2012年06月04日

20年ぶりの学級経営は、(1)

kodomo05 学級担任(?)となって、早くも一週間余りが経過した。なにせ20年ぶりのことで『寄る年波』はあるにしても、なんか若返った気分である。いや、実際体力的にも若返ったのではないかと思う。

 OTさんへの返信コメントにも書かせていただいたが、
 『最近は電車のなかで10分も立っていると座りたくなってしまうのですが、子どもと授業をしていて45分立ちっぱなしでも、これは座りたくならないのです。不思議だなあと思います。きっと子どもがパワーを送ってくれているのでしょう。』

 ほんとうにそんな感じがしている。 エネルギーに満ちあふれた子どもたちと接していると、それだけで若さをもらった気分になる。気づかないうちに表情まで豊かになっているような気がする。

〇『エネルギー』といえば、おもしろいことがあった。
 初夏らしい暑さに見舞われたときだ。『頭が痛い。』『ガンガンする。』などと言う子がふえた。そんなときAさんも、『ねむいし、おなかが痛いし、何か頭がボオッとしている。』と訴えにきた。それで保健室で休ませることにした。そうしたら、しばらくして戻ってきて、
「(保健の)B先生から、『エネルギー切れだね。』って言われた。」

 そのAさん。給食の後の掃除の時間のときだ。
「toshi先生。給食食べたらエネルギーがモリモリになった。だから、掃除がんばれるよ。」
そう言って、机やいすをどんどん運び出した。
「すごい。Aさん。さっきと全然違うね。『がんばるぞう。』って顔に書いてあるみたいだ。そんなAさんから、わたしはエネルギーをもらったよ。ありがとう。」
 Aさんだけではなかった。多くの子の掃除に勢いがついたようだった。

〇友達のよくないことを言いに来る子が何人かいる。それも些細なことが多い。
「toshi先生は、さっきCさんを保健室に連れていくとき、『すぐ戻るから、それまで教科書を読んでいなさい。』って言ったでしょう。それなのにDさんは、教科書でないものを読んでいたよ。」
そんな具合だ。

 食傷気味になっていたとき、Eさんが言いにきた。
「toshi先生。Fさんはね。さっき、育てている野菜に水を上げているとき、間違って自分に水をかけちゃったみたいなの。それで洋服がビショビショなんだけどね。『先生に言って体育着に着替えればいいじゃん。』って言ったんだけど、『いい。いい。』って言って先生に言ってないの。だから、今もビショビショのままだよ。」
「ほんとうかよ。それはよくないね。よし。着替えるように言おう。Eさん。教えてくれてありがとう。」

 これはもう、食傷気味どころの話ではない。みんなのまえで、うんとほめてやりたくなった。
「Eさんはお友達のことが気になって仕方なかったのだね。Eさんのやさしさを感じたよ。Fさん。Eさんのおかげでぬれたままでなくてよかったね。」
と言いながら、『お友達のいいことやかわいそうなことをどんどん先生に言ってきてね。』とお願いをした。

〇この、Eさんの訴えは『学級目標(?)のたけのこ』にも関連する。
 実は教室の後ろにそれが貼ってあるのだ。
 これまでの担任のGさんの指導があったのだろう。子どもたちは、朝の会、帰りの会のたびに、日直さんの音頭で声をそろえる。
 「たけのこを言いましょう。・・・。たけのこのた」
 「たすけあおう。」
 「たけのこのけ」
 「けじめをつけよう。」
 「たけのこのの」
 「のびのびあそぼう。」
 「たけのこのこ」
 「ことばづかいにきをつけよう。」
 

 そのあとだ。子どもたちの何人かが、机のかげにかくれるようにしゃがみこむ。・・・。初め、何のことか分からなかった。
kodomo04 日直はひときわ声を大きくして、
 「今日も(明日も)一日、がんばるぞう。」
 すると、それに合わせ『がんばるぞう。』と叫びながら一斉に跳び上がる。なるほど。先ほどしゃがみこんだのは、はずみをつけるためだったのだね。冒頭の写真はその跳び上がった瞬間を写したものだ。

 さて、その『学級目標』だが、先ほどのEさんの訴えは、まさにこの4つの目標の一番目、『たけのこのた』にピッタリではないか。帰りの会で、この儀式(?)のあと、
「すごいよ。Eさんのお友達を想うやさしい心は、この『たけのこのた』なのだね。」
そう言ってほめた。

〇『たけのこのた』は、まだある。

 このクラスは、自分の本や宝物をみんなに紹介したり、係の子が中心となって休み時間に学級の遊びを計画、運営したりする活動が盛んだ。
 これはすばらしいことだ。いつかも記事に書かせていただいたが、今、学力狂騒のあおりをくい、特活は、多くの学校で地盤沈下を起こしていると思われる。しかし、このクラスはそれが活発で、学級内の人間関係が濃密、とても豊かだ。すばらしい。こうであってこそ、学力も伸びる・・・はずだ。

〇ただし、その反動だろう。課題もある。
 たとえば、誰かが給食をこぼしたり、図工で使う共同絵の具をこぼしたりしたときだ。何人もがぞうきんをもってさっと集まる。しかし、集まり過ぎてしまうのだ。
「わたしが拭いているんでしょう。どいてよ。」
などとトラブルになることもある。

 わたしは言った。
「誰かがこぼしても、サッと集まってみんなで拭いてあげている。すごいね。
 でも集まり過ぎてこんじゃうので、拭けなくなることもあるみたいだよ。
 そんなとき、Hさんはえらいなと思った。Hさんもぞうきんを持って拭こうとしたのだけれどね。『ああ。もうこれはわたしが拭くところはないな。それならわたしは遠慮しよう。』と思ったようだ。そんな顔をして、拭かずに席に戻った。
 わたしは感心しちゃったよ。だって、こんじゃうと拭けなくなっちゃうよね。それだけではない。けんかになったり押し合いになったりすることもあるみたいだよ。
 そういうときは、Hちゃんのように遠慮するのがえらい。もうそれは拭いてあげたのと一緒だ。」

 そんな言葉かけを3・4回しただろうか。

 そうしたら、子ども同士で、
「Jちゃん、もう行かなくていいんじゃない。すわんなよ。やったのと同じだよ。」
と聞こえてきた。ほんとうにこわいくらい、担任の言葉が浸透していく子どもたちだ。 
PAP_0043
〇わたしがやさしいと評判になったようだ。 
 
 一部、統制がきかなくなる子もでてきた。『たけのこのけ』がくずれだしたのだね。
・大きな声でわめく。
・ノートに必要なことを書かない。
・輪ゴムなど教室のものを勝手に持ち出す。
 さあ、これが本来のその子らしさの一部なのだろう。ここからその子の実態に即した指導を始める。
「おっ。今日は、Kさん。落ち着いているようだ。大きな声を出さなくなったね。・・・。そう。今くらいの声がちょうどいいな。その調子でいこう。」
こうした言葉かけをがんばっていきたい。

〇『授業がやりたい。』と過去記事に書いたわたしなので、授業のことにふれたいが、一昨日の土曜日は、なんと父母授業参観の日だった。
 あらかじめ、担任交代の文書が配られていたので、早めにやってくる保護者の方が多かった。教室の後ろがほぼいっぱいになった。そうそう。おじいちゃん、おばあちゃんも数人いらしていたよ。軽く会釈させていただいたが、親しげな笑顔を向けてくれた。

 校長先生が紹介してくださった後、
 「わたしには孫が3人いまして、そのうちの2人は2年生なんです。ですから、毎日、孫とふれ合うつもりで、あるいは、孫のことを想い浮かべながら、子どもたちと過ごしています。」
 そんな挨拶をしたが、たくさんの温かな笑顔に囲まれた。うれしかった。

 さて、わたしが、授業で心がけていることは、

・多くの子に発言してほしいから、初めて挙手した子は優先的に指す。
・たとえ挙手していなかったとしても、言えそうな、あるいは言いたそうな表情をしている子がいれば、『どうかな。言えそうかな。言えそうだったら言ってごらん。』などと言ってみる。
・声の小さい子が発言するときは、その子のそばにわたしが寄っていき、わたしが通訳のようになってみんなに話してやるようにする。
・発言は原則として立ってするようにしているが、2年生くらいだと、立って椅子を机のなかに入れてそれから発言する子が多く、時間がかかってしまうので、テンポよくいきたいときは、
「今は、どんどん指したいしどんどん発表してほしいから、今は(2回目の『今は』は特に強調するように)座ったままで発言してね。」
と言うようにしている。
・発問は極力減らし、子どもの発言を受けて交通整理するような、そして、交通整理しながら、《今みんなはあっちの方向に行こうとしているのだね。》とか、《そっちの方向に行くと目指す場所に行けそうだよ。》など、極力子ども主体の学びを保障するような言葉かけを心がけている。
・また、子どもの発言を意味づけたり価値づけたり関係づけたりすることに全力を注ぐ。前者2つの板書は色チョークを使うようにするし、関係づけは矢印で結ぶ。
・・・。

 
 本授業参観は2時間の公開だったので、国語のスイミーと算数の繰り下がりのある引き算をやった。 
PAP_0121
〇スイミーでは、一人ぼっちのスイミーが海のなかのすばらしいものをいっぱい見ているうちにだんだん元気を取り戻す場面を採り上げた。
 前時、そのまえの、赤い魚たちが大きなマグロに飲み込まれてスイミーが一人ぼっちになってしまった場面を採り上げたが、その折に、《真っ暗》《何もない》が子どもたちから出ており、また初発の感想では、Kさんが《一人で暗いところにいたら、すぐママに会いたいくらいさびしくなる。》と書いていたので、それらを本時の場面と比べながら進めていこうと考えた。そうすれば、《わくわくするくらいおもしろいものがいっぱい。(本時のLさんの発言)》へ迫れるのではないかと考えた。

 この学習は、教室にある大画面のテレビにデジタル教科書を映しながら進めるようにした。教科書をそのまま写したり、挿絵だけを写したりした。

〇引き算では、既習の繰り下がりのない引き算とくらべ、計算の仕方の違いを見つけるようにした。筆算と数え棒を対応させながら考えることにより、なぜそう解くのかが分かるようにした。

 しかし、単元最初の1時間だけでは多くの子が理解するまでには至らず、今後、さらに習熟を目指す必要がある。

 2時間とも、何人もの保護者の方々がうなづいたり、子どもの発言にどよめいたり感嘆の声を上げたりしてくれた。


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〇授業参観では、挙手しているので指名すると、立つことは立つのですが、もじもじして『分かんなくなっちゃった。』。そういう子が数人いました。
 顔には『とまどい』がありあり。どうもおうちの方の前では緊張してしまうようです。

〇わたしの勤務の3日目くらいだったかな。担任だったGさんから電話がかかってきました。クラスのことが気になって仕方なかったみたいです。
「よくやってますよ。いいクラスですね。」
 GさんはGさんで、
「(引き継ぎのとき、)toshi先生が教室へ入るなり、『うわあ。床がきれいですね。』とほめてくださいましたよね。『ああ。やさしい先生だな。いいところを見てくださる先生なのだな。』と感じて、とてもうれしかったです。よろしくお願いします。」
と言ってくれました。

 
〇本記事でとり上げた単元の実践は過去記事にもくわしく載せています。もちろんそれは、数年前の授業ですが、よろしかったらご覧ください。いずれもホームページですので、文字が大きくなっています。

スイミー
繰り下がりのある引き算    
 

rve83253 at 22:27│Comments(9)TrackBack(0)学級経営 | 授業

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この記事へのコメント

1. Posted by OT   2012年06月05日 09:45
先生、ありがとうございます。

今朝は、画面を拝見していて
少し、涙ぐんでしまいました。

お忙しのに、沢山の読者の方の為に
更新して下さった事 感謝いたします。

私も同じ教室の小学生になった気分です。

私も主人も、家に祖母・祖父が居る家庭で
育ちました。核家族はいけないですね。

年長者の知恵や人間としての厚み
を子供に与えられる事無く、子供を育てなければ
ならない事に、いつも不安を感じていました。

私が子供のころ、その役割を(地域)が担っていた
ように感じます。私の育った小学校は
どうやら(校長先生の勇退コース)だったらしく
思い起こせば、定年前の熟練された年配の方が多かった事を思いだしました。

時々、人は便利を求めて、
逆に不自由になってしまったの
では無いかと良く思う事が良くあります。
原発の問題しかり、学校の問題しかり
ネット社会も、同じだろうと思います。

どんなに沢山の贅沢を目の前に積んでも
欲求が無ければ、食べようとも学ぼうともしない。

自分の子供を育てていて感じる事です。

自立を教える事が、どれほど難しいか
痛感しています。

人間は、不便な昔の生活に帰る事が難しく
年齢に関係なく、好奇心を学びに変えて
スイミーのように、工夫し前に進まなければ
なりません。

先生のように、
どのような状況でも、条件でも柔軟さを持つ事を
教えられた気分です。

2. Posted by toshi   2012年06月07日 05:06
OTさん
 ありがとうございます。更新の件は大丈夫ですよ。無理のない範囲でがんばります。
《自立を教える事がどれほど難しいか、痛感しています。》
 いやあ。ほんとうにそうですよね。物質的に恵まれた環境のもとでは、自覚し努力して、利他的に生きる力を身につけさせるようにしたいものです。ややっこしいのは、『自立しなさい。』と相手に言い聞かせても、それだけではそうした力はつかないのですね。
 学級だと案外容易にできると思うのは、自立していると思える子をそうした観点でほめることにより、その輪を広げることができるからです。
 ごめんなさい。ちょっと話が変わってしまうのですが、自立と言えば、外国の子育てがヒントになるかもしれません。今、過去記事を紹介させてください。本コメントのtoshi欄をクリックしていただければ出るようにしましたので、どうぞご覧ください。
3. Posted by OT   2012年06月07日 08:31
ごめんなさい、先生。

私は、
>自立していると思える子をそうした観点でほめることにより、その輪を広げることができるからです。

この観点にはあまり共感できずにいます。

これは、私の経験上です。
案外、学校も地域も極端な一面でしか見ていない
と感じた出来事が多々ありました。

子供にも子供なりの知恵はあります。
見方によっては生きる力なのでしょうが
褒めて欲しいから、自信があるから
時として暴走する。

そこは子供です。どうやれば良いか知っています。
教師や親にアピールしているのを見て、
親も教師も、その子供の影を見ていない事を
幾度となく見てきています。

自分をリーダーだと勘違いした子供が器用に
非行やいじめを先導している例を幾度となく
目撃しています。

確かに一見自立しているようにも
見えますが、事が大きくならないと
周囲は気が付けない。

私には、この教育方針が
極端に声の大きな人物を作ってきたように
感じています。本人達は、正義感や使命で
弱い子供を追い詰めますから。

外国人は自尊心が高い方が多い事は共感できます。
4. Posted by OT   2012年06月07日 08:54
連投ですみません。

たぶん、自立している子供が道徳的な教育を
身に付けていれば問題は無いのでしょう。

しかし、そのものさしは人それぞれで。
地域差もあります。その行動が演技である
場合もある。

そのうち派閥化する事は良くあることで
条件として文化の違いを受け入れる
土壌があればの話だと思うのです。
所が日本の教室は違います。

これは大人も同じ傾向が無いでしょうか。

そうなれば、子供とて仲間内だけの利益を追求する
今時、面倒を引き受ける子供は少ないでしょう。

他と比較を始める、
ここからが、サバイバルでしょうか。

昔の漫画ではありませんが、星一徹のように
鍛えなければなりませんが、子供は子供です。
反攻もします。ここが、
親の葛藤なのかもしれません。

ご教授心より感謝いたします。今一度
幾度か拝見し、再度 噛み砕いて考えてみます。
5. Posted by toshi   2012年06月08日 04:48
OTさん
 大変含蓄のあるコメントをいただいたと思っております。ありがとうございます。
 ブログを始めさせていただいてまる7年がたとうとしています。その間自分が当然と思っていることを、《必ずしもそうではない。深く考えなければ》と思わされることが何度かありました。今回もそうしたケースだと思います。
 OTさんご指摘の件、たとえば、《甘えん坊の子がちょっとでも自立の方向を示せばそれをほめてやることにより、その輪を広げることができる。》としたら、さほどの違和感はなかったでしょうか。
 わたしにしてみれば、記事中の言葉でOTさんご指摘の《自立していると想われる子〜》も《甘えん坊の子が〜》も、どちらも大切にしなければいけないと思っています。つまりどの子もあるがままを認められることにより、自分自らよりよく生きようとする力を養えるようにする。それが大切だと思うのです。その点言葉足らずで申し訳ありませんでした。
 やはり、自然体で生きるということ。言葉を変えれば、指導者に気に入られるように生きるのではなく、自分自身を大切にした生き方、自分で自分をきたえるような生き方ができるようにしたいものだと思います。
 ですから、これも記事に書きましたが、今、学級経営をしているなかで、現実に一部の子ではありますが、かえって生活が乱れてきたと思うようなフシもあります。しかし、それが子どもの事実なら、それをとりあえずは受け入れようと思います。そして、それを自らの力で改善しようとしたとき、それを絶賛します。
 もう一つ。これはOTさんもお書きになっていると思いますが、指導者は、子どもの行為、言葉だけをみているのではダメです。その行為、言葉の背後にある心の動きを把握するように努力しなければなりません。『子どもを知る』ということに全力を注ぎたいものです。
6. Posted by toshi   2012年06月08日 04:49
 今、そうした観点で書いた《子どもの見方が変わるかな》シリーズを紹介させていただきましょう。ほめるということとはちょっと観点が異なりますが、よろしければご覧ください。
 そのような努力をして、 
《自立している子どもも自立の方向を目指す子どもも道徳的価値を身に付け、あるいは身に付けようとする姿》《文化の違いを受け入れる土壌》づくりを目指します。
 なお、《褒めて欲しいから、自信があるから時として暴走する》姿や《自分をリーダーだと勘違いした子供が器用に非行やいじめを先導している例》などは自立とは違うのではないでしょうか。
 実態について《ところが日本の教室は違います。》とおっしゃるのはよく理解できるつもりです。いつだったか、OTさんからいただいたメールを拝読してもそれを痛感させられました。公教育に携わる者として、ほんとうに申し訳ない思いになりました。わたしがこうしてブログを続けさせていただいているのも、そうした公教育の現状を何とか改善の方向にもっていきたいと思うがゆえであると、そうした思いもあります。
 上記とかなり重なりますが、
 子どもたちが素直で、学級のみんながまとまろうとし、前向きに生きる学級集団づくりを目指したいものです。
 約2ヶ月でどれだけできるか分かりませんが、また、重たい課題ではありますが、そうした意味でがんばりたいと思っています。


7. Posted by OT   2012年06月09日 06:10
おはようございます。
いつもながら、丁寧なご返信 心から
感謝いたします。また丁寧なご解説、
私もその通りだと感じています。

職種は違いますが、優秀だと私が感じる
方は自分の対する相手に、先生の示される通りの
背景・心情を正確に読み取り、丁寧に
相手を説得できる方が多いように思います。

感情では無く、理論的に相手を
慮って説得をするのは、至難の技ですが
先生は、その技をお持ちです。

その下地があってこそ、子供も学校での
学習が初めて成り立つと思うのです。
コミュニケーションの原点では無いでしょうか。

多くの親が(教室)に求めているポイントでは
無いでしょうか。忙しいと、ついつい、その点で
親も教師も手抜きになる方が多い中、
先生は、そうではありません。

親は、子供を見ています。特別待遇して欲しい方など
いないと思います。親が一番見ているのは
子供の成長と姿勢だと思うのです。

先生の師としての志、その姿勢は
多くの方が尊敬されていると感じています。
私も、その一人です。

ネットの世界でも、これだけの教えと
コミュニケーションに関する意思の疎通を
感じられるのに、なぜ現実の世界・社会が
そうでないのかが、残念でなりませんが
ネットだからこそ、できる事でもあるのだろう
と感じています。

師として仰がなければならない
方々が、やはりこちらの投げかけに対して
心無い解答が帰れば、親は公教育ではなく
外部に走るしか方法が無くなってしまいます。
事実、現場もそういった指導をされる。

8. Posted by OT   2012年06月09日 06:11
連投失礼いたします。

しかし、それは親にも子供にも
負担を増やすばかりです。
なので、私も中学受験には反対でした。
しかし、現実は違います。

先生方・公教育の溝を責めているわけでは
決してないので、その点は、どうかご理解ください。

先生方がお忙しいのは、100も承知です。
師と仰げばこそ、ご迷惑はかけられない
綺麗ごとだけでは、通らないので
今の保護者は、二極化が進んでしまったと
感じています。

いつもながら先生の志、柔軟さには
尊敬を感じながら拝読させて頂いています。

どうか、ご自愛の上、ご活躍下さい。
短い間ですが、先生に師事できた子供達は
今は理解できないでしょうが
生涯、記憶に残る忘れられない体験を
経験していると思います。

私も同じです。親として子供の心情を
慮っているようで、甘やかしているに過ぎないかも
と思う事も多々あります。

子供の学習や生活習慣のしつけに関して、
先生方の子供操縦術を学びたいのですが
適切な時間や経験も無く、この情報化時代
皆さん、混沌とした中から、情報を取捨選択
して行かなければなりません。

先生のブログは多くの方が(子育て指針)として
学習できる教室だろうと思います。
ありがたい事です。
9. Posted by toshi   2012年06月10日 05:57
OTさん
 恐縮しております。でも、ありがとうございます。
 感情的になることもあるのですよ。ときどきそういうコメントを返してしまうこともあります。特に目の前にいる子ども一人ひとりを大切にしない教員に対しては『許せない。』という思いが先にたってしまいます。
 また、OTさんに感謝したいのは、わたし自身何も考えず自明の理のようなつもりで書いてしまうことがあります。しかし、読者の方々はわたしと同じ思いで読んでくださるとは限りません。一つの文章が大いなる誤解を招いてしまうことはけっこうあるだろうし、それは避けられないことだと思います。
 そういうときに、それに気づかせてくださるコメントは、自分自身を問い返す機会をいただくことになるので、多くの読者の皆さんと同じ土俵に立つことができるようになります。そういう意味で、心より感謝申し上げます。ほんとうにありがとうございました。
 どうぞ、今後ともよろしくお願いします。

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