2011年08月22日

ひびき合う学校、学級、学習へ(2)

PAP_0071 本シリーズの2回目は、かつて(30年近く前)の我が勤務校の研究紀要から、道徳の授業をとり上げてみたい。

 ひびき合う学校、学級、学習をめざし取り組む道徳の授業は、ある講師に言わせると、『道徳的価値の押さえが弱いのではないか。』と批判されたが、学級経営との関連を重視しているということで、肯定的に受け止めてくださる講師の先生もいらした。
 あくまで週一時間の道徳の授業時間として授業をみるか、学校の全教育活動を通して行う道徳教育という立場からこの授業をみるか、その違いかなと、わたしたちは受け止めていた。

 この紀要の理論編をみると、次のような文言がある。

 
『〜。

 道徳の時間を充実させることは、子ども自身が自分の行動や自分の考え方や自分の生き方や自分の心をふりかえり、よりよい生き方を考えていく場とすることである。それには、この時間は学級経営に根ざして行われなければならない。28ある内容を順序よく教え押さえたとしても、それだけでは、本校のめざす心豊かな子の育成は図れないのである。
 また、道徳の時間で押さえたことが学級経営に反映されるようにすることが本校の道徳教育の充実につながるのである。このように道徳とは追い続けていかなければ定着するものではない。

 わたしたちは、これまでの道徳の時間をふりかえり、たてまえだけの道徳、おざなりの道徳の時間になっていたのではないかと反省した。ひびき合える道徳の学習にするためには、もっと子どもたちが本音を出し合い、ぶつけ合い、そこから生まれる価値葛藤を大事にし、その葛藤からより高次な価値に迫っていかれるような、そんな道徳の学習にしたいと願った。

 まず、研究は、道徳の28の内容と本校教育目標との関連を図ることから着手していった。本校の月別重点目標に沿えるように、28の内容を組み変えていった。これにより、学校月別重点目標と道徳の時間との関連が生まれることになった。そして、それは、学級における朝の会や終わりの会にも生きるようになった。
 ただし、これはあくまで基本であり、実践にあたっては自分の学級の実態に即し、順序やウエートのかけ方に違いがあってもいいこととした。

 〜。』


 それでは、次に、ある先輩A先生の授業の概略を、やはり同紀要から紹介させていただこう。A先生のことはすでに過去記事に書いたことがある。一つだけリンクさせていただくと、『あこがれの先生(1)』がある。わたしにとって、まさに恩師というにふさわしい、そういう先生だった。
 ただ、この先生の授業観は、微妙にわたしと違うところもあった。もちろん子どもの内面をよく把握し、子どもの想いを大事にした上での話だが、子どもを引っ張り上げようとするところはあった。  


 本実践は、3年生。6月に行われた。敬けん(資料「ひさの星」 斉藤隆介 作)の内容をとり上げた。紀要のタイトルには、『自分の経験を駆使して価値に迫る子どもたち』とある。
 また、「ひさの星」のお話は、HPにありました。今、リンクさせていただきましょう。

 なお、TはA先生の言葉、Cは子どもの発言である。ほとんど全員に近い子が発言している。また、発言できなかった数人の子も、一生懸命考えたり言おうとしたりしていたことは、その表情やしぐさなどから分かる。
 また、ときどき、授業記録を分断して、考察等を入れさせていただくが、◎は、紀要に示されたA先生の考察、※は、今、本紀要を読み返しての、わたしの想いである。


T1 今、一つのお話を先生が読みます。このお話には、ひさという女の子が登場します。ひさってどんな女の子かな。そんなことを想いながらお話を聞いてください。

 ◎まだまだ、人間の外面的なものに心をうばわれている子が多い。ただ少数ではあるが、精神的な部分に美しさを感じたり、あこがれの気持ちをもったりする子は出てきている。子どもの心を育てるためには、人間の内面をするどく見つめていかれる目を養いたいと思う。
 これまでも多くの物語文を学習してきたが、いずれもそのとらえ方は、行為の善悪によりどころを求めてきたようである。いまだ、心の美しさをとらえられた子は少ないようである。中学年になったばかりの子どもならば、それもごく自然な姿なのであろう。人の心の美しさを感じ取れる子こそ、わたしの目指す理想像である。

 道徳で扱う28の内容は、どれも大切である。しかし、敬けんと人類愛は、特に重要に思われてならない。人が人として正しく生きていくためには、人を愛せなければどうしようもないからである。
 愛に打算はない。報償を求めない行為を美しく思うのが一般であろう。この美しさにあこがれる心情こそ、道徳的世界を創り出していく源泉であろう。
 少しでもそこに近づこうとしたとき、ほんとうの意味での心の成長があるのだと思う。『心豊かな子』とは、そういう子を指しているのではないか。

 子どもたちの身近な話題を資料にしたとき、Bが言った。
「A先生。今日の道徳つまんなかったよ。もっとドーンと大きなお話で勉強しようよ。」
 心に残る資料を求めているのだろう。たまに、とんち話などを読んでやると、
「もっといいお話を聞かせて。」
という子も現れている。少しずつ美しいものへのあこがれの情が育ってきたのかもしれない。

※道徳は、自分たちの生活を振り返るところから入るのが、ふつうである。しかし、敬けんに限っては、いきなりお話から入る手法もありうる。
 なぜかというと、本授業の場合、お話を読む前に、たとえば、『みなさんは、人のどういうところに美しさを感じますか。または、あこがれますか。』などと発問してしまうと、『ひさの星』を読んだ後、《人の美しさ、あこがれ》をもつことを前提とした話し合いになってしまうおそれがある。
 そこに子どもの想いで迫ってほしいのだから、それはやはりさけたいことである。

 ちなみに、本時の目標は、
 『人の心の美しさに感動し、自分もそのような生き方をしようという心情を育てる。』
となっている。

 それでは授業の流れに戻ろう。

 お話を読み終わり、しばらく間をとって、

T2 ひさって、どんな女の子だと思いましたか。
 
C1 自分の命をかえて人を助けたから、すごい。犬の出てくるところもそうだけど、川に入って政吉を助けて、自分は死んじゃったから、すごくえらい。
C2 無口な女の子。着物をぬいでか着たままか分かんないけど、男の子を助けた。自分も助かれば、お父さんやお母さんは悲しまなかったけど、自分の命をなくしてまで人を助けたところがえらいと思う。
C3 ぼくは、政吉のお母さんは悪いと思う。わけも聞かず突き落としたなんて言ってひどいと思う。
C4 ひさは明るい感じの子じゃないけど、2回も小さい子を助けている。とってもいい人だと思う。
C5 ひさは、自分より人の方が大切。人のために、たった一つの命をつかってしまった。

T3 たった一つの命を捨てたひさをどう思いますか。

C6 テレビに出てくるウルトラマンのお母さんみたい。ワッと守ってくれるそれみたい。
C7 ひさは何も言葉をしゃべらない。黒い犬が赤ちゃんをおそったときも助けた。いろんな人を助けた。きっと友達がいっぱいほしかったんじゃないかな。
C8 C7君に似てる。おもては無口でうらはすごい。命はたった一つなのにたくさん人を助けている。このお話では2つのことしか書いてないけど、もっとほかでも助けてるんじゃない。
C9 犬にかまれそうになった赤ちゃんを助けて、家に帰ってお母さんに叱られても、言わなかったところが、すごくえらい。

T4 お母さんに叱られても何も言わないひさをどう思いますか。
PAP_0024
C10 静かな子だと思う。

T5 静かってどういう意味ですか。

C11 わけを話せばほめられるのに、ひさは自分はほめられなくてもいい。赤ちゃんがいい人になってくれればいいと思っていた。ひさはやさしいけど、心のなかもやさしい。大人じゃないのに人を助けて、お姉さんみたいな人だと思う。
C12 死んじゃったんだよ。かわいそうじゃん。ひさのお母さんだってかわいそうだ。
C13 ひさの心のなかに花が咲いているみたい。ビルの上から飛び降りたりして自殺する人がいるけど、あれは悪いと思う。ひさはいいことをして死んだ。かわいそうだと思う。
C6 さっき言い忘れたけど、黒い犬がミサイルで、ひさはお母さんだ。

T6 お母さんが自分の子を守るのはよく聞きますね。ひさが助けたのは。

※ここいら辺り。わたしなら発問せず、子どもたちのやり取りをもっと大事にする。そうすれば、C7の『友達がいっぱいほしかったんじゃないかな。』などは、いかにも今の子どもらしい(〜とは言っても、これは約30年前の授業だが、)思いだが、それに対しては、違和感を抱く発言も出るように思われる。
 今の子どもらしいと言えば、ウルトラマンとかミサイルとかいう言葉に象徴されるが、こうした発言もこの学校ではその子らしい意見として大切にされる。決して、《さげすみの笑い』の対象とはならない。だから、誰もが自由に思いを発表できるのだ。

C14 よその子。赤ちゃんも政吉もよその子だった。
T7 そういうひさをどう思いますか。
C15 わたしにはひさのようなことはできない。黒い犬などこわくて、向かっていけない。ひさはやっぱり小さいお母さんみたいに思う。
C16 わたしもひさのようにはできない。死んじゃうかもしれないような川はとてもこわい。
C17 ちびっこお母さんだ。
C18 自分のことはどうでもいい。人を大切にする人なんだ。
C19 ひさは兄弟がいなかったんじゃないかな。自分ひとりだけでかまってもらえなかったので、赤ちゃんや政吉を弟みたいに思っていたんだと思う。
C20 わたしは自分の妹がすごくかわいいと思っている。で、海みたい静かなところなら助けられるかもしれないけれど、ひさが飛び込んだような川だったら、いくら妹でも助けられない。ひさは、人を愛していたんだと思う。
C21 ひさははずかしがりやだと思う。自分からは友達になろうと言えない。助ければ友達ができて勇気ももてる。神様が勇気をひさに与えてくれる。いい人になれば勇気をもらえるから、一応やってみようと思ってやったんじゃないか。
C22 花咲き山の女の子とよく似てる。ひさのお花もきっと花咲き山に咲いたと思う。
C23 ひさは、ものすごく人を想う子だ。

T8 このお話に出てくる村の人の気持ちを考えてみよう。

※このTの投げかけは、唐突とは思わない。C22の『ひさのお花』は、お話のなかの『ひさの星』と共通するだろう。そこで、『敬けん』に迫れるタイミングと判断し、発した投げかけではなかったか。ただ惜しまれるのは、『ひさのお花』なる発言をもっと大事にしてほしかったと思う。そうすれば、この発問がなくても、自然に、村の人の気持ちに迫れたであろう。
 大先輩のA先生。すみません。

C24 赤ちゃんや政吉を助けて死んだ後、ひさの気持ちがやっと村の人に伝わった。空に出た星は、ひさの星だとわたしも思う。
C25 ひさと村の人は、糸で結ばれている。
C26 空に出たひさの星は、きっとどの星よりもきれいな星だっただろう。
C27 ひさのやさしい心が村の人に伝わった。だから、C26さんが言ったように、すごくきれいな星だったと思う。
C21 磁石のように村の人の心とひさの心がくっついたんだと思う。ひさの星はすごくきれい。これは神様が与えたんだと思う。
C28 いい心、美しい心は星になっていった。
C29 川のなかで政吉を助けたので、その星は川の上に出たんだ。 

T9 C12さん。どうですか。今も、ひさはかわいそうと思いますか。

C12 星になったひさは、空からお母さんやお父さん、それに、村の人を見ているから、いいなあと思うようになった。
C30 ひさは星になったから、お父さんやお母さんだけでなく、村の人にもずっと見ててもらえる。
C31 ひさは星になったから、いつも黙っていいことをしたんだけど、村の人はずっと覚えている。
C32 日本昔話によく似たお話がある。やっぱり自分の命を捨てて、川の水を止めたお話を知っている。

T10 そうね。図書室に本があると思うので、これからもたくさん読んでみましょう。


 授業記録の概略はここまでである。以下、同紀要に示されたA先生の想いを書かせていただく。


◎ 〜。

 子どもたちの感想はさまざまだった。
・自分の命を捨ててまで幼い子の命を救ったひさをえらいと思った子
・自分の善行を決してひけらかさないところにえらさを感じた子
・よく似たお話を思い出していた子、
・自分だったらどうするかと、我が身におきかえて考えていた子
 いずれも、ひさの生き方に感動した子である。

 C3のように、ひさの善行を知らずひさの母親に文句を言いに来た政吉の母親に怒りをぶつけている子もいた。ひさに味方するあまりに、政吉の母親が憎くなったのだろう。
 しかし、なかには、ひさの善行が理解できず、『友達がほしいから』と思った子も数人いた。
 T9の発問で、子どもの思考の流れは変わった。特に、C12は、当初、ひさはかわいそうと言っていたのが、そこから抜け出し、心の美しさを感じ取るようになった。

 ただかわいそうと思っていたのでは、人の美しい生き方にあこがれているとは言えないだろう。自分の立場を村人へおきかえたとき、それまで悲しみや怒り、にくしみの情までもっていた子どもたちは、次第に心安まっていったようである。そして、人間が求めてやまぬ美しい心への共鳴と憧憬の情へと変わっていった。その代表的な存在が、C12であった。
 C12は授業後、家で感想文を書いてきた。それを紹介して、本稿の終わりとしたい。(ここでは、読みやすさを考え、ひらがなを漢字におきかえて表記)

『〜。
 雨がやんで空に光る星のことを村の人たちは、「ひさの星だ。」と言った意味が分かりました。ひさが、たった一つの命をなくしてまでも、幼い男の子を助けた、やさしさの心が村の人たちに分かったのでしょう。あの、青白い星が、村の人にはひさの心のように思われたのだと思います。ひさをどこかに生かしておきたかったのでしょう。
 いいことをしているのに人に話さないひさ、いいことをしているのに叱られてしまうひさ、わたしはかわいそうでたまりませんでした。だけど、あの青白い星がひさの変身みたいなものだったら、村にいるお父さんやお母さんのことが見えるだろうから、とてもよかったなあと思えるようになりました。ひさは、今、星になって生きているんです。とっても美しい星になって。
 ひさは、わたしと同じくらいの歳の女の子かもしれません。わたしには、ひさがしたようなことは、とてもできそうにありません。でも、少しでもやさしい心の人になって、友達や妹に親切にしていこうと強く思いました。』

 
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※A先生が書かれる、『ひさの善行が理解できず、友達がほしいから』とした子は、やはり、自分の生活経験の反映として、発言したに違いありません。政吉の母親への怒り、憎しみの情にしても、同様でしょう。それは子どもらしい思いの表出と言っていいでしょう。

 ただ問題となるのは、いかにして、道徳的価値の獲得に至ったかといったところでしょうか。『ひびき合う学級、学習』としている以上、子ども同士のひびき合いによって獲得したと言えるようになってほしいもの。

 もちろん、本授業だって、子ども同士のひびき合いはふんだんにみられます。前の人の意見に耳を傾け、それを受けての深まりのある発言がたくさんみられます。しかし、T8はやや性急に過ぎたのではないでしょうか。繰り返しになりますが、その直前に、『ひさのお花』なる発言があっただけに、もっと子どもの脈絡を大事にすれば、真にひびき合う子どもたちの姿がみられただろうと惜しまれました。
 

rve83253 at 16:54│Comments(0)TrackBack(0)道徳指導 | 教員の指導力

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