2013年02月26日

『子どもの自主性、主体性、自発性を養う教育』の実際 〜我が実践から〜

yomikikase02  『子どもの自主性、主体性、自発性を養う教育』は下記の理由で、喫緊の課題となっていると思う。

 一つは、国や一部地方教育行政府による学校へのしめ付け、また一部市民の学校への強圧的、武断的な声(『(テスト的な意味での)学力をつけろ。』や『道徳的価値観をたたき込め』などという叫び)などにより学校はきゅうきゅうとなり、そのため子どもは受け身にならざるを得ない状況が強まっているからだ。

 また、それとは一見矛盾するようにみえるかもしれないが、学校自ら、それこそ上からの圧力というのではなく、まさに主体的に子どもを押さえつける教育を行っている状況もある。

 もう一つある。

 高度に発達した経済社会のもと大人社会が人間関係の希薄化を強めるなかで、子どもたちもその影響を受けている。具体的には、我慢できない子、衝動的に行動する子、すぐキレる子などがふえている。言ってみれば、大人が一方的に言って聞かせるやり方に耐えられない子どもが増えているのだ。

 そのような今、日本の子どもたちは生きにくくなっているというのに、そんな子どもたちを大人たちは、『学力、学力、学力・・・』と追い込んでいる。子どものフラストレーションは高まるばかりだ。

 冒頭のリンク先記事では、『いじめをなくす指導と点数アップの指導は、両立するものであろうか。』と問題提起している。この点、読者の皆様はどうお感じになるだろうか。わたしはおおいに矛盾する関係と思っている。そして、今まさにその矛盾が全国各地で噴出していると言えないだろうか。そうでなければ幸いだが、わたしには今後この矛盾がますます深まっていくように思われてならない。

今子どもたちにとって、学校生活は味気ないものとなっている。そして、かなりの部分の子どもは欲求不満状態となっている。いじめの多発、不登校の増加など、現在の学校教育の病根は、決してこれらと無縁ではあるまい。そんな現状を訴えるコメントやメールは全国各地の教員、保護者からたくさんいただいている。

 やはり学校が、『子どもが主人公となる学校』『子どもが自分らしさを発揮し、子ども自ら自分自身をきたえることのできる学校』づくりに邁進しなければいけないのではないか。

 本記事のタイトルには、そんな悲願をこめた思いだ。


 さて、

 今わたしは、人生最後(?)の学級経営を終えようとしている。あと20日間あまりだ。おそらく今後、このような機会はないであろう。

 そこで、読者の皆さんには関係ないので申し訳ない言いぐさになるが、最後の、現在進行中の記念碑的な我が実践を述べさせていただきたいと思う。それにより、『子どもの自主性、主体性、自発性を養う教育』がどのようなものなのか、どのような子どもを育もうとしているのか、お考えいただけたら幸いである。

 ただし、これが唯一正しい道などと述べるつもりはない。数多くある実践のなかの一つにすぎないことは、特にお断りしておきたい。そういう意味では、一つのつたない提案となるであろう。

 さらに、すみません。注釈を加えさせていただく。我が実践は※印で、その考察には◎をつけさせていただく。

 それでは、どうぞ、よろしくお願いします。


 その1 係活動から(1)

※5月末から受け持つことになった2年生のクラスであるが、すでに過去記事にも書かせていただいたとおり、もともとこのクラスの係活動は活発だった。いきいきと、それこそ主体的に活動していた。

 活発なあまり自我と自我がぶつかり合うことも多かった。たとえばA係とB係の活動が重なり、それが学級全体の動きに大きな影響を与えることもあった。つまり、『ぼくたち、わたしたちはどう行動したらいいの。A係とB係の両方に協力したいけれど、それは無理じゃん。』ということが何回か起きたのである。

 混乱状態からけんかになることもあった。

 わたしは双方の言い分を聞く。その一例を書いてみよう。

A係側
・〜日の中休みに学級全体で〜をやることは、前からずっと朝の会や終わりの会で言っていたもん。それなのに、B係は勝手にB係の活動をする時間にしちゃった。

B係側
・それは知っていたけれど、どうしても〜の事情があってわたしたちは参加できないから、そのことは、A係のCさんに話して、Cさんも、『分かった。いいよ。』って言ってくれたんだもん。

 けっきょく、A係内部の連絡調整不足なのであった。このようなことはどの係でも起きそうだから、どうしたらよかったかは学級全員に考えさせた。

・連絡をちゃんとする。
・でも、Cさんはもともとおとなしいから、Cさんに言ったB係もよくない。
・係の代表のDさんに話すべきだった。
・Cさんも言われたことは忘れないで係のみんなに伝えるように、がんばってね。

 Cさんはこの話し合いのときまで、『A係のみんなに伝えなければいけない。』とは思っていなかったようだ。でも、話し合いのなかで、『しまった。』という表情をし了解、一件落着した。

・わたしは、A係、B係の反省点をまとめることにより、以後このような失敗が起きないことを願った。また反省の表情を浮かべたCさんに対し、そのことではほめるようにした。学級のみんながCさんをやり玉に挙げることのないようにするためだった。

◎以上述べたことでご理解いただけると思うが、『子どもの自主性、主体性、自発性を養う教育』において指導者は、一方的なお説教を極力しないようにする。『こうすればいい。』『ああすればいい。』と言って聞かせるのではなく、子ども自らが、『こうすればよかった。』『ああすればよかった。』と気づくように仕向けるのだ。

 また、『けんか』でもお分かりいただけるかと思うが、一見、学級崩壊状態に見えることもある。そう。実際、暴力的なものはないにしても、けんかは実にすさまじいものがあった。それだけどの子も必死なのだ。

 しかし落ち着いた後話し合いを積み重ねることにより、相互理解は深まっていく。大いなる仲良し集団になっていく。

 もう一つ。こうした場合、当事者だけ別室へ呼んでひそひそと話を聞いたり一方的なお説教をしたりすることが多くないか。問題を抱えた子の場合はよけいそうなりそうだ。

 しかし、それをやったのでは、学級集団は育たない。『どの係でも起きそう』なら、学級全体で考え合う姿勢を大切にしたい。どの子にも、自分自身の問題と思えるようにすることが大切だ。
 ただし大事な留意点だが、問題を抱えた子を悪者(?)にしないことも大切だ。本件ではCさんだが、指導者がそういう姿勢を常にもつことによって、子ども同士非難し合うことのないようにしていく。


その2 係り活動から(2)

※冒頭の写真は、我が校で盛んに行われている『本の読み聞かせ』である。地域、保護者の方々によって隔週一回ずつ、朝行われている。

 そうしたら、いつとはなく図書係から要望が出た。
「わたしたちも本の読み聞かせをやりたい。そして、クラスのみんなに聞いてもらいたい。」
 わたしは、
「それはすごいね。クラスのみんなが賛成したらやってごらん。」

 すると、なかには、
「いやだ。自分の好きな本を読みたい。」
という子もいたが、
「いいじゃん。『一カ月に一度』って言っているんだから、他の日は自分の好きな本だって読めるよ。」
「やりたいって言っているのだから、やってもらいたい。賛成。」
の声の方が圧倒的にまさった。

 そうして行われた、その一コマが右の写真である。yomikikase01
 なんと、わたしが教室に入ったときはもうすでに始まっていた。

 読み聞かせ終了後、わたしは、図書係の意欲、実践力を称賛するとともに、それを支えた学級全員の盛り上がりを絶賛した。

◎担任には担任の願いがある。今やりたいこともある。

 しかし、子どもの欲求はそれに沿っているとは限らない。いや、ほとんどはすれ違い・・・そう思ってしまう場合も多いだろう。そうした場合、子どもの欲求にどうこたえるか。『子どもの自主性、主体性、自発性を養う教育』にとってそれは重大だ。

 わたしは、学校経営、学級経営に支障が生じるのでない限り、認めるようにしている。いや。おおいに推奨する場合も多い。自らやろうとする気概を養うことが大切だ。

 『時間がない。』『学校には学校の計画がある。』

 それはそうだが、子どもがふざけているのでない限り、学校の計画に沿わないなどということは、ほんとうはあり得ない。そこは担任の柔軟性がほしい。『ああ。今子どもがやろうとしていることは、あの時期のあの計画に合致する。』そう思えたなら幸いだ。

 ああ。しかし、次のケースは、大事な指導が抜けてしまったがゆえのわたしの失敗例とも言い得る。『子どもの自主性、主体性、自発性を養う教育』においては、指導者が子どものやろうとしていること、やっていることに対し、観察力、洞察力が欠かせない。


その3 交流の場面から、

※我がクラスは、個別支援学級のEさんと交流をしている。Eさんは泰然自若としているように見えるし、明るく人懐こい面もあるから、学級のみんなから好かれている。音楽、体育などの授業とともに、週一回は我がクラスで給食も食べている。

 その給食のことだが・・・、

 給食でEさんが行く班は決めていた。なぜ決めるかについては、特に話していなかった。結果的にそのあたりの反省点がわたしにあった。

 あるとき、ふと気づいたのだが、決めていたはずの班がどうも流動的になっているようだ。
『あれ。たしかEさんはF班で食べていたはずだが、いつのまにかG班になってしまっている。』
しかし、一週間に一回だけというなかで、歳のせいでボケ始めている(?)わたしにはその確信がない。それで黙っていたのだが、あるとき、
「Eさん。Eさん。今日はH班だよ。H班で食べるんだよ。わたしたちの班なの。」
という声が聞こえるに至って確信した。
『これはまずい。これはいけない・・・はずだ。』

 それで放課後、個別支援学級のJ先生にうかがってみた。
「はい。toshi先生のおっしゃる通りです。毎回班を変えるのはよくないです。週4回は個別支援学級で食べているのですが、そこでも班を動かしたりはしていません。
 Eさんはそれはもう、見た感じではふつう級の子と変わりないように見えますが、あれでなかなか、急に予期せず環境が変わると、パニックになることもあるのです。ですから、そういうときは、かんで含めるように言って聞かせます。それでも・・・、」

 間違いなかった。それでわたしは次の日、それこそかんで含めるように子どもたちに言った。わたしにはあらかじめ感じ取れることがあったのだ。

 なぜ、あるときからEさんは班を動かされることになったのか。

 それは、Eさんが我が学級において人気者だからだ。
「いつもJ班じゃずるいよ。わたしたちだって、Eさんと一緒に食べたい。」
「その方が楽しいものね。一人増えるし。」
 
 つまり、『自分たちにとっての公平』を求めたわけだね。Eさんを思いやる気持ちになってはいなかった。

 このように、『子どもの自主性、主体性、自発性』が高まっていくと、『こうすれば、こうなるだろう。』という見通しをもつことが指導者に要求される。ここは、『Eさんの班は固定する。』という点について、なぜそうするのかの説明をしなければいけないところだった。

 そう。いくら、『自主性、主体性、自発性を大事に』と言ったって、子どもに分からせなければいけないことは厳然としてある。そうした点についての判断力がわたしに欠けていた。

 というわけで、遅ればせながら次のような話をした。

「みんなだってね。よく知らない班へ毎回移動させられたらどんな気持ちになるかな。」
「いい。うれしい。」
「いろいろな人と仲良くなれるから、その方がいい。」
「わたしはいや。そんな仲良くなれない。緊張しちゃうもん。やっぱり、いつも同じ人と食べた方が仲良くなれる。」

 賛否を問うと、だいたい同数だった。

「でもね。K組のL先生に聞いたら、Eさんの場合は、そういうことをやられると、ものすごく緊張してしまうのだって。だからね。K組のなかでも、班は決めているそうだよ。他の班へ行くことはないって。」

 子どもたちは真剣に聞いてくれた。納得してくれたようだ。

◎子どもたちは、次のようなことを学んだ。

・世の中、いろいろな人がいるのだ。すべて自分と同じように思ったり感じたりしているわけではない。

・自分と同様、他人も大切にしなければいけない。

 こういう場合、もし頭ごなしに、あるいは一方的に、話して聞かせるようなやり方だったらどうなっただろう。現代に生きる子どもたちだ。分かってくれる子どもはほんの一部になってしまったのではないか。教員の思う方向に引っ張るのではなく、子どもの思いを引き出しながら、子ども自身が考え納得する方向にもっていくことが大切だろう。

 それにしても、指導が遅れてしまったのは、ある時期、パニックになったかもしれない状態にEさんを追いこんでいたわけで、これについてはほんとうに申し訳なく思った。

 とは言え、今、Eさんは、我がクラスに来ることを喜んでいる。我がクラスも大歓迎だ。Eさんがいけないことをすれば、我がクラスの子同様に注意する子もいる。そんな関係をとてもうれしく思う。


 さて、それでは本記事のまとめに入らせていただくが、本記事に書かせていただいた3つの事例は、いずれも現在狂騒状態にあるテスト的学力とは無縁な教育活動ばかりである。だから、今の学校教育の風潮からすれば、まるっきり軽視されてしまっている。話題にもならない。

 それで、いじめ自殺などが起きると、『教師が道徳を軽視しているから、そうなるのだ。徹底的にたたき込め。』などという感情論がまかり通る。

 ああ。冒頭にも述べたように、今を生きる子どもたちにそのようなことをしたら・・・、すぐキレる子もいるというのに、そのようなことをしたら・・・、さらに学校は荒れていくだろう。わたしには目に見えるようだ。

 再度問いたい。

 『いじめをなくす指導と点数アップの指導は、両立するものであろうか。』

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 学級経営にあせりは禁物です。一見学級崩壊のように見えても、指導者に一定の見通しがあれば、ゆっくりゆっくり歩んでいけるものです。教員の資質向上とは、そうした経験、研修をつむことだと思うのです。
 また、学級経営に紆余曲折はつきものです。きちんとしてけじめがついているように見えても、次の日、何かのハプニングがあれば、また荒れている状態に戻ってしまうかもしれません。たとえ荒れた状態のように見えても、指導者がお手上げ状態なのではなく、ちゃんと信頼関係のなかにおさまっているのなら、何もあわてる必要はないのです。

 『子どもの自主性、主体性、自発性を養う教育』が、『放任』と同義となってしまっている現状は、確かにあります。ありますが、それはダメです。上記の『お手上げ状態』となってしまうでしょう。
 さらに始末が悪いのは、
・そうなっていても指導者がお手上げと思っていないケースです。
・お手上げ状態を子どものせいにしているケースです。

 そして、テスト的学力についてですが、けっきょくは『子どもの自主性、主体性、自発性を養う教育』の方が、身につくのです。

 それはそうでしょう。自ら学ぶ意欲をもって日々学習しているのですからね。

さらに言わせていただければ、この教育は、生涯を通じて生き抜く力も養っていると、そう言えるのではないでしょうか。

 そして・・・、ああ。先ほどからの問題提起ですが、『子どもの自主性、主体性、自発性を養う教育』に徹すれば、『いじめをなくすことと点数アップ』は両立するのです。


 最後に、今、保護者もかわいそうな状態に追い込まれていることが多いです。

 子どもの問題行動を目の前にして、どう接したらいいか分からない。

 わたしは答えました。

「あまり神経質にならない方がいいです。『気にしない、気にしない。』の精神も大切ですよ。・・・。よし。分かりました。お母さんがこうなってほしいという状態に、必ずなることがあります。そのときは、連絡帳でお知らせしましょう。そうしたら、うんとお子さんをほめてやってください。」

 このケースの場合、一週間もたたずお知らせすることができました。


rve83253 at 05:16│Comments(13)TrackBack(0)教育観 | 指導観

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この記事へのコメント

1. Posted by 伊藤   2013年02月27日 20:26
お久しぶりです。私はまだお話をいただけず、無職の公算が高まってきました。
先生の実践は大変参考になります。
話題として、土曜日復活の話もあります。安倍内閣ではさらに科目の追加が見込まれてますし、実技科目はこのままいけば、廃止される不安があります。
ゆとり教育や詰め込み教育だ言われます。方法論ばかりが語られ、教師の研修機会や時間の余裕は奪われる一方です。
しわ寄せは誰に向かうのか?
取り戻してほしいのは教育公務員の誇りです。
2. Posted by toshi   2013年03月02日 07:42
伊藤さん
 それは、それは・・・、ただただ、残念です。
 でも、今月、お話が来ればいいなとも思っています・・・が、それはあり得ないことなのでしょうか。地域によって事情は異なりますので、心配しております。
 わたし、記事中に、《大人社会が人間関係の希薄化を強めるなかで》と書かせていただきました。これは宮台真司氏の『日本の難点』なる著作を受けて書いたのですが、同書には、《地縁・血縁社会》から《システム化された社会》への移行とあります。それが日本社会を根底から変えていると。
 しかし同書を読むと、『学校こそは、これからも地縁を大事にし心がふれ合えるところであってほしい。』といっているように思うのですが、どうも、現実の教育行政は、学校もシステム化しようとしているように思えてなりません。
 そうなれば、ますます学校の矛盾は深まり、荒れ、その結果、日本社会は荒廃の道をたどるような気がしてなりません。もうすでにそうなりつつあるとも言えますね。
 さらに荒れないと気づかないというのではこまります。
 
 
 
3. Posted by jun513k   2013年03月17日 16:36
5 toshi先生の意見に120%同感です。学力向上といじめ撲滅運動は両立しません。行政の介入は、教育基本法の改悪で、こういう事態が進行しています。
今一度、政治と教育の関係を考え直さないといけません。
4. Posted by toshi   2013年03月19日 06:06
jun513kさん
 ご賛同いただき、ありがとうございます。
 両立しないというときの『学力』はテスト的学力のみという、せまい意味の学力ですね。それとはまったく両立しません。
 本記事に書かせていただいたような『生涯わたって生きてはたらく学力』。もちろんそれは、テスト的学力も含んでいますが、それとは見事に調和し両立するものだと思います。
 『まずテスト的学力ありき』という今の風潮が、子どもを窮地に追い込んでいます。
 今の行政の介入は許してはいけません。それはあまりに高圧的、独善的だからです。
 教育基本法を改訂したのは、旧安倍政権でしたね。諸悪の根源ここにありです。行政に『教育現場に学ぶ』という姿勢がほしいです。しかし、行政だけが問題なのではありません。一部国民の意識も右傾化していると思います。
 真に子どもを見つめることにより、子ども(人間)らしさを取り戻す教育。それこそが喫緊の課題です。拙いブログですが、今後とも当ブログをよろしくお願いします。
5. Posted by 小2の母   2013年07月22日 17:45
5 突然、申し訳ありません。

通知表がらみでどうしようか悩んでここにたどりつきました。

成績一つであまり騒ぎたくないのですが、一年生の三学期までは、成績も良い方だったのですが、今学期は、まあ、少しだめかな〜と思っていたら、
肝心の生活評価に良いが一つもなく、かんばりましょうに一つ◯がありました。
ここ二ヶ月、学校へ行くことができず、先生と話ができなかったのですが、7月に入って娘が『暴力をふるっているようだ』と連絡帳に書かれました。その時は、あまり深い考えに及ばず、娘に聞いた相手のお母さんとメールで仲が良いからぶつかっちゃうよねと話しました。

しかし、今回の通知表を見て、そこにはまるで私の知らない娘がいるようで、暴力?が、原因かと考えるようになりました。
先生が暴力という表現を使用したこと、娘の話から、娘が大勢対1人の状態になることもあると聞いて、仲間外れやいじめの対象になりかけているのではないかと心配になりました。

娘は、空手を習っており、自分から手を出すことはしませんが、やられたらやり返すことはすると思います。

担任の先生のこともお友達も大好きな娘が、今回の通知表で大人が不審に思う状態にショックを受けています。
今になって聞くとポロポロとあの時はこうだった、先生はいつも自分を悪く言うと話ますが、どこまで本気に聞いて良いかわかりませんし、娘自身は、今まであまり気にしていなかったみたいです。

二学期に個人面談があるのですが、どの立場で話をしようか迷っています。
私自身は、成績はわるければ来学期頑張れタイプですが、そんなノリで過ごしてはいけない事態かもしれないと迷い、ご相談させて頂いた次第です。

申し訳ありません。
お返事を頂けたら、とても心強いです。よろしくお願い申し上げます。
6. Posted by toshi   2013年07月23日 00:55
小2の母さん
 ご心配なこと。お察し申し上げます。
 いきなりで恐縮ですが、わたしは以前、通知表は子どものことが書いてあるのだが、実はこれ、担任の作品であると書いたことがあります。本コメントのtoshi欄に貼りつけましたので、よろしければご覧ください。
 作品とはどういうことかと言いますと、あくまで担任がお嬢さんをどう見ているかが書かれているのであって、お嬢さんそのものが書かれているのではないということです。
 それとは別に、子どもは、担任が変われば、それまでとは違った面を見せるようになるということもよくあることです。簡単に言ってしまえば、担任との相性が良ければ笑顔がふえるでしょうし、良くなければいらいらした感じがふえてしまうでしょう。もちろん子どもは無意識にそうなってしまうのです。
 また、担任に指導力がない場合も、学級は落ち着きをなくしますから、同様のことが起こりがちになります。
 そして、これは学級内の子ども同士の人間関係にも影響します。イライラする子が増えれば、当然けんかも多くなりますよね。
 お嬢さんが1年生のときと様子が変わったとすれば、そういうことが原因ではないかと思われます。
 救いはお嬢さんがあまり気にしていないようだとのこと。それなら、お母様もお嬢さんのまえでは、《そんなノリで過ごして》いただくのが一番と思います。
 また、個人面談の折は、
・学級の中でお嬢さんをめぐって人間関係がどうなっているのか、
・一年生の時とはずいぶん様子が違っているようで驚いている、
ということは話したり聞いたりしていいことだと思います。
 最後に、
 わたしの孫の一人も、2年生のとき同様のことがありました。学級が乱れていたため、言動が荒々しくなったようです。でも、3年生になり、担任が変わったら落ち着きを取り戻しました。
 参考にはならないかもしれませんが、ちょっとふれさせていただきました。
7. Posted by 小2の母   2013年07月23日 04:21
5 toshi先生

早速のお返事ありがとうございます。
とても参考になりました。そして、私の心が何より落ち着きました。

お話をうかがって、そういえば、
よくけんかになる子もクラスの強いお友達とうまくいかないことがあったらしいこと、
娘の言う、暴力を決定付けたと思われる出来事の発端は、何となく発達の遅れ気味な子をめぐる問題だったらしいことを思い出しました。

問題は本当に人間関係を取り巻くものなのでしょうね。個人面談が恐ろしくなくなりました。

toshi先生のお孫さんも活発でいらっしゃるんですね。
うちも3年にはクラス替えもあるようですし、なんとかなりそうです。

本当にありがとうございました。
今回の件でこんなにためになるブログを発見した事、toshi先生に直々にお返事をいただけた事、とても嬉しく思います。
今日は娘の誕生日でした。いつも叱ってばかりなので、気持ち良く迎えさせてあげます。ありがとうございました。
8. Posted by toshi   2013年07月23日 23:07
小2の母さん
 個人面談が恐ろしくなくなったとのこと。よかったです。すてきな誕生日になったかな。そうであれば、うれしいです。
 そして、恐ろしくなくなったとのこと。その調子でいきましょう。どうせ我が子の一面しか見てくれていないのですから、やや荒れ気味(?)の、お嬢さんの学級の人間関係をどう把握しているのか、学級の荒れを子どものせいにするのか、さぐりを入れるような気持ちで軽くお尋ねになられたらいいと思うのです。
 それと成績のことですが、こういう学級にいる場合、どうしても身につかないのはいたしかたありません。決してお嬢さんの怠け心ではありません。そして、2年生1年間の学力など、もともとはよかったのでしょうから、学級が落ち着けば、すぐとりかえせますよ。大丈夫です。
 
9. Posted by 小2の母   2013年07月25日 06:37
5 toshi先生

お返事ありがとうございます。
親バカは、誕生日にDSのソフトを買い与えてしまいました😰

この件で、隣の学校のママとも話しをしました。
前々から先生との関係に悩まされていたとのことでした。
私のクラスは、まだましな方かもしれません。

私自身は、田舎の複式学級で6年間を過ごしました。
年とった先生が校長先生も含めて3人、若い先生が1人。同級生は1人。

5,6年に若い先生が担任になった時、同級生の良いところを引き出そうとすごく頑張ってました。
今思うと、その前の4年間、2人の学年で、勉強も運動も今ひとつ、やや暗い表情の彼は、私と比べられ続けていたでしょうね。
それをなんとか打破しようと、子どもの私から見ても若い先生の意気込みは伝わりました。

車が大好きで車の絵を描くことが大好きだったMくんは、美術の時間は特に褒められていた気がします。私もこれは彼にかなわないと思っていました。

娘を通して、改めて恩師に感謝しました。
中学も高校も、良い先生がほとんどでした。
一部、今考えても迷っておられた先生もいらっしゃいましたが、本当に一部でした。

今だからなのか、ここだからなのか、随分ストレスの多い小学校生活なのですね。
私自身が、教育に興味津々になってきました!
担任の先生も、保護者会にはきてくれない、参観にもきてくれないだと、不安になりますよね。次回は、先生の応援も含めてなるべくスケジュールを調整します。

toshi先生、本当にありがとうございます。
これからも度々ご相談させて頂くと思いますが、よろしくお願いします。

10. Posted by toshi   2013年07月26日 08:32
小2の母さん
 読者の皆さんとこういうコメントのやり取りができるということ。ブログをやっていてよかったなと思う瞬間です。
 何より、《私自身が、教育に興味津々になってきました!》とおっしゃっていただけるということ。幼少時の思い出をつづってくださったことからも、お母さんに心のゆとりが出てきたなと感じさせていただきました。
 ストレスの多い学校生活というのは確かです。何度もブログに書かせていただいているのですが、大人社会が人間関係希薄化の方向に向かっていて、その影響をもろに受けているはずの子どもたちが、学級という濃密な人間関係を余儀なくされる場に身をおくのですから、ぎくしゃくしてしまうのも、ある意味、仕方ないのかもしれません。
 その点、小2の母さんは、心のつながるお友達をおもちのようで、それが心のゆとりにつながっているのでしょう。
 幼少時、同学年はたった2人だけの複式学級だったとのこと。びっくりすることではないのに、びっくりしてしまいました。ごめんなさい。

 ところで、お願いがあります。小2の母さんからいただいたコメントをもとに、次回の記事を書かせていただきたいと思います。コメントの6番に書かせていただきましたが、かつての我が孫のクラスでも、似たことがありました。こうした事例はけっこうあるのではないかと思いますので、失礼を顧みずお願いしたいのです。よろしくお願いします。
11. Posted by 小2の母   2013年07月26日 08:42
5 toshi先生

まあ、私とのやりとりで次回の記事を書いて下さるなんて、光栄です。
是非、お願いします。

先生にお友達の事を書いて頂いて、
上京してよそ者じゃないかと思ってなんとなく遠慮してましたが、
そうじゃなかったですね!
そうですね!!
こちらも、ポジティブに考えられるようになりました!!!

先生、気づかせるのが御上手です(^^)
12. Posted by yoko   2013年07月29日 02:31
toshi先生お久しぶりです。
小2の母さんのコメントを読ませて頂いて、小3の娘が友達からいじめられ悩んでいた時に、toshi先生のブログに出会って感動した事を思い出しました。その節は有難うございました。
その娘ももう高1です。月日の流れは早いですね。

同じような方が、きっと沢山おられると思います。
これからも無理のない程度にずっとブログを続けていって下さいね。
13. Posted by toshi   2013年07月29日 08:04
yokoさん
 うわあ。yokoさん。ほんとうにお久しぶりです。お元気でいらっしゃいますね。
 実は昨日、わたしは高校野球を見に行っていました。貴コメントを拝読し、《そうか。あのときの小3から小5が今の高校生なのだ。》と思うと、感慨無量です。当時をなつかしく思い出すとともに、ながあくお付き合いいただいていることに感謝申し上げます。
 教育者なら、今目の前の子どもたち一人ひとりの個性をしっかり見つめ、その伸長をはかること、あたりまえのことなのですが、今の日本はそれがなかなかむずかしいようです。
 教育政策、システムなどは、個の伸長に奉仕するものでなければならないのに、そちらの方が優先してしまっている状況があります。
 あらためて、教育の原点を思い出させていただきました。ありがとうございます。
 どうぞ、今後ともよろしくお願いします。

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