2011年05月08日

日経社説に驚きと感動と(2) 〜すみません。ちょっと批判も、〜

PAP_0102 本記事では、日本経済新聞の3月9日付、および、4月5日付社説をとり上げる。

 しかし、そのまえに、お詫びしなければならないことがある。すみません。

前記事の最後で、『日経が考えるこれからの教育施策』にふれた際、『これでは、やや食い足りない感じだ。保留付き賛成といったところかな。』と書かせていただいた。
 しかし、これは、わたしの思い違いだった。

 実は、本記事でとり上げる同新聞社説は、まさに、これからの教育施策について、具体的に主張を展開している。食い足りないどころではなかった。
 そして、またまた驚き、感動したのだが、国の学習指導要領、および、教育施策などを批判している点、すばらしいものだ。経済紙がこういう主張を展開するなど、思いもよらなかった。
 (すみません。とは申しても、前記事にいただいた伊藤さん、みさんのコメントを拝読すると、これは、わたしの認識不足だったのかもしれない。〜このかっこ内の部分は後からの挿入です。)


 それでは、前記事に引き続き、同社説をみていくのであるが、あらかじめ、2点、お断りをしておこう。

・同社説の主張は、拙ブログのそれと軌を一にする点が多い。それは、わたしにとって大変ありがたくうれしいことだ。したがって、またまた過去記事へのリンクが多くなってしまうが、そこを開かなくても一応のご理解はいただけるよう書くつもりなので、よろしくお願いしたい。

・また、前記事同様、〇は日経社説をわたしが要約したもの。※は、わたしの考察となる。


 それでは、まず、3月9日付から見ていこう。

 と書きながら、実は、またまた、初めにお断りで、どうもすみません。

 本シリーズも、同新聞社説への驚きと感動とを書くことにしている。それは大筋では間違いない。だが、しょっぱなは、社説の主張とは関係ない部分で、マスコミ批判を展開することになってしまう。


〇同社説は、冒頭、最近の地球儀ブームをとり上げる。

 『新学習指導要領が、地球儀ブームを巻き起こしている。
 これまでも、学習指導要領では、地図や年表の活用を求めていて、(そこに今回の改訂で)地球儀と明記されただけなのだが、それで教科書の記述や全国の学校の授業が変わることになる。
 地球儀メーカーは増産を続けている。』とある。
 また、『地球儀も、従来は(同要領に)記述がなかったから、子どもが興味を持っても授業に使わずに済んだ。』とも書いている。

※せっかくの卓見の日経社説なのに申し訳ないが、多くの読者の方に誤解を招く恐れがあるので、正確を期するため、ちょっとふれさせてほしい。
 
 同記述のうち、『これまでの学習指導要領に地球儀が書かれていない。』というのは、間違いである。
 これまでも、学習内容として明記されていた。今、前年度までの同要領(平成14年より施行)にリンクさせていただこう。リンク先5年生2内容に示されている。
 ねっ。『今回は、それが目標にも書かれるようになった。』というのが正しい。

 現にわたしは、6年前、5年生担任の初任者に、
「地球儀を使って指導することも大切だよ。たとえば、平面の地図では、日本の真東にアメリカ合衆国があることになってしまうが、地球儀を使えば、日本の真東にあるのは南米だということが分かる。」
などと話していた。

 だから、これまで地球儀を使っての指導がなかったとすれば、それは、『学習指導要領に記載されていなかったから、〜。』ではなく、『学習指導要領に記載されていたにもかかわらず、〜。』となるのだ。

 すみません。本筋と関係ないのに、なぜ、こんなことにこだわるかというと、

 マスコミには誤解をふりまいた前科(?)があるのだ。

 10年前、ゆとり教育を攻撃する材料として使われた、円周率3問題。もう大々的に、大手進学塾とマスコミが一緒になって、『これからは、円周率は3として扱い、3、14は指導しないことになった。』と喧伝し、ものすごい誤解をふりまいたこと、記憶に新しいことだろう。

 当時、算数学習指導要領(第5学年 3.内容の取扱い (4)を参照してください。)には、どう書かれていたか。
『円周率としては3.14を用いるが,目的に応じて3を用いて処理できるよう配慮するものとする。』
となっていたのだ。第一、教科書にだって3.14と明記されていた。わたしはこのとき現職だったから、保護者、地域向け学校説明会で、その誤解を解くべく努力したものだった。
  
 そう。『目的に応じて3を用いて処理できるよう配慮する。』というのは、すばらしいではないか。まさに、『学ぶ力』を養っている。算数には概算の学習だってあるのだからね。

 どうも、一部の大手進学塾やマスコミは、学習指導要領を読まずして、批判を展開する習性があるようだ。
 そして、あおりたてる。今回の地球儀問題だって、日経がそうだというわけではないが、これまでの『ゆとり教育』がいかにいい加減であったかと印象づけたいあまりの曲解であるという気配がみえる。


〇それでは、驚き、感動の方に話を戻して、

 同社説は、まず、『学習指導要領に(学習内容や学ばせ方など)何から何まで盛り込み、同要領を金科玉条のごとく受け取める教育の現状』を指摘する。そして、
『かつては手引書であった同要領が、高度経済成長期に拘束力を強めていった。』
『これからは、手取り足取りの学習指導要領を、そうではなく、大綱化、簡素化し、授業の組み立てやその中身を思いきって地域や学校現場に任せることだ。』
と述べる。

  そうすることで、
・地域や学校の創意工夫の余地が広がり、現場の実情や子どもの個性に合わせた教育がやりやすくなる。それぞれの分野で伸びる子をどんどん伸ばせるようにしたい。  
・知識の詰め込みではなく、子どもの考える力を育てることができる。

 さらに、同紙は、話をより具体化する。

 地域ごと、学校ごとに裁量を広げれば、グローバル時代に問われる創造力や問題発見能力を育むことができる。これこそ、本来の意味でのゆとり教育ではないか。

※ああ。なんとすばらしい論調だろう。みんな、わたしが、これまで拙ブログで訴えてきたことばかりだ。だから、大筋においては、それで間違いはない。

 しかし、ニュアンスの異なることも述べさせていただく。

 それは、学習指導要領の拘束力にかかわる部分だ。

 確かに一般的には、拘束性があるように言われている。法的拘束性などとも言われる。だから、大筋、日経の社説に間違いはない。

 しかし、矛盾するようだが、学習指導要領は、その中身に、学校の創意工夫、思考力、判断力、表現力など、個性を大切にした教育の重要性も盛り込んでいる。

 また、今回の改訂では、学習内容の取扱いについても(第1章総則 第2 内容等の取扱いに関する共通的事項 2.を参照してください。)
・学習指導要領にない内容を指導することも認めているし、
・すべての児童に指導すべきとした内容についても、学校が児童の負担などを考え、それにとらわれず指導していいこともうたっている。
 そういう自由度を加味したうえでの法的拘束性なのである。

 だから、わたしが問題にしたいのは、一般に、『すべての児童に指導すべきとした内容』は、文字通り全部指導しなければいけないと信じ込まされてしまっている教員、市民、マスコミの方だ。そこでは、『法的拘束性』なる言葉が、文字通り国民を拘束してしまっている。

 そこには、ただ『誤解』の一言では済まない要因もある。

・まず、受験システムによる圧力があるだろう。全国同一の学習内容でないと、不安になってしまう保護者、教員心理がある。そこでは、学習指導要領に明記されているにもかかわらず、『児童の負担過重』は軽視される。

今年はどうなるか分からないが、全国学力調査の『知識力を問う問題(A)』も、画一的な学習内容を求める心理がはたらく要因になる。

・しかしながら、たとえ、同調査、受験システムがなくなるとしても、この誤解は解消されないだろう。
 今の日本においては、保護者、市民心理として、隣りの学校が指導した内容をうちの子の学校は指導していないとなれば、たちまち不安になってしまうのではないか。
 日本人には、『赤信号。みんなで渡れば怖くない。』の心理がある。若者なら、KY心理か。本能的に、『みんなと同じ』を求めてしまう。

 そこから、冒頭述べたような、おかしな地球儀ブームも起きる。(間違えないでくださいよ。『地球儀などどうでもいい。』と言っているのではないですよ。小学生の学習にとって地球儀は大事です。しかし、それなら、『いつの時代だって大切なはずでしょう。』と言っているのです。流行になるのがおかしいと言っているのです。) 

 
 ここで、前記事でふれた我が大学仲間の話にふれさせていただく。もちろん全員会社員だ。そのなかの一人が言った。
「toshiさんの言うような、子ども主体の授業は、可能なのかよ。日本においては、認められないんじゃないの。」
つまり、『画一化された学習内容でないと、ダメなのではないか。』と言いたいのだろう。
 ああ。そのくらい、『日本の教育は、暗記中心、覚える学習』。そう焼き付けられてしまっている。

 だから、わたしは答えた。
「そんなことはない。わたしこそ、教育基本法から学習指導要領に至るまで、まさに、そこでうたわれる精神そのものの授業を展開しているのだ。」
と。 
 
 今回の改訂で、確かに学習内容はふえた。教科書も分厚くなった

 しかし、それを全部やろうとしたら、少なからず、学習指導要領が危惧するところの、『児童の負担過重』となってしまうだろう。


 ここで各論に入るが、ここでも、日経社説に全面的に賛同する。すなわち、学習指導要領の大綱化、簡素化を求める部分だ。

 日本人の国民性が変わらないのなら、やはり、学習内容てんこ盛りをやめた学習指導要領にしてほしい。日経がいうように、大綱化、簡素化した要領にしてほしい。そして、あとは、地域や学校の創意工夫の余地を広げ、現場の実情や子どもの個性に合わせた教育を、もっともっと大々的に打ち出してほしい。
 それこそ、真の意味の『ゆとり教育』に戻してほしい。


〇そのことに関連し、同社説は次のように述べる。

「こうした改革を進めれば、教員は責任が重くなる。学校間の競争も激しくなるが、それは教員自身を目覚めさせることにもつながるだろう。」
 
※そう。その通りと思う。賛成だ。

 ただ、『競争』という言葉を、今は、使ってほしくない。
 それは、拙ブログでさんざん言ってきたところの、『点数競争(狂騒)』を思い浮かべてしまうから、またまた誤解を招きそうだ。

 日経は、『点数競争をしろ。』と言っているわけではない。それはよく分かる。『創意工夫を生かした特色ある教育活動(学習指導要領の言葉)の競争をしろ。』と言っているのだろう。いわば、ナンバーワンの競争ではなく、オンリーワンのオンリーを競う競争をしろと言っているのだろう。順位はつかない。

 それは分かるが、しかし、やっぱり今の日本では誤解を招く。


〇また、同社説は、『地域での学校選択を自由にする。』ことも主張する。

※これは、わたしも拙ブログ開設当初、肯定的に意見を述べていた。しかし、実際に学校選択を自由にした地域では、特色ある学校づくりどころか、学校の風評、あるいは、点数競争に明け暮れるようになってしまった。
 したがって、今は、否定的な見解を持っている。学力狂騒がなくなり、多くの学校も特色ある学校づくりを目指すようになったら、賛成しよう。

 つまり、これは、わたしがよく言うところの同時進行にはならない。


〇3月9日付社説は、最後に、教育委員会について述べる。この教委の存在が、文科省→教育委員会→学校という上意下達の仕組みをもたらし、地方の独自性をなくしていると説く。
 他方、地方行政府の首長は、『教委が思う通りにならない。』と言って嘆いているとも言う。

※この点についても、拙ブログでは何度もふれているが、この認識はずれているといっていい。

 教育委員会制度は戦後スタートしたものであるが、当初、教育委員は、各地域ごとの住民の選挙によって選ばれていた。それは、教育の政治的中立にかんがみ、地方行政府とは切り離す必要があると考えられたからである。
 そう。今、いい見本があるよね。石原都知事とか橋下府知事とか、地方行政府首長が教育施策に口を出す。それは、公教育が落ち着かない原因となっている。

 そもそもは、それを防ぐのが教育委員会設置の目的だったのだ。国はもちろん、地方行政府からも独立させる。もちろん、当時は住民による選挙だから、直接住民に責任を負うかたちとなっていた。

 それが、昭和31年になり、公選制は廃止された。細かいいきさつは、Wikipediaに譲らせていただこう。

 そして、公選制に戻すべきだというわたしの主張も、過去記事にある。

 簡単に述べさせていただくと、かつての公選制は、低投票率にあえいだり特定の党派に偏ったりする弊害があった。でも、これは、敗戦直後の一億総貧困生活だったときのものであり、今のように国民の教育的関心が高いときなら、まあまあうまく機能するのではないかと思う。そんな考えを述べさせていただいた。

 とにかく教育施策は、国にしろ地方行政府にしろ、そこからは独立し、政治的に中立であるべきなのである。そして、直接住民に対して責任を負うようにする。そうした意味で、教育委員会制度は堅持発展させなければならない。


〇いよいよ最後に、4月5日付、つまり、大震災後の同社説に移らせていただく。これも、もう、感動ものだった。つい先日記事にした、『大震災を単元構成しよう』を応援してくれるような内容だった。だから、大きな感動を味わった。

 以下のようである。
 
カリキュラム(各学校の教育計画のようなもの)も、学習指導要領にとらわれず、臨機応変に組み立てたらどうか。震災という現実を重い教材に、教科の枠を超えた教育をさぐることもできる。
 〜。文科省や教委が画一的に統制してきた教育の姿を考え直す機会になろう。
 〜。被災地の実践の中に再生のヒントがあるかもしれない。震災復興を、新しい教育につなげたいものだ。 
 
 もっと切実な提言もあった。以下のようである。

 教員について、定数とは別に、被災地に手厚く先生を置くのはもちろんだが、それが間に合わなければ、退職教員やボランティアの人たちに担ってもらう手もある。教員免許にこだわらず、「教えられる人が教える」授業があってもいい。

※わたしは、tonamikousenさんからいただいたコメントを思い出した。同氏からは、『わたしたちは だれも 一人じゃない!!』シリーズに複数いただいている。
 今、震災直後で、パニックになっている教育委員会もある。ここはやはり、冷静になって、非常時の教育施策にあたってほしいし、国は国で、非常時の施策を応援してやってほしいものだ。教員免許にこだわらず、「教えられる人が教える」授業など、超法規的措置が必要になる場合だってあるだろう。

 もう一つ。

 すぐ上にリンクさせていただいた記事の『大震災を単元構成しよう』は、まさしく、『震災という現実を重い教材に、教科の枠を超えた教育』となるのではないか。

 本記事に書かせていただいたように、現行学習指導要領のもとでも、これは、やろうとすればやれることである。『大震災を単元構成しよう』の記事では、総合的な学習の時間にやれると書いた。もちろんそれはその通りだが、しかし、日経社説がいうように、教科のなかで、教科の枠を超えた授業も可能である。

 ぜひ、現場の努力を促したいものだ。

 それが、日経社説にあるように、『震災復興を、新しい教育につなげる。』ことになる。


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 日経社説について、ちょっと批判もさせていただきましたが、大筋において、感動を味わわせていただいたことは間違いありません。

 記事中に、会社員であったがすでに退職されたわたしの友人の言葉を紹介させていただきました。そのくらい、『日本の教育は、暗記中心、覚える学習。画一化された学習内容』というように、国民の目には、焼き付けられてしまっています。

 そうであれば、おもに、企業家、経済人が読んでいると思われる同紙が、こういう革命的(すみません。ちょっとオーバーです。)かもしれない教育論を展開してくださるのは、ほんとうにありがたく思います。


 本シリーズには、コメントも寄せられています。ありがとうございます。次回はそれらから受けた、わたしの想いを書かせていただきたいと思います。本シリーズは、あと一回続けます。よろしくお願いします。

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この記事へのコメント

1. Posted by かげちゃん   2011年05月08日 14:45
先生お久し振りです。ゆとり教育がやはり良い、と主張されるわけですね。

実は私の元の上司たちがいる、教育委員会が大失敗をして、暫く後始末をしておりました。大失敗の内容は政治的な発信をしてしまったこと、です。

時期が前の参議院議員選挙と重なり、大変でした。ゆとり教育に賛成なのはわかりますが、これを推進した文部科学省の元官僚の発言に見られるように、特定の政党の主張と同じことになります。

教職員組合が強いのかも知れませんが、いかに非常勤でも新採用の方の指導にあたる立場での発言は考えていただきたい、と思います。
2. Posted by みーやママ   2011年05月08日 17:07
うまく書けないので、見当違いのことをかいてしまいます。すみません。

学習指導要領ってあまり好きじゃなかったけれど、
今回の指導要領で、特別支援教育について、書かれたところを 言葉の教室の先生が教えてくれました。
「いいこと、書いてあるじゃない。」
って 思わず言ってしまった。悪いことばっかり書いてあるわけでもないんだ。初めて、そう思いました。

私は、国語で物語の読みとりの授業とか好きだったのだけど・・・。みんなが自分の思いを話して聞いて、そんな中で自分の考えと比べたり、そっかぁ。って思ったり、そんな授業が好きなので、辞める前にもう一度、通常学級でそういうことをしたいけれど、それには基礎力がなくてはダメだから・・。
残念だけど、今の学級では、そういう授業はできないな。

覚えて暗記して・・の基礎力があって、考える授業なんだよね。やっぱり・・・。

うちの5年の娘の家庭訪問で「先生、ゴメンネ。授業研究では、娘は役に立たないから。」って言いました。「頑張ってますよ。」と言っていただいたけど、そこは 親だもの、わかるわ。みんなが主役になれる授業って難しい。

でも、とし先生の思いがステキだな。って思います。子どもたちへの思い、教育への思い・・・。
なんか自分も頑張ろうか。って 少しそんな気になります。

勤務校の校長も二年目になって、自分だけの思いで突っ走っているけれど、現場って子どもがいて、教員がいて、そこに笑いがあって、学びあいがあって
なんだよね。現場の教員が疲弊してしまうばかりなのは、なんだかな。って思います。

連休明けたら、あと10週。
今年は、とっても苦しいんです。
管理職の先生たちには知らん顔されて、週29時間空き時間なしなんです。ちょっとひどい?
でも、そこそこがんばります。
3. Posted by toshi   2011年05月08日 20:48
かげちゃんさん
《ゆとり教育に賛成なのはわかりますが、〜》
 以前のコメントのやり取りや拙ブログ記事で、少しご理解いただけたようで、うれしく思います。真の意味でのゆとり教育は大切であり、本記事でもそれにふれさせていただいたわけですが、本記事に限って言えば、ゆとり教育をおし進めるべきとするのは、日経社説です。
 同社説には、
『〜することで、地域や学校の創意工夫の余地が広がり、現場の実情や子どもの個性に合わせた教育がやりやすくなる。』
『グローバル時代に問われる創造力や問題発見能力を育むのは、本来の意味でのゆとりだ。』
などとあります。わたしも同感です。ゆとり教育は純粋な教育論であり、特定政党とは関係ありません。
 そして、またまた、教職員組合ですか。
 そういえば、同社説も、組合にふれています。
『文科省が支配し、教職員組合もイデオロギー的には対立しながら中央集権路線を補完してきたのが戦後の教育だ。』
とあります。教育の中央集権には、国だけでなく、組合も重要な役割を担ってきたということですね。
 本シリーズで日経は、教育制度について、国の統制をやめ、地方・学校へ権限を委譲すべきと言っています。わたしもそれに賛同しています。ですから、またまたですが、わたしの主張と組合とは関係ありません。
 
4. Posted by toshi   2011年05月08日 21:00
みーやママさん
《(学習指導要領は、)悪いことばっかり書いてあるわけでもないんだ。》
 その通りと思います。ただ、本記事には書きませんでしたが、総花的であることは間違いありません。あれもこれもと盛り込んだ感じです。
 ですから、教育についての考え方があまりに広すぎて、定見がないというのが、実感です。
 日経は間違いなく定見がありますね。

 なんか、おほめにあずかり、恐縮してしまいます。
 校長時代は、ゆとりと張りを大切にしてきたつもりです。みーやママさんがおっしゃる笑いと学び合いに通じる面があるかなと思いました。
 『ゆっくりでいい。常に、一歩ずつ前進』がモットーでした。
 でも、口で言うのは簡単だけれど、反省しきりといった面もありましたよ。
5. Posted by tonamikousen   2011年05月11日 18:56
うちに避難している被災者さんと同じ学校に転校して来た子が、早くも別の学校に転校しました。学校再開の連絡を受けて戻った子もいます。それぞれ事情があるようです。

意外にも一番最初に戻りそうだった親子が、こっちで卒業まで暮らすと言います。一度福島の学校に挨拶に行ったら、元の担任から
「学年1クラスしかなかった学校に、4校も間借りして、それも別々に授業するんだって。先生たちは県外に逃げて足りないし、来春の高校は募集しないっていうし、秋田にいた方がいいって言われたから」

えっ?私は不信に思いました。ウチに避難している複数の教員は、いずれも肩身の狭い思いをしながら、兼任辞令の出された学校へ出勤したり、避難所で事務手伝いをしています。逃げっぱなしという話は変です。
教員の親を持った事で、離れ離れになった子もいます。
何でこんな残酷な辞令を出すのかと思っていた教頭・校長すら、同じ立場に耐え、中には精神疾患を患った人もおられます。相当な激務とストレスの中、教育に当たっているのです。
人の住まなくなった町で教鞭を取っていた1200名がだぶついているのです。
教師が逃げて足りない、というのは怪しいと思いました。


6. Posted by tonamikousen   2011年05月11日 18:56
高校募集しないという話もひっかかりました。そんな大事な事なら、全員の情報として教委が発信するはずと思ったからです。早速調べました。
案の定、彼女の虚言、想像でした。
元々の学校でもモンスターペアレンツと呼ばれていたらしく、ただでさえ混乱している被災地の学校に戻って来られたら大変と、元担任は判断し、こちらの学校にいることを勧めたのでした。

学力日本一となった秋田の教育は厳しすぎ、福島のゆとり教育がいい・・・という理由で戻ったり残ったりしている・・・というわけではなさそうです。
私はたった数家族しか見ていませんが、そのわずかな数の親でさえ、家庭教育に関心や必要を感じている度合いが全然違います。責任は学校、就学援助費などの権利は親、奇妙な価値観の親もいます。
あまりにも簡単に教育用語が耳に入るものだから、親たちは知ったかぶりしたり、敬意を払うことをしなくなるみたいです。一緒に暮らしてつくづく感じている所です。
7. Posted by tonamikousen   2011年05月11日 20:59
素人さんでさえ「ゆとり教育の弊害」とか「競争原理の害悪」とか語る【国民総教育評論家】時代です。
幸いにして正式採用された教員の皆さんには、批判を省みる謙虚さと共に、聞き流す利発さで、教育愛・情熱を保持されることを祈っています。

教育はバクチではありません。丁か半か2つしか選択肢がないわけではありませんよね。その時その子にあった技術や言葉がけがあっていいんだと思います。
信念さえ一本通っていれば、週明けはゆとりの読書と考える道徳、中だるみしがちな水木は暗記と読解に明け暮れ、金はテスト、極端かもしれませんが、そのくらい大らかな気持ちと、複数のマチェルを持った先生にお会いしたいです。
ちなみに昔、子どもをあきさせないために、100の手遊び歌とゲームと昔話を諳んじられるようにと恩師に言われました。一度も現場に出た事はありませんが、今、子ども客相手に役立っています
8. Posted by toshi   2011年05月14日 14:32
地域、学校によりけりですけれど、震災などなくっても、教育はなかなか一筋縄ではいかず、困難な問題を抱える時代となりました。
 そこへこうした事態ですから、東北は落ち着いて人情も厚く、お互いが助け合って生活しているといったイメージが強いのですが、やはり、困難さはますます増しているようです。
 そうした困難さは、子どもも巻き込んでいる場合があるようで、心配しています。

《教育はバクチではありません。丁か半か2つしか選択肢がないわけではありませんよね。その時その子にあった技術や言葉かけがあっていいんだと思います。
 信念さえ一本通っていれば、週明けはゆとりの読書と考える道徳、中だるみしがちな水木は暗記と読解に明け暮れ、金はテスト、極端かもしれませんが、そのくらい大らかな気持ちと、複数のマチェルを持った先生にお会いしたいです。》
 ほんとうにおっしゃる通りです。神経質なくらいの初任者には、『もっとおおらかな気持ちを持ってやろうね。』と言いますし、もともと大陸的だなと思う初任者には、『もっと繊細な神経を持ってやらないといけないよ。』と言いますし、言う内容は、相手によりけりです。
 矛盾するようですが、おおらかな気持ちと繊細な神経とどちらも大切な教育者の資質と思います。

《昔、子どもをあきさせないために、100の手遊び歌とゲームと昔話を諳んじられるようにと恩師に言われました。一度も現場に出た事はありませんが、今、子ども客相手に役立っています。》
 ほんとうにtonamikousenさんには頭の下がる思いです。上述のように、生きる上で困難を抱えている子どもも多くいると思いますので、ほんとうにご苦労の多いことでしょうが、子どものために力を尽くしてくださっていること、感謝しています。

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