2012年02月22日

『学び合い』研究グループに思う。

kodomo116 先週の日曜日だった。だから、もうかなり前になってしまう。遅くなってごめんなさい。
それは、NHKーETV特集『輝け二十八の瞳〜学び合い支えあう教室〜』と題した放送のことだ。

 そもそもこの番組に登場した『学び合い』グループに関心をもつようになったのは、ブログを始めて数年たったころだった。ある読者の方からコメントをいただいたのである。今、Aさんと呼ばせていただこう。
 「toshi先生のおっしゃる教育実践では、(ある意味、)教師は教えないのですよね。子ども自らが解き方を発見するようにしていくのでしょう。それは『学び合い』と共通するのではないかと思いますけれど、toshi先生はどう思われますか。』
との質問だった。
 でもそのときは同グループをよく知らなかったから、満足のいく答えはできなかった。『そうか。似たような実践をされているグループがあるのか。』そう思い、いろいろ調べてみようと思った。

 それからさらに数年後、我が地域の若手教員Bさんから、直接質問を受けた。
「今、学び合いグループに入らないかと誘われています。でも、今一ちゅうちょするところがあり悩んでいます。『学び合い』グループについてtoshi先生はどう思われますか。」
 実はこの質問には、ちゅうちょする理由も書かれていたのだが、それは後述させていただこう。

 このときは少し答えることができた。それは、『学び合い』提唱者である上越教育大学教授西川純氏の『学び合いの手引書』なるHPを読んでいたからである。現在、これは削除されたようだ。
 わたしは、その、手引書が念頭にあった。それで、『入らない方がいいですよ。』とお返事した。なぜそう答えたか。それは、この記事を読み進まれるうちに、ご理解いただけると思う。
 そして、今回放送のNHKの番組となるのだが・・・、

 そんなわけで、このテレビ放送を見るにあたっては、期待と不安、戸惑いといった、複雑な気持ちがあった。関心は強いだけに、食い入るように見てしまった。

 なお、同放送をご覧になってない読者の皆さんには、テレビで放送された画像が写真になっているブログを見つけたので、それをご覧いただければと思う。
     私たちの宝物


 見終わっていろいろな感慨を抱いた。
 確かにすばらしい授業だった。子どもの目の輝き・・・、それはタイトルの通りだ。
 しかし、待てよ。矛盾点もありそうだ。これはわたしたちがおし進めている問題解決学習とは、似て非なるものがある。そんな想いももった。
 

〇そこで、まずは、この授業を肯定的にみる立場からのわたしの想いとなるが、

 子どもたちの目の輝きは上記のとおりだ。上記リンク先の写真からもうかがえるだろう。子どもたちの表情、特に分かり合えたときの喜びの笑顔などは最高のものがあった。そして、互いに話し合い、学び合い、教え合うなかで、数学的思考力をみごとに育んでいた。

 先ほどのAさんが感じられたように、『わたしがブログに書かせていただく実践の数々と共通する部分はかなりある。』と、わたしも感じた。子どもたちの取組に、拍手を送りたくなる場面も数々あった。

 
 もう少し具体的に書いてみよう。

 わたしは、かつて『算数においては、新しい単元に入っても、常にこれまで学習した知識・技能を駆使して解くことができるようになっている。』と述べたことがある。
 教えない教育、子ども自らが学び新たな価値を生み出す学習において、この教材観は必須である。本授業においても、それはいかんなく発揮されていた。新しい単元に入ってもものおじすることなく子ども自ら果敢に挑戦する姿にはすばらしいものがあった。

 本テレビに映ったのは3年生。いくつかあった授業風景の一つを紹介させていただこう。
 九九の範囲内で解ける『27÷3』はすでに学習しているが、『72÷3』は未知の領域という時期の授業である。

 
 その『72÷3』を解くにあたり、Cちゃんは、まず既習の『3×9=27』を使った。つまり第一段階として、『27÷3』をやったのである。
 そして、72のうちの27はもう解いたという意味で、とりあえず答えの9を書き、まだ解いていない分をだすために、『72−27』をした。45だ。
 次は『45÷3』となるね。これも未知の領域だ。だから同じことを繰り返す。つまりとりあえずの答えはまた9。そして、『45−27』。残りは18となった。
 『18÷3』だ。やっと既習の割り算となった。6だ。
 答えは3つ並んだことになる。9が2つと今出た6だね。それらを足して最終の答えは24というわけだ。

 また、Dちゃんはこれとは別な解き方をした。
 『27÷3』を学習したときもやったに違いない。
 まず〇を72個書いた。そして、それぞれ3の束になるように大きな〇で囲っていった。3の束が24個できたから、答えは24というわけだ。

 これらはCちゃん、Dちゃんが一人で解いたのではないだろう。グループのみんなと話し合い、学び合い、教え合いながら、力を合わせて解いていったと思われる。

 なお、テレビ画面ではこの問題に関してここまでしか放送されなかったが、読者の皆さんのなかには、
『子ども自ら思考力をはたらかせて解いていく姿は分かった。しかし、そこからどう、『72÷3』の筆算につながっていくのだ。先生は教えないのだろう。』
と思われる方もいらっしゃるだろう。

 そこで、わたしの想像だが、
 おそらくCダッシュちゃんは72を72円というように、お金にたとえるだろう。すなわち10円玉7つと1円玉2つがあると考える。そして、10円玉の個数を割ると考えれば『7÷3』というように、既習の解き方になるよね。この段階での答えは2あまり1だ。そして、1は10円玉1個ということだから、それを1円玉にくずして12÷3と考えるだろう。
 先ほどの『7÷3』は10円玉の個数を出したにすぎないから、これも金額に直すと20円。それにいまだした4円を加えて、24とやるのではないか。

 またDダッシュちゃんにしても、〇を72個も書くのは大変だし時間もかかるということで、大きな〇7つと小さな〇2つなどというように考えていくのではないか。グループのみんなと話し合いながらね。

 さらに、読者の方はおっしゃるかもしれない。
『それも分かった。しかし、割り算の筆算の仕方は独特だろう。これまでのかけ算とはまるっきり違う。それは教えない限り、できるようにはならない。教科書を見ただけでは無理だろう。』

 そうだった。この『学び合い』では、ある段階までは教科書を見させないのだった。
 しかし、これはテレビの画像にあったが、筆算の仕方をすでに知っているEちゃんがいてそれを黒板に書いたのだった。まだほとんどの子は学習していないから、確か、
「何それ。何やっているのだか、分からない。」
と言われていたような気がする。それで、教員が、『教科書を見てみよう。』と言ったのではなかったかな。

 そう。そう。この教室では、『分からない。』が平気で口に出せる雰囲気がある。分からないことが恥ずかしいことではないのだね。

 これは大事なことだ。わたしが担当する初任者のクラスも、だいたいそうした雰囲気はある。たまに早く解けた子が分からない子のところへ行って教えてあげていることはある。そういうときでも教える方は気さくだし、教わる方も変に卑屈になったり劣等感を抱いたりすることはない。
 教員も分からない子のところで個別指導をしている。また、それとは別に、教える子がどのような教え方をしているかにも気を配っている。
 これらは、教員による個別指導をぬかせば、『学び合い』グループと共通する点だ。


〇はい。すみません。ここからは、『学び合い』批判となるのだが、

 ここには、この『学び合い』の指導観に、限界があるように思った。教科書を見させていないから、どうしたって子どもたちがお互いに話し合い、学び合い、教え合っていく姿と筆算の理解との間に、飛躍が感じられる。
 
 わたしたち問題解決学習をおし進めるものは、こういう手法はとらない。

 教科書を見させないなどということはない。だから、Eちゃんのように初めから筆算で解く子もいるし、CちゃんDちゃんのように解く子もいる。そして、上記Cダッシュちゃんの解き方は、筆算と極めて親和性が高いから、教員の指導性のもとに、Eちゃんがやった筆算とCダッシュちゃんがやった解き方とを関係づけるようにして学習していく。
『ああ。そうか。Cダッシュちゃんの考えた10円玉7つを3で割って答えが10円玉2個というのは、Eちゃんの筆算では、7と3を見て7の上に2と書くことになるのだね。』
と子どもが見つけていく。

 そう。『学び合い』におけるこうした場面では教員は引っ込みっぱなしだが、問題解決学習においては、教員の指導性を大事にする。ただし、教員の指導性は極力子どもにみえないように配慮する。
 たとえば、
「Cダッシュちゃんの考えとEちゃんの筆算とが見事につながったね。」
「2人の解き方がつながったおかげで、筆算の意味がよく分かったよ。」
という意識になるように、あくまで子どもの考えを前面におし出して授業を進めるのだ。だから、教員の指導性は大事にしながらも、決して教員が教え込むようにはならない。

 なお、この教員の指導性については、後でもふれる。

〇テレビの画像でものすごく違和感を抱いた部分がある。それは、『答えを教えて。』と友達のFちゃんに迫ったGちゃんを担任がきびしく叱責する場面だ。あれはあんなきびしく叱る場面かな。教員は引っ込むことを大事にしているはずなのに、ものすごい出方をしたものだ。しかも子どもにしてみれば、それはあまりにも唐突ではなかったか。

 それに、指導者は、Gちゃんの『教えの請い方』のみを問題にしたが、わたしからみればFちゃんだって問題がなかったわけではない。少なくとも、豊かなコミュニケーションがかわせたとはいえない。それなら、文章題を解くのと同様、『教えの請い方』も『教え方』も、より良い姿を子ども自身が追い求めるように指導すべきではないか。

 わたしなら、学級のみんなに、
「今、Gちゃんはただ答えを教えてもらっただけなのだけれど、みんな、そのことをどう思う?」
と投げかけるに違いない。より良い学び方をみんなで考え合うのだ。だって、それも学び合いだろう。
 

 わたしがここにこだわるのには理由がある。

 上記、もう削除されてしまった西川純氏の『学び合いの手引書』だが、そこには、簡単に申せば、『学び合いの進め方など、学び方に関しては徹底して教え込む。』という趣旨の記述があった。しかもそれは微に入り細にわたっていた。
 わたしはそこを読んだとき、『ええっ。』と思った。学習指導要領では、『〜問題解決的な学習を重視するとともに,児童の興味・関心を生かし,自主的,自発的な学習が促されるよう工夫すること。』とあるのに、これでは、子どもの学びを大事にするのは知識・技能の習得だけだ。学び方については指導者側の思いにゆだねられてしまう。教え込むことになってしまう。
 ということは、これまた双方の間に、深い断層があると言えよう。がっかりさせられた。

 さらに、冒頭述べた、我が地域の若手教員Bさんの件だが、同教員は、『学び合い』の研修会に出席し、西川教授に直接質問したことがあるようだ。わたしには、次のように話された。
 「確かに(『学び合い』は、ある意味)子どもの力を信じる手法だとは思いましたが、学習問題を一方的に教師が押しつけるやり方で、わたしはとても違和感を覚えました。ですから西川先生の講演会を聞いたときに、
『学習問題を子どもとつくってはいけませんか。』
と質問したのです。そうしたら、
『指導要領に書いてあることを教えるのが教師の役目なので、命令してでも教師が問題を出すべきです。』
と言われました。」

 そう。わたしは、さもありなんと思った。
 これはもう、問題解決学習とは基本的に異なる。だからちゅうちょすることなく、『(学び合いの研究グループには)入らない方がいい。』と言うことができた。


 テレビを見終わったときの感動は感動として、何とも言えない違和感をいだいたのは、このことにあった。
 わたしには、あの、こっぴどくGちゃんを叱りつける教員の姿勢と、学び方に関しては長々と教員が話して聞かせる姿勢と、この『命令してでも、〜。』とが、見事に(?)重なり合ってしまった。

 同教授は、『学習指導要領を大切にする。』と書いているし、現にBさんへの回答からもそれはうかがえるが、わたしには、『大切になどしていない。』と映る。だって問題解決的な学習を軽視しているのだからね。
 このように、『学び方』を軽視する姿勢は、『生涯学習力、自己教育力を養う』ことも軽視していることに他ならない。問題を与えられればがんばるけれどね。


 言いたいことはまだある。

 『学び合いの手引書』は、『学び合い』と対比したかたちで一斉授業を批判していた。しかし、その批判される一斉授業は、常に『教師主導の教え込み』なのだった。わたしたちのような問題解決学習は視野にないようだった。
 わたしたちは、上で述べたように、教員の指導性を大事にする。だから、一斉授業も大事にする。もちろん、ある学習の過程でグループによる学び合いがいいとなれば、それも大事にする。『学び方』も多様なのだ。
 しかし、そうしたなかで、これも上で述べたが、教員の指導性はできるだけ子どもの目に見えないようにする。子どもにしてみれば、『ぼくたち、わたしたちが、がんばったからこうした学びができ、この知識・技能が身に着いたのだ。』と思えるようにする。

 その、教員の指導性を、過去記事に書いたように、『しかけ』と呼んでいる。
 今、一つだけリンクさせていただこう。わたし自身の実践である。
    しかけどころ(2)


 さて、最後に、もう一度あのテレビに話を戻させていただこう。同番組には、解説として、『学びの共同体』で有名な東京大学教授の佐藤学氏と作家の重松清氏が出演された。もちろんこの、『学び合い』を賛美されていたが・・・、この佐藤氏の『学びの共同体』と西川氏の『学び合い』は極めて親和性が高いことがうかがえた。

 しかし、違いもあるようだ。

 わたしは過去記事にとり上げたが、昨年元旦の朝日新聞に、小学校の授業風景が載った。
    活性化した日本を!(2) 朝日の元旦トップ記事から

 このリンク先記事ではふれていないのだが、この日の朝日新聞には、佐藤学氏の話が載っている。こうおっしゃっているのだ。
 『〜。分からない子に分かる子が教える『学び合い』ではなく、互いに考えをひびき合わせ、共同で創造する授業にもっと転換すべきだ。』
 どうだろう。わたしには、これは西川教授を意識し、批判しての発言とうつるのだが・・・、
 しかし、同番組では、賛意を表していらした。

 なお、最後に、お二人の気になる発言があった。記憶のなかで書かせていただくのでちょっと正確さには欠けるかもしれないが、

 東日本大震災や福島原発事故にかかわって発言されたのだった。
「不幸にして大災害、大事故に見舞われた日本でしたが、これへの日本人の対処の仕方は問題が多かったですね。問題解決力のなさを露呈してしまいました。
 これも、そうした力を小さいうちから養ってこなかったせいでしょう。ただ単に知識・技能を身につけさせる教育では、こうした力はつきません。やはり、本番組に見られたような学び合いを小さいうちから経験して、確かな学びを身につけさせることが大切なのではないでしょうか。」

 いいことをおっしゃる。その通りだと言いたい。言いたいが・・・、もう読者の方はお分かりだろう。この『学び合い』では、そうした力はつかないと。

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 教科書を見させない問題解決学習と称する授業もあるようです。過去に何回か、問題解決学習を批判するブログを読んだことがありますが、それらはいずれもそうした授業でした。
 わたしたちは、こうした、いかにも子どもの主体性を大事にするようでいて、実は子どもから大事な問題解決の手段を奪うような授業を問題解決学習もどきと称して、これも批判しています。

※これより後は、2月29日朝、toshiによる補足となります。すみません。本記事の訂正です。
・『学び合いの手引書』は削除されていませんでした。改訂版が出ています。
・それに伴い、西川氏ご自身が、授業中、ある過程まで教科書を使用させないと主張しているかのように読み取れる点については、そのようなことはありませんでした。
 以上、2点、お詫びして訂正します。申し訳ありませんでした。

 なお、くわしくは、本コメント欄の12、14、15、17、19番をご覧ください。

rve83253 at 16:38│Comments(37)TrackBack(0)教育観 | 指導観

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この記事へのコメント

1. Posted by dolce   2012年02月23日 10:03
「学び合い学習」と称して、それぞれの教師がどう理解しているか、どうイメージしているかは大切なことで「学び合い学習の本質」を見失わないようにしなければならないと思います。

「学び合い学習」言っていますが、これは何も新しいものではなく、これまでにあった「学び合い」の部分に焦点をあててのやり方と私は考えています。

一斉か学び合いかという二者択一の固い考えが横行するのを懸念します。

また、学び合い学習が登場し、いろいろな学者が登場したりすると「それぞれの立場」に影響する発言が出る可能性もあります。

私は「教科書を見せない」に固執する必要はないと思います。見せたって、見せなくたって、学び合いの本質は変わらないと思います。
ただ「勉強とは答えを知ること」という概念がかなり強く定着していることもあるので、そこを壊さないといけないと思っています。
2. Posted by ななま   2012年02月23日 15:24
5 こんにちは。
[学び合い][問題解決学習]などの用語の本質についてこれまで深く考えて来なかったので、お恥ずかしい限りです。深いなぁ、面白いなぁ、と思います。このブログを熟読して勉強したいと思います。toshiさんの書籍は購入して読ませて頂いています。盛りだくさんな内容で具体的な場面がイメージできます。
toshiさんの問題解決学習や数々の素敵な実践を総括した書籍の出版も心待ちにしています。すみません、私があまりパソコンの文章を読むのが得意ではないので、個人的な希望です。しかしこれまであまり問題解決学習に関する魅力的な本がないのではと思います。
3. Posted by 伊藤   2012年02月23日 17:51
難しいですね。
小学校レベルなら取り返せるチャンスがまだあるかもしれないですが、中、高になった取り返しがつかなくなったらと思うところがあります。

ちょっと難しいのでいろいろ考えたのですが、今回の授業は「?」という面は確かに感じました。

私が考えるに問題解決学習は過程に注目することであると思っています。
1つの疑問を全体に共有しておくこと。つまり、問題そのものを共有させて、解決方法は個人に戻して考える。
答えを教えるのは悪いわけじゃない。でも、指導要領にも書いてありますが、言語活動の充実という面からみるならば、コミュニケーションを上手にとるためにはどうしたらいいかな?と問わせる。
それを真似させたら、問題解決になるのではとも感じます。
また、答えを先に敢えて知ることでそこから問題に戻って考えてみるのも子どもにとっては悪いことではないとも思いますし、そこは全部が全部同じではないにせよ、一つの授業でも到達地点が同じならば私はそれでいいのではと思います。

教員採用試験の勉強をしているとここら辺は模擬授業でも問われそうですね。
4. Posted by しん   2012年02月23日 23:10
初めまして

小学校で教えている、しんと申します
よろしくお願いします

NHKーETV特集『輝け二十八の瞳〜学び合い支えあう教室〜』に関してですが

この映像に出てくる先生やゲストの佐藤学先生は「学びの共同体」に取り組んでいて、西川先生の『学び合い』とは、ちょっと違うような気がしました。

西川先生も佐藤学先生の「学びの共同体」とはちょっと異なるというような発言もされています。

私は『学び合い』も「学びの共同体」も興味があります。

「学びの共同体」と問題解決学習の違いについて
ご教授いただけるとうれしいのですが・・・
5. Posted by toshi   2012年02月24日 12:07
dolceさん
 そうですね。ふつう名詞としての学び合いなら、多くの教員は大切にしていると思います。
 一斉か学び合いかという点については、わたしたちはどちらも大切にしますが、西川氏の方に二者択一の思いがあるようです。
 教科書云々についてdolceさんは、指導者側の論理をおっしゃっているように思いました。子どもにしてみれば、また違うと思いますよ。記事に書いたとおりです。
《「勉強とは答えを知ること」という概念がかなり強く定着していることもあるので、そこを壊さないといけない》
 これは賛成です。ただその壊し方なのですね。
6. Posted by toshi   2012年02月24日 12:15
ななまさん
 いろいろありがとうございます。本もご愛読賜っているようでうれしく存じます。
 本記事の内容に限らず、教育ってほんとうに奥が深い。出版本の最後に書かせていただきましたが、わたしもまだまだ勉強中です。
《問題解決学習や数々の素敵な実践を総括した書籍の出版も心待ちにしてます。》などとおっしゃっていただき、恐縮しております。でも、申し訳ありません。今のところはまったく白紙です。今後ともブログをどうぞ、よろしくお願いします。
 
7. Posted by toshi   2012年02月24日 13:55
伊藤さん
《私が考えるに問題解決学習は過程に注目することであると思っています。》
 はい。おっしゃる通りです。わたしは、前記事に《問題解決学習の解決には、未解決の解決も含む》と書きましたが、まさにそれは過程が大事ということですよね。
《1つの疑問を全体に共有しておくこと。つまり、問題そのものを共有させて、解決方法は個人に戻して考える》
 そうです。授業でとり上げる疑問なら、学習問題として学級全体で思いを共有できるようにします。そして、解決方法はそれぞれの思いで(すべてそうだというわけではありませんが、)いいのです。
 上手なコミュニケーションというのも、子どもが発見するようにしたいですね。たとえば『ああ。こういうふうに会話を交わすと、友だちと仲良くなれるのだな。』といった気付きなど、大事にしたい点だと思います。
 記事中の筆算についてですが、あらかじめ筆算による解き方を知っている子も、なぜそれでいいかは知らないことが多いわけです。ですから、Cダッシュちゃんの解き方と対応させることによって、筆算の各手順の意味が分かっていくわけですね。
 他方、Cダッシュちゃんも自分の解いた筋道が理路整然とした解法になっていることを知って、うれしくなるといったそういう経過をたどるわけです。
《教員採用試験の勉強をしているとここら辺は模擬授業でも問われそうですね。》
 なるほど。今、どこも模擬授業はとり入れているようですね。こんな気付きを子どもに与えることができたらすばらしいと思います。
8. Posted by toshi   2012年02月24日 14:03
しんさん
《この映像に出てくる先生やゲストの佐藤学先生は「学びの共同体」に取り組んでいて西川先生の『学び合い』とは、ちょっと違うような気がしました。》
 はい。記事にも書きましたが、わたしもちょっと違うなとは思います。しかし、映像に出てくる先生は、わたしのなかで《学び合い》と重なる部分が大きかったです。記事にも書いたとおりです。タイトルも学び合いでしたしね。
《「学びの共同体」と問題解決学習の違いについて》は、やはり記事にも書きましたように、指導者の指導性をどうみるかではないでしょうか。それにより一斉学習の見方も変わってくるように思います。

 
9. Posted by OT   2012年02月24日 18:43
いつもお世話になります。先生のブログには
大変、勉強させて頂いています。

私には、幼い二人の子供がいます。
当然、義務教育を受ける事になります。

ところが、自分が受けた時代の義務教育と
あまりに差があり、育てる事に困惑しています。
それだけ、日本経済・時代の変化が激しく、

義務教育の中身が
日本の変化と同調して、
大きく変化してきた歴史
だろうと感じています。

同時に、私達の生活スタイルも多種多様で
昔の時代に合った変化に対応できない事も
原因だと思います。

これは私の疑問です。
なぜtoshi 先生や大村はまさんのような方の理念が
教育現場で根づかず、花開かないのでしょう。
教育界の組織が、やはり時代に取り残されているのでしょうか。そうだと私には思えないのです。

世の中の若い教員の方は、toshi 先生や大村はまさんのような方を夢見て教員を志すはずです。
ところが、実際は現実を突き付けられ
教員を志す事を辞めてしまう。真摯に業務と向き合う事より、事務的な処理能力だけに業務を終始させてしまう。少子化で損得勘定に長けた現代人なら
自分達の将来を考えて、力量を考えて違う選択を
してしまう。現場は、大切な人材を潰してしまう。

私学受験やトイレでお弁当を食べる子供・
ネットの普及で図書館を離れる子供
が増えています。

どう解決できるのか、真実を読み取れ無ければ
子供は、学習する機会を失ってしまうのではないか
そんな恐怖に怯える事が、時々あります。

toshi先生は、ネット上のこの場を様々な立場の方に(教室)とされているのかもしれない
そう感じて拝見しています。
10. Posted by toshi   2012年02月26日 10:17
OTさん
 OTさんの問題提起とかみ合うか自信がありませんが、思いのままに書かせていただきますね。
 簡単なことだと思うのです。
 民主主義の国である以上、国の政治は《まず、国民ありき》でなければならないでしょう。同じことで教育は《まず子どもありき》でなければならないはず。
 ところが学校現場、子どもの実態を知らない者が大人の必要感で教育行政を牛耳るようになりました。また、学校現場、子どもの実態を知っているはずの者まで教育を私物化しています。本記事の『学び合い』などはそれらに比べればまだいい方です。
 嘆かわしいのは学習指導要領(すべていいと言う気はありませんが)に『速く計算を解く力をつける』などはないのに、言う方も言う方だが、それをとり上げ大々的に宣伝する方もする方だと思います。『声の大きいものが勝つ』社会の実態は嘆かわしいものがあります。
 そういう意味で、教育行政だけではないでしょうが、OTさんご指摘の問題が色濃くあるのだと思います。
 子どもが『生きる力』を失いつつある現在、百年河清を俟つ結果になるのかもしれませんが、ささやかながらブログで訴え続けていきたいと思います。少し希望がもてるきざしもあります。ブログも力になってくれるでしょう。微力ではありますががんばっていきたいと思います。よろしくお願いします。
11. Posted by OT   2012年02月26日 23:17
toshi 先生

ありがとうございます。
反省しなければならない事、嘆いてばかりの
私自身にも数多くあります。

身を引き締めて、社会・地域・子供達の行く末を
真摯に考え乗り越えなければと感じました。

応えて頂きました事、ありがとうございます。

実は、自分自身 子供をどう育てたら良いのか
少々絶望していたのですが、
沢山のご指導を頂いた気持ちです。

先生のブログは、学校現場でなかなか見えない
部分を、多くの親や教育関係者が一番知りたい・
考えなければならないポイントを丁寧に考えられる
(学びの場)だと思います。

多くの方が共感を持って
拝読させて頂いていると感じています。

どうぞ、ご無理のない範囲でご活躍下さい。
少しでも長く、多くの方にご指導頂けますように。
12. Posted by 通りすがり   2012年02月27日 08:50
テレビの実践は、西川氏の学び合いとは別物のですね。

というのは、下記のページにある手引き書には、「日本の教科書は優秀ですし、副読本・参考書は多様です。従って、それらを利用すれば、自力で理解することの出来る子どもがいると考えています。」とあり、むしろ教科書を使うことを西川氏は奨励しているからです。
http://jun24kawa.jimdo.com/%E5%AD%A6%E3%81%B3%E5%90%88%E3%81%84-%E3%82%92%E5%AD%A6%E3%81%B3%E3%81%9F%E3%81%84%E6%96%B9%E3%81%B8/%EF%BC%92-%E3%83%8D%E3%83%83%E3%83%88%E3%83%96%E3%83%83%E3%82%AF/
13. Posted by toshi   2012年02月27日 16:31
OTさん
 身に余るお言葉をたくさんいただいております。ありがとうございます。拙ブログにOTさんがなにがしかの力を感じてくださるならこれに勝る喜びはありません。
 どうぞ、末永くよろしくお願いします。
 なお、拙ブログの目次を開いていただきますと、下の方に『子育て』という項目があります。それが参考になればありがたく思います。本コメントのtoshi欄をクリックしていただければ出るようにしましたので、よろしくお願いします。
14. Posted by toshi   2012年02月27日 20:16
通りすがりさん
 『学び合いの手引書』は削除されたのではなかったのですね。教えてくださってありがとうございました。ただ、わたしがかつて読んでものとは微妙に違っていました。考えるまでもなく改訂版ですから当然ですね。
 さて、通りすがりさんが引用された文章は、《テレビの実践は、西川氏の学び合いとは別物》とする根拠にならないと考えます。
 なぜなら、この個所は、同氏が子ども同士の学び合い(教え合い)が成立すると考える根拠を述べているに過ぎないからです。決して教科書使用を奨励している文章ではありません。
 すなわち、
・保護者が子どもの教育にお金をかけるようになったこと
・都市部では塾・予備校などの学校以外の教育施設が一般化したこと
・地方でも、本は安価になり、通信教材も充実し、高度な教育を受けることが可能になったこと
・保護者が通信教材を学ぶ我が子の横に座って教えることができるようになったこと
・テレビ・インターネットが、学校教育では考えられないくらい予算をかけた多種多様な教材を無料で与えてくれること
などをあげ、最後に、
・日本の教科書は優秀で、副読本・参考書は多様にあり、それらを利用すれば、自力で理解することが出来る子どもがいると考えられること
をあげ、
15. Posted by toshi   2012年02月27日 20:16
 その結果として、学校で学ぶ知識・技能を(学校の授業に先行して)持っている子ども、また自力で解決できる子どもが出現するようになったので、(子どもが子どもに教えるという、)『学び合い(教え合い)』が可能になったと述べているのです。
 つまり『学び合い』はそのような子どもの存在を前提にして成立すると言っているのです。
 ねっ。授業で教科書を使う、使わないということにはふれていません。まして、奨励などしていません。あえて奨励というなら、そういう先行して知識・技能をもつ子どもの存在を奨励しているといえそうです。
 そして、別物かどうかは別として、本記事の授業はこの西川氏の手引書と親和性が高いことがうかがえます。つまり、学校の授業に先行して筆算で解くEちゃんがいてまわりをびっくりさせているからです。
 
16. Posted by OT   2012年02月28日 00:17
toshi 先生

ありがとうございます。
沢山の資料、時間をかけて拝読させて頂ければ
幸いです。

先生のブログは、現在 日本の義務教育が失ってしまった。一番大切な部分を丁寧に多くの方に提供されている貴重な場所だと思います。

良いコミュニケーションは、相手から奪うものではなく 与えあう、高めあう経験ができるものだと
思います。(学び)そのものだと思います。

できるだけ、多くの現場の教師の方や
子育て中の方に、読んで頂きたい
訪れて頂きたい(教室)です。

私は、自分の子供を
精神的に傷つけられ、追い込まれた(怒り)から
自暴自棄になっていました。

子供を傷つけたのは(現場)でしたが
子供を救って下さったのも(かつての教職)
であられた方だったと感じています。

どうぞ、末永くこの場所を多くの方に
提供して頂けますように。感謝をこめて。
17. Posted by hiro4nemo10   2012年02月29日 04:18
toshi先生


初めまして。
実は今ちょうど佐藤学先生の講義の課題(自由レポート)として、「学びの共同体」と「学び合い」を比較した文章を書いており、その参考となる文章を探してこのエントリに行きついた者です。

文章、興味深く読ませていただきました。ありがとうございます。自分も番組を見ましたが、佐藤先生の講義を受けている者として違和感を感じていました。先生にうかがったところ、「ちょっと協調したい部分は違うんだけどまあ、放送時間的にしょうがないよな…」というお話でした。

佐藤先生の「学びの共同体」の方針は、toshi先生のお考えにほぼ沿うと考えています。佐藤先生が講師役を務める授業研究会を数度見学したことがありますが、そこで協調していたことは「教科書・教材に立ちかえる」「全体とグループの間を行き来する」「しゃべり合いになってしまってはダメ、問題を考えながらつぶやきあうくらいがちょうど良い」「課題のレベル設定は、生徒にはちょっと手の届かないくらいが良い」といったことでした。

また、普段の講義でも情報化社会に対応した課題解決力育成と、それを行える高度専門化としての教員養成が常に強調されています。

ぜひ一度、佐藤先生の著作や論文を読んでいただければと思っております。

このまま誤解が続くのは悲しいと思い、長乱文コメントさせていただきました。

(ちなみに、西川教授の『学び合い』の問題点は、 岾悗咫廰教員の専門性6軌蕕量槁犬箸垢訖祐崛に起因するような気がしています。もしよろしければ先生のご意見も伺えるとうれしいです。)

今後、ブログ拝読させていただければと思っております。またコメントさせていただくこともあるかと思いますが、その時はよろしくお願いいたします。
18. Posted by toshi   2012年02月29日 07:24
OTさん
 ごめんなさい。拙ブログの目次を紹介させていただいたのはよけいなおせっかいでしたね。すみませんでした。
 でも、おっしゃるようにゆっくりゆっくりご覧いただければ幸いです。
 今回も身に余るお言葉をいただいてしまいました。
19. Posted by toshi   2012年02月29日 08:15
hiro4nemo10さん
 うわあ。佐藤学氏の講義を受けていらっしゃる方からコメントをいただけるなんて、ほんとうにうれしいです。また、本記事の趣旨とピッタリの論文を執筆なさっていたのですね。「学びの共同体」と「学び合い」を比較しての貴論文。ぜひ拝読したいなと思いますがそれはかなわぬことでしょうね。
 またこれだけの記事を書いた以上、佐藤学氏の著作や論文はぜひ拝読しないといけないなと思いました。
 同氏の講義を受けていらっしゃる方があの番組に違和感を感じられたということは、わたしの戸惑いを解消してくださった思いです。ありがとうございました。また、マスコミが報道する際、マスコミが主張したいところに出演者の話を合わせてしまうことはよくあることで、そういう意味で、佐藤氏ご自身も戸惑いを感じたであろう点、よく理解できました。
 なお、ちょっと補足させてください。
 本コメント欄の12、14、15番についてですが、通りすがりさんが教えてくださった西川氏の手引書をその後拝読しましたら、通りすがりさんが根拠としたところと違うところで、やはり西川氏は授業中の教科書使用を推奨していることが分かりました。ただし使用したい子には使用させればいいという感じだと思います。
 その点、同手引書が改訂されたとはいえ、誤解を招いてしまったであろう点はお詫びします。すみませんでした。
 ただ、だからといって本番組の授業が別物とまでは思っておりません。その点、hiro4nemo10さんからのコメントはわたしの想いを補強してくださったように感じ、ありがたく思いました。
 
20. Posted by 伊藤   2012年02月29日 16:11
いくつか、youtubeの方で学びに関する動画が上がっていたのでお暇な時にでも氏の考え方についての参考になればと思います。
http://www.youtube.com/watch?v=OXB9tcZDIAE
http://www.youtube.com/watch?v=l4bl77xyZBQ
21. Posted by toshi   2012年03月01日 15:51
伊藤さん
 教えていただきありがとうございました。たくさんあるのですね。
22. Posted by Mutti   2012年03月04日 17:40
いつも楽しく勉強させていただいております。
4月より大学院で構成主義の学習理論について学ぼうとしている現役の高校教師です。

西川氏のホームページにある小3の児童の授業風景を拝見して、児童の落ち着きのない様子に驚いています。今の小学生はあのビデオのような状態が普通なのでしょうか?
よろしければtoshi先生の見解をお聞かせいただければ幸いです。
23. Posted by toshi   2012年03月04日 20:13
Muttiさん
 はじめまして。
 残念ながら、そのホームページが分かりません。URLを教えていただけますか。
24. Posted by Mutti   2012年03月05日 20:49
失礼いたしました。
「平野くにこ」先生の授業風景です。URLは
http://www.juen.ac.jp/lab/nisikawa/data/manabi/library-hirano.html
でご覧になれるかと思います。「算数の授業」がとても気になりました。監視するような先生が巡回していて、それも私には異様でした。厚かましいお願いで恐縮です。
私は「もう手遅れかもしれない高校生」を輝いた瞳の生徒にしたいと日々悪戦苦闘しております。
25. Posted by toshi   2012年03月07日 23:31
Muttiさん
 URLをお教えいただき、ありがとうございました。さっそく拝見しました。『児童の落ち着きのない様子』とか『監視するような先生の巡回』とかありましたので、まずその点をよく見ました。
 拝見し、かつてどなたかが『学び合いの学習は見た目学級崩壊に似ていて、よく誤解される。』とおっしゃっていたのを思い出しました。この授業を学級崩壊に似ているなどとはとうてい思いませんでしたが、落ち着きがないとおっしゃるのは、奇声を発する子がいたり意味なく歌い出したりする子がいることを指しているのかなと思いました。
 そういうことなら、地域にもよりますが、今の時代多くのクラスでみられることだと思います。今わたしが担当している初任者のクラスも一学期はそうした状況がありました。本コメントのtoshi欄にその記事のURLを貼りつけましたので、よろしかったらご覧ください。なおその記事にも書きましたが、今は初任者Aさんの努力によってものすごく改善されています。
26. Posted by toshi   2012年03月07日 23:32
 なお、Muttiさんの年代が分かりませんが、こうした状況は今に始まったことではありません。わたしの記憶では、昭和が平成に変わったころからの状況のように思います。確かに子どもが変わったという感じがしたものです。もちろん改善の努力はしましたよ。
 また、《監視》については、あれは研究授業の参観者が机間巡視しているのだと思います。ノートにどんな内容を書いているのかなといった感じで見ているのでしょう。
 わたしはそういうことより、本記事内容にも関係しますが、学び合い以外は、教員主導で授業が進んでいること、学び合いにしても、何を学び合うのかは教員が指示していることなどが気になりました。また、学び合いと言っても、特に班編成するわけでもなく任意に行きたい友達のところへ行っているようなのは、テレビの学級とは違うなと思いました。
 また算数の12×23などは、長時間かけていわゆる『学び合い』をしながら、考え方の説明では、『12×20と12×3をやりその答えを足す』というのを2人の子が発言しただけであっさり終わってしまったのには、ちょっとびっくりさせられました。
27. Posted by Mutti   2012年03月08日 20:29
コメントありがとうございます。
A先生の記事読ませていただきました。心が救われるようです。
平成に変わったころですか。研究テーマの一つになりそうです。この何日か自分の授業の「振り返り」をしました。「分数のわからない高校生」を前にして、補習授業をするだけでなく、その生徒の学習歴をじっくり聴く必要があると思いました。小学校、中学校では一斉授業だったのか、グループ学習だったのか、わからなくなったとき先生はどんな対応をしたのか。というようなことです。今頃気付いたのかと言われそうで恥ずかしいですが。たいへん参考になりました。
28. Posted by toshi   2012年03月09日 06:24
Muttiさん
 過去記事もご覧いただき、ありがとうございました。以前も「分数のわからない高校生」のいる学校の教員からコメントをいただいたことがありますが、それが必ずしも学級崩壊的要因を抱えていると決めつけるわけにはいかないでしょうが、しかし、高校は小、中学校と比べ、同質集団に近い状況だと思います。それだけに、ご苦労はわたしたちの想像の域を超えているのではないかと思っています。
 参考になりましたなどとおっしゃっていただき、感謝しています。
  
29. Posted by 通りすがり2   2012年06月09日 23:45
西川教授の『学び合い』に関わっている者です。
本エントリ興味深く拝見いたしました。

『学び合い』についていくつか情報提供できることがあります。
もし参考になれば幸いです。

●NHKーETV特集で放映されたのは「学びの共同体」実践校

●『学び合い』でも教科書を中心に据えている授業は多いようです。

もっとも初歩的な『学び合い』授業の課題例として
「教科書P○○からP○○までの内容を友達に説明して納得してもらうことができる」
といったものが挙げられています。

●番組で放映された「こっぴどくGちゃんを叱る場面」について、『学び合い』実践者の中でも強い違和感を感じた方が多くいました。

●「分からない子に分かる子が教える学び合いではなく、互いに考えをひびき合わせ、共同で創造する授業にもっと転換すべきだ。」という佐藤学氏の主張に関して、おそらく『学び合い』実践者の多くが深く共感する内容だと思います。

●おそらくハイレベルな「学びの共同体」授業とハイレベルな『学び合い』授業はほとんど区別不可能なのではないかと思います。

例えば、神奈川県で『学び合い』を実践しておられる先生の授業記録を参照いただければと思います。
http://manabiai.g.hatena.ne.jp/ghjal/20100714/1279110713
30. Posted by toshi   2012年06月10日 17:02
通りすがり2さん
 コメントをいただき、ありがとうございました。
 しかしながら、『学び合い』と『学びの共同体』について、よく分からなくなりました。ハイレベルかどうかは別として、ほとんど区別不可能なのかもしれませんね。
 ただし、理論的には違いがあるように思います。
 いずれにしても、わたしにとっては、記事にも書かせていただきましたが、教員の指導性の問題にこそ、強い関心があります。
31. Posted by miya   2012年07月12日 08:59
「学び合い」という言葉が一人歩きしています。問題解決学習でも学び合いでも,要するに子どものコミュニケーション力(困った時にhelpできる,自分の頭と仲間の頭を合わせて考える等)や深く思考し対話する場を設定していくことが大事だと思います。問題解決学習も学び合いも結局は授業者のレベルや知見で大きく変わってしまいます。テレビに出たのは一つの例に過ぎませんが,全国ではいったいどれほどのレベルの実践がなされているでしょうか。あきれてしまうような授業が相当数行われているのですから,あのように授業実践に挑戦していく姿を賞賛していくことがtoshiさんたちの立場ではないでしょうか。
教育実践についてのイデオロギー的な対立や批判をしても,日本の教育は決してよくなりません。あらゆる実践がともに手を携えて,それぞれの良さを認め,できる連携をしていかなければならないと思います。
32. Posted by toshi   2012年07月13日 04:40
miyaさん
 教育実践について語っているようでいて、観念、思想を語るのなら、それはイデオロギー的な対立や批判ととらえてもいいでしょう。不毛の議論になるかもしれません。
 しかし、そこに生身の子どもが登場して、その子どもの姿から学ぼうとするとき、また、『真に主体的に生きる子どもを育てるにはどうしたらいいか。』を考え合うとき、さらには、若い教員がある教育サークルに入ろうかどうしようかと悩んでいるときに、
 ただ『授業実践に意欲的に挑戦し一定の成果を上げていればどんな実践でも称賛』というわけにはいかないでしょう。
 そして、それはイデオロギー的な対立や批判でしょうか。現にわたしは、『生身の子どもの学び合う姿を見て共感できる部分も記事に書いています。単なる観念論ではないつもりです。
 ただし、miyaさんがおっしゃることに共感できる部分もあります。
 校長という立場で自分の学校の学校経営に取り組んだとき、これはもう、miyaさんがおっしゃるような気持ちで、実践力のある教員をじくに、学校としての実践力アップをはかったことはいうまでもありません。
33. Posted by miya   2012年08月13日 22:47
toshiさん
何か勘違いをされているようですね。イデオロギー的な対立や批判をただよわせているのはこのHPであるような気がしています。結局は自分(自分たち)の実践が唯一無二であるかのようなHPです。他の実践に理解を示すような言葉を使っていても実際はそうではないように感じます。
佐藤学さんは全国数千の小中高校に入り実践と授業改革を支援しています。もちろんtoshiさんもそんなことはご存じでしょうが。また彼の著書も熟読していることと思います。そうでなければ批判は成り立ちませんから。私の周りには,退職してもなおライフワークとして教育方法学を学び,授業を実践したくさんの学校を支援している方がいます。理屈よりも実践なのです。子どもの学びがどんなふうに成り立っているものなのかは,数年程度の実践や研究では解明できません。数十年の時間が必要でしょう。そういう研究や研修を今まで公立の小中学校で果たして行ってきたでしょうか?今は学校組織論,学校経営論も含めて教員のレベルアップ,また管理職のレベルアップを図らなければいけない時代になっています。すべての教育実践や理論が結びつけ,日本の子どもをいかに育てるかという大きな視野が必要です。
余計なお節介をしてしまいました。
投稿は今後はいたしませんが,ぜひ実践でがんばってほしいと思います。ありがとうございました。

34. Posted by miya   2012年08月13日 22:59
追伸です

西川さんの学び合いと,佐藤さんの学び合いは似て非なるものです。ご存じでしょうが,全く違うものです。市川伸一さんの言う学び合いもまた違います。お知りおきください。
失礼しました。
35. Posted by toshi   2012年08月15日 16:01
miyaさん
 そうですか。わたしが勘違いしているのですか。それはどうもすみません。
 わたしとしてはあくまで実践を大事にし実践に足場を置いて評価したり批判したりしているつもりですがね。
 また《他の実践に理解を示すような言葉を使っていても》というのは、本心はそこにないという理解なのでしょうが、
 わたしはあくまで、『子どもの想いを大切にした実践』という観点から評価すべきはし、批判すべきは批判するという姿勢をとらせてもらっています。『問題解決学習と共通する部分がある。』というとらえをしてくださっている方もいらっしゃるくらいです。
《理屈よりも実践なのです。》
《教員のレベルアップ,また管理職のレベルアップを図らなければいけない時代になっています。すべての教育実践や理論が結びつけ,日本の子どもをいかに育てるかという大きな視野が必要です。》
 この点に関してはもうおっしゃる通りで、もろ手を挙げて賛成します。拙ブログにおいても繰り返し主張しているところです。しかしそれは、《日本の子どもをいかに育てるか》ということに関し、批判し合わない姿勢を意味するわけではないでしょう。
36. Posted by 若手教師   2013年04月16日 06:23
調べても問題解決学習と、問題解決的な学習の差異はどういった面にあるのでしょうか?

また、『学び合い』にしても、問題解決学習にしても、最終的な評価はどう行うのでしょうか?

お暇なときに教えていただければと思います。
37. Posted by toshi   2013年04月17日 05:56
若手教師さん
 問題解決学習ははっきりとした概念がありますが、的がつくと、その人その人により、いろいろな使われ方がしていると思います。ですから、わたしが描くイメージでお答えすることになりますが、的がつくと、学習問題は指導者が子どもに与えるという意味になろうかと思います。しかし、そうなるともう、問題解決学習とは言えないのですね。
 また、的がついていなくても、今申し上げた意味で使っている例もあります。わたしはそれを、問題解決学習もどきと称し、しっかり区別しています。
 最終的でなくても評価法はいろいろありますよ。発言内容、テスト、それぞれ自分の思いが書かれたノート、資料発見、作成、収集、活用の状況などでしょうか。
 学び合いについては、申し訳ありませんが、ここに書けるほど、よく把握できていません。

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