2012年11月26日

張り切る子どもたち(2) 〜生活科と算数の授業から〜

kodomo3 前記事に引き続き、心に残った子どもの発言を再現させていただこう。

 まずはHさんだ。生活科の一時間の授業が終わり、感想を述べてくれた。
 「ぼくがちょっと言っただけなのにね。ぼくが言ったことでこんなにたくさん学習ができるなんて、ほんとうにびっくりした。それでね。ぼくが言ったことでみんながこんなに発言するなんて、そのこともびっくりした。」

 もう一つは、算数におけるJ、K、Lさんたちの発言だ。
「今、Mさんが言った2分の1は間違いなのだけれどね。でも、Mさんが何で2分の1って言ったか分かる。
 折り紙をいっぺんに折れば4分の1なんだけれど、そんなことはできないでしょう。一度折ってまた折るしかないでしょう。それで、2分の1って言ったのだと思う。」
「そう。最初折り紙を半分にして、また半分にしたから、半分は2分の1のことでしょう。それで2分の1って思った。」
「賛成。最初に折り紙を折ったときは、折り紙一枚の大きさがもとになっているけれど、一度折っちゃったからね。今度は折り紙の半分の大きさがもとになると思っちゃったの。
 それでほんとうは4分の1なのだけれど、Mさんは2分の1だと思っちゃった。」


〇冒頭のHさんの発言は、わたしたちが実践する問題解決学習の真髄にふれた発言だ。

 そう。学習問題は子どもの想い、疑問などから自然に生まれ出る。見学したり資料を見たりして生まれる場合もあるし、話し合いのなかから生まれる場合もある。
 そういうわけで、基本的には教員から与えられるものではない。教員が与えたのでは、子どもの問題解決力は育たない。
 いや。言い方が違うね。そもそも人間は、疑問をもったり矛盾を感じたりするから解決せずにはいられないという想いをもつのであって、そうした意識にならなければ解決する必要性を感じないし、必然性も生まれない。ただ惰性で、ないしは外発的な動機づけで学習することになる。

 そうは言っても、学習問題を子どもにまる投げしてしまうわけにはいかない。そんなことをしたら、学習は漂流状態となってしまう。そこで、子どもたちの発した想い、疑問などを、教員が意味づけたり価値づけたり、また関係づけたりして、組織づける必要がある。そして、学年が進むにつれ、徐々に子どもの手にゆだねていく。それが通例だ。


 さて、それでは、簡単に参観の授業までの学習を振り返ってみよう。

 半月ほど前、それまでの学習から自分たちが行きたくなった、まちの公共施設やお店別にグループをつくり、見学した。
 そのなかに魚屋さんがあった。M屋さんだ。M屋さんをめぐっての最初の子どもたちの問題意識は、『魚だけでなく野菜も売っているのに、なんでM屋さんなの。』という問題意識だった。しかし、見学すると、問題意識は当然深まる。前の問題はお店の方に質問することによって簡単に解決したが、その中から新たな問題が生まれた。それがHさんの疑問だった。
 

 本時の学習問題は、見学のとき、上記Hさんがつぶやいた、『何でマイナス60度に冷やすの。』だった。見学した子どもたちは冒頭の写真のように、カチンカチンに凍ったマグロを見ている。そのほかの子には、同写真を見せた。見なれたマグロとまったく違う色に驚きの声を上げていた。kodomo04
 ただしマイナス60度といっても、2年生の子どもには、どのくらい冷たいのか、またそれがどんな状態なのか、見当もつかないであろう。
 そこで数年前の、『マイナス〇〇度の世界では、バナナで釘が打てます。』というコマーシャルを使った。
 それにより問題意識は深まった。また、問題意識は学級全員のものとなった。

 さて本時、子どもからどのような考えが出たか。板書から拾ってみよう。なお、板書には発言した子どもの名前も書いている。

・虫がわかないように、
・赤い汁が出ないように、
・味が逃げないように、
・くさらないように、
・新鮮さを保つ。
・味が戻る。
・かびない。
・おいしくなる。
・おいしいところを選ぶ。
・なまぐさくならないように、
・切れない。

 このなかには、学習問題からずれているものもあるね。『味が戻る。』などは、『なぜ冷やすのか。』の答えとはなっていない。解凍した結果として言えることだろう。また、『おいしいところを選ぶ。』は、学習問題とはまったく無関係。見学時にお店の方からうかがった話をしている。また、『切れない。』も、凍らせた状態を言っているにすぎない。
 
 『ああでもない。こうでもない。』あるいは、『ああだろう。こうだろう。』という話し合いのなかで、こうした問題は整理されていった。そして、資料提示によって、『獲ったばかりの魚と同じ新鮮な状態を保つことができる。』『おいしさを保つ。』ために冷やしているのだということをつかんでいった。

 冒頭述べたHさんの感想は、そうした学習を受けてのことだ。問題解決学習にはまだ多分に不慣れな子どもたちだが、その学習がいかに充実感、達成感をもたらすか、2年生なりにそれを受け止めていると感じることができた。kodomo2


〇次は、算数の授業にふれよう。

 この、J、K、Lさんの発言は、前記事のFさんと共通する点、異なる点の双方があるように思う。すなわち、
 Fさんの発言は、意味不明のEさんの発言を意味の通るものへ導いてくれたのに対し、本記事のJ、K、Lさんの発言は、Mさんの答えが誤りであるという点明快で、そういう意味では分かり合えている。決して何を言っているか分からないということはない。
 しかし、友達の発言に想いを寄せ、寄り添っているという意味では、共通するものがあるのではないか。

 なるほど。折ってまた折るという活動が、一部の子どもの思考の妨げになったのだね。たとえば最初から8僂猟垢気了罎烹沖儡岾屬寮泙衞椶鯑れてわたせば、スムースに、あるいは簡単に4分の1と理解することができただろう。

 でもね。それもそうだけれど、見方を変えれば、本活動も、ある意味よかったと言い得る。それは、学年は進んでいくわけで、そうした意味での系統性を大事にすることにかかわる。4年生になると割合の学習で、『もとにする量』などという言葉が出てくるからだ。
 
 4年生の段階でこの言葉に唐突感をいだくと、なかなかこの言葉が理解できない。『くらべる量÷もとにする量=割合』という公式を扱うのだが、その公式がなかなか理解できない。まして使いこなすことなどできない子どもが少なくない。

 だから、2年生というこの段階で、Lさんが何気なく言った、『折り紙の一枚の大きさがもとになっているから、〜。』は、強く子どもたちに印象づけておきたい言葉である。

 『もとになる。』『もとになる。』
 それで、Jさんたちの発言の後、わたしは言った。

「そうか。Jさん、Kさん、Lさんの言っていることがよく分かったよ。最初にこうやって半分に折った。これは(折り紙を戻して)これをもとにしているから半分なのであって、それで2分の1。でも、その2分の1をまた折ったのだね。一度に折れればよかったのだけれど、それはできない。
 それで、Lさんが言うように、さっきはこれをもとにした。でも、(半分にした)今はこれがもとになったのかな。もう一回問題を見てみようか。」

 あくまでももとになるのは折り紙一枚の大きさ。『二度折ったからといっても、もとになる大きさは変わらない。』ことを確かめていった。
PAP_0176
 しかし、もう繰り返しになるが、わたしのねらいはあくまで、『もとにする(なる)という言葉になじませたい。』それが目的だった。


 ああ。でも、でも・・・、本記事(前記事も含む。)で言いたいことは・・・、

 あくまで、友達と学び合うことの大切さ。友達がいるからこそ学べるのだという、価値ある学習ができるのだという、そういうことに気づかせたい。そういう体験をふんだんにさせたい。
 教員はそのお手伝いをしているにすぎないのだ。

 そこにあるのだった。


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 前記事に引き続き、保護者の声をお伝えしましょう。

 子どもたちが活発に手を上げていて、みんな積極的に参加しているので、とてもよかったです。toshi先生の言葉もとてもきれいで、聞いていて気持ちがいいと感じました。ありがとうございました。

 しかし、そうした声ばかりとは限りません。以前、子ども主体の授業は、子どもがいきいきとしている分、落ち着きがないとかけじめがついていないとか、そのようにとらえられる傾向なきにしもあらずと、書かせていただいたことがありました。
 そうした声も複数あったことはお伝えしなければなりません。まだまだ指導にみがきをかけなければいけないですね。


rve83253 at 00:52│Comments(4)TrackBack(0)

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この記事へのコメント

1. Posted by のぞみ   2012年12月01日 08:48
>友達と学び合うことの大切さ。友達がいるからこそ学べるのだという、価値ある学習ができる…。

私も全くその通りだと感じます。
子どもが35人いれば、35通りの考え方があって指導書にない答えだからとその考え方を頭から否定するのではなく、発言を尊重して行く事で、友達と学び合う事の大切さを育んで成長して行くものだと、指導補助から退いて改めて感じます。
友達と学ぶと言う事は、とても大切な事なのですが
一部の中の本当に一部の保護者の中で、ご自分のご子息に合わせて「塾」のような指導をして欲しいと言った事を学校に要求すると言う事も聞きましたが、それでは友達と学び合うのでなくなり、友達を競争相手としか見ないまま成長して行く事になってしまいます。
そうした子どもは、経験上何らかの問題を抱えている
場合が多いと感じます。現代の問題にも非常に共通した所があるのではとも感じます。

公立学校は、基礎的な学力を身に付ける場であると
同時に、友達や上級生・下級生との関わりの場だと
思うんです。そうした関わりを通して「切磋琢磨」
しながら成長していくお手伝いをしている「山椒」
のような存在となる教員や指導補助者・地域の大人が
増えてくれたらと思います。
2. Posted by toshi   2012年12月02日 16:28
のぞみさん
 いつもありがとうございます。わたしの想いをより確かなものにしてくださり、感謝しています。
 指導書についてですが、これは大切にしなければなりません。若い教員がこれを読まなかったら授業は漂流状態になりかねません。
 しかし、これにとらわれてもいけないのですよね。指導書はたよりにはなりますが、あくまでも全国版。それに対し目の前にいる子どもはかけがえがないし、学級もそれぞれユニークな存在です。隣りの学級同様の学習問題を生み出すとは限りません。
 そうした意味では、子どもこそもっとも大切な指導書であるはず。
わたしは、必ずしも競争を否定はしません。原則的な言い方になりますが、大人が大人の欲求で仕組んだりシステム化したりして子どもにやらせる競争は否定したいと思います。
 しかし子どもが本能的ないしは自然発生的に欲する競争は大いに認めたいと思っています。そうした競争は、ともに学びともに成長するうえで本記事の学び合い、成長し合い同様、大切なものだと思います。のぞみさんがおっしゃる『切磋琢磨』もそうした意味ではないでしょうか。
《そうした子どもは、経験上何らかの問題を抱えている場合が多いと感じます。現代の問題にも非常に共通した所があるのではとも感じます。》
 まったく賛成です。成熟社会のなかで混迷の大人たちを反映し、子どもは明らかに変わりつつあります。子どもの仲間意識、連帯感といったものは減退しています。そして、学校教育がその変化についていけません。こうした現職教育こそ最も急務と感じている昨今です。

 
3. Posted by 伊藤   2012年12月04日 20:33
入るクラスが変わることになり、また算数を指導してきました。

場合の数をやりました。
最初と最後が同じなら反対から回ったら同じルートが出てくるというのはわかったようですが、計算しないで最短ルートを判断するやり方を知らなかったので教えてみました。

重複する場所としなかった場所を比較すれば、計算しなくても分かるやり方ですが、6年生にはなかなか発想が出ないようでした。

問題を正確に解くのも重要ですが、いろいろな発想で算数を解くことも問題解決能力を付けさせると思っています。
4. Posted by toshi   2012年12月06日 23:42
伊藤さん
 がんばっていらっしゃいますね。ご奮闘に拍手を送ります。
《問題を正確に解くのも重要ですが、いろいろな発想で算数を解くことも問題解決能力を付けさせると思っています。》
 その通りです。今は伊藤さんの方から、《こんな解き方もあるよ。》と提示している感じでしょうか。あまり子どもから出ないようならそれも致し方ないでしょう。しかし、徐々に子どもの解き方を大事にする方向に導いていっていただけたらと思います。
 6年生だと、それまでの5年間の積み重ねがありますから、なかなかむずかしいかもしれませんね。
 

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