2011年09月24日

学級経営補助教員と初任者指導教員と

PAP_00351 今、教員はいろいろなかたちで採用されている。むかしでは考えられなかったくらいバラエティに富んでいる。だから、一つの教室に教員が4人いるなどということもめずらしくない。これは現実にわたしが担当する初任者Aさんの1年生の教室で日常見られる姿だ。

 どんな教員が入っているのか。わたしがこの教室に入るのは週2日だが、その2日間を例にとると、
 わたしと担任以外に、学級経営補助教員のBさんと国際理解担当教員のCさんが入るのである。お二人とも、もうベテランといっていい方々だ。
  Bさんが入ってくるからといって、別に学級崩壊しているわけではない。低学年専属の学級経営補助教員ということで、個人指導を中心として適宜各教室をまわっている。

 また、この教室には両親が中国人と日本人という子どもが2人在籍している。そのうちの1人Dちゃんは小学校入学まで中国で暮らしていたので、日本語が達者でない。それでこちらは、週数時間来訪する時間を決めてCさんが入ることになる。

 昨年までもこうしたことがなかったわけではないが、4人の教員というのはめずらしい。先日は校長先生の教室訪問もあり、なんと大人5人が一教室にいる瞬間があった。『あらら。ふだんのふつうの授業なのに、教員が5人とはすごいな。』と感慨を覚えるときもあった。

 ところで、このBさんの仕事とわたしのそれとで、おもしろいことがあるのに気づいた。
 Bさんは教室に入るなり、積極的に子どもとかかわろうとする。熱心な教員だ。
「あら。Eちゃん。教科書が出てないじゃない。どうしたの。早く出しなさい。もう授業は始まっているわよ。」
といったぐあい。わたしはというと、そんなこまごまとしたことはいちいち言わない。
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 だって、そういう子がいたとしても、それに対しAさんがどう指導したか、あるいはしなかったか、それをみとって、放課後、『それじゃあいけないよ。〜のようにしないとね。』とか、『Fちゃんにこのように対応したのはよかったね。Fちゃん、うれしそうにしていたじゃないか。』などと話すのがわたしの職務なのだから、直接子どもに対応することは原則としてない。
 だから、この瞬間に保護者が見にきたとしたら、その保護者の目には、Bさんは熱心に仕事をしているがわたしは何もしていないとうつるのではないか。一生懸命メモはとっているがね。

 ああ。そうか。長く拙ブログをお読みいただいている読者の方はご理解いただいていると思うが、わたしが直接子どもとかかわる場面がないわけではない。それはおもに2種類ある。

・まず初任者がどう子どもとかかわっていいか分からなくなってしまった場合、これは、わたしが直接子どもとかかわるようにする。そして、わたしのかかわり方を初任者に見てもらって実地に学んでもらう。
 そうした例はいくつか過去記事に書いているが、今、一つだけ、リンクさせていただこう。
    トラブルの対応法

・もう一つ、初任者の研究・研修のために、わたしが直接授業を行うことがある。これも何度も掲載させていただいているが、ここでは一番むかしやった授業にリンクさせていただこう。4年生である。
    白いぼうし

 さて、話題を、『Bさんは熱心に仕事をしているが、わたしは何もしていない〜。』に戻させていただいて、

 一口で言って、Bさんの仕事とわたしのそれとは、矛盾し合う関係になることがある。Bさんが熱心であるがゆえに、わたしにとってはこまることがよく起きる。(Bさん。ごめんなさい。はっきり書いてしまって。あとで修正させていただきます。)

 なぜか。わたしは、初任者の指導力アップを職務としているわけだ。初任者がどう子どもとかかわるか、あるいはかかわっていないか、その辺をみとり、放課後話をしているわけだ。ところが、そうした場面でBさんがどんどん子どもにかかわってしまうから、Aさんはその分しなくてすんでしまう。そうなると、わたしはみとることができなくなる。
 『こんな場面は、初任者のAさんはどうかかわるかな。あるいはかかわれないかな。かかわれないならわたしが直接子どもにかかわりそれを見てもらうようにするのだが、』と思っても、その機会がへってしまうことになる。
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 だからと言ってねえ。学校体制がそうなっている以上、『わたしがくる日、Bさんは入ってこなくていいですよ。』というわけにもいかないし、
 それに、第一、今、目の前にいる子どもたち、またその保護者にとっては、Bさんの果たす役割は大きいと言わなければならない。感謝していることだって多々あるだろう。そう。だから、学級経営全般を見通した場合、断じて『こまる』などということはない。それがほんとうのところだ。

 今、目の前にいる子どもたちの成長。それを願うのは当たり前だ。それに対しわたしの場合は、それもないわけではないが、さらに大きな役割として初任者の成長という、巨視的な目でメリットをねらう立場にもある。その両者の相克関係といっていいだろうか。

 おもしろいもので、国際理解担当教員のCさんとはそういう関係になっていない。いくらDちゃんGちゃんが日本語にハンディがあるといっても、担任のAさんが直接それにかかりっきりになることはできないわけだし、
それに、Cさんの
「Dちゃんは、話している限りは日本語に不自由している感じはないのですが、教科書を読むとか書くとかいうことになると、やはりハンディがあるようで、個別指導を必要としているのですよね。」
「Gちゃんは、夏休みずっと中国で過ごしていたのですが、9月になって学校が始まったとたん、日本語を忘れてしまったようなんです。今はもう、大丈夫なようですがね。」
などという話は、初任者指導をする上でも大変役立つ情報である。

 そうであるなら、やはりBさんともできるだけCさん同様の関係になるよう、努力はしなければならない。
・そこで、初任者のAさんの授業場面をみながら、わたしが日ごろどのような指導をAさんにしているかや、教材研究のあり方などを積極的にBさんに話すようにしている。
・また、Bさんの子どもへの接し方はAさんも見ているわけだから、それをネタにして、『Bさんのここを模範としなければいけないね。』などと話すようにしている。
・さらには、そうしたかいがあって、最近はBさんも、わたしが不在のときの学級の様子などをベテラン教員の目で知らせてくれるようになった。

 そう。そんなわけで、できるだけ相克関係から共助関係にするべく努力している。


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 おもしろいことに、Bさんは、わたしが授業をしていると分かると、教室を出てしまいます。遠慮されているのでしょう。あるいは、個別な対応は必要ないと判断されるのかもしれません。それに対しCさんは、そういう場合でもやはり教室にいます。そして、日本語の不得意な子どもへの対応をしてくれています。
 そうなるのも、当然ですね。
 そして、以下のように授業評価もしてくださいます。
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 以前記事にした『しろいみ』の授業では終了後、Cさんは、
「toshi先生は、子どもの発言をすごく大切にされるのですね。だからでしょう。日ごろ問題行動の多い子が大活躍していました。どの子も張り切っていてすごい授業だったですね。もう、感動してしまいました。そして、勉強になりました。ありがとうございました。」
とおっしゃってくださいました。

 でも、つい先日やはりわたしが行った『ゆうだち』の授業では、ちょっと批判もされてしまいました。
「学習問題は、『二ひきはどうして手をつないで走りだしたのか。』でしたよね。それで、子どもたちは、『もう二ひきは仲直りしたから。』とか、『それはゆうだちが仲直りさせたのだ。』とか、『ゆうだちがやんであたりが明るくなったから気持ちも明るくなった。』とか言っていて、それらも大変いい意見だとは思いましたが、でも、toshi先生は、Hちゃんが言った、『早く遊びたいから。』は特にとり上げませんでしたよね。
 でも、わたしは、これが一番二ひきの気持ちとしてしっくりくるものではなかったかと思うのです。どうしてとり上げなかったのかなと思いました。」
「いやあ。そう言われてみれば、その通りですね。わたし、二ひきの気持ちの変化ばかりにとらわれてしまったようです。ほんとうにそうですね。ありがとうございます。」
 そんなやりとりをしました。

 そう。そう。Cさんの支援のおかげでしょう。この時間、DちゃんGちゃんともにしっかり発言することができました。

 最後に、実は今年度、特別に校長から依頼されて、わたしは初任者指導だけではなく、特別支援教育の補助教員も務めています。とは申してもいってみれば、ふつう級にいる学力面で遅れていると思われる子どもの個人指導です。いわば家庭教師の学校版とでもいいましょうか。こちらの方は、担任と報告、情報交換し合うシステムができています。したがって、もともと共助関係を築きやすくなっているといっていいでしょう。
 こちらは年間を通し毎週一日の勤務です。

rve83253 at 15:24│Comments(4)TrackBack(0)学級経営 | 初任者指導

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この記事へのコメント

1. Posted by ゆっこ   2011年09月25日 19:23
toshi先生の人柄が見えるようです♪
これなら安心!

わが子が通う小学校はTT導入で算数に力を入れていました。
担任が「S先生、これ押さえて下さい」と掲示物を広げました。
S先生は無視して机間巡視をはじめ、勝手にノート指導
私はとても見ていられなくなって、隣の教室に行きました。そこには普通学級にこだわる親の、重度障害がある子のために補助教員がついていました。他にも軽い情緒障害の子もいて、立ち歩きするので、補助の先生がたしなめようとしたら「それは私(担任)の仕事です」とキツイ一言

親としては、複数の先生の目があった方が 行き届いた指導をして頂ける気がしますが、先生方は王様。1人で王国を築きたいと願う人が多そうです。

どんな形態で教育が行われるのか 運しだいといった感じです。少なくとも子どもを巻き込まないように、子どもの前で「仲が悪いのね」と思われないような気遣いがほしいものです。

TTを組ませる校長のセンスも関係あるのかしら?
2. Posted by toshi   2011年09月25日 23:35
ゆっこさん
 それはひどい。教員以前の問題ですね。そうした醜い部分も子どもは見ているのです。そのまま負の教育になってしまっています。わたしたちは研究、研修が欠かせないのですが、こんなところから研修しなければならないなんて、ほんとうに情けなくなってしまいます。教員は子どもを相手にしているのですから、善意のかたまりでなければいけません。ほんとうに申し訳ないことです。
《TTを組ませる校長のセンスも関係あるのかしら?》
 うううん。もう人格に属する部分ですから、校長には関係ないと思いたいですがね。でも、どうなのでしょうか。
3. Posted by 伊藤   2011年09月29日 13:52
難しいところですよね。

自分も補助に入っていたとすると、手とり足とり教えてしまいます。
わからないから服をつかんで呼ばれて、答えを確認するんだけれども、わからない子は1から10まで教えていいのか、むしろ、わからない子の中にわかる子にも大切なものがあるような気がします。

やっぱりできない子にかかりっきりになると、できる子はさみしいでしょうし、担任の教え方もありますから難しいですよね。

4. Posted by toshi   2011年09月30日 00:20
伊藤さん
 いいえ。むずかしく考えないでください。補助に入る先生は、手取り足とりでいい場合が多いのではないでしょうか。もちろん、子どもの心を勘案しなければいけませんがね。
《やっぱりできない子にかかりっきりになると、できる子はさみしいでしょうし、〜。》
 こういうことを気にされる伊藤先生。すてきだなと思いました。でも、理解できていない子のために伊藤先生がいるのだということは、理解できているのではないかと思います。理解できている子には、ちょっと励ましや承認の言葉かけをしてやるくらいでもいいのではないでしょうか。

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