2011年10月07日

未来の保護者の皆さんへ

higanbana 我が勤務校の一つ、A小学校の事務吏員Bさんとは大の仲良しだ。話さない日はないといっていい。

 ある日そのBさんから、雑談とも相談ともつかぬ話をもちかけられた。いや。話している調子や表情からは、ちょっと考え込まれているのかなとも感じられた。新婚ほやほやの奥さんともよく話題にするらしい。

 いやあ。話を聞いているうちに、こういう悩みというか、不安な気持ちというか、そういう思いでいらっしゃる未来の保護者(?)の方はけっこういらっしゃるのではないかと思った。一口で言って、子どもをもうけることへの不安だ。
 『将来自分たちは、ちゃんと子育てできるのだろうか。』
その思いには、Bさんなりの根拠があるのだった。

 それでは、Bさんのお許しもいただいたので、話の概略を記させていただこう。

 「わたし自身は学校事務に携わっていますので、子どもとふれ合う機会は(一つの例外を除いて)あまりないのですが、一応学校に勤務していますから子どもの毎日の生活は見聞きするわけですね。
 まず先生方が、ご自分の学級の子どもの問題行動にどう対処したらいいかなど、職員室で話し合っているのをよく聞きます。また自分でも、廊下や校庭などで、子どものそうした言動を目の当たりにすることがあります。
 そして、自分も元来子どもは好きな方なので、直接ふれ合えるようなこともしてみたいと思い、最近地域のボランティア活動にも参加することにしました。

 そうすると、やっぱり子どもってかわいいばかりではないですね。何かというと反抗してくる子もいますし、わがままで自己中心的だったり話しかけてもまったく返答がなく何を考えているのか分からなかったり、また暴力的な子もいますし・・・、
 そういうのをみていると、子どもはほしいし子どもができれば子育てもがんばりたいとは思っているのですが、しかし、ほんとうにちゃんと育てられるのか、変にねじ曲がってしまうことはないのか、ものすごく不安になってしまうのです。」
とのことだった。

 わたしは、
 「そうですね。その不安は分かります。学校というところに勤めていると、いろいろな子どもの姿を目の当たりにしますものね。すばらしい子どもの言動を見て感動することもたくさんあると思うのですが、逆にびっくりしてしまうこともいろいろ起きる。そうするとどうしてもそっちの方が強く印象に残ってしまうのでしょう。
 しかしね。大丈夫ですよ。ちゃんとふつうに愛情をもって育てれば、何も不安になる必要はない。Bさんは子どもが好きで、子どもがほしいと思っていらっしゃるのですから、それなら、安心してお子さんをもうけることですね。」

 そうして、以下は自分がBさんに話した内容の概略になるが・・・、

 ごめんなさい。ちょっとそのまえにお断りしておきたいことがある。本記事もまた、過去記事へのリンクが多くなってしまう。そのことについてだが、特にふれさせていただくリンク先記事はぜひお読みいただきたい。本記事の内容と深くかかわっている。その他はお時間のある折にご覧いただけたらありがたい。

 それでは本論に戻って、

 今、いろいろな意味で、社会は二極分化しているのではないか。二極分化についての詳細は過去記事の『二極化現象を考える』に譲らせていただきたい。今ここでは、子育ての二極分化に限ってふれさせていただこうと思う。

 退職して7年。ずっと初任者指導に携わらせていただいているものの、勤務時間は短いから平日のまちをみる機会はものすごくふえたといっていい。
 そうすると、その親子にとってはごく平凡で飾り気のない無意識の世界なのだと思うが、いろいろな親子の姿をかいまみるようになった。そんななか、子育ての二極分化を感じてしまうことがよくあるのだ。気になる親子の姿、またそれとは逆に温かな親子のふれ合いをみる。

 たとえば、

・親だけがどんどん先を歩く。子どもは必死になって後をついていく。しかし、親子の間隔はあいていく。
「お母さん。待ってよう。」
子どもは泣きべそだ。そのうち、母親の叱り声。
「早く来なさい。」
すると子どもはほんとうに泣き出し、その場にしゃがみこんでしまった。しかし、母親はどんどん先へ行ってしまう。
・親のヒステリックな叫び声。何事かと思ってふり向くと、子どもに重たい荷物をもたせ、子どもはひいひい言っていることに対し怒っているのだった。
・かと思うと、まったく逆なケースも見る。子どものランドセル、袋類を全部親が持って、別な親と路上で楽しく談笑中。子どもは何も持たず身軽なまま、車の通行もおかまいなしに走り回っている。あれでよくひかれないものだとあきれてしまう。わたしがそのお子さんに『あぶないよ。〜。』と声をかけるが、親子とも我関せずといった感じだ。
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 こうした事例。一口にいえば、親の子ども化が進んでいるように思う。さらにいえば親の自己中心性となるかな。子どもが子どもを育てている感じだ。この辺、過去記事にも書いた。これもかなり問題ある事例だ。
 ある学校の校医さんの話。記事のなかほど、『1. 下町で医院を経営するお医者さんの話である。』からがそれにあたる。
    ショッキングな新聞報道を目にして
 
 ねっ。こうした子育てをしていて、子どもがまともに育つわけがない。物理的な虐待にまでは至らないまでも、心理的には虐待しているように思う。

 ああ。親のなげかわしい問題ばかりを書いてしまった。

 逆な事例も同じくらいみる。だから、なげかわしいばかりではない。
・我が家の前は坂とも階段ともつかぬ坂道(?)だが、親子で手を取り合いその手を楽しげに振りかざしながら、声をそろえて『1・2・3〜』と数えて登っていったり、何の歌だろう。わたしの知らない歌を歌いながら降りていったりする親子づれ。
・泣いている我が子に目線をそろえるためだろう。しゃがみこんでやさしく声をかけている親。そうしたら、
「いたいの、いたいの、とんでけえ!」
ああ、むかしはよく聞いたような気がするが、今もこの言葉は生きているのだね。わきを通り過ぎながらも、なんかすごくうれしい思いになった。
・幼稚園か保育園か、楽しかった出来事をうれしそうに親に話している子ども。母親もにこにこしながら我が子の話を聞いている。

 以上、街で見かける親子のふれ合いの二極分化だ。

 ここでちょっとお断りを。
 ここでは単に事例を挙げただけである。だから、この親はこういう親と決めつけたいわけではない。そんなことは分かるわけもないし、決めつけたところで何の意味もない。

 それでは話を戻させていただこう。
 こうした二極分化が目だつからこそ、『子どもがほしいと思い、子どもができれば子育てもがんばりたい。』と思っているBさんならば、何も不安を抱く必要もなく、安心してお子さんをもうけてほしい。そう思うのだ。
 そう。学校で、あるいはまちで、目につく子どもの問題行動の多くは、幼児期からの成育歴にかかわる。とはいっても、上記問題的事例がたまたまならば何も問題視することはない。また、あたたかなふれ合いが恒常化しているのであれば、いい親子関係が構築できるであろう。

 しかし、ごめんなさい。自分で書いておいてすぐ論旨を変えてしまうのが、わたしのいけないところかもしれないが、しかし、これには留意点がある。
 すぐ上で、『子どもがほしいと思い、子どもができれば子育てもがんばりたい。』と思っている親なら大丈夫と言ったが、

 ここで、冒頭、ぜひご覧いただきたいといった記事を紹介させていただきたい。ただしここからは、標題に加えて、現在の小学生の保護者の皆さんにも他人事でなくお読みいただければと思う。
    子育て、受難の時代か。
 
 そう。この記事で言いたかったことは、いくら子どもがかわいい、子ども大好き、子育てが生きがいといったって、親の唯我独尊で子育てしていたのではダメということだ。たとえ良かれと思ってやったとしても、肝心の子どもがどう感じているか、どう思っているのかが大事。せめてそれに気配りする親でありたい。そうなって初めて、『絶対大丈夫ですよ。』ということになる。

 ここでちょっと胸の痛む話にうつらせていただくが、わたしは、Bさんに言った。
「Bさんは学校にお勤めだから、『子どもの問題行動の原因が学校にあり。』といった例もあることは承知されていますよね。」
Bさんもうなずきながら苦笑いだ。

「わたしも娘2人を育てながらそうした経験はしているし、娘も今子育て中で、やはり同じ経験を余儀なくされたときもありました。
 でもね。そういうとき、教員としては『あの子の親はああなのだから、せめて教員であるわたしが愛情でしっかり包み込んであげなければ、あの子は救われないじゃない。』と思っていたことの応用で、『娘の通う学校はああなのだから、せめて親であるわたしが愛情で我が子を包み込んであげなければ、我が子は救われないじゃないか。』と思って子育てしてきましたよ。」

 最後はすみません。ちょっとなさけない話になってしまったけれど、リンク先記事のように明るく楽しく子育てできるし、やはり最後に申し上げたい。

 『大丈夫ですよ。』

 
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 上記、事務吏員のBさんと話した数日後、またBさんから、今度は真剣な質問を受けました。
「toshi先生。学校事務職から試験を受け直して教員になった方っていうのは、だれが知っている方、いらっしゃいますか。」
「ああ。いますよ。数人よく知っている方がいます。」
 と答えながら、

『あっ。これはいいぞ。Bさんも教員を目指そうという気持ちになったのかな。』
口には出しませんでしたが、心から応援したくなりました。そう。こういう明るく前向きな方こそ、教員になってほしいものです。 

rve83253 at 16:13│Comments(7)TrackBack(0)エッセイ | 保護者

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この記事へのコメント

1. Posted by makohyan   2011年10月09日 06:52
になられた方を私も知っています。親の2極化ではありませんが、それにしても色々な方がみえますね。自己中で子どものことを考えない。逆に過保護で距離がとれない・・・
2. Posted by ゆっこ   2011年10月09日 18:06
震災以来、何家族かと共に暮らしてみて、実は かわいそうに・・・と思う子もいました。

けどね「よかったぁ、スーパーヤヌシ(私のことらしい)の子どもに生まれなくて」
と言われ、唖然。 対して我が子からは
「よかったぁ、恵まれてたんだって 今わかった」
と言われ、安堵。

みんな 自分の親が一番好きなんですね。
安心して「親」にチャレンジして頂きたいです
同時に、暴力や育児放棄されてる子もいるわけで、学校で早く見つけて、いっぱいの愛情を注いであげたいですね。
学力や協調性を培う場から、保育園代わりの養育の場へと、少しずつ地域の要望が変わって来ているような気がします。
小さな命を失わせないように・・・
3. Posted by toshi   2011年10月10日 09:53
makohyanさん
 そうですか。やはり、事務職からあらためて教員を目指すという方はけっこういらっしゃるのかもしれませんね。
 いろいろな方がいらっしゃること自体はいいのですが、そのトータルとしての日本が少しもでいい方向となるよう、微力を尽くしたいと思います。
4. Posted by toshi   2011年10月10日 10:10
ゆっこさん
 大変示唆に富んだお話をいただきました。
・そういえば、そうだなあ。
・いやあ。そのことに関してならすごい話を聞いたことがあるよ。
・新たな観点を教えていただいたな。
など、ゆっこさんのコメントからいろいろなことを考え、感じさせていただきました。
 そこで、くわしくは次回記事にまとめさせていただきたいと思います。
 本コメントはここまでとさせていただき、どうぞ、よろしくお願いします。
5. Posted by やまちゃん   2011年10月12日 21:03
「あっ。これはいいぞ。Bさんも教員を目指そうという気持ちになったのかな」この言葉に何かひっかかります。
私は逆に、こういう人こそ、学校事務職員として頑張ってもらいたいと思います。
6. Posted by toshi   2011年10月12日 22:41
やまちゃんさん
 そうですか。ひっかかりますか。
 記事の最後、《こういう明るく前向きな方こそ、教員になってほしいものです。》と書かせていただきましたが、
《明るく前向きで、子どもが好き、そして、地域で直接子どもとふれ合えるボランティア活動にも参加するという、こういう方こそ教員になってほしいものです。》
と書けばよかったですね。どうもすみませんでした。 
7. Posted by kou   2011年10月14日 18:36
<拡散希望>

上記のブログの内容とは関係ないコメントすいません。現在、日本ではとても危険な犯罪が蔓延しています。それらは一般の人にはわからないように行われていますが、日々、一般の罪のない被害者が増えている状況です。アメリカではニュース番組でも取り上げられており、いくつも裁判が行われています。以下は翻訳のニュース内容です。是非、こちらの動画をご覧になり拡散のご協力お願いします。実際に日本でも多くの被害者が苦しみ多くの自殺者を出しています。犯罪の名前は集団ストーカーといわれています。私もこの被害者の一人です。

全て翻訳されています。
http://www.youtube.com/watch?v=aijB0EzgX3c&feature=channel_video_title
http://www.youtube.com/watch?v=UlKqjl4gPGM&feature=relmfu
http://www.youtube.com/watch?v=KeRiAKS3730&feature=channel_video_title
ブログ「私が海外逃亡した理由」
http://doctorfish3.blog25.fc2.com/

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