2012年01月15日

わたしたちは だれも 一人じゃない!!(4) 〜大震災の単元構成に感激〜

kodomo111  東北大震災をとり上げての本シリーズは、久しぶりである。
思い起こせばこのシリーズでは、ある大学の学長さんの、忘れられないお話があった。震災からわずか2か月後のことだった。今、再掲させていただくとともに、その記事にリンクさせていただこう。
    わたしたちは だれも 一人じゃない!!(3) 〜大震災の単元構成へ〜

 それでは、当該部分の再掲だが、
「こんな未曾有の大震災があり、連日、大変な苦難が報道されているにもかかわらず、『まったくそれはどこの世界の出来事か。何も日本には起きていない。』かのごとく、まるっきりふだんのまま、国語、算数、理科、社会などをただこなしているだけの学校が、全国には多数あります。
 こうした日本全体の苦しみから超然として、ふつうに知識をつめ込むだけで、ほんとうにいいのでしょうかね。それでは、子どもに欺瞞を教えることにならないでしょうか。
 憂慮に堪えません。
 これも、心を育むことなく、知識一辺倒の教育に堕してしまった結果かなと思っています。」

 その学長さんのお話以前から、拙ブログで大震災の単元構成を呼びかけていたわたしとしては、我が意を得たりとばかり心強く思ったものだった。

 そんな思いでいたら、このたび、いつもお世話になっている『“しょう”のブログ』のしょうさんから、高校におけるすごい教育実践のご紹介をいただいた。指導者と子どもたちが大震災を正面から見つめ、真摯に学び合うといった・・・、もう感動の極致といっていい、そんな授業の展開だった。

 『こんな、みんなで災害を正面から見つめ考え合い、自分自身の生き方を追求していくといった、すごい実践が、この日本の高校にあったのだ。』と思うと、自分自身の無知を恥じるとともに、同実践者はそこまでおっしゃっているわけではないが、わたしとしては日本の受験システムをのろわずにはいられなくなった。ああ。受験システムさえなければ、こうした取組は日本各地の高校でもっと幅広く、もっと奥行きをもって行われるに違いない。

 そこで、申し訳ありません。本実践を紹介させていただく前に、わたし自身の思いを再度確認させていただきたい。

 元来、子ども、青年(いや。そもそも、『人間は』と言うべきであろう。)は、『今』を全力で生きるべきであって、『今』の充実こそ人格陶冶に直結するものである。ところが、わたしの受験期以前からずっと、日本には頑迷なまでの受験システムがいすわり、子ども、青年からこの人格陶冶の機会を奪ってきた。ただひたすら、将来のためと信じ込まされ受験勉強にいそしまなければならなくなっているのは、日本の一大不幸である。

 わたしの想いをきわめて短くまとめさせていただいたが、これにかかわる過去記事を今一つだけ紹介させていただこう。
    学校教育の復権を
 今、高校におけるすごい実践を紹介させていただくのであるが、このリンク先記事の記述で、お詫びしなければならないことがある。それは、同記事後半の『中学校、高校は、(学校の)特色を出そうにも、受験システムのインパクトが強すぎて、とても、そのような研究をする余地はないのだと思われる。』とした部分だ。

 
 ほんとうに無知というのはこわいものだね。お詫びしたい気持ちでいっぱいである。本記事で紹介させていただく、ある高校の取組は、受験システムが強固ななかでも、研究の余地がないどころか、子どもたちの『今』を充実させ、人格陶冶をめざし・・・、まさに、『学校教育の復権』を成し遂げている事例といえよう。

 申し訳ありませんでした。

 そんな思いでいると、このたびしょうさんがわたしにご紹介くださったのは、わたしのそうした無知なるがゆえの偏見に近い問題意識に応えてくださったのだと思われてならない。しょうさんの言葉には、
『受験指導とのかねあいが難しいと想像される「進学校の教育」に希望を感じさせてくれる実践だと思いました。また、わたしの課題意識にも、見事に応える実践でした。』とある。

 それで、しょうさんはメールに資料も添付してくださったのであるが、わたしはそれが掲載されている『高校生活指導』(青木書店発行)191号をあえて購入させていただいた。そうしたら、やはり買ってよかった。表紙からしてうれしくなってしまったのである。

・まず、『18歳を市民に』とあるではないか。そうだ。その通りだ。上記、わたしの問題意識に即応しているように思われた。そう。少なくとも受験システムは、18歳を市民扱いしていない。『18歳の今』を大切にしていない。

・本号は特集として、『東日本震災と教育』を組んでいる。これも、拙ブログ本シリーズの問題提起に即応している。本記事でとり上げさせていただくのも、その特集に載っているなかの一つである。


 さあ。それでは、お待たせしました。さっそく中身に入らせていただこう。

 本記事で紹介させていただくのは、京都教育大学付属高校 札埜和男氏の『「国語」としてできること』から、東日本大震災にかかわる部分である。
 なお、拙ブログが匿名で運営させていただいているのに、こうして実名を明かさせていただくことについては、しょうさんを通してではあるが同氏のご了解を得ているほか、わたし自身の考えもあるからである。その考えについては、リンク先記事の冒頭をご覧いただきたい。
    PTAと学校(6)
 もう一つ、同氏の寄稿文を切れ切れにするようで申し訳ないのだが、寄稿文の引用を〇、わたしの想いを※印で、繰り返し示させていただきたい。

 それでは、どうぞ。


〇冒頭、『募金への抵抗感』から始まる。そう。高校に限らず、全国各地で救援のための募金活動が行われてきたよね。それに対して、同氏は主張する。

 何もやらないよりはましかもしれないが、〜、高校生がやるにふさわしいことなのだろうか。〜、東北に対して自分ができることは、「国語で『東北』を意識する」実践だった。

※そうだ。その通りだ。我々教育実践者ができることは、教育実践しかないのだものね。被災地域、被災された方々に、子どもたちがいかに想いを寄せるようにするか。それを実践で成し遂げる以外にない。テレビ画面を見て、『かわいそうに。』だけでは、いくら募金したとしても薄っぺらで終わってしまうだろう。他人事になってしまうことも多いはずだ。逆に、以下述べるような実践を踏まえての募金活動なら、意味をもつのではないか。

〇『古典講読』という2年選択科目があるのだそうだ。同氏はそれを担当する。そして、以下のように述べられる。

 
 東日本大震災や福島の原発事故を念頭に置き、教材として、中世の災害を詳細に記録している鴨長明の『方丈記』所収の「大地震(おほなゐ)」を採りあげた。「古典」は科学と相容れないように一般的に思われるが、古典の記述を現代の科学の知見をもとに読み解くことは十分に可能である。

※わたしは不明にして、方丈記の内容など知らなかった。あるいは、とうのむかしに忘れてしまったのかもしれない。それで余談だが、ある小学校の現職校長とこの話をしたら、その方が言うには、
「そうなのですよ。今、方丈記はけっこう売れているのだそうです。東日本大震災があって、千年ぶりとか言われますよね。それでむかしの本を読んでみたくなる人がふえているのではないでしょうか。方丈記には津波や余震のことなども書かれていて、わたしなども読んでいて、『ああ。災害はいつの時代も変わらないなあ。』と、あたりまえのことながら、つくづく実感します。」
とのこと。
 ちなみに、方丈記とその現代語訳のホームページがあったのでリンクさせていただこう。
 PAP_0104

〇次に、授業の詳細が記録されている。

 授業の流れ(概要)としては次のようになる。
 慂丈記』所収「大地震(おほなゐ)」の内容理解の授業を行う。
◆慂丈記』所収「飢渇(けかつ)」の現代語訳を課題として出す。宿題として「飢渇」にある「その思ひまさりて深き者、必ず、先立ちて死ぬ」という表現に沿った事例を震災関連の新聞記事から探し出して提出させる。
4慙△垢襦崚盟柿陝彗莪貉融傭福閉糧の上人)及び阿字観の説明を行う。
とつの班に分かれ「大地震」より「現代と似ているところ」「疑問と仮説」を一つずつ出す。
 (生徒から、)
「死体や崩壊した建物の処理は誰がどのように行ったのか」
「被災地以外からの支援はあったのか」
「避難所はあったのか。路上で死ぬしかなかったのでは」
「災害孤児はどう過ごしていたのか」
「義援金のようなものはあったのか」
「復興にどれくらいかかったのか」
「死者の数の算出方法は」
といった疑問が出された。
ァ慂寝畔語』所収の「大地震(だいぢしん)」と比較して読む。
Τ独匹吠かれインターネットで仮説の検証を行い、「津波はどこで起きたか」「どの程度のマグニチュードか」調べる。
А嵎幻イ埜る中世の災害(人々の意識と対策)と題するプリント(『方丈記』所収「大火」「辻風」「遷都」、『玉葉』『源平盛衰記』『山槐記』『吉記』から災害にまつわる文章を掲載)を配布して、い竜震笋紡个靴得睫世魏辰┐襦C羸い痢∈匈欧悗亮匆馘取り組みも教えた。
┻都教育大学の地震学研究者である谷口慶祐さんを招き、方丈記に描かれている1185年(元歴2年)の畿内を襲った大震度を現代の地震学の知見で読み解き、当時の地震が現在発生している地震とどのような関係にあるか、「古典を科学する〜中世の災害にまつわる古文を現代の地震学から読み解く」と題してコラボ授業を実施した。
 一方的な講義形式ではなく、八班に分かれ、谷口氏の四つの問いかけに班でその都度考え、紙に書いて一斉に出すという双方向の授業になるよう心掛けた。

 地震計が発明されて僅か150年ほどしか経っておらず、それ以前の調査は古文書を手掛かりにする話や、『方丈記』の「海は傾きて陸地をひたせり」、『山槐集』の「美濃伯耆国より来るの輩曰く、殊に大動あらず」、「近江湖水北に流れて水減り、岸より四五段、或いは三四段、後日に元の如く岸に満つ」から当時の地震が明らかになる話は生徒の耳を引き付けた。

※いやあ。もう、圧倒された。すごい。高校生の問題解決学習はかくありなん。それが第一印象だ。
・古典と現代をつなぐ。
・子どものもつ問題意識を大切にしての流れ。
・疑問をもとに仮説を設定して検証を行うなど、
 小学生の学習でも、大切にしているものばかりだ。

 細かいことを言わせていただければ、
・子どもがどのくらい学習の流れの設定にかかわったのか。指導者主導のにおいを感じないわけではないが、
・しかし、子どもの問題意識、切実感、解決への意欲など、どれも強烈なものを感じるし、
・それはとりもなおさず、指導者の姿勢がそうしたものを大切にしているからであって、
・相手が高校生であることや試行錯誤など這いまわることは許されないのだろうということなどを考慮に入れると、ストレートに学習を深めていかなければならず、

 そんな事情を考慮に入れると、これはこれですばらしいのではないかと思った。わたしも含め、大人が教養をみがく場合でも、こんな流れになれば充実感のある学びを味わえるのではないか。

 ちなみに、わたしたちは、今これを学んでいるわけではないので、少し解説の手を加えてしまうが、

・◆峙桶蕁覆韻つ)」にある、「その思ひまさりて深き者、必ず、先立ちて死ぬ」については、上記方丈記の現代語訳によれば、
「(しみじみと感動することもあった。お互いに離れられない夫婦は、)その愛情が深い方が必ず先に死んだ。(なぜなら、我が身は二の次にして相手をいたわるので、ごくまれに手に入った食べ物も相手に譲るからだ。だから、親子となると、決まって親が先に死んだ。)」
となる。

 そうだね。今回の東北大震災でも、こうした事例は各地にみられたよね。自分が放送担当であったため、住民に避難を呼びかけ続け自らは津波に巻き込まれてしまったという、悲しいけれど感動を呼ぶ報道もあったっけ。

・にある、『阿字観』については、
「仁和寺にいた隆暁法院という人は、これほどに数えきれない人が死んでいくのを悲しみ、死体の首を見るたびに額に阿字を書いて仏縁を結ばせ成仏できるようになさったという。」
とある。

 これもわたしはテレビで見たのだが、瀬戸内寂聴さんは被災地を訪ねまわり、肉親の死や行方不明を悲しむ人々にまるで辻説法でもするかのようにやさしくあたたかく語りかけていたっけ。こうした方々も大勢いらっしゃるに違いない。

 
〇最後は本学習を終えての子どもたちの感想である。

┐亮業から生徒の感想をピックアップしてみよう。

「何千とある古文から『地震』というキーワードを基にして科学を発展させ現代に活かすことができるのだ。いつか東日本大震災の記録が一つの『古典』として後世に受け継がれていくことを願う」

「次の地震が発生するまでの期間をより正確に予測する面においても古典が活用されているとは意外でした。古典の授業でこのような内容を学べるとは思いもしませんでした」

「授業を通して古典と今が繋がっていると考えると、『歴史があるからこその今なのだな。』と改めて思いました。昔を知ると何だか私たちの未来を見ているようで興奮しました」

「古文を研究することなんて実生活に役立たないように考えがちだが、実際はこうして地震の分野に応用され、もしかしたら私たちの命を災害から救うことに一役買っている。この授業はとても面白かったが、少し物足りない。例えば古文書を用いたマグニチュードや震源地特定の仕方をもう少し詳しく知りたかった」

「普段私たちは文系理系などと勉強において大きく境をつけられるけど、過去から学ぶことにおいては文系理系などの区別などない」

「古典文献から情報を引出し、科学的研究により法則が見いだされ更に古典文献から実証される南海地震の研究プロセスはとても面白い。文献から読み取れる科学的な世界、科学的な視点から見た古典の見方、双方向から研究が行われることで、新たな発見が連なっていくことは素晴らしい」

「古典と科学は関係ないと思っていた。文章の一文一文に注目し、解明していくことで現代に繋げていくことはとても意義深い。文の一つ一つが意味を持ち単なる文字の羅列が過去そして未来に大きな影響をもたらすことに感動した。よりよい暮らしをしたい、いつも誰かの大切な人の幸せや健康を願うこと、それらがよりよく実現されるために、過去に問いかけそして問いかけられているものの解明に近づこうとする。その姿勢はずっと変わらずにあるべきだ。」

※どれもすばらしいし、感動を味わわずして読むことができないのだが、その中でも特に最後のそれは、まさに、本シリーズのタイトルである、『わたしたちはだれも一人じゃない!!』そのものではないか。わたしは、本記事のタイトルを考えるにあたり、この感想に大きく心を揺り動かされた。そして、大震災直後の本シリーズにつけさせていただいた本タイトルと共感し合えたような感じがして、とてもうれしい思いになった。

 そして、彼ら、彼女らが、学びとった最高のものは、過去、現在、未来がつながっているということではないか。そうした意味でも一人(孤立した現在)ではないのだ。 


 さて、最後に、話を大きく変えてしまうが、すみません。

わたしはわたしで、もう50年前になるわけだが、我が子ども時代を想い浮かべた。

 小学生のころは子どもとして問題解決学習に取り組まさせていただき、そのおかげで詳細に記憶している授業もあるし、また、今のわたしに至るまで、生きる力を獲得させていただいたと思っているが、高校のときとなると、ひたすら受験勉強に取り組んだ記憶が強烈だ。
 たとえば、この古典で言わせていただければ、方丈記は、『ゆく川の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず』、奥の細道なら、『月日は百代の過客にして、行かふ年も又旅人也』などと、それぞれの冒頭の文をひたすら暗記したっけ。
 当時、そんな受験問題があったのだ。

 そのせいか、それぞれの古典の中身などはほとんど知らない。学習もしたのだろうけれど記憶がない。古典への興味・関心も抱きようがなかった。悲しいかな。それが現実だった。

 そんな話を、先の、『方丈記が売れている。』と言った校長に話したら、
「でも、今の受験問題はけっこう様変わりしているようですね。」

 そう。それはわたしも知っている。私立中学受験に関してだが、過去記事にも書かせていただいた
 このリンク先記事にも書いたように、PISA調査の影響なのだろう。しかしどんな良問も、それが受験問題となってしまうとね。もう『この種の問題に慣れさせる。』ことが目的となってしまい、『生きる力、学ぶ力』とは切り離されてしまうのではないか。まあ、細かくはリンク先記事に譲らせていただこう。

 もう一つ。わたしの高校時代の話に戻させていただくが、一つだけ、ものすごく心に残っている学習がある。それは社会科の先生の授業だった。いや、授業とは別だったのだが、一週間に一度、その時々の時事問題について
・それがどういう問題か。
・それについての自分の思い、考えは。
それをノートに書いて提出するのだった。
 それは常に先生の丁寧な朱書きがなされて返された。

 わたしのころは、昭和35年の安保闘争があったときだから、話題に事欠くことはなく、それもこのノート交換を強烈に印象付けた原因となっていると思う。

 ただし、これは、先生とのやり取りをしたにすぎず、授業のなかで子ども同士ディスカッションするといったものではなかった。

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 次回も、札埜氏の実践をとり上げさせていただきます。問題解決学習の視点から2人の子どもをとり上げ、『学ぶ力』『生きる力』がどう養われているか、そのあたりを考察してみたいと思います。

 でも、とにもかくにも、高校生がこうした学習に取り組んでいるということ。こういう高校が増えれば、日本は絶対よくなるのですがね。

rve83253 at 08:00│Comments(2)TrackBack(0)教育観 | 教員の指導力

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この記事へのコメント

1. Posted by しょう   2012年01月24日 19:59
 しょうです。こんばんは。
 高校での実践を大きく取り上げていただいてありがとうございます。

>高校生がこうした学習に取り組んでいるということ。こういう高校が増えれば、日本は絶対よくなるのですがね。

本当にそう思います!! 『高校生活指導』に掲載されたこの実践について「すごい」「励まされた」「自分も頑張らなければと思った」という感想を耳にしていますから、このような実践が広がっていくことを期待しています。

 全体をくりかえし読んで、私も得るところが大でした。このような観点を社会科の授業実践にも活かしていきたいと考えています。いろいろな人に紹介もしています。

 それにしても、たくさんの方が訪問されるtoshiさんのブログで取り上げていただいたのはうれしいことです。
 『子どもが伸びる言葉かけ』はあっという間に売り切れたようですが、さもありなん。残念ながら私は出遅れてしまいました。第二版を待っているところです。
2. Posted by toshi   2012年01月25日 15:44
しょうさん
 いいえ。こちらこそ学ばせていただきました。小、中、高と、子どもの内面にある学びの欲求に応える実践がそれこそ系統的に行われるようになったらと、夢見る思いです。夢ではいけないのですがね。
《このような観点を社会科の授業実践にも活かしていきたいと考えています。》
 ほんとうにそうですね。社会科こそ、もっともこうした学習に応えられる教科だと思います。
 拙出版本については《第二版を待っているところです。》などとおっしゃっていただき、ありがとうございます。来週中には第二版が出るようです。よろしくお願いします。

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