2013年05月16日

『芽吹きを迎えた。』と感じる我が地域の小中一貫

amenohini  我が地域が全域にわたる小中一貫教育を打ち出したのは4年前のことだった。それは昨年度(平成24年度)からの実施をうたっていた。
 そのときわたしは、『理念はすばらしいが、実行は困難』という見方をし、そうした趣旨の記事を書かせていただいた。
    小中一貫教育のあやうさ でも、がんばって。(1)

 ねっ。タイトルからして、???といった感じでしょう。

 しかし今、我が地域においては、この小中一貫に期待感を抱かせる事例が相次いでいる。うれしい誤算。これからに希望をいだくことができる。ありがたい思いでいっぱいだ。

 それは何か。一口で言えば、中学校の授業改革が進みつつあるのだ。

 思い出す。中学校出身で、社会科の指導主事の言葉を・・・。もう20年くらい前になるかな。まだそのころ、小中一貫の声は弱かった。それだけに強く印象に残っている。 それは、上記リンク先記事にあるが、今、その部分を再掲させていただこう。

 「いやあ。もう、小学校の授業からは学ぶことが多いです。
 ほんとうにきめ細かく子どもに対応していらっしゃる。また、一つの授業にかける準備もすごいものがある。だから、授業中の子どもの表情が、中学校のそれとはまるで違います。
 子どもの思い、疑問を引き出して、授業を組み立てるという、そういう手法について、中学校の先生は、もっともっと小学校の授業を見て、勉強しなければいけませんね。
 指導主事とは言いながら、わたし自身が小学校の授業から、多くのものを学ばせていただいています。」

 その言葉自体はありがたい思いで聞いた。しかし、一人の指導主事がいくら力説したところで、中学校の牙城はいささかもゆるがないように思われた。そのくらい、双方の指導法の違いは強烈で・・・、その辺は冒頭リンクさせていただいた過去記事でくわしく述べている。お時間と関心のある方はぜひご覧いただきたい。 

 まあ、そんな思いでいただけに、小中一貫に期待感をもてるようになったのは喜びである。とは言っても、まだその営みは始まったばかり。期待が強ければ強いほど、課題もクローズアップされるのはいたしかたないだろう。

 そこで、つい最近見せていただいたA中学校の授業から、現段階での成果と今後の課題を書かせていただこう。


 A中学校は、現在わたしが勤務するB小学校の卒業生が進学する中学校である。昨年度から小中一貫教育への取組が始まったのだが、A中ブロックと称し、中学校1校、小学校3校が加わっている。昨年度は我がB小が授業公開したが、今年度はA中の番とのことであった。

 期待感をいだいていたわたしとしては、非常勤講師の身ではあるが、ぜひその授業を見に行きたい。そこで、校長先生にお願いをした。快諾してくださった。

 わたしは社会科の授業を見せてもらったが、確かに授業は様変わりしていた。従来見てきた中学校の授業とは一線を画していた。小学校では当たり前のふつうの授業風景だが、中学校のそうした授業は初めて見せてもらったような気がした。

 先ほどの指導主事の言葉ではないが、子どもたちの表情は明るく、いきいきとしていた。また、指導者から提示される資料はよく工夫され、授業にかける意気込みを感じた。


 ここですみません。授業の様子はちょっと中断させていただき、この場面で思い出したことを書いてみる。

 それは、この授業研究会直前の、B小校長の話だ。
 「中学校は長い間、授業研究などをしないできたのですよ。中学校はそれが、学校文化でしたから・・・。
 だから、中学校の授業は、もうみんな、自己流。そしてその多くは、『教師による解説と子どもの演習』でした。子どもは、教師のペースにお付き合いさせられてきたのです。
 それが、小中一貫教育の動きとともに、今、変わりつつあるようです。」


 その通りだった。

 楽しそうな子どもと指導者とのやり取りは、後ろで見ていてもほほえましくなるほどだ。

 後述するように教師による解説がなくなったとは言わないが、少なくとも子どもに言わそうとする、つまり子どもを活躍させようとする配慮、気配りはふんだんに見られた。

 たとえば、気温、降水量のグラフや、写真などの資料とともに、寒帯、冷帯という言葉が押さえられる。すると、子どもが、
「こんなところでは、農業なんかできないのではないですか。」
とつぶやく。わたしは心のなかで、
『おっ。いいぞ。農業の話題が登場したか。』
 そうすると、教師が「みんな、どう思う。」とはたらきかけ、『農業はできなさそうだ。では、どんな産業で?』といった話題に移っていった。

 ねっ。こういうのが子どもが活躍する姿だよね。そして、子ども主体の学びに近づくよね。従来はこのようなつぶやきすら、中学校の授業ではなかったものだ。また、あったとしても教師はそれを無視し、予定した路線で授業を進めたものだ。

 その後、資料をもとに、話し合い学習が進んでいった。そのやり取りも自然だった。精神的な余裕、ゆとりを感じた。そのなかで、『永久凍土』という言葉が押さえられた。

 話し合い学習のときは、けっこう騒々しいときもあった。そういうときは、指導者の声もかん高くなる。しかし、ノートをとったり資料を読み取ったりする段になると、それに集中しシーンとなるのは、メリハリがきいていて好感がもてた。


 そのシーンとした場面で、またまた思い出したことがある。かつて、それこそ、もう20年以上も前のことだ。まさしく、指導者による解説といった授業だったね。子どもの声はほんの数回しか聞こえなかった。教室は終始、指導者の声がひびくのみ。
 『これはいったい、授業と言えるのかな。』
 そんな思いが駆け巡ったっけ。

 おもしろくもない授業。こんな授業に一日中付き合わされる子どもたち。もうそれだけでかわいそうになってしまった。そこには、小学生時代、いきいきと活躍していた、我がクラスの子もいるのだ。

 そのとき思ったことは、

 これはもう、受験圧力があるから、子どもたちはひたすら耐えているのだろう。受験圧力がなかったら・・・。もう荒れてしまうのではないか。現に、そんな授業に耐えられない子どもは、教室を抜け出すしかないのだった。

 今、目の前に展開されているような授業なら・・・、そんなことはないだろう。子どもたちは自分の思いを出し合っているのだから・・・、現にいきいきとしているし・・・、『ああ。いいなあ。』


 しかしそれだけに、『解説と演習』の授業では、うかがいようもなかった課題が見えてくる。

 そう。今度は課題に話を移そう。

〇確かに以前と比べれば、子どもはいきいきとしている。しかし、まだまだ、子どもの発言は短いし、単語の単発で終わってしまうことも多い。

 それは、授業にストーリー性が乏しいからだ。『ええっ。何でこの流れからいきなりそっちへ行っちゃうの。何の脈絡もない。これでは、子どもは受け身にならざるを得ない。』と言いたくなるような、そんな場面があった。
 先ほどの『教師が、みんな、どう思うといった感じで、農業の話題に移っていった。』という場面を、もっともっとふやしたいものだ。

 
〇子どもたちの興味・関心をひこうとする気持ちは分かる。しかし、『解説』のクセから抜け切れていない。せっかく和気あいあいとして子どもたちものっているのだが、子どもに言わせたいことまで指導者がしゃべってしまう場面が少なからずあった。

 かつて、『不思議のタネ』の記事を書いたことがあるが、指導者がしゃべりすぎると、子どもは、『ああ。そういうことか。分かったよ。』くらいの軽さで終わってしまう。
 だから、教師の言葉は短く、子どもの知的好奇心をくすぐるような言い方で・・・、この授業で言うと、『日本では当たり前でふつうにみられること、そして、うれしくなることなのに、国によっては、これをすると怒り出すところもあるのだって。』
くらいにとどめたい。怒り出す理由まですべて教師が言ってしまい、一件落着させる必要はない。
 心に引っかかるものをもたせる。そうすれば、子どもたちは、『ええっ。何でえ。』とばかり、『知りたい、分かりたい。』という気持ちをそそられるであろう。自然に盛り上がろうというものだ。

〇やり取りは活発だが、思考力を養うといった感じは弱い。『さあ。ここは、しっかり考えよう。』という教師の促しはあったが、そこでも、資料読み取りに終始していた。もっと、『ぼくは、わたしは、こう考える。』といった、それこそ、冷帯、寒帯に居住する人々の生き方にふれるようなやりとりができるといいなと思った。

 この授業研究会のあと、A中校長の話を聴いた。雑談のなかだったが・・・、

 「長く、中学校の先生方は、自己流の指導法から抜け出せないできました。しかし、小中一貫教育の取組が始まると、先生方の意識も変わってきました。このままではいけないという想いには強いものがありました。
 一つは、子どもが変わったことです。伝統的な中学校の授業では、子どもを救うことはできない。そういう想いが強くなりました。
 もう一つあります。PISA調査や国、それに我が地域の学力検査などの影響でしょう。もう、従来の知識・技能を問う問題一辺倒ではなくなりました。それに高校入試も様変わりしています。それらが思考問題、記述問題重視に転換するようになりました。そうしたことの結果、『これは、小学校の授業から学ばなければいけない。』という機運が芽生えたのです。」
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 それで、またまた思い出したことがある。

 かつて、C小学校の先生が嘆いていらした。
「〜。我が校は、これまで人権教育の授業実践を積み重ね、一定の成果を収めてきました。地域の多くの先生方や指導主事の先生から、『すばらしい取組だ。単なる学力アップにとどまらず、学級のまとまり、豊かな人間関係の構築と社会科の指導とが直結している。』などといった評価をいただいてきたのです。
 それなのに卒業すると、一年もたたないうちに、『ええっ。あの子がそんな人を差別するような言動をとるのですか。』とびっくりしてしまうような事例が相次いでしまうのです。
 もう残念でなりません。
『いったいわたしたちがやってきたことは何だったのだろう。』
『教育環境が変わったくらいのことでこんなに簡単についえ去ってしまうような、そんな根なし草の研究にすぎなかったのか。』
と、忸怩たる思いにかられてしまうのです。」

 わたしもこのC小学校の研究にかかわってきたから、子どもたちの『すごい。』といっていいくらいの成長は肌で感じていた。だから、
「いやあ。C小の研究は間違いないですよ。ちゃんと差別の学習を通して『生きる力』を養っています。ですから、それはもう、中学校の問題と割り切っていいのではないですか。」


 そのC小の所属するD中ブロック小中一貫にも、昨年度おじゃまする機会があった。C小の授業研究会にD中の全教員が参加しているとのことだった。

 これは、C小校長の話だったが、かつてのC小の教員の嘆きはかなりへっているとのことだった。授業研究もさることながら、子どもたちの生活面での改善がかなり見られるようになったという。子どもの変容、心の成長まで見通したC小の研究がD中に引き継がれているようで、これも大きな感動だった。

〇あら。あら。課題を述べていたつもりが、いつの間にか成果を上げた話になってしまったね。すみません。

 課題に話を戻そう。あと一つは、教育課程の小中一貫だ。

 これは、文言としてならすでに、どのブロックでも成立している。ただ書くだけなら簡単だものね。今のところは、学習内容や単元名を並べたにすぎないものが多いようだ。これが真の意味で一貫となったとき、小中一貫は実を結ぶことになる。

 しかしねえ。元来、学習指導要領はむかしから小中一貫なのだ。その証拠に、冒頭の総則では・・・、児童を生徒と置き換えただけで、同じ文言がずっと並ぶ。

・児童(生徒)の人間として調和のとれた育成
・地域や学校の実態及び児童(生徒)の心身の発達の段階や特性を十分考慮して,適切な教育課程を編成
・児童(生徒)に生きる力をはぐくむことを目指し
・創意工夫を生かした特色ある教育活動を展開
・基礎的・基本的な知識及び技能を確実に習得
・これらを活用して課題を解決するために必要な思考力,判断力,表現力その他の能力をはぐくむ
・主体的に学習に取り組む態度
・個性を生かす教育の充実
・児童(生徒)の発達の段階を考慮
・児童(生徒)の言語活動を充実
・家庭との連携を図りながら,児童(生徒)の学習習慣が確立するよう配慮

 これらは双方まったく同じだ。ねっ。元来、学習指導要領に忠実に沿っているなら、小中一貫などというまでもなく、一貫であるのが当たり前だったのだ。

 これまで長く、中学校の授業は、『基礎的・基本的な知識及び技能を確実に習得』のみ、学習指導要領を大切にしてきたのではないか。他は・・・、これはもう、地域・保護者の皆さんがお子さんを通し、感じ取られてきたことだろう。お寒い状況だったのではないか。

 今やっと、芽吹きを迎えることができた。その感が強い。中学校を取り巻く外部の教育環境が大きく変わろうとしている今、真の意味での小中一貫を展開しようではないか。紆余曲折はあるだろうが、できるだけ着実に歩んでいきたい。


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 我が居住地の小中一貫ももちろん進んでいます。

 我が家の前は、坂の上り下りが反対ということはあるにしても、小学校、中学校とも、通学路となっています。我が養母が言ったことがあります。
「小学校、中学校とも、通学の様子を見れば、今、学校がどんな状態か、落ち着いているか、荒れているか、手に取るように分かるわね。一時はひどかったわ。
 でも、ここ10年くらいはどちらも落ち着いているようね。」

 これも小中連携から一貫へのあゆみの成果でしょう。

 先日、その象徴とも言うべき、すごいことがありました。

 お年寄りが坂道の途中で動けなくなったようで、しゃがみこんでいました。買い物を済ませたところだったのでしょう。重い荷物も道に落ちていました。お年寄りは苦しそう。あえいでいるようでした。

 そのお年寄りをとり囲むようにして、中学生が話しかけています。

 わたしは黙って通り過ぎることができなくなりました。脇からそのやり取りを聴くと、中学生は、口々に、『大丈夫ですか。』『おうちは近いのですか。』『おうちには、ご家族はいらっしゃるのですか。』『おうちまで送りましょうか。』・・・。

 お年寄りは、苦笑いを浮かべながらも苦しそう。苦しそうなのに、『いい。いい。』と手を振っています。

 わたしは、じっとさせておいた方がいいのか迷いながらも、
「わたしの家はすぐそこなのですけれど、車を出しましょうか。」
 すると、一人が、
「おばあさん。この方が車を出してくれるって言っていますが、どうしますか。」
そして、別な子がわたしに、
「何か、おうちは50メートルくらい先のようなのです。」
「そう。50メートルでも、こんな状態では車にお乗せした方がいいかもしれないね。」

 10分くらいそのようなやり取りをしていましたが、やっと立ち上がるそぶりを見せました。中学生みんなで、そのお年寄りを抱えています。そして、ゆっくりゆっくりあゆみ出しました。

 その脇を、下校の中学生が三々五々通っていきます。みんな目をやりながらも心配そう。そして、彼ら、彼女らの介護(?)の様子を見守りながらも、『じゃあ、お願いね。まかせるね。』といった感じで通り過ぎて行きました。

 わたしは、あることを想い、先を急ぐことにしました。
「ありがとう。みんなのさっきからの振る舞いにわたしは、ほんとうに心打たれた。・・・。それなのに、ごめんね。ちょっと先を急ぐので、失礼します。」
「ああ。どうぞ。いろいろ、ありがとうございました。」

 わたしは目と鼻の先のE中学校の呼び鈴を鳴らしました。
「わたしは、この町の住民ですけれど、今、お宅の中学生が実に感動的な行動をとっているので、お知らせに参りました。」

 もう、子どもが何かしでかしたときと同様、数人の教員が玄関まですっ飛んできました。
「〜。まだ、お年寄りを抱きかかえてゆっくり歩いていますから、間に合いますよ。すぐそこですし、〜。」

 先生方は、『ありがとうございます。』と叫ぶなり、みんな、そちらの方へ駆けて行きました。わたしは、先生方も寄り添い始めた、その姿を遠目に見ながら、その場を離れることにしました。
 

rve83253 at 22:17│Comments(12)TrackBack(0)教育観 | 小中連携・一貫

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この記事へのコメント

1. Posted by 伊藤   2013年05月20日 20:04
非常勤として、1ヶ月が経ちました。
自信も失い、現場にいる先生たちとの差を痛感し、教師に向いてないとはっきり思いました。
なかなかうまくいかないことは自分の責任です。指導計画やプリント頼みの授業の甘さがあると思います。改善していきたいですが、ジレンマです。
機会があれば、アドバイスを頂きたいところです。
2. Posted by 協働学欲   2013年05月21日 14:40
純粋な教育ニーズというよりも、大人の都合(オカネやセイジの?)で小中一貫にせざるを得ないケースもある様です。

どうせ一貫にするならば、質の高い学校にしたいという思いで、外部から支援に入ります。そこでは、小中の組織文化の違いを生かすこと(つまり、違い)がいつも課題になります。

授業観の違い、教材観の違い、子ども観の違いを噛み合わせていくことが求められてきます。しかし、この「観」というものは、「見」と違って見えにくい性質があります。

そこで、「観」が違った時には、共通の授業を実際に見て「見」のレベルで授業検討をすることで、相互の気づきをつなげる様にしています。一貫もいいのですが、一環(理念をつないだ横のつながり)、一感(共通点に感動すること)を通さないと、一観には至りにくいと感じます。

一貫のカリキュラムの完成度を自慢されることもありますが、書かれたシラバスの高度さは教員のカリキュラムドライブ力(実践力)が非常に重要ですね。紙や図で示したペーパー・ゴールを教室で子どもと共に真のゴールにグレードアップして行きたいものです。
3. Posted by toshi   2013年05月22日 05:21
伊藤さん
 それは、それは、驚いております。
 何とかいい方向に行きますように。
 拙ブログのサイドバーにはメール受け付け欄があります。そこから、一度、メールをいただけないでしょうか。
 よろしくお願いします。
4. Posted by toshi   2013年05月22日 05:49
協働学欲さん
《純粋な教育ニーズというよりも、大人の都合(オカネやセイジの?)で小中一貫にせざるを得ないケースもある様です。》
 いつもありがとうございます。
 いやあ。おっしゃる通り。変な牽強付会の論理が横行しています。『ああ。学校現場を悪くするのは、こうした行政、学校管理ではないかと危惧しています。
 協働学欲さんのお言葉をお借りすれば、我が地域は、今、『見』の段階が始まったところと言えるでしょうか。それを、『環』『感』にまで高めていかなければいけませんね。
 いつだったか。協働学欲さんがおっしゃっていましたね。『シラバスが授業をするわけではない。あくまで人だ。』と。
 それを肝に銘じがんばっていきます。どうぞ、今後ともよろしくお願いします。
5. Posted by 協働学欲   2013年05月22日 06:30
伊藤先生
あなたは、教師に向いています。
伊藤先生は自己分析力も実践の反省力が機能しています。この悩む力こそ成長のセンスの裏返しでもあります。そして、自分の弱点や周囲の先生の指導のよさにも気づいています。これが、まず、教師としての大事な資質です。
しかし、今、思い通りに行かない中で日々の業務に追われ、何をどうしていったらいいのか、解決の糸口を見つけられない焦りがあるようです。この渦にのみこまれないでください。
大丈夫ですよ。私なんて最初に黒板前で人に話した時、緊張で膝が笑ってしまい、立っていられなくてろくに話もできませんでした。
できないことに目を向けることだけでなく、先輩などに相談しながらできることを見つけて行きましょう。自分一人では視野狭窄し自責の隘路に嵌る恐れがあります。伊藤先生はセンスがいいのですから、指導技能はこれから体験を通して伸びていきます。最初から名教師だった人なんていません。「あなたが実践を通し苦心して身につけた力は、実践によって発揮できる力として身に付く(協働学欲)」
6. Posted by 伊藤   2013年05月22日 18:58
先生、協働学欲さん、ありがとうございます。
少し冷静になりました。
もう少し、考え直してもがいてみようと思います。

6月の最初に公開授業がありますので、中に入れるようならご案内して実際に見てもらえばと思います。

末端ではありますが、横浜市の教員として頑張っていきます。
7. Posted by 協働学欲   2013年05月23日 10:06
ちょっと、ほっとしました。教える力と教わる力双方があってこそ指導技能は伸びます。先輩はもちろん、いろいろな先生に対し「教わる力」を発揮しましょう。また、学校経営に関わる先生方も、こうしたセンスがいいのに悩んでいる先生を伸ばすための組織開発ができるといいですね。伊藤先生には沢山の後援者がついています。未来の子ども達と自分の為にゆっくり前進して下さい。
「希望なき時の希望(聖リタ)」を信じて!!
8. Posted by のぞみ   2013年05月25日 16:08
 小中一貫についての記事を拝見させて頂き、東京の小中一貫についての考え方と雲泥の差がある事に私自身が気付かされました。東京はご案内のように、中学校からの一方的な小学校への乗り入れなのです。
 大きく分けると認識の違いだと思うんです。
一つ目は、「公教育は社会福祉の側面も負っている」
 参考にならないかもしれませんが、「東京ルール」として提唱しております。東京の小中一貫教育は、序列化・格差を助長するのと同じ行為で、これは「公教育の自殺」に等しい事だと思います。 
二つ目として「押し付けでは、続かない」
 自発的に継続する事こそ大切です。あいさつをさせようとか、これでは保護者も参ってしまうと思うのですが…。
 それに対して、toshi様がお住まいの校区の中学生は本当に立派だと思いました。当地の中学生が同じ場面に遭遇したら、同じ事が出来るだろうか…
 今では無理ですね。指導者を蹴飛ばしたり、「死ね!」と言う生徒が2年足らずで増えている現状では、良心を持った一部の子が消防局へ119番するのが精一杯だと思います。これも、小中一貫に対する自治体による「格差」だと感じずにはいられません。
 東京都は、特別区を中心に動いています。市町村長もいますが、オリンピック招致に熱心なお方の下請けのような自治体が多いのは、憂慮する所です。(続きます)



9. Posted by のぞみ   2013年05月25日 16:08
 いや、最終的には首長による所もあるのでしょうか…。目の前の問題に取り組むと言う姿勢に欠けたお方は、横浜市の林市長のように待機児童をゼロにするなど目の前の問題にもう少し取り組まれたら、少しは東京都の教育も良くなると思うのですが、現在は「脅育」となっております。
 原因は、「いじめは切磋琢磨する上で必要」「スパルタこそ必要」との持論をお持ちの前都知事の操り人形のような学校管理職の強権的なやり方に、教員と子ども が反発しているからだと思います。学級崩壊、学校崩壊が少なくありません。
 何とか地域としてこれ以上悪くならないようにしたいとの思いで一杯です。
 あの品川で未来ある尊い命が失われる悲しい出来事がありましたが、保護者によるとアンケートが何回も来たそうです。
「いじめはあります、学級崩壊もあります」と書いたけど、見てるのかしら?」
と言う保護者と、「○○は退職して欲しいです」って書いたと言う保護者など、非常に深刻な状況となっているのが現状です。
 今私は、学校支援から身を引かせて頂きましたが、地域住民として何とかとの思いも、今の「脅育」では限界を感じてしまいます。
 でもtoshi様のブログを参考にさせて頂き「子どもは未来の宝」と言う思いを忘れずに参りたいと思う所です。
 長文大変失礼致しました。toshi様に於かれましては、社会科の先生として益々のご活躍を祈念しております。
10. Posted by toshi   2013年05月26日 14:11
協働学欲さん
 わたし宛てのコメントではないようですが、一言お礼を述べさせてください。
 協働学欲さんのコメントのお言葉の一つ一つが、我が心を打ちました。《ほんとうにそうだなあ。》と強く感じました。わたしも勉強になりました。
 ほんとうにありがとうございました。
11. Posted by toshi   2013年05月27日 10:06
のぞみさん
 お久しぶりです。コメント、ありがとうございました。
 ほんとうにね。ひところ、東京、大阪の市民の方からメールやコメントをいただくことが多かったです。それらはみんな、今回ののぞみさんの内容と重なっていました。
 同じ小中一貫と言いながら、その内実の違いはあまりにも大きいようです。
 我が地域にも、崩壊している事例がないわけではありません。しかし、教育行政はじめ、学校管理職、教職員が意思の疎通を密にし研修を積み、その克服を目指しています。
 記事でも少しふれましたが、我が居住地も、かつては荒れている時期がありました。それが徐々に改善されてきたのは、やはり地域ならびに教職員の奮闘の結果だと思います。そして、小中一貫の取組がそれを後押ししたのではないでしょうか。
 上記事例にしても、数人の善行の背景には、多くの生徒さんの支えがあるのだと感じました。第一、他は荒れているのに数人だけお年寄りにやさしいなどということが、まずないでしょうね。
 なお、中学校の指導法改善の努力は、単に指導法にとどまるものではないでしょう。授業観、生徒観など、『観』の転換を伴っているものだと信じます。
 最後に、のぞみさんへのお詫びです。
 のぞみさんからいただいたコメントのうち、個人にかかわる記述は、いろいろ考えさせていただいたのですが、やはり削除させていただきました。あしからずご了承ください。
12. Posted by ABC   2014年06月13日 23:40
小中一貫校は、政治的に建てられたものです。
はっきり言って失敗と現場の教師の方たちからの意見です。
まず、小中学校の授業時間が違うので、小学生は確か45分で、中学生は50分なのでチャイムが違うので小学生を中学生に合わせて、休み時間を長くとるなど苦労したようです。
小1と中3では、運動会をやっても体力が違う。
廊下が、長いので小1は走ってしまう。
特別教室があちこちにあって、分からなくなる。
普通だったら、5、6年生が上級生なので自覚をもって育ってくれるが、中学3年生が上級生なので、56年生はたるむ。
育つチャンスを逃した。
などなど、実際はエリートを育てるため、そうはならなかった。
市議会の方も失敗だったと話しています。
何と言っても、1000兆円も借金を作った無能な自民党が計画したのですから、無能な人間は何をやってもうまくいきません。
責任も取らずのうのうと政権与党にいるのですからあきれます。
国民も国民です。
経済政策がよくて支持されているようですが、1000兆円も借金を作った自民党を支持されるのが信じられない!
安倍の識なし男は、( 党内で常識なし、知識なし、良識なし見識なしの識なし男と呼ばれています。)円安にして海外に工場がある日本は、貿易赤字を13兆円に拡大しました。
だれが考えても、円安にしたら食糧や原油を輸入に頼っている日本は、貿易赤字になりますよ。
アホウが日本の総理大臣なのですからあきれます。
麻生太郎も未曾有の漢字が読めなかった。
安倍晋三は、所信演説で官僚にひらがなをふってもらっています。
親のコネと金で恵まれた環境に、ありながらロクに勉強もせずやっと行けた大学が成蹊。
ロクに勉強もしていないのでアホウと、呼ばれています。
だから、財政赤字。
誰が責任をとるのか?
私たちの税金です。
能無し自民党は、即刻退陣に追い込みましょう!

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