2012年07月24日

50歳になる教え子(?)との再会!!

kodomo15  今日の記事はほとんどわたし自身の述懐を書いています。最後にちょっと提言めいたことを書かせてはいただきますが、すみません。よろしければご覧ください。


 10〜12歳のころの幼顔が、今目の前にいる壮年期の彼ら、彼女らと重なる。幼かったころの表情、口調、しぐさは50歳の今もちゃんと残り・・・、だからこそ、その一挙手一投足をなつかしさと驚きの目でじっと見つめてしまう。『ほれぼれと』というのはちょっと変だが・・・、まあ、要するに感慨無量だ。こういう感覚、感慨は、長く教職にある者にしか分からないのではないか。特権とも言い得る。

 みんなから、『toshi先生。toshi先生』と呼ばれる。それが何ともおもはゆい。だって・・・、いや、こんなことを言うと怒られてしまうかもしれないが、もうお互いこの歳になると、さほど違わないのではないか。もし同職なら、校長になっていたっておかしくない年頃なのだもの。

 だから、『もう先生などと呼ぶのはやめて。』と言いたくなるが・・・、でも、自分が子ども時代の恩師にお会いすれば、やはり、今だって『haruo先生』だ。教わった側からすれば永遠に『先生』なのだね。

 

 10年ぶりの再会だった。21人。半数近くが集まった。

 前回は・・・、ああ、それは我が長女の結婚式直前だった。印象深いことがあった。

 そのときの会話のはずみで、なんと、このクラスのAさんが結婚披露宴の司会を務めてくれることになったのだった。その経緯は過去記事にくわしい。
    金八先生とともに、
 今、同記事から、その部分を再掲させていただこう。どうぞ。


 〜。
    
〇ドラマに、金八先生のお嬢さんの結婚披露宴のシーンが出てくる。そこに、金八先生の教え子が招待されている。
 お嬢さんが幼かったとき輸血が必要となったが、きわめてめずらしい血液型なので必死になって探していたところ、その教え子が応じてくれたのだった。命の恩人ということで招待された。

 わたしの娘のときも、似たことがあった。我が長女の結婚披露宴の司会を、わたしの教え子がやってくれたのだ。
実は、式のちょっと前、その子たちの同窓会があった。

 彼ら、彼女らを受け持っていたとき、長女が生まれたのだった。それで、『toshi先生のおうちへ行ってあかちゃんを見たい。』ということで、このころよく教え子が我が家にやってきた。

 同窓会はそんな思い出話で盛り上がったので、近くその長女が結婚すると話したら、『おめでとうございます。』とともに、
 「ええっ。あのときのあかちゃんが、もうそんな、結婚されるような歳になられたのですか。」
 「わたしたち、歳とるわけねえ。」
などと、にぎやかになった。
 そして、
「Aちゃんは、結婚披露宴の司会も仕事のうちなのだろう。toshi先生のお嬢さんの結婚式の司会をやってやればいいじゃん。」
の声があがった。それがきっかけとなった。幸い(?)その後、娘、及び、新郎側の賛同もあって、トントン拍子に話が進んだ。

 ハプニングがあった。
 新郎新婦がわたしたちに花束を贈るに際し、Aさんはとつぜん、娘誕生のときの学級だよりを披露しだした。それには、保護者への謝意とともに、『父親になった喜びと決意』を書いたのだった。わたしはもうまったく忘れていたから、ほんとうにびっくりしてしまった。

 〜。



 再掲は以上だ。

〇この日も、Aさんは出席した。上記過去記事には書きそびれたが、あのとき、Aさんは級友(旧友)何人もに電話し、娘誕生のころ、娘を抱いたりあやしたりした想いを、たくさん取材してくれたのだった。今回あらためて、その思い出を語り合うとともに、感謝の気持ちを伝えた。

〇ここに出てくる学級だより。

 今回、Bさんがそれを持ってきてくれた。特に製本したわけではなかったが、わたし、
「うわあ。すごい。こんなにきれいな表紙まで付けて、とっておいてくれたのだね。ありがたいなあ。」
「はい。母は今もtoshi先生の大ファンです。だから、こうして大切にしています。今日は実家に寄ったので、借りてきました。toshi先生にお会いすると言ったらすごくうらやましがられました。」

 みんなもびっくりして、なつかしそうにそれをまわし読みした。どの子(?)も一様に言うのは、
「先生。これ、ガリ版ですよね。鉄筆で書いているのですよね。それを毎週出したなんて、すごいなあ。」
「ほんとう。どれも細かな字で、まるで新聞のようにびっしり書いていらしたですよね。」
「今なら、さしずめパソコンですね。先生は、ブログもやられているし。」
「でも、うちの母は言っていましたよ。先生の手書きだからこそ、一文字一文字に先生の愛を感じるって。」

 そういえば、数年後、タイプライターを独習し発行したことがあったが、これはもう悪評さくさくで、すぐ手書きに戻したのだった。

 この学級だより。『昭和48年〇月〇日』の日付に、また、見事な茶色に変色してしまったわら半紙に、感嘆の声をもらす子(?)もいた。

〇これを読みながら、Cさんたちが言う。
「toshi先生がわたしたちの担任になって、学級の雰囲気がガラッと変わったわよね。」
「そうだよな。クラス替えもしてないのに、すごくみんな仲良くなったな。学級もまとまってきた。」
「ほんとう。だから、4年生のころまでだったら、今、こうしてわたしたち、集まっていないと思う。」
「そう。そうなんだ。実はね。
 妻に『小学校の同窓会に行く。』と言ったら、信じてくれないのだよ。そんなこと、ありえないと思っているようだった。『何、うそ言っているの。いい歳して。』って・・・、もう、納得してもらうのに、こまってしまったよ。」
 みんな、大笑いだ。

〇それを聴いていたDさん。
「そう言えば、わたしの息子が6年生のとき、toshi先生は、息子のクラスにいらして、授業を見てくださったのですよね。あのときは、息子から話を聞いてほんとうにびっくりしました。すぐtoshi先生に電話したのでしたよね。」
「いやあ。あれはわたしもびっくりした。Dさんのお子さんがこの小学校だということは分かっていたけれどね。」
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 そう。だから、わたしの『びっくり』は、Dさんのそれとは大きく異なる。授業を見たクラスに息子さんがいたからではない。

 この話はこうだ。

 わたしは現職のときも退職してからも、いろいろな学校の校内授業研究会に呼ばれたが、そのE小学校にDさんのお子さんがいることは分かっていた。だから、『ああ。Dさんの息子さんがいるクラスだったら、おもしろい。』くらいは思っていた。そして、そのおもしろいことが現実になったわけだ。

 息子さんは、大いに活躍していた。

 授業終了後、声をかけた。
「わたしは、君のお母さんが小学生だったときの担任です。」
「ええっ!それでは、toshi先生ですか。」
「うわあ。よく名前まで知っているね。」
「はい。母がなつかしそうによくtoshi先生とそのときのクラスの話をするものですから、覚えているんです。」
「そうか。それはうれしいなあ。それでは、おうちへ帰られたら、お母さんによろしくね。」
「はい。母もびっくりすると思います。絶対話します。」
 そのあと、授業における活躍を具体的にほめた。

 続いて、Fさんだ。
「わたしの息子も小学生のときは、情熱的で子どものために一生懸命やってくださる先生だったのです。ですから、すごく感謝しているのですけれど、そのころ息子には、よく『お母さんも子どものとき、とてもいい先生に受け持ってもらったのよ。』と言っていました。」

〇そうした言葉の数々に、わたしは何とも言えない想いになったが・・・、

 「みんながそう言ってくれるのはうれしい。特に皆さんだけでなく、皆さんのご両親から『今もファンです。』などとおっしゃっていただくと・・・、もう、穴があったら入りたい気分になる。
 でもね。やっぱり、古き良き時代だったからこそ・・・ということも強く思います。やりたいようにやらせてもらった。
 今の時代なら到底できないようなことを、たくさんやらせてもらいました。
〜。」

 そして、以下述べたことの概略は、

・今どうだろう。担任の家に赤ちゃんが生まれたからと言って、一時間くらいかかる担任のお宅に訪ねていくだろうか。いや。そんなことを学校が許すだろうか。

・土曜日(当時は午前授業)の午後は校庭で、夕方になるまでほとんどの子とソフトボールに興じたが、そんなことが今、できるだろうか。気持ちはあっても無理なのではないかなあ。

・そして上述の学級だよりにしたって、みんな子どもの実名で書いている。また、若気の至りで、教育問題、しつけのあるべき姿など、けっこう自分の主張をストレートに書いているのだ。

 そして、

 ああ、ここから先は、同窓会で話していないが、

 わたしは過去記事に、むかしはアバウトな時代と書かせていただいたことがある。簡単に言えば、何をしても許してもらえた時代と言えようか。いや。そこまで言ってしまうとちょっと言い過ぎだろう。あくまで、『今とくらべれば、』ということだ。
 何かあれば、むかしだって大変なことになっただろうけど、でも、けっこう自由にいろいろやらせてもらった実感もある。
 今は、『何かあってはいけないから、ダメ』としすぎるのかもしれない。まあ、子どもをとり巻く治安が悪くなったとも言えるから・・・、仕方ないかな。

 
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 今日書いたことから、『学級王国』という言葉を連想された読者の方もいらっしゃるでしょう。

 ふつうこの言葉、あまりいい意味では使わないですよね。

 しかし、わたしは、いい意味で使いたいと思っています。小学校の場合学級担任制ですから、学級は、担任と子どもたちとで創るもの。それぞれがそれぞれの個性を発揮し、個性的な学級を創り上げる。その個性をお互いに大切にし、尊重し合うこと。言葉を変えれば、排他的でない学級王国といったらいいかな。そんな気持ちをもっています。

 現に、この学年は4学級ありましたが、スポーツなどで競争し合いながらも、お互いが仲良しで交流も活発でした。ですから、4学級合同の同窓会も行われたことがあります。

 どうでしょうかね。

 今、とかく教育現場は管理主義(?)に走っていますよね。どうも、没個性化、画一化の方向を目指しているように思えてなりません。

 担任の家にまで遊びに行く必要はないが、もっと自由に、もっと個性的に学級経営できる時代にしたいものだと思います。

 そして、そうした意味での競争を大事にするなら、競争も大いにけっこう。そのように思います。


rve83253 at 23:25│Comments(4)TrackBack(0)学級経営 | むかし

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この記事へのコメント

1. Posted by のぞみ   2012年08月03日 16:40
今の教育現場は、例えが悪いかもしれませんが…ブレーキに「遊び」がない状態だと感じます。
管理強化と言う名で、ワイヤーをギリギリまで締め上げていて、普通に踏めばすぐに効くのでしょうが、何かの拍子に強く踏むと、どうなるでしょうか…。

私の地区でも、「学力向上」と言う名の「画一化」に走っている気がしてなりません。
没個性・画一化で、個性がある子供を否定するのが
「公教育」と言えるのでしょうか。
そうした子供の居場所を作る事も、大切だと感じる昨今です。
2. Posted by ゆっこ   2012年08月03日 17:35
今の学校が許すかどうか・・・?
私のひがみ根性かもしれませんが、今の?先生は、同世代の先生どうし、もしくは公務員どうししか仲間意識がないかたが多いように見受けます。

今回、職業体験があり、学校側が事前に挨拶に行ったのが、図書館、保育園、小学校、みな市営です。
我々民間人?会社や店には行かなかったことが発覚。

行きやすい人としかコンタクト取らない。恩師だからとか、教え子だからとかの理由では取らない。狭いのです。

コンタクト取らないほうが狭いのか、取りたいと思う広い恩師がいなくなったのか
先生だけでなく、わたしたち親も子も 狭くなってるのかなぁ
3. Posted by toshi   2012年08月04日 08:51
のぞみさん
 《ブレーキに「遊び」がない状態だと感じます。》
 いやあ、もう、ほんとうにその通りだと思います。『あそび』はあり過ぎてもなさ過ぎても運転が困難になるはず。そして英知を結集すれば、ほどよい『あそび』を見つけることにそれほどの困難はないはずです。教育におけるほどよい『あそび』は、豊かな人間性の構築に欠かせないでしょう。
《管理強化と言う名で、ワイヤーをギリギリまで締め上げていて、普通に踏めばすぐに効くのでしょうが、何かの拍子に強く踏むと、どうなるでしょうか…。》
 近年、強く踏んでいる例は、枚挙にいとまがないですね。
 豊かな人間性の構築こそ、真の意味での学力向上が図れるのだという信念をもって、がんばっていきたいと思います
4. Posted by toshi   2012年08月04日 09:22
ゆっこさん
 ううん。どういう事情があるのか、ちょっと分かりかねますが、確かに偏っているようにみえるのは残念ですよね。
 あくまで一般論ですが、近年、人間全般が『楽したい。楽しいことをしたい。面倒くさいことはいや。』といった傾向を強めていると思います。
 しかし、貴地域などは、まだ日本のなかで比較的古き日本のよさを残しているのではないかと思うのですがね。
 実は近くそうした趣旨の記事を書かせていただきたいと思っています。
 よろしくお願いします。

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