2012年11月08日

張り切る子どもたち(1) 〜土曜参観で〜

PAP_0141 土曜授業参観があった。お昼まで4時間すべて授業公開だ。わたしの現職時代はせいぜい2時間までだったから驚かされたが、今は学級担任同然である以上、『よし。やるぞ。』とがんばるしかない。

 子どもたちもよくやった。ほぼ4時間とも子どもの発言によって学びを深める授業だったから、これはうれしかった。
 どの子も疲れたのではないかな。でも、心地よい疲れだったに違いない。充実感あふれる笑顔がたくさんあった。

 子どもたちが帰った後、ふと思った。
『ちょっと待てよ。・・・。子どもたち・・・、4時間で・・・、全員が発言したのではないかな・・・。もしそうなら、すごいことだ・・・。よし。来週早々、聞いてみよう。』

 やはりそうだった。全員発表などは現職のときもめったになかったから、子どもたちに絶賛の拍手を送った。
「すごいよ。みんな。・・・。『やったあ。』っていう感じだね。」
 どの子もうれしそう。わたしに合わせて拍手している子もいた。

 ふり返れば授業参観の日、子どもたちは、『適度の緊張感』をもっていたといえよう。過度の緊張ならば、教室の雰囲気はかたくなり、シーンとしてしまう。そうなると、その雰囲気がさらに発言を少なくしてしまう。でも、そのようなことはなかった。緊張が、張り切る姿となって表れていた。

 全員発言にかかわるが、授業の折々に聞こえてきた。
「toshi先生。Aちゃんが、初めて手を挙げているよ。指してやって。」
「あっ。ほんとうだ。うわあ。うれしいなあ。よし。じゃあ、Aさん。どうぞ。」
何度、そうしたことがあっただろう。

 まあ、ふだん、初めての挙手は優先的に指名しているので、けっこうそれが子どもたちに浸透していると感じた。

 でも、これって判断がむずかしいのだよね。いつもそういう子を優先していると、授業の流れが滞ってしまったり、もう解決したはずの過ぎた話に戻ってしまったりして、ぎくしゃくすることがある。だから、いつもならわたしの判断により、
「ごめんね。そうか。Bさんは初めて手を挙げているのか。ああ。でも、ごめん、ごめん。指してあげたいけれど、今は授業を先に進めたいので、ちょっと我慢してね。」
などと言うこともある。

 でも、この日は授業参観だ。多くの保護者の前では、やはり授業の流れがうまくいくことより、どの子も活躍してもらう方向を大事にせざるを得ない。そこは割り切ることにした。幸いなことに、それでも、授業の流れが停滞することはほとんどなかった。
 全員発言には、こうした配慮(?)がかくされていた。

 それでは、この日の印象的な発言をいくつか(本記事では一つだけ)とり上げてみよう。


◎圧巻は、道徳におけるCさんたちの発言だった。

 この授業でとり上げた主題は『明朗、誠実』。資料名は『だってくん』。
 主人公のDさんは、両親や先生に注意されたり叱られたりすると、『だって、〜、だって、〜。』と言い訳が多い。そこで、両親から、『だってくん』と言われるようになってしまった。
 そんなお話だ。

 授業も終末近く。わたしは投げかけた。
「そうか。みんなの想いはよく分かった。でも、最後、このお話は、『Dさんは、そう言われたくないと思っているのですが・・・。』で終わっているね。」
 そのようにつぶやいたら、間髪入れず子どもたちから口々に、 
「分かる。だって、だってと言わないようにすればいい。そうすれば、だってくんなんて言われないよ。」
「言い訳をしなければいいのだよ。」
「だってって言いたくなっても我慢する。」
「Dさんはもっと素直になればいい。」
「ぼくもお母さんに、『だって、だってって言わない。』ってよく言われるので、言われたら言うことをよく聞くようにしたい。」
 このように授業が進んでいくのはうれしいことだ。わたしは極力発問しないことを心がけているが、子どもが主体的に取り組んでいれば、指導者のつぶやきで授業が流れていく。PAP_0144

 そんな折だった。Eさんの発言があった。大人のわたしには意味不明の発言だった。それで・・・、
 「ごめんね。Eさんの発言、よく分からない。・・・。こんな話ではないと思うのだけれど、ちょっと聞いてね。Eさんが言いたいことは、
『Dさんも、だって、だってって言わないようにしなければいけないけれど、大人の人も叱り方、注意の仕方に気をつけて、子どもが、だって、だってと言わなくてすむようにしなければいけない。』
って、そういう意味なのかなあ。」

 そうしたら、『違う。違う。』とばかり、大きく首を振るEさん。
「やっぱり違っていたんだね。・・・。うううん。そうなると・・・、やっぱり分からないなあ。」
 わたしもEさんも、どうしたものかとこまってしまったが・・・、ちょうどそんなときだった。

 Fさんが助け船を出してくれた。
「toshi先生。Eさんが言いたいことは、こういうことではないかなあ。
 toshi先生がいつも言っているでしょう。お友達の悪いことばかり先生に言うのではなくて、お友達が助けてくれたり謝ってくれたりして、そういう、いいことがあったら、そのいいことも先生に言うようにすれば、クラスはよくなるよって、先生はいつもわたしたちに言っているでしょう。
 だからね。みんながそういうふうにしてなかよくなれば、『だって、だって』って言わなくてすむんじゃないかなって。
 Eさんが言いたいことはそういうことではないかなあ。」

 うれしそうに、うなづくEさん。

 そうか。そういうことだったか。・・・。よかった。助かった。・・・。そんな思いで、わたしはFさんを絶賛した。
「うわあ。よかったね。Eさんの言いたいことがFさんのおかげで分かっちゃった。・・・。それにしても、Fさん、すごい。分かり合えたので、Eさんもうれしそうだよ。わたしもFさんに感謝したい。ありがとう。」

 わたしは、『友達のいいことを言う。』と板書し、先ほど書いた、『だってと言わないようにするには、』に矢印でつないだ。


 ごめんなさい。ちょっと話を変えるが、すぐ戻ります。

 今、学校評価、授業評価と称し、地域・保護者にアンケートをお願いすることが多いと思う。このG小学校も本授業参観にあたっては、それをとり入れている。
 後日集約したら、このときの、Eさん、Fさんにふれた記述があった。

 「〜。大人のわたしたちが子どもの発言を聞いていて、何を言っているのか意味不明のことも、子ども同士なら案外分かり合えるのだなあと分かり、驚きました。子どもってすごいですね。」

 いやあ。この保護者は、我が子のことだけではなく、学級全体の子どもたち、またわたしの指導にふれて書いてくださっている。『ああ。分かってくださる親はいるなあ。』と、心から感謝した。

 その通りだ。

 よく、『稚拙な子どもの発言は授業を這いまわらせる。だから、教師主導で教師の発問(説明も含む)によって授業を進めなければだめだ。』という声が教員間でも強くあるが、それでは子どもたちの主体的な学びは保障できない。・・・。そういうことが多い。

 子ども自らが学ぼうとする姿勢を養うことに全力を尽くさなければならない。


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 本授業の最後は、参観されている保護者の方々に30秒の話をさせていただきました。
「お子さんが問題のある言動をとることはあると思います。そういうとき注意したり、叱ったりしなければならないでしょうが、それと同時に、お子さんがどんな表情で聞いているか、しまったという顔をしているとか、素直に反省しているとか、そういうことにも気を配り、もしそのようだったらいけないことはいけないとしながらも、そうした態度についてはほめてやっていただければと思います。
 よろしくお願いします。」

 うなずいている方が何人もいらっしゃいました。ありがたかったです。


 さて、次回は、本授業参観から、生活科、及び算数の授業をとり上げたいと思います。できるだけ早く入稿したいと思っておりますので、どうぞ、よろしくお願いします。

rve83253 at 06:01│Comments(6)TrackBack(0)授業 | 学級経営

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この記事へのコメント

1. Posted by のぞみ   2012年11月10日 10:22
toshi先生 いつも貴重な実践のお話をありがとうございます。
>子ども自らが学ぼうとする姿勢を養うことに全力を尽くさなければならない。

私も学校から依頼されて4年生の「総合学習」で授業者として関わった事がありますが、担任から「命の大切さ」と「いじめは恥ずかしい事」を伝えたいとの要望を頂きまして、教材や授業の進め方などを担任から何度もアドバイス頂き、授業者からの一方的な話や発問でなく、子どもが自ら考えながら主題である:命の大切さを「気付く」ように随分考えたものです。

全くその通りだと、授業を終えて気付かされました。

残念ながら、教師主導で教師の発問(説明も含む)によって授業を進める事を重視する学級はシーンとしているか、崩壊寸前・いじめなど問題があるように感じます。
過度な緊張を常に強いられている学級も同様の事例が
見受けられます。以前書いた行政へクレームを付けた事で、地域の支援者から行政から派遣された支援者に切り替わった事で、それまで問題がなかった学級で「いじめ」「学級崩壊」が起こっていると、地域の保護者から聞く機会が増えました。

>この保護者は、我が子のことだけではなく、学級全体の子どもたち、またわたしの指導にふれて書いてくださっている…。

こうした保護者がもっと増えてくれたら、このような問題も少なくなるんだろうな…。と考えずにはいられません。

2. Posted by 伊藤   2012年11月12日 16:53
秋から再び小学校に入っています。前回は3年生、今回は6年生になりました。
なかなか女の子の中に入っていくのは難しいですが、少しでも4月からの糧になるように頑張ります。
さて、おとなしいクラスで今回は算数と体育を見てました。できない子はやらないですが、できる子はどんどん進んでいくのでなかなか同じような指導は難しいですね。
たとえば×5をするときに、計算が楽だから×10÷2でやると検算しやすいよ、というとあっという間に浸透していきました。
もちろん、決められた式で計算していくのが正攻法なのですが、掛け算や割り算の計算順を生かし、計算しやすい形にして計算する力は小学生段階ではやっぱりないですね。ずるい方法ですが、もう少し悪知恵が働くといいな、と思ってしまいました。
3. Posted by toshi   2012年11月13日 22:04
のぞみさん
 《教師主導で教師の発問(説明も含む)によって授業を進める事を重視する学級はシーンとしているか、崩壊寸前・いじめなど問題があるように感じます。
過度な緊張を常に強いられている学級も同様の事例が見受けられます。》
 そうですね。子どもの想いによって進めていく授業は、まどろっこしかったりがっかりさせられたりすることもあります。
 しかし、それはあくまで大人の想いであって、子どもにとってはそれも貴重な経験です。そうした経験を積むことによって、子ども自らが能率を上げることとか、価値ある学びとは何かを学んでいきます。また、のぞみさんが幾度となくおっしゃっているように、人間関係を豊かにしていくことも学んでいきます。
《地域の支援者から行政から派遣された支援者に切り替わった事で、それまで問題がなかった学級で「いじめ」「学級崩壊」が起こっていると、地域の保護者から聞く機会が増えました。》
 まったく何を考えているのかと憂慮に堪えません。子どもを自己の目的を達成するための道具としかみていないような感じです。
 現状、教育が病んでいるという側面があることは確かでしょう。
 しかし、それを改善しようとする中身が、一部の教育関係者の恣意的であったり独善的であったりする動きだとしたら、病いはさらに加速度的に進行してしまいます。今の日本の一部地域においては、子どもを悪くしてしまうとしか思えない状況があります。
 何とかそれを食い止めたいという想いには強いものがあります。
 一緒に手を携え、がんばっていきましょう。よろしくお願いします。
4. Posted by toshi   2012年11月13日 22:21
伊藤さん
《決められた式で計算していくのが正攻法なのですが、掛け算や割り算の計算順を生かし、計算しやすい形にして計算する力は小学生段階ではやっぱりないですね。ずるい方法ですが、もう少し悪知恵が働くといいな、と思ってしまいました。》
 いえ。正攻法ということは、ある意味、ないですよ。大丈夫です。伊藤さんがおっしゃる×10÷2は、何と今日、我が学級においても子どもから出たのです。丁寧に学ばせました。数学的思考力を養ううえでは、伊藤さんがおっしゃる解法も、まさに正攻法なのです。いい実践をなさっています。決められた式は、知識・理解をはかるうえでは効率的でいいかもしれませんが、それだけでは思考力は養いにくいです。
 計算しやすいかたちにして計算するというのも、『計算の工夫』と称して教科書に登場していますし、子どもの思考力を養ううえでは、とても大切にしてほしい内容です。
 伊藤さん。いい指導をなさっています。どうぞ、自信をもって挑戦してみてください。
 
5. Posted by 伊藤   2012年11月14日 13:31
褒めていただきありがとうございます。
インド式数学を使って教えることもありまして、早く、なるべく間違いの少ないやり方で計算が苦手な子にきちんと指導していきたいと思います。

本日もまた、出かけて行きました。
図形の面積のテストと同じ読み方の漢字をテストしました。
三角柱を考えるときに四角柱にしてから真っ二つにするとできるよ?というとそうだ、と書き始める子もいましたし、㎤と箸隆愀犬鮃佑┐襪箸にそのまま数字を写してしまう子もいました。
牛乳パックを思い出してみれば?とヒントを出してみましたが、うまくいきませんでした。
児童との付き合いがうまくいかず、さっそく嫌われてしまいました。落ち度は私にあるので、謝りましたが、許してくれなさそうです。
また、しばらく通うことになりますが、うまく時が改善してくれるとありがたいと思います。

また、参考にさせていただきます。
6. Posted by toshi   2012年11月16日 04:17
伊藤さん
 ううん。ごめんなさい。
 インド式というのは教科書にないように思います。しかし、やっていけないことはないのであって、学習指導要領でも『創意工夫』とか、『特色ある教育活動』とか言っていますから、弾力的な扱いは認められるはずと思います。
 ただその場合留意点が2つあります。
・まず、いかにしてそれが子どもから出るようにするかを考えます。子どもから出ることによって学習に必然性、切実性が生まれ、やる気になるものです。
・教員の方から与える場合、学年、学校の計画と合っているか、また、協調し合えるか(理解を得られるか)が大事です。一クラスだけやったのでは、特に今の時代は困難さが生まれるかもしれません。

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