2011年06月10日

民主主義の危機か!? 〜問題解決能力のなさ〜

PAP_0183 日本に民主主義は育たないのだろうか。今の日本の政治状況をみるとき、『唯我独尊』ばかりで問題解決能力がまったくない。あ然とするばかりだ。

 未曾有の大災害に襲われた日本。『日本は一つのチームなんです。』が繰り返し繰り返し、テレビの画面で流れたっけ。わたしも、拙ブログに、『危機に見舞われたときこそ、人は強くなる。』などと書かせていただいた。

 今こそ、日本が一つにならなければいけないのに、また、そうなるのが必然なはずなのに、今の政治のていたらくは何だ。

 どの政治家も、自分の主張を言いつのるばかりだ。『自分の主張は大事にしながらも、相手の主張にも耳を傾け接点をさぐる。』という、そういう姿勢をとることができない。
 国会議員ならば、まして、行政に携わる政治家ならば、たとえ意見の異なる者を相手にしても、『その背後にはその方を支持した多くの国民がいるのだ。』と認識できるはずなのに、それができない。

 おそらく、自分を支持する票しかみえていないのだろう。自分を支持してくれなかった国民の方がほんとうは多数なはずなのに、それらは敵にしかみえないのではないか。あるいは、『支持してくれなかった国民のことは考えなくていい。自分の票にはつながらないのだから。』と思っているのではないか。

 おかげで、被災地で苦しんでいる国民が放置されっぱなしである。いや。今は、国民みんなが放置されているのだね。


 ところで、大震災に見舞われたとき、日本国民の辛抱強さ、まとまり、共助の姿勢、ルールの尊重などは、世界中を驚かせた。感動をもってみられた。
『日本人はたいしたものだ。日本人に学ばなければいけない。』

 そして、『国民は一流 政治は三流』という見方が国内外で強まった。

 しかし、わたしはそういう見方に懐疑的だった。


 なぜか。日本は民主主義国家ではないか。国民の総意が政治に反映するシステムなはずだ。それなら、国民が一流なら、政治も一流でなければおかしい。

 そう思った。

 そこで、気になったのは、わたしたち国民の投票行動だ。何を基準にして、投票しているのだろう。

 ほんとうに国民のことを考え、国民を愛し、奉仕の精神で地道にがんばろうとする姿勢をもつ人を選んでいるのだろうか。
 また、そういう人がいないようにみえた場合、あきらめるのではなく、立候補者の中からそれに近い人を選ぼうとしているのだろうか。

 どうも、そうなっていないように思う。


 むかしなら、何と言っても買収だ。一票一票にお金が動いた。

 今は、さすがにそれはないだろう。しかし、その代わりが利益誘導だ。地元へ、あるいは、所属する団体へ、どれだけお金を回してくれるか。どれだけ利便をはかってくれるか。それによって投票する人が決まる。


 まだあるね。

 政治に関係のない分野での活躍・人気・知名度、はたまた、世襲などなど。それによって、投票する人が決まる。

 国民の多くがそうした投票行動を示すのであれば、『まじめに政治を考える立候補者』はバカをみる。政治家はまじめに政治を考えるのではなく、上記のような不純な行動に出た方が得である。お金以外にも、人脈とか、権力のあるものにこびへつらうとか、官僚との関係をよくしたり悪くしたりすることのみに気をつかうとか・・、

 かくして、そうした国民的政治風土が蔓延するようになる。

 政治家がまじめに政治を考えない風土。こわいものだ。政治家が政治の専門家でなくなってしまった。

 
 ここで言えること。

 国民への愛情をもつ必要はない。自分の地盤、ないしは、所属する団体への貢献度のみあればいい。
また、お笑いでも、スポーツでも、俳優でも、何でもいい。人気・知名度が上がればいい。
さらには、親の七光りで生きていけばいい。

 かくして、国民のレベルに合った政治が横行する。



 大震災に見舞われた日本だが、被災地、被災者のことを政治家は考えなくなった。

 いや。考えてはいるのだね。考えてはいるけれど、みんな唯我独尊的に自説を言いつのる。だから、何も決まらない。それで事実上、放置される結果となる。

   
 また、いまだ終息をみることのできない原発。理性を発揮すれば今後の原発政策はおのずと決まるはずなのに、それも一向にみえない。

 ここで感じること。

・上記のような政治風土の中、政治家、電力会社等の責任感がものすごく薄くなっている。

・問題解決能力がない。
 今にして分かったというのは、わたしも恥ずかしい限りだが、事故に至るまでの原発政策は実にいい加減だった。
 問題に気づかない。問題が見えない。あるいは見ないふりをする。だから、資料もない。思考もない。見通しもない。
 したがって、『ええい。ままよ。』といったかたちでの解決になってしまった。
 それで、事故に見舞われてしまう。今、『いい加減政策』の後始末に追われる方々は、ほんとうにお気の毒だ。そのご苦労は筆舌に尽くしがたいものがある。

・このいい加減さは、原発を推進した科学者にも言えること。彼らの科学的な知識にものすごいものがあること、それは間違いない。しかし、理性が伴わない。道徳心もない。利権に目がくらむ。
 だから、『ええい。ままよ。』は、多くの政治家、電力会社とおんなじだ。それは、科学者が科学的態度(学習指導要領にある言葉)を放棄してしまったことを意味する。

・長年の『知識偏重教育のツケがきた。』と言ったら、また、『何をもってそう言うか。根拠がない。』と言われてしまうかな。
 でも、言いたい。口が裂けてでも言いたい。知識偏重教育のツケがきた。

・国民的規模でも、これからのエネルギー政策が一向に定まらない。その気配すらない。『ええい。ままよ。』が今後も続くのだろうか。

 今こそ、国民は目覚めなければいけないのではないか。このまま推移すれば、なしくずし的に、さらなる強力な原発政策推進になりかねない。


 ああ。最後のまとめと行こう。

 救いはある。

 それは、『やっぱり民主主義ではだめだ。』という論調は今のところないようだ。『民主主義を守り、育てよう。』という熱気もないが・・・、まあ、『民主主義は、自明の理』というとらえなのかな。

 とりあえず、『自明の理』でもいいや。『守り、育てよう。』の可能性は残されているわけだからね。


 さあ。守り育てる主体はどこか。10年、100年先を見通すとき、どこがその主体者にならなければならないか。

 それは、決まりきったこと・・・。公教育以外にはない。


 学習指導要領、小学校社会科の目標には、『社会生活についての理解を図り,我が国の国土と歴史に対する理解と愛情を育て,国際社会に生きる民主的,平和的な国家・社会の形成者として必要な公民的資質の基礎を養う。』とある。
 同じく中学校社会科には、『広い視野に立って,社会に対する関心を高め,諸資料に基づいて多面的・多角的に考察し,我が国の国土と歴史に対する理解と愛情を深め,公民としての基礎的教養を培い,国際社会に生きる民主的,平和的な国家・社会の形成者として必要な公民的資質の基礎を養う。』とある。

 ああ。今の大人に欠けているものばかりだね。

 今の国会議員、政治家に欠けている資質を学習指導要領に盛り込み、その国会議員や政治家が法的拘束力云々というなかで決定するという、
 これは、今の大人に欠けている資質を将来の大人に課すことを意味するので、おおいなる矛盾といえそうだけれど、しかし、この矛盾はどこかで断ち切らないとね。

 公教育がその先兵役を担わないといけない。拙ブログにさんざん書いているように、子どもはみんな純真、純朴。打ちがいのある熱い鉄ばかりだ。


 そうか。この記事では、公民的な資質を忘れた者ばかりを書き連ねてしまったけれど・・・、だから、矛盾としてしまったけれど、でも、そんな大人ばかりではないよね。目立たず、地味だけれど、確実に日本の将来のために努力している人たちもいる。かくされてしまっているけれど、立派な政治家も必ずいるはずだ。

 ブログ文化は、そういうもの同士の連帯を比較的容易にする。共に手を携え、がんばっていこうではないか。


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ninki



 ある授業研究会での講師の話です。

 生身の子どもをみようとせず、安易なマニュアルに頼る教育が横行しています。また、いかにも子ども主体の学習のようにみえて、しかし、有効に機能しているのは一部の子どもだけといった授業もあります。これらは民主主義教育の実践とは相いれないものです。つまり、民主主義の実践力が身につきません。

 わたしたちが目指す問題解決学習は、ただ単に教育手法の問題ではありません。それもありますが、同時に教育の目標でもあるのです。

 すなわち、
・民主主義の担い手になる資質や能力をはぐくみます。
・仲間の話をしっかり受け止め、誠実に応えることができるようにします。
・子ども同士が学び合い高まり合う学習集団づくり、支え合い高まり合う生活集団づくり、そうした学級づくり、学校づくりを目指します。
・自分の思いや願いを、自分の言葉で、根拠を明らかにしながら、「語り合う」ことを大切にします。

 そう。問題解決学習をただ単に教育手法としてとらえるのではなく、人としての生き方をより確かなものにする指導法としてとらえ実践するのでなければ、成果は期待できないでしょう。


 次、ある方からいただいたメールを紹介します。

 多様な価値観との共生を実現させるためには、お互いが意識を変えなくてはいけません。
 『同調』ではないのです。『共生』とは、互いに変化し合う関係を言います。『棲み分け』でもありません。互いに違いを認めて影響し合い双方が変化していく関係とととらえます。

 日本人は違いを認めることはできても、変化を最小限にとどめたいという気質を持っているそうです。

 同調しない強い信念と変化を恐れないしなやかな柔軟性。

 そんな気質を持ち合わせたいものですね。


 メールは以上です。


 この方は、今の政治状況や学校の授業にふれたわけではないのですが、本記事のテーマにかかわり、とても大切なことを書いてくださったように思いました。
 『互いに変化し合う関係』とか、『変化を最小限にとどめたいという気質』とか、おおいに学ばせていただきました。

rve83253 at 09:23│Comments(6)TrackBack(0)教育風土 | 問題解決学習

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この記事へのコメント

1. Posted by noga   2011年06月11日 09:42
日本人には、世界観がない。「世の中は、、、、」の現実的内容ばかりがある。
それで、人々には、行き着く先の新しい社会に想いを寄せる習慣がない。
だから、政治問題に関心がなく、その解決策にも関心がない。

「指導者は、何もしないのが最大の貢献である」とか、「指導者には、いますぐ辞めてもらいたい」といったものばかりが考えとなる。
現在の指導者を助けて長持ちさせ、改革の効率を少しなりとも上げるといった考え方はない。
より良い指導者を推薦することもなく、より良い政策を提案する能力もない。国民に対して未来に関する選択肢は与えられていない。

どうして現在の指導者を退陣に追い込むかに頭を使っている人が大勢いる。
問題解決の能力はないが、事態を台無しにするだけの力を持った人がいる。
それで、各首相の政治生命は結果的に甚だ短い。

http://www11.ocn.ne.jp/~noga1213/
http://page.cafe.ocn.ne.jp/profile/terasima/diary/200812
2. Posted by toshi   2011年06月11日 12:38
nogaさん
《問題解決の能力はないが、事態を台無しにするだけの力を持った人がいる。》
 なるほど。こと、首相のことに限らず、わたしの身近にもこういう人はいそうです。
 なんか、珠玉の言葉をたくさんいただいた思いです。
 貴ブログも拝読しました。
《わが国には、子供が大人になるための教育はない。大人にするには、考える教育が必要です。》
 なるほどと思いました。知識・技能の習得だけでは、大人になるための教育にはならないということだと理解しました。だから、大人になりきれない大人が大勢いるのでしょう。そして、大人になりきれない大人が、日本各界の指導層(教育界も含む。)に大勢いるのですね。
 『考える教育の必要性』。肝に銘じていきたいです。
 
3. Posted by 伊藤   2011年06月14日 12:31
お久しぶりです。
ただいま、附属学校で実習中です。早速、授業を二コマほどやりました。

原発にしても何にしても都合の悪いことはそれ自体を考えない。起きた場合は想定外として片付けてしまうのはどうかな?と思いました。
私は実技ですので、都合の悪いことは起こります。起こるからこそ指導案の中に考え得る対策を書いてもそれでもやっぱりあるわけです。
学活の指導案を書くときにもあれこれ悩みながら、とにかくこうなって欲しいと願ってもそれを押し付けないようにする事を心がけました。厳しく指導する、細かく指導すれば終わりですが、果たして問題解決学習にも繋がりますが、自分が主体的にできるかと言えば、疑問です。
今週で一旦実習が終わり、9月から再開しますが、何とか子どもに寄り添って学ぶことを達成したいと思います。
4. Posted by toshi   2011年06月15日 06:15
伊藤さん
 いよいよ実習に入られたわけですね。ご奮闘いただいているようで、うれしく思いました。
 ほんとうにね。教育にしろ政治にしろ、『これで一件落着。永遠に安泰』などということはあり得ないです。『一難去ってまた一難』が正直なところではないでしょうか。
 おっしゃるように、押しつけて済むならことは簡単です。そうでないから苦しむのですね。そして、こうした苦しみはうんと味わうことです。その先にこそ、真の喜びがあるのですから。
 苦しみと喜びは繰り返されますが、それらはらせん状になって質的深まりをみせていきます。いつまでも同じレベルでの苦しみ、喜びではないでしょう。
 9月からの実習は、さらに深まりをみせていくことと思います。さらなるご奮闘を祈念しています。
5. Posted by たま   2011年07月15日 20:39
民主主義は放置していて育つものではないと思います。
「判断力はどうすれば身につくのか-アメリカの有権者教育レポート」(横江公美著)を読むと
日本との違いに愕然とします。
6. Posted by toshi   2011年07月16日 09:35
たまさん
 この記事の後も、日本の政界、経済界は混迷を深めるばかりですね。やり切れなくなります。
 アメリカの民主主義については、大統領の選出過程など、すばらしい点が多々あるとは思いますが、人種問題、自己責任の考え方など、行き過ぎた個性尊重が社会の冷たさにつながっている点もあるような気がしてなりません。
 かつて、『日米の中間がいいのでは』といった記事を書いたことがあります。本コメントのtoshi欄にそのURLを貼りつけましたので、よろしかったらご覧ください。
 ただし、当時、民主党を中心とした連立政権が発足したころで、同政権への期待も込めて書いた点に関しては、今さらながら、あまりの落差に愕然としています。
 今の想いとあまりにも違いますので、その点、お詫びします。
 

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