2011年07月23日

1年生との濃密な時間!!(2)

anzen 前記事の、『1年生との濃密な時間!!』に、rusieさん、みーやママさん、マサさんから心温まるコメントをいただいた。

 ありがとうございました。

 最初いただいたrusieさんからのコメントには驚かされた。そして、申し訳ない思いになった。
 と言うのは、rusieさんは、何と、先に、『 1年生の子供達との濃密な時間』なる記事を書かれていらしたのだね。
 ほんとうに驚いた。なんか著作権を侵害したかのような思いになった。どうもすみません。

 それなのに、拙ブログ記事にトラックバックしてくださり、さらに、『タイトルを見て,ああ私と同じことばで・・・とうれしくなってしまいました。1年生との時間は濃密ということばがぴったりですよね。私も1学期間の,子どもの変化,成長を感じていたところでした。〜。』というように、共感の声をお寄せくださった。
 感謝してもしきれない思いがしている。

 そして、次のみーやママさんは、『私も、教員を辞める前に また、一年担任やりたいな、そう思います。今年も希望していたけれど、なれませんでした。いつかできるかな。〜。』なるコメントをくださった。

 このコメントを拝読し、思い出したことがある。
 わたしは、1年生を4回担任している。しかし、初めて担任したのは39歳のときで、我が次女が小学校に入学した年だった。
 それまでは何回も希望を出したけれど、ついぞ担任にさせてもらうことはなかった。そのなかでも、特に思い出深いのは、最初に希望を出した教員4年目。まだ28歳のときだ。そのとき、校長に言われた言葉が忘れられない。
 「toshiが一年生希望か。まあ、無理だな。一年生の担任に独身の男は無理だよ。女性は別だがね。まあ、男の場合は、結婚して子育てもして、それからだな。」
 まあ、現代なら問題にされかねない言葉をいただいたのだった。

 しかし、後年、思った。
 これは、この校長の本意ではなかっただろう。民主主義教育を実践推進していた偉大な校長だったもの。
 ほんとうに言いたかったのは、『toshiのような、がさつで細かいところまで思いの行き届かない、そんな若者には無理だ。』ということではなかったか。
 まあ、子どもたちは、熱血先生と言ってくれたが、猪突猛進、自分の想いを強く打ち出す学級経営だったからね。
 そうした想いをオブラードで包んだのではなかったか。そう思うようになった。

 後年、恥ずかしいことだが、子どもの反抗にあうといった、きびしい修業時代を経て、自分自身を変えることができた
 そう。この修業時代がなかったら、たとえ1年生を担任したとしても、詳細は後で申し上げるが、とても、『濃密な時間』を創ることはできなかっただろう。さらには、今、こうして初任者指導に携わることもなかったのではあるまいか。

 ああ。そうだ。みーやママさんは子育てまっただなかのお母さんでいらっしゃるし、それに、すでに1年生担任の経験はおありだから、近い将来、希望はかなうのではないか。そうしたら、やはり濃密な時間を創られることだろう。
 ご奮闘を祈ります。

 
 そして、強い印象を残したのが、次にコメントをくださったマサさんだ。
『〜。退職された先生ならではの温かいまなざしに、我々現役組は、いかに穏やかさに欠けているか、そして、見えているはずのものが見えていないかを感じました。〜。』とあった。
どうして。どうして。マサさんのブログを拝読するに、同氏こそ、おだやかで、教育を楽しんでいらっしゃるようにお見受けした。
 
 同氏ブログに、おもしろい造語があった。いいなあと思った。それをご紹介させていただこう。
 “enjocation”
 何と何の造語だか分りますか。 正解は、マサさんのブログをご覧ください。

 特に、思わず、共感の笑みをうかべてしまったのだが、マサさんの次なる記事だ。
    『丑の日 うまいうなぎ』
 いやあ。マサさん。ごめんなさい。こんなところまで引用させていただくことをお許しください。
 それは、《娘をだっこしながら食べるうなぎは、結局、最高なのさ〜》なる文章だ。これはもう、うなぎは別としても、かつてのわたし自身の実感でもあった。涙が出るくらいなつかしい思い出になる。もう、あの日が返ってくることはないものね。

 そして、子育て中は、常に、そう、常にだ。娘2人がいくつになっても、『今が一番娘ざかり。一番いい時期。』と思うようにしてきた。自己暗示にかけてきた。そうすると、実際、そう思えるようになってきた。
 今は、それが、孫に乗り移っている。
 でも、孫はいずれも男の子。『息子ざかり』などという言葉はないのだよね。こまった。

 と、まあ、冗談はこのくらいにして、明らかに言えることがある。
 それは、子育て中の、そうした自分を認識すると、学級の子どもたちへの想いも、変わってきたのである。『みんな、どの子も、親の愛情を一身に受けて育ってきている。』そうした実感をもてるようになった。
koutuanzen
 そうすると、たとえば、給食でよそいにくいスープ類をよそうとき、低学年のときはわたしがやることが多かったが、その後、高学年を担任しても、どうしても自分でやってやりたくなってしまうのだった。
「先生。そんなのいいよ。自分たちでやるから。先生はすわって待っててよ。」
そんなふうに子どもから言われ、ハッとして学級担任である自分に戻り、
「そうかあ。じゃあ、たのむわ。」
などと言いながら、子どもにお願いするようになったのだった。

 そして、冒頭の、初任時代の校長の言葉、『独身の男には無理だ。』という言葉を思い出すのだった。この校長の言葉通りだったなと思いながら。

 ここですみません。ちょっと本文から離れ、お断りしておきたいことがある。

 それは、以上はあくまで、《わたし自身の述懐にすぎない》ということだ。これを一般化されてはこまる。教員には独身者、子育て未経験者がいくらもいるだろう。『彼ら、彼女らはそうした愛情はもつことができない。』などといったら、それは言い過ぎというものだ。また、逆もしかり。このことは特に注記しておきたい。


 さて、話は戻って、初めて1年生を受け持つことになった、39歳のときのことだ。
 その担任発表のときのことを、2つ思い出す。

・一つは、校長先生から、『1年〇組 toshi先生。』と発表があったとき、職員室に、驚きの声、続いて、笑い声が起きたことだ。ああ。そのくらい、教員の皆さんには違和感があったということだろうね。『toshiは高学年』というイメージが恐ろしく強かったようだ。
 現にこの時点では、『5年6回、6年5回、4年2回、3年1回、1・2年なし』という状況で、しかも、そのときは6年担任だったから、まあ、驚かれたり笑われたりしたのもやむをえないことだったか。
 『よし。自分の次女も小学校に入学したことだし、がんばるぞ。』そう思ったものだった。

・もう一つは、その担任発表の後で、自分より10歳も若い教員から言われた言葉が、忘れられない。この教員は、すでに1年生を数回経験していた。

 なお、このことはすでに過去記事に書いたことがあります。それを再掲させていただきます。

 「toshi先生。1年生だからって、軽くみちゃあダメよ。『どうせ、1年生なんてこのくらい。』そう思ったら、その程度にしか育たないわ。でも、『どこまで育つか、楽しみ。よし、やってやろう。』って思ってやれば、はかり知れないくらい力を発揮するようになるのよ。」

 ほんとうにその通りだった。

 再掲は以上だ。


 それでは、ここで、わたしがかつて1年生担任だったときの、《濃密な時間》を、学級経営の記録から紹介させていただこう。毎週つけていた。なお、これは、12月24日。2学期終業式の日のものだ。


・Aが転校することになった。21日土曜日(※ああ。まだ、学校5日制以前の話だね。)、急きょお別れ会をすることになった。このお別れ会の持ち方を話し合ったとき、うれしいことがあった。子どもから、『プレゼントをしよう。』という意見が出た。ところが、この、《プレゼント》。子どものなかに二通りの考えがあったのだ。
 一つは、転校するA君へのプレゼント、もう一つはクリスマスの時期だからということで、みんなでプレゼント交換をしよう』という意味だった。
 わたしがその違いを指摘したら、Bが言う。
「いいじゃん。2つ作って両方やれば。」
 衆議一決。みんな大賛成だ。うれしくなった。
 わたしは話し合いの後、みんなをほめた。
「すごいね。わたしは、2つの考えのうちどちらになるかなと思って言ったのだ。それなのに、両方ともやっちゃおうなんて、みんなが2つ作ってくることになるのだものね。大変だけれど、みんな、『がんばって2つ作るぞ。』っていう気持ちが顔に出てるよ。」

・Bは、それだけではなかった。実際には3個作ってきた。まだ、他にも、そういう子が数人いた。後で聞いたら、『忘れる友達がいるかもしれない。もし、みんな忘れなかったら、Aちゃんに2つあげればいい。』と思って作ったとのことだった。同趣旨のことを親から促された子もいたようだ。

・たまたま、ちゃちなものがCにあたってしまった。
「ちぇっ。こんなの。」
 確かにわたしが見てもおそまつだった。そのとき、Bが
「じゃあ、わたしの、あげる。」
3つ目のプレゼントを快くCに上げていた。

・いす取りゲームをやった。なんと、転校するAが優勝だ。みんなから大きな拍手をもらった。Aも、『やったあ。』とばかり、何度もガッツポーズ。
 フルーツバスケットでは、少し混乱があった。わたしが何度も面倒をみた一学期のようにはしなかったからだ。
Dが言う。
「先生が決めるんだよ。バナナとかイチゴとかリンゴとか、早く決めてよ。」
先生が決めるのが当然といった態度だった。
「いや。わたしは決めてやらないぞ。だって、ゲーム係がいるじゃないか。」
D、ポカンとした表情。
 ゲーム係はどうやって決めたらいいか、決めかねていた。一学期のわたしのやり方を覚えていたのだろう。Bが言う。
「一人ひとり頭にさわりながら、イチゴとかリンゴとか言ってまわればいいんだよ。」
 ゲーム係のEがその通りやってゲームが始まった。EがBの言うことをこんなに素直に聞くとは。うれしかった。

・Aへのプレゼントわたし。最初のFが言葉を添えて渡したものだから、みんな、一言、二言、言って渡していた。別れとは感慨深いものがあるようだ。Aが涙ぐむ場面もあった。

・国語の『たぬきの糸車』と、『文集G(学校名と同じ)』にのせる作文のなかに、すばらしいものがあった。
 前者ではHだ。Hは読みのテストでは〇〇点しかとれなかったから、通信票の読解の欄には、『△』をつけていた。
 しかし、『たぬきの糸車』の授業では、次のような発言をした。最後に出てくる、『うれしくてたまらないと いうように、ぴょんぴょこ おどりながら かえって』いったたぬきの気持ちを想像していたときの発言だ。
 「たぬきは、毎日毎日いたずらばかりしてたでしょう。それで、わなにかけられたけど、おかみさんが逃がしてくれたからね。そのお礼に、糸車をまわしたの。
 おかみさんは、たぬきがまわしているのを見ててくれたでしょう。それがたぬきに分かったからね。お礼ができたと思ってうれしくなったの。」
 すばらしいではないか。テストの点数が悪いからと、△をつけたのが恥ずかしくなった。通信票の『△』は取り消すことにした。
ahirunooyako
・Hの発言より前のことだが、Jが、すばらしい学習問題を提起した。
「たぬきはどうして糸車をまわせるのだろう。」
この問題で、話し合いが活発になった。
「たぬきは毎日、毎日、おかみさんがまわしているのをようく見ていたから。」
「お礼をしようと思ったから。」
 そうしたなかで、Kの発言だ。
「キーカラカラ、キークルクルっていう音をようく聞いて、そういう音がするようにまわしたからまわせたんだよ。」
 たぬきが音をようく聞いていたという描写は、お話にはない。《たぬきは、つむぎおわると、こんどは、いつも おかみさんがして いた とおりに、たばねて わきに つみかさねました。》という文章はあるが、これもやはり、よく見ていたということだろう。
 それだけに、すばらしい発言と思った。
 よく五感を使ってというが、Kは、目だけでなく耳にも着目したことになる。ほんとうにすばらしい。心で深く感じ取っている。
 いろいろ話し合った後で、Jに聞いた。
「さあ。みんなの発言を聞いて、Jさんはどのように思ったかな。」
すると、Jが応える。
「ぼくはね。今、たぬきが糸車をまわすまねって、どんなふうに動いているのか、さっきから考えているの。」
 これもすばらしいと思った。どんな動きか聞くと、《ただ今、想像中》という意味の答えだったが、実感的な追求態度を感じた。

・校内文集では、EとLがすばらしい作文を書いた。生活科でいうところの自己認識ができつつあるのを感じた。自分自身の変容をテーマにしていた。そして、それを自己実現に結び付けていた。Eには自己肯定感を感じた。
 Lは、水泳への自信をつづった。上達する自分への自信。さらに言えば、『生き抜く自信と喜び』。そんなものを感じた。
 文章表現は1年生らしいものだが、表現しようとしている中身は高学年に近いなと思った。
 生活科でいう自己認識。『自分で自分を客観視する力』といったらいいだろうか。大人でもむずかしいとされる場合があるが、子どもは柔軟だからこそ、ねらっていけるのではないかと思う。
 最近、自分の学級の子どもたちをみていて思う。『いやなものはいや。』では、こまることがある。『いやだけれどがんばる。』そういう心を持てたとき、幸せが保障されるのではないか。特にEの変容、成長からそれを感じる。C、M、Nからも感じる。

・もう一つ。『いやだけれど、言えない。』ということがある。内気で引っ込み思案な子には、積極性を身につけてほしいと思って努力してきた。幸い、K、P、Q、Rらが、けっこう積極的になってきた。とても明るく生き生きと生活するようになってきている。
 特に、Pでは、うれしい場面をみた。
「何するのよ。やめてよ。」
 あの、Bに強く言い返しているのを見たとき、『ああ。こんなふうに育つなら、我がクラスでいじめは起きないな。』という確信をもつことができた。

・いよいよ、最後の3学期を迎える。これからも学級集団つくりを一層心がけ、規律と和と向上心を育てていきたい。


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〇上記、記録のなかのHちゃんの発言。
 ねっ。『テストでは、真の学力は測れない。』その証明のようなものですね。
 もちろん、高学年においてもそれは言えること。一つの過去記事を紹介させていただきましょう。本記事とは直接関係ありませんが、楽しく読んでいただけると思うので、よろしかったらご覧ください。

    思考と知識と
 


rve83253 at 09:42│Comments(7)TrackBack(0)学級経営 | 指導観

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この記事へのコメント

1. Posted by S.-P. WEI (@sp_wei)   2011年07月28日 14:10
記事を拝読しました。
面白いことを書いてるブログもあって、感服しています。

突然ですが、うちは教育アプリを開発しています。
今度は算数のiPhoneアプリ作りました。

足し算の方はデモ版です。
http://itunes.apple.com/us/app/math-kid-free-addition/id440987747?mt=8&ls=1

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詳しいことはブログhttp://icewhale.com/で、よろしくお願いします。

ご参考になれば幸いです。

よろしくおねがいします。
宣伝失礼します。
2. Posted by みーやママ   2011年07月30日 09:41
ブログにまでのせていただいてありがとうございます。

私は、1年担任をまだ2回しかやったことがないんです。若い頃は、やりたくなかったんです。話が通じそうもないし、何かを作り上げることもできそうもないし…そんな風に思っていました。

初めて1年担任をさせていただいたのは、40を過ぎて母になってから・・でした。2年続けてさせていただきました。人数も少なく、特別な保護者の方もいらっしゃらなかったからかな、いい思い出が残っています。自分が作っていく・・ほかの学年にはない重さを感じました。

私は、できることなら50をめどで教員を辞めたいので、最後あと3年の中で1年担任を最後にできれば・・と思っています。が、足をかけた特別支援の立場を続けていくか、迷っています。今の学校にいたら、特別支援担任をやめられません。
「校長が離さないよ。異動できないよ。」
と言ってくれる人もいますが、自分はホントはどうしていきたいのか、それもわからなくなっています。

3. Posted by toshi   2011年07月30日 10:59
みーやママさん
 《話が通じそうもないし、》というのは、わたしも実感しています。今、初任者のクラスで過ごしているときも、そうした思いになります。ただ、今は、そうしたことになつかしさも感じていますけれどね。
 初めて1年生を担任したときのことです。子どもを帰して、委員会、クラブ活動など、高学年の子どもとふれ合うと、『うわあ。話が通じる。』と感動した覚えがあります。
《初めて1年担任をさせていただいたのは、40を過ぎて母になってから、》
 あらら。わたしとほぼ同じでしたね。失礼しました。
《自分が作っていく・・ほかの学年にはない重さを感じました。》
 そうですね。子どもは純真無垢、担任をたよる度合いも、上学年とは違います。何もかも受け止め、受け入れ、染まっていく感じです。重さと同時にこわさも感じたものでした。
《自分はホントはどうしていきたいのか、それもわからなくなっています。》
 いいのではないでしょうか。無理しなくて。自然体が。
 『時の流れに身を任せ』と言ってしまうと、なんか投げやり、無責任なニュアンスになるかと思いますが、そうではなく、積極的、前向きな気持ちで身を任せる気分になると、また、違った世界が開けてくるかなと思います。家庭の事情とか、勤務先のこととか、そのとき、そのときでいろいろあるでしょう。そうしたことに掉ささず、順応させる気分になると、気持ちが楽になるように思いました。
 ごめんなさい。勝手なことを申し述べました。
 ご多幸を祈ります。

 
4. Posted by ゆっこ   2011年07月30日 14:25
1年生♪ 私も自ら希望したと言う男の先生でした。
同窓会で招待されるのは1年生か卒業学年の先生が多いそうです。
それだけ印象深いのです。

夫も希望して1年生になったときは、毎日エプロンを替えて?はりきっていました。
5歳で方程式を解いたり、モーツァルトを弾く子が近所にいましたから、
仰るとおり、1年生の可能性に線引きしなかったのがよかったみたいです。
保育所の年長さんとして仕切ってきた子たちですから、何でもできるのです。

それが、「おはよおござあいまあす」と赤ちゃん扱いされるのですから、
やれやれと思ってる子も多いでしょうね。

あと、この記事とは関係ないのですが、質問です。
年次休暇の拒否を、校長はできるのですか?
3連休のなかびに校庭の土除去作業命令が出たり
免許更新講習と出張のなかびに新任式が入ったり
往復500キロの被災教師の年休を次々拒否する校長に驚いています。
自分は避難圏外に住み、勤務校も近いので、被災者の気持ちを思いやれないのではと
素人の私は思います。
それにしても、もうすぐ半年。いまだにパニック?
震災前の異動内容を変えずに8月1日付けで押し切った教委。
4ヶ月遅れの卒業式では、精神の病で出席できなかった教員親子が複数いたそうです。
5. Posted by ゆっこ   2011年07月30日 14:47
夏休み期間ぐらい、長距離移動が続く
なかびぐらい年休とって、体を休ませればいいのにと
傍から見て質問させていただきました。

で、肝心なことを聞き忘れました。
やっぱり「独身の時」と「わが子を育ててから」では
1年生担任は感覚が違いますか?

上の子は「習った漢字以外は書くな」と指導され、
下の子は「読めない子もいるからルビふって」と指導
どちらも独身でしたが、どうして違うのかなと思ったら
10年次研修で、老人施設を選んだ先生と、保育所を選んだ先生の差かなぁ?
6. Posted by toshi   2011年07月31日 01:06
ゆっこ様
 彼ら、彼女らは、今、20代後半です。やはり、ゆっこ様がおっしゃるように、6年生のときの担任とともに、よく声をかけてくれます。
 6年生担任以上に、子どもの成長には感慨無量なものがあります。
 我が地域に限らないと思いますが、『幼保小』という研究研修組織があります。
 そこでは、実際、『幼稚園、保育園で、年長さんはお兄さんお姉さんとして活躍しているのに、小学校一年生になると、また、あかちゃん扱いに戻ってしまう。』とよく話題になります。

 《年次休暇の拒否を、校長はできるのですか?》
 権利ですので拒否できません。校長の許可や承認は不要といわれているくらいです。ただし、校務に支障ありと判断した際には、行使する日時の変更をお願いするということになります。

 《「独身の時」と「わが子を育ててから」では
1年生担任は感覚が違いますか?》
 これは、ちょっと分かりませんね。記事にも書きましたように、あくまで個人的な述懐ですし、そして、わたし自身独身時代は、受け持っていませんのでね。 ただ、1年生を担任した後での高学年担任としてなら、独身時代の高学年担任とずいぶん気分が変わったことは、申し上げることができます。
 《「習った漢字以外は書くな」と指導》というのは、強権発動的指導であり、子どもの人権否定とも言えますね。先の年休拒否といい、許されないことです。
 
7. Posted by rusie   2011年08月01日 22:41
ブログに丁寧にのせていただいて,ありがとうございました。ちょっとはずかしいような思いで読みました。1年生との濃密な時間のなかみを,ちゃんと書いていなかったからかもしれません。
toshi先生のようにあたたかくやさしいまなざしで,子供達を見つめていたいといつも思っています。これからもよろしくお願いします。

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