2012年04月24日

実(じつ)のあがる小中連携は、(再掲)

kodomo130 今回の記事ではいろいろお騒がせしました。ゆっこさんからは、
《toshi先生も木から落ちる時があります。中学、東京の教育、すべて心配!と決め付けたかのような表記はアレ?と思いました。》とのご指摘。
 また、junkoさんからも、なんか、涙なしでは読めないようなすごいコメントをいただきました。『ありがたいなあ。でも、ご心配をおかけし申し訳なかったなあ。』という想いになりました。

 わたしのなかではバランス感覚ありと思っていたのです。過去記事には、すばらしい中学校のことも書かせていただいていますのでね。『中学校長から学ぶ』なんていうのもありますし。

 しかし、ブログって単発の繰り返しですから、もう何年も前の記事なんて多くの読者の方はご存知ない。だから、一方的に決めつけた。そうとられてしまうのも、当たり前ですよね。すみませんでした。

 そこで、今回は、かつての記事をそっくり再掲させていただきます。いつもなら過去記事へのリンクで済ませるところですが、それもやりながら、過去記事のままここに再掲します。もう、むかしからの読者の方はご覧いただいているので、ご迷惑かもしれないがよろしくお願いします。あるいは、なつかしくご覧くださるかな。

 わたしは、いきなりの小中一貫はないだろう。まずは地道に小中連携から。
 そう思っています。そういう意味では、この過去記事は、やれるところからやるといった意味での小中連携の実践であり、一つの提案になりうると思いました。

 どうでしょう。ゆっこさん。《ほんわか まったりサイト》に戻ったといえるでしょうか。それでは、どうぞ、ご覧ください。



 〜。

 今日は、わたしの現職時代、我が校の卒業生の大部分が進学する中学校の校長との間ではかった小中連携をテーマに書かせていただきたいと思う。今、A校長と呼ばせていただこう。

 さて、

 どこの地域でも、校長として新しい学校に着任すると、近隣の小中学校や地域の方々へのあいさつ回りをすると思う。

 このA中学校は、わたしの学校のほとんどの卒業生がお世話になる学校だったから、前任校長とともにうかがった。

 A校長の評判はすでに何度かいろいろな方からうかがっていたから、訪問が楽しみだった。


 そして、以下のような話をうかがった。

〇A中学校には、何人かまちにいろいろご迷惑をかける子どもがいるので、おそらく小学校に対しても、そういうことがあると思う。もし気になることがあったら、遠慮なく知らせてほしい。
〇でも、おかげさまで、そういう子も、だんだん学校にとけ込めるようになり、問題になる事例はずいぶん減ってきた。これはまちの方々のご支援、ご協力のたまものである。
〇今後、いろいろなかたちで小中連携が図れたら、うれしい。

 わたしとしても、これは願ったりかなったりだった。小中連携に限らず、身のまわりの大人が手を携えていると子どもたちが感じとれれば、それは、有形、無形の教育力になる。

 そのようなことを思っていた数ヶ月後、わたしは、放課後の校庭で、すばらしい光景を目にした。中学生が10人以上、我が校に遊びに来ていた。みんなでサッカーに興じている。
 初めは、やけに小さな中学生がいると思っていた。しかしよく見ると、違っていた。何と、小学生が一緒に遊んでいたのだ。

 こういうときとかく目にする光景は、こんなふうだ。

 中学生が我が物顔で校庭を独占する。そのため、小学生は隅っこでこじんまりと遊ぶしかなくなる。ときどきは小学生が職員室にやってきて、『ぼくたち遊べない。』と訴える。するとやおら教員が立ち上がり校庭に出て、中学生に注意をする。

 このわたしにも覚えがある。
「ねえ。君たち。ここで遊んでいけないとは言わないが、小学校の校庭なのだから、小学生を大事にしてやってほしいな。せめて、校庭の半分くらいは小学生に譲ってやってくれよ。」

 ところが、このときのA中学校の生徒は違っていた。ただ、小学生と一緒に遊んでいるというだけではない。小学生に対して、実にやさしいのだ。わたしは、校長室から見ていたが・・・、
 身体の大きさがまるで違うのは当然だが、小学生とぶつかりそうになると、さっと身をかわすか動きをセーブする、その姿が自然体で、とてもすてきだった。それでいて、むきになる小学生に対しては、遠慮しない。うまくボールを扱って、小学生をおちょくっているようにも見える。『さすが、中学生のお兄さんは違うな。上手だな。』とばかり、尊敬のまなざしを向けているようにも見える。
kodomo123
 初めは、小学生対中学生でやっていた。しかし、なにやら、動きを中断し、小学生が中学生に話しかけている。
見ていると、話の内容が想像できるのだ。
「これでは、つまらないよ。どちらのチームにも、中学生のお兄さんとぼくたち小学生がいるようにして、同じ力でサッカーをした方がおもしろいよ。」
 
 それに中学生も賛同して、チームを編成しなおし、また、試合をやりだした。小学生は、先ほどより、全員がすごく楽しそうだ。中学生は、小学生にもちゃんとパスしてやっている。ともに楽しめるような気配りが随所に見られる。

 わたしは、ジーンとするとともに、職員室へ移動すると、教員たちに話しかけた。教員も、仕事の手を休め、校庭を見つめる。
「ああ。〇〇が来ているな。」
「〇〇兄弟だ。」
「ほんとうに、いい光景ですね。やさしい中学生だわ。」
「よし。終わったら、中学生と話してこよう。お礼の気持ちを伝えてきますよ。」

 わたしは、そうした話を聞きながら、『よし。このことを、A校長に伝えよう。』そう思った。だって、小学校が中学校に電話を入れるときっていうのは、たいがい、苦情だものね。それではダメだ。苦情もあればそれは言うけれど、今のようないいこともどんどん報告しなければ。

 A校長は大変喜んでくれた。
「ありがとうございます。このように、苦情でない電話をいただいたのは初めてです。さっそくそういう電話をいただいたことを教員にも話しますし、次の全校朝会の話題にもさせてください。生徒も喜んでくれると思います。」
 内心とてもうれしかった。『ああ。電話を入れてよかったなあ。』

 それからというもの、ちょっとした変化があった。
〇わたしは、ほとんど毎朝、登校の子どもたちを迎えるために、校門に立っていたが、その前を通る中学生が、わたしに挨拶してくれるようになった。
 わたしは、着任した年だったから、この子たちをほとんど知らない。しかし、数日後にはもう、顔なじみという感じになった。

〇A校長の話を聞いたからだろう。見るからに、『まちに迷惑をかけている。』と思われるようなタイプの子も、やってきた。
「〇〇いる?」
などと言いながら。
 それは、旧担任の名前だったりあだ名だったりした。はっきりわたしに会いにきたという子もいた。

 職員室のものを勝手にさわったり、教員の机の引き出しを開けたりするが、注意するとやめるし、人懐っこいし、一人ひとりはかわいいものだ。
 彼らはさびしいのだね。それで、話を聞いてくれると分かると、どんどん話しかけてくる。

〇それから、さらに、数ヵ月後、秋も深まったころだった。
 A中学校陸上部の指導をしている教員が、突然、わたしを訪ねてきた。そして、本校卒業生の活躍を報告してくれた。
 わたしは、これまでも記事にしてきたように、中学校の部活には、いろいろ問題を感じていたが、それとこれとは違う。わたしは、こういうことを伝えに、わざわざ小学校を訪ねてくれる、その気持ちに感謝した。 
 そして、その席に、小学生当時の担任を呼んで一緒に聞いたり、それがかなわなければ、あとで伝えたりした。

〇また、地域の小学校が全校集まって行う体育大会が近づくと、小学生の早朝練習に、いつからか中学生が来てくれるようになった。小学生と一緒に走ったり、バトンタッチの指導をしたりしてくれた。
 わたしは、校庭に出て、その様子を見ながら、終わると中学生に声をかけた。
「ほんとうに、いつもありがとう。おかげで、小学生がすごく上手に走るようになってきた。クセのある走り方をしていた子がそれがぬけ、とてもいいフォームで走るようになってきている。ほんとうにありがとう。」
「いいえ。ぼくたちにも、小学生が速くなっているのがよく分かります。」
「とてもうれしいです。」
「『中学生になったら、陸上部へ入れよ。』って言いました。」
 もう、みんなすてきな笑顔だった。暑い陽気でもないのに、汗びっしょりだ。

「これから中学校へ登校するのだろう。もう時間があまりないね。」
「いえ。走っていくから大丈夫です。」
「ええっ。また、さらに学校まで走るの。それは大変だ。車に注意してね。」
 校庭を去る中学生に、小学生はいつまでも手をふって、すてきな交歓風景が見られた。

〇それからも、交流の輪は広がる。
 数年後からは、ブラスバンド部が来てくれて、小学生の前で演奏してくれるようになった。もう、小学生は、あこがれのまなこだ。
 そして、おそらく中学校の配慮だろう。本校卒業生が、実に軽妙で笑いの絶えない司会、進行をやった。

 わたしの隣には、A校長もいらしていた。
「すてきですね。演奏もさることながら、わたしはさっきから、司会・進行をやっているBさんに感動しています。
 あの子は、小学生のときは、無口でねえ。表情はいつも明るく、よかったのですが、発言はほとんどなかった子なのですよ。
 それがあんなにも、よく話すようになって、しかも、そばの小学生にはインタビューすることもとり入れて、進行している。中学校3年間の成長ってすごいものだなと思いました。」
「ええ。分かります。Bさんは、中2の秋くらいからですかね。ほんとうに積極的になりました。」

 小中一貫教育が叫ばれる。また、教員の小中交流も進む。我が地域では、管理職の異動も、小中間のそれがふえている。
 しかし、なんか、日本は、形ばかり先行のきらいがある。こういう、『心の耕しこそ、大切なのだよ。』と、訴えたい。

にほんブログ村 教育ブログへ

ninki


 学校に限らず言えることだと思いますが、プラスの効果は、決してプラスだけにとどまるものではありません。マイナスを減少させる効果もあるのです。事実、A中学校は、大変落ち着いた雰囲気になっていきました。

 さて、いわゆる『まちにご迷惑をかける』子どもの存在について、それを身の回りの大人がどうとらえるか、どう指導していくか、それはとても大切なこと。一つ間違えれば、大変な問題になる可能性もあります。
 次回はそのことにふれたいと思います。


 
 記事再掲部分は以上です。ずいぶん長い記事でしたが、ご覧いただきありがとうございました。

 junkoさんがおっしゃったように、伝え合うということ。大事ですね。

 もしそれがなかったら、小学校校庭でサッカーに興じる小中学生の姿は偶発的な出来事にすぎなくなります。しかし、伝え合うことによって、その心情のはぐくみをより確かなものにすることができますし、広げることもできます。
 小中間のひびき合いです。

 なお、近日中に、《小中連携、一貫》カテゴリーを設けるつもりです。その際はまた、よろしくお願いします。
 

rve83253 at 01:57│Comments(6)TrackBack(0)学校経営 | 小中連携・一貫

トラックバックURL

この記事へのコメント

1. Posted by ゆっこ   2012年04月24日 11:31
あらまあ、私、失礼なコメントしてたんですね。toshi先生をサル扱い。
大変申し訳ございません

手描き(自転車)、ワープロ打ち(車)、ブログ発射(ジェット機)、早くなるにつれ なかなか戻れなくなります。
小回りがきかなくなる危険性と、読み手の読解力・想像力が不可欠だと認識して、ブログを読まないとね

『北』と書いてあっても、北北西や北東も含んでいるかもしれない。『1時間』と書いてあっても55分か65分か含みがあるかもしれない。
それを○○と書いてあった!と集中攻撃するのは 書き手の責任と言うより 読み手の力量不足

誰でも気軽に発射ボタンが押せてしまうネットですから、戻れないことを覚悟で?温かい・有意義な発信を目的とする人にのみ搭乗してほしいですね

『心の耕しこそ、大切なのだよ。』と、訴えたいというtoshi先生の言葉に共感します。
私は たとえ話が多いらしく 子どもたちに冷やかされますが、「よりそう」という表現に噛み付いてきた教員と違い、勉強になりました、と受け入れてくれる謙虚で包容力の大きなtoshi先生みたいな教員でいっぱいの学校になることを期待しています

ありがとうございました。
2. Posted by toshi   2012年04月25日 08:07
ゆっこさん
 ほんとうに自転車からジェット機へとなれば、戻るのも困難になりますね。教育の現場もけっこうジェット機の世界に突入していますから、かつては起きなかったような事態に追い込まれたり戻れずにより事態を悪化させたりしてしまうことがあるようです。それだけに、より心の耕しが不可欠になるのではないでしょうか。
 話は変わりますが、少年の引き起こす事件が多発しています。つい《やっぱりなあ。》と思ってしまうのは、保護者の方から多くメールをいただく地域と重なってしまうからでしょう。
 わたし自身、自分のブログについて、今、葛藤しています。本記事に反省とは書いたものの、ゆっこさんおっしゃる《ほんわか まったりサイト》専念でいいのかと。子どもを大事にしないで自分の思いこみで行う教育行政、またそういう教員に対しては、やっぱり謙虚で包容力というわけにはいかない。そんな思いとの葛藤です。しばらく考えてしまいそう。
3. Posted by ゆっこ   2012年04月25日 10:55
こんにちは

toshi先生は、小回りの利く自転車に乗って、ブログを続けて下さい。戻るつもりのないロケット発射ブログのかたが増えています。

>子どもを大事にしないで自分の思いこみで行う教育行政、教員に対しては

通りがかりのtoshi先生のパンクだけで済めばまだしも、集団登校の小学生死傷事件のように被害拡大の恐れアリと見れば、それは見逃してはいけない、まったなしで修理・勧告・公開しないと

まったりブログは お気楽・無責任ブログとは違います。読んだ人の心に ストンと落ちる 遠山の金さんの名裁き みたいな部分は むしろ不可欠

一度も教壇に立ったことのない私が騒いでも説得力ありませんが、toshi先生のような立場の人にしか発信できないブログを、どうぞ、心置きなく、自分の心の正義どおりに
4. Posted by toshi   2012年04月27日 05:14
ゆっこさん
《まったりブログは お気楽・無責任ブログとは違います。読んだ人の心に ストンと落ちる》
 いやあ。おっしゃる通りです。わたし自身、《読んだ人の心にストンと落ちる》記事を書きたいと日々念じています。ときどき外れてしまうこともあるようですけれど。
《一度も教壇に立ったことのない私が騒いでも説得力ありませんが、》
 とんでもありません。教壇に立つことと説得力とはまったく関係がないこと、もう自明の理となっていますね。
《自分の心の正義》ありがとうございます。しかしわたしとしては、さらに付け加えさせていただき、《人間としての真理》というとらえをしています。
5. Posted by OT   2012年04月29日 07:57
toshi先生、こんにちは
《人間としての真理》について考えています。

昨今の景気低迷に伴い、
複雑な社会情勢や大人の事情の中で
今の子供は、育っていかなければなりません。

子供が学校で辛い思いをした時期
子供は、外へ出て行こうとしませんでした。

子供が作文で取り上げた題材は「蜘蛛の糸」
「戦争について」でした。
内容を見て子供の苦しみ悩みの深さ
を感じた事を思い出しています。

日本に生まれ育ち、義務教育・学校での生活を通して
人に生まれ、人として生きていかなければ
ならない事に、戸惑い、悩み苦しんだ事だろうと
思います。子供が まだ10才前後の頃です。

なんと過酷なのだろう、自分の子供時代と比べて
可哀想な事をしてしまったと親として悩みました。

学校は、教育の道具です。
様々な世相を反映し、
学習指導要領が計画されます。

その真理を正確に子供に伝えられる事も
教員の力量だろうと感じています。

私は教員ではありませんが
toshi先生のお示しのように、多くの学校が
せめて生きる希望を感じられる学校であれば
と願うばかりです。

これから先、どのような荒波に揉まれても
人との関係に、いつでも明るい希望が持てる事
そんな人生を感じて欲しい、そう思います。

ささやかな、母親の願いです。
6. Posted by toshi   2012年04月30日 03:53
OTさん
 義務教育は子どもを幸せにするために存在するはずですよね。それなのに、地域によっては子どもにストレスを与えたり辛い思いをさせてしまったりしている現実があるのですね。
 公教育に携わる者として、申し訳ない思いでいっぱいです。そうした状況を何とか改善したいと思い、またOTさんがおっしゃるように子どもたちに生きる希望を感じさせることのできる学校となるように、そのようなことを念じながらブログに取り組んでいます。
 今後ともどうぞ、よろしくお願いします。

コメントする

名前
URL
 
  絵文字