2013年04月15日

仕事が趣味!?

kodomo2 長い間わたしは、自分にとっての教職という仕事は趣味のようなものだと思っていた。仕事が単なる金銭を得るための手段ではなく、仕事そのものに『楽しさ』とか『喜び』とか『感動』などを味わえるので、『この仕事に就いてよかった。』と心から思えた。

 娘2人が小学生のころである。妻が娘に言ったことがあるらしい。

「お父さんはいつも楽しそうに仕事に出かけるでしょう。『今日も仕事か。いやだなあ。』とか、『行きたくないなあ。』とか、そういった感じがしたことはないでしょう。
 でもね。そういう人って、どちらかといえば少ないのよ。多くの人は、仕事がいやだなあとか、きびしいなあとか、つらいなあとか思いながらも、『生活のため、家族のためにがんばる。』という気持ちでいるものなの。
 だから、いつも仕事が楽しいって思えることは幸せなことよね。」

 それはだいぶ後になって、たぶん、娘が高校生くらいになったときに、『そう言えば、こんなことがあった。』といった感じで娘から聞いた。そのとき、
「そうだよ。お父さんにとって、仕事は趣味のようなものだ。」
と答えたと思う。

 しかし退職しブログを始めると、『趣味』と言ってしまうことに引っかかるものを感じるようになった。なんか誤解を招きそうな気がしたのである。たとえば、
『おまえはそんな軽い気持ちで仕事をしてきたのか。単なる楽しみにすぎなかったのか。』
そう言われそうな気がした。本気の度合いを問われそうに思ったのである。だから、ブログにおいてこの言葉は使ってこなかったように思う。
 それで退職してからは、自分にとっての教職という仕事の意味をうまく言葉に表せなくなってしまった。


 そんな思いでいた昨年度の初めごろ・・・。ちょうど仕事がなくなり、満たされない思いのまま家で過ごしていたときである。何気なく昼のバラエティ番組『笑っていいとも』を見ていた。そのなかで、タモリさんが心に残ることを話されたのである。
 今、記憶で書くことをお許しいただきたい。ゲストとのやり取りである。

 「タモリさんはこうして毎日、毎日、ほんとうに多くの方とテレビで話していますよね。そうするとなかには、『こいつ、いやな奴だな。話したくもない。』などと思う人もいるのではないかと思うのですよ。
 でも、『テレビだから仕方がない。いやな奴だけど話すしかないか。』などといった感じを受けたことは一度もないのですよね。いつも誰とでも、心から話すことを楽しんでいる。そんなふうにみえるのです。
 それでどうですか。ほんとうにいやな奴と思う人はいないのですか。」
「いや。それは、仕事でなければ、いますねえ。」
「仕事だといない!?」
「そう。仕事だといないですねえ。」
「それはまた、どうして?」
「仕事でないときの『いやな奴』のいやな部分は、仕事となると変わるのですよ。《おもしろいなあ。》とか、《どうしてなのかなあ。》とか、《へええ。そういうことか。》というような具合で、いわば好奇心の対象となるのですね。ですから、仕事では心から会話を楽しむ気分になれるのです。」

 
 また、別なテレビでは・・・、これは誰が言った言葉かは忘れたが、確か、芸術、芸能・・・そんな定年のない仕事の方だったように思う。わたしより間違いなく年上の方だった。アナウンサーとの対談だった。

「よく定年を迎えると、やれ海外旅行だとか、やれ趣味に生きようとかいう話を聞きますけれど、わたしにはそんな気持ちはさらさらないですねえ。ほんの数日であっても仕事から離れると、なんか自分が自分でないような気がしてきましてねえ。落ち着かなくなるのですよ。仕事をしているときが一番落ち着いた気分になれます。」
「なるほど。仕事は、人生そのものということですか。」
「そうですね。仕事をしていない自分というのは考えられないですねえ。」
「一生修行だともおっしゃっていますね。」
「そうです。人生終わるまで、『これでいい。満足だ。』などと思うことはないでしょう。常に課題をもって取り組んでいます。」

 この2つは、ストンとわが胸に落ちた。なるほど。そういうことか。それなら確かに、仕事と趣味とは違う。仕事は人生そのもの。気持ちが落ち着くもの。そして修行は一生。

 ちょうど、仕事がなくなったときで、なんとも味気ない毎日を過ごしていたときだったから、心にしみた。下記リンク先記事は、ちょうどそのようなときの記事だ。
 ああ。授業をやりたい!
 そうか。授業をやっている夢をみたのも、上記テレビ番組の残像があったからかもしれないね。それだけにこの記事の直後、学級経営の話をいただけたのは、何という幸運だっただろう。ただただありがたかった。

hana1
 タモリさんの話は、わたしの思いと重なる部分が多かった。

 これは過去記事に書いたことがあるが、わたしの場合、子どもの前に立つと自然に笑顔になってしまうのだ。どんなに不機嫌な気分でいても、子どもの前だと、『気づいたらニコニコ。』といった感じである。

 子どものなかには、問題行動の多い子もいる。《またかよう。》といった気持ちでしかめっ面になることもないではない。しかしそうしたなかでも、『少しでもよい言葉や行動はないか。』と、無意識にいいところさがしをしている自分に気づく。
 それがまた、そうした目で見ていると、いいところってあるものだ。しかりっぱなし、どなりっぱなしになることはまずない。必ずフォローができる。それで笑顔になってしまう。


 
 修行の話となると、ちょっとニュアンスが違ってくるかもしれない。

 今、修行を積んでいるといった感じはない。まあ、研究・研修といったところだろうか。その研究・研修も、今や非常勤講師の身分では公的にも私的にも機会がほとんどないので、もっぱら自己研修ということになる。実践を積みながら、自問自答している感じだ。もちろん、このブログにいただくコメントからも、そうした機会はいただいている。

 そんな調子だから、自己研修といっても、まったくあくせくしてはいない。心にジーンときたとき、目を開かされる思いがしたとき、それを大事にしようと思うくらいだ。
 そうか。逆もあるね。授業をしても、100パーセント満足の授業なんてほどんどない。『なぜ、あの子のあの発言を採り上げ投げ返してやらなかったのだろう。』とか、『あの子のあの発言はすばらしかったじゃないか。なぜ、そのとき、気づかなかったのだろう。』とか・・・、そんな反省はほぼ毎回のようにある。
 でもね。これももう、あくせくはしないのだ。反省することが大切。反省する気持ちがあればいい。何も明日の授業では失敗しないようにしようなどとまで思わなくてかまわない。

 ねっ。これでは、修業とは程遠いね。『研究・研修といってもその程度か。』と言われそうだ。でも、開き直るわけではないが、その程度でも、授業力は向上しているはず。自分で自分にそう言い聞かせている。

 
 かくいうわたしも、かつて修業時代はあった。これは過去記事にある。そのときは必死だったね。もう40年近くむかしのことだ。
    教員生活35年
 なお、冒頭の妻の話は、このリンク先記事の後半、《おかげで、30代後半からの学級経営は、とても楽しく充実したものになった。》のあたりでの話になる。

 
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 ninki



 今、若く教職にある読者の皆さんに申し上げたいと思います。

 つらくきびしい毎日を過ごしている方がいらっしゃるかもしれません。しかし、子ども、授業を真正面からとり上げる研究・研修を大切にしましょう。

 だからといってね。修行とまでは思わなくていいのではないでしょうか。『楽しさ、充実感』といった意味で、『趣味』でいいと思います。
 言い方を変えれば、あくせくせず軽い気持ちでいい。しかし、日々のふり返り、先輩の指導、そういったものについては不断の努力が必要です。

 そして・・・、これが大切と思うのですが、

 ・授業力を高め、
 ・一人ひとりの児童の内面を気にかけ、児童理解力を高めるなかで、

 子どもが変容したり、自分自身の児童対応が変容したりして、成果が上がったという実感がわき起こったら、そのことを我が喜びとする。

 前記事に書いた、生活科の相互交渉力。これは大人になっても大切ですね。それができず、自分自身の感情・気分に支配されてしまっている大人は少なくありません。
 しかし、これは教職に限らないでしょうが、大人としてはそこにとどまることなく、セルフマインドコントロール力(りょく)を追求していってほしいと思います。 

 わたしも上記、芸術・芸能に生きている方の話ではないですが、これで満足と思うときはありません。まだまだ修行・・・、いや、研究・研修が大切と思っています。

 
 最後に、ご報告。

 今年度のわたしの仕事がスタートしました。なんと社会科専科です。

 こんな仕事、日本広しといえども、そうあるものではないでしょうね。わたし自身、初めての経験です。新たな気持ちでがんばりたいと思いますので、今年度も、どうぞよろしくお願いします。    


rve83253 at 14:37│Comments(8)TrackBack(0)エッセイ | 自己啓発

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この記事へのコメント

1. Posted by edy   2013年04月15日 15:46
 ブログ拝見させております。
 仕事は人生の半分だと自分でも思っていて、面白い仕事でなければする意味がないと、教職を志す以前からその想いだけは、大切にしています。
 ところが進路を踏み誤り、続ける動機のない職場を転々とするに至り、少なからず後悔を感じています。ですが私は、自分の失敗を糧に子どもたちのキャリアを意識した教育者に成ろうと考えています。
 私は現在教員を目指す身として、toshi先生の、教育現場で長年勤め上げながら、こうした深い考えを示せる教育者として居られることに、憧れを抱きます。
 これからも、ブログ楽しみにしています♪
2. Posted by 伊藤   2013年04月15日 16:36
ご報告までに。
横浜市よりお話しをいただきまして、中区のY中学校の非常勤講師になることに決まりました。

ひとりしかいない科目ですが、なんとか一年間こなしていきたいと思います。
3. Posted by よたろう   2013年04月15日 20:48
ブログ良く拝見させていただいておりますが、コメントは初めてです。
先生のご見識、ご実践には本当に敬服いたしております。
私も、仕事が趣味で生きてきた一人ですので今回の記事とても共感いたします。退職直後は授業もやっていましたが、今は耳が聞こえにくくなり、補聴器をつけても上手く子どもの発言が聞き取りにくくなり授業することは断念しています。今回先生が、現場にお戻りになられたこととても嬉しく思いますと共に羨ましくも感じます。
 私の今の唯一の役割は、現職の時に作った先生の勉強会で、若い先生に自分の実践や考え方、自分だけでなく,toshi先生のお考えなども紹介していくことかなと思っています。どうかお体を大事に、お仕事に精を出してください。
4. Posted by toshi   2013年04月17日 04:59
edyさん
 なんともはや、どうお答えしたものか、夢と希望をいだいて仕事に就かれながら、就かれたら夢と希望が打ち砕かれてしまうという現実に、わたしとしては言葉もありません。
 この仕事は、地域や学校ごとに違いが顕著です。edyさんの夢や希望がかない、充実した思いで仕事ができるところもきっとあるはずなのです。
 どうか、夢や希望を見失うことなく、その実現に向けて果敢に挑戦していっていただければと願っています。
 すみません。たいしたことが書けなくて。
5. Posted by toshi   2013年04月17日 05:12
伊藤さん
 それはよかった。おめでとうございます。長くコメントのやり取りをしてきているだけに、うれしく思います。
 まずは第一関門を突破されたということかな。中学・高校というと、なかなかきびしい現実がありますが、次は採用試験突破を目指してください。
6. Posted by toshi   2013年04月17日 05:34
よたろうさん
 コメントを賜り、ありがとうございます。大変恐縮いたしております。
 わたしもここ10年余り耳鳴りがひどくなり、子どもの発言を聞き間違えて謝ることもしばしばです。それで子どもが大きな声ではっきり話すようにしてくれると、感謝の言葉かけを忘れないようにしています。
 よたろうさんも、若い先生の勉強会を主宰されていらっしゃる。すばらしいですね。
 そこで我が実践を紹介してくださるとのこと、心よりお礼申し上げます。どうぞ、今後ともよろしくお願いします。
7. Posted by rusie   2013年04月21日 10:17
5  仕事ということに対しての考え,私も最近いろいろ考えていました。今年を含めて,定年まで3年です。その短さを思うと,今の生活がとても大切で,今までいやだった仕事も,そうも思うことなくできている毎日です。子どもの問題行動さへ,自分のチャレンジとして,受け止めています。
退職後,どうしたいのか,考えると分からなくなります。習い事や,趣味の生活を生き生きとされている先輩の先生方もいらっしゃいますが,なんだか私にはぴったりとしません。
 かといって,toshi先生のように,学校で必要とされる存在には,なりそうもありません。
 読み聞かせは大好きなので,続けたいのですが,世の中には退職されて読み聞かせをしたい女の先生方があふれており,お母さんたちのボランティアさんもたくさんいるように思います。
 自分がしたいことを周りの人に押し付けてしまうような生き方はしたくないなあと思ってしまいます。
 今はとにかくせいいっぱい子どもたちと暮らそうと思っています。
8. Posted by toshi   2013年04月22日 08:43
rusieさん
 いやあ。お久しぶりです。うれしい思いで拝読しました。特に、あと3年となった今のご心境にふれた部分ですが、一日一日を大切にされているご様子がうかがえ、感動をもって読ませていただきました。
 わたし、rusieさんからのコメントを拝読し、ちょっと、本記事の内容に誤解を招きかねない記述があるなと感じるようになりました。申し訳なく思うとともに、若干の訂正をさせていただこうと思います。
 わたしも、定年間近のころは、《退職後どうしたいのか考えると分からなくな》る部分がありました。そのような折、管理職の再任用がスタートしたのです。その仕事が初任者指導でした。その知らせを聞いたのは退職半年前です。『何とラッキーなこと』と思い、その仕事にとびつきました。
 以上が実情であって、何か予定の路線を突き進んだかのような書きっぷりになってしまったのは間違いです。申し訳ありませんでした。
《自分がしたいことを周りの人に押し付けてしまうような生き方はしたくないなあと思ってしまいます。》
 わたしも肝に銘じています。たとえばですが、我が地域において臨任職員、非常勤の不足傾向がなくなれば潔く身をひこうとは、いつも考慮に入れています。

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