2012年04月29日

実のあがる小中連携は、(2)

PAP_0033 悲しい。

 何がって、

 地域によっては、拙ブログ前記事に書いた我が地域の、一つの小中連携の具体的な姿は驚きだったようである。『ありえない』『はるかむかし、古き良き時代の小説のような話』。そう受け取られたようである。

 その地域では、『小中で心を通わせよう、ひびき合わせよう』とする努力をしても、それは疑問符付きの小中連携になってしまうようだ。しかも、その地域のある方にとっては、『子どもの心に寄り添う』などは、まるっきり陳腐な言葉にうつるらしい。

 我が地域の学校でふつうに使われ、教員にとって目標にもなりうる言葉。また、文科省の審議会などでも教員に求められる資質としてよく委員から指摘される言葉。あるいはその行為。それが、こんなにも異質なものとしてとらえられてしまう。
 そういうことがあるという現実。しかもそれが、教員同士、教員と子どもと、また、子ども同士心を通わせようとする姿に向けて浴びせられるという現実。これでは、その地域での小中一貫が子どもを荒廃へ導くというのも、より実感的に理解できようというものだ。

 その地域の学校、子どもたちがこれ以上、荒廃の道を歩むことのないよう、衷心より祈らずにはいられない。


 わたしはこれまで、こうした現実は、制度の問題、教育行政の問題。そうとらえてきた。だから、そうした視点を中心に、成果の上がる小中一貫と課題のある小中一貫を論じてきた

 しかし、今、分かった。それ以前の問題が大きいのだね。すなわち教員としての資質の問題だ。

 だから先日、《この件でのやりとりはおしまいにしましょう。》と書いたわたしだが、それ以後、あまりに資質にかかわる問題がその方によって提起され続けているので、すみません。今一度だけとり上げさせていただくことにしました。よろしくご理解のほど、お願いします。
 

 さて・・・、本記事は、前記事の続編とさせていただく。

 だたし今回は再掲ではない。

 また、より深く我が地域をご理解いただければ幸いと思うので、まずは小中連携・一貫から離れ、学校や地域の風土といったものをとり上げさせていただく。そして、後半に、前記事とは別なA小、C中が取り組んだ連携・一貫のあゆみの概略を書かせていただこうと思う。


その1

 我が地域で、中学生が放課後小学校に遊びに来るなどということは、ふつうにみられることだ。しょっちゅうあるとは言わないが、ありふれた光景ではある。前記事のようにほほえましいものもあれば、問題になるものもある。問題になるケースで思い出深いのは、以下のようだ。

 一時期、小学校の《あるもの》が頻繁に中学生によってこわされた。こわす行為そのものについては危険でもあり、きびしく注意したり叱ったり中学校に物申したりしたけれど、その際だって、《小学校に入るな》などとはだれも言っていない。中学校も、《小学校へ行くな》などとは言っていないはずだ。

 ちなみに何がこわされたか分かりますか。それは校庭にあるバスケゴールです。いわゆる『ダンクシュート』というやつ。

 中学生が中学校のバスケゴールでは、高すぎてダンクシュートができない。しかし、小学校へ行けばちょうど手ごろな高さなわけだね。かっこよくできる。しかし、小学校のそれは中学生がぶら下がっても大丈夫なほど頑丈にはできていないから、亀裂が入ったりひどければバスケゴールが取れてしまったりしたというわけだ。

 ねっ。初めからふれ合いお断り、卒業生といえども小学校に入るのを《侵入》といってしまうような地域なら、こんな問題は起きようがないわな。したがって、小学校教員による指導もない。

その2

 こうしたことは、片側通行ではない。中学生が小学校へ遊びに来るほど多くはないにしても、中学校へ小学生が遊びに入ることだって当然ありうる。
「昨日、〇△中へ遊びに行ったよ。そうしたらお兄さんが部活やってた。手を振ったらお兄さんも振ってくれたよ。お兄さんの友達もニコニコしてた。」
「うん。ぼくも行ったよ。鉄棒がすっごく高いんだ。びっくりしちゃうよ。跳び上がってもさわるのがやっとだもん。」

その3

 これは小中連携をテーマにしている以上、あくまで余談だが、保育園などがよく小学校の校庭に遊びに来る。これは授業中でもやってくる。もちろん年度当初には保育園から《今年もよろしく》の電話はあるが、いちいちその都度断ってはこない。そして、授業のじゃまにならないように適当な場所で遊んでいる。休み時間になれば、小学生と幼児とのすてきなふれ合いも見られる。それを保育士の方々が見守る。

その4

 たまに中学生の方が早く下校する日があるよね。そういうときもよく小学校を訪問(?)してくる。『〇△先生、いるう?』などと言ってね。
「そりゃあいるよ。授業中だもん。・・・。あっ。そうか。中学校は今テストか。だから、帰りが早いんだ。」
「そう。明日もテスト。」
「なんだい。それじゃあ、早く家へ帰って勉強しないといけないんじゃないのか。大丈夫か。」
「大丈夫じゃないけどね。でも、いいの。家へ帰ったらやるから。・・・。先生。〇△先生も今、授業中なの。」
「そうだよ。(時計を見て)あと30分たてば、職員室へ戻ってくるのではないかな。」

 こんなやりとりは、我が地域なら多くの学校でふつうにみられる光景だろう。もちろん、複数でも10人以上でも・・・。わあわあきゃあきゃあしていれば、『授業中だ!』と注意はするけれどね。追い出しはしない。
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その5

 さあ。いよいよ、『小中連携から一貫へ』という話になるのだけれど、結論を先にいってしまうと、スタートでは『産みの苦しみ』があった。しかし、その後、課題はあるものの、連携から一貫へと歩み続けている。

 ある年、A小学校に着任したB校長は驚いてしまった。A小学校にもC中の中学生がよく遊びに来たが、それに驚いたのではない。A小の教員はC中生徒が遊びに来ただけで、すぐC中学校に電話をかけてしまうのだった。まさに、A小の教員にとっては、《侵入された》という意識だったのだね。
「今、C中の生徒がうちの学校に来て遊んでいます。すぐ来てください。」
すると、数分後、C中の先生がすっ飛んできて、『どうもご迷惑をかけてすみません。』と言いながら、生徒たちを引き取るのだった。

 こんなことが続いて、B校長は言ったそうである。
「先生方は、何で子どもたちが遊びに来ただけですぐC中に電話をかけてしまうのだ。あなた方が卒業させた子たちじゃないか。どうして子どもたちとふれ合おうとしないのだ。」
「はい。そうは言っても、遊びに来るだけならいいのですが、あの子たち、何するか分かったものではないですから。」
「それはおかしい。何かしたから電話というのならまだ分かるが、何もしていないうちに電話とは・・・。そんなことをしていたら、子どもたちの大人への不信感を増幅させてしまうよ。そんなすぐ電話をかけるのはやめなさい。そして、遊びに来たらいつもとは言わないが時間の許す限り、その卒業生たちとふれ合いなさい。
 そして、仮に何かあったとしても、まずは先生方で対応しなさい。手に負えなくなるようなことがあったら、そのとき初めてC中に電話でしょう。」

 それからというもの、いや、B校長はそれ以前からだったが、A小の教員は、その子たちとふれ合うようになった。ほとんどは卒業生だったが、もちろん遊びに来る中学生は、固定していたわけではない。みんな小学校がなつかしくて来るのだ。そして、ほとんど何事も起きることはなかった。もちろん、C中教員のご指導もあったであろう。

 A小とC中の小中連携はこれがスタートだった。双方の、特にこの場合は小学校の教員の意識が変わったのが大きかった。学校が近いということもある。学級単位で、あるいは、学年で、相互に訪問し合うようになった。最初は音楽の交歓が多かったようだ。
 双方の教員も、定期的に話し合いの機会をもつようになった。こうした面からも、A小の教員がC中の子たちを無用にこわがることはなくなった。
 また、小中で授業観、指導観など、かなり違いがあることが明確になった。
 年々、交流の密度が濃くなっていった。やれることからやるにしても、そのやれることの中身が増えていったのである。

 それにつれて、A小の子どもたちがA小学校にいるうちから、自然にC中の学校生活をイメージできるようになった。そして、入学後の中一プロブレムが減っていった。

 課題としては、やはり教育課程の一貫が上げられる。至難の技(?)のようにみえることもある。しかし、これは我が地域のあちらこちらで見られるようになったのだが、近年、中学校の先生が小学校の授業から学ぼうとする姿勢をみせるようになった。うれしいことだ。

その6

 いわゆる、《まちに迷惑をかけている中学生》についてだが、
 これはまちの人たちの共通した声だが、C中の子どもたちの『まちに迷惑をかける』度合いは明らかに減った。そして、逆にまちの清掃活動などに、中学生の参加が増えていった。これは、当地の連合町会長Dさんの話だが、
「多くの街に子ども会があるでしょう。しかし、だいたい子ども会というのは小学生までなのだよね。中学生になると多くは子ども会から外れる。だから、中学生とまちのかかわりというのは、どこも悩みのタネなんだ。薄くなってしまう。
 でもね。おかげさまで、C中の子どもたちはお祭りなども含め、けっこう積極的に参加してくれるようになったよ。そう。そう。それはC中の先生方のご努力のおかげでもあるのだよね。」

 
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 子どもに垣根をつくる必要はないじゃないですか。入れて上げましょうよ。そして、それこそ、寄り添ってやりましょうよ。中学生なら、中学校教員だけが指導者、他は排除というものでもないでしょう。

 『まちに迷惑をかけている中学生』という言い方をしました。これは前記事のA中学校A校長の言葉です。

 こういう子どもたちをどうとらえてどう指導していったらいいか。おおまかにとらえると、学校現場に2つの考えがあるようです。1つは、ともに育むのだとするもの。もう1つは、迷惑をかける子どもからふつうの子どもを守るのだという考え方。
 後者について、違和感をもたれたという保護者の方からメールをいただいたことがあります。そして、それをとり上げた過去記事もあります。過去記事は小学校の話です。

 よろしければご覧ください。

    ともに育むことの大切さ 

rve83253 at 17:46│Comments(2)TrackBack(0)小中連携・一貫 | 教育風土

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この記事へのコメント

1. Posted by のぞみ   2012年05月09日 09:03
toshi先生が仰る「子どもに垣根を作る必要はない…。」私も、元町内会に関わっていた者として全く同感だと思います。町内会・自治会にも二通りの考え方があるように感じます、私の所では残念ながら子どもに垣根を作る雰囲気が出来上がっていて、子どもの問題行動を見たらすぐ学校へ電話するようにといった会報が出た事で、町内の保護者が全員退会してしまった出来事を思い出しております。
子どもとの垣根を作ると言う事は、保護者との垣根を作る事になり、学校との垣根を作ってしまうと言う反省から、現在は町内会を退会して保護者の皆様と一緒に、出来てしまった「垣根」を少しずつ取り除いている所で、toshi先生のブログは参考にさせて頂いております。
2. Posted by toshi   2012年05月09日 15:07
のぞみさん
 いやあ。驚きました。『垣根』。学校だけではなく、町内会などもつくってしまうのですか。やっぱりすぐ学校へ電話というのは、記事中のA小のようで残念な気持ちがします。
《子どもとの垣根を作ると言う事は、保護者との垣根を作る事になり、学校との垣根を作ってしまうと言う反省から、》
 こうした反省が大事ですね。そうでないと、垣根があることを当然として子どもが育ってしまいますものね。
 ふれ合い、協調。大切にしたいものです。

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