、担当した初任者は15人を超えた。そうしたなかで、初任者の多くが見せる傾向といったようなものがかなりつかめるようになってきた。言い方を変えれば、年間を通し、わたしが初任者に話すことは、多く共通したものがあるのだ。

 
その1


 わたしと初任者との出会いは、4月中旬である。新年度発足後、一週間くらいが経過している。初任者が学級の子どもたちと少しはなじんできたかなと思われるころだ。

 そのとき、だいたいの初任者は、明るく意欲的に子どもとふれ合っている。だから、第一声は、
「ほんとうはかなり緊張しているのだろうが、そうは見えなかった。余裕さえ感じた。よかったよ。このままがんばってね。」
そうなることが多い。

 一つの要因としては、この段階では、『子どももまだよそいき』という点があげられる。だから、本性をそれほど見せてはいない。今は毎年度学級編制替えの小学校も多いから、そのせいもある。


その2


 だんだん慣れてくるにしたがい、子どもも問題行動を見せるようになるし、初任者の力量を問われる事態も増えてくる。わたしとしては、初任者に対し、基本的に、『ほめること、共感することが7割、課題として注文をつけることが3割』といったセンで話をするが、その3割の重要度が増してくる。

 この時期よく言う言葉は、次のようなものだ。
「即刻直してほしいことと、そんな簡単によくなっていくとは思えないから、ゆっくりがんばっていけばいいこととがある。それは、話す内容によって判断がつくと思う。後者については、何度同じことを話すようになってもそれは当然と思っているが、前者の場合は、『何度同じことを言わせるのだ。』という気持ちになってしまうよ。」

 
その3


 この時期、『ああ。〇×思考だな。』と思わせる初任者も少なからずいる。

 そういう初任者は、授業でも、正解か間違いかというような発問が多い。だから、一人の子どもが答えて、『いいでえす。』となれば、もう次の発問を用意しなければならない。したがって、次から次へと発問の連続となる。
 これについては、『わたしならこういう発問をする。』というかたちで指導し、徐々に子どもの考えを問うような発問の仕方を身につけてもらう。


 授業だけではない。

 数年前のことだ。当時の初任者のBさんと以下のような話をした。

 Bさん。ごめんなさいね。こんなことまで書いてしまって。でも、1年間でものすごく成長したのは確かだから、許してね。

 授業中に席を立って、『先生。トイレ行きたい。』という子が頻発していた。それに対し、Bさんは何も言わず、行かせている。『ああ。こんな調子だと、子どもたちは授業に集中できないな。それに、子どもにしてみれば、行きたいときに行かせてくれるのだから、けじめがつかない。』

 それで以下のように話した。

「授業中のトイレについて、Bさんは、『はい。行ってらっしゃい。』と無条件で行かせているけれど、どうしてなのかな。そのようにしていたら、ずっと授業中のトイレ行きは続くよ。高学年になってもやるだろう。ちゃんと休み時間に済ませておくように指導しないといけないね。」
「はい。休み時間に済ませるように言ってはいるのです。でも、授業中の『トイレ行きたい。』は、ちっとも減っていないですね。
 実は、家庭訪問のとき、Cちゃんのお母さんから、『去年の先生はきびしくて、授業中のトイレは禁止だったものですから、うちの子は、頻尿になってしまったんです。』と言われてしまったのです。それで、そうならないように、行かせているのですけれど。」
「そうか。事情は分かった。でも、それは〇×思考ではないかな。きびしいのもよくないが、無条件で行かせるのもよくない。
 まずは、授業開始時、『休み時間、ちゃんと用を済ませた人。』と聞くことだ。そして、そういう子をほめる。行っていない子に対しては、すぐに行かせたり、一時間もつか確かめたり、いろいろな方策をとって、しっかりとした習慣づけをねらう。
 それでも、授業中トイレと言ってきたときは、『授業の終わりまで我慢できないの。』と聞くなど、とにかく、無条件で行かせるのはやめないといけない。
 手を変え品を変え、その場、その状況に合ったかたちで言葉をかけるなど、手を尽くすことだ。がんばれば、一週間で授業中のトイレ行きはなくなるだろう。」

 こうして、授業における発問も、基本的な生活習慣をみにつけさせることも、〇☓思考からの脱却をねらう。


その4


 また別な事例だが、今度はDさんである。これも、こうしてブログに載せること。ほんとうにごめんなさいね。でも、多くの初任者の参考になると思うので、許してくださいね。
 そうか。これは、指導教員の参考にもなる・・・かな。

 ある日の朝のことだ。出勤すると、すぐDさんから申し訳なさそうに質問を受けた。
「toshi先生。おはようございます。ちょっとうかがいたいのですが、昨日のtoshi先生のお話で、クツかくしの対応についてうかがったのですが、toshi先生は、『クツかくしをするなら、ばれないようにやれ。』などとはおっしゃっていないですよね。」
「何。それ。あたりまえじゃないか。そのようなことを言うわけがない。いったい何事だ。」
「はい。そのようなことを言うわけはないと思ったのですが、toshi先生のお話のメモを読み返すと、どうしてもそうなってしまうものですから、・・・、わたし、メモを間違えてしまったようで、すみません。どんなお話だったか、もう一度うかがっていいですか。」

 そこまで聞いて、『はははあん。』と、うなずけるものがあった。

 わたしは、おかしくなると同時に、必死になってメモをとるDさんの姿を思い出した。

 
 さて、読者の皆さん。わたしは何と言ったのでしょう。

 すみません。クイズみたいで。実は、これ、過去記事に書いたことがあるのです。

 今、正解(?)にリンクさせていただこう。ただし、わたしが投稿したEDUPEDIAの記事であり、そのなかの『鉄則2』の後の青い字がそれに当たる。

   『くつかくし1』

 必死になってメモをとる。それはいいのだけれど、メモに集中するあまり、肝心のわたしの話が残らないようだ。

 それからというもの、Dさんに話すときは、メモに走らす鉛筆の動きを見ながらゆっくり話すようにした。


その5


 Eさんについては、保護者とのやり取りで、思い出深いものがある。

 ある日、Eさんが、わたしに相談をもちかけた。

「toshi先生。最近、Fちゃんが、わけもなく女の子の髪の毛を引っ張ったり、授業中勝手に立ち歩いてそばにいる子にちょっかいをかけたり、友達の持ち物を取ったりして、ちょっと目に余るのです。わたしも、こまってしまって。
 お母さんもちょっと気にされているので、電話でそうした様子を話してもいいでしょうか。」
「そうか。教室のことは、本来、Eさんの責任で指導すべきことだけれど、お母さんも何かと気になさっているようなら、電話をかけるのもいいのではないかな。」

 後日聞くと、連絡してくれたことへの感謝の言葉とともに、『うちでもきちんと言って聞かせるようにします。』とおっしゃっていただけたとのことであった。さらには、お父さんからはこっぴどく叱られたということも聞いた。

 そうしたこともあって、Fちゃんの生活態度は一変した。何の問題行動もみられなくなった。

 そこで、今度は、わたしからEさんに話しかけた。

「生活態度が一変したようだから、そのことも、お母さんに連絡するといい。とかく問題行動ばかりを言いがちだが、よくなったことも言ってあげないと、Fちゃんがかわいそうだ。特にお父さんから、こっぴどく叱られたのだったよね。だから、その分もほめてもらうことが大切だ。」
「そうですね。分かりました。今日、さっそく電話します。」
「ああ。でも、電話はやめた方がいい。連絡帳がいいだろう。急ぐことではないから、明日、連絡帳に書いてやりなさい。
 電話だと、一瞬だけれど、お母さんは、『うちの子、また、何かしでかしたか。』と思ってしまうだろう。だから、その後、『生活態度がすばらしくなった。』と言っても、気持ちの落差が大きくなり過ぎて、申し訳ないことになってしまう。
 その点、連絡帳なら、『最近Fちゃんの生活態度はすばらしく、〜。』などと書き出せばいいよね。お母さんも、初めから落ち着いた気持ちで読むことができる。」
「分かりました。そうします。でも、明日、教室で、Fちゃんに話しちゃいます。『最近、〜のようなことをしなくなって、とってもいい子だから、わたし、うれしいな。・・・。そうだ。お母さんにお話ししよう。うれしいから。』などと言ってそれから、連絡するのはどうでしょうか。」
「ああ。それはいい。そうすれば、電話をかけてもいいだろうね。」

 すごい。まさに、〇×思考からの脱却だ。すばらしく成長した。そこに今度はわたしが感動する。


その6


 このようにして、だんだんほめることの大切さに気づいてもらう。

 だいたい、ほめるといっても、最初のうちは、おざなりであることが多い。
 とりあえずほめておいたとか、たいして静かでもないのに、『静かにしていてすばらしい。』と言うとか、言葉はほめ言葉でも、口調や表情は怒っているようだとか・・・、それでは、効果も薄いし、逆効果になることもある。

 でも、だんだん、心からほめている様子が伝わるようになる。感動を感動として話すようにもなる。


 しかし、なかには、ほめることに抵抗感をもつ初任者もいる。

 具体的には過去記事にリンクさせていただこう。

    初任者の成長(2) 初任者研修を終えて 〜対談〜


その7


 『きわめてたまには〜、』ということだが、子どもの問題行動に初任者が対応しきれず、『お手上げ』状態になることもある。

 そういうときは、指導教員であるわたしが対応せざるを得ない。そして、初任者をその場に控えさせ、わたしの対応から学ばせるようにする。

 ところで、こういう場合、初任者は、たいがい対応がストレート過ぎるのだ。

 「教室へ戻りなさい。」
 「席に着きなさい。」

 そうすると、子どももかえって意地になる。テコでも動くものかといった感じになる。

 そういうときは、『押してもだめなら引いてみな。』の対応を心がけるよう、実地に学ばせる。たとえば、

「すごい。大きな穴を掘ったな。奥の方なんか見えないよ。すごい。」
「・・・。」
「どうした。おなかすいていないか。こんな砂場で穴掘っていても、おなかがすくだけだぞ。早く教室へ行こうよ。給食食べたいだろう。」
「・・・。」
「行きたくないのか。こんな調子じゃ、給食が遅れちゃって、Gちゃんが食べ始めるころ、ごちそうさまになっちゃうぞ。ますますおなかがへっちゃうじゃないか。」
「だって、もう、昨日から、ご飯食べてないもん。」
「なんだ。お母さん、疲れちゃって、食事作ってくれなかったか。」
「うん。お母さん、寝てた。」
「なんだよ。それじゃあ、よけい急いで教室に戻って給食食べなくっちゃ、ますますおなかが減っちゃうよ。おなかと背中がくっついちゃうぞ。
 よし。ご飯食べてないことは秘密にして、Gちゃんの分はいっぱいよそってもらうように、給食当番にお願いしてやろう。・・・。ほら。急がなくっちゃ。食缶の中がからっぽになってたら、大変だ。」

 それで、大きな穴を埋め出したGちゃん。
「おお。穴を埋めるか。それはえらい。・・・。そうだよな。埋めないと、気がつかなくてこの穴におっこっちゃう子が出るかもしれない。・・・。ようし。わたしも穴を埋めるのを手伝ってやろう。」

 そばにいる初任者のHさんも、一緒になって穴を埋め出した。あとで、ホッとしたのだろう。Hさん。泣き出してしまった。
「toshi先生。ありがとうございました。わたし、もう、どうしたらいいか分からなくなってしまって。toshi先生がいつもおっしゃるように、子どもの心に寄り添っていかないとだめですね。・・・。ああ。がんばらなくっちゃ。」
「うん。いいよ。こうしてだんだん学んでいく。成長していくのだ。こういうことは、一挙に明日から直していくとはなかなかいかないよね。
 それにね。こうしたから必ずうまくいくというものでもないよ。相手も生きているのだからね。」
「はい。そうですね。分かりました。」


 こうした事例は、過去記事にもある。これも一つ紹介させていただこう。やはり、EDUPEDIAである。

    トラブル対処法


まとめ


 さて、いろんな事例をとり上げさせていただいた。ここで、冒頭の初任者研修システムに話を戻そう。

 報告書や指導案作成のアラシは、やめようではないか。もっと仕事に慣れてからでもいいではないか。

 研修そのものはかまわない。我が地域も、かなりの数やっている。でも、この残酷なまでのノルマを負わせることはない。そんなことに追われて、肝心の子どもへの対応や授業の指導法がおろそかになったのでは、みもふたもない。
 初任の段階で大切なのは、即時即場的な指導だ。

 そして、ノルマを課すなら、それは指導教員に課したらいい。我が地域だけということはないと思うが、指導教員は比較的他の教員と比べると、初任者指導に集中して取り組めるのだ。


 もう一つ。

 職場の空気といったものも、報道ステーションはとり上げたようだ。

 もちろん、これも重要だ。無縁社会の波は、学校の職員室も襲っている。確かに、むかしにくらべ、がいして職員室の空気(人間関係)は薄くなっているように思う。学校によっては、うわべだけのお付き合いといった感もある。それだけ、お互いの協力・連携、助け合いには努力が必要になっていると言えよう。

 どうだろう。こうした点でも、初任者指導教員の仕事がありそうだ。比較的、初任者指導にのめり込めるような環境にあるとすれば、初任者と多くの教員との間に入って、コーディネーター的役割を担うことも必要になってくるだろう。


 全国で、初任者が、順調に成長していくことを祈りたい。


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 わたしにも初任者時代はありました。

 当たり前ですね。

 わたしのころは、もちろん、初任者指導教員という方はいませんでした。

 でも、その代わりと言っては変ですが、多くの保護者の方が育ててくださったという思いがしています。

 具体的には過去記事をご覧いただきましょう。

    教員生活35年


 前述のように、本記事はリンクが大変多くなってしまいました。ごめんなさい。

 何度かに分けてご覧いただけたら幸いです。

 甘えついでに最後にもう一つリンクさせてください。


 実は、小学校と中学校はかなり実情が違うと思うのですが、中学校初任者の苦闘を書いた記事もあります。

 よろしければご覧ください。

    初任者の成長(3) 中学校の事例 光が見えてきた

rve83253 at 07:57│Comments(20)TrackBack(0)初任者指導 | 指導観

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この記事へのコメント

1. Posted by みーやママ   2011年01月29日 19:55
私も、その番組は見ませんでした。
だから、よくわからないのですが・・。

私の職場の今年の初任の方には、
なんだかな。と思うことが
たくさんあるので、指導案よりも、レポートよりももっと大切なことがあるのではないかな。
とすごく思うのです。

「指導していいんだよ。」
と周りから言われたこともあるのですが、
どこから何を言っていいのか。
わからなくなります。

若さはすばらしい。
でも、周りの方に助けてもらいながら
仕事をしている。
そういうことに気が付ける若い人が減っている気がしてならないのです。

2. Posted by toshi   2011年01月30日 15:37
みーやママさん
《今年の初任の方には、なんだかなと思うことがあるので、指導案よりもレポートよりももっと大切なことがあるのではないかなと思うのです。〜。周りの方に助けてもらいながら仕事をしている。そういうことに気が付ける若い人が減っている気がしてならないのです。》
 よく分かります。これも無縁社会で育ってきたことの現れかなという気がしないでもありません。自己認識が他者理解につながるのだと思うのですが、きっと自分のこともよく分かっていないのだと思いますよ。
 それを感じたら、まずはわたしたち初任者指導教員が言って聞かせなければと思います。なぜなら、そうしたことに気づけない教員は、学級経営していても、子どもの思いとか気づきとかこだわりとか、そういうことにうとく、いろんな問題が出てくるのではないかと思うからです。
 児童理解にしても、授業の組み立てにしても、そうした力は不可欠と思いますから、そういう意味で指導教員がかかわる部分はけっこうあるように思います。また、拡大解釈すれば、先輩は皆指導教員とも言えますので、そうした児童理解という意味で問題を感じたときに、「指導していいんだよ。」という部分を発揮されたらいかがかなと思います。
 
3. Posted by SZK   2011年02月03日 16:21
新任の研修日用の補助講師として勤務したときのことですが、その初任者は、その学校で講師をしていて、採用され、その学校に勤務となりました。
このときの、初任研の校内研の振り分けのとき、他の教員が、授業を見せてレポートを書くという話で、数人、指導案を書くことなどで時間を取られるのを嫌がり、会議が難航しました。
数年、同じ職場にいても、協力し合うというか、育てるというか見守るというか、そういうものがないんだなあとさびしく感じたのを思い出しました。
4. Posted by toshi   2011年02月04日 06:58
SZKさん
 まさに、無縁社会の産物ですね。おっしゃるようにさびしいものだなと思いました。記事にも書きましたように、社会がそうだからこそ、それを克服すべく努力していきたいものです。学校こそ、協力し合う姿勢、次世代を育てる姿勢が望まれますよね。 先輩教員がそんな姿勢では、無縁化は次世代へ伝染してしまう可能性がありますね。
 SZKさんのコメントを拝読し、わたし、記事の補足をさせていただきたくなりました。
 多分誤解はないと思うのですが、わたし、初任者に指導案作成は必要ないというつもりはありません。まったく反対です。SZKさんもおっしゃっていると思いますが、やはり指導案を書いて授業を行うことは初任のときから大切にしたいと思っています。
 でも、毎週のように指導案を作成、提出させる地域があると聞いたものですから、あのように書かせていただきました。毎週のようでは、いくらなんでも先輩教員の指導は無理ですよね。粗製乱造が避けられないだろうと思いました。
5. Posted by 文月   2011年02月06日 15:48
はじめまして。文月と申します。
その報道ステーションなる番組を私は見ていました。確かにその方が気の毒に思いました。
私は、体罰教員根絶を私の人生目標としている者です。
体罰教員たちのせいで教員をあきらめている者です。読み苦しい点も多々あるとは思いますが、どうぞご勘弁ください。全ては体罰根絶のために書かせていただきました。toshi先生は無条件で行かせるのもよくないと思われているようですが、
果たしてそうなのでしょうか。私はそのBさんの指導は間違っていないと思います。
私は、Bさんのやり方を支持します。
トイレにいかせないことは体罰です。それはtoshi先生もご存知じだと思います。
何が何でも体罰は根絶しなければなりません。
トイレにいかせないことは体罰であり、絶対にあってはならないことです。条件をつけるとそれが体罰の危険を発生させることになってしまいます。
条件をつけてこどもがトイレにいくことを、少しでもおさえつけるような教師は、体罰教師になる可能性があります。
恐れながらtoshi先生の指導は、体罰すれすれのきわどい危険な指導であり、一歩間違えば体罰です。
体罰教師を発生させる危険がある指導だと思います。
そのような危険な指導はさけるべきでしょう。何よりも安全第一です。
体罰の危険性のない指導をなさるべきでしょう。それには、無条件でいかせるのが一番です。
教師に条件を付けることを許すとそれが体罰につながる危険性があります。
そのような危険性は根絶しなければなりません。体罰の芽をつみとることはもちろん、
体罰の種をまかない事が何よりも重要です。
体罰根絶のためには、トイレにいくのに条件を付けることは絶対にあってはならないと思います。
何よりも体罰根絶を一番に考えて頂きたいと思いコメントいたしました。
6. Posted by 文月   2011年02月06日 15:50
>一時間もつか確かめたり、いろいろな方策をとって、しっかりとした習慣づけをねらう。
もしもたずにもらしてしまったら、その教師は、体罰教師になります。
その教師は、もしそうなったら辞職する覚悟があるのでしょうか。
そんな指導を教師に命じた校長は辞職する覚悟があるのでしょうか。
私の同級生には、トイレに行けず、じっさいもらしてしまった子もいましたよ。
私の同級生をそういう状況に追い込んだ教師たちの罪は重いでしょう。
たとえ辞職してもその教師の罪は一生消えません。
>『授業の終わりまで我慢できないの。』
教師からそんなことを言われると、
気の弱い子だと萎縮してしまい、もらしてしまうことも十分に考えられます。
そしそうなると、そういってトイレに行くことを事実上妨害してしまった教師は、体罰教師です。
私は体罰教師だけは何が何でも絶対に許しません。何としてでも辞職させます。
体罰教師には、心底怒りを感じていますし、体罰教師は、とうてい許すことはできません。
toshi先生、このように条件をつける指導が体罰につながる極めて危険な指導方法だと思われませんか?

たとえずっと授業中のトイレ行きは続いたとしても、体罰よりはるかにましでしょう。
中学生、あるいは高校生、もしくは大学生になれば授業中のトイレ行きはなくなるかもしれません。
あせらず、のんびり構えませんか?教育は小学校で完結する必要はないと思うのです。
体罰の危険性を完全になくすほうがより重要でしょう。
何が何でも体罰だけは許されません。
無条件でトイレにいける環境こそが体罰を完全防止できると思うのです。
7. Posted by 文月   2011年02月06日 15:52
私は体罰根絶のため、こどもがトイレにいきたいと言ったときは、無条件で必ずトイレにいかせなければならないと思うのです。
体罰根絶のため、体罰の危険性を完全になくすことが必要だと思います。
私は、無条件でいかせることが大切であり、条件をつけることはよくないと思うのです。
何よりも体罰根絶が第一だと思うのです。
今回の件では、〇×思考が体罰根絶には最高の効果をあげるとも考えられ、けっして〇×思考が悪いとはいえないでしょう。
今回の件では、むしろ〇×思考が体罰根絶のためには大切だと思うのです。
私は、教師でもないただの若輩者ですが、体罰根絶の熱意、体罰根絶の情熱だけは教師たちの誰にも決して負けないつもりです。

toshi先生に私のような発言をする教師は今までにいませんでしたか?
もしいなかったとするなら、現場の教師たちの体罰根絶の熱意、情熱はかなり低いといわざるを得ないと思います。
学校から体罰がいっこうになくならないことが本当に残念です。

条件をつけていかせるより、無条件でいかせる方法をとるほうが体罰の危険性が低くなるのが明白であり、
その方法をとらないのは、体罰根絶の観点から考えれば、とうてい納得できないことなのです。
私の考えを思うままに書いてしまいましたが、これもtoshi先生のご誠実さを信じてのことですので。
どうぞよろしくお願いします。
8. Posted by toshi   2011年02月09日 00:45
文月さん
 どうにも・・・、お返事に、こまってしまいました。

 《子どもがトイレに行きたいと言ったときは、(たとえ授業中であっても、)無条件で必ずトイレにいかせなければならない》のですか。
 《中学生、あるいは高校生、もしくは大学生になれば授業中のトイレ行きはなくなるかもしれません。》とありますが、そうかなあ。そんな野放図にしていたら、中学生以降は、トイレはもちろん、それ以外だって勝手放題、教室を飛び出すようになると思いますよ。現に、学級崩壊を起こし、そうなってしまっている中学校はあると思います。

 《無条件で行かせるのはよくない。》と書いたのがまずかったのかなあ。それが《条件をつけて》トイレに行かせることになってしまったのですね。
 例示として、《授業開始時、『休み時間、ちゃんと用を済ませた人。』と聞く。》《行っていない子に対しては、すぐに行かせたり、一時間もつか確かめたりする。》《それでも、授業中トイレと言ってきたときは、『授業の終わりまで我慢できないの。』と聞く。》などをあげましたが、これらは、条件をつけたことになるのでしょうか。わたしは、一人ひとりの子どもに合った言葉かけを工夫するように言っているだけで、別に条件など付けているつもりはないのですがね。
 まあ、この言葉かけが条件をつけていることになるとおっしゃりたいのでしょう。特に、《『授業の終わりまで我慢できないの。』教師からそんなことを言われると、気の弱い子だと萎縮してしまい、もらしてしまうことも十分に考えられる》あたりの文章から、それを感じます。

9. Posted by toshi   2011年02月09日 00:45
 しかしねえ。文月さんは、わたしの文章全体を読んでくださったのでしょうか。特に、その7にあるように、《子どもの心に寄り添っていく》ことの大切さも初任者に指導しているのです。
 気の弱い子に対しては、委縮しないような言葉かけの大切さを話していますよ。
 頻尿だった子に対しては、それこそ、先回りして、『トイレ、我慢できるの。大丈夫かな。』
と、むしろトイレ行きをすすめるような言葉かけもするように話します。すると、Bさんが担任になってからは、安心できるからでしょう。頻尿などということはまったくなくなりました。
 《手を変え品を変え、その場、その状況に合ったかたちで言葉をかけるなど、手を尽くす》とは、そういうことを指しています。
 おかげで、ほんとうに一週間で授業中のトイレ行きはなくなりましたし、たまに、そういう子が一人現れると、これはもう、授業の妨げになるということもありませんから、『うわあ。すごい。授業中のトイレ行きなんてめずらしいね。』とほめちゃうくらいです。そして、行かせますよ。

 あっ。そうか。ほめるのもよくないと言われちゃうかな。でもね。先ほども申したように、担任は一人ひとりの子どもの心に寄り添っていますから、みんなにこにこ。プレッシャーなどないですよ。
 以上です。

 体罰になるおそれなどないと、お認めいただけましたか。
10. Posted by toshi   2011年02月09日 08:18
 ちょっと追加させてください。
 このコメントは初任者の方も多数お読みいただいていると思いますので、特にふれさせていただきたいのですが、それは、一人ひとりその子の性格、実態に沿った言葉かけをするということについてです。そんなことをしたら、子どもから、『えこひいきと言われないか。』という心配をされる方もいらっしゃるのではないかと思いました。
 そこで、本コメントでは、過去記事にリンクさせていただきました。『えこひいきではないですよ。』というタイトルです。本コメントのtoshiをクリックしていただければ出るようにしましたので、どうぞご覧ください。
11. Posted by 伊藤   2011年02月10日 12:37
テストなどが終わり、学校の補助も2月末をもって終了となります。
担任が新卒であり、わが校の卒業生であるのでコメントさせていただきます。

正直なところ、ちょうど学年が荒れていて、そんな中に新任を放り込むのはどうか?と思うところもあります。ただ、最初に入った10月に比べ、担任の手腕もあってか徐々に落ち着き、授業中の関係ない私語や出歩く行為も減ってきました。

おそらく横のつながりも縦のつながりもあるからこそ、1年近く踏ん張ってきたと思いますが、これが卒業生がいない大学であり、なおかつ、中堅やベテランの教師のいない学校であったとするなら、東京での事例のように最悪な末路に進んでしまうのではと思います。

初任者研修で思うことは、ほとんどが教員が初めての仕事であり、アルバイトと比べ物にならないほど責任や悩みを抱えていると思います。それを解きほぐして、解決策などをもらえるとまた頑張ろうと思えると思います。
12. Posted by 文月   2011年02月10日 20:30
どうやら体罰に関する認識の違いが
私とtoshi先生の考え方の違いの主な原因となっているようです。
>《子どもがトイレに行きたいと言ったときは、(たとえ授業中であっても、)
無条件で必ずトイレにいかせなければならない》のですか。

はい。そうです。子どもがトイレに行きたいと言ってきたときに、無条件でトイレに行くのを許可しないと体罰になります。人権侵害です。
必ずトイレにいくことを許可しなければなりません。お気をつけください。

>そんな野放図にしていたら、中学生以降は、トイレはもちろん、それ以外だって勝手放題、
教室を飛び出すようになると思いますよ。現に、学級崩壊を起こし、そうなってしまっている中学校はあると思います。

私は野放図にさせようと言っているのではなく、あらかじめ休み時間に行くように伝えておくべきであり、それでも、子どもが言ってきたときには、無条件で行かせるべきだと言っているのです。
Bさんもそのように指導していたのですから、Bさんの初めの指導方法に問題はなく、正しかったと思うのです。Bさんの初めの指導で学級崩壊にはならないと思うのです。
Bさんはきちんと休み時間にいくように指導していたわけですから。教室を出ることをトイレに限定すれば、学級崩壊にはつながりにくいでしょう。
学級崩壊の根本的な原因はもっと別にあると思います。トイレがその理由と決め付けるのは早計でしょう。
13. Posted by 文月   2011年02月10日 20:44
>体罰になるおそれなどないと、お認めいただけましたか。
体罰になるおそれはゼロではないでしょう。
何故なら『授業の終わりまで我慢できないの。』とは現に体罰となりえる言葉です。
それに日本全国には子どもの心にきちんと寄り添えない教師も多くいますから、
結局、日本全国どこかの学校で体罰が起きる可能性はあると思われます。
また、どんな学校でも体罰のおそれは完全にはなくせません。
恐れながらtoshi先生は、あまりに楽観的すぎると思います。
常に体罰の警戒をゆるめてはならないと思います。
「体罰になるおそれなどない」と断言されるというのは、あまりに体罰に対して無警戒すぎると言わざるを得ません。
体罰というものは、いつどこで起こるかわからない恐ろしいものです。ご自分の学校だけは安心だとはゆめゆめ思われないことです。いつも体罰の危険はすぐそばにあります。平和なときにも決して油断していてはいけないでしょう。体罰予防のため、常に徹底した警戒が必要だと思います。
14. Posted by 文月   2011年02月10日 20:48
>一人ひとりその子の性格、実態に沿った言葉かけをするということについてです。
一人ひとりの子どもの性格などわずか数ヶ月〜数年できちんと把握できるものではないでしょう。
十年以上も一緒にいる親でも、子どもの性格・実態(考え・気持ち)を理解できていないことも多いですから。
まして、教師ならなおさらです。また性格は少しずつ変わっていくものです。
教師が把握する子どもの性格・実態と、子どもの現実の性格・実態は異なることも多いのです。
一人ひとりその子の性格、実態に沿った言葉かけをするというのは、目標としては大切ですが、現実には100パーセント完璧にするのは不可能です。必ずくい違いも出てきます。
そして、そのくい違いが体罰など様々な問題を起こす場合があるでしょう。
無条件でいかせてあげれば、子供の性格、実態を完璧に把握できていなくても、不適切な言葉かけを防止できますから、この手の体罰などの問題なら防止できると思われます。

ちなみに私の大学の先生は、授業中にトイレに行きたいときは、黙っていくようにと私たちに指導されていました。そのとき、なかなか素晴らしい方法だなと大学生の私は感じたものです。今思えば、その大学の先生の指導方法も無条件指導方法でした。ですから、子どもたちにたいしても、トイレに行きたいときは黙っていくようにと指導するか、それが問題ならば、トイレ行ってきますなど、一言いっていくようにと言えばいいと思うのです。そうすれば、いちいち「先生、トイレ」と言ったり、「はい、どうぞ」と許可をあたえる手間も省けますから、授業の進行の妨げとなることもなくなります。もちろん、あらかじめ休み時間に行くようにと伝えておくことが前提ですが。
15. Posted by toshi   2011年02月11日 08:50
伊藤さん
《テストなどが終わり、学校の補助も2月末をもって終了となります。》
 長期間、学校、学級のためにご尽力いただき、ありがとうございました。ご苦労様でした。伊藤さんご自身も、いろいろ勉強になったのではないかと思います。この経験を今後に生かしていただければと思います。
《最初に入った10月に比べ、担任の手腕もあってか徐々に落ち着き、授業中の関係ない私語や出歩く行為も減ってきました。
 おそらく横のつながりも縦のつながりもあるからこそ、1年近く踏ん張ってきたと、〜。》
 それはよかった。やはり職員室内の豊かな人間関係が不可欠ということでしょう。それと、伊藤さんのお力添えも大きかったことと思います。この部分を拝読し、うれしくなりました。
《初任者研修で思うことは、ほとんどが教員が初めての仕事であり、アルバイトと比べ物にならないほど責任や悩みを抱えていると思います。それを解きほぐして、解決策などをもらえるとまた頑張ろうと思えると思います。》
 ほんとうにおっしゃる通りと思います。初任者を真に支えるシステム、人間関係など。そうしたものは、何も教員に限った話ではないでしょうね。

 
16. Posted by toshi   2011年02月12日 11:54
文月さん
 この記事で申し上げたいことと大きく論点がずれていますので、正直のところ、もう切り上げたいのですが、本コメントのやり取りは、多くの初任者、そして、来年度教壇に立つ方も読んでいらっしゃると思いますので、やはりしっかり答えさせていただきます。
 《体罰に関する認識の違いが私とtoshi先生の考え方の違いの主な原因となっているようです。》
 いいえ。大した違いはないと思っています。後述します。 
 《あらかじめ休み時間に行くように伝えておくべきであり、それでも子どもが言ってきたときには、無条件で行かせるべきだと言っているのです。Bさんもそのように指導していたのですから、Bさんの初めの指導方法に問題はなく、正しかったと思うのです。Bさんの初めの指導で学級崩壊にはならないと思うのです。》
 まったく違います。すでに記事にも書いていますが、いくら言って聞かせても、授業時間のトイレ行きは減らなかったのです。それだけではありません。これは新たに書き足しますが(ああ。Bさん。ごめんなさい。よくないことをさらに書き足すことになってしまいます。)、そのころ、授業中なのにトイレの中や外で遊び、なかなか教室に戻ってこない子どもも出現し、なお、ふえつつあったのです。ですから、学級崩壊に向かいつつあるとわたしは判断し、記事のような話になりました。
17. Posted by toshi   2011年02月12日 11:55
 そう。文月さん。わたしは、無条件でトイレへ行かす(ああ。また、書いてしまいました。すみません。)ことについてBさんに話したのは、いきなりではありませんでした。2週間くらいはやり過ごしました。その間、いろいろ問題が出てきたから、話すことにしたのです。
 これはわたしの初任者指導のやり方でもあります。なぜなら、問題行動と初任者に受け止めてもらわないと、指導への切実感、必要感は生まれないと思うからです。(ああ。このことは記事に書いておくべきでしたね。すみませんでした。)
 《教室を出ることをトイレに限定すれば、学級崩壊にはつながりにくいでしょう。》
 文月さん。上記の『あらかじめ休み時間に行くよう伝えておく』こともそうですが、『トイレ限定』も言って聞かせれば指導はなるとお考えですね。でもね。そうではないですよ。言って聞かせたってなかなかその通りにならないから、多くの保護者や教員は頭を悩ませているのです。
 だからこそ、《手を変え品を変え、その場、その状況に合ったかたちで言葉をかけるなど、手を尽くす》ことが大切なのです。また、子どもの心に寄り添うことも大切になってくるのです。
 失礼ながら、学級崩壊に関しては、文月さんの方があまりにも楽観的ですよ。

18. Posted by toshi   2011年02月12日 11:55
 そして、次の2つの言葉はどう理解したらいいのでしょう。
〇《『子どもがトイレに行きたいと言ってきたときに、無条件でトイレに行くのを許可しないと体罰になります。人権侵害です。必ずトイレにいくことを許可しなければなりません。お気をつけください。》
〇《体罰になるおそれはゼロではないでしょう。
何故なら『授業の終わりまで我慢できないの。』とは現に体罰となりえる言葉です。》
 微妙に違っていますね。これを読んだ初任者、ないしは、来年度教壇に立つことになる方は混乱するのではないでしょうか。
 《ゼロではないでしょう。》とおっしゃるなら確かにその通りです。このあたりが冒頭書いたように、体罰について文月さんとわたしとでたいした認識の違いはないと思う理由です。
 ですから、体罰にならないように、子どもの心に寄り添っていくことが大切になります。その中身については、後述します。 
 《日本全国には子どもの心にきちんと寄り添えない教師も多くいますから、〜》
 あらっ。急に話が大きくなりましたね。わたしやBさんの対応を批判されたのでしたよね。まあ、それはそれとして、子どもの心にきちんと寄り添えない教員が多いことは、わたしも承知しています。そして、だからこそ、ブログでそのことの大切さを書かせていただいています。また、初任者指導でもそのあたりを大切にしています。わたしのブログのテーマの一つと言ってもいいくらいです。
 《一人ひとりの子どもの性格などわずか数ヶ月〜数年できちんと把握できるものではないでしょう。》
 うわあ。ここでも急に話を大きくされましたね。ことはトイレ行きに関する体罰の話なのでしょう。
 頻尿になったという子、気の弱い子に対しては、トイレ行きをすすめるような言葉かけをすることもあると申し上げました。
19. Posted by toshi   2011年02月12日 11:56
 また、文月さんは、『授業の終わりまで我慢できないの。』なる言葉の文字面だけをとり上げて批判されているように思いますが、わたしは、本記事のその6で、(担任の)口調や表情も大切と述べています。それは、我慢云々を言ってもプレッシャーにならないよう、言葉のかけ方にも配慮することを意味しています。
 文月さんがおっしゃるように、把握できないこともあると思うからこそ、こういう態度を大事にするのです。
 《一人ひとりその子の性格、実態に沿った言葉かけをするというのは、目標としては大切ですが、現実には100パーセント完璧にするのは不可能です。必ずくい違いも出てきます。》
 それもよく承知しています。すぐ上で述べたとおりです。さらに言わせていただくと、この努力は永遠だと、わたしは初任者に言いますし、ブログにも書いています。そして、わたし自身、現在もその努力は進行中と、これも何度もブログに書いています。ですから、楽観視などしていませんよ。
 《「体罰になるおそれなどない」と断言されるというのは、あまりに体罰に対して無警戒すぎると言わざるを得ません。》
 文月さん。わたしは、断言したつもりはありません。『まあ、体罰になることはないだろう。』くらいの気持ちです。
 以上、わたしは、ここまで指導の実際と学級の様子を具体的に書かせていただきました。トイレ以外にも、いろいろ書かせていただきました。そして、その後のBさんの学級は明るく、子どもにプレッシャーなどないとも書かせていただきました。
 それでも、体罰の恐れありとおっしゃいますか。また、言って聞かせれば学級崩壊にはなりにくいとおっしゃいますか。
 そうなれば、もう水掛け論ですね。無為なやり取りはもうやめませんか。判断は読者の皆さんがなさってくれると思います。読者の判断にお任せしたい気分です。
 
20. Posted by 文月   2011年02月15日 03:29
ご理解いただけず残念です。
ところで、学級崩壊に関して、子供は教育を受ける権利があるのであり、教育を受ける義務はありませんから、学校・教室で教育を受けたくない子供は、学校・教室で教育を受ける義務もありません。
ですから、教室に子供がそろっていなくても必ずしも学級崩壊とはいえないでしょう。
無理に授業を受けさせる権限は教員にはないと思います。
授業を受けていない子を見守る人員が必要だと考えられますが。

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