2011年02月09日

名実ともに、『世界に冠たる授業研究の国』へ、(1)

PAP_0040  読者の方から、大変ありがたいメールをいただいた。今、その一部を紹介させていただこう。

 まず、Aさんだ。

 『toshi先生のこのブログでの授業の紹介は「生中継」的で、toshi先生が子どもやクラスの様子を詳細に書かれ、また、事前の情報(担任の先生が感じておられる個々の生徒の問題など)やクラスでの発言を読むと、それぞれの子の成長ぶりや先生と子どものつながりがじ〜んと伝わってきます。
 あ〜良い授業だなぁ、この子達は幸せだろうなぁと心底思います。』

 ちょっとこれには注釈をつけさせていただく。多分これは、つい先日の記事の『差別に気づき、差別と向き合い、差別を許さない授業の実践』に関しておっしゃってくださったものと思う。そして、わたしが、『自分自身の文章表現力のなさをお詫びしたい気持ちになった。』と書いたものだから、『そんなことありませんよ。』という意味で書いてくださったのではないか。

 ああ。うれしい。心から感謝している。ありがとうございました。

 もう一つ。Bさんからのもある。

 『toshiさんのやっている事は大変ですね。色んな意味で大変ですね。
 それは、教育とは永遠のテーマである事、そして本当の正解が見えないこと、また、現実面で生じる問題のいかに多いか等々です。
 一方では、だからこそやりがいもあるのでしょう。是非継続して進めてください。
 〜。
 今の子供たちが社会人となり親になる30年先ぐらいで理想に近いレベルになりますか?それまでの道のりは遠く遠く長い時間がかかるのでしょうけれど、貴ブログがその時間短縮になればと期待します。』

 以上、2つ、紹介させていただいたが、市民の方からこうしたメールをいただくと、ほんとうに励まされる。ありがたいなあと思う。

・市民の方々の公教育にかける期待
・それが日本の活性化につながるという確信

 そのようなことを感じた。やっぱり市民の皆さんからのご支持の声は強い味方となる。『それなくして、教育改革は果たせない。』くらいに申しても過言ではないだろう。
 

 実は、わたし、『世界に冠たる授業研究の国』の記事にかんして、気になることがあった。自分で書いておきながら、こんなことを申すのもなんだが・・・、もしかしたら、読者の皆さんは、この言葉に違和感をもたれたのではないかと、・・・。

 こういうことだ。

 『世界に冠たる授業研究の国って言ったって、toshiが言うような授業は受けたこともないし、また、今、自分の身のまわりを見渡したって、まったくそのような授業はないですよ。』
そう言われそうな気がした。


 でも、それはどうやら杞憂だったよう・・・かな。

 冒頭のお2人のメールを拝読し、そう思ったのである。
 拙ブログ読者の方々は、日ごろ、わたしが発信する、初任者、それに、若い教員、はたまた、わたしが行う初任者指導に資するための授業など、いろいろお読みいただいて、もはや、『授業はどうあらねばならないか。』ということを、しっかり認識してくださっているのではないか。

 すなわち、

・単に知識・技能の切り売りではない。まして、受験学力でもない、
・実社会に出て生き抜くうえで大切な、生きる力、学ぶ力を養い、
・さらに、子どもにとってはミニ社会ともいえる学級で、友達や担任とともにお互いに助け合ったり協力し合ったりしながら豊かな人間性を養うなど、

 それこそ、教育基本法が言うところの、『人格の完成を目指した』取組になっていると。

 そうとらえてくださっているのではないか。

 

 それなら、なぜ、これまで、こうした授業が広く日本国中に広がっていかなかったのか。せっかく『世界に誇れる授業研究』があり、それを『日本の伝統』と言いながら、なぜ多くの国民はそうした授業の存在すら知らないままにきてしまったか。

 それを書かせていただくことが大切と思った。

 それには、いくつかの理由がありそうだ。本シリーズでは、その辺のことを考察してみたい。それには、歴史的な考察が必要だ。公教育の授業の変遷を子細にみることによって反省も生まれるわけだし、また、これからどうしていったらいいのかの展望も開けてくるものと思われる。

 なお、前記事同様、ここでも、過去記事へのリンクが多くなってしまうと思う。申し訳ありません。前記事同様、ご寛容いただければ幸いである。



〇萌芽は大正時代に、

 まず、そうした授業はいつから始まったのかということだが、なんと、大正時代にまでさかのぼる。今、wikipediaにリンクさせていただこう。

    大正自由教育運動

 ねっ。すごい。先覚者の情熱にはただただ敬服の思いだ。まあ、当時、こうした教育は、一部の学校で行われたにすぎないにしても、リンク先にある『子どもの関心や感動を中心に、より自由で生き生きとした教育体験の創造』とは、まさに、わたしが拙ブログで日々主張していることと一緒ではないか。
 また、同記事には、『〜、現在でもその斬新さは驚異的である。』ともある。

 いや、いや。それは逆だろう。

 民主主義体制であるはずの今の日本において、大正以前と同様に、『画一的で型にはめたような教育のスタイル』が横行してしまっていることの方が、ほんとうは、逆の意味で『驚異的』なのではないか。

 この実践がとん挫させられてしまったことについては、もう、言うまでもないだろう。こと教育に限らず、社会のあらゆるところまで軍閥政治の弾圧が及んだからだよね。
 そう言えば、わたしの尊敬する先輩校長が、当時、まだ若かったころ、治安維持法違反容疑で検挙されたことがあるとは、つい先日の記事に書かせていただいたとおりだ。



〇連合軍による占領政策の中で、

 次、『子どもの関心や感動を中心に、より自由で生き生きとした教育体験の創造』が行われたのは、戦後初期ということになる。昭和20年代だ。
 敗戦後、アメリカを中心とした連合軍の占領下、日本の民主化が急速に進んだわけだが、教育をめぐっても同様の動きがあった。


・アメリカから教育使節団がやってきた。その提言は、教育使節団報告書にくわしい。

 今、本記事の趣旨に沿う部分だけ紹介させていただくと、

 『われわれは決して征服者の精神をもってきたのではなく、すべての人間の内部に、自由と、個人的・社会的成長とに対するはかり知れない潜在的欲求があると信ずる、経験ある教育者として来たのである。』

 『われわれの最大の希望は子供たちにある。子供たちは、まさに未来の重みを支えているのであるから、重苦しい過去の因襲に抑圧されるようなことがあってはならない。』

 『われわれは、いかなる民族、いかなる国民も、自身の文化的資源を用いて、自分自身あるいは全世界に役立つ何かを創造する力を有していると信じている。それこそが自由主義の信条である。
 われわれは画一性を好まない。教育者としては、個人差・独創性、自発性に常に心を配っている。それが民主主義の精神なのである。
 われわれは、われわれの制度をただ表面的に模倣されても喜びはしない。われわれは、進歩と社会の進化を信じ、全世界をおおう文化の多様性を、希望と生新なカの源として歓迎するのである。』

 『本来、学校は、非文明主義、封建主義、軍国主義に対する偉大な闘争に、有力な協力者として参加するであろう。』

などとなっている。これが、戦後初期の教育の考え方の主流となる。


 実は、当時、教員であった我が亡父は、この教育使節団とかかわりをもつことになる。くわしくは過去記事を紹介させていただこう。下記リンク先記事の前半の方、『と言うのは、日本の戦後の民主主義教育には、アメリカの影響が強くあるからだ。』からがそれにあたる。

   アメリカと日本の教育

 
・この記事からもうかがい知ることができると思うが、当時、日本の民主化は、当然、連合軍の手にゆだねられていた。しかしながら、日本人も自ら主体的、積極的、情熱的に民主化を受け入れ、おし進めたのである。
 その点、当時、亡父の勤務した学校の取組を書いた過去記事もあるので、それにリンクさせていただこう。
 下記記事の後半部、『今日は長くは語れない。ただ、昭和24年のA小の研究紀要から、わたしの一存で、要所要所を書いてみたい。』からをご覧いただきたい。

    温故知新(1)

 なお、具体的には、『コアカリキュラムの研究』があげられるが、これについては、記事の紹介だけにとどめよう。お時間のあるときご覧いただけたら幸いである。

 温故知新(3) コアカリキュラムへ


・この時代、教員だけが燃えていたわけではない。ある大学教授は言う。

 『〜。
 当時、市民は、民主主義教育が始まるということで、我が子がいるいないにかかわらず、新教育に、大いなる関心を寄せました。日本の民主化は次代を担う日本人をどう育成するかにかかっているということで、市民の学校教育への関心は、実に強いものがありました。熱狂的だったといってもいいでしょう。
 そうした市民の情熱が、教員の実践力をつけるうえで、大きな力となったのです。』

 そう。わたしは、冒頭、お2人のメールを紹介させていただいたが、やはり、本格的な公教育の改革には、市民のこうした力強い支えが必要である。ここではそのことのみ指摘させていただいて、細かくは次回記事に譲らせていただきたい。


・亡父の実践から、

 過去記事に、亡父の授業実践もある。昭和24年だ。これについては、ここで子細に述べるのはやめようと思う。関心のある方は、お時間のある折、下記リンク先をご覧いただきたい。

 ただ一言。30代直前で学童疎開の引率者となり、ほんの少し軍隊生活も送った亡父だったが、戦後は民主主義教育にとことんほれ込むこととなる。その父が、仲間と研さんを重ね、寝食を忘れて取り組んだ、生々しい実践である。

    温故知新(5) 父の実践から


・わたしの子ども時代の経験から、

 『日本の伝統』たるゆえんを書かせていただいているのに、わたし個人の経験を述べるのは、まことに申し訳ないのだが、わたしはまさに、このころの民主主義教育の申し子だと思うので、あえて書かせていただきたい。

 もう一つ。ぜひふれておきたいのは、下記リンク先に書いた授業は、昭和30年、わたしが小学4年生だったときのものである。しかし、時代としては、くわしくは次回記事に譲らせていただくが、戦後の新教育が国などにより徹底的に弾圧されたころとなる。

 
 さて、いきなり読者の方への質問で、まことに恐縮してしまうが、いかがだろう。

 読者の皆さんは、ご自分の子ども時代に受けた授業をどのくらい記憶しているだろう。『先生がこんな発問をして、わたしはこう答えた。』でもいいし、『このような学習問題で、友達と議論になり、わたしがこう発言したら、友達がこう反論してきた。』でもいいし、とにかく発問や発言の中身をどのくらい記憶されているだろう。

 これまでこうした質問を身のまわりの人にすると、若い人でも、まったく記憶のない人が圧倒的に多い。

 それに対し、わたしは、もう50年以上もたっているのに、授業の記憶が鮮明にあるのだ。
 では、そうした授業の一つである過去記事を紹介させていただこう。

    社会科学習への誤解(3)

 こうして子細に覚えているということ。それは、記憶力の問題ではない。たとえ話で恐縮だが、囲碁や将棋の有段者は、自分が打ったり指したりした棋譜をそっくり再現できるのだという。これは一手一手に必然性があり、そのように打ったり指したりしなければならないという思いに裏打ちされているからであろう。

 そう。上記、50年以上前の授業は、旧友(級友)となつかしく話し合いながらの再現だが、それにしても、こうして再現できるのは、必然性、切実感のある学びを経験したからに他ならない。


 このことでわたしが言いたいことは、以下の通りだ。

 これはただ単に思い出に過ぎないというものではない。こうして覚えているということは、この学びが血となり肉となり、その後の我が人生に多大な影響を与えてきたということだ。自分のことで申し上げるのはまことに申し訳ないが、それは、自身の生き方、考え方をより確かなものにしてきたと言って過言ではないだろう。少なくとも、科学的、客観的なものの見方、考え方を心がけるようになったと思う。


 長くなってしまった。とりあえず、本記事はここまでとさせていただこう。

 
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 わたしが、『日本の伝統』と申し上げることの意味が、少しかもしれませんが、ご理解いただけたなら幸いです。

 次回記事は、これ以後の、つまり国による弾圧を受けた後の話が中心となります。それはとりもなおさず、『世界に冠たる授業研究』が、肝心の日本のなかで、少しも知れわたることのない状況に追い込まれてしまった理由を説明することになるでしょう。

 そして、これからの日本の教育を盛り上げるために、何が大切かを述べてみたいと思います。

 よろしくお願いします。    

 

rve83253 at 23:12│Comments(7)TrackBack(0)教育観 | 教育風土

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この記事へのコメント

1. Posted by YK   2011年02月13日 19:58
学習したことを血肉化することで、教育の意味は発揮される、と私も昔から考えていました。一方で、「教育基本法」の理念があるとして、その教育が出来るのは、やはり教育基本法の理念を血肉化した教師以外は無理だ、という考えもあります。そう考えますと、

>>読者の皆さんは、ご自分の子ども時代に受けた授業をどのくらい記憶しているだろう。

この問いに答えるならば、私も小学校の授業の記憶はほとんどありません。授業の内容の記憶も微妙ですが、今も持続する価値観の記憶となるとマイナスの作用もあるほどです。
昔(80年代)は熱血教師と呼ばれるタイプの教師がいましたが、哲学書(マルクス以外)を熟読し、精読し、己の言葉を操るような教師は稀でした。思うに、教育基本法の理念も万能とは言いがたいですが、理念まで達する者も少なかったのかもしれません。
2. Posted by toshi   2011年02月14日 13:38
YKさん
 《「教育基本法」の理念があるとして、その教育が出来るのは、やはり教育基本法の理念を血肉化した教師以外は無理だ。》
 そうだとわたしも思います。しかし、
 子どもの立場からすれば、そういう授業を経験しなければ、学び方、生き方を養うことはできないということにはならないですね。
 ただ、いつかも記事にしましたが、それには大変な自己修養が必要になるのでしょう。
 《今も持続する価値観の記憶となるとマイナスの作用もある》とは、いやあ、公教育に携わる者として頭の痛い話です。『人格の未完成を目指す』こともありうるという話ですものね。
 やっぱり学校教育の営みは大事ですね。
3. Posted by YK   2011年02月15日 11:11
>>やっぱり学校教育の営みは大事ですね。

とても大事ですね。私も頑張っているけどなかなか難しいものですね。でも、「先生の励ましのおかげで頑張れた、これからも後輩を励ましていって下さい」という手紙も卒業生からもらいます。ようやく私の言いたいことが伝わるようになってきたと思いますので、もう少し頑張りたいところです。

私は公教育を批判しているように思うかもしれませんが、実際は制度的な問題が多いのではないかと思います。先生も指摘されるように煩雑な事務仕事など。本当は教育も地方分権がどんどんと進んだ方が良いのだと思います。そうすれば、本当の意味での知識や教養、創造性が問われるので、淘汰される教師も出てくるでしょうが、優れた教師は残っていくと思います。toshi先生もその一人だと思いますし、無縁社会は今まで以上にそういう教師を必要としていると思います。
4. Posted by 伊藤   2011年02月15日 18:28
大正自由教育というと生活科の骨格になった、長野師範、奈良女子師範の事例が思い浮かびます。

一見遊ばせているようで理科や社会科を体験から学ぶという仕組まれた学びの研究が戦前からあったのが大きいですね。

もっと考えるならば、生活科が導入されて20年以上経ちます。私は導入されてすぐに小学校に通ったので模索段階で授業を受けたわけですが、うちの地区は生活科の権威という学校があったのでそこに勤めたことのある教員ならばすんなり生活科をすることができました。
実際、高学年になってそういった授業を受けた結果、担任は県の教育センターに引き抜かれてしまいました。

どんな授業をやったかは私はあまり覚えていません。ただ、よくうちに来てお酒を飲んだことや数人で先生の車で遠くまで遊びに行ったこと(実はその後の学習の下見でもありましたが)などよく覚えています。

結果として、古いタイプの授業を実習生がするのは自分の経験から。私のように指導要領が大幅改定前に高校まで卒業していると今の現場とのかい離はもっとひどいかもしれません。

ただ教科内容については明治以降そんなに変わることなく核心部分はそれこそ江戸時代に確立されたこともあるかもしれませんし、方法が違えど行きつく先は同じですから間違いでもないです。

公教育に期待をかける一方で、地域が教師を育てるということも重要です。就職では即戦力を求められますが、プロ野球、Jリーグにおいてもほんのわずか。3年でも5年でも悪戦苦闘して初めて一人前になると思えば、それをわかった上で支える地域の皆さんがいて学校が成り立つと私は思います。
5. Posted by toshi   2011年02月16日 17:44
YKさん
《本当は教育も地方分権がどんどんと進んだ方が良いのだと思います。》
 わたしもそう思うのです。そんな趣旨の記事も何回か書いたことがあります。しかし、現状は、問題点ばかり感じてしまいます。
 世田谷区の教科《日本語》の問題など、世田谷区にお住まいの方がほとんどご存じないまま、既成事実だけが進んでいる感じです。
 これだと、地方教育行政府の一部の人間の恣意的行動でことが進んでしまうわけで、およそ民主主義とは相いれませんね。
 変な地方分権となってしまっています。やはり、住民への周知徹底を図り、理解を得ながらの行政でないと、本物とは言えませんね。
《そうすれば、本当の意味での知識や教養、創造性が問われるので、淘汰される教師も出てくるでしょうが、優れた教師は残っていくと思います。》
 正しい意味での地方分権が徹底すれば、YKさんがおっしゃる通りになっていくと思います。
6. Posted by YK   2011年02月16日 23:47
<<地方教育行政府の一部の人間の恣意的行動でことが進んでしまうわけで、およそ民主主義とは相いれませんね。変な地方分権となってしまっています。やはり、住民への周知徹底を図り、理解を得ながらの行政でないと、本物とは言えませんね。>>

この点は私も完全に同意します。勉強になりました。ありがとうございました。
7. Posted by toshi   2011年02月17日 17:10
伊藤さん
 わたしは、生活科が導入されようとしていたころ、生活科新設には反対でした。生活科が言っているようなことを、わたしたちはちゃんと社会科、理香のなかでやっている。何も別だてにして新教科を設ける必要はないと言ったものでした。
 現に、本記事には、亡父の1年生社会科の実践にリンクしましたが、その精神は生活科と一緒といえるでしょう。もっとも生活科に『ごっこ』はありませんがね。
 でも、反対した大きな理由は時数減でした。社会科と理科を合わせると週4時間ありましたからね。その後、中学年から総合的な学習の時間が発足したことを考えると、いったい国は何を考えているのだろう。めちゃくちゃだと思ったものでした。
 生活科から総合への流れを考えると、子どもの主体的な学び重視なのか軽視なのか、とにかく一貫性がないと感じたものでした。
《地域が教師を育てるということも重要です。》
 お説。その通りです。生活科、総合は、地域の支援が特に大切だと思いますが、伊藤さんがおっしゃるように、いい教員を育てるという意味でも大切ですね。

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