2011年07月31日

福島原発事件に思う。

PAP_0064 福島原発事故から4か月余が経過した。
だんだん、『はたしてこれは事故だったのか。こんなにまでいい加減だったのなら、これは事件といっていいのではないか。』と思うようになった。
 問題解決能力なし、利権あり。そして、今さらながら、専門家でも分からないことが多いのに驚かされている。『トイレのないマンション』と揶揄されているが、このようなものを認め、推進し、また、たよってきた姿には、あ然とするしかない。

 それにしても、今になって不思議に思うことがある。

・わたしの子どものころ、米ソの核実験は、日常茶飯事だった。そして、その度に報道されたのは、風向きと風速から割り出し、『何日後には日本に放射能が到達しますから、気をつけてください。』なるニュースだった。
 だから、放射能と風向き、風速との切っても切れない関係は、子ども心にすごく焼き付けられたのである。
 そして、近年は、チェルノブイリの教訓だってあったはずだ。
 それだけに、事故(うん。津波に襲われたころは、確かに事故と思っていた。)直後、『何で同心円の避難地域なのだろう。』
 そう思った。
 やっぱりそうだった。同心円のおかしさは、わたしたちの子どものころだったら、子どもでも分かることだった。初歩の初歩ではないか。

・同じく子どもの頃、親からよく言われたことがある。
「雨が降ったら必ず傘をさすのよ。どんな小雨でもささなければだめ。放射能を含んだ雨なのだからね。」
 放射能の何だかも分からず、恐怖心だけは強くなっていった。

 しかし、それから50年。
 この2つの教訓は忘れ去られたのだろうか。つい最近になって、放射能を含んだわらが肉牛と絡んで、報道され出した。今となっては、なぜ、当初から問題視しなかったか。あきれるほかはない。
 こんな調子だと、7行上に書いた、『どんな小雨でも、傘をさすのよ。』も、これからマスコミ等で叫ばれるようになるのだろうか。こわいなあ。

 以上、わたし自身は当初から恐れていたことだった。しかし、いっこうにマスコミ等が指摘しないものだから、かつては遠方の核実験、今回は近くの原発事故といった違いがあることでもあり、『国や専門家が何も言わない以上、大丈夫なのかな。』と思うようになってしまった。だまされやすい性格だなあ。


 『ただちに健康に影響を与える数値ではない。』
 原発事件当初、国がよく言っていたことだった。ああ。こうしてだまされるのだね。そう思うと、核実験以前の太平洋戦争のことが思い出された。今回の原発事件とあまりにも似かよっている。

・当初、
「安全ですよ。」
「メルトダウンなんてありえません。」
政府、東電のそうした発表が続いたっけ。
 一方太平洋戦争のときは、
「日本は勝っています。敵空母や艦載機は壊滅状態です。」
そうした大本営発表が続いた。
 どちらも嘘八百だった。 そんな報道を信じている間に、だんだん危機(戦火)は近づいていった。
 ああ。今は、言論自由の民主主義の時代だというのに、なんということだ。

・原発事件の前もそうだ。
 国、電力会社は、『原発は安全です。』『原発は安価です。』『原発は地球にやさしいのです。』『原発による電力が日本経済を発展させているのです。』など、ものすごく宣伝していた。国民の大部分はそれを信じ込まされたといっていい。恥ずかしいことに、このわたしも信じてしまったクチだ。
 一方、太平洋戦争前夜も、『満蒙は日本の生命線』『大東亜共栄圏』『八紘一宇』などといって、国民を戦争に駆り立てた。

・わたしの小学生時代、亡母の忘れられない言葉がある。何度も言っていたっけ。
 「toshiが生まれたとき、わたしの母は、男子誕生をものすごく喜んだの。『将来は、兵隊さんになってお国のために役に立てるね。』ってね。当時は大部分の人が同じ思いだったわ。だから、教育の力ってこわいよね。そう信じ込まされちゃうのだもの。」
 
 原発もそうだ。わたしの現職時代から、豪華きわまりない原発副読本が、全国の小中学校に配られていた。そして、上記の宣伝を繰り返した。ああ。それをまともに受け取り子どもに教えていた学校も、全国には数多くあったのではないか。
 今、子どもたちは、こうした話を、どう受け止めているのだろう。
『ええっ。原発は安全って習ったのに。安いとも習ったよ。みんなうそだったの。』
ああ。恥ずかしい。
 かつては、『日本は神の国』を信じ込まされた。そして、今は、『原発安全神話』を信じ込まされてしまった。

・これだけの事故を起こしながら、責任体制が明確でなく、だれも責任をとろうとしない。

 震災発生前、野党の質問に、
「原発のことで、あれもこれも心配していたらきりがありません。ある程度のところで、割り切るしかないのです。」と答えていたえらい人がいる。
 その人は、今も、のほほんとして、
「原発廃止もけっこうです。しかし、そのとき、日本経済はどうなっているのでしょう。」
などとおどしをかけている。
 あれだけの人の住めない町を目の当たりにして、何の反省、謝罪もないようだ。

 太平洋戦争のときもそうだった。『一億総ざんげ』とか言ってね。まるで、戦争は国民全体の責任と言わんばかりだった。そのようにして、政府、軍部の戦争責任追及をかわそうとした。

・一部に、危機感を抱き、原発に反対する科学者、市民もいた。しかし、彼らは、いろいろな弾圧を受け、異端児扱いされた。
 太平洋戦争当時も、きわめて少数ながら、時の政府、軍部に反対する声をあげた人もいた。代表的なのは、石橋湛山氏といっていいだろうか。戦後は首相にまで上りつめたが、病気に倒れ、『悲劇の宰相』と言われた。同氏のことをくわしく書いたWikipediaにリンクさせていただこう。
PAP_0042
・原発から半径二十キロ圏内は、当分人の住めない地域となった。大変な異常事態だ。その地域に住んでいた人たちは、憲法に定めるところの権利を蹂躙されている。居住の自由はない。職業もその多くが奪われた。猛烈な暑さ、寒さのなかでの生活を強いられている。復興の兆しもない。
 子どもは子どもで、転校を余儀なくされる。学校生活も不自由極まりない。外へ遊びにも出られない。家族はばらばらの生活を余儀なくされる。
 さらに、多くの国民にとっては、
 当初は水だけが騒がれたが、お茶、魚、そして、牛肉というように、消費生活の安全をおびやかされつつある。それに、冒頭述べた放射能の恐怖がくわわる。
 
 このように、未曽有の災禍に見舞われているのに、なぜ、日本国中、原発廃絶が圧倒的な声にならないのだろう。明日は我が身と思わないのだろうか。それは、たぶん、前述のように、『今、原発を廃絶すると、日本経済はえらい打撃を受ける。』という、その言葉におどされているからだろう。

 かつての日本がそうだった。巨大キャンペーンのもと、未曾有の戦争に突入していった。当時、反戦思想に耳をかすものはまったくといっていいほどいなかった。その結果、大惨害を受け、何もかも失い、命さえ失い、大変な代償を被ることになったのである。

 今また、その轍を踏むのではないか。それをおそれる。

 福島は地震発生確率がほぼ0に近かった。そこで今回の災禍が起きた。それなら、確率の高い全国各地は、近い将来、どこで起きても不思議ではない。そうなったら、もう、日本経済どころか、日本が壊滅するのではないか。

・ここまで書いて、小松左京氏の訃報を聞いた。本記事を書いている最中だったから驚いた。
 謹んで哀悼の意を表します。

 若いとき、同氏の『日本沈没』をむさぼるように読んだ。ありえない事態ではあるが、さもありそうな筆致で描かれる一行一行に、鬼気迫る思いがして一気に読んだっけ。
 その小松氏は語る。
「人間は、自然に対し、謙虚でなければならない。そして、災害発生時は、それを記録にとどめておく。その記録をもとに、生活防衛の対策を考えるようにする。」

 そうなのだ。

 人間は、地震、津波、火山の噴火等を、地球がもたらす災禍のようにしか受け止めていない。そして、それは確かに真実ではあるが・・・、
 しかし、こうした現象が地球上にもし起こらなかったら・・・、そう仮定したら、
 それは、大陸移動、地殻変動、それに伴う土地の隆起、沈下などがないことを意味し、
 その結果、地球は降雨による浸食作用のみとなり、長い間には、日本沈没どころか、地球上から大陸は消え去り海ばかりになるのではないか。

 こんな話聞いたこともないし、わたしはこういうことには素人だから、どこまで真実をついているかは分からないが、勝手に一人でそう思っている。

 もし、これが地学上の真実として言えるのなら、生物の頂点に立つ人間こそが、もっと自然に対し謙虚でなければならないだろう。そういう意味で、小松氏の主張に賛成だし、地震、津波、噴火活動からも間接的に恩恵を受けていると感じ、それと共存する道を探るべきだろう。

 やはり、原発には反対せざるを得ない。自然エネルギー利用が普及するよう、その手段を急いで開発すべきだし、原発なしでやっていける経済活動の範囲を模索するべきである。


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 最後の説は、どこまで真実をついているか、自信がありません。どなたか、その道の権威の方、教えてくださったら幸いです。
 ただし、このことに関しては、戦争とはまったく異なりますね。戦争と共存する必要はまったくないですものね。

 記事でもふれましたが、わたし自身、福島原発事件までは、原発のことを深く考えたことはありませんでした。正直、受け入れていたと思います。原発副読本が学校に送られてきても、その豪華さに、『すごい金を使っているな。』という意味での批判の気持ちはありましたが、送られてくること自体に疑問を抱くことはありませんでした。
jangle jim この子どもたちの未来を明るいものにする責任が、今の大人にはありますね。

 原発が安価というのもとんでもないことでした。国、東電の補償金は恐ろしいくらいの額になるでしょう。そして、その大部分は国民の負担となるわけです。
 もちろん、補償はしなければいけません。しかし、それには、推進してきたものたちの責任を問うことが前提としてなければならないでしょう。



rve83253 at 11:40│Comments(10)TrackBack(0)エッセイ | 環境教育

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この記事へのコメント

1. Posted by rusie   2011年08月01日 22:55
私も考えていました。戦争のこととも併せて。
さっきのニュースで,私の学校の給食に,放射能汚染の牛肉が使われていたということを知りました。
夏休み中ですが,どんな思いで保護者の方達は,このニュースを見たのだろうかと心配になりました。
知らなかったから,責任がないと言えるのでしょうか。原発の危険性は,私もしばしば感じていたけれど,何も行動はしていなかったし,知ろうともしていなかった。電気をつかうことについても,しっかり考えていなかった。オール電化にしていい気になっていたけれど,原子力発電の恩恵を受けていたのかもしれない・・・私達は考えることをやめてはいけないのだと思いました。じっくりと考えてみたいと思っています。
2. Posted by toshi   2011年08月02日 06:47
rusieさん
 記事に書き落しましたが、太平洋戦争当時、『日本は神の国だから絶対負けない。』と宣伝されたのですね。我が亡祖父は、わたしが小学生当時、『日本は今度の戦争で初めて負けたのだ。中国には勝っていたのだけれどね。』と、今思うと、戦前、戦中の気分そのままの感じでした。
 原発もそうなる可能性がありますね。神の国とは言っていなかったですけれど、『日本の原発は安全です。』と、今思えば、そんな根拠はまったくなかったのですね。信じ込まされていました。
 そしてこれからは、『原発なしでは、日本経済は破綻する。』を信じ込まそうとしているのではないでしょうか。

《知らなかったから,責任がないと言えるのでしょうか。》
 未来を生きる子どもたちに対しては、間違いなくありますね。しかし、推進してきた人たち、国民をだましてきた者たちの責任とは一線を画さないと、かつての、《一億総ざんげ》につながる危ない考え方になってしまうと思います。

 話は変わります。
 地球が誕生して46億年ですが、誕生してすぐ、まだ地球が火の玉だったときに生物の先祖も生まれたのだそうです。微生物です。それからずっと生物全体としては滅びることなく進化してきたので今のわたしたちが存在するわけですが、ただし、いつの時代も、生物体系の頂点にいるものは必ず滅んできたと聞いたことがあります。
 わたしはその理由が分かりませんでした。でも、今回の大震災と原発騒動で分かった気がしています。生物体系の頂点にいる生物は、ふだんは一番強いのですが、こと災害が発生すると、実は一番弱い生物なのではないでしょうか。
 そういう意味でも、生きることへの謙虚さ、自然への謙虚さが大切と思うようになりました。
 生物史はともかくとして、道徳で大切にされる『敬けん』は、しっかり子どもたちに考えさせたいと思うようになりました。
3. Posted by やまびこまま   2011年08月03日 15:17
戦後ははたして言論の自由、民主主義なのでしょうか。

四半世紀前ですが、公立中学校で職員室の片隅におりました際に原発に反対の意見を述べましたら「先生は私立に行かれたほうがいい」と教頭先生から注意されました。
私は当時、世の中の道理などまだなにも知らぬ青2才でしたが、それを機に、真実は自分で求めなくては知ることはできないのだと覚悟しました。公立学校の限界も見たような気がしたのをはっきりと覚えています。

当時中学生だった子ども達は今、働き盛りで子育て真っ最中でしょう。私は専科のために担任はしませんでしたが、彼らがどのような大人になったのかしらと、今、気になってしかたがありません。
4. Posted by toshi   2011年08月03日 16:15
やまびこままさん
 確かにそうですね。わたしも拙ブログにおいて、たぶんに、『民主主義はお題目にすぎないようだ。』とか、『日本の民主主義の危機』とか、書かせていただいています。
 特に原発関連では、ここ数日、やらせ問題とか、電力会社から政治家への献金だとか、ほんとうにみにくい姿が露呈しています。菅おろしの動きもこれと無縁ではないようです。
 そうしたなかで、我が地域は、比較的、自由に語れる環境だったように思います。そうした機運を少しでも全国に広げていくことができたらというのも、拙ブログの願いです。
 よろしくお願いします。
5. Posted by ゆっこ   2011年08月04日 10:44
やまびこままさん&toshi 先生、ありがとう

米軍が日本の教育力を恐れて諸悪の根源『戦後民主主義』を植えつけたと
昔、社会の先生から習いました。
ゆとり教育の真意を説こうとする先生が反発されるのも その名残かも

考える国民が育つのを好まぬ輩が国や企業のトップにいるようですね。
怖いことです。
toshi先生のような『命と自由と基礎学力定着』をバランスよく指導
してくださる教職員が増えることを心から祈っています
6. Posted by toshi   2011年08月04日 17:21
ゆっこさん
《米軍が日本の教育力を恐れて諸悪の根源『戦後民主主義』を植えつけたと、昔、社会の先生から習いました。》
 ううん。どうでしょうか。
 この場合の『戦後民主主義』とは、形だけの民主主義、心の伴わない民主主義を指していると思っていいのでしょうか。
 わたしも社会科を専門とするものですが、こと、教育施策に関する限り、戦後連合軍が植え付けようとした民主主義教育を、戦前並みの指導法に戻したのは、日本の為政者だったと思っています。そのあたり、過去記事がありますので、よろしかったらご覧ください。本コメントのtoshi欄にその記事のURLを貼りつけさせていただきました。
《考える国民が育つのを好まぬ輩が国や企業のトップにいるようですね。》
 はい。ですから、連合軍より日本人の方が、この点頑迷な輩が多いようです。トップだけではありません。一般国民のなかにも大勢いると思います。
《toshi先生のような『命と自由と基礎学力定着』をバランスよく指導してくださる教職員が増えることを心から祈っています。》
 ありがとうございます。基礎学力の定着も、考える力を養ってこそなのですが、ただ丸暗記を意味するかのような受け取り方も多いので、そうではないことを拙ブログを通し、主張していきたいと思っています。
 今後とも、よろしくお願いします。

 
7. Posted by ゆっこ   2011年08月05日 11:31
>教育施策に関する限り、戦後連合軍が植え付けようとした民主主義教育を、
>戦前並みの指導法に戻したのは、日本の為政者だったと思っています。

そうなんですか! いろんな角度から複数集めた情報で判断すべきですね。勉強になりました。

小国日本が世界に台頭できたのは教育力だと。
そういえばカンボジアもナチスも、独裁者が一番最初に処刑したのは医師や教師、知識階級でした。
やはり考える国民は邪魔なのでしょうか。

toshi先生の記事、まったり思い出&ぴりりと主張
交互に来るので楽しみです
8. Posted by 伊藤   2011年08月05日 13:03
報道管制を良いほうにとらえるならば、無用な混乱を招かずに済んだ、とも考えられます。
炉心溶融などがすぐに報道されるなら、今頃もっと混乱したのではとも思います。

世界で一番危ない立地に立っているのが日本です。
原発はアメリカ、フランスなどありますが、いずれも地震がないので今回のような事故もなかったでしょう。そのリスクに目をつぶってしまったこと、電力の思惑が国と電力会社が学者まで抱き込んでしまったことが大きな問題でしょう。
原発が悪いわけではなく、これは日本の特徴ということですが、悪いことがあるなら何も考えなくなってしまう。これが一番の問題です。
地震災害でもどうしても死者が出てくるのはやむを得ない、けれども、死者が出るだけで試算でも騒ぎ出す。核兵器、自衛隊でも同じでしょう。議論さえできないし、その選択肢を我々に託す政治家さえいない。

我々ができることは少なくとも教師はインテリな職業である以上、子どもたちに政治教育をして彼らが力を持つような政治を目指すしかないように思います。

我々が選択していないことでも声を上げなかった我々が最終的に責任を取らなくてはいけないと思います。
日本は完全に官というもの捨ててしまうのでは?と感じます。
9. Posted by toshi   2011年08月06日 08:59
伊藤さん
《炉心溶融などがすぐに報道されるなら、今頃もっと混乱したのではとも思います。》
 ううん。そうでしょうか。
 少なくとも、わらによる肉牛、そして、今はコメが問題となりそうですが、そうした騒動にはならなかったのではないでしょうか。
《世界で一番危ない立地に立っているのが日本です。》
 これはもうおっしゃる通りです。
《そのリスクに目をつぶってしまったこと、電力の思惑が国と電力会社が学者まで抱き込んでしまったことが大きな問題でしょう。》
そう。だからこそ、原発をとり巻く政治、独占していたことなども含め、原発が問題と思いますよ。
《悪いことがあるなら何も考えなくなってしまう。これが一番の問題です。》
《議論さえできないし、その選択肢を我々に託す政治家さえいない。》
 こと原発に関しては、反原発の動きを国や電力会社は押さえつけたようですね。また、考え合う前提となる資料の提供も、伊藤さんがおっしゃるように、実にいい加減でした。それで議論にもならないということがあったのでしょう。
 議論にならず、対立し合うだけというのは、あまりにもさびしいですね。
10. Posted by toshi   2011年08月06日 09:18
ゆっこさん
《やはり考える国民は邪魔なのでしょうか。》
 わたしも長くそう考えてきました。そして、今も、中国、北朝鮮などの姿勢からはそれを感じます。
 しかし、日本においては、国も企業も、考え方を変えつつあるように思います。(ただし、国も企業も、日本を代表するようなトップクラスになると?がつきます。)
 主に経済面ですが、世界は一つになりつつあります。一国の唯我独尊は通らなくなりつつあります。そうした中での上意下達式やり方は、世界から取り残されるだけになるでしょう。
 中国も近い将来それを悟るときがくるのではないかと思います。
 日本の変貌とトップクラスの?については、『日経社説シリーズ』に書かせていただきました。
 よろしくお願いします。

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