2011年06月21日

分厚くなった教科書

PAP_01451  「はい。昨年度まで補助的な教科書も使って授業を行ってきましたから、そんな数字で示されるほど教科書のページ数がふえた感じはしないはずなのですが、やはり、進度が遅れやしないかと、いつも気にしながら授業を行っています。」
 これは、我が勤務校の、ある教員の声である。

ご承知のように、小学校においては、今年度より、新学習指導要領がスタートした。

 戦後発足した学習指導要領で、これまでほぼ10年ごとに改訂されてきたが、今回ほどいろいろな意味でショッキングな改訂はなかったのではあるまいか。ある意味、『大人の学力』を問われる改訂だった。

 それが今年度から使用されている教科書に端的に現れている。標題のとおり、ものすごく分厚くなったのである。
 ほんの一例だが、わたしが担当している初任者の学年で、どのくらいページが増えたか調べてみた。

・A社1年生の国語上は112ページから120ページへ、同じく3年生の国語上は112ページから144ページへ、
・B社1年の算数(年間使用)は115ページから157ページへ。同じく3年生の算数上は91ページから123ページへ。
といったあんばいである。

 1年生上は、さほど増えていないではないかと思われるかもしれないが、『はなの みち』のお話はこれまで8ページだったのに、半分の4ページになってしまった。絵がものすごく小さくなってしまったのである。 

 この、教科書のページ増については、昨年、まだ新教科書を目にしないうちから、拙ブログで批判させていただいた。ちょっと憤まんやるかたない思いを露骨に書いてしまったっけ。
 今、その記事にリンクさせていただこう。
     『ゆとり教育との決別』か? 来年度からの教科書をめぐって

 『ゆとり教育との決別』なる見出し。ショックだったなあ。いくら、学力低下論が渦巻いたとはいえ、小学校教科書の平均ページ数が25%増とは。

子どものことを考えない、狂気の沙汰のように思われた。

 これでは、かつてつめ込み教育と騒がれたころの落ちこぼし問題が再燃するのではないか。また、その後も改善されたとはいえない学級崩壊、いじめ自殺、不登校など。そうした問題が、再び急増するのではないかと憂慮された。

 そのような、いわくつきの教科書による授業が、4月からスタートしているのだ。

 
 しかし、いくら分厚くなったとはいえ、そうした心配を払拭する手だてというものはある。上記、リンク先記事の末尾では、次のようにふれさせていただいた。今、再掲させていただこう。

 『〜。こうした時代に、もしわたしが担任だったらどうするか、それを考えてみる。
 ゆとり教育は内容面だけでなく、実質面でも、大事にしたい。考える力、生きる力を大切にする。それは、PISA型学力が大事にしているところでもあるし、新学習指導要領においても重視している。
 だから、話し合い学習、考え合う学習は、これからも大切にする。

 しかし、学習内容過多はいかんともしがたい。そこで、内容の精選を図る。重点化して行う学習、さっと流す学習というように、メリハリをつける。

 それは、保護者にも伝える。『なぜ精選するのか。』『なぜこの内容は軽く流すのか。』そうしたことを保護者に説明し、ご理解いただけるように努める。

 そうしていくしかないだろう。』

 そう。かつてのつめ込み教育全盛だった時代に、我が地域で、また我が勤務校で実践していた、『内容精選を指向した授業実践』をおし進めればいいのだ。教科書にある内容をすべてやろうとする必要はない。

 しかし、正直のところ、これだけ学力低下が叫ばれ、全国学力調査が実施され、『やれ。平均点の開示だ。学校間競争だ。』とあおられる時代に、学校現場はどれだけ保護者等にはたらきかけることができるか、またそれがどれだけ実効力をもつか、かなりあやぶむ思いもあった。


 そんな思いでいたところ、つい先日、実にうれしいことがあった。

 我が意を得たり。そうしたはたらきかけをしている校長に、ネット上でお目にかかることができたのである。学校だよりが掲載されていた。

 すぐ電話をかけさせていただいた。リンクをお願いしたところ、ご快諾いただけたので、今、紹介させていただこう。リンク先の後半、『新しくなった教科書』の見出しからがそれにあたる。
    校長先生の挨拶 

 『〜。
 この厚くなった教科書の内容を、まんべんなく隅々まで取り扱っていると授業時間が足りなくなってしまいます。〜。教科書は、すべて隅々まで取り扱うものではないのだということをご理解いただければと思います。
 〜。
 教科書はそれ自体を教え込むためのものではなく、それを使って小学校学習指導要領にある内容を子どもたちに身につけさせるための教材なのです。ですから、教科書の題材よりも子どもの実態に合ってより適切であると判断したときには、教科書とは異なる題材や教材を使うこともあります。
〜。』
とあった。

 そう。わたしの上記過去記事の抜粋とちょっとニュアンスの異なる点はあるが、まことにおっしゃる通り。心強い思いになった。
  こうして、保護者、地域と理解し合えて、連携の実が上がれば、信頼関係の構築にもつながるし、何より、子どもが幸せになるというものだ。

 願わくば、こうした動きが全国的な展開をみせるようになってほしい。それを祈るのみである。


 さて、上記校長先生がおっしゃるように、『教科書を教えるのでなく、教科書で教える。』のだとしても、教科書が、『子どもたちが学習するために最適化を図った優れた教材とされ、学校の授業では中心的な教材として使われている。』ことにかわりはない。

 やはり、教科書は大事にされなければならないのだ。

 そこで、すみません。だいぶ前おきが長くなってしまったが、本記事では、
・『どうして内容精選をはからなければいけないか』。それは授業時間数が足りなくなること以外にも理由がありそうだし、
・そういう大事な教科書だけに、さまざまな問題点がみえれば、改善してほしいのも確かで、
そのあたりのことにふれてみたいと思う。
 ただ、すべての教科書をみたわけではなく、多分に断片的であることは、ご了承いただきたい。

 それでは、どうぞ。


〇理解力のある子だけを相手に、教員主導で授業を行えば、授業は能率的に進む。おそらく分厚くなった教科書でも難なくこなしていけるだろう。しかし、どの学力の子も主体的に授業に取り組むことを保障しようとすれば、どうしたって時間はかかるのだ。

・読者の皆さんのなかには、ついこの前記事にまとめさせていただいた、『しろい みを たべたからなの?? 〜多様性の理解へ〜』なる記事をご覧の方も大勢いらっしゃることだろう。教員主導の授業なら、『黄色い鳥もいるよ。』などという発想はまず出ないに違いない。わたしは、そういう発想をした友達に思いを寄せ、青い鳥の絵から想像を広げた友達の姿に、いたく感動したものだった。

・もう一つ、別な授業だが、『初任者とともに伸びよう(1) 〜子どもが指導書だ!〜』なる記事。これもご覧くださった方が大勢いらっしゃることだろう。

 この記事の後半、『ここで、一つ、Aさん(我が担当の初任者)に注文をつけさせてもらおう。』から始まる部分だ。言語事項の指導でも、子どもの想いを大切にと述べさせていただいた。

 しかし、どうだ。時間に追われ、追われ、ノルマを課されるような感じのもとでは、こんなまだるっこしいことをやっていられるか。『まだ、あるよ。』という子どもの声をとり入れず、『もうないでしょう。』の一言で済ませてしまったのは、大正解だったということになりかねない。

 『子どもが指導書だ。』は、風前のともしびだ。

・さあ、理解力のとぼしい子についてはどうか。ここでは、数年前の、『わたしと小鳥とすずと』の授業にリンクしよう。

 あまりにも有名な、金子みすゞさんの詩だが、3年生の一部の子にとっては理解困難だったようだ。
「この詩は不思議な詩。『わたしはお空をとべない。』『小鳥は地面を速く走れない。』『わたしはきれいな音が出ない。』『すずはたくさんな歌を知らない。』というように、できないことばかり書いてあるのに、『みんなちがってみんないい。』というのは変。『みんなちがってかわいそう。』じゃん。」
というのだった。

 ここでは詳細は割愛させていただくが、そうした発言に対して、理解力のある子が、『どうしてみんなちがってみんないい。』となるのかを考え発表する。

 ああ。一部の優秀な子のみの発言で授業が流れたら、こんな読み取りなど授業の表面に出ることはない。だから、スムース(?)に授業は進む。したがって、分厚い教科書も難なくこなせる。
 しかし、一部の子は、『不思議な詩』という思いを抱いたまま、授業を終えることになる。

 ねっ。どの子も活躍できる授業を指向すれば、そして、子ども主体の授業なら、内容精選せざるを得ない理由がご理解いただけたのではなかろうか。

 これまでだって内容精選は大事だった。だから、教科書が分厚くなれば、余計その切実性は増すというものだ。
PAP_02271

〇上記、学校だよりを書かれた校長先生は、おっしゃる。そう。算数の『ドリル的なページ』もふえたのだ。ドリルはご承知のように反復訓練学習。その弊害は大きい。ドリルよりも、一問一問に時間をかけて、考え合う時間をふやした方がいいのだ。
 これも、拙ブログで、いくつも記事にした通り。特別リンクはしないが、算数カテゴリーからご覧いただけたら幸いである。

 また、これについては、拙ブログが大変お世話になっている、こだま先生の、『道草学習のすすめ』ブログをご覧いただきたい。シリーズとなっている。お時間のある折に、ぜひ・・・、お勧めである。

    本当は怖い計算ドリル 〜プロローグ〜

 
〇次、ご承知いただいていると思うが、新学習指導要領のもと、3年生より古文が登場(A社)した。文語に親しむのである。まあ、
・年間数時間だし、
・『声に出して楽しもう。』ということで、読解に深入りすることはねらっていないし、
どこかの教育特区のように、教科『日本語』と称しながら、子どもはまるで外国語かと思うような詩
を読ませるのとは違って・・・、

 そう。A社教科書に登場するのは、『古池や蛙飛びこむ水の音』など、一応親しめそうな短歌、俳句のたぐいだが、さあ、先ほどの、『みんなちがってかわいそう』で紹介したように、どの子も活躍できる授業が指向できるだろうか。今後の大いなる課題である。


〇上記、古文が、国による学習指導要領の影響を受けている例とするなら、ここは、教科書編集に携わる方々の教育観がうかがい知れようという事例である。

 『話す・聞く』学力が大事にされているようなのは、一応、評価できる。ほんとうにこの力を伸ばそうとしている教科書なら、すばらしい。

 しかし、A社の3年生の国語を見て、あ然とした。『よい聞き手になろう。』と称し、日直さんの朝のスピーチを想定しているようなのだが、

 そのスピーチが例示されている。
 『ぼくの誕生日、楽しみにしていたケーキが食卓に出された。そのとたん、弟がケーキに手を突っ込んでしまい、あっという間につぶれてしまった。どんなケーキか見る間もなかった。お母さんと大笑いになった。』
という趣旨のスピーチである。

 そして、『次のうち、どちらがよいしつもんだと思いますか。それはなぜですか。』と問いかけ、
・生クリームのケーキでしたか。チョコレートケーキでしたか。
・大笑いした後、どうしたんですか。
の2つの質問例が並ぶ。

 さあ。読者の皆さん。どちらが良い質問ですか。

 おかしいよね。

 編集者は、『どんなケーキか見る間もなかったと言っているではないか。』と言いたいのだろうが、それは、ケーキの形状などを言っているのであって、生クリームか、チョコレートかくらいは、いくらつぶれたって分かるだろう。

 そして、質問の奥、見えない部分には、質問者のどんな思いがあるか、分かったものではないではないか。『どちらが良い質問か。』など、問うものではないだろう。
 こんなことを押さえて、子どもは、『スピーチしよう。』『質問しよう。』という気持ちになるだろうか。

 この後、『あなただったら、二人にどんなしつもんをしたり、かんそうを言ったりしますか。』とあるが、それで充分である。

 なにやら、多様性を認めず、〇☓思考におちいるような、嫌な感じがした。

 なお、『話す、聞く』の指導例は、我がブログに掲載したことがある。お時間のある方はご覧いただけたら幸いである。

    『話す・聞く』の指導(2)


〇最後に、分厚くなったことと関係ありそうなのだが、一口で言って、『親切すぎる教科書』といった印象を受ける。『知識・技能』の押さえだけでなく、『学び方』まで、懇切丁寧なのだ。何やら、『学び方のマニュアル化』をねらっているようで、いやな感じがする。

 今、C社の3年生社会科をみてみよう。
・わたしだけのたんけん・はっけん・けんきゅうノートを作ってみよう。
・よそうしたことをこんなふうにしらべて、たしかめよう。
・しらべるときに気をつけること
・分かったことを友だちに、分かりやすくつたえよう。
・分かったことをもとに、みんなの力で考えよう。

 このような見出しのもと、教科書の冒頭部分だけで、6ページ続く。そして、
〇何人もの人が同じ人に聞くことがないように、クラスでよくそうだんしておきましょう。
〇手紙、ファクシミリ、電話をつかうときには、出しまちがえ、かけまちがえのないように。
など、ほんとうに、微にいり細にいり、説明している。

 これなど、クラスのみんなで考え合うことではないのか。ここまで教科書にたよらせなければいけないか。

 わたしは、拙ブログでも、教員の指導力アップの大切さを訴えているが、何やら、教員に楽させる教科書というイメージをもった。

 問題解決学習もマニュアル化の時代なのかな。こんな記述にたよったら、学習問題もマニュアル化されそうで、こわくなる。


 もっとも、あくまで一つの例示として扱い、各学級では、その学級の学び方を子どもたちが考え合えばいいことで、また、編集者の意図もそこにあるとは思うが、
 しかし、何やら、マニュアル化がとかくもてはやされているらしい時代だけに、こわい思いもある。


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 冒頭紹介させていただいた『ゆとり教育との決別』か? 来年度からの教科書をめぐって』の記事には、ドラゴンさん、kunoさん、じょんさんたちからコメントをいただきました。ふり返ってみると、皆さん、本記事にかかわるようなコメントばかりです。

当時大変お世話になっていたドラゴンさん(同コメントの3〜6番)は、
 『toshiが心配するようなつめ込みになりはしないか。』という思いには共感してくださりながらも、指導者が目標を明確にし、評価をしっかりすれば、つまり、『知識理解よりも関心意欲、思考判断、表現などを重視』すれば問題ないのではないか。
と書いてくださいました。

 また、kunoさん(同7番)は、
 『ぺージが増えたことによって教科書の概念が変化し、使用方法ももっともっと広がることを期待したいです。〜、話し合い学習を大切にし、その意義を保護者の皆さんと共有することこそ重要で、これは、文科省、マスコミにも期待したい所です。』
と書いてくださいました。

 さらに、じょんさん(同9番)からは、
 『教科書のページ数が増えたのは、内容が増えたこともありますが、より説明をわかりやすくしたり、絵や図を多用したりしていることにも原因があります。』
とありました。

 ほんとうに、拙ブログではかなり批判させていただきましたが、よくない点は改善していくとともに、お三方のおっしゃるように使われることを祈るのみです。



rve83253 at 23:52│Comments(17)TrackBack(0)教育観 | 教育制度・政策

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この記事へのコメント

1. Posted by かげちゃん   2011年06月22日 00:05
正直言って先生の言葉は腹立たしい限りです。

今大学教育は崩壊寸前です。地元の国立大学の「教育人間科学部」を出た若手の指導主事が、日本史の史料を一行も読めないのを見て呆れると共に、こんな学力では「教科書採択」に対してきちんとした対応はできない。

ちなみに私の住んでいる市の指導主事のうち「地方教育行政の組織及び運営に関する法律」をきちんと読み込んでいたのは、1人だけですよ。

小学校は基本的に「読み書きそろばん」を徹底的に身につけさせる場所だと思っています。基本的に教科書を厚くして、教師だけは他の公務員と別建の制度を作るべきです。

授業は週6日に戻してほしいと思います。
2. Posted by toshi   2011年06月22日 06:03
かげちゃんさん
 早々とコメントをいただき、ありがとうございます。
 それにしても、《腹立たしい限り》とは恐れ入ります。
 かつて、わたしが担当した初任者の実践を記事にしたところ、かげちゃんさんからは、《確かにこの若い先生の実践はすばらしいと思います。〜。小学校できちんと力をつけていただけるのはとても有り難く思います。》なるコメントを賜り、大変うれしく思ったものでしたが、今回は、腹立たしいわけですか。
 わたしとしては、子どものみならず、初任者の教員に対しても、『きちんと力をつける』ために、一貫してがんばっているつもりなのですがね。
 
3. Posted by 今日   2011年06月22日 10:06

国語科教科書の量は、増えましたね。

ただ、その前に国語科って、何を教えるところか、それが、あいまいになっています。

これをはっきりさせないと、1年生から漢詩・論語・・・・など、平気でやるようになってしまうのではないでしょうか。

漢字だって、GWまでに学年の全部を指導するというのもあります。漢字は、何のために指導をするのでしょうか。


上記のようなことを僕らは、若い先生方とも実践をもとに考えあっています。

その中で、研究が、新教科書で採用されるようにもなってきています。

このポイントをつかんで指導してもらえるといいと願っています。
4. Posted by tonamikousen   2011年06月22日 11:34
現場経験のない純粋な?母親です

中学生は「置き勉」禁止←教室に教科書類を置いて帰宅ダメ
で、計量したら9.5キロをカバンに詰めて登下校。
強制的に買わせたワーク類。辞書を入れれば11キロの日も。他に運動部は用具入れ&体育着袋。肩にあざができるほど。
最近の流行とかで、荷台のない自転車が「通学車」として売られてるので、前のかごに負荷がかかって危険。

家での予復習に必要な物だけ持ち帰るのはだめなのかなぁ?・・と考える母です。

ところで、個人的には、国語や理科・社会など、もっと読み応えのある、厚い教科書でいいと思っています。(重くなるので2〜3分冊) なぜって本を読まない子、物足りない子、補助・解説がないと読解できない子に対応するためです。

そして、指導云々と教科書を縛ってしまうと、ますます指導力格差が広がります。へたくそな先生は何を使ってもヘタだからです。「ああして、こうして、そうして、なにしなさい」1回に出す発問・質問は1つで充分。これじゃ、子どもはこんがらがる。崩れる。

私は授業参観の時、全クラス回ります。指示の下手な先生のクラスは軒並みルールがない。そして教室が汚いか、必要以上に整頓して見栄えを良くしたい?掲示物だらけかどちらか。

もっと言えば、教科書で教えてる先生は少数。参観用の特別授業なのか、全員に一言ずつ発表させる生活科?みたいなメリハリのない、挙手をさせないですむのが多い。見てて飽きます。
5. Posted by tonamikousen   2011年06月22日 11:53
toshi先生のように、生徒に負担をかけないように、がんばらせなくても わかる喜びを与えたいと教材研究に励む先生ばかりなら問題ないのですが、
実際に採用されている先生の多くは、ここのような教育ブログを読むことも論争する事もなく、自分の指導力のなさに悩む事もなく、過ごされてる気がします。

なので、ゆとり云々教科書論争して下さる先生がいることに、逆にホッとしています決め手は教科書のページ数じゃなくて、先生の意欲・情熱・指導力だとわかってらっしゃると思うからです。

うちに避難してた親子で、秋田の教育は厳しすぎる・古すぎると、今度は仙台に転校した方がいます。「福島では、教科書をここまで進んだと証拠を残す為?のプリントを毎日大量に渡し、実際は授業中の説明はほとんどなかったのよ」と愚痴ってました。どうも、たまたまドリルぜめの先生にあたったようです。

結局どこの県に移動しても、どのような指導力のある先生に担任されるかは運だと思うので家庭学習しっかりやらせて、人のせい(学校とか先生とか)にしない親にならねばなと、再確認しました。

どうぞ先生方も発奮なさってくださいますように
6. Posted by minami   2011年06月22日 12:55
toshi先生こんにちは。
新しい教科書に関する先生のお考え、確かに「丁寧すぎる」ということは、私もそう思います。
私が十数年前の小中学生の頃、教科書は本当に薄くて、授業で教科書を使用しない先生もたくさんいました。自作のプリントや問題集や・・・「教科書って何のために持っているの?」と思っていました。
数学の教科書は、問題演習の答えが書かれていなかったり、答えはあっても解説がなかったり、と本当に不親切だなぁと子ども心に感じた覚えがあります。
おそらく、当時の先生方は「教科書には大切なことが載っていない」「教科書は導入にしか使えない」と思っていたのではないかな?と思います。

もちろん、授業で力をつけていくことは大切ですが、塾に通っていない子どもにとっては、「もっと先に進みたい!」「次は何の勉強をするんだろう?」「ここは苦手だから自分で勉強してみようかな」と思ったときに、頼りになるのは教科書です。その教科書の内容が増えたことは、私は歓迎すべきことだと思います。興味をもてなければ、薄くたって厚くたって同じなのですから。
教科書が厚すぎる、教える内容が多すぎる、と嘆き、「全てを教えなくてはいけない」と考えて内容精選を怠るのは、それこそ「教師が楽をしている」ということなのではないかな、と思ってしまいます。
もちろん、個々を見れば、先生の取り上げたケーキの話題や古典など、それってどうなの?と感じるところはたくさんありますが・・・。
少し、反論があったので、僭越ながら、コメントさせていただきました。
7. Posted by toshi   2011年06月23日 04:33
今日さん
《漢字だって、GWまでに学年の全部を指導するというのもあります。》
 ええっ。ほんとうですか。『教え込みも極まれり。』といった感じですね。わたしが初任時代勤めた学校のように、中学受験推進校(?)なのでしょうか。子どもがかわいそうです。
 というより、今という時代、こんな指導(?)をしたら、子どもが荒れはしないかと心配になります。
《研究が、新教科書で採用されるようにもなってきています。》
 ああ。それは逆にいい動きですね。わたし、今、ほんの数人の取り出し指導にも携わっているのですが、貴研究をおおいに参考にさせていただいています。ありがとうございます。

 
8. Posted by toshi   2011年06月23日 05:12
tonamikousenさん
 そう。そう。おっしゃるように、重さの問題もありますよね。中学校は来年度から教科書が変わります。そうなると、もっと重くなるのではないでしょうか。うわあ。大変だ。
 そう言えば、小学校でも、これまで上下に分かれていたものが一冊になったものもあり、それはかなり重くなっています。
《家での予復習に必要な物だけ持ち帰るのはだめなのかなぁ?》
 当たり前ではないですか。保護者が要望したらどうですか。
 というより、子どもを信頼していない証拠ですね。そんなの自由でいいではないですか。それより、『学習することが楽しい。』という思いを抱かせる指導をすべきです。

 tonamikousenさんの思いについては、もっと読みごたえのある教科書、厚い教科書にしたとしても、本を読まない子、読解できない子にとっては、食傷気味になるだけだと思いますよ。物足りない子にとってはいいでしょうけれどね。
 それより、繰り返しますが、『学習することが楽しい。』という思いを抱かせる指導をすべきです。
 そう。だからこそ、教員の現場における研究が大事なのです。子どもが意欲的に学ぶようになる指導法を身につけなければなりません。
9. Posted by toshi   2011年06月23日 05:28
 そう。どんな仕事だって、給料をもらっている以上、それを当然としていると思いますが、こと、教員に限っては、そこのところが、いい加減にされてきてしまったようです。

《私は授業参観の時、全クラス回ります。》
 すごい。てごわいなあ。そう。そうすれば、学校としての取組、熱意等、分かりますものね。
 tonamikousenさんがおっしゃる具体的姿の数々には、もう、苦笑いでした。わたしもかつて我が娘の授業参観のときは、そのように動きましたよ。親が見てて飽きる授業というものは、子どももだいたい飽きているものです。

《秋田の教育は厳しすぎる。》とのこと。
 しかし、わたしが担当した初任者のなかにも、秋田出身者は数人いますけれど、そして、秋田の教育について聞いたこともあるけれど、そういう印象は受けていないですね。
 どうでしょう。やはり、たまたまそういう学校、そういう教員に巡り合ってしまったということではないでしょうか。よくは分かりませんけどね。
《家庭学習しっかりやらせて、人のせい(学校とか先生とか)にしない親にならねばなと、再確認しました。》
 はい。わたしも、娘二人には似たようなことを言っています。子どもが意欲的に学ぶかどうかは、第一義的には、やはり家庭教育だろうと思うからです。
《どうぞ先生方も発奮なさってくださいますように》
 ありがとうございます。エールを送ってくださったと受け止めます。子どもも初任者も伸びていきますように。それが明日の日本の建設につながりますものね。

10. Posted by toshi   2011年06月23日 05:40
minamiさん
 そう。minamiさんがおっしゃることはよく分かりますし、全面的に賛成です。教科書が正しくつかわれるなら、厚さなど全然こだわりません。むしろ、minamiさんがおっしゃるように厚い方がいいでしょうね。
 問題なのは、どういう理由で厚くなったのかといった部分です。具体的には、世間が公教育に期待するもの、そして、教員の指導力です。
 記事にも書きましたが、かつて公教育をめぐって起きた様々な問題、それが再燃しなければいいがという思いには切なるものがあります。
 『教科書を使わない教員』ということについては、それだけでは何とも言えません。自作の問題集やプリントとおっしゃっても同様です。熱意は伝わってきますが、問題なのはやはり中身ですよね。
11. Posted by tonamikousen   2011年06月23日 12:08
参考になれば。今回の震災。避難で犠牲になった牛の写真です。

http://blog.livedoor.jp/ukedo311/archives/3595942.html?1308645625#comment-form

ゆとり教育がなくなると、こういう時事問題を考える時間、自分とはとりあえず関係ないと思われる人や生き物を思いやる機会も なくなるのでしょうね。

盛岡や仙台では、とてもそんなことをするように見えない女の子から声を掛けられたと、出張から帰って来た知人が言ってました。義援金の配分が遅れ、生活費にことかき、真っ先に収入源となるのは・・・夜の街に繰り出せる女の子。
何てことでしょう。21世紀の日本なんですよ、ここは。toshi先生のブログを読んでくれる先生なら、心ある人だと信じて お願いします。
外側から発信してマスコミや行政の襟を正して下さい。
12. Posted by tonamikousen   2011年06月23日 15:46
失礼しました。上のアドレスでは飛べませんでした。

『東日本大震災・浪江町請戸の災害者応援Blog』
で検索お願いします。
6月17日の記事です。

13. Posted by 今年採用試験を受ける通りすがり   2011年06月24日 00:47
こんにちは!いつも勉強のために読んでいます。自分は中学の数学専攻ですが、新学習指導要領でかなりいろいろ変化があり、もっと勉強しなくてはと思います。しかし、この内容が増えるのは賛成です。数学はより知識があればあるほど、論理は組み立てやすくより簡単にできます。問題はこの知識をどのように提供していくかだと思います。(ぺーぺーが言ってもあれなのですが)知識を詰め込むことは大事だと思います。ただ、その詰め込み型が重要だなとブログやコメントから考えさせていただきました。また、みなさんがおっしゃっている「内容の精選」という考えは自分にはなく、現場からの目線でいい勉強になったと思います。自分も問題解決学習を通しての児童生徒の自分で考える力はとても重要だと感じています。(そういう授業でないとおもしろくないだろうという理由で)
最後に、このサイトに来ると自分にはない教育の価値に出会えるので更新が楽しみです^^これからも更新お願いします!

14. Posted by toshi   2011年06月24日 08:05
tonamikousenさん
 すごくおぞましい写真。人間ていうものは、こんなひどいことをしてしまうのかと、かつて、小5の教科書に、『人類は滅びるか。』という教材文が載っていたことがありますが、なにやら、それを予感させます。
 動物にこういう仕打ちをしてしまう人類。恐ろしくなります。日本人ということに限定して考えても、『〜供養』などと称して、生きとし生けるものを大切にしてきた日本人のよさは、どこへいってしまったのでしょう。
 日本人は、人の心といったものを忘れてしまいつつあるようです。だから、子どもも大切にしないのでしょう。
 ああ。心の復権の教育。がんばります。
 ありがとうございました。
15. Posted by toshi   2011年06月24日 08:22
今年採用試験を受ける通りすがりさん
 いつもご覧いただき、ありがとうございます。採用試験、もうすぐですね。無事合格、採用を祈念しています。
《問題はこの知識をどのように提供していくかだと思います。》
《その詰め込み型が重要だな。》
 そうです。まさにその通りなのです。ですから、日本全体を見たとき、これが正しい方向なら、わたしも厚い教科書賛成ですよ。
 つまり、記事には、(教員による精選と書きましたが、)この究極は、子どもが取捨選択する力を身につけるということです。取捨選択力を身につけるためなら、内容豊富な教科書の方がいいですものね。
 しかし、種々要因により、全部網羅的にこなそうとする日本の現状だと思いますので、反対しています。
 このあたり、かつて全国学力調査をめぐり数回記事にしましたが、そのことと似通っているなと自分で思いました。
《自分も問題解決学習を通しての児童生徒の自分で考える力はとても重要だと感じています。(そういう授業でないとおもしろくないだろうという理由で)》
 この場合、『おもしろい』というのはかなり重要です。分かり合える充実感、精一杯表現できる満足感、そういったものを含んでいますね。
 通りすがりさん(仮名でいいので、お名前を教えてくださったらうれしく思います。)が、できれば小学校を目指してくれたらうれしいのですが、今さら無理でしょうね。
16. Posted by かげちゃん   2011年08月13日 01:02
「ゆとり教育」は弊害しかもたらしませんでした。

現在若い大学院の院生と机を並べていますが、国史専攻なのに高校で「漢文」を履修していない学生が山ほどいます。

歴史以外の一般教養で「日本史概説」の授業をしている若手の講師がはっきり言っていました。

「漢字の書き取りと作文からやらせなければだめですね。」その通りです。

次代を担う若者の学力を奪った「ゆとり教育」、許せません。
17. Posted by toshi   2011年08月13日 07:49
かげちゃんさん
 ゆとり教育のもとでも、わたしたちは、漢字や作文の学習を大事にしてきました。ただどういう内容の作文かは変わりましたけれどね。わたしはそれを批判しました。
 かげちゃんさんがたびたび指摘される問題点。それはゆとり教育とは別な問題だと思います。それは、現代の無縁社会、成熟社会といわれる時代の産物でしょう。一般的に脱ゆとりと言われる今、今後、かげちゃんさんが指摘されるような問題がなくなっていくか、注視したいと思います。
 真のゆとり教育とは、本コメント2に書きましたように、かげちゃんさんが《すばらしい実践》とおっしゃってくださった、それこそが当てはまるものです。 

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