2012年05月18日

ああ。授業をやりたい!

hana03   今年は、学校1日制(週1日勤務)となってしまったわたし。
 その一日も個人指導だけなので、ついに教室で一斉授業をやる機会はなくなってしまった。ときどき、授業中に廊下を歩きまわってみるが、元気な子どもの発言が聞こえてくると、『ああ。いいなあ。自分もまたやりたいなあ。』と思ってしまう。
 

 そんな想いでいたら、ある日、自分が授業をしている夢をみた。夢のなかで子どもが大活躍していた。

 朝、目が覚めまだボオッとしているとき、一瞬この授業が現実だったかのような錯覚におちいった。ちょっと頭のなかは混乱したが、すぐ『ああ。何ということだ。夢のなかで授業をするなんて。・・・。郷愁におそわれたかな。』と自嘲気味になった。

 またかつて、夢は荒唐無稽なことが多かった。しかし、だんだん年を重ねるとともにリアルな夢をみるようになった。夢と現実の区別がつきにくくなった。そうしたなかでも今回みた夢は、リアルそのもの。授業のある一場面だったが、やり取りまで明確に思い出すことができる。そしてなんと、夢に登場した子どもたちから学ばせてももらったのである。不思議な感覚だった。
 

 1年生の国語。Aちゃん、Bちゃんたちがはっきり登場したから、昨年度のCさんの学級だ。
 でも、初任者指導の場面ではなかった。自分のクラスという感じだった。つまり、昨年のことでもあり、同時に20年前のことでもあるといった、そんなふうだった。

 子どもたちは一斉に音読をしている。何のお話かは分からない。しかし、どの子も張り切って声に張りがあり、わたしは、『いい音読だなあ。』とばかり感心して耳を傾けている。

 そのなかに『機関車』という漢字があった。でも『機関』にはカナがふってあったから、子どもたちはなんなく読み進めた。そう。『車(シャ)』は既習だから、もうカナがなくても読めるのだ。

 ねっ。夢とはいえけっこうリアルでしょう。

 そのまま読み進める。するとまた『機関車』が登場した。今度はすべてカナがふってない。

 順調に読み進めてきた子どもたちだったが、この二度目の『機関車』では一斉に音読をやめてしまった。やめてこまったようにわたしを見つめる。わたしはわたしで、『おかしいな。どうしたのだろう。忘れちゃったのかな。』と思い首をかしげた。
「どうしたの。さっきと同じように、読めばいいのだよ。」

 さあ、ここで、子どもたちが何と答えたか。夢の続きはしばらくおあずけにさせていただいて、現実に戻らせていただこう。
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〇現実の1年生教科書に、『機関車』が漢字で登場することは、まずないだろう。D社の教科書を見ても、単元名からして『じどう車』『かん字』となっている。これを交ぜ書きというらしい。

〇このように、従来は未習の漢字ならひらがなで書き、既習のみ漢字表記していた。例外はあったけれどね。
 しかし、今回の学習指導要領改訂で、上学年になるにつれ未習でも漢字表記とし、それにカナをふるのが一般的となったようだ。
 今、E社4年生の教科書の初めの方をみてみよう。『内容』(『容』にカナ)、『想像』(『像』にカナ)、『一枚』(『枚』にカナ)などが目に入った。(参考までに、この点に関し、文科省の考え方を示したサイトにリンクします。関心のある方はご覧ください。『第1章 4.2.(5)漢字表記、提示の仕方を改善・充実させる』です。)

〇かつて、『国語の授業がおかしくなっている・・・かな!?』シリーズを書いたわたしだが、ことこのことについては特に問題視したことはない。『ああ。そうなったか。』と思うくらいのことだ。逆に、『まあ、未習ではあっても早くから漢字を視覚的にイメージさせるのは悪いことではないだろう。』くらいの意識だった。

 そう。だからこの点に関しては、特別問題視していないことが夢にあらわれたことになる。正直のところ、不思議な感じがした。

 

 さあ、そこまで述べて・・・、再び、夢の続きに戻らせていただこう。わたしが、
「どうしたの。さっきと同じように、読めばいいのだよ。」
と声を出したのだった。
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 そうしたら、それに応えて、子どもたちは口々に、
「だって、さっきは『きかん』ってカナがふってあったけれど、今度はふってないんだもん。違う読み方をするのかなって思っちゃったよ。」
「そう。漢字っていろんな読み方があるでしょう。だから、『きかん』でいいのか迷っちゃったよ。」
「そうだよ。同じ読み方でいいのなら、いいよって、ここもカナをふってくれなくっちゃ。」

 わたしは、夢の中の子どもたちに感じ入ってしまった。すべて学習済みの大人は、『〜に決まっているじゃないか。』と簡単に断定してしまう。しかし、『日々、ただいま学習中』の子どもにとっては、どうしたって認識の試行錯誤がつきものだ。それが言葉になって一斉に表出したことになる。

 いやあ。子どもって柔軟だ。子どもの言うことも確かに一理ある。

 そう思って感心していたら目が覚めた・・・。


 ボオッとした感じから抜け出し意識が戻って、わたしは、ちょっとおかしさもあった。

 まあ、これが現実なら、一斉に音読をやめてしまうことはまずあるまい。上記のような理屈で読めなくなる子がいたとしても、大部分の子は、『ああ。今度はカナがふってないけれど、さっきと同じように読めばいいのだな。』と思って、しっかり『きかんしゃ』と読むはずだ。

 でも少数ながら、上記の理由で読めなくなる子も出てくる・・・としよう。そうした場合、指導者は、子どもたちの意識、考えの多様性を尊重しなければいけない。逆に言えば、日ごろ尊重するからこそ、子どもたちも自由に自分を表現することができるようになる。

 そう。だから、これについては、日ごろ強く思っていることがそのまま夢になって表れたことになる。先ほどの『不思議』とは違って、会心の笑みを浮かべることができた。

 次に、冒頭ふれたように、自分の夢のなかにあらわれた子どもたちから学ばせてもらった気分にもなった。『ああ。子どもってそういう感じ方をするのか。』
 でも、これもやはり不思議だよね。
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 だって、大人のわたしが夢をみているわけだ。だったら大人の常識に沿った夢になるはず。それなのに、自分自身思ったこともない、自分自身が奇想天外に思うような、そんな夢をみたことになるのだからね。

 夢に現れた子どもから、夢をみたわたしが学ぶ。・・・。やっぱり不思議でしょう。

 してみると、わたし自身、まだまだリアル世界の子どもから学ぶべきことがありそうだ。

 ああ。授業をしたいなあ。

 これは、初任者の研修に資するためではない。わたし自身のためだ。


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 大人の固定観念を打破してくれる役割を子どもがもっていることは間違いありません。教員の柔軟な姿勢があれば、こうした発言はどんどん出てきます。

 これは家庭においても同じですね。『子どもの言うこと、考えること、やることって、すごいな。おもしろいな。ああ。新発見しちゃったよ。』そういう親のもとでは、いきいきと自分を表出する子どもが育つでしょう。

 したがって、上記、わたしの夢の世界での子どもの思い、考えが、もしリアル世界の学級で出たとして、だから、『同じ漢字に二度も三度もカナをふれ。』と大人が言ったら、それも間違いでしょう。

 そんなことは、子どもに考えさせればいいことです。『なぜ、二度目はカナがふってないか。』ということですね。子どもたちの話し合いにゆだねても、子どもたち自身がすぐ発見するでしょう。『ああ。同じ読み方だからカナをふってないんだ。』

 最後に、リアルの世界の学級において、本記事のように子どもがいきいきと活躍した授業のなかから、一つだけ紹介させていただきましょう。ずっとご愛読いただいている読者の方々もなつかしくご覧いただければ幸いです。

    みんなちがって、かわいそう? わたしと小鳥とすずと
     



rve83253 at 08:58│Comments(4)TrackBack(0)教育観 | 授業

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この記事へのコメント

1. Posted by 竹刀ちゃん   2012年05月18日 13:48
私の経験をお話します。

65歳の誕生日が近付いたころ、
少人数算数指導講師をしていた時に、
職員室にいた6年主任に
 自分で特別な予定がないようでしたら、
 詩「生きる」の授業をさせてくれませんか。
と声をかけてみました。
 いいですよ。
ということで、2クラスで2時間ずつ授業ができました。
それを機に、元同僚等に6年担任を紹介してもらいました。その結果、その年度の3学期には、11クラスで授業が出来ました。
70歳までに小学校の国語の授業を百クラスでという実践が始まりました。この2月16日に、百クラス目の授業ができました。そして、3月14日に平成23年度の最後の授業を済ませました。
今は、83クラス目までいった「生きる」の授業を百クラスでという目標に向かって進行中です。

話してみると、結構受け入れてくれるものです。
ほとんど、1〜2時間ということですので、詩のような短い文章の読みになりますが、中には、1単元7時間分をまかせてくれた1年担任もいました。やっていくうちに輪が広がっていきます。不思議なものです。

toshi先生のご活躍を期待しております。
2. Posted by ゆっこ   2012年05月18日 17:27
分かるような気がします
今日も 安全な日食観測めがねの作り方をテレビでやっていて、夫は「お、コレいいな♪」
軽快な音楽を聴いては「お、これ運動会の入場行進にいいな♪」
そしてお決まりのセリフが続きます「ああ、オレ辞めたんだった・・・」

私がもっと頑張れば辞めさせずに済んだのに、家族全員で働いても 夫の給与の半分にもならない家業を継がせてしまった

担任も専科も任せられない不適格教諭を辞めさせることができない現状。被害を最少に食い止めるために なるべく子どもと接する時間を減らす・・・トレードと称して1年で異動を繰り返し定年まで穏便に過ごさせる・・・

辞めてほしい先生が辞めないで、その逆が早期退職や病休でいなくなると父兄が騒いでいても、確かにその声は教委にも校長にも届いてるはずなのに変わらない。教育現場7不思議の1つです
3. Posted by toshi   2012年05月19日 00:46
竹刀ちゃんさん
 すごいですね。わたしより先輩でいらっしゃる。100クラスとは恐れ入りました。先輩の学ぶ姿勢には頭が下がります。
 人間いつまでも学ぶ姿勢が大事ですね。
4. Posted by toshi   2012年05月19日 01:11
ゆっこさん
 あらら。ご夫君は教員でいらしたのですか。ごめんなさい。わたし、ちょっとボケていたかもしれません。
 『ああ、オレ辞めたんだった・・・』という気分、よく分かります。頭のなかでは分かっていても、感情がときとしてね。むくむくとわき上がってしまいます。
 子どもに寄り添うことを忘れた教員、自ら学ぼうとしない教員は、自己改革が必要です。それができないなら現場から去るしかないと、わたしも思います。教育現場7不思議の一つは、ほんとうに申し訳なく思います。今はだいぶなくなったと思いますがね。

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