2012年06月10日

初任者指導教員研修会での講演を依頼されて、(1)

PAP_0119 初めにお断りさせていただきます。本記事は、過去記事へのリンクがものすごく多くなっています。それをいちいち開かなくてもできるだけ意味が通るように努力しますが、お時間のある方、リンク先をご覧でない方、さらに、ご自分のお仕事に関係する方々はそちらもご覧いただけたら幸いです。


 もう一か月以上も前になる。我が地域の初任者指導教員研修会で講演する機会をいただいた。初任者指導を卒業(?)するにあたり、いい想い出となったように思う。また、後進に引き継ぐという意味でもありがたかった。

 事前の打ち合わせに臨んでくださった教育委員会の方は、初任者指導教員研修担当のA指導主事だった。冒頭、大変ありがたい言葉をいただいた。

 「この講演をお願いするにあたり、toshi先生の『子どもが伸びる言葉かけ』の本を拝読しました。具体的な事例の数々から、toshi先生が子どもの心に寄り添い一人ひとりを伸ばそうとされた様子がよく分かり、『ああ。このような先生が長年初任者指導に携わってくださったのか。』と思うと、先生にご指導いただいた初任者の先生はほんとうに幸せだったと思いましたし、先生のご指導が初任者の心にしっかりひびいていっただろうと思いました。

 わたしは、ずっと中学校におりましたのでついくらべてしまうのですが、中学校の教員はどうしても子どもへの接し方などで、きめの細かさに欠ける点がありますね。小学校にくらべて大雑把だと思います。ですから、(上司の)B先生が、『この本は中学校の教員にこそ読んでほしいものだ。』とおっしゃったわけがが分かったような気がしました。」

 こんなふうに言われてうれしいことはうれしかったが、あらためて責任の重大さをひしひしと感じさせられた。

 その後、びっくりすることがあった。
「〜。」
「ええっ。中学校の先生方もわたしの話を聴くことになるのですか。」
「はい。中学校だけではありません。特別支援学校にも初任者はいますから、その指導教員も参加します。総勢200名以上が先生のお話を聴くことになります。」
「そんなに大勢ですか。それは。それは。・・・。いやあ。現職以来だ。久しぶりだなあ。緊張してしまいますよ。・・・。そうか。でもそれだと、小学校の事例ばかり話しても仕方ないですね。でも、わたしは小学校しか知らないので・・・、こまりましたね。」

 中学校、及び特別支援学校となると・・・、これはもう、あまりにも具体的事例の引き出しが少ない。そう話すと、A指導主事は、
「よく承知しています。でも、それでいいのです。
 大事なのは、そうした事例を通し初任者指導にあたる先生方に、初任者にやる気をもってもらうにはどのようなことに気をつけたらいいかとか、初任者はどんなことに悩んだり不安な思いをもったりするかとか・・・、また、『初任者は、何が分からないのかが分からないのだ。』などとよく言われますよね。そうした意味で指導のヒントになることをお話いただけたらと思うのです。
 また、1年間の仕事内容に見通しをもってもらうことも大事ですし、この仕事に留意する点なども感じ取ってもらえればと思うのです。」
とのことだった。

〇さらに話を進めると、A指導主事からいいヒントをいただくことができた。
「〜。」
「ああ。今のtoshi先生の『師弟同行』のお話はいいですね。中学校の指導教員にすごく役立つと思います。
 と言いますのは、中学校の場合、数学の初任者に対し社会科の指導教員がつくというように、自分の専門外の指導をしなければならないケースがあまりにも多いのです。もちろん、指導法とか生徒への接し方など、教科とは関係なく指導できる部分はあるのでそれはそれでいいのですが、どうしても専門的に指導し切れない部分が残ってしまいます。
 先生のお話はそうした場合のヒントになるのではないかと思います。」

 さあ。それでは初めに、この『師弟同行』の話からふれさせていただこう。

 わたしが退職し、最初に担当した初任者Cさんのことだ。特別(個別)支援学級の担任となったCさんのことは過去記事に何回も書かせていただいた。今、代表的な記事にリンクさせていただこう。
    育つ初任者(5)
 リンク先でもふれているが、このCさん(リンク先ではAさん)は、特に大学において特別支援教育を学んだわけではなかった。また、指導する立場のわたしにしても、教職歴のなかで特別支援教育に携わったり研究したりしたことはなかった。専門外。しろうと同士だった。

 先のA指導主事の話にあるように、一般的な意味での子どもへの接し方とか、教室の雰囲気といった部分ではいくらでも話すことができたが、それでも、教室から子どもがとび出すとか、ちっとも言うことをきかないとか、そうした具体的な話となると、わたしにも分からないことは多かった。そういうときたよりになったのはD教頭先生だった。同教頭は長年特別支援教育に携わられた方だった。

 そこで、
「よし。この点については、D教頭先生にうかがいご指導を仰ごう。わたしも一緒に聴かせていただくよ。」
そう言って、教頭先生の所へ行った。これも、過去記事がある。リンクさせていただこう。ご指導いただいた中身がご理解いただけるだろう。ただし、ホームページなので、文字が大きくなっている。リンク先記事の後半、《4月 個別支援級(1年生)》からがそれにあたる。
     学級づくり

 師弟同行。これは、たとえ専門の分野であっても、また初任者指導でなくても、指導者にとって大切な姿勢だと思う。ともに悩み、ともに考える。そういう姿勢をもってこそ、実の上がる指導ができるのではないか。

 さてここで、師弟同行以上にふれさせていただきたいことがある。

 Cさんの指導から4年後、わたしはCさんの結婚式に招かれた。これも過去記事にある。
    ご結婚、おめでとう。
 そして、Cさんの初任者当時、『Cさんとともに悩み、ともに考え、ともに教えをこい』ながら、Cさんの心に寄り添っていたつもりだったが(具体的には、《個別支援学級の日々》をご参照ください。)、それはとんでもない思い上がりだった。到底寄り添えてなどいなかったことを思い知らされた。

 披露宴の最後を飾る、ご両親への感謝の言葉のときだった。Cさんはおうちに帰るとお母さんに、涙ながらに『この仕事、やめたい。』ともらしたことを知る。
 わたしはそれに強い衝撃を受けた。だって、わたしはCさんのことを、明るくてどんな事態も前向きに受け止め、努力家と思っていたし、保護者の信頼も厚いと、そんなふうにしか思っていなかったのだもの。まさか、『やめたい。』などと言っていたとは。
PAP_0118
 このエピソードを、講演の打ち合わせの際、A指導主事に話した。すると、同指導主事から、『それも、講演でぜひ話してほしい。』とお願いされた。同時にこうも話された。

「初任者指導教員は、4人の初任者を担当していますから、Cさんの教室に入るのは週1日だけですよね。それでCさんは、toshi先生がいらっしゃるその1日は明るくふるまうことができたのではないでしょうか。toshi先生が一緒にいろいろ動いてくださったからです。きっと精神的にも体力的にも救われたのだと思いますよ。
 でも、toshi先生のいないあとの4日は、一人でしなければならないことがあまりにも多く、それで《やめたい。》という気持ちを抱いたのかもしれませんね。

 ですから、toshi先生が初任者Cさんの悩みに寄り添えなかったというよりは、toshi先生が寄り添ってくださったからこそ、もうベテランになられたと思いますけれど、今のCさんがあると思っていいのではないでしょうか。」

 いやあ。そうか。そういう見方も成り立つか。なんか、すごく励まされた思いがした。そして、このA指導主事からいただいた話も講演でふれさせていただくことにした。

〇中学校関連では、もう一つ、講演でふれたことがある。

 一回だけだが、ヒョンなことから中学校の初任者Eさんとふれ合ったことがある。それも、過去記事(リンク先ではAさん)に書かせていただいた。        
    初任者の成長(3) 中学校の事例 光が見えてきた
 これは部活にかかわる話が中心だった。部活をめぐって危機に見舞われてしまったのだった。

 でも、Eさんはすごかった。先輩教員に支えられながらも、自分自身の力でその危機を乗り越えたのだった。特にこのEさんのすばらしさを実感させられたのは、一年後、上記記事掲載のお願いをするにあたって、Eさんが発した言葉だった。記事の最後に書かせていただいたが、
『〜。
 自我にとらわれないということ。自我を解き放つということ。(それが大事なのですが、)それに気づかない人、また、それがどういうことだか分からない人だっていると思うのですよ。』
 すごい言葉だと思った。そう。これはベテラン教員に対してだって言えることだ。

 さて、ここから先は、講演ではふれることができなかった。残念でたまらない。今、あえてふれさせていただこう。

 わたしたちは、『子どもを大事に、』とか『子どものために、』とか、よく言う。しかし、そう思っている中身が、自分の思いにとらわれているのかどうかを吟味する人は少ない・・・のではないか。目の前にいる子ども一人ひとりの想い、こだわり、個性など、そうした事実を通して、そうした事実に即して自分の想いを吟味しているかどうか。
 Eさんの言葉にあるように、自我を解き放つということ。『自我』を通すのではなく、子どもを通して『自我』をみつめ直す。そこには深い洞察力がいるはずだ。

〇もう一つ。それは特別支援学校についてだが、我が地域では、同校に通う児童生徒とその子たちが居住する地域の小中学校との交流が盛んに行われている。そうした記事は、過去にいくつもある。拙ブログ右側の“Categories”のなかから、交流教育とあるところをクリックしていただければありがたい。

 冒頭ふれたように、わたしにとって特別支援学校における初任者指導については、多くを語るほどの材料を持ち合わせていない。そこで、まことに申し訳なかったが、その交流教育について語るしかなかった。
・交流の大切さ、交流することによって学ぶのは、決して特別支援学校の子どもたちだけではない。
・むしろ、小中学校の子どもにとって、他者理解を通して『豊かな人間性』を築く上で、メリットは大きいのだという趣旨の話をさせていただいた。

 今、交流教育カテゴリーのなかから一つの記事にリンクさせていただこう。わたしの現職のとき、我が校の子どもたち、教職員の姿から学ばせていただいた記事だ。
    人権教育(12)交流教育  学校だよりへの想い(15)

 これは、もしかしたら初任者指導教員研修会にふさわしい話ではなかったかもしれない。しかしながら、指導教員、初任者双方に、交流教育がいかに大切か、それを実感していただく意味ではよかったかもしれない。先ほど、『深い洞察力』と書かせていただいたが、その洞察力は無限であることを感じていただくことができたなら、幸いである。


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 実はもう一つ、交流教育にかかわり、読者の皆様にご覧いただきたい記事があります。これも、同講演でまったくふれることができませんでした。忸怩たるものがあります。『ああ。この記事こそ、講演で話させていただけばよかったな。』強い後悔の念に襲われました。

 と言いますのは、実はこれ、障害児の人権をわたしが軽視してしまった事例です。強い反省を迫られました。
 そんなわけでぜひご覧いただきたいのですが、もうすでに、リンク先も含めだいぶ長くなってしまいました。

 この事例もリンク先が複数あります。しかもそのリンク先をご覧いただかないとすっきりお読みいただけないような書き方になっています。
 そこで、今、ここに、リンクはさせていただきますが、また別な折、お時間のある折にお読みいただければ幸いです。
 そういう意味で紹介させてください。
    人権教育(14)交流教育 わたし自身の反省と決意
         

rve83253 at 09:43│Comments(0)TrackBack(0)初任者指導 | 交流教育

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