2011年05月24日

日経社説に驚きと感動と(3) 〜ギャップ解消へ〜

PAP_01341 本シリーズ(1)に、みさんから、ご自身の経験をふまえての大変具体的で説得力あるコメントをいただいた。わたしが感動をもって読んだ日経社説だったが、同社説の主張の正当性、妥当性をおっしゃりながら、拙ブログ記事の足りない部分を補足してくださったように思い、大変ありがたく読ませていただいた。リンク先の9番である。

 それ以外にも、伊藤さんや、記事にとり上げさせていただいたAさんなどからも、同趣旨のコメント、メールをいただいた。大変感謝している。

 ありがとうございました。


 さて、

 そんなわけで、みさんに対しては感謝しているのに、大変申し訳ないが、冒頭では、違うところから書き始めさせていただく。ごめんなさい。


 それは、同氏コメント冒頭の、『先生(toshiのこと)のこの驚きは意外でした。』にかかわる。『意外』と思われてしまい、ちょっと苦笑いを禁じ得なかったが・・・、

 そこで、言い訳になるかもしれないが、(1)で述べた『驚いた理由』に、さらに補足をさせていただこうと思う。


 (1)で、日本経済新聞は、わたしにとって、一番縁遠い新聞と書かせていただいた。そんなわたしだが、年功序列、終身雇用の時代はとうに過ぎ去り、能力重視の時代になったくらいのことは認識していた。

 時代は大きく変わっているのだ。それは分かっている。しかしながら、経済界、企業などが教育に求めるものは、今でもこれまでと大差なく知識偏重のつめ込み教育重視、また、国や地方教育行政府による現場の管理、しめつけ強化策など、そうしたものだろうと思っていた。(その根拠は後述。)

 よもや、日経社説のように、
『知識の習得を重んじる時代ではない。』とか、
『豊かな個の力を育むために大切なのは、国による統制ではなく、地域や現場に委ねることだ。』とか、
『グローバル時代に問われる創造力や問題発見能力を育むのは、本来の意味でのゆとりだ。』とか、
そこまで踏み込んで主張するとは、思いもよらなかったのである。

 そういう意味で驚いたし、感動したのだった。

 
 それでは、経済界、企業が教育に求めるものについて、前述のように思った根拠に話を進めさせていただこう。

 もう7年前になる。わたしは、『経団連の教育への提言』を読ませていただいた。これはもう、近年、国や地方教育行政府(教育委員会及び、教育に口を出す知事など)がおし進める教育施策の域をさほど出るものではなかったのである。

 すなわち、学校自由選択制、外部による学校評価制度、教員免許更新制の導入、習熟度別授業の実施などなど、小手先の制度いじりの感を免れるものではなかった。何やら、落胆するようなものでしかなかったのである。
 

 そこで、今回、その双方を読みくらべてみることにした。

 おもしろいことに気づいた。またまた、驚いたといっていい。

 ある意味、双方主張(提言)することの中身に大差はなかったのである。すぐ上の、『学校自由選択制、・・・』のようにただ項目を並べるだけなら、かなり同一な項目が並ぶのである。

 それなのに、こうまで読後の思いが異なるとは、どういうことなのだろう。


 分かった。

 要するに、項のたて方がまるっきり違うのだ。

 日経連の提言が、小手先の制度いじりに多くの項目をたてページをさいているのに対し、日経社説のそれは、理念に多くをさいているのだった。だから、主張そのものには大きな差があったのである。


 今、一例だけ、具体的に上げてみよう。

 学習指導要領に示されているように、学習内容や教材・教具まで国が統制する現状を批判していることは双方同一だ。しかし、その批判の仕方がかなり違う。

 まず、日経連の提言から。
 これは、リンク先の『II.教育の今後の方向性』のなかの『3.国際化時代にふさわしい教育内容のあり方』。さらに、そのなかの『(2) 特色ある教育の実現』の前半部にある。

 『各学校が特色ある教育を行うため、国は大枠の方針を示すとともに、地方や現場の裁量を拡大する方向で改革を図る必要がある。
 初等中等教育では、国が策定する学習指導要領は、日本人として身につけるべき素養や知識などに関する最低基準とすべきである。また、発展的学習については、国は方向性を提示するに留め、具体的内容に関しては地方や各学校が決めるようにすべきである。さらに、地方教育行政(広域化した教育委員会)や各学校が、学級編成やカリキュラム内容、教授法について、独自に決定できるよう制度改革を行う必要がある。』

とある。

 次に、日経社説だが、

 『いま必要なのは、指導要領を大綱化、簡素化し、授業の組み立てやその中身を思いきって地域や学校現場に任せることだ。国は教材に地球儀を含めるかどうかまで決めるのをやめ、大きな立場から教育課程などを示せばよい。
 そうすることで、地域や学校の創意工夫の余地が広がり、現場の実情や子どもの個性に合わせた教育がやりやすくなる。知識の詰め込みではなく、子どもの考える力を育てるには、教員も授業を柔軟に考えることのできる環境が欠かせない。』


 ねっ。同要領の大綱化、簡素化はどちらもうたっている。しかし、その内実は、かなり異なる。

 日経連の主張では、『日本人として身につけるべき素養や知識』は、国による統制を認めているようである。そして、発展的学習についてのみ、地方や学校の裁量を認めるように提言している。
 それに対し、日経は、そんな枠をはめていない。それどころか、地球儀にふれてまで主張しているところをみると、『日本人として身につけるべき素養や知識』まで含め、地域や学校の裁量にゆだねよ、としているようだ。

 そう。このように、一見同じに見えても、『改革すべき公教育の姿』はかなり異なっているのである。

 そのように、理念か、小手先かといった調子の違いが、全編を貫いている。したがって、読後に受ける印象が大きく異なるのだった。

 以上、わたしが日経社説について、『ここまで書くか。すごい。』という意味で、驚きと感動を抱いたことが、ご理解いただけただろうか。



 それでは、みさんからいただいたコメントについて、『感謝している部分』に話を進ませていただこう。

 それは、『教育の流れとその外にある社会環境とのギャップが相当にあるということです。』という言葉に象徴される。そう。ギャップがあるのだ。

 わたしなりにそのギャップを解釈させていただくと、

○『教育の外にある社会環境』が日経連の提言に代表されると解釈すれば、ギャップはさほどないだろう。

 なぜかというと、同提言が言うところの小手先の改革は、現実にもうかなり進んでいるからだ。先ほど、『学校自由選択制、外部による学校評価制度、教員免許更新制の導入、習熟度別授業の実施』を例示させていただいたが、同提言から7年たった今、これらはいずれも、かなり『現実』になってきている。
 となれば、日経連の望む方向に向かっていることになるだろう。もっとも、『まだまだ不十分だ。もっともっと強化せよ。』という気持ちかもしれないね。

○しかし、これが、日経社説の趣旨に代表されると解釈すれば、これはもう、みさんがおっしゃるように、ギャップが相当あるといっていい。

 学習指導要領の大綱化はもちろん、教科書検定制度もゆるやかになどなっていないし、地域や学校の創意工夫の余地を広げ、現場の実情や子どもの個性に合わせた教育の実現を図ることなど、夢物語と言っていい。

 
 さあ。それでは、みさんがくださったコメントから、今、経済界、企業が求める人材について考えてみよう。日経社説が主張するような公教育の変革とそこから生まれるであろう人材と、しっかりマッチするのだろうか。
 まずは、同コメントのかなりの部分を再掲させていただく。

 『リーダーシップ研修は、多くの人々が同調することから違った立場に立つことを促し、自身の成し遂げるべきことは何かを問いかけました。上意下達の組織から、組織内部を変化させるように仕向けた研修で、その本人の達成欲求を満たそうとするものでありました。』
 『10年前位にリーダーシップ研修を受けました。この時すでに能力開発の視点がありました。それ以降、新人のリアリティショック(入社前のイメージと実際に入社した現実の違いを消化しきれずに離職する人材や、喪失感を持った人材)にどう対応したらよいか、個別の能力を育てるための職業教育について、などを学びました。自費で1万以上する研修に休みに出かけて行ったり、同僚に資料をもらい自己学習しました。その職や立場により、自発的に学習することは当然の事と思っていました。』

 次に、日経社説は、このことに関し、どう書いているか。教育が育むべき『個の力』として、次の項目を挙げた。
『情報を集め、問題の所在を見つける発見力。』
『素早く正しい情報を抽出する技術』。
『問題を発見し独創的に解決する力』
『新しい価値を創りだす創造力』
『自分の頭で考え独自の提案を生む能力』
『自分の意思を他者に伝えるコミュニケーション能力』
PAP_00641
 ねっ。まさに、みさんがおっしゃる、
『多くの人々が同調することから違った立場に立つこと』
『自身の成し遂げるべきことは何かの問いかけ』
『組織内部を変化させるように仕向けること』
『若くて課題のある人材への対応』
『個別の能力を育てるための職業教育』などなど、

 まさに、日経社説とマッチしていると言えないだろうか。

 ちなみに、日経連は、この点、
『「志と心」「行動力」「知力」の3つをバランスよく身につけたリーダーの養成』
『高い志を持ち、世界の舞台で活躍できる人材』
『高いコミュニケーション能力、構想力と決断力、幅広い教養、高い倫理観や責任感』
というくらいで、上とくらべて、具体性がない。


 ここで、ちょっと、付記しておきたい点がある。

 それは、読者の皆さんのなかには、『みんながみんな、リーダーになる必要はないではないか。』と思われる方がいらっしゃるかもしれない。

 この点については、たまたまみさんがそういう立場にいらっしゃるから、リーダーシップ研修と書かれたわけで、基本的に、今、あるいは将来にわたって望まれる人材というのは、リーダーであろうとなかろうと、ほとんどみさん、および、日経社説が書かれたものと同一とみていいのではなかろうか。

 また、もう一つ。読者の皆さんのなかには、『みんながみんな企業に勤めるわけではないではないか。』と思われる方もいらっしゃるかもしれない。

 この点については、いかがだろう。ちょっと長くなるが、考察してみよう。

 そう。いい事例があった。50歳になる我が教え子とのメールのやり取りをとり上げた過去記事があったよね。その記事のDさんである。
    交換日記からメールへ
 この記事のなかほど、『※2人の息子の子育てを通して、先生がテーマにしていらっしゃる内容について母親の立場から少しだけ。』からが、本記事の内容とかかわる。

 Dさんは、ご夫婦で、芸術の道を歩まれているのだった。まさに、『独創性』『創造力』を求められるお仕事だ。

 ところが、

 『子供を持つと、望まなくても夫婦だけでは接触する機会のない範囲にまで、社会が広がりますよね。
 私達夫婦は職業的に稀な存在らしく、なかなか価値観を共有できる人に出会うことは少ないです。
 子供を持つと同時に、私も様々な価値観の方々とお付き合いする機会ができました。
 こちらはマイノリティなことを存じていますので、違って当然との思いで皆さんに接するのですが、多数の方からはこちらのことを理解していただけない部分が多いように感じています。』

というように、お子さんをとり巻いての社会環境は、同調性、画一性を求めてくるのであった。

 
 ところで、日経社説や、みさん、さらには、本シリーズ(1)でとり上げたAさんは、皆さん、異口同音に、『高度経済成長期においては、知識の習得を重んじ、均質な人材育成で集団の力を高めるモデル(日経社説の言葉をお借りした。)』でよかったとおっしゃる。だからこそ、経済も発展してきたのだとおっしゃる。

 その点、そこまで言い切っていいのかという思いがわたしにはあるが、それを否定する材料を持ち合わせているわけでもない。

 しかし、上述のように、『みんながみんな企業に勤めるわけではない』のであるから、高度経済成長期においては、多数の画一性、同調性を求める方々と、マイノリティを自覚されている方々との間には、抜き差しならぬほどの断絶(ギャップ)があったということはできよう。


 しかし(ああ。すみません。『しかし、』が重なってしまいました。)、これからはどうだろう。経済界、企業が求める人材が日経社説のようであるとすれば、我が教え子Dさんの感じた『マイノリティ』は、もう感じなくてすむようになるのではないか。
 いや。そういう社会にしていきたいものだね。

 ああ。そういう意味でも、今後は、教育が、みさんのおっしゃるギャップをなくす方向を目指していかなければいけない。経済界、企業と価値観を共有できるのだもの。


 そして、そういう時代に教員に求められる資質。その一つは、先ほどのDさんが言ってくれた。

 『社会的に良い関係は、違いを認めることから始まるのではないでしょうか。
 先生方には教育の場で、子供たちに、その違いに出会う喜びや認めることのすばらしさ、楽しみを教えてあげてほしいと思います。
 また、ご自身の観念とずれる子供や親にしり込みされる一部の先生方にも、価値観の違いを認めることを楽しんでいただきたいと思うことがありました。』
となるのだね。


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〇それにしても、みさんはすごいですね。
『自費で1万以上する研修に休みに出かけていったり、同僚に資料をもらい自己学習しました。』
 でも、みさんにしてみれば、『そういう方は、全国に大勢いらっしゃいますよ。』となるのでしょう。こうなるのも、公教育と社会環境との間に、ギャップが相当あったからなのでしょうか。


〇今、教育の現状は、本記事内容と必ずしも一致しません。ギャップは拡大方向にあるといってもいいくらいです。 
 
 PISA調査結果を受けての主観的学力低下論、しかり。
 全国学力調査を受けての、社会的規模での学力狂騒、しかり。
 かなりの地方教育行政府における独断専横的な教育施策、しかり。
 自由化どころか、学校をきびしく管理しようとする方向性、しかり。

 しかも、国民世論(ああ。日経連も含む。)が、それらを是とする傾向すらあります。そして、公教育は、そうした傾向に立ち向かう元気すらありません。
   
 
〇ところで、日経社説がいうところの『自分の意思を他者に伝えるコミュニケーション能力』。

 わたしは、これまで、この力を育むことの大切さをずいぶん言ってきました。その裏には、『今の日本の公教育の最大の課題だ。』という思いがあります。

 どうでしょう。前記事に、大人の中にたった一人小学校3年生がいて、それがしっかりと意見を述べる姿を紹介させていただきました。読者の皆さんのなかには、驚かれた方が少なからずいらしたと思います。

 『そんなことってあるの。』
 『うそだろう。大人が言わせたのではないか。』
 または、
 『よほど、特別に優秀な子どもなのだろう。』
そのように思われた方もいらしたと思います。でも、ほんとうは全然そのようなことはない。公教育がしっかり『個の実現』のために機能していれば、このようなことは、どこの学校でもふつうにみられるようになるはず。わたしにはその確信があります。

 
〇それにしても残念なこと。

 ゆとり教育をゆるみ教育とし、大々的に攻撃し出したこと。返す返すも残念でした。

 そういう実態は確かにあったでしょう。それは認めます。しかし、だからといって、時代錯誤的に、知識・技能の注入に戻るのではなく、ゆるみ教育を真の意味でのゆとり教育にもっていくべく努力するべきだったのです。

 でも、今からでも遅くはありません。マスコミも真のゆとり教育の大切さに気づいてきたようです。ともに、手を携えがんばっていきたいと思います。

rve83253 at 06:05│Comments(4)TrackBack(0)自己啓発 | 教育制度・政策

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この記事へのコメント

1. Posted by み   2011年05月25日 22:36
 このように取り上げていただいたことは、恥ずかしくもあり、嬉しいことでもあります。

 この記事の前半部分、7年前の経団連の発言に関しては、恥ずかしながら、その当時には自分のことに精一杯で新聞を読んでおらず、比較するに至りません。ですが、こうして、年配の方が「違い」を言語化することによって「新たな視点を得ること」になり、「現実をより多角的に」見て考えることができるようになります。特に「縦の流れ」を理解することになり、ありがとうございます。
 
 中段部分、『みんながみんな企業に勤めるわけではないではないか。』ですが、勿論、起業する人がいます。その場合、夫婦だけ、仲のいい友人だけ、兄弟で、ならば、融通がきくこともあるでしょう。ですが、どちらかが社長、どちらかが専務、など、「立場上の違いが発生」し、役割遂行において「何を優先するか」を考えるでしょう。個人‐社会の関係は、この日本においては切り離せない状態にあります。
 
 後段部分、小3児童において、私は意見を言うことが、他者の力と考えることや発達の逸脱と考えることを、よしとはしません。ただ、人間の発達過程に必要な、「思考力」や「記憶力」に限定した、あるいは限定した環境におく養育の仕方が、身体を有する人間という存在に、何らか強化されない部分を残すようでは、それは子どもの正当な欲求に与えられていない部分があることを指摘せざるを得ないでしょう。それがないことを願います。

 人間は複雑な生き物故、また、生殖、世代を超えていく存在故、個人が生活し、社会を形成する故、様々な対立や和解、共感、拒絶、戦争、協定、など、繰り返すのでしょうね。
 勝手に世界を広げすぎました。
2. Posted by tonamikousen   2011年05月26日 14:48
同業者から「営業妨害なので女将カテゴリー抜けて」と言われて苦笑している部外者でございます

教育カテゴリーを読ませて頂いていると、結構理屈っぽいかたが多い印象です。ゆとりvsゆるみ 対決とか派閥・組合・身分保障云々より(ネットは親も生徒も目にするのですし)、10年後、大人になった教え子を見据えた教育&論議をして頂けたらと願っております。
  (その点 toshi先生のは長文なだけで温かくてホッとします)

転校を繰り返したり不登校の被災児童たちと話していたら
「今度の校長先生は笑わない。新入生を迎える会なのに腕組みしてる。一緒に転校(たぶん兼任辞令のこと)した先生の前で、元の先生の悪口を言う『A先生のクラスは躾がなっていないからフォローしてもらわんと』先生こまってた」
「先生なのにウフッ♪てアニメ少女みたいな言葉使ったと思うと「てめー、話聞けっ」て暴力団みたいにどなるから、ついていくのが疲れる」
「今度来た先生の授業、とってもわかりやすいって皆が言ったから、担任が露骨にその先生にいじわるするようになった」etc...

子どもたちは、担任しか知らないから、楽しい授業とか感情の起伏がない先生もいることに驚いてる今までよほど運が悪かったのかな。
いずれ、避難する事で、教師にもいろんなタイプがいて、教育技術も方針もいろいろあることを知ったことは確か。
ごった煮状態の避難区域の学校。先生方の哲学論は後ほどゆっくり。子どもたちに学校は楽しいと思われる実践研究をお願いします

それにしても たった3人に聞いて、こんなに先生方の授業力や人柄って違うのですね・・・
3. Posted by toshi   2011年05月27日 06:35
みさん
 みさんからいただいたコメントを大々的に引用させていただきました。ご寛容のコメントをいただき、感謝しています。ありがとうございました。
 7年前の経団連の提言についてですが、考えてみれば、これは、大企業の社長さん方の思いが凝縮されているのでしょうね。それと、いくら経済紙とはいえ、報道の世界とは、異なる見解があるという理解でいいでしょうか。
 あと、書かれた時期の違いも、あるかもしれませんね。
 起業家は、一応、多くの経済人、企業で働く人と同一に考えていました。
 あっ。そうか。Dさんも起業家というとらえもあるかもしれませんね。
 すみません。よく分からなくなりました。
 子どものことについては、たったその時だけの印象にすぎませんが、雑談などもするなかで、その心配はいらないものと一応理解しました。
 わたしとしては、逆に、知識・技能は発達しているが、『話す、聞く力』がそれに見合うほど育っていないという、そうした姿の方が問題だというとらえをしています。
4. Posted by toshi   2011年05月27日 06:43
tonamikousenさん
 いいえ。すみません。わたしのブログもけっこう理屈っぽいのではないですか。特に、本記事など、理屈だけで構成している感じです。
 わたし、現職のとき先輩から、『toshiは理屈っぽい。』と言われたことがありますので、またまた、苦笑いを浮かべてしまいました。
 《今度の校長先生は笑わない。》
 はい。これは、ものすごく気になることです。特に小学校の場合は、たとえ校長とはいえ、表情は豊かでなければいけません。子どもは本能的に見抜きますものね。もちろん、いろいろなタイプがいていいのですが、こうした基本的なことは重要です。

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